勉強会報告

2014年12月5日

演題:「世界一過酷な卒業旅行から学んだ、小さな一歩の大切さ」
講師:岡田果純(新潟大学大学院自然科学研究科専攻修士課程2年) 
 日時:平成26年11月5日(水)16:30 ~ 18:00 
 場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要約】
 私は1999年6月、小学校3年生の時に1型糖尿病を発症し、以来15年間毎日インスリン注射をしています。1型糖尿病とは、体内からインスリンというホルモンが分泌されなくなり、エネルギーが作られなくなる病気です。そのため、食事の前などに注射をして自分でインスリンを補う必要があります。このインスリンの調整が非常に難しい病気ですが、発症当時の主治医が「インスリン注射をしていれば、なんでもできるよ」と言う言葉をくれました。その言葉通り、病気とうまく付き合いながらバスケ、スキー、マラソンと様々なことに挑戦してきました。そして、病気になったおかげでたくさんの仲間ができました。特に同じ病気の仲間は大切な存在です。 

 新潟小児糖尿病キャンプという、1型糖尿病の子供が集まるキャンプに参加した時、そこでできた友達が「私は給食の前に教室で注射をしているよ」と話してくれました。それまで人前で注射をすることができず、自分の病気を友達に話すなんて考えられなかった私にとっては、衝撃的でした。この話を家に帰って両親に話し、両親が学校にも伝えてくれたおかげで、私も教室で注射をすることになりました。クラスの友達に自分の病気を話した後、友達から言われたのは、「話してくれてありがとう」という感謝の言葉でした。自分が協力をお願いしたのに感謝されるとは思いませんでした。驚いたのと同時に嬉しかったです。それが、私が最初に病気を人に話したときでした。このおかげで友人や両親の温かさに気付くことができました。 

 大学では、アルバイトに旅に、新しい世界を知ることが楽しくなっていきました。そんな時、世界一過酷と言われる砂漠マラソンに挑戦するという先輩の話を聞きました。アタカマ砂漠は南米のチリにあり、平均標高2000m、世界で最も乾燥している地域、昼夜の気温差は40度という環境。そんなところを、食料など自分の荷物は自分で背負い、テント泊をしながら7日間かけて250km走るのがアタカマ砂漠マラソンです。これを聞いた瞬間、「面白そう!」と思い、挑戦を決めました。 

 挑戦を決めてから本番まで、様々な準備と対策を講じました。あのときはがむしゃらでしたが、今考えると「人に話す」「自分にできることをやる」ということを繰り返していました。 

 特に私は1型糖尿病を持っているため、病気のない人よりも多くの準備をしました。具体的には、インスリンの保冷、血糖値変動の細かい観察、食べ物の準備です。インスリンの保冷はアウトドアメーカーの方に相談してタンブラーを用いる保冷方法を考えてもらい、それを薬科大学の教授に相談して温度変化を検証してもらいました。血糖値変動の細かい観察は、新潟大学病院の小児科の先生に相談して、CGMという機械を借りました。これは、5分おきに血糖値を自動で測る装置です。走っているときや、夜中の血糖値の変動も観察できます。これによって走った日の血糖値の変動とそれに対するインスリン量の調整の対策をとりました。食事については、砂漠マラソン経験者や同じ病気のランナーからアドバイスをもらってそれを参考にしました。 

 繰り返しになりますが、こうして挑戦を決めてから本番を迎えるまでは、とにかく「人に話す」「自分にできることをやる」という、小さなことを繰り返しやり、一つ一つ解決しながら進んで行きました。 

 そうして迎えた本番も、小さな1歩の積み重ね、30cm足を前に出すことの繰り返しでした。過酷なマラソンなだけに体験したこともない巨大な足のまめや、重たい荷物を背負うことで生じた肩の痛みとの戦いでもありました。しかし、辛いことだけではなく心が震えるような感動もたくさんありました。目の前に広がる景色は、今まで見たことがないものばかりで、どこまでも続く山脈に巨大な砂丘に突き抜けるような青い空。そして同じゴールを目指す世界中のランナーとの交流も楽しかったし、多くの勇気をもらったおかげで前に進むことができました。諦めず、ただひたすら一歩一歩足を前に出す。その繰り返しで、250kmを完走することができました。 

