勉強会報告

2016年3月3日

 演題:「ブラインドメイク 実践と体験」
 日時:平成28年02月17日(水)16:30~18:00
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来
 講師:岩崎 深雪(新潟市;盲導犬ユーザー)
    若槻 裕子(新潟市:化粧訓練士)
  
 演題1:私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現
     -ブラインドメイクの出会いから1年ー
 講師:岩崎 深雪(新潟市;盲導犬ユーザー) 

【講演要約】
 化粧に全く関心がなかった私が、平成27年2月に大石先生の視覚障害者が鏡を見ないでひとりで化粧ができる「ブラインドメイク」の講演会があることをしりましたが、私には関係ないことと思っていました。でも!私はカラオケ教室に通っているので、舞台に出るときに、もしかして一人で化粧ができるようになれば、人の手を煩わさなくてもいいようになるかも?と思って、同行援護者でもある若槻さんを誘って先生の講演を聞きに行きました。 

 講演を聞きながら正直「こんなこと私に出来ない。場違いなところに来てしまった。」とその場から逃げだしたくなりました。講演が終わり引き止められるのを振り切ってさっさと帰ってきました。その後「私と一緒にやろうよ。」と若槻さんに熱心に誘われ、とにかく一度行ってみて、それから断っても悪くわないだろうと思い、5月からブラインドメイクのレッスンを受けてみることにしました。 

 第1回目のレッスン(フェイシャル&スキンケア)後、乾燥していた唇が潤い、肌がツルツルになっていくことを手指で感じることができました。このレッスンで、自分の顔が愛おしく感じるようになり、知り合いからも「会うたびに綺麗になっていくのね」などと言われると、次第に気持ちが楽しくなりました。 レッスンの度に綺麗に化粧ができるようになっていく自分を感じることで自信がつき、内面から変化していくことに気が付きました。そしてとうとうフルメイクができるまでレッスンを受けて、合格をいただきました。 

 レッスンは70歳を迎える私には、決して簡単なものではありませんでした。アイメイクでは、アイシャドーやマスカラはどこに塗ればいいのか、名前と場所が一致しなかったり、マスキングテープを張るのに四苦八苦しました。でも、今では出かけるときは必ず化粧をするようになりました。化粧をせずにスッピンで出かけた時は、いつの間にか下向きになっている自分に気がつきました。化粧をして出かけると、自分では無意識のうちに背筋を伸ばして、顔を上げて歩いています。 

 ブラインドメイクができるようになったお蔭で、自信がついて、姿勢もよくなり、気持ちも若返り、健康維持にも欠かせないものとなりました。 

 フルメイクができるようになっても、口紅がはみ出ていないかしら?チークはどうかしら?アイメイクはきちんとできているかしら?・・・、常に不安はついて回ります。周りに見てもらえる人がいればいいのですが、いないときは不安のまま出かけて、行先で「私のメイクおかしなところはない?」と聞くようにしています。「綺麗にできてるよ」と言われた時はほっと胸をなでおろします。おかしなところがある時などは「お願い!申し訳ないけどちょっと直して!」とお願いするようにしています。でも、残念なことにおかしいところがあっても黙っている人が多いように感じます。 「教えてあげて気を悪くしないかしら?」などと思わずに何気なく教えてくださる方が身近にいてくれると、どんなにか助かることでしょう。教えていただくだけでなく、それを直していただければなお嬉しいです。 

 そのためにも視覚障害者に関わる方々に、ぜひこのブラインドメイクの化粧技法を覚えていただいて、中途失明で家に閉じこもりがちの女性や視覚障害者の女性に外出の喜びや楽しさを教えていただきたいのです。ブラインドメイクを教えていただける化粧訓練士が1人でも多く私たちのような視覚障害者のためになっていただけることを願っています。 

【略 歴】
 1962年 3月~新潟県立新潟盲学校高等部別科卒業 
 1967年 3月~結婚
 2003年11月~財団法人アイメイト協会より盲導犬1頭目を貸与。
 2011年 1月~盲導犬引退。引き続き2月に2頭目の貸与
 2012年~新潟市東区河渡本町に転居
 2015年 2月~日本ケアメイク協会、大石華法先生の講演を聞く
       5月より大石先生の講座を受け現在に至る 

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 演題2:「女性にとってお化粧とは何でしょう?」
 講師:若槻 裕子(新潟市)

【講演要約】
 街を歩いていて、お化粧をしている視覚障害の女性に出会うことはほとんどありません。その理由は、自分自身のお化粧した顔を鏡に映して確認することができないことで「お化粧はできないもの」と思い込まれているかたが多いからではないでしょうか? 

