勉強会報告

2016年10月31日

報告:第248回(16-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会 (大野建治)
 (目の愛護デー講演会2016)
 演題:「2020年に向けて、視覚障がい者スポーツを応援しよう」
 講師:大野 建治(上野原市立病院;山梨県、眼科医)
  日時:平成28年10月12日(水)16:30 ~ 18:00
  会場:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
Ⅰ.はじめに
  今年2016年、ブラジルのリオデジャネイロでオリンピック・パラリンピックが開催された。今やパラリンピックはオリンピック、サッカーワールドカップに次いで、三番目に大きな国際スポーツイベントになっている。そして、2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが行われるために、各所、各分野でスポーツに対する関心が高まっている。 

Ⅱ.障がい者スポーツの特徴である「クラス分け」
 障がい者スポーツには、「クラス分け」というシステムがある。障がい者と一言でいっても、障害が軽い選手から重い選手までいるので、競技をすれば、障がいが軽い選手が有利になるのは当然である。そこで、障がいの種類や程度によってグループを分けて、同程度の障がいの選手同士で競技を行う。この障がい者スポーツに特徴的なシステムが「クラス分け」である。
 国際試合に出場する選手は、国際試合の前に国際クラス分けを受ける必要がある。クラス分けの判定で、選手各人に対してのクラスとステータスを決定する。 

1)クラス
 視覚障がい者スポーツでは視力と視野をもとに、クラスを全盲から弱視まで、B1、B2、B3と3つに分類する。それに該当しない視覚障害選手は競技に参加する資格はなく、NE=不適格となる。
・B1…光覚なし~光がわかる程度まで
・B2…手の形が認識できるから、0.03まで、視野は半径5度以内
・B3…0.04から0.1まで、視野半径20度以内
・NE…クラス不適格で競技に参加できない 

2)ステータス
 ステータスにはNew, Confirmed, Reviewの3つがある。
・New…国際クラス分けを未受験の選手
・Confirmed…クラスが将来的に変わる可能性がない選手。原則として、その後にクラス分けを受ける必要はない。たとえば、眼球摘出などをして義眼で視力0の選手に何度もクラス分けを受ける必要はないので、そのような場合はConfirmedとなる。
・Review…視力、視野が今後、変動する可能性がある選手。たとえば、病状が悪化あるいは、改善する可能性があり、将来的にクラスが変わる可能性がある選手はReviewとなる。 

Ⅲ.障がい者スポーツの分類
 大きく分けて、リハビリテーションスポーツ、市民スポーツ、競技スポーツの3つに分けられる。この3つはそれぞれ大切な役割を担っている。
・リハビリテーションスポーツ~病院で病状回復などを目的に身体機能の維持、向上をめざして行うものである。
・市民スポーツ~生涯スポーツで、自分の好きなスポーツを趣味として行い、健康維持、レクリエーションなどを目的に行う。共通のスポーツの趣味をもつ仲間、友人との交友も楽しみの一つとなる。
・競技スポーツ~パラリンピックを頂点として、国際国内で競技を追及し、勝負を目的にしている。 

Ⅳ.障がい者スポーツの種目
 競技スポーツをメインに、市民スポーツも少し紹介した。
1)パラリンピックの競技種目である、ゴールボール、陸上、水泳、柔道、ブラインドサッカー
・ゴールボール~3人対3人で、目隠しをしながら、鈴が入った音の鳴るボールを転がし、相手コートのゴールにボールを入れることで、得点を競うスポーツである。
・陸上競技~視覚障害の重いクラスでは伴走者とロープをつないで一緒に走る。選手と伴走者の息の合った動きが必要となる。
・水泳~B1の選手はターンのときとゴールのときに、スタート台付近のプールサイドにいるコーチが長い棒を使って選手の頭を叩き、ターンやゴールのタイミングを選手に教える。このタッピングの良し悪しで大きくタイムが変わるのが見もの。
・視覚障がい者柔道~基本的に通常の柔道とルールは同じであるが、最初から組んだ状態で試合を始める。
・ブラインドサッカー~一般的なフットサルのルールに加えて、特別なルールがある。4名のフィールドプレーヤーはアイマスクをつけてプレイし、ゴールキーパーは晴眼者か弱視者が行う。
 どのスポーツもルールと注目すべきポイントを知ると、観戦の楽しみが増す。2020東京パラリンピックに向けて、視覚障がい者スポーツの認知度がますます高まっていくことが望まれる。 

