勉強会報告

2015年8月6日

 演題:「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
    高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
 講師:立神粧子(フェリス女学院大学教授)
  日時:平成27年8月5日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来

 後日、ご本人による講演要約を頂き報告する予定ではありますが、ここにメモをもとに速報版の報告を致します。

【講演要旨】
 ご夫婦で東京芸大出身の音楽家。立神先生はピアノ、ご主人はトランペット。ヤマハ楽器にお勤めだったご主人が「くも膜下出血」を発症。その克服にご夫婦で立ち向かい、ニューヨークで約一年の研修を受け、その後も地道な訓練をひたすらに続け、生活を取り戻した壮絶なお話。

 2001年秋、ご主人が仕事中に突然解離性くも膜下出血で倒れ、後遺症として高次脳機能障害が残った。2年ほど大きな改善は見られず悶々としていたなか、2004年立神先生はフェリス女学院大学からのサバティカルの1年を利用して、お二人でNewYork大学リハビリテーション医学Rusk研究所の通院プログラムに参加した。Y.Ben-Yishay博士が率いるRusk研究所は脳損傷通院プログラムの世界最高峰と言われていた。

 高次脳機能障害とは、交通事故や脳卒中などの後遺症による、器質性の機能障害。認知機能に問題が起こるのみでなく、本人に障害の自覚がない、記憶に問題があり自分では改善できない,といった問題がある。易疲労性で、抑制困難、発動生の欠如と行った症状が出てくる。これらが、顕著に表れたり、一見治ったかのように表れる。。。。さらに、家族が症状の本質を理解できないという、問題もある。

 脳損傷者の機能回復訓練において最も厄介なことは、人それぞれ歩んできた人生が違う、ということである。例えば臓器であれば、その機能は共通で発症後の経過を予測できるであろう。しかし脳の機能はその人固有の人生の学習の記憶によって成り立っている。神経回路のつながり方はAさんとBさんとでは全く異なるのである。

 Rusk研究所(NY大学医療センター)通院プログラム
 「認知機能の神経心理ピラミッド」 認知機能を9つの階層に分け、ピラミッドの下が症状の土台であり、その基本的な問題点が改善されていなければ、ピラミッドのそれより上の問題点の解決は効果的になされないとする考え方で、ピラミッドの下から訓練は行われる。
 9つの階層~下から以下のとおり 意欲>覚醒・警戒・心的エネルギー>抑制(過小・過多)>注意・集中>コミュニケーション・情報処理>記憶>論理的思考>受容>自己同一性。
 
 Ruskではこれらすべての階層の問題のひとつひとつに戦略(対処法)がある。月曜日から木曜日までの朝10時から午後3時まで、対人コミュニケーションや個別の認知訓練、カウンセリングまでをも含む構造化された時間割の中でシステマティックな訓練が行われる。

 Rusk研究所での夫の訓練が終わるとき、Ben-Yishay博士から「君たちが訓練に成功したのは、君たちが成熟した音楽家で、訓練ということの意味を理解していたからだ」と言われた。   

 認知の諸機能に問題が生じる脳損傷(高次脳機能障害)に対する訓練は、1日の流れを構造化した生活の中で地道に継続することが肝心である。短期記憶に問題が生じるので、新しいことを脳が学習することが難しくなる。認知機能不全によりできなくなったことができるようになるために、症状を分析、細分化し、環境を構造化し、ひとつひとつ達成感を感じながら練習→習得→習慣化の過程を経る必要がある。こうした過程は、楽器の習得などと共通点が多い。そして非常に重要な部分として、脳損傷者の機能の統合と再構築を助ける、専門家及び家族のコーチングの技術がある。支援することを構造化 そのためにはケアマネージャーさんやヘルパーさんとの連携が不可欠。

 こうした訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩みだすことができた。神経心理ピラミッドは脳損傷にもピアノ教育にも有効なツールとなっている。


【略 歴】
 1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
 1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
 1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
 1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術学博士号)
 2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加。治療体験記を『総合リハビリテーション』(医学書院)に連載(2006年)。
 2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)
 現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長、日本ピアノ教育連盟評議員、米国Pi Kappa Lambda会員。

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『前頭葉機能不全/その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』
 2010年11月 医学書院より出版。
 医学書院のHPに以下のように紹介されている。
「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明なままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」
 http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912
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2015年8月2日

今年の新潟ロービジョン研究会は、全国14都府県から90名近くが集いました。満員となった済生会新潟第二病院10階の会議室では、どの演題にも熱い討論があり、気づきがあり、感動がありました。
後日、各演者には講演要約を提出して頂く予定ですが、速記メモを中心にここに速報版として報告致します。

『新潟ロービジョン研究会2015』  
 日時:平成27年8月1日(土)開場;13時30分 研究会14時~18時
 
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 主催:済生会新潟第二病院眼科
 
テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」

特別講演
  座長:加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
 『世界各国と比べた日本のロービジョンケア』
  仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医) 