 私は介護福祉士と同行援護の資格を有していますが、友人に視覚障害の岩崎深雪さんという70歳の女性がいます。彼女は自分では化粧することができなかったため、私が彼女にお化粧をすることが当たり前になっていたのですが、彼女はその度に「申し訳ないね」と気遣った言葉を口にされていました。気遣う彼女に対して私は「大丈夫!」という、今となれば何とも無責任な表現しかできなかったのですが「視覚障害者は、自分でお化粧できないのは仕方ないこと」「視覚障害者はお化粧しても色が見えないし、綺麗になっていく姿も確認することができない」「だから他者(私)が彼女にお化粧をするのは当然のこと」と、こうした決め付けや思い込み、先入観がありました。ブラインドメイクに出会うまでは・・・ 

 2015年2月、ブラインドメイクを考案された大石華法先生と運命的な出会いがありました。視覚障害の女性が自分1人で誰の手も借りずに、とても綺麗にお化粧をしている様子を生まれて初めて見て、感動のあまり鳥肌が立ちました。感動が収まらず、翌月から大阪の大石先生の元へ化粧訓練士を目指して新潟から月に1度、ご指導を受けに通うようになりました。そこではブラインドメイクのレッスンに通っている多くの視覚障害の女性との出会いがあり、彼女たちの声を直接聞かせていただくことができました。そこで感じた事は「綺麗になりたい」「綺麗でありたい」「美しくなりたい」との想いは、女性なら誰でも想い願う事であり、視覚障害の女性も美しくなりたいと願う、ひとりの“女性”であることでした。 

 私が大阪まで通い始めて2か月後のこと。「お化粧は一生出来ない、無用のもの!」と強く拒絶していた岩崎さんに「貴女なら絶対にお化粧できるようになるから!」と誘い、5月から一緒にブラインドメイクのレッスンを受けに大石先生の元へ通うようになりました。70歳の彼女は、ブラインドメイクのレッスンを受ける毎に、パーツ化粧が1つ1つ綺麗にできるようになっていき、12月には、1人で綺麗にフルメーキャップまでできるようになりました。お化粧だけではなく、洋服やお洒落にも気を使うようになり、長い髪をバッサリ切り、毛染めやパーマもして、誰もが見違えるほど若くて綺麗になりました。 

 少し前屈みに背中を丸くして歩いていた彼女でしたが、背筋が真っ直ぐになって歩くようになりましたし、立ち居振る舞いまで女らしく変わってきたことには驚かされました。周囲からは「明るくなったね!」「綺麗になったね!」「若くなったね!」「素敵ですよ!」と声をかけられることで自然と頬がほころび、嬉し恥ずかしそうな笑顔は、まるで少女のようです。その様子を見た側にいる周囲の人たちまでが笑顔になっていました。そして私自身も笑顔になっていることに気が付きました。視覚障害の女性がメイクをすることで、当事者ばかりでなく、周囲の人たちまで明るく、そして楽しくなることを実感しています。 

 ブラインドメイクのレッスンを受ける過程で“自分らしさ”をどんどん見出されて、自主性と積極性を持って生き生きとした生活を送られている視覚障害の女性が大勢いらっしゃいます。「お化粧をしたい」と心の底に押しこめられている声に出せない心の声に耳を傾けて、信頼される化粧訓練士となり、ブラインドメイクを広げていきたいと思います。 

【略 歴】
 2005年 「有限会社 きゃすと」にホームヘルパーとして入社
 2012年 介護福祉士を取得
 2014年 同行援護応用課程を修了
 2015年 日本ケアメイク協会、大石華法先生のご指導のもと
     「化粧訓練士」を習得中 

日本ケアメイク協会 http://www.caremake.jp 

 

 

【後 記】
 勉強会に、テレビ局2社(新潟放送BSN, 新潟テレビUX)とラジオ局1社(新潟放送BSN)の取材がありました。翌日の2月18日夕刻に、テレビ2局(BSNとUX)で早速、放映がありました。勉強会を初めて20年、通算で240回になりますが、本勉強会について新聞報道(読売新聞、新潟日報等)はいくつかありましたが、TVやラジオの取材は初めてのことでした。
 今回の話題「ブラインドメイク」は、視覚障碍者の方が自ら行うお化粧です。今回は会場(眼科外来)で、実演をして頂きましたが、鏡も使わず、指を用いてファンデーション、マスカラ、アイシャドー、チークを行っていきます。みるみるうちに綺麗になるばかりでなく、表情が輝いてくる有様は圧巻でした。

 @丁度1年前のこの勉強会で、大石華法さんに講演して頂いたことが、今回の勉強会に繋がりました。
 
第228回(15‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「視覚障害者の化粧技法について~ブラインドメイク・プログラム~」
 講師:大石華法(日本ケアメイク協会)
  日時:平成27年02月4(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 
 http://andonoburo.net/on/3418

 

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年03月09日(水)16:30 ~ 18:00
 第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
  関 恒子(長野県松本市)
 http://andonoburo.net/on/4488

 
平成28年04月13日(水)16:30 ~ 18:00
 第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「盲学校理療教育の現状と課題~歴史から学び展望する~」
  小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室) 

平成28年05月11日(水)16:30 ~ 18:00
 第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「嬉しかったこと、役立ったこと」
  大島光芳(上越市) 

平成28年06月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第244回(16-06)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「水枯れの大河 信濃川・千曲川に鮭の道を拓く」
  加藤功(NPO法人新潟水辺の会) 