2)盲学校の授業などで行われ、日本で全国競技大会も行われている、サウンドテーブルテニス、グランドソフトボール、フロアバレーボール。

3)市民スポーツとしてはボーリング、クライミング、ブラインドヨガ。 

 障がい者のスポーツは、ルールなどを工夫して、障がいがあっても楽しんだり、競ったりできるようになっていて、健常者のスポーツと同様にあらゆる分野のスポーツ種目がある。障がい者自身が興味のもてるスポーツは必ず見つかるはずである。スポーツを通じて健康増進をしながら、仲間を作ったり、生きがいにしたり、ぜひ楽しんでいただきたい。 

Ⅴ.さいごに
 2020年のパラリンピックが東京で開催されることで、多くの人が「障がい」というものに関心を寄せるきっかけになってほしい。まず、「障がい」とはどんなことなのか知り、障がいがあろうがなかろうが、皆同じひとりの人間であることを相互に理解し、多様性を認め合えれば、本当の意味でみんなが暮らしやすい社会が実現していくことになるのではないだろうか。 

【略 歴】
 平成4年 東京慈恵会医科大学卒業
 平成6年 東京慈恵会医科大学眼科
 平成9年 ミネソタ州MAYO CLINIC 角膜リサーチ、2年間留学
 平成21年 視覚障害者用補装具適合判定医
 平成24年 障がい者スポーツ医
 平成27年 International Visual Impairment Classifier
 平成28年 上野原市立病院常勤
【肩 書】
 上野原市立病院眼科
 東京慈恵会医科大学眼科 

【後 記】
 248回を重ねるこの勉強会ですが、障がい者スポーツの話題は初めてでした。今回も素晴らしい世界を覗くことができました。障がい者スポーツの歴史や紹介ばかりでなく「目の見えない世界とは?」)等々、深い話題にも考えさせられました。
 動画を含めた障がい者スポーツの紹介は、大変楽しく拝聴しました。講演終了後の参加者お話コーナーで、皆で講師の大野先生との会話を楽しみました。
 大野先生は、翌日は診療に間に合うため、朝一の新幹線で新潟を発ちました。大変お忙しいところ新潟まで来て頂き、素晴らしい講演をありがとうございました。益々のご発展を祈念しております。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年11月09日(水)16:30 ~ 18:00
 第249回(16-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  視覚障がい者議員としての歩み
   ~社会の変化に手ごたえを感じながら~
  青木 学(新潟市市会議員)
 http://andonoburo.net/on/5146 

平成28年12月14日(水)16:30 ~ 18:00
 第250回(16-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  杖で歩くこと、犬と歩くこと、人と歩くこと
  清水 美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

平成29年01月11日(水)16:30 ~ 18:00
 第251回(17-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「ブラインドメイク」は、世界へー視覚障害者である前に一人の女性としてー
  大石 華法(日本ケアメイク協会) 

平成29年02月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第252回(17-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  宮坂 道夫(新潟大学医学部教授) 

平成29年02月25日 午後
 済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2017
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  オーガナイザー 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
   講師:高橋政代(神戸理化学研究所)
      平形明人(杏林大学眼科教授)
      清水美知子(フリーランス歩行訓練士) 

平成29年03月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第253回(17-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  栗原 隆(新潟大学人文学部教授)

平成29年09月02日 午後
 新潟ロービジョン研究会2017
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

2016年10月26日

報告:第247回(16-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会 (林 豊彦)
 演題:新潟市障がい者ITサポートセンターの8年間の挑戦
    〜障がい者・高齢者の技術支援の社会資源化をめざして〜
 講師:林 豊彦(新潟大学工学部教授/新潟市障がい者ITサポートセンター長)
  日時:平成28年09月14日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
1.支援技術との出会い
 平成10年(1998年)4月、新潟大学工学部に「福祉人間工学科」が新設された。日本社会の急速な高齢化により高齢化率が20%目前となり、高齢者に対する社会保障制度の大きな変革に迫られていた時期であった。2年後の平成12年度には介護保険制度がスタートした。物つくりの面からもそれに対応すべく、文部科学省でも「福祉」がキーワードとなり、多くの福祉関係の大学・学部・学科が相次いで新設された。工学部にも福祉工学の学科がいくつか新設された。