 世界各国(コロンビア、米国、カナダ、イギリス、オーストラリア、スウェーデン、大韓民国、中華人民共和国、モーリシャス、モンゴル、ジンバブエ)のロービジョンケアの実態を調査した結果、下記のことが明らかとなった。
 医療も福祉も、その国が平和かどうかによって大きく異なる。そして、どこにその財源があるのかという点で、その国の経済状況とシステムが大きく影響する。また、社会の中の家族の役割によっても大きく影響を受けている(家族構成~大家族:弱者を家族が守る、核家族:弱者を社会が守る)。 つまり、そのお国柄でロービジョンケアの内容も、その対象となる人も、そしてそれを実践する人も異なる。 
 ロービジョンケアの土台~まずは「平和、道徳・宗教」、そして「経済情勢」、さらに「家族、疾患・年齢」、そのうえで「技術・制度」
 日本は、当事者団体・支援団体の統一・結集する必要がある。現在我が国の視覚障害リハビリ関わる団体は以下の通りである~日本盲人会連合、全日本視覚障害者協議会、弱視者問題研究会、日本網膜網膜色素変性症協会、日本失明者協会、視覚障害者支援総合センター、全国盲老人福祉施設連絡協議会、日本盲人社会福祉施設協議会、全国盲導犬施設連合会、全国視覚障害者情報提供施設協会、全国盲学校長会、視覚障害リハビリテーション協会
 一方欧米では、一国に一つの組織である。米国~AFB:American foundation for the blind、カナダ~CNIB:Canadian national institute for the blind、イギリス~RNIB:The royal institute for the blind people、オーストラリア~ABF:The Australian Blindness Forum
 外国のシステムを学ぶことは、何であっても新しい視点と発想を与えてくれる。そして、自分の置かれている状況の問題点を見つけることができる。しかし、それと同時に今までに気づいていなかった日本での良い点を再認識し、変えてはならない部分があることにも気づかされる。 

 ★討論:国際ロービジョン学会での主な話題は何か?
 

パネルディスカッション ~ 『ロービジョンケアに携わる人達』
  司会:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医) 
     仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)

1)眼科医が行うロービジョンケア
  加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
 かかりつけ医と高度な医療機関(急性期病院)との分業である病診連携は必要不可欠である。それでは高度な医療を行う急性期病院では、どのように眼科医は患者さんと相対すればよいのであろうか?高度の診断や手術を含む治療を行う眼科医が「先発投手」ならば、最終的にロービジョンケアを行う眼科医は患者さんへの対応を医療として終了するという意味で「抑えの投手」ということになるという考え方もある。あるいは、中には最終的にロービジョンケアを行う眼科医は「敗戦処理投手」のように考えている残念な眼科医も一部にいることは確かである。しかし、私は、いずれの考えにも違和感を覚える。
 本来眼科医が行うロービジョンケアとは、正しい診断、適切な手術を含む治療を行い、その上での狭義のロービジョンケアを行うことが正しいあり方だと考える。すなわち、眼科医が行うロービジョンケアとは最後を締めくくることではなく、先発投手として完投することであり、そのように考えるならば、ロービジョンケアにより力を入れる眼科医も必然的に増えると期待している。 

 ★討論:眼科医が行うという観点からのお話だったが、患者が眼科医に期待できることは何だろう?多くの患者は、医師に裏切られた歴史を持っている。
  討論:先発・抑えの例えは如何なものか?むしろサッカーのオフェンス・ディフェンスが適当ではないか。サッカーでは、フォワードは攻めるばかりでなく、守備も求められる。最新医療に中にもケアの視点が必要ではないか?
 

2)NPOオアシスでやってきたこと、行っていること
  山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
 いまから31年前の視覚障害者の自殺が契機となって、私たちは目の不自由な人のリハビリテーションに取り組んだ。当時信楽園病院の眼科は、大学からパートできておられたので、眼科医が赴任されるのを待った。待つこと10年、ようやく眼科医の大石正夫先生が着任され、すぐにリハビリ外来を、さらに翌年にはパソコン教室を開設した。その後、さらに歩行指導(白杖、誘導)、調理・化粧指導など指導項目を増やしながら、視覚障害者の自立を援助している。
 障害者の心のケアも大切。お茶飲みや食事をしながら、話し合い、情報交換する機会を設けた。パソコンをやらないで、お茶飲みや友達を求めて集まる人も多くみられる。リハビリ外来やパソコン教室を開設して、丸20年が経ち、視覚障害者にも高齢化の波が押し寄せている。
 老老介護の人が多くなり、いつ介護者が介護できなくなるかわからない人が多くみられる。そこで、目の不自由な人たちに「もし介護者が介護できなくなったら、あなたは施設で過ごしますか、自宅で過ごしますか?」とたずねてみた。自宅で過ごしたいと答えた人が多く、男性障害者(24人)では54.2%、女性障害者(8人)は75%に達した。介護者がいなくなったときに、視覚障害者がとくに困ることは、歩行・移動、食事作り、買い物。
 歩行・移動に対しては、昨年8月から、「転倒予防・体力増進教室」を開始した(毎月1回)。ロコモ・サルコペニア・フレイル・骨粗鬆症などの講義と、ラジオ体操などの実技、看護師によるフットケア、栄養士による栄養指導などを行っている。
 調理教室は以前から月2回行ってきましたが、一人になると作れない人がほとんどだった。そこで確実に作れるようになるために、「習って、教える、リレー調理教室」を開設した。ご飯が炊けることが大切なので、まず指導者が視覚障害者とマンツーマンでご飯が炊けるようになるまで指導。その人ができるようになったら、次はその人が次の目の不自由な人に教える。このように、一人でできるようになった人は、次の人に教え、その人がマスターしたら、また次の人の指導にあたる、リレー方式。ご飯を炊くことができるようになったら、次はみそ汁つくり。同様に、次から次へと技術のバトンを渡している。この方法は、技術が確実に身につくと同時に、達成感も味わえるように思う。
  @サルコペニア(sarcopenia)~進行性および全身性の骨格筋量および骨格筋力の低下 を特徴とする症候群。 