平成28年07月未定
 第245回(16-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 

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平成28年07月17日(日) シンポジウム「病とともに生きる」
 開場: 09時30分 講演会10時~13時
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
 http://andonoburo.net/on/4424
 コーディネーター
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科部長)
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 基調講演 (30分)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター;内科医
       東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    「糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー」
    http://andonoburo.net/on/4450

 パネリスト (各25分)
  南 昌江 (南昌江内科クリニック;内科医)
    「糖尿病を通して開けた人生」
    http://andonoburo.net/on/4462
  小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長;小児科医)
    「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
    http://andonoburo.net/on/4478
  清水 朋美(国立障害者リハセンター病院第二診療部 眼科医長)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」
    http://andonoburo.net/on/4491
  立神 粧子(フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科教授)
    「続・高次脳機能障害というエベレストに登る~作戦を立ててがんばる~」
    http://andonoburo.net/on/4495

 ディスカッション (50分)
  演者間、会場を含めた討論
 13時 終了
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平成28年08月10日(水)16:30 ~ 18:00
 第246回(16-08)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「京都ライトハウス創立者・鳥居篤治郎が抱いた絶望と希望とは」
   岸 博実(京都府宇治市) 

平成28年09月14日(水)16:30 ~ 18:00
 第247回(16-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演題未定
   林 豊彦(新潟大学工学部教授/新潟市障がい者ITサポートセンター長) 

平成28年10月
 第248回(16-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  (目の愛護デー講演会)
   演者未定 

平成28年11月09日(水)16:30 ~ 18:00
 第249回(16-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   青木 学(新潟市会議員) 

平成28年12月14日(水)16:30 ~ 18:00
 第250回(16-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演者未定

平成29年01月11日(水)16:30 ~ 18:00
 第251回(17-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演者未定 

平成29年02月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第252回(17-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   宮坂道夫(新潟大学医学部教授) 

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2016年2月29日

「学問のすすめ」第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
 日時:2016年1月23日(土) 14時半開場 15時~18時
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 座長 長谷部 日(新潟大学医学部眼科)
  演題1:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
  講師 門之園 一明(横浜市立大学教授) 

 座長 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
  演題2:「医療における心」
  講師:出田 秀尚(出田眼科名誉院長)
 

@「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
  人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。(「学問のすすめ」福沢諭吉) 

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 演題:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
 講師:門之園一明(横浜市立大学医学部視覚再生外科学教室)
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【講演要約】
 “学問のすすめ”は、安藤先生の主催するいくつかの講演会シリーズの中でも、特に熱く人生を語るコーナーとして有名でありこれまで三宅養三先生をはじめ私自身も感銘を受けた異次元の講演会と認識している。そこで、まだ道半ばの私が依頼を受けた理由を考えてみた。それは、僕自身の特異性にあるのだと解釈している。一公立大学医学部出身の僕が頑張って振る舞っている姿が特殊なのであろう。 

 僕の専門は硝子体手術です。日本人眼科医の場合、フェローシステムがないので誰であれサブスペシャリテイ―を語るのは自由であり、仮に僕がぶどう膜ですと言っても誰も信じる人はいないでしょうが、よい訳です。ただ、1996年から硝子体手術を本格的に開始して年間数百の手術を20年以上にわたり休まずに維持し、大学の教官特に、教授職を拝命している以上は、たぶん本格的な硝子体手術の専門と一般に言って良いのでしょう。 

 僕は、1988年に横浜市大医学部を卒業して脳外科に入れて頂きましたが、あまりの徒弟制度と極め付けはクリスマスをICUで2年連続で迎え、さらに正月も病棟で迎えることになった段階で、顕微鏡手術が出来て、かつ、できるだけ脳に近い網膜に転向する決意をしました。当時の網膜は実に、これまた大変な時代でした。なにしろ、網膜剥離がなかなか治らないのです。当時、網膜剥離手術の大家、京大の塚原教授の述べたとされる“触っただけで7割治る”という言葉が有名でしたが、実にその3割が治らなくて本当に困った時代でした。そのような情報の少ない時代に良くあるのが、権威主義です。とにかく、網膜は極めて神聖な領域であり、少なくともそれを専門とする大学の門下生であることが広く網膜人として認知されるための必要条件でした。 

 目の前の失明してゆく患者、何度も繰り返し剥離の手術を受け続ける若い患者を前にして、医局制度のガチガチの時代にどうにかして、網膜専門の医局に異動したいと何度も当時の教授に談判したが到底不可能でした。大阪大学、杏林大学、京都大学、東邦大学、以外は当時は硝子体手術を標榜することは難く、田野教授、樋田教授、荻野先生、竹内教授は僕ら世代のスターであり、ある種のロールモデルでもありました。そのような大学を出ていないと網膜の専門と認識されないなんて、僕にはどうにも腑に落ちませんでした。だから、僕はロールモデルに直接会い行き、勝手に自分の師匠にしました。師匠は初めから決っているものではなく、探すものであり、自分が先生であると決めた人が先生であって、気づいた時に目の前にいた人ではないと思っています。 