 私はそれまで医用生体工学が専門であり、福祉に関してはまったくの素人だった。そこで、白書や専門書を読んで猛勉強した。さらに、ロサンゼルスで毎年開催されている「テクノロジーと障害者国際会議」に参加して、電子情報系の支援機器を実際に見て、教育セッション、講演、研究発表にも出席した。驚いたことは,日本では滅多に見ない多くの機器が市販され,学校や家庭でも使われていたことだった。展示会場には、コミュにケーションエンドを付けた電動車椅子で走り回っている肢体不自由者がなん人もいた。町中には,高齢者・障害者が支援機器を使うことを支援するNPOもあった。多民族国家であるアメリカ合衆国は、障害者に対しても懐が深い社会であることに感銘をうけた。 

2.アメリカと日本の法制度の違い
 支援技術に関する日米間の違いの原因は何だろう?それが私の素朴な疑問だった。が、大きな要因のひとつは法制度違いであった。その裏には、そのような法律を必要とするアメリカの社会的・文化的背景があった。

 私がまだ子どもだった1950年代、アメリカは、南北戦争から100年も経ったにもかかわらず、いまだ人種差別の国であった。第二次大戦後、差別禁止を訴える公民権運動が高まり、1964年についに公民権法(Civil Rights Act)が制定され、法律上では人種差別が解消された。しかし、障がい者の差別の解消には、さらに30年近くの歳月が必要であった。1990年、障がいをもつアメリカ人法(Americans with Disability Act, ADA)が制定され、ついに障がい者の権利が法律で認められた。例えば、公共交通機関はバリアフリー化が進められた。公共交通機関を自由に使えることが障がい者の「権利」として認められたからである。1997年、個別障害児教育法(Individuals with Disabilities Education Act, IDEA)が改訂され、障がい児が能力に応じて等しく教育を受けるための方法論に明文化された。2003年には、リハビリテーション法第508条が改正され、連邦政府が電子機器・ソフトウェアを調達するとき、できるだけ障がい者も利用できることが条件となった。私が視察に行ったとき、アメリカはそのような状況にあった。残念ながら日本には、IEDAやリハビリテーション法第508条に対応する法律はない。 

3.新潟市障がい者ITサポートセンターの活動
 日本では支援機器、特に電子情報系の支援機器の普及が進んでいない現状を打破するためには、普及を支援する社会資源を作るしかない。そんな思いから、障がい者団体や自立生活センターと一緒に新潟市障がい福祉課に対して「障がい者ITサポート事業」の予算化を陳情した。足掛け2年の交渉の末、平成20年度に新潟大学自然科学系附置・人間支援科学教育研究センターに事業が委託され、同年10月、ついに悲願の新潟市障がい者ITサポートセンターがオープンした。

 最初に行ったのが支援機器の利用調査だったが、結果は散々なものだった。代表的な電子情報系の支援機器を80%以上の障がい者が知ってすらいなかった。そこで戦略として、障がい者が必ず関わる学校と病院を中心に積極的に介入することにした。要するに営業である。その甲斐あって、初年度は半年で83件しかなかった支援件数が翌年度は289件に増加した。その後も毎年増え続け、平成27年度、ついに年間1,000件を超えた。講演会・講座・研修の開催件数も40件以上になった。もはや関連する病院や学校で本センターを知らないところはなくなり、定期的に支援会議を開いている学校もいくつかできた。新潟大学医歯学総合病院のロービジョン外来でも毎月支援を行っている。

 現在の体制は、センター長の私を除き、支援員1人(常勤)、事務補助1人(非常勤)、作業療法士(非常勤)の計3人である。本センターのポリシーは、単独では活動せず、「コメディカル(理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など)、社会福祉士、教師、保護者などの中間ユーザと協働で、利用者にとって最適な支援を目指す」ことである。支援件数を毎年増やすことができた理由は、このような協働によって、確実に成功事例を積み重ねてきたことにあると考えている。 

4.ITサポート機能の社会資源化
 支援員1人の現状では、支援件数1,000件/年および講演会等の開催40件以上/年という実績はほとんど限界である。しかし、潜在的な利用者はその何倍、何十倍もいると考えられる。新潟市障がい者ITサポートセンターの8年間の活動は、その社会的機能の必要性を広く世に知らしめることができたが、残念ながら今の事業規模では、その機能を十分には果たせないことも顕在化してしまった。

