勉強会報告

2014年3月15日

報告:第216回(14‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「黄斑変性患者になって18年ー私の心の変遷」
 講師:関 恒子 (松本市)
  日時:平成26年2月12日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

 

【講演要約】
 黄斑変性症の発症から18年が経過した今、診断から入院治療、そして日常に戻って現在に至るまでを振り返る。心のうちに感じてきた一人の患者の想いに共感と理解を戴けたら幸いである。 

私の病歴
 1996年1月、先ず左眼に、その10ヶ月後右眼にも近視性血管新生黄斑症を発症し、左眼は1997年に強膜短縮の黄斑移動術を受け、右眼は1999年に全周切開の黄斑移動術を受けた。手術後も6年間は合併症や再発のために数度の入院手術を行い、様々な治療を受けている。現在は左眼0.3~0.4、右眼0.1~0.2、網膜の委縮のために視野の欠落が進行中である。 

診断当時のこと ー 家族の支えと良き協力者の存在
 発端は起床時左眼に見つけた小さな歪みだった。目の病気に対する知識が皆無だったため、一時的なものかもしれないと様子を見ていたが、歪みは解消せず、拡大したため、1週間後開業医を受診した。直ちに大学病院を紹介され、検査の結果、近視性血管新生黄斑症と診断された。その際「視力は低下していくだろう」ということと、「確立した治療法はない」ということが告げられた。 

 視力が低下すると聞いた時、先ず私の脳裏に浮かんだのは失明した自分の姿だった。そして字も読めなくなったら、これから先どうやって生きていったらいいのだろうと、思ってもいなかった診断結果に呆然とした。失明への不安と自分の将来への失望はとても大きく、有効な治療法がないということが更に私に打撃を与えた。 

 私は強度近視を持っていたが、それまで眼で特に苦労したことはなく、眼に特別な注意を払ったこともなかった。視力が低下すると言われて初めて眼の大切さに気付いた程だったが、その思いは「視力を失うくらいなら命を失うほうがましだ。私の眼は命より大切だ」というようになっていた。その私に夫は「命がなくなるわけではないからいいではないか」と言ってくれたが、その時の私には何の慰めにもならなかった。しかし期せずして私の二人の子供がそれぞれ夫と同じ様なことを言い、更に「世の中には全盲の人たちもいて、みんな元気に生きているよ」と息子に言われた時、初めて死んだほうがましだと考えた自分を恥じる気持になった。 

 動揺している私に対して、家族が少しも動揺を見せず、「生きていればいいではないか」と言ってくれた家族には今でも感謝している。もし家族までが動揺したり、悲しんだりする様子を見せたら、私の心痛は増していたに違いない。 

 次回の来院の時、開業医の先生は私に近視について書かれた一冊の本をくださった。私はその本によって自分の病気を理解し、冷静に見ることができるようになったと思う。後に症状が進行して行く過程においても、その知識は非常に役立った。過剰な心配や不安を抑えるためにも正しい知識は必要だ。この開業医の先生は、後に手術を決意する際にも多大な協力を惜しまず、現在に至るまで身近な先生として相談にのってくれている。私が発症した当時は黄斑変性症の情報はほとんどなかったが、この先生のような良い協力者がいてくれたことはこの上ない幸せなことであり、大変感謝している。 

入院治療の日々 ― 自分が選択したことには責任を持たねばならない
 発症から10ヶ月経つ頃には左眼で見る景色は何もかもがひどく屈折し、視野の中心にリング状の霞ができ、視力も0.3~0.4に落ちていた。右眼にも発症したのはそんな時だった。右眼の発症についてはある程度の覚悟はあったが、やはり衝撃を受け、何らかの治療を受けたいと切に願った。有効な治療法がないとされる中、通院していた大学病院から提案されたのは左眼の新生血管抜去術だった。しかし呈示された手術成績に不安を持った私は、開業医の先生に相談して転院し、そこで選択したのは、まだ確立していない最先端の黄斑移動術を受けることだった。 

 網膜手術の危険性など思い及ばなかった私は、視力改善の可能性があるとだけを聞いて手術を承諾してしまったが、病院を紹介してくれた開業医の先生にそれを報告すると、手術の決断をするには情報が不十分であるとの指摘を受けた。私たちは参考となる論文を取り寄せ、手術医にも説明をお願いし、そして最後の決断は私に任されたが、結局私は手術を受けることを決意した。視力の低下を認識しながら何の治療も受けずにいることの不安と苛立ちは、予後のわからない新しい手術を受けることの不安よりも遥かに大きかったからである。 