 硝子体手術の創始者のMachemerの有名な言葉に、“Do not do unconventional ways” というのがあります。田野先生も、”同じことしても、面白くないでー“と同じようなことを良く言っていました。僕は確かに硝子体手術が好きだったので、良く手術中に眼球という小さな空間に自分自身が小人になってあちらこちらを動き回っているような錯覚とらわれることがありました。そうした時間はあふれ出る創造性の中にあり、手術をしながらいくつもの構想や疑問が浮かんで来るもので、解剖学教室に出入りしていたある日、手術中に浮かんだ内境界膜の染色のアイデアを基礎実験で確認してすごい勢いで論文にしました。ネットのない時代なので2回のリバイスの後、毎日郵便箱にArchivesから受理の返事が来ないかと待ち望んでいました。こうした発見を一流誌の論文にする作業はとても大切であり、ある時、”Publish or perish”という言葉を鉛筆書きで僕の原稿の余白に、大野教授はメモをしてくれました。また、International societyへの無料チケットという大きなチャンスを学閥を超えてくれた田野先生の先見性も神さまからの贈り物の一つであり、いつも大切にしています。 

 医学、網膜、硝子体手術、これらはすべて創造的産物です。およそ世の中で正規的なものはありません。創造的な作業により事実はいつもあたらしく塗り替えられます。創造は最も重要な行為であり、Vitrectomyは、創造的産物の代表です。そして、それを論文にしてその時代の科学的事実とする。創造そして記載、この行為が実に崇高なものであり、人々を興奮させる行為であることを、僕が勝手に選んだロールモデルから学びました。これらはお金で買うことのできない掛け替えのないものであり、これからの時代の若い世代の眼科医には、自分の努力で、創造と記載の楽しみを味わって欲しいと思います。高所を目指さなくとも、小さなことで良いから発見を通して学問に貢献することは、勿論、患者さんの為ではありますが、同時に成長してゆく自分自身の為でもあります。ロールモデルを持ちそこから学ぶことで、人は成長します。少なくとも僕の特異性はそれで説明されます。 

【略 歴】門之園一明
 1988年 横浜市立大学医学部卒業
 2000年 横浜市立大学眼科講師
 2007年 横浜市立大学附属市民総合医療センター眼科教授
 2014年 横浜市立大学医学部視覚再生外科学講座教授

 

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 演題:「医療における心」
 講師:出田秀尚(出田眼科病院名誉院長)
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【講演要約】
Ⅰ.技と心
 医療に限らずあらゆる職業において大切なことは、車の両輪としての技と心である。私は、44歳の時から11年間、網膜剥離手術図説を専門誌「眼科」にシリーズとして毎月連載し、これを一冊にまとめた技術編を「図説網膜硝子体手術」として1993年に金原出版社から発行することが出来た。その後、車輪のもう一方である心の問題を取り上げ、「網膜硝子体手術メンタル編」として同じ「眼科」に連載し続けた。56歳から75歳までの20年間で142編となったので、2014年に「医者どんの言志録」として金原出版社より発行出来た。技術については理論的に説明できるので書いて伝え易いが、心の方はこれが難しい。以下に、医療における心について掘り下げて考えてみたい。 

Ⅱ.医の倫理と心
 医における倫理は医師の心得を,言葉で定めたものである。その歴史はギリシャ時代の、ヒポクラテスの誓いに始まる。近世になってドイツのフーヘランドが「医学必携」を1836年に出版し、杉田成卿により江戸時代に「医戒」として我が国に紹介された。その中には医師の使命として、病者に対する戒め,世間との関わり,同業医師との関係,の三つについてが述べられている。第二次世界大戦後になって患者の自立尊重の考えが取り入れられ、ついで資本主義制度の中で利益と負担を医療従事者と患者で公平に分担するという、正義原則が持ち込まれるようになった。更に現代では科学の発達に伴って再生医療など生命に関する倫理が介入してきた。日本医師会では昭和26年に「医師の倫理」が制定され、ついで平成16年に「医師の職業倫理指針」が作成された。日本眼科医会でも倫理委員会設置の声が上がり、5年後の平成24年に「日本眼科医会倫理綱領及び倫理規定」が制定された。倫理綱領は、医師の望ましい心得7項目が示されている。倫理規定は行動の細目にわたってその規準が示されている。 

Ⅲ.心と感性
 倫理の深層には、その人の持てる独自の心,もしくは感性或いは性質とも云われる部分が存在し、これを規定として定めることは出来ない。この部分は、眼前の事象をどのように捉えて反応するかということで、これは各人固有の想像力に基づいている。フランスの近世哲学者バシュラールは、想像力を形式的と物質的の二つに分けている。形式的は体験したことを想像する力、物質的は未経験のことを想像する力で、後者は物を創造する力を有しているので創造的想像力とも呼んでいる。医師ばかりではなく、人が生きていく上で力を発揮するのはこの部分である。 