 そこで第3期(平成26年度〜28年度)では、ITサポート機能を社会に分散させることを目標とした。具体的には、保護者、教員およびコメディカルに対して支援技術教育を行うことにより、実質的な支援件数を増やすことを試みた。平成27年度、学校・病院において単発で実施した研修・講座は21回に上った。連続講座としては、新潟病院でミニ研修会を全5回、市立西特別支援学校で保護者向けiPad講習を全12回実施した。新潟県作業療法士会・言語聴覚士会との共催で、IT活用サポーター養成講座を全5回(1回3時間)実施し、多くの受講生が福祉情報技術コーディネーター認定試験にも合格した。この講座は平成26年度から毎年実施している。開催場所は、受講生が全県から参加しやすいように、新潟市、燕市、長岡市と毎年変えている。障がい者ITサポート機能は、新潟県では新潟市が突出している状態であるが、この教育活動を通じて県内にも広めていきたいと考えている。夢は新潟県内の何箇所かに障がい者ITサポートセンターを設置し、連携して活動することである。
 

【略 歴】
 長岡市出身。
 1977年(S52)新潟大学工学部・電子工学科卒、1979年(S54)同大院・工学研究科修士課程了、同年同大歯学部・助手、1986年(S61)歯学博士(新潟大)、1987(S62)同大歯学部附属病院・講師、1989年(S64)工学博士(東京工業大)、1991年(H3)同大工学部情報工学科・助教授、1996年(H8)米国Johns Hopkins大・客員研究員、1998年(H10)同大工学部福祉人間工学科・教授、2008年(H20)新潟市障がい者ITサポートセンター長(兼任)、2016年(H28)同大地域創生再生機構・副機構長(兼任)。
 2017年(H29)同大工学部工学科・人間支援感性科学プログラム・教授(予定)
 専門は生体医工学、支援技術、人間工学。
 

【後 記】
 視覚障がい者や支援者の前で、自ら立ち上げた「新潟市障がい者ITサポートセンター」のこれまでの8年間の歩みをお話をして頂きました。日本人の資質や能力の高さを讃えながらも、法整備が欧米に比較すると遅れていることを指摘し、障がいを持っている人の人権は守らなければならないと力説されました。素晴らしい講演でした。林先生の益々のご活躍を祈念しております。 

【参 考】
思えば、林先生とは永いお付き合いで、12年前にもこの勉強会で、「生活支援工学」のお話をして頂いています。
第104回(2004‐11月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 (林 豊彦)
 日時:2004年(平成16年)11月10日(水)16時30分~18時
 場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
  演題:『障害者の自立を支える生活支援工学‐視覚障害者のための支援技術を中心に‐』
  講師: 林 豊彦 (新潟大学工学部福祉人間工学科福祉生体工学講座教授)
 http://andonoburo.net/on/5048 

3年前には私が主催させて頂いた視覚リハビリテーション大会では、高橋政代先生などとともに特別講演をして頂きました。
第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
  大会期間:2013年6月22日(土)~6月23日(日)
  大会会場:チサンホテル&コンファレンスセンター新潟
  大 会 長:安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科)
【特別講演】
 「視覚障がい者はどうして支援機器を使わないのか?」
  林 豊彦(新潟大学教授 工学部福祉人間工学科)
  http://andonoburo.net/on/2144 

新潟市障がい者ITサポートセンターの活動については、2011年12月に山口俊光先生(新潟市障がい者ITサポートセンター)に4年間の中間報告をして頂きました。
第190回(11‐12月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 
  演題:「新潟市障がい者ITサポートセンター4年間の活動報告」
  講師:山口 俊光 (新潟市障がい者ITサポートセンター)
 日時:平成23年12月14日(水)16:30 ~ 18:00 
 場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 http://andonoburo.net/on/5060

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年11月09日(水)16:30 ~ 18:00
 第249回(16-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  視覚障がい者議員としての歩み
  ~社会の変化に手ごたえを感じながら~
  青木 学(新潟市市会議員) 

平成28年12月14日(水)16:30 ~ 18:00
 第250回(16-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  杖で歩くこと、犬と歩くこと、人と歩くこと
  清水 美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

平成29年01月11日(水)16:30 ~ 18:00
 第251回(17-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「ブラインドメイク」は、世界へー視覚障害者である前に一人の女性としてー
  大石 華法(日本ケアメイク協会) 

平成29年02月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第252回(17-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  宮坂 道夫(新潟大学医学部教授) 