 この手術の結果は期待通りにはならず、不測の事態も様々起きたが、私は手術を受けたことを後悔したことはない。何もせずにいることは私にはできなかっただろうし、手術は当時の私に大きな希望を与えてくれた。選択が正しかったかどうかは見方によって異なるであろう。だが当時の私にとって最善の選択であったと信じ、自分自身の選択には責任を持たなければならないと思っている。 

 手術後の左眼は合併症や繰り返す再発で入院も長引き、更に数度の入院手術を繰り返したが、2年後には0.1~0.2になった右眼にも黄斑移動術を勧められた。しかし左眼の術中に生じた耳側の視野の欠損や、見え方の質の大切さを考えると、両眼に移動術を受けることは大いにためらわれた。たとえ視力0.1であっても、中心窩の暗点以外は正常だったので、私は右眼に頼って生活していたからである。右眼に施されようとしている手術は左眼のものと手法が異なる事、早いほうが効果的である事など主治医の熱い説得によって、結局私は手術を承諾した。幸い術後の経過は良好で、合併症や再発は起こらず、視力は0.6に改善し、私は見えるということに感動した。 

日常に戻って ― 目は見えるうちに…だが目には見えない大切な物もある
 6年間に渡る治療が終わり、日常に戻ってみると、右眼には淡色系の色の判別や遠近感、暗順応、両眼視などの問題があったものの、生活の質は向上し、私は感謝の日々を送った。しかし再び視力が低下することが考えられたので、視力が保たれている間に視力を最大限に活用しようと、拡大鏡を使って読書に励み、大学に通ってドイツ文学を学び始めた。これは私の「見える喜び」を更に大きくしてくれた。病を得たことによって失ったものは確かにある。しかし失ったものの数を数えても仕方がないから私は今何ができるかを考えて生きたい。病という負の要素は私に奮起する力を与えてくれた。ドイツ文学も、このところ毎年行っている単身の海外旅行もこれによるものである。 

 現在私の両眼は網膜萎縮による視野狭窄が進行して術前より状態は悪く、かなり生活を脅かしている。本当の困難はむしろこれからだろうと思っている。 

 最後に、「見える」ということについて考えてみたい。人は情報の80%を目から得ているという。これを聞く度に低視力者はどうなるのだろうと心配になる。だが、たとえ見えていたとしても本当に見たと言える物はどれだけあるだろうか。人は見える物全てを記憶にとどめる訳ではなく、自分に有用な情報だけを選別している。これは聞こえる物についても同じで、意識の違いによって見える物も聞こえる物も変わってくるはずだ。サン=テグジュペリは『星の王子様』の中で、「物事は心でしか見えない。大切な物は目には見えない」と言っている。私は視覚障害を持って以来、見える世界をとても大切にしてきた。しかしこれからは目には見えない大切な物の世界を探しながら生きたいと思う。 


【略歴】
 名古屋市で生まれ、松本市で育つ。
 富山大学薬学部卒業後、信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。
 1996年左眼に続き右眼にも近視性の血管新生黄斑症を発症。
 2003年『豊かに老いる眼』翻訳。松本市在住。
 趣味は音楽と旅行。フルートの演奏を楽しんでいる。地元の大学に通ってドイツ文学を勉強。眼は使えるうちにとばかり、読書に励んでいる。 


【後記】
 壮絶な18年間のドラマを拝聴した。18年前までは、ごく普通に見える生活を送っていた関さんが、眼科で「近視性血管新生黄斑症」と診断されて以来、生活も人生も大きく変わった。その後の長い闘病生活、治療はまだ手探り状態、そうした中で地元の主治医と相談し、当時最先端の治療を受ける。手術を何度も繰り返した。
 そうした過程で、治療を受ける患者の哲学(充分な告知・インフォームドコンセントを受けて、治療法について他人任せにせず自己責任のもとで自己決定しする)を学んでいく。
最後に、物事は心でしか見えない。大切なものは目には見えないという境地に至る。今後は眼に見えない大切な世界を探して生きていくと結んだ。
 関さんが歩んでこられたこれまでの人生を尊敬し、この勉強会で語って頂いたことに感謝致します。今後、ますます有意義な日々を過ごされることを祈念致します。 

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
  日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/

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【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成26年4月9日(水)16:30~18:00
  「視覚障害とゲームとQOLと…」
     前田 義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科) 

 平成26年5月14日(水)16:30~18:00
  「視覚障がい者支援センター「ひかりの森」の過去・現在・未来
                  ~地域生活支援の拠点として~」
     松田和子(視覚障がい者支援センター・ひかりの森 理事長) 