Ⅳ.感性を醸成する
 バシュラールは物質的想像力を醸成する力は、自然の四大元素,地水火風にあるという。この考えは日本の文化の中では、太古の時代からあったものと私は考える。修験者は自然の中で命を懸けた荒修行を行い、それにより創造的な力が得られることを知っていたものと思う。私が50年以上関わっている武田流流鏑馬は、神話の時代以来皇室に伝わっていた精神を1500年程前に欽明天皇が形で表現した皇室の神事であった。武田流はその後300年程経って武家に継承された流派で、これが熊本に伝わっている。最初に行う天長地久式では、天地人を射る仕草で、過去と未来という悠久の宇宙の流れの中に生きる自分を見よと教えており、天照大神の心とされている。これは神話の時代もしくは縄文以来の日本人の心であった、いわば人の倫理綱領に相当するものであろうと考えられる。 

Ⅴ.感性を磨く
 引き続き行う騎射では三つの的を走る馬上から次々と射て行き、これは五穀豊穣・天下泰平・万民息災の三つを成就するための祈願である。五穀豊穣は豊作を得るための勤勉・忍耐・努力・奉仕・畏敬・感謝・質素などを意味し,天下泰平は戦争をしないための和・尊敬・謙虚・勇気・誠実・正直・恥・秩序・友愛など,万民息災は、同情・共感・協力・激励などを含んでいると解釈する。騎射は、神武天皇の建国の精神として伝えられており、いわば弥生時代に形成された社会倫理の規範として捉えることが出来る。これらの精神は、日本の様々の文化に形を変え、これを通して日本人独特の感性が磨かれてきたものと考えている。 

Ⅵ.人は智と情の間を生きる
 医療に技と心があるように、人生には智と情がある。理屈に偏りすぎると窮屈になり、情に棹をさせば流されると漱石は云う。そう云いながら人間は物と心に挟まれて生きるのが普遍だと、村上春樹はその作品から云っている。孔子は人が豊かに生きるためには、道・徳・仁と共に芸を上げている。医師は科学や理論に頼りがちなので芸術が必要だ。智と情の間を揺れながら生きていても人は生命が終わり、道元が遺偈(ゆいげ)に云うように「黄泉に陥落」、大自然に帰るのであり、そこに理屈は存在しなくなる。 

Ⅶ.自然に触れる旅
 眼科医として半世紀、失明と闘ってきたが、どうしても治すことが出来ず失明に至る人が居る。そのような人に必要なのは、自ら生きていくための創造的な力である。人生の終わりに近い人には、自然に帰る準備が必要だ。私自身も含め、そのような人達と、阿蘇や天草を訪れる日帰り旅行、「自然に触れる旅」を4年前から始めた。自然の四大元素に触れ、自らの感性を高め、ゆっくりと自然に帰る準備のためである。 

【プロフィール】出田 秀尚(いでた ひでなを)
 1963年 熊本大学医学部卒業
 1968年 熊本大学大学院修了(眼科),医学博士
 1969~1971年 ニューヨーク市立大学,ニューヨーク医科大学眼科研究員
 1972~1974年 ハーバード大学マサチューセッツ眼耳鼻科病院にて眼科臨床網膜フェロー
 1974年 熊本大学眼科講師
 1977年 文部省在外研究員
 
1979年 出田眼科病院々長
 2009年 出田眼科病院名誉院長

 

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これまでの「学問のすすめ」講演会一覧

 詳細は、下記URLからご覧ください
 http://andonoburo.net/on/4397 

第9回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院 眼科
 日時:2014年7月6日(日)  10時~13時 
 1)「学問はしたくはないけれど・・」
    加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
 2)「摩訶まか緑内障」
    木内 良明 (広島大学眼科教授) 

第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
 1)「疫学を基礎とした眼科学の展開」
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)「2型糖尿病の成因と治療戦略」
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長) 

第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
 1)「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 

第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
 1)「私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事」
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)「糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?」
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科) 

第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
 1)「私と緑内障」
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)「神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー」
     栂野 哲哉 (新潟大学) 

第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
1)「臨床研究における『運・鈍・根』」
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
 2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学) 

第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
 1)「眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く」
    ―亡き恩師からのミッション
     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)「わがGlaucomatologyの歩みから」
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授) 

第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
 1)「強度近視の臨床研究を通してのメッセージ?clinical scientistを目指して」
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)「拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価」
      植木 智志 (新潟大学眼科) 

第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
 1)「網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?」
    -神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-」
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)
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2016年1月30日

報告:第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会    上林明
 演題:「パラドックス的人生」
 講師:上林明(新潟市)
  日時:平成28年1月13日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
 私は昭和19年(1943年)に、今の山形県鶴岡市の個数僅か48軒の小さな漁村に視覚障害をもって生まれた。親は、生後1か月を待たずに新潟大学病院眼科まで出かけ、熊谷教授に治療を嘆願したそうだが、当時は病名すら理解していなかった(注;先天性上眼瞼欠損症)。 

 昭和24年(1949年)9月、集落の9割を嘗め尽くした大火災が起こった。真夜中なのに真昼のような明るさの炎、逃げ惑う人々の狂気の叫びと、持ち出した家財の投下。漁村なるが故の船舶用燃料用ドラム缶の破裂による大音響と空高く燃え上がる火柱と炎熱地獄。5歳にして命の危機を体験した。 