平成29年02月25日 午後
 済生会新潟第二病院眼科 市民公開講座2017
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
   オーガナイザー 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
   講師:高橋政代(神戸理化学研究所)
      平形明人(杏林大学眼科教授)
      清水美知子(フリーランス歩行訓練士) 

平成29年03月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第253回(17-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   栗原 隆(新潟大学人文学部教授)  

 

平成29年09月02日 午後
 新潟ロービジョン研究会2017
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

2016年9月19日

『報告:シンポジウム「病とともに生きる」2016』 

 平成28年夏、新潟でシンポジウム『病とともに生きる』を開催致しました。このシンポジウムは、基調講演の大森 安恵先生(東京女子医大名誉教授)はじめ、南 昌江先生(内科医;南昌江内科クリニック)、 小川 弓子先生(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)、清水 朋美先生(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)、立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)のパネリストが、ご自身の、息子さんの、お父様の、ご主人の病や障害とともに生きてきたご経験を語ったものです。どの講演もとてもインパクトがあり素敵でした。
 大分時間が経ってしまいましたが、講演要約をHP(andonoburo.net)に収録致しました。興味とお時間のある方は覗いてみて下さい。 

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シンポジウム『病とともに生きる』
 日時:平成28年7月17日(日)10時〜12時30分
 会場:「有壬記念館」(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部同窓会館)
         新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
 曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 
基調講演:「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
 大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
   東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
  http://andonoburo.net/on/4943 

パネリスト 
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
  「糖尿病を通して開けた人生」
  http://andonoburo.net/on/4979
 小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
  「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
  http://andonoburo.net/on/4990
 清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
   「オンリーワンの眼科医を目指して」
    http://andonoburo.net/on/5014
 立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」
  http://andonoburo.net/on/5042

2016年9月16日

報告:第245回(16-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会 盲学校弁論大会
 「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
  1)中学部 2年 「熊本地震で思ったこと」
  2)高等部 普通科 2年 「一番大切なもの」
  日時:平成28年07月06(水)16:30 ~ 17:30
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

1)「熊本地震で思ったこと」
  新潟県立新潟盲学校 中学部2年
【講演原稿】
 4月14日の夜、テレビを見ていたら、急に画面が変わって、地震のニュースが始まりました。熊本で震度7の地震が発生しました。家が崩れて人が生き埋めになり、たくさんの人が助けようとしていました。私はそれを見てびっくりしました。なぜなら親戚の人が熊本市にいるからです。家が崩れてないかケガをしてないか心配しました。母がすぐに電話をしましたが、つながりませんでした。次の日やっと電話がつながり、地震がどうだったかを聞きました。「家は壊れなかったけど、窓ガラスが割れた。すごく怖かったよ。」と言っていました。おばさんが無事でよかったです。

 私が熊本の人たちのためにできることは多くありません。ボランティアの人のようにお手伝いに行けません。募金や寄付もあまりできません。でも、熊本の人たちを励ますことはできます。「大丈夫?」や「頑張って下さい。」と手紙を書くことはできます。そして熊本の子供たちの分まで勉強を頑張りたいです。被災地で大変な人たちに負けないように、私もあきらめずに頑張ります。

 私が小さいときに新潟で大きな地震が2回ありました。地震はこないほうがいいですが、もしも新潟でまた地震があっても、あわてないで安全に避難しようと思います。日本は地震の国なので、いつきても大丈夫なように防災リュックを準備したり、避難場所の確認をしたりして、地震に備えたいです。

 学校の避難訓練は真剣に参加したいです。また、母や祖母だけでなく、近所の人と助け合う気持ち、きずなを大切にしようと思いました。

 

2)「一番大切なもの」
  新潟県立新潟盲学校 高等部普通科2年 
【講演原稿】
 皆さんは人として何が一番大切だと思いますか?私は人間関係だと思います。でも、それは簡単なことではありません。私は、人間関係を築くのが難しく、人を傷つけたり、自分が傷ついたりしていました。

  中学1年の時、私がいきなり怒鳴ったり、誤った言葉遣いをして、不快な思いをさせていた人がいました。ある日その人から帰りのスクールバスで罵倒され続け、さらに周囲の人も同調したため、私も押さえきれずに怒鳴り返して、口論になったことがありました。周りの人が同調したのには理由がありました。怒鳴ったり、場の空気を読まない発言をしたり、声の調子をコントロールせずに話す私に対して、全員が不快だったのです。