 このマラソンから学んだこと、それは自分を信じることの大切さと大変さです。人から何を言われても、自分を信じ、ポジティブに考えることで、強い気持ちを持つことができました。しかし、ひとりでは決してこれを続けることができず、応援してくれる人多くの人の支えによって頑張ることができました。自分は1人じゃないということがどれだけ心強いことか、実感しました。 

 「ちょっと言ってみよう」、と人に話して、協力してもらう。「ちょっとやってみよう」、とできそうなことから始めてみる。全て小さな一歩の積み重ねでした。そして何よりも、「病気という難が有ることは、私にとって有難いことだ」と気付き、何事にも感謝の気持ちを持とうと思うようになりました。

 【略 歴】
 1990年 長野県生まれ 新潟県妙高市育ち
 1999年 1型糖尿病発症
 2009年 新潟県立高田高校卒業
 2013年 アタカマ砂漠マラソン(Atacama Crossing 2013)完走
      新潟大学卒業
 2014年現在 新潟大学大学院修士課程2年 

[参 考]
社会人になったら、もっといっぱいレースに出たい!
 http://runport.jp/runner_okada-998.html
アタカマ・マラソン ムービー
 https://www.facebook.com/video.php?v=678209355558261&set=vb.409871089058757&type=2&theater
糖尿病でも何でもできるっていうのは本当にそうだと思います Ⅰ型ひろば
 http://www.dm-town.com/iddmpark/voice6.html 

【後 記】
 メモを取る手が忙しい講演、キーワード満載でした。
  逆境が機会である。ネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに置き換えると、自分自身の大きな力となってくる。
  出来ない理由もたくさんある。出来る理由もたくさんあるはず。
  ちょっと言ってみよう。ちょっとやってみよう。
  非日常の中でも、やっていることは日常の繰り返し。
  走れない時は歩け、歩けない時は笑え。
  難が有ることは、有難いこと。
  いつも感謝の気持ちを忘れずに。。。。。 

 いつも感じることがあります。何かを成し遂げる人は元気(覇気)がある。周りの人も明るくする。岡田さんを見ていると正にそのような人だなと思います。もちろん彼女の人生はこれで終わりでなく、これからなのですが。
 来年は、いよいよ社会人。岡田果純さんの今後の活躍を祈念しております。 

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【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成26年12月10日(水)16:30~18:00
 第226回(14‐12月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害児者の福祉・労働・文化活動への貢献 ~盲学校が果たした役割~」
 小西 明(新潟県立新潟盲学校 校長) 

平成27年1月14日(水)16:30~18:00
 第227回(15‐01月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障がい者としての歩み~自分と向き合いながら、社会と向き合いながら」
 青木 学(新潟市市会議員) 

平成27年2月4日(水)16:30~18:00
 第228回(15‐02月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害者の化粧技法について~ブラインドメイク・プログラム~」
 大石華法(日本ケアメイク協会) 

平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室(予定)
 『済生会新潟第二病院眼科「細井順講演会」』
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと
     ~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江市) 

平成27年3月11日(水)16:30~18:00
 第229回(15‐03月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害者の求めた“豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」
 岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長) 

平成27年4月8日(水)16:30~18:00
 第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
  ―『慢性眼科患者』の経験から私が学んだこと」
 阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員(社会福祉士))

 

2014年11月12日

 演題:「視力では語れない眼と視覚の愛護」
 講師:若倉雅登 (井上眼科病院;名誉院長)
  日時:平成26年10月8日(水)17:00 ~ 18:30 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
 眼の病気と言えば、ドライアイや白内障、緑内障、加齢黄斑変性など、メディアなどで聞きなれた眼の疾患を思い起こす人が多い。だが、眼科の領域は実は非常に広い。神経眼科、心療眼科を専門として40年近く診療を続けてきた中で、快適な視覚を得るためには、眼球と脳、とりわけ高次脳機能との精緻な共同作業が必要なことを学んだ。しかも、左右眼のバランスは、その機能を発揮する上で非常に大切で、逆にアンバランスは眼精疲労の原因になるだけでなく、日常視、日常生活に甚だしい支障をもたらし、時には心の問題も惹き起こす。 