 火事は、それはそれは恐ろしかったが、本当の苦しみはその日以降から始まった。復興をめぐって、陰湿で封建制と差別に満ちた障碍者を理由とした不当不公平な差別と嫌がらせを受けた。宅地の配分でも、村を不幸に陥れる片端もの(しょうがいしゃ)には人と人並みの土地はやれないとの仕打ちを受けた。 

 母は連日のように「私がお前のような障害時を生まなかったなら、こんな不幸には遭わなかった」と5歳の私に向かってなげき、時には号泣していた。そんなことを何回も聞いているうちに、「死のう」と思って、夜中にこっそり家を出て海に入り沖に向かって歩いた。そこに、祖父が海にいる私を見つけて海に飛び込み、「馬鹿野郎」と言ってぶん殴り、そして抱きかかえてくれた。5歳ではあったが、私の家族と私に襲い掛かってくる数々の難問と差別に押し潰されそうな人生の始まりであった。 

 祖父は懸命に私を諭してくれた。「負けるな、一つ頭抜けた人間となって見返してやれ」と。この被災が、それからの私の生き方に大きな示唆と生きる力を与えてくれたと思っている。 

 教育が大事だという祖父の勧めもあり、当時にしては珍しく、学齢6歳にして鶴岡の盲学校・その寄宿舎に入った。小学・中学を終え、昭和35年(1960年)新潟盲学校高等部に入学。山形の本校を選ばず新潟を選んだ理由は新大医学部から講師が派遣され理療科を学ぶことができたから。とはいえ、私は勉強する・努力すると言ったことが身に沿わない人間だったようだ。閉鎖的な東北から比較的開放的な新潟へ来て、勉学に励んだのではなく、当時吹き荒れていた60年安保闘争に、障碍者に対する差別偏見と闘うと叫びつつ、どんどん身を委ねて行ったのだった。校内でも、討論集会や学習会を組織し、将来の障碍者としての生き方、古い体質のマッサージ・はり・灸業界と労働条件の改善を話し合う。 

 卒業後もそれらの命題を掲げて新しい障碍者運動団体を作り、運動を進めた。生来の音楽好きと、こうした運動とのかかわりから外の合唱団や歌声運動に加わり、校内にも広め、さらにたくさんの晴眼者や団体との連帯が進んだ。障碍者の団結も大事だが、周りの一般社会人との交流連帯によって得たものは大きかったと思う。その結実は、現在「新潟県視覚障碍者友好協議会」として、また「男声合唱団どんぐり」として残り、大きく発展している。 

 昭和50年(1975年)私なりに一つのけじめをつけ、次のステップに進むこととなった。職業としての新潟県はり・灸・マッサージ業界の理事・理事長として会館建設と健保取扱いの向上、かつての運動当時に培った新潟水俣病現地診療で得た知識と人のつながりを生かして、この施術の開発と公助制度の確立にまい進。テレビ番組によるこれら施術の普及を進めるために準レギュラーとして出演。また、乞われて福祉医療専門学校非常勤講師として教壇にも立った。むしろ学生から学ぶところは大きかった。 

 それらとともに有線やインターネットを通じて開始されたJBS日本福祉放送の番組制作を13年間務めた。そうした中で、「司会者協会」に参加してイベントや舞台の司会業も側として行ない、多数の歌手のコンサート司会も担当した。 

 詩吟神風流に入門し42年目となり、現在は会長として教室を県内数か所に開設し、地域の生きがいづくりに貢献を図っている。市・県の連盟理事・コンクール審査員。視覚障碍者「あいゆー山の会」に参加し、県内の里山や富士山・立山などに山行。晴眼のパートナーを信じ連帯を尊重しつつ上り行く山は、肉体のみならず精神を鍛えてくれると思う。中越地震被害者救援施術を主催したが、この折にも山の仲間は人と物資輸送・受付などを手助けしてくれ、人間としての連帯感を強く感じることができた。 

 多分、私が晴眼者で生まれたら、当時の世相から親の跡を継ぎ漁民か船員に終わったかと思われる。目が見えず、差別偏見を受けなかったらこの愉快な人生は得られなかったと思う。今日の境遇や多数の人との愛に満ちた連帯に感謝し、残る人生も多数の社会と人と手を携え楽しく愉快な余生を過ごしたいものである。 

【略 歴】
1944年 山形県西田川郡加茂町(現鶴岡市)の小さな漁業集落に視力障害をもって生まれる。
1951年 山形県立鶴岡盲学校小学部入学。
1960年 新潟県立盲学校高等部入学
1963年 按摩・マッサージ・指圧師免許取得
1965年 新潟県立盲学校卒業。鍼師・灸師免許取得。
   同年 柏崎市の植木治療院勤務。
1967年 新潟市山ノ下地区(現在地)に「上林鍼灸マッサージ治療院」開業
    (2014年閉院)。
1969年 結婚。2児を育て現在それぞれ独立。
1975年 詩吟神風流に入門。現在詩吟神風流越水会会長。雅号「神天」。
      県・市吟詠連盟理事。全吟連新潟県コンクール審査員。
1994年より2年間(社)新潟県鍼灸マッサージ師会理事長。
     視覚障碍者山の会「新潟あいゆー山の会」会員。 