  この出来事以降、その人だけでなく周りの人も私に対して冷たい雰囲気で接するようになりました。私は、自分のだめな点ばかり気になりました。少しでも人から良く思われたいと思って何かするけれど、かえって人を怒らせました。負のスパイラルに陥った気持ちになるだけで、全く希望が持てませんでした。人はつらいことばかりを抱えて一人で生きていかねばならないと思っていました。

  周りの全ての生徒が喧嘩のことを知っていますし、冷たい雰囲気で接する中、Sさんは違いました。Sさんは、喧嘩をした翌年に盲学校高等部に入学してきました。Sさんも他の人から聞いて、喧嘩のことを知っていましたが、毎晩のように私を普通に食堂に誘ってくれ、悩みを聞いてくれました。私は、私の真意を疑わず、私のあら探しをしているとも感じずに、自然に話すことができたので、Sさんになら何でも話せると思いました。

 Sさんは、学校全体の人気者でした。女の子からの人気も1番、文化祭や寮祭での出し物も大うけ。食堂に入ってくれば、「Sさんだ、おはよう。」とみんなが声をかけていました。私は、うらやましいと思いました。そして、なんでSさんはこんなに人から愛されるんだろうと思い、ある晩に聞いてみました。

「実は去年こんな喧嘩があって…。」と思い切って一部始終を話してから、「ねえ、何でSさんは人から愛されるの?」と聞くと、「はっきりいうと、君は近寄りがたい。言葉の口調も強いし、よく見られようという気持ちと、褒められようという気持ちがごっちゃになって、よけいなことばかりしたり言ったりしているから。自然でいいんだよ。言葉の一つ一つを考えて、落ち着いて話してごらん。君には愛される要素をたくさん持っているから。」と言われました。私は、初めて、私を認めてくれた最高の友達に出会えたと感じました。

 Sさんとの出会いは、私に大切なことを教えてくれました。それは、人としての生き方、人間関係の築き方です。私は今も人間関係を築いていくのが難しいです。まだまだ、努力しなければいけないところがたくさんあります。分かりやすく話すこと、状況に応じた声の大きさを使い分けて会話をすること、ネガティブな考え方をやめていつも明るく元気に生きること、損得を考えて接したりしないこと、などです。

 高等部を卒業したら理療科に進み、国家資格を取って理療の道に進みたいという自分の将来を考えたとき、今までの私ではつとまりません。患者さんと他の人と良好な人間関係を築いて、少しでも具合がよくなるように施術できるようになりたい。そして明るく元気に生きていけるようになりたいのです。一番大切なもの、人間関係を築く努力を続けていきます。
 御清聴ありがとうございました。

後 記】
毎年、盲学校の生徒の弁論には心打たれます。ことしは、熊本地震に被災した人に素直に心寄せる心情を語った弁論、人間として成長する過程での葛藤を吐露した弁論、いずれもいいお話でした。彼らの今後のまっすぐな成長を願います。

 

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【参 考】2009年から2015年までの「弁論大会イン済生会」のプログラムを以下に列記致しました。 

●第233回(15-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会 盲学校弁論大会
 「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
   日時:平成27年7月8日(水)16:30~17:30
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 (1)「僕の父」 中学部3年 
 (2)「夢は地道にコツコツと」 高等部普通科3年 
http://andonoburo.net/on/3807 

●報告:第221回(14‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
    日時:平成26年6月11日(水)16:30 ~ 17:30
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
  (1)「歌」高等部 普通科 3年
  (2)「中学部に入学して」中学部 1年
http://andonoburo.net/on/2955
 

●第209回(13‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」 
  (1)「自分を信じて」 中学部 3年 
  (2)「一冊から得られること」 高等部 普通科 2年 
     日時:平成25年7月10(水)16:30 ~ 17:30
     場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 
http://andonoburo.net/on/2126
 

●報告:第197回(12‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
    新潟盲学校弁論大会 イン 済生会
     日時:平成24年7月25日(水)16:30 ~ 18:00 *第4水曜日です
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 1.「僕の将来の夢」 
    加藤 健太郎 (新潟県立新潟盲学校 中学部1年)
 2.「将来に向けての目標」 
    古川 和未 (新潟県立新潟盲学校 本科保健理療科1年)
 3.「心との約束」 
   左近 啓奈 (新潟県立新潟盲学校 中学部2年)
http://andonoburo.net/on/4624
 