 眼はものを見る器官だから、一般人も眼科医も「目」といえば「視力」のことばかり考える。だが神経眼科のフィルターを通してみると、左右眼の視力がいかに良好であっても、見ることに不都合が起こる可能性のある病態が沢山あり、多くが見落とされてきたことに気付く。 

 快適な日常視とは、必ずしも視力や視野だけでは語れないものである。 眼科で測定する視力や、視野は非常に理想的な環境で測っており、日常生活で使っている視機能、つまり実効視機能を反映しているとは限らないことに思いを致すべきである。 

 たとえば、「かすむ・ぼやける」といえば、一般の眼科医は眼球そのものに存在する病気を考えるが、私の視点だと、調節・輻輳、両眼視機能など高次脳機能の障害が頭に浮かぶ。「しょぼしょぼする」「眼が痛い」と言えば、普通はまず角膜や結膜、涙器などの疾患を考えるが、私は神経薬物(とくに睡眠導入剤や安定剤として多用されるベンゾジアゼピン系の薬物)の副作用や、「眼瞼痙攣」という開瞼が自在にしにくく眼は正常でもうまく使えず、それだけでなく眼や眼周囲にまぶしさや不快感が出現する脳の神経回路の故障が原因となる病気が隠れていないかと気になる。 ちなみに、この眼瞼痙攣という疾患は決して珍しいものでないが、大抵ドライアイと誤診されている。 

 両眼で見るとものがふたつに見える「複視」には、脳内病変や、眼球を動かす脳神経や筋肉の病気を考え、多くの眼科医は脳外科などに送って脳の画像診断を試みるが、もしその患者が、日本人に多い強度近視で、かつ「遠方のものが二つに見える」のであれば、私たちのグループが見つけた「眼窩窮屈病」(Kohmoto et al:Clin.Ophthalmol5.5-11.2011,若倉:臨床眼科 67:1458-63,2013)の存在を考えるべきである。このように少し見方を変ずれば、視力検査などでは気付かない原因の視覚の不都合が、我々の周囲に少なからず潜んでいる。 

 さて、医師が求める医療と患者が求める医療は、同じように見えて必ずしも同じではない。医師は病を医学的に考えて治療する。医師にとって患者の自覚症状は、診断するための手がかりではあるが、患者が一番治してほしいのは日常生活に支障をきたす自覚症状であることを忘れやすい(拙著:三流になった日本の医療PHP研究所、2009)。 

 私は臨床に携わった約40年の間に、教科書の記載として残るだろう疾患や病態を見つけてきた。難しいことではなく、なぜ、これまで医師が気付かなかったのだろうと思うようなことばかりだ。副腎ステロイドによる中心性漿液性網脈絡症、睡眠導入剤による眼瞼痙攣の発症、眼瞼痙攣の軽症例への認識、眼窩窮屈病の存在、レーベル遺伝性視神経症では対光反射が良好であり、中心耳側(もしくは耳上側)の感度低下からはじまる臨床像の特徴を見出したことなどである。 

 いろいろな眼や脳の病態のために、見え方の左右差が大きすぎたり、治療をしても代償できない複視に、積極的に単眼視を導入することで、患者の辛い日々を半分程度は改善させられることにも気づいた。 見え方の左右差や複視は「耳鳴り」ならぬ「目鳴り」を発生させ、日常視が苦しく、ひいては日常生活に大きな苦痛を与えるからである。これは、これまでなぜか、どの眼科医も関心を示さず、実行されてこなかったことである。 

 臨床現場における私のスタンスは、①常識や教科書にとらわれず常に患者の愁訴や所見から学ぶ、②患者の実感に思いを致しながら、相手の話を傾聴し、③視力視野にとらわれず実生活での視機能(見え方や眼の使い心地)を重視するというものである。そして、④判らないことは判らないと正直にいうものの、自分はこう考えるという「見立て」も必ず添えて、患者さんとともに、治療や対策を考える。 そのことで、今日の医学では十分治せない疾患や病態に対しても「医師は患者の最大の味方」であることを少しでも実現させたいとの気持ちで、やっている。「見立て」とは随分と古めかしい言葉だが、患者医師関係をしっかり築いてゆくには必要なことである。 