【後 記】
 上林さんの壮大な人生を語って頂きました。5歳の時の大火、その後の差別という試練。祖父の励ましと、見返してやるという覚悟。障碍者に対する差別と闘った青年時代。仕事に邁進しながらも新潟県はり・灸・マッサージ業界のリーダーとしての活躍、そしてJBS日本福祉放送の番組制作と司会者としての活躍した壮年時代。詩吟と山の会で活躍中の現在、、、。 目が不自由だったからこそのいい人生を送ってこれたという最後の言葉に心打たれました。
 上林さんは、非常に明るく人望があります。幾度の苦難も明るく乗り越えてきた上林さんの、益々の活躍を祈念しております。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年02月17日(水)16:30~18:00 *第3水曜日です
 第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題1:「女性にとってお化粧とは何でしょう?」
  講師:若槻 裕子(新潟市)
 演題2:「私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現」
   -ブラインドメイクの出会いから1年ー
  講師:岩崎 深雪(新潟市)
 @都合により、 ネット配信は行いません。御容赦下さい。 

平成28年03月09日(水)16:30~18:00
 第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
  関 恒子(長野県松本市)
 @ネット配信について、検討中です 

平成28年04月13日(水)16:30~18:00
 第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「盲学校理療教育の現状と課題
     ~歴史から学び展望する~」
  小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室) 

平成28年05月11日(水)16:30~18:00
 第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「嬉しかったこと、役立ったこと」
  大島光芳(上越市) 

平成28年06月8日(水)16:30~18:00
 第244回(16-06)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  未定 

平成28年07月未定
 第245回(16-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 

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平成28年7月17日(日)
 シンポジウム「病とともに生きる」
 9時30分:開場
   会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
 10時 講演会開始
 コーディネーター
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科部長)
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 基調講演 (30分)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター;内科医、
       東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 
 「糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー」
 パネリスト (各25分)
  南 昌江 (南昌江内科クリニック;内科医)
   「糖尿病を通して開けた人生」
  小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長;小児科医)
  清水 朋美(国立障害者リハセンター病院第二診療部 眼科医長)
   「オンリーワンの眼科医を目指して」
  立神 粧子(フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科教授)
 ディスカッション (50分)
  演者間、会場を含めた討論
 13時 終了
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2016年1月25日

これまでの「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
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第9回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院 眼科
 日時:2014年7月6日(日)  10時~13時 各講演1時間・質疑応答30分
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 参加無料
 1)「学問はしたくはないけれど・・」
    加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
 2)「摩訶まか緑内障」
    木内 良明 (広島大学眼科教授)
 http://andonoburo.net/on/2951


第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「疫学を基礎とした眼科学の展開」
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)「2型糖尿病の成因と治療戦略」
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長)
 http://andonoburo.net/on/2423


第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)
 http://andonoburo.net/on/2420


第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事」
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)「糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?」
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)
 http://andonoburo.net/on/2411


第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「私と緑内障」
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)「神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー」
     栂野 哲哉 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2407

第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
    会場:済生会新潟第二病院  B棟2階研修会室
1)「臨床研究における『運・鈍・根』」
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2404


第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く」
    ―亡き恩師からのミッション
     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)「わがGlaucomatologyの歩みから」
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)
 http://andonoburo.net/on/2397



第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「強度近視の臨床研究を通してのメッセージ?clinical scientistを目指して」
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)「拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価」
      植木 智志 (新潟大学眼科)
 http://andonoburo.net/on/2393

第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?」
    -神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-」
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2391

2015年12月26日

 演題:「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
 
    ~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
 講師:田中正四 (胎内市)
日時:平成27年12月02日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
 私の所属する(新発田音声パソコン フィンゲル)は、1996年に寄贈された1台のデスクトップパソコンと五名の視覚障がい者と五名のボランティアスタッフにより音声ワープロ教室としてスタートした。 

 翌年には、市内のサマーキャンプ・フェスティバルに参加し、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を精力的に取り組み、同年には、市内の商業高校の文化祭にて、音声パソコンによるデモ実演を成功させるに至った。以来、今日まで地域の小・中学校を主とした学校訪問を(出前授業)と称して継続してきたが、歴史の長さと共に近年では諸問題に直面する事となった。 

 今回私の報告は、その歴史と先輩諸氏の努力により築き上げた(出前授業)の変化と、地域独特の活動の困難を乗り越え、さらには、ボランティアスタッフの減少の中で、障がい者自から取り組んだ数々の工夫と改革の一例を紹介するものである。 

 その改革は、2012年に指導や運営を担っていただいたスタッフの退会により、(出前授業)の依頼の日程調整から、授業内容の決定、メンバーの構成と時間配分にいたるまで、私達障がい者の手で立案し、実践する事となったのである。(出前授業)では、視覚障害の解説や、日常生活の様子、白杖や盲導犬の有効性などが主な内容であるが、小、中学校の子供たちに障害の理解と工夫や努力を伝えるためには、作文を読むような内容では、理解されない。回数を重ね、反省と改善により、毎回の(出前授業)では、アイディアいっぱいの説明が聞かれるようになった。 