●報告:第185回(11‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
   「新潟盲学校弁論大会イン済生会」
    日時:平成23年7月20日(水)16:30~18:15  
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 
 1)落語
   演目:「転失気」 「二人旅」
   演者:たら福亭美豚 (たらふくていヴィトン;新潟盲学校小学部6年)
 2)盲学校弁論大会イン済生会
  1.「震災を通して」 
     丸山 美樹(まるやま みき)  専攻科理療科2年
  2.「過去・今・将来」 
     笠井 百華(かさい ももか)中学部3年
  3.「決意」 
     〇口〇太〇 本科保健理療科1年
http://andonoburo.net/on/4628
 

●報告:第173回(10‐07)済生会新潟第二病院眼科勉強会 盲学校弁論大会
     日時:平成22年月7月28日(水)16:30 ~ 18:00 
     場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
   「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
 1)「点字を学習して」 
   伊藤 奏(いとう かなで) 中学部1年
 2)「人と関わるとは」 
   石黒知頼(いしぐろ ともより) 高等部普通科2年
 3)「出逢い」 
   長谷川弘美(はせがわ ひろみ) 高等部専攻科理療科1年
 4)「夢の続き」
   山田 弘(やまだ ひろし) 高等部専攻科理療科3年
http://andonoburo.net/on/4634
 

●第161回(2009‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 弁論大会
     『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
   日時:平成21年6月23日(火) 17:00~18:00 
 1.2年生  
  森山 威(もりやま たけし)専攻科理療科2年
 2.白杖体験  
  山田 弘(やまだ ひろし)専攻科理療科2年
 3.もう一つの理由
  京 円香(きょう まどか)専攻科理療科1年
http://andonoburo.net/on/4638

2016年9月12日

報告『シンポジウムー病とともに生きる』  その5(立神 粧子)
  平成28年7月17日(於~有壬記念館;新潟大学医学部学士会)で開催したシンポジウムの報告。立神 粧子先生(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)の講演要約をお送りします。立神先生のご主人は重篤なくも膜下出血を発症し、命は助かったものの、高次脳機能障害が残存しました。当時わが国では、高次脳機能障害の回復プログラムが確立しておらず、夫婦して米国ニューヨークへ渡り一年間の訓練を行いました。高次脳機能障害の回復は簡単ではないが、治療プログラムを理解して、毎日一歩ずつの歩みを続けることが大事だと語ります。 

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シンポジウム「病とともに生きる」
 演題:「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」
 講師:立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)   

【講演要約】
 命が助かった喜びの後に訪れたものは脳損傷という難解な障害であった。2001年秋に倒れた夫の病名は解離性右椎骨動脈瘤破裂による重篤なくも膜下出血。コイル塞栓術、脳室ドレナージ術、V-Pシャント術を経て命は助かったものの、高次脳機能障害が残存した。長年ヨーロッパで世界最高峰の音楽家たちと楽器開発の仕事をしてきた夫が、自分から話すことも動くことも感じることもできず、1分前の記憶が留まらず、今いる場所の感覚がなくなり、簡単なことも混乱してできない。私たちの日常は一変した。喪失感に打ちのめされていた時、New York 大学付属Rusk 脳損傷通院プログラムを知った。 

 Rusk通院プログラムは、脳損傷に対する神経心理学リハビリテーションで世界有数。主に前頭葉の認知機能不全に対して、対人コミュニケーションを中心とした全人的なアプローチによる機能回復訓練が行われる。この障害を、英語ではBrain Injury(脳損傷)、日本の行政用語では高次脳機能障害と呼んでいる。創設者で初代所長のBen-Yishay博士(2011年に退官)は、脳損傷はエベレストに匹敵する手ごわい障害であり、「私たちスタッフはエベレスト登山のためのツールや登り方を授けることができるが、登るのは君たちだ。訓練して自分の力で作戦を立てて登りなさい」と説明した。 

 Rusk通院プログラムの見事に構造化された訓練は神経心理ピラミッドを核として、各症状への戦略を身につけるために工夫・統合されている。神経心理ピラミッドは前頭葉機能の中でも主に認知の神経心理機能の働きを9つの階層に分けて表している。下から順番に以下のとおりである:1.訓練に参加する主体的意欲、2.神経疲労(覚醒・厳戒態勢・心的エネルギーの問題)、3.抑制困難症と無気力症(制御と発動性の問題)、4.注意と集中、5.情報処理(情報を処理するスピードと正確性の問題)、6.記憶、7.論理的思考力と遂行機能、8.受容、9.自己同一性。 