 ★感想:「習って、教える、リレー調理教室」の発想は素晴らしい。単に技術を覚えるのみでなく、人に教えるという達成感も味わうことが出来る。
 

3)ロービジョンケアにおける視能訓練士の関わり
  西脇 友紀(国立障害者リハビリテーションセンター病院;視能訓練士)
 視能訓練士は、昭和46年に制定された「視能訓練士法」という法律に基づく国家資格をもった医療技術者。私たちのほとんどは、眼科で医師の指示のもと視力や視野などの眼科一般検査を行ったり、斜視・弱視の訓練治療に携わったりしている。現在では各地に養成校も増え、約12,700名の有資格者がいる。
 その中で、ロービジョンケアに携わっている視能訓練士はというと、ロービジョンケアを行っている眼科がまだ少ないこともあり少数派だが、ロービジョンケアの前提となるのが正確な視機能検査であることを考えると、私たち視能訓練士すべてが関わっているとも言える。
 現在、私が在籍している病院の眼科では、眼科医、視能訓練士、生活訓練専門職、ソーシャルワーカーがチームを組んでロービジョンケアにあたっている。 

 ★討論:ロービジョンケアの専門施設で行った経験と、開業医に務めた双方の経験から、我が国のロービジョンケアの問題点、あるいはロービジョンケアが拡大しない理由等について、どのようにお考えですか?
 

4)新潟盲学校が取り組む地域支援
  渡邉 信子 (新潟県立新潟盲学校;教諭)
 新潟盲学校では相談支援センターが中心となり、新潟県内全域の視覚に障害のあるすべての対象者及びその関係者に対し、教育的支援・情報等を提供している。主な活動には、「来校相談」「電話・メール相談」等を中心とする相談支援活動や、「各種研修会の開催」等の理解啓発活動があるが、その内容は多岐に渡る。
 相談内容は、「乳幼児期」「就学時期」「就学後」「中学・高校進学時期」「成人期」等、その年齢や状況によって様々。そういった相談に対し、「いかに希望のもてる教育相談ができるか」が、新潟盲学校にとって大きな役割と考えている。
 平成25年度・26年度に文部科学省「特別支援学校機能強化モデル(特別支援学校のセンター的機能充実事業)」の指定を受け、地域の抱える課題等に向き合いながら事業を進めてきた。また、新潟県視覚障害リハビリテーションネットワーク「ささだんごネット」が3年前に発足し、連携を取って活動を進めていくことで、「相談事業」や「理解啓発事業」に幅と深みが出てきた。
 様々な取組によって成果を認めるが、同時に課題も明らかになってきました。盲学校の生徒数減少し、教諭も減少している。こうした現状の中で、「新潟盲学校が取り組む地域支援を今後どのように進めていくのか」を再度考えなければならない時期にきている。

 ★感想:教師は7~8年で転勤するという宿命があり、なかなか専門性を確立できない。しかしマイナスなことばかりを数えていても何の解決にもならない。現場でこういう取り組みを実践していることが素晴らしい。
 

5)盲導犬とローヴィジョン
  多和田 悟 (公益財団法人:日本盲導犬協会 訓練事業本部長 常勤理事)
 1993年の第2回リハビリテーション協会の研究発表大会で盲導犬を利用した弱視者の歩行訓練について発表した。当時は(現在でも?)どこの盲導犬協会も盲導犬使用の対象者は全盲に限るとされていた。それはLVの歩行において困るのは全盲であって多少でも見えるLVは困っていない、LVの保有視覚が訓練された犬のパフォーマンスを邪魔するなどという考え方であった。それはよく訓練された犬を信じてついていけばあなたは安全に歩ける、安全に歩けないのは犬の言う事を聞かないからである、との盲導犬歩行観があった。LVの方々も「私はまだ見える」「盲導犬を使うほどではない」という考えの方がほとんどであった。
 LVの妻が全盲の夫の手を引いて盲導犬使用の申請に来られた。説明を聞く中で妻は「私も神経をすり減らすことなく楽しく歩きたい」と言われた。その結果、LVの盲導犬使用者と世界で初めて一頭の犬を二人で使う「タンデム」とが出来た。別のLVの方は歩行指導の終了後、夜に興奮して電話をかけてきて「コンサートに行ってきた」と報告してくれた。音楽家を目指していた彼女にとって夜のコンサートに行けたことは彼女自身のセルフエスティーム(自尊感情:self-esteem:自己肯定感)の回復に大いに役立ったことと思う。
  現在ではLVの方の盲導犬使用は指導方法の進歩に伴って多くなってきている。今後はより個別のアプローチが出来るように歩行指導が計画され実行されるために歩行指導員の技術向上の機会が与えられることが求められる。