 私は会社務め時代に学び得た(計画・実行・確認・改善)のサイクルを繰り返す事の重要性を再認識させられた。そんな仲間達の改善例を紹介したい。
 その1)子供達を集中させるために、ゲームやクイズで声を出させ、体を動かして、やわらかな雰囲気を作る。しかし、このゲームやクイズは、答えの中に視覚障害に対する思いや声かけの必要性、又、覚えてほしい事などを織り込むのである。
 その2)家庭生活の様子では、いかに上手に料理ができるかの説明だけではなく、(少しくらい大きさが異なっていても、口の中に入れれば、おんなじ食べ物ヨ。)と、障害であるために時には、寛容な考え方もしなくてはならない事を理解させる。
 その3)音声パソコンを指導する仲間は、あえて画面をクローズし、音声を聞いて文字を聴きとらせ、簡単な文章を完成させる。必ず2~3人のグループで構成し、数回の予習復讐ができるように工夫を加える。
 その4)白杖、盲導犬の解説では、その有効性に加え、思わぬ危険性やお願い事項を織り込んで説明する。例えば、白杖での歩行時のヒヤリ体験や(盲導犬は、信号の色が判断できない)などと、安全確保の重要性や意外な事などを紹介するのである。
 その5)視覚障害の説明では、小学校の高学年や中学生には、統計的数字を加えた説明を行い、印象深い説明を心がける事ができた。 

 さらに、今年から取り組んだ事として、障害経験の浅い会員にも(出前授業)に参加していただいた。経験の浅い人の苦労話や、失敗談が子供たちに視覚障害をより理解して貰えると考えたのである。もちろん、本人と家族の了解のもと同意を得て、奥様にも同席していただいた。(階段で転倒した事・食事のおかずを全てご飯に乗せてドンブリ飯にした)と失敗や食事の楽しみを失った事を説明し、奥様からは、(階段を腕を組み、数えながら一緒に上った。仕切りのある食器を用意して、時計方向におかずを説明した。)などと家族の工夫を話していただき、私達も初心に帰った思いであったし、子供たちには当事者と、家族や周囲の協力、そして、本人の努力が重要である事を教える事が出来たと考える。 

 現在、次年度の目標も検討中である。現在ブラインド体験や、誘導歩行の説明を晴眼者にお願いしているが、説明解説を私達自身で実践したい。又ブラインド折り紙などにより、その困難性やカン・コツをポイントで説明できないもか検討中である。さらには、盲導犬のスーツ・ハーネス等の意味や必要性、加えて補助犬法についても解りやすい解説ができたらと考えている。 

 フィンゲルの(出前授業)のカリキュラムは多種であるが、学校や地域の求めに応じてさらに可変的に対応したいものである。今回の私の報告内容は、決してめずらしいものではないが、参加していただいた方や、読んでいただいた皆様の参考になればと願うものです。 

【略 歴】
 1952年 長岡市(旧越路町)生まれ
 1968年 日立制作所入所
 2003年 腎不全により透析開始
 2007年 視覚障害1級
 2007年 日立製作所退社
 2010年 盲導犬貸与される 

【後 記】
 盲導犬が5頭参加しての勉強会。何よりも、田中さんお話を聞いている時の参加者の楽しそうな笑顔が印象的でした。
 いつも田中さんは、つかみが上手い。今回の講演はこんな小噺から始まりました。「以前、初孫が大きくなったらおじいちゃんの眼を治してあげると言っていたが、今は断念したようだ。そのかわり二人目の孫が、将来は消防士になりたいと言い出した。「消防士になるなら、イッパイ勉強しないといけないよ」と言ったら、『消防士になれなかったら医者になる』と言っています。」
 今回のお話で、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を、自ら工夫を重ねて精力的に取り組んでおられていることを知りました。素晴らしい活動です。応援したいと思います。

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
 第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「パラドックス的人生」
  上林明(新潟市) 

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平成27年01月23日(土) 14時半開場 15時~18時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 予定
  要:事前登録
  主催:済生会新潟第二病院眼科
  http://andonoburo.net/on/4209
 15時~16時30分 座長 長谷部 日(新潟大学医学部眼科)
  演題1:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
  講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
  http://andonoburo.net/on/4223
 16時30分~18時 座長 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科) 
  演題2:「医療における心」
  講師:出田 秀尚(出田眼科名誉院長)
  http://andonoburo.net/on/4243
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平成28年02月17日(水)16:30~18:00 *第3水曜日です
 第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題1:「女性にとってお化粧とは何でしょう?」
 講師:若槻 裕子(新潟市)
 演題2:「私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現」-ブラインドメイクの出会いから1年ー
 講師:岩崎 深雪(新潟市) 

平成28年03月09日(水)16:30~18:00
 第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  関 恒子(長野県松本市) 

平成28年04月13日(水)16:30~18:00
 第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「盲学校理療教育の現状と課題
     ~歴史から学び展望する~」
  小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室) 

平成28年05月11日(水)16:30~18:00
 第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「嬉しかったこと、役立ったこと」
  大島光芳(上越市)