 少しだけ自慢するのを許していただけるなら、そういう私の虚心坦懐に、目線を低くして患者の訴えに耳を傾ける姿勢でこそ、上記のような成果を得ることができたのだと思う。 

 今、ロービジョンという概念の中には、視力低下や視野の異常は存在するが、本日私が挙げたような両眼視や中枢性視覚障害は入ってこない。患者の立場でみると、後者のような病態も視力視野の異常をきたす疾患と同等か、それ以上に生活の質を落としている。 私はそういうものをも含めて「Visual handicap」という概念を導入したいと提案する。Visual handicapを伴う方々の眼科的、精神的ケアこそ「眼の愛護」と呼びたいのである。 

 

【略歴】 若倉雅登(わかくらまさと) (2014年4月現在)
 1976年3月 北里大医学部卒
 1980年3月 同 大学院博士課程終了
 1986年2月 グラスゴー大学シニア研究員
 1991年1月 北里大医学部助教授
 1999年1月 医)済安堂 井上眼科病院 副院長
 2002年1月 医)済安堂 井上眼科病院 院長
 2012年4月 医)済安堂 井上眼科病院 名誉院長
 ほかに現在:北里大学医学部客員教授、東京大学医学部非常勤講師
 日本神経眼科学会理事長、日本眼科学会評議員など


 

【後記】
毎年、10月の勉強会は「眼の愛護デー」に関したお話を眼科医にお願いしています。今回も素晴らしい講演を拝聴できました。
目の病気というと視力ばかりが話題となりますが、視力が良くても不自由を感じているものも少なくありません。そうした不自由をお聞きすることは簡単なことではありません。また理解できない訴えを聞き続けることは、実は結構しんどいことです。
「医学では十分治せない疾患や病態に対しても『医師は患者の最大の味方』であることを少しでも実現させたい」との言葉には重みを感じます。今回の勉強会で、一番勉強になったのは誰でもない、実は私ではなかったかと思っています。

 

【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成26年12月10日(水)16:30~18:00
 第226回(14‐12月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害児者の福祉・労働・文化活動への貢献 ~盲学校が果たした役割~」
 小西 明(新潟県立新潟盲学校 校長) 


平成27年1月14日(水)16:30~18:00
 第227回(15‐01月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障がい者としての歩み~自分と向き合いながら、社会と向き合いながら」
 青木 学(新潟市市会議員)
 

平成27年2月4日(水)16:30~18:00
 第228回(15‐02月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害者の化粧技法について~ブラインドメイク・プログラム~」
 大石華法(日本ケアメイク協会)
 

平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室(予定)
 『済生会新潟第二病院眼科「細井順講演会」』
演題:生きるとは…「いのち」にであうこと~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江市)
 

平成27年3月11日(水)16:30~18:00
 第229回(15‐03月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「視覚障害者の求めた“豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」
 岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長)
 

平成27年4月8日(水)16:30~18:00
 第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題未定
 阿部直子(アイサポート仙台)

2014年10月30日

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
3)私たちの行っている視覚障害リハビリテーション
 山田 幸男
 (新潟県保健衛生センター)
 (信楽園病院 内科)

【講演要約】
 私たちのリハビリテーション(以下リハビリ)を始めるきっかけは、糖尿病網膜症が原因で失明した35歳のO君の入院中の自殺です。入院中のO君は奥さんにすべて介助してもらっていました。もし彼が入院中トイレやナースステーションに自分一人で行き、食事も一人で食べることができたら、奥さんは働くことができ、経済的に追い込まれることはなかったのではないか、それには目の不自由な人にもリハビリが必要であると考えました。

 それまでは目の不自由な人のリハビリのあることさえ知りませんでした。彼の死後間もなくして目の不自由な人にもリハビリのあることを知りました。そして10年の準備期間をおいて、1994年に信楽園病院にリハビリ外来を開設しました。私たちのリハビリ外来は、県外からリハビリ専門施設の先生方(清水美知子先生と石川充英先生)に来ていただき、その先生方を中心に、眼科医、内科医が同席して月2回開いています。