 平成26年 6月11日(水)16:30~18:00
   「生きていてよかった!」
   上林洋子(社福:新潟県視覚障害者福祉協会副理事長 同女性部長) 

 平成26年7月
   新潟盲学校弁論大会 イン 済生会

2014年3月4日

 わが国でロービジョンケアが眼科医に広まったのは何時からかは定かではありませんが、日本ロービジョン学会は2000年4月に創設されています。
 新潟でも済生会新潟第二病院を中心に、新潟ロービジョン勉強会を2001年4月に開始、2003年4月の第4回からは新潟ロービジョン研究会と改称して毎年開催して13年間で14回(2001年のみ2回開催)しています。
 これまでの研究会(勉強会)のプログラムをまとめてみました。今後、講演要約を順次公開します。興味のある方、ご覧ください。

【第1回】新潟ロービジョン勉強会
 2001(平成13)年4月7日(土)14:00~17:00 
 済生会新潟第二病院 10F会議室  参加料無料
 1)講演
  「ロービジョン外来の実際」
     張替涼子(新潟大学眼科ロービジョン外来)
  「視覚補助具(特に拡大読書器)の正しい選び方」
     土田重一(ナイツ) 
 2)実習
  「擬似体験と視覚補助具の選び方」
     土田重一(ナイツ) 

【第2回】新潟ロービジョン勉強会
 2001(平成13)年9月29日(土)14:30~17:00
 済生会新潟第二病院 10F 会議室AB 参加料無料
 特別講演  座長 大石正夫 (信楽園病院眼科リハビリ外来)
  「福祉機器を起点とした商品開発のために」 
    牧野秀夫  (新大工学部情報工学科教授)
 症例報告   座長 張替涼子 (新大眼科ロービジョン外来)
  「私の経験した症例から」
    佐藤美恵子 (県立加茂病院眼科視能訓練士)
 実践的講習会  座長 安藤伸朗 (済生会新潟第二病院眼科部長)
  「遮光眼鏡の処方の実際」
    小山哲矢 (東海光学株式会社)

【第3回】新潟ロービジョン勉強会
 2002(平成14)年11月30日(土)15時40分~18時10分
 済生会新潟第二病院 10階会議室
 第1部   座長:張替涼子(新潟大学眼科ロービジョン)
  「当院のロービジョンサービス」 
    藤田昭子(新潟臨港総合病院視能訓練士) 
  「子育て体験とボランティア活動」
    小松郁子 (神奈川県) 
 第2部   座長:大石正夫(信楽園病院ロービジョン)
  「小児眼科診療 私のやり方」 
    富田 香 (平和眼科;東京都) 

【第4回】新潟ロービジョン研究会(兼 症例検討会)
  2003(平成15)年4月26日(土) 午後2時~6時 
  済生会新潟第二病院10階会議室  参加費:1000円
 講演「ロービジョン機器の最新情報」
  山中幸宏(アサクラ)  
 講演&実習「拡大読書器の使い方」 
  森田茂樹(京都府)
 
 

【第5回】新潟ロービジョン研究会
  2004(平成16)年6月5日(土)午後
  済生会新潟第二病院 10階会議室
 講演会 
   対象:どなたでも   会費:一人1000円
 1)「網膜色素変性―病気とうまくつきあっていくために」
    高橋政代(京都大学医学部付属病院探索医療センター開発部助教授)
 2)便利グッズの選び方・使い方」
    市橋竜正(株:大活字) 

 研究会 
  対象:医療関係者&ロービジョンケア専門家    会費:一人1000円
 1)「糖尿病網膜症患者さんのロービジョンケア」
    田中恵津子(杏林大学眼科ロービジョン外来)
 2)網膜色素変性症治療の最前線
  1.「網膜色素変性症治療としての神経網膜移植」
     荒井紳一(新潟大学眼科) 
  2.「網膜色素変性の研究あれこれー再生医療を中心に」
     高橋政代(京都大学医学部付属病院探索医療センター助教授) 