 ★感想:リハビリの目標が技術の獲得のみでなく、セルフエスティーム(自尊感情:self-esteem:自己肯定感)の回復であると指摘して頂いた。
 

6)後悔から始まった看護師によるロービジョンケア
  橋本 伸子(石川県;看護師)
 なぜ、看護師がロービジョンケアを?とこれまで多くの方に、何度も聞かれてきた。それは、見えなくなったらどうしようと通院していた方が、見えなくなった途端に通院をやめてしまった事がきっかけである。不安への傾聴以外にもっとできることがあったのでは無いかと後悔したからである。我々、看護師は排泄のケアにも踏み込めるケアのプロである。でも、残念な事に、ロービジョンケアという言葉自体が看護職には浸透していないのが現状である。それは、ロービジョンケアや視覚リハビリテーションについての教育や啓発の多くが、眼科に特化した職業の人にだけ向けて行われているためである。
 もし、その教育や啓蒙がもっと看護師に向けて積極的に行われていったなら、どうであろう。地域にある社会資源の存在について知っているだけでも、どれほど多くの情報拡散ができるだろうか。職業人口自体が多く、多岐にわたる病棟や各科外来や、在宅ケアにまで分布しする私達の存在は、より多くの患者さんに、知識や情報を提供できるマンパワーとなる。そして、それは福祉難民を予防することにもなり、自立に向けた社会資源へ繋がる近道となる。最も期待すべきは、ケア自体の発展である。我々、看護師が多く関わり正しく学ぶ事で、これまで議論される事が少なかった視覚障害者の排泄や栄養、清潔の保持といった当たり前のテーマにも、多くのケアが出てくると確信している。
 そして、今日、私がこの場に立っているのは、ここにおられる全ての人に、看護師(学生も含む)に向けたロービジョンケアの啓発活動を積極的に行うことをお願いしたいからである。 

 ★感想:「患者にとって一番身近な存在である看護師が資源となることは重要」という視点は新鮮。新しい気付きが沢山あった講演でした。
 

7)嬉しかったこと、役立ったこと (患者の立場から)
  大島 光芳 (上越市;視覚障がい者)
 視覚障害に陥った当初、女房がいないと寂しいと思った。そこでヘルパーさんに家事援助(弁当買ってきてもらう)をお願いした。外出のためガイドヘルパーをお願いした。新潟や東京への出張も出来るようになった。社会資源を利用する側から考えてみると、誰が私達の意見を吸い上げてくれるか?ということがポイントだった。
 私は何をやるにもスピードが十分の一になったのだから、ゆっくりでいい。時間はたっぷりある。辛抱強く、少しのプライドを持って歩みたい。「お父さん、頑張っているね」となれば嬉しい。妻もきっとそう望むから。
 「診察」とは、見て察することことではないだろうか?

 ★感想:視覚障害者自身の心の中の声を披露して頂いた。多くの感動があった。

 

2015年7月7日

 演題:「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
  講師:吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
  日時:平成27年06月03日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
 はじめに
 リハビリテーションという言葉の定義は、元々がキリスト教における「波紋を解き、身分を回復する」という意味から派生して「再び相応しい状態に戻す」という意味から、人生の半ばで何らかの障害を負った方たちに対して、生活や社会活動において失われた機能を回復させるための様々なサービスを表す言葉となった。しかし、私がここでお話しする視覚障害者に対するリハビリテーションは、幼い頃からの視覚障害者や中途視覚障害者等すべての方たちの生活を向上させるためにおこなわれている医療・福祉・教育に関わる広範囲なサービスについての我が国における歴史的展開についてある。  

1 特殊コミュニティーから盲学校を中心としたコミュニティーへ
 9世紀頃視覚障害者は、琵琶法師として、また歌舞音曲を行う者として細々と生計を立てており、その技術を伝え自らを守るために、当道座という独特の組織を成立した。江戸時代になると、杉山検校とその弟子たちが、梁・灸等の技術を確立し、その治療で将軍の病気を治したことなどが認められて、検校を頂点とする独特の階級社会を作り上げ、あ・は・き業の独占をはじめ、様々な特権を得た。

 この特権は、明治維新と共に、1871年当道座の解体と共に廃止されることとなり、視覚障害者は、あ・は・き等の今まで培ってきた知識を次世代に伝える手段を失った。そこで、盲学校設立の運動が巻き起こり、1878年には京都盲唖学院が開設され、1880年に石川倉治によって開発された日本式点字を使った教育法と共に、全国に広まって行った。 

2 戦争と傷痍軍人と中途視覚障害者のリハビリテーションの芽生え
   日清・日露戦争後の傷痍軍人対策として、障害を持った者に対する機能回復訓練や職業訓練という考え方が我が国にも芽生えた。視覚障害者に特化した施設としては、岩橋武雄らの提唱により1938年に設立された「失明軍人寮」が最初である。

 傷痍軍人対策としてのリハビリテーションは、敗戦後占領軍により排除されたが、そこで培われた方法・技術は受け継がれ、国立リハビリテーションセンター、塩原視力障害者センターなど、各地に中途視覚障害者のリハ施設が開設された。

 また、1948年に、ヘレンケラーの二度目の来日を機に日本盲人会連合(日盲連)が結成され、視覚障害者の生活向上に向けての様々な運動が開花した。 

3 目標は経済的自立、単独視覚障害者を対象、収容型中心の視覚リハの時代
 1949年に成立した身体障害者福祉法の目的は、「障害者が経済的に自立し、社会に貢献する」ことを目指したサービスを制度化することであった。そのため、視覚障害者に対するリハは、三療業(あ・は・き)を中心とする職業訓練で、幼い頃からの視覚障害者については、盲学校で、中途視覚障害者に対しては、国立視力障害者センターを中心に収容型施設で行われた。訓練しても経済的自立が望めない、視覚と他の障害を合わせ持つ人や、主婦層や高齢の方に対する生活訓練などは、初期の頃は対象外とされた。

 1970年に日本ライトハウスにおいて歩行訓練士養成講習会が行われたのが、我が国における視覚リハ専門家の養成という意味では初めてのことで、その後、1990年に国リハ学院に「視覚障害生活訓練専門職員養成課程」が開設されたが、視覚リハの専門職員養成は、福祉の側からの働きかけによって行われ、肢体障害者のリハに携わる理学療法士等が医療の要請の中から生まれたこととは大きく異なっており、その後の視覚リハの展開において大きな影響を与えた。 