 今年は開設して満20年になります。外来受診者は800人、延べで10,000人ほどです。

 リハビリ外来では、就労訓練をのぞいた歩行訓練、ロービジョンケア、音声パソコン・点字指導、進学・就職相談、こころのケアなど広く指導を行い、パソコンや点字、歩行訓練などの頻回に継続して指導の必要なものは、外来のほかに週4回教室を開いて継続的に指導を行っています。

 いままで目の不自由なことが原因で死を考えたことのある人は56%、うつ病・うつ状態になったことのある人がおよそ50%おります。こころのケアは重要です。

 目の不自由な人に欠かせないこころのケアには、私たちはリハビリ外来やグループセラピーに加えて、お茶を飲みながら談笑できる喫茶室を設けて対応してきました。喫茶室には、目の不自由な人のほかに晴眼者や学生なども出入りするので、いわゆるうつ病とはやや異なる視覚障害という疾患のある人に多いうつ・うつ状態の改善には、このような喫茶室も有効と考えています。

 新潟県は広く、また交通の便が必ずしも良くないため、私たちのリハビリ外来を継続して利用することの困難な人が多くみられます。その解決策として開設したのが、県内10数か所のパソコン教室兼喫茶室をもつ姉妹校(サチライト)です。サチライトではパソコン教室を定期的に開いて、パソコン指導や簡単な歩行訓練などもやっています。サチライトでも目の不自由な人や晴眼者が集まって、お茶を飲みながら話に花を咲かせています。こころのケアにも大きな効果がみられます。

 視覚障害者においても高齢化は大きな問題です。とくにロコモティブシンドロームによる転倒、骨折、そして寝たきりです。なかでも加齢による筋肉の減少症(サルコペニア)対策は重要です。

 そこで2014年8月から私たちは、サルコペニア予防としての筋トレ・栄養指導、さらにフットケアなどを含めた転倒予防・体力増強教室を毎月1回開催しています。開催前の私たちの予想では、参加者は10人くらいだろうと思っていたのですが、予想に反して、70人(晴眼者も含めて)が参加され、そのニードの大きさに驚いています。とくに糖尿病患者では、サルコペニアの併発は血糖の悪化につながるので、その予防は大切と考えています。

 高齢視覚障害者対策は今後ますます重要です。


【略 歴】 山田幸男(やまだ ゆきお)
 昭和42年(1967年) 3月 新潟大学医学部卒業
 昭和42年(1967年) 4月 新潟大学医学部附属病院インターン
 昭和43年(1968年) 4月 新潟大学医学部第一内科に入局。内分泌代謝斑に所属
 昭和54年(1979年) 5月 社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
 平成17年(2005年) 4月 公益財団法人 新潟県保健衛生センター
 学 会
 日本内科学会認定医、日本糖尿病学会専門医、日本内分泌学会専門医、日本病態栄養学会評議員
 日本ロービジョン学会評議員



【後 記】
 視覚障がい者のために築いてこられた素晴らしい「NPOオアシス」の成り立ちを振り返り、多くの示唆に富む講演でした。内科医でありながらロービジョンケアに取り組んだと評価する方もいますが、内科医であればこその発想(体内時計/骨代謝等)は、眼科医では思いもつかないかなり独創的でかつ先駆的な仕事です。糖尿病透析患者Oさんの失明したことによる自殺という事件を、このような形で乗り越えてきた(報いてきた)山田幸男先生、新潟の誇りです。

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『新潟ロービジョン研究会2014】
 日時:平成26年年9月27日(土)14:00~18:40
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 
  主催:済生会新潟第二病院眼科  

開会の挨拶 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
1)特別講演 (各講演40分)
1.日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
  田淵昭雄(川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
 http://andonoburo.net/on/3222

2.日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ-平成24年度診療報酬改定の意味するところ-
 高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
  http://andonoburo.net/on/3234

3.本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望
 加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代(現)理事長)
  http://andonoburo.net/on/3253

2)シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
 座長 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)
    安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
 シンポジスト (各講演20分)
 1.ロービジョン当事者として相談支援専門家として我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
  吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
   http://andonoburo.net/on/3259

 2.一眼科医としてロービジョンケアを考える
  八子恵子 (北福島医療センター)
  http://andonoburo.net/on/3277
   
 3.私たちの視覚障害リハビリテーション
  山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
  http://andonoburo.net/on/3290
   