 ピラミッド型であることは、上位の機能はそれより下位の機能が働いていないとうまく機能しないことを示している。実際は諸機能が連動したり組み合わされて様々に複雑に絡み合うことになる。グループや個人での訓練、カウンセリングなどあらゆる角度から当事者は家族と共に症状と戦略を学ぶ。 

 Kurt  Goldstein は、「患者が適正かつ主体的に参加して初めて、脳損傷のリハビリテーションは成功する」ため、「自分の問題をできるだけ詳細に理解させる」必要性を説いている。Goldsteinの療法哲学を受け継ぐBen-Yishay博士は次のように説明した。脳損傷を得て、「誰でもはじめは深い絶望を感じるだろう。しかしそこから自分で立ち上がってこなくてはいけない。自分の欠損に気づき、訓練の環境に順応しながら、訓練の必要性を理解する。そして欠損の補填戦略を学び、日常生活の中で様々な調整を行いながら、習慣化するまで練習する。そのあたりまで進むと、脳損傷を得た自分を受容できるようになる。」受容ができるようになったら、「脳損傷を得た自分」を新しい自分として認め、そこから再び自己を構築する必要がある。そこまで目指さないと、社会の中や家族の間において、自己の存在価値を自分で認めることは難しい。家族も同様である。脳損傷を得た患者とのかかわり方を学んで、この事実を受け入れ、家族の立場から自己を再構築することで、自分自身も幸せになるように考えたい。 

 「高次脳機能障害はエベレスト登山のように難しい」という話から始めた。Rusk通院プログラムから伝授されたツールをまとめると次のようなことだった。
  1.症状をよく知り、真に理解すること。
  2.戦略の使い方を学び練習し、マスターして習慣化すること。
  3.失敗から学び、作戦立てに役立てる。
  4.成功体験は、本人のみならず家族にとっても明日への活力になる。
  5.感謝の言葉や気持ちを表すことによって、患者は相手への共感をもつことができるようになり、家族は苦労が報われる気持ちになる。 

 Ruskで夫が何かができるようになったとき、大喜びでBen-Yishay博士に報告に行くたびに博士からこう言われた。「Shoko, patience!(粧子、決して焦ってはいけない!)これは先の長い問題だ。いちいち一喜一憂せずにどっしり構えなさい。そして困難に耐える力を身につけなさい。」 夫も私もRuskでの訓練から、受動的ではない、能動的な生き方を教わったと感じている。 そしてRuskでの訓練を徹底的に学んだ私に、Ben-Yishay博士は門外不出だった資料の公開の許可を与えてくださり、その結果、2010年11月に医学書院から『前頭葉機能不全 その先の戦略』という本を出版することができた。訓練の詳細はこの本を参照願いたい。現在も、夫との生活で毎日のように困難に直面する。しかし、Ruskから授かった戦略とツールによって、何とか一歩ずつ、二人でこのエベレストを前に進んでいきたいと思っている。
 

【略 歴】
 1981年  東京芸術大学音楽学部卒業
 1984年  国際ロータリー財団奨学生として渡米
 1988年  シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
 1991年  南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術博士号)
 2001年秋 夫・小澤富士夫が解離性右椎骨動脈瘤破裂による重篤なくも膜下出血発症し、高次脳機能障害が残存。
 2004-05年 夫の高次脳機能障害治療のため、NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加。治療体験記を『総合リハビリテーション』に連載(2006)。
 2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)著。
 現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長 

 

『前頭葉機能不全 その先の戦略』
 監修:Yehuda Ben-Yishay /大橋 正洋 著:立神 粧子
 医学書院  発行 2010年11月
 http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912 

 

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シンポジウム『病とともに生きる』
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜12時30分
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
         新潟市中央区旭町通1-757
コーディネーター
 曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)

10時 開始 
基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
 大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
   東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
  http://andonoburo.net/on/4943
パネリスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
  http://andonoburo.net/on/4979
 小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
  「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
  http://andonoburo.net/on/4990
 清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
   「オンリーワンの眼科医を目指して」
    http://andonoburo.net/on/5014
 立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト ~作戦を立ててがんばる~」 
  http://andonoburo.net/on/5042
 ディスカッション (20分)
  演者間、会場を含め討論
12時30分 終了
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