4 制度と対象の激変時代
   1980年から始まった国際障害者年やノーマライゼーション思想の我が国への浸透を経て、障害者リハの目標は、経済的自立から社会への参加を目指すものに変化し、在宅による訓練も少しずつ開始されたが、基本的には大きな変化はなかった。しかし、2005年に成立した障害者自立支援法は、身体・知的・精神と言う3障害を同一施設でサービス対象とすることと、作業や訓練を行う施設と生活や介護を行う施設とを大きく区分すると言うことが打ち出され、サービス体制が激変した。また視覚障害の原因の激変により、幼い頃からの視覚障害者が減り、中途障害者が増加、また、60歳以上の視覚障害者が視覚障害者全体の70%を占める事態となった。

 2014年に、我が国は障害者の権利に関する条約を批准、リハビリテーションは、誰でも、どこに住んでいても、性別や年齢に関わりなく、受傷後できるだけ早期に受ける権利を障害者が有し、国はその権利を実現するための環境を整える義務を負うこととなり、現在視覚リハサービスの体型を見直さざるを得ないと言う激変期にいたっている。 

5 まとめ
   概括してきたように、我が国の視覚障害リハにおいては、幼い頃からの視覚障害者が中心となり生活のために作ってきた特殊コミュニティ-と、その元で育まれた「あ・は・き」と言う職業等を中心として展開されてきた。しかしながら、視覚障害となる原因の激変、制度の激変、高齢視覚障害者の急速な増加により、単独視覚障害者中心の教育や職業訓練を中心とする体制は維持できなくなってきている。このことを踏まえ、広く一般社会への啓発と制度サービス体制の見直しが必要な時期が今まさにきているのである。

【プロフィール】
1947年 東京生まれ 67歳 
1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
1974年 日本福祉大社会福祉学部卒業後、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
1991年 日本女子大学大学院文学研究科社会福祉専攻終了(社会学修士) 東京都立大学人文学部社会福祉学科助手を経て1999年4月から2009年3月まで高知女子大学社会福祉学部講師→准教授 高知女子大学在任中、高知県で視覚障害リハビリテーションの普及活動を行う。
2009年4月より任意団体視覚障害リハビリテーション協会長(現在に至る) 

【後 記】
 素晴らしい講演でした。視覚障害と肢体障害の重複障害をお持ちの当事者個人の視点と、視覚障害リハビリテーション協会会長としての視点から、「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」を語って頂きました。
 視覚障害者に対するリハビリテーションというものを、先天性視覚障害者や中途視覚障害者等すべての方たちの生活を向上させるためにおこなわれている医療・福祉・教育に関わる広範囲なサービスと捉え、我が国におけるその歴史的展開について言及しました。今後の我が国の視覚障害者に対するサービスの未来を考える時の一つの問題提起としてお聞きしました。
 吉野先生の益々のご活躍を祈念致します。 

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年7月8日(水)16:30~17:30
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会
(1)「僕の父」 中学部3年 
(2)「夢は地道にコツコツと」 高等部普通科3年
   http://andonoburo.net/on/3675
  

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平成27年8月1日(土) 新潟ロービジョン研究会2015 「ロービジョンケアに携わる人達」
  開場;13時30分 研究会14時~18時
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  要:事前登録 
   主催:済生会新潟第二病院眼科 
 http://andonoburo.net/on/3629
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平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
      高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
  講師:立神粧子 (フェリス女学院大学教授) 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
  講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

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平成27年10月10日(土)午後
 済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
 会場:済生会新潟第二病院10階会議室
 要:事前登録
 講演予定者
  五味文(住友病院)
  高橋政代(理研)
  立神粧子(フェリス女学院大学教授)
 http://andonoburo.net/on/3607
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平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】 
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科) 

平成27年11月11日(水)16:30~18:00
 第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:「臨床からの学び・発展・創造・実現」
  講師:郷家和子(帝京大学)

2015年6月3日

 演題:「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
 講師:遁所 直樹(社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
  日時:平成27年5月13日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
「はじめに」
 障害者権利条約(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)とは、あらゆる障害者(身体障害、知的障害及び精神障害等)の、尊厳と権利を保障するための人権条約です。
 このたび新潟市に障がいを持った人を差別しないでほしいという条例が 5月8日新潟市に提出されました。障害者の権利に関する条約(国連障害者権利条約)が国連総会で満場一致採択(2006年12月13日)。世界は障害者福祉について、障害者を保護・擁護するということから、権利を尊重するという方向に舵を切りました。わが国は、2007年9月28日に署名。6年半の歳月を要して2013年12月4日、日本の参議院本会議は、障害者基本法や障害者差別解消法の成立に伴い、国内の法律が条約の求める水準に達したとして、条約の批准を承認しました。
 2014年2月19日「障害者の権利に関する条約」が発効。千葉県を皮切りに各地で条例作りが進んでいます。新潟市も2年半をかけて条例づくりを行い、10月には条例公布・一部施行の予定という段階まで来ています(新潟県は着手していない)。この度、条例素案に対する意見募集(パブリックコメント)が、いよいよ始まりました。 