  コメンテーター
     田淵昭雄(日本ロービジョン学会初代理事長)
   高橋 広(日本ロービジョン学会第2代理事長)
   加藤 聡(日本ロービジョン学会第3代理事長)   

閉会の挨拶 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)

 

シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
「一眼科医としてロービジョンケアを考える」
 八子恵子 (北福島医療センター)

【講演要約】
 眼科医になってまもなくから、小児眼科や斜視・弱視といった領域を担当することが多かった私は、眼先天異常や未熟児網膜症、網膜芽細胞腫などによる視覚障害のお子さんを診察する機会があった。それらのお子さんに、屈折矯正眼鏡や弱視レンズ、遮光眼鏡、義眼などを処方し、指導する経験を得た。そして、これらの処方が、「見える」や「見やすい」の喜びを与え、「かわいいね」で表情が明るくなるなど、大きな力を持つことを知った。 

  これらの経験から私は以下のようなことに気がついた。すなわち、眼疾患の治療が必要ない、あるいは不要となった患者さんにたいしてもやるべきことがある。それらは、眼科医でなければできないことである。しかしそれらは、患者さんの周囲の人の協力があって進むことである。といったことである。 

 次に、私は、福島県障がい者総合福祉センターが行っている視覚障がい者巡回相談会における医療相談を担当することになり、この巡回相談会に、県や地方自治体のみならず、県立盲学校、生活支援センターや拡大読書器や遮光レンズを展示する業者など多くの人がかかわっていることや、ピアカウンセラーの存在を知った。そして、これらの参加団体がいろいろな行事ややり方で視覚障がい者を支援していること、しかしその内容を眼科医である私、すなわち視覚障害を持つ患者さんに最も早く、もっとも頻繁に会っている眼科医が知らないということにショックを受けた。そして、視覚障がい者に向けた活動や支援を知り、患者さんに伝え、眼科医も積極的にその役割を果たすためには、これら関連する団体や人と連携する必要があると強く感じ、福島県ロービジョンネットワークを立ち上げることになった。 

 福島県ロービジョンネットワークは、設立から8年になり、それなりの活動ができているが、私という一眼科医としてロービジョンケアとどうかかわっているであろうか。大学勤務を辞めて以降、定期的とは言え多施設で診療をしている私は、一施設での系統だったロービジョンケアをできず、外来で出会ったロービジョンの方にすすめたいと思う補装具が多くの施設には用意されていない、しかし、遮光レンズなどは実物を見ないと患者さんに理解していただけず、理解していただけなければ先に進めないのが現状。このような状況でも私がプライマリーあるいは基本的ロービジョンケアをしたいなら、「自分でモノを持って行けばよい」「そうだ、移動診療所だ」となったのも私が年に似合わず、運転好きであったことが功を奏したと言える。 

 そんなわけで、私の車の後部座席には、遮光レンズのトライアル、焦点調節式単眼鏡数種、小児の近見視力を測定する視力表、レチノスコープ(屈折検査機器)、模型の眼球(患者さんに主に屈折異常を説明するため)、治療が難しい複視の解消に役立つ遮蔽レンズ(オクルア)のトライアル、クラッチメガネ(手術非適応の眼瞼下垂にたいする対症療法)、義眼数種などなどが乗っている。それらから、ロービジョンの患者さんに、よいのではないかと思われるモノを見、体験していただき、これ!というものがあれば、手帳の有無によるその後の流れを説明、福祉や直接業者などにつなげることになる。もっと多くのものを見たほうがよい場合には、展示会や展示している業者などを紹介するが、その場合も、様々な職種、団体とのつながりが大いに役立っている。 

 一眼科医がロービジョンケアにかかわるには、大きなことはいらず、必要としている患者さんに巡り合うこと、そのような患者さんは目の前におり、それに気づくこと、少しでよいから何かを提案し、自分にもできることがあることを知ること、でも、できないことは人に頼ること、そのために多くの人とつながることである。今の私の思いである。
 

【略 歴】 八 子 恵 子 
1971年  福島県立医科大学 卒業
1972年  福島県立医科大学 助手
1978年  公立岩瀬病院眼科 医長
1980年  福島県立医科大学 講師
1988年  福島県立医科大学 助教授
2003年  福島県立医科大学 非常勤講師
2007年  埼玉医大眼科客員教授
2008年  北福島医療センター 非常勤医師
福島県ロービジョンネットワーク 代表


【後 記】
拝聴した皆が、「これがロービジョンケアの原点だ」と感じた素晴らしい講演でした 〜 眼科医として診療に携わる中で、必要と感じた(効果のあった)症例を提示し、「治療が必要がなくなった患者でもやるべきことはある」と断言された。曰く、LVの基本は「気が付くこと、何かを提案すること、自分にもできることがあることを知ること、出来ないことは他人に頼ること」、、、、、
うっ、これは人生の基本か1?

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『新潟ロービジョン研究会2014】
 日時:平成26年年9月27日(土)14:00~18:40
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 
  主催:済生会新潟第二病院眼科  

開会の挨拶 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
1)特別講演 (各講演40分)
1.日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
  田淵昭雄(川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
 http://andonoburo.net/on/3222

2.日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ-平成24年度診療報酬改定の意味するところ-
 高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
  http://andonoburo.net/on/3234

3.本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望
 加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代(現)理事長)
  http://andonoburo.net/on/3253

2)シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
 座長 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)
    安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
 シンポジスト (各講演20分)
 1.ロービジョン当事者として相談支援専門家として我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
  吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
   http://andonoburo.net/on/3259

 2.一眼科医としてロービジョンケアを考える
  八子恵子 (北福島医療センター)
  http://andonoburo.net/on/3277
   
 3.私たちの視覚障害リハビリテーション
  山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
   
  コメンテーター
     田淵昭雄(日本ロービジョン学会初代理事長)
   高橋 広(日本ロービジョン学会第2代理事長)
   加藤 聡(日本ロービジョン学会第3代理事長)   

閉会の挨拶 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)

 

2014年10月29日

ロービジョン当事者として相談支援専門家として我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)

【講演要約】
 私は、昭和22(1947)年に生まれ66歳になる。生後3ヶ月の時に母が、私の眼が見えていないのではないかと気づき眼科へ、先天性白内障と診断され、生後6ヶ月から7歳までの間に6回に分けて濁った水晶体の摘出手術を受けた。後から知ったのであるが、この時期にこんなに早くから開眼手術を受けられたのは奇跡に近い出来事だったらしい。7歳の時に、16Dぐらいの分厚い凸レンズを処方され、真っ白だと思っていた瀬戸物に細かいひび割れがあるのを見てびっくりした記憶が鮮明に残っている。16歳の時に初めて弱視レンズを紹介され、遠用と近用のメガネを使い分けて見ることを学んだ。その後光学機器の発達の助けを借りて、私の見る能力はどんどん向上した(矯正視力右0.03、左0.2)。

 ところが、35歳の時に突然右目が窓ガラスに水滴がついたような見え方になり、ひりひりした痛みが出るようになった。「失明するのではないか」という恐怖に駆られて、有名眼科をいくつか受診したが、「小眼球で仕方がない」と言われ、「先天的な障害があると治療の対象にもしてもらえない」ことにショックを受けた。幸い右目の症状はそんなに悪くならなかったが、56歳を過ぎる頃から、再び右目の角膜混濁が強くなり痛みも出るようになった。その時に、視覚リハの仕事で知っていたロービジョンに精通した眼科医から、角膜移植の専門医を紹介していただき、目の前の症状を緩和することだけでなく、将来の自分の眼の予後についてや角膜移植の時期など見通しを持った治療とその説明を受けることができた。それと同時に、やはり仕事で知っていたロービジョンケアに精通した眼鏡士から、自分の状態に合った遮光眼鏡を紹介された。

 以上のような自分自身の経験と、幼い頃からのロービジョンの方たちの相談に乗った経験から、医療の中でのロービジョンケアの未来に望むことを以下にまとめた。
 1 障害があって元々視力が弱くても、幼い頃からのロービジョンのあるものは、その見え方に依存して生きている。0.01から全盲になってしまうことは、「中途失明」と同じ状態であることを、ロービジョンケアに携わる眼科医がまず理解し、すべての眼科医が理解しているように教育されること。