「日本が署名から批准に年月を要した理由」
 すべてのベースは国連障害者権利条約 ( 2006年12月13日国連総会で満場一致採択)から始まっています。日本は 2007年に署名を済ませすぐにでも批准を目指したいとこだったのですが、障害者団体が署名に待ったをかけました。なぜならば日本の障害者の法律が理念法にとどまり障害者権利条約の求めるものにほど遠いものだったからです。
 こどもの権利条約の時は署名をしてすぐに批准をしたのです。しかしその時は、日本のこどもの法律が理念法にとどまり深く議論されることなく、新潟市のこども権利条例も成立には至らなかった経過があります。
こどもの権利条約のときの経緯を踏まえ、今回の批准に向けた動きについて慎重に行うということで障害者団体が大きな力を発揮します。民主党の政権の波もうけ、内閣府で障がい者制度改革推進会議が開かれ 50人以上の委員が討論をしてその経過もオンデマンドですべての国民に公開するというものです。障害者基本法が改正され、手話が言語として認められ、障害者総合福祉法骨格提言を受け、障害者総合支援法、障害者差別解消法などの法的整備が整い署名まで至りました。 

「Nothing about us without us」
 “Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな)というスローガンのもと千葉県が初めて条例を作ったのです。障がいを持った人が理不尽を感じたときそれを意思表明できる場所が必要です。新潟市でも条例を策定すべく施策審査会の委員で策定委員会を作りその骨子を市長に提出し条例部会が発足したのです。 

「条例の名称」
 新潟市では、条例の名称からいろいろ意見が交わされました。当初の仮称は「障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会」でした。それが「障がいのある人もない人も共に生きる新潟市づくり条例」と名称が提案されたのです。共に生きるという言葉についてもやもや感があったのですが、障がい者と健常者が対峙するかのように両輪のたとえではないか、一人ひとりが生かされるという言葉で当初条例の名前が仮として紹介されたのですが、ペアであってペアーズとならないというご指摘いただきました。 

「条例を審議するうえでの問題点が続出」
 新潟市の条例案は障害者差別解消法ができてからの条例となります。そのため十分な論議をしないと障害者差別解消法を踏襲してしまい特色ある条例とはならないことが心配されました。今回の検討会で不慣れなことがいっぱい出てまいりました。義務と努力義務、不当な差別行為と合理的配慮の不提供、新潟市の責務、新潟市民の責務など行政の提案通りに進めばシャンシャンとなりますが一つ一つ丁寧に検証していくと義務と努力義務では大きな違いがあります。 

「努力義務と法的義務」
 障害者差別解消法では民間事業者に対する合理的配慮を努力義務としています。しかし、努力義務では、障がいのある人に対する誤解や偏見を取り除く、話し合いのテーブルに着かないことが考えられるため、市条例では法的義務としています。ただし、法的義務であっても、条例に従うことを強制するのではなく、話し合いにより互いの理解を深めることで解決を目指します。 

「合理的配慮」
 民間事業者に対する合理的配慮の不提供について法的義務としたことはこの条例の目玉の一つです。努力義務でよい事業所さんはもともと理解があり合理的配慮をしてくださいます。話し合いのテーブルについていただくために法的義務としたのです。中間まとめで8区をまわった時はこの部分は努力義務でした。議論を重ねていうちに上記の理由から法的義務と修正したのです。
 不当な差別行為とは障害そのものに対する差別、車いすでは電車に乗ることができないなどの拒否がありますが東京オリンピック、パラリンピックに向け新潟市だけでなく全国で街づくりをユニバーサルの視点で行い不当な差別行為を軽減していくことも期待されています。 

「バリアフリーよりユニバーサルデザイン」
 合理的配慮の不提供についてそもそも合理的配慮とは、障がいを持った人が世の中に出ていくためのスタートラインを平等にするという解釈を私はしています。その視点はやはりユニバーサルデザインであり、障がい者にだけ便利(バリアフリー)なということでなく、すべての人に便利であることが合理的配慮です。具体的には車いす利用者のためのリフトバスよりも高齢者から幼児、お祭りに行くため着物の人たちにも使いやすい低床バスが普及することにより、合理的配慮も抵抗なく受け入れられるということです。 

「おわりに」
 この条例が議会で可決され公布されたところから権利擁護が始まります。この条例で元気をつけた障がいを持った人が社会の理不尽さを自ら考え、人に発信していく。そして話しを聞いてくれる人を増やしていくこと。最終的にはこの条例が血の通ったものとなることを願っています。 

 

PS:お願い『声を届けましょう』
募集中『(仮称)障がいのある人もない人も共に生きる新潟市づくり条例素案に対する意見募集(パブリックコメント)』 
~ 締切:6月19日(金曜)
 http://www.city.niigata.lg.jp/kurashi/shimin/public/publiccomment/fukushi/shogai/jyoureipabukome.html
【問い合わせ先】
 新潟市福祉部 障がい福祉課 共生社会推進担当 (市役所第一分館2階)
 〒951-8550 新潟市学校町通1番町602番地1
 電話:025-226-1248 FAX:025-223-1500
 Eメールアドレス:shogai.wl@city.niigata.lg.jp
 

【遁所 直樹:プロフィール】
 新潟大学大学院博士課程1年時頚椎 4番5番骨折頚髄損傷
 平成10年から介護老人保健施設ケアポートすなやま勤務
 平成12年から NPO法人自立生活センター新潟勤務
 平成23年から社会福祉法人自立生活福祉会事務局長
 新潟市障がい者施策審議会委員
(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会委員

 