 2 ロービジョンのある方の視力や視野が落ちてきたら、それを「病気」ととらえ、治療の対象と考えて欲しい。また、視力や視野の低下の原因について、きちんとした説明を受けることができるようにして欲しい。

 3 その人なりに見えていることの意味を熟知した担当医(ロービジョン専門家)から最先端医療を担う専門眼科の医師にその見え方を維持するための最善の治療を受けられるように紹介して欲しい。担当医と専門眼科医の連携が、いつでもどこにいてもできるようになっていて欲しい。

 4 ロービジョンケアを標榜する病院においては、メガネ等の補助具の正しい選定がおこなわれるだけでなく、その使い方のトレーニングが受けられるように視能訓練士等のスタッフを充実させて欲しい。

 5 見え方が変化するたびに「失明するかも」という不安に襲われ、生活上の支障も出てくる方たちのために、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの心のケアや生活相談に乗れるスタッフの必要性とその育成をロービジョンケアをおこなう眼科医が積極的に主張し、教育をおこなう体制を整えて欲しい。

 6 見えないことによって困るのは、日常生活の場面であるから、訪問リハが医師の指示によってできるように、教育現場や在宅の場面、高齢者の施設などに、視能訓練士等が出向いて、視機能検査や、補助具の選定等ができるシステムが確立されるようになって欲しい。
 
 以上、先天のロービジョン当事者の経験と、視覚リハの相談者としての経験から語らせていただいた。


【略 歴】
 1947年 東京生まれ 66歳 
 1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
 1974年 日本福祉大社会福祉学部卒業後、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
 1991年 日本女子大学大学院文学研究科社会福祉専攻終了(社会学修士)
      東京都立大学人文学部社会福祉学科助手を経て
 1999年4月~2009年3月 高知女子大学社会福祉学部講師→准教授
     高知女子大学在任中、高知県で視覚障害リハビリテーションの普及活動を行う。
 2008年4月~任意団体視覚障害リハビリテーション協会長(現在に至る

 【後記】
患者さんの生の声を聞いた。吉野さんは、生い立ち・病気のこと・眼科医の言葉に対する感情(気持ち)を披露して下さった。
「治ることは期待しないが、治療して欲しい」「治る見込みのない障害者であっても治療の対象として診て欲しい」「視機能が向上しないと治療の意味がないのか?そんなことはない」「少なくても眼の状態について説明して欲しい」「最善の治療を受けているという確信がないとLVケアは受けられない」「主治医と専門家の連携を。よく話を聞いて欲しい」、、、、、、
それは、すべての医療関係者に聞いて欲しい患者さんの真の思いだった。

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『新潟ロービジョン研究会2014】
 日時:平成26年年9月27日(土)14:00~18:40
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 
  主催:済生会新潟第二病院眼科  

開会の挨拶 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
1)特別講演 (各講演40分)
1.日本におけるロービジョンケアの流れ:日本ロービジョン学会の設立前
  田淵昭雄(川崎医療福祉大学感覚矯正学科;日本ロービジョン学会初代理事長)
 http://andonoburo.net/on/3222

2.日本におけるロービジョンケアの流れ:ロービジョンケアからロービジョンリハビリテーションへ-平成24年度診療報酬改定の意味するところ-
 高橋 広(北九州市立総合療育センター;日本ロービジョン学会第2代理事長)
  http://andonoburo.net/on/3234

3.本邦におけるロービジョンケアの課題と将来への展望
 加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会第3代(現)理事長)
  http://andonoburo.net/on/3253
 

2)シンポジウム「我が国のロービジョンケアを語ろう」
 座長 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)
    安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
 シンポジスト (各講演20分)
 1.ロービジョン当事者として相談支援専門家として我が国のロービジョンケアの未来に対する夢を語る
  吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)

   http://andonoburo.net/on/3259

 2.一眼科医としてロービジョンケアを考える
  八子恵子 (北福島医療センター)

   
 3.
私たちの視覚障害リハビリテーション
  山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
   
  コメンテーター
     田淵昭雄(日本ロービジョン学会初代理事長)
   高橋 広(日本ロービジョン学会第2代理事長)
   加藤 聡(日本ロービジョン学会第3代理事長)   

閉会の挨拶 仲泊 聡(国立障害者リハビリセンター病院)