【後 記】
 先進諸国に遅れ、我が国でもやっと「障害者の権利に関する条約」発効し、新潟市も2年半をかけて条例づくりが行われ、今年2015年10月には条例公布・一部施行の予定という段階まで来ています(新潟県はまだ着手していません)。こうした状況は、案外多くの方に知られていないのが現状ではないでしょうか?今回、新潟市の条例作成委員の一人である遁所直樹氏をお迎えして、これまでの経緯、全国の状況、新潟市での状況をお聞きしました。
 こうした条例作りには、行政の思惑や、企業等の利害、障害者の人権に対する思い入れなどの違いなどがあり、策定上は様々な困難があることが予想されましたが、今回のお話をお聞きしてより具体的に、より深く知ることが出来ました。
 「障害者の権利に関する条約」に関する条例を策定するということは、障がいを持った人が理不尽を感じたときそれを意思表明できる場所を作ることと理解しました。すなわち、この条例が議会で可決され公布されたことから権利擁護が始まるという、遁所氏の主張が良く理解できました。
 新潟市での意見募集(パブリックコメント)は、もうじき締め切られますが、多くの声を行政に届けたいと思います。また、全国の皆様のお所でも行われているであろう条例作りに、多くの方が関心を持つことを期待しています。

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
 http://andonoburo.net/on/3598
 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定) 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平成27年8月1日(土) 午後
 新潟ロービジョン研究会2015 「ロービジョンケアに携わる人達」
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
 要:事前登録
  主催:済生会新潟第二病院眼科 
 http://andonoburo.net/on/3569
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
         
高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
 -----------------------
  参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495
 ----------------------- 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
  講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
平成27年10月10日(土)午後
 済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
 会場:済生会新潟第二病院10階会議室
 要:事前登録
 講演予定者
  五味文(住友病院)
  高橋政代(理研)
  立神粧子(フェリス女学院大学教授)
 http://andonoburo.net/on/3607
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】 
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科) 

平成27年11月11日(水)16:30~18:00
 第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  郷家和子(帝京大学)

2015年4月30日

 演題:知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
    
―「慢性眼科患者」の経験から私が学んだこと―
 講師:阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員/社会福祉士)
  日時:平成27年4月8日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
 両目のまぶたに先天的な症状を持って生まれた私は、生後まもなくの頃から眼科とのおつきあいが始まりました。以来、40数年経った今も年数回の眼科受診を続けながら日常生活を送っています。
 紆余曲折の末に辿り着いた大学院教育学研究科で学んだことが活かせる職種の職員募集が仙台市の市政だよりに載っていることを私に教えてくれた教官のおかげで、大学院修了後はさまざまな障害を持つ方の生活相談支援を担う部署に相談員として就職しました。人よりけっこう遅い「社会人1年生」のスタートを切ったことになります。

 そして、たまたま同じ時期に始まった仙台市の地域リハビリテーションモデル事業で視覚障害者支援に関するプロジェクトのいわば「現場スタッフ」の仕事も担当させていただくことになりました。このモデル事業が基盤となって仙台市中途視覚障害者支援センターが仙台市単独事業として2005年に始まりました。今年(2015年)の春でちょうど10周年です。

 支援センターでのもっとも中心となる業務は相談です。視覚障害を持つ方やその家族などから寄せられる相談に応じ、情報提供したり、福祉サービスの利用を円滑に受けられるようにするために福祉事務所等での手続きを支援したり、あるいは経済的な基盤を確保するために障害年金の請求手続きに必要な書類集めのサポートをしたり、病気や症状への適応の過程で生じる心理的葛藤につきあったり、見えない・見えにくい状況で生活する上でのちょっとした工夫(感覚の活用、道具の活用など)を助言したり……と、その内容はさまざまです。

 市民(視覚障害を持つ人ご本人や家族)から直接連絡をいただく以外にも、例えば病院の眼科や糖尿病内科などに勤務する医師や看護師から入院中の患者さんのことで支援協力の依頼が入り、病棟を訪問して本人・家族とお会いし、退院して後の自宅での生活再開に向けて必要な情報を提供したり手続きを支援したりすることもおこなっています。

 また、お互いになかなか出会う機会がなく、それゆえ、ともすると孤立しがちな中途視覚障害者やその家族を主な対象とした「目の不自由な方と家族の交流会」を毎月1回開催しています。さらに、支援者どうしが分野や組織の枠を超えて交流し、お互いの専門分野を話題提供して学びあったり人脈づくりをしたりすることを目的として2000年の夏に始まった「仙台ロービジョン勉強会」の事務局役割を2006年から引き受け、こちらも毎月1回開催しています。

 このようにさまざまな視覚障害者の生活設計・生活再建、あるいは眼科の患者さんやその家族が直面する心の動揺や葛藤を整理していく過程にソーシャルワーカーとして直接・間接にかかわる現在の業務を個人的なライフヒストリーを交えながら振り返ってみた時、「自分の体験だけでモノゴトのすべてを考えてはいけない」と思いつつも、ものごころつく頃からの眼科での患児・患者としての経験から得たこと、社会全体からみればマイノリティ(少数者)であるロービジョンの状態で育ち生活してきた体験から学んだことが今の私に少なからぬ影響を与えていると気づかされます。

 私の場合、「低い視機能(ロービジョン)のために生じる『見える・見えないを行ったり来たり』とどうつきあうか?」という要素と、「義眼の管理や人工涙液の頻回点眼、痛みや疲れの軽減対策など、いわば『目の内部障害』とどうつきあうか?」という要素に整理されるのではないか、と自分の状況をとらえています。そして、「症状の変化(進行)に対して、心理的に、あるいは具体的な行動技術や道具の活用の工夫などによってどのように適応していくか?」を考えなければいけない場面に直面した時、しんどかったりつらかったりすることがないわけではない、というのが正直な状況です。

 しかし、小児眼科(こども病院)時代に患児として眺めた医師をはじめとする多様なかかわり手どうしの連携と役割分担の姿や、国際障害者年(1981年)の1年間にテレビや映画で接した、国内・海外に暮らすさまざまな障害者が自身の障害とつきあいながらも社会の中でいきいきとその人・その人の役割を果たしている/果たそうとしている姿から学んだことは現在、私にとって「思考の基本・お手本」としてとくに強い影響を与えているように思います。

 そんな慢性眼科患者としての生活過程を振り返ってみて、疾患(やそのために生じる機能低下・喪失)とよりよくつきあいながら暮らしていくうえで重要なことを考えてみました。
(1)「私もあんなふうになりたい」「なれるかも…」と思えるような良き手本となる人の行動・生きざまに触れることによって気持ちの上で強くなれるように思います。
(2)世界の多様な多民族・多文化事情やマイノリティ事情、弱さに起因する社会問題を知ることによって、疾患や障害のために直面する課題を客観的・相対的にとらえる視点を育むことができるように思います。
(3)失敗や挫折、困難や苦労を「何事も経験」ととらえ直すことによって、心の余裕が生まれるように思います。
(4)教育の力・笑いの力は困難な状況をのりきっていくうえで重要ではないでしょうか。 

【略 歴】
 兵庫県出身。関西と関東を行き来しながら子ども時代を過ごす。
 1995年 同志社大学文学部文化史学専攻卒業
 2001年 東北大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程修了
 2001年 (財)仙台市身体障害者福祉協会に仙台市太白障害者生活支援センター相談員として入職
  この間、仙台市地域リハビリテーションモデル事業運営協議会ワーキンググループ委員(2002年~2004年)、中途視覚障害者への地域リハビリテーションシステム研究事業ワーキンググループ委員(2004年~2005年)を経験。
 2005年 視覚障害者を支援する会(現在のNPO法人アイサポート仙台)に仙台市中途視覚障害者支援センター相談員として入職 

@NPO法人アイサポート仙台
http://www15.plala.or.jp/isupport/


【後 記】
 阿部直子さんは、魅力いっぱいな素敵な女性でした。アイサポート仙台は、相談も患者さんのみでなく、医師や医療関係者が訪れるというのはビックリでした。
 行政と対決するのでなく、味方につけての活動は、時として制約もあろうかと思いますが、ことをなす王道です。今年創立10周年を迎えたということですが、色々な職種の方々が集ってここまで続けてこられたのは素晴らしいものです。「中途視覚障害者交流会」(毎月)、「仙台ロービジョン勉強会」(毎月)も充実しているようです。 

 「慢性眼科患者」としてのライフヒストリーでは、ご自身の障害のことをカミングアウトして頂きました。医師は病気の診断と治療を行いますが、生活上のご苦労はあまり知りません。貴重なお話を伺いました。
 最後に強調された、知る・学ぶ、ユーモアを忘れずに挑戦していくというくだりは、納得して聞くことが出来ました。阿部先生のお話をお聞きして、改めて魅力をいくつも発見しました。参加者から「軽い語りかけで救われる」という感想もありましたが、明るい語り口は魅力です。ご両親の愛情をたっぷりと受けて育ったのだろうと感じました。 

 蛇足になりますが、我が国におけるロービジョンケアの先駆者として、弱視学級設立に尽力した小柳美三東北大眼科教授(初代)が、日本眼科学会創立100周年記念誌に紹介されています。「1929年に小柳美三東北大眼科教授がLV児の特殊教育の必要性を訴え、1933年に南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された。」 加えて、東大眼科の原田政美先生が、1965年に東北大学教育学部教育心理学科の視覚欠陥学講座に教授として赴任し、視覚障害リハビリテーションに尽力されています。
 こうしたことから「仙台が日本のロービジョンケア発祥の地なのでは?」という思い
を強くしています。このような背景を知ると、阿部先生が作り上げてきたアイサポート仙台は、偶然ではないという思いがします。創立10年を迎え、これからますます飛躍の時だと思います。今後の活躍を祈念しています。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年5月13日(水)16:30~18:00
 第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
  遁所 直樹 (社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
 http://andonoburo.net/on/3555


平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)


平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定)


平成27年8月1日(土) 午後
 新潟ロービジョン研究会2015 
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
 要:事前登録
  主催:済生会新潟第二病院眼科 
 テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」
特別講演 
1.世界各国と比べた日本のロービジョンケア(仮題)
   仲泊聡(国立障害者リハビリセンター病院 眼科部長)
2.眼科医が行うロービジョンケア(仮題)
   加藤聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
3.NPOオアシスで行ってきたこと、行っていること(仮題)
   山田幸男(新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
パネルディスカッション ~ 「ロービジョンケアに携わる人達」(予定)
 司会:安藤伸朗 (済生会新潟第二病院)
 1)視能訓練士
    西脇 友紀(国立障害者リハビリセンター病院)
 2)盲学校
    小西 明 (済生会新潟第二病院;前新潟県立盲学校)
 3)盲導犬
    多和田 悟(盲導犬訓練士)
 4)看護師
    橋本伸子(看護師/石川県)
 5)患者さんから
    大島光芳(上越市)
 コメンテーター
   仲泊聡(国立障害者リハビリセンター病院)
   加藤聡(日本ロービジョン学会理事長)
   山田幸男(新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)


平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ 高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
 -------------------------
  参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495


平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
  講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)


平成27年10月10日(土)午後
 済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015
 会場:済生会新潟第二病院10階会議室
 テーマ:「治療とリハビリ」

 要:事前登録
 講演予定者
  五味文(住友病院)
  高橋政代(理化学研究所)
  立神粧子(フェリス女学院大学教授)


平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】 
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科)