【第6回】新潟ロービジョン研究会 
  2005(平成17)年8月7日(日)
  新潟大学医学部 有壬記念館(ゆうじんきねんかん)
  参加費 2000円
 便利グッズ紹介 
   田村 めぐみ(眼科医;東大眼科ロービジョン外来)
   林 豊彦(新潟大学工学部大学院)
 特別講演
   「ロービジョンと読書」  小田 浩一(東京女子大学)
   「型にはめない対応を」  清水 美知子(歩行訓練士)
   「眼科医の悩み」  松村 美代(関西医大眼科)
 シンポジウム 「患者の気持ち、医者の心をお互いに聴く」
   司会:小野沢 裕子(フリーアナウンサー)
         松村 美代(関西医大眼科)
     清水 美知子(歩行訓練士)
     伊藤 文子(新潟市)
     内山 博貴(元高校球児、介護福祉士)
     大音 清香(看護師、日本眼科看護研究会理事長)
     福下 公子(眼科開業医、遺伝相談医師カウンセラー)
     安藤 伸朗(眼科勤務医)
 

【新潟ロービジョン研究会2006】
  2006(平成18)年7月29日(土)16時~19時10分
  済生会新潟第二病院 10階会議室
  講演
   「一般外来でのロービジョンケア-QOL向上のための初めの一歩」
     佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
   「視覚障害者の就労継続と連携」
     工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
   「中途視覚障害者の家族としての支援、家族への支援」 
     工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
   「失明してしまった手術のこと」 
     荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
 
 便利グッズ紹介 県内の皆さんからの紹介コーナー
 
 シンポジウム「皆で考えるロービジョンケア」
    座長 張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
 
   佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
 
   工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
 
   工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
 
   荻野誠周 (眼科医 新城眼科) 
 

【新潟ロービジョン研究会2007】
  2007(平成19)年9月1日(土) 15時00分~18時45分
  済生会新潟第二病院 10階会議室    会費:1000円 
  機器展示メーカーからのPRタイム
    東海光学、ナイツ、タイムズコーポレーション、大活字、
    おんでこ、新潟眼鏡院
  特別講演~ 座長:張替涼子(新潟大学) 
           安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  「視覚障害リハビリテーション-ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」
     山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリテーション外来)
  
「ロービジョンケアを考える」
     山田信也(生活支援員、歩行訓練士;国立函館視力障害センター)
 
  討論会「眼科に期待すること、眼科が出来ること」
    司会 小野沢裕子(フリーアナウンサー) 
       安藤伸朗(眼科医)
    討論参加者  山田幸男(内科医)
          山田信也(歩行訓練士)
          張替涼子(眼科医)
          
佐藤美恵子(視能訓練士)
          患者さん 会場全員 

【新潟ロービジョン研究会2008】 
  2008(平成20)年8月2日(土)15時30分~18時30分
  済生会新潟第二病院 10階会議室   参加費 無料
  テーマ「視覚障がい者の就労」
   進行役 張替 涼子(新潟大学)  
       安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  講演
  「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
     渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校) 
  「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
     仲泊 聡(国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
  「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長;元日本盲人職能開発センター所長)
  「わが社の障がい者雇用について」
     小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして 
     栗川 治(「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長;新潟西高校教諭)
  パネルディスカッション 皆で考える「視覚障がい者の就労」
    仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
    篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長;元日本盲人職能開発センター所長)
    小野塚 繁基(小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
    栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長;新潟西高校教諭)
    渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
    就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
          薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
          轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
          小川 良栄 (長岡市自営業)
  機器展示 展示品アピール
    東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院
 

【新潟ロービジョン研究会2009】
  2009(平成21)年7月4日(土)
  済生会新潟第二病院 10階会議室
  テーマ「ロービジョンケアは心のケアから」
 特別講演
  「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
    気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
  「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
    櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
 「新潟盲学校」
   学校紹介 田中宏幸(新潟盲学校教論)
   盲学校に入学して 竹熊有可(新潟盲学校)
 シンポジウム「ロービジョンケアは心のケアから」
   司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
      
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
   シンポジスト
     西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
     高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
     小島 紀代子(NPO法人オアシス・視覚障害リハビリ外来)
     竹熊 有可(新潟盲学校)
     内山 博貴(福祉介護士)
     稲垣 吉彦(アットイーズ;東京)
   コメンテーター
     櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
     気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
 <機器展示>
   東海光学、タイムズコーポレーション、アットイーズ(東京)、新潟眼鏡院

【新潟ロービジョン研究会2010】 
  2010(平成22)年7月17日(土)14時00分 ~ 18時20分
  済生会新潟第二病院 10階会議室 
  テーマ:「『見えない』を『見える』に」
  会費:無料  要、事前登録
  特別講演 
   「障がい者が支援機器を活用できる社会に」
     座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院眼科)
     演者:林 豊彦  (新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
   「前進する網膜変性の治療」
     座長:加藤 聡 (東京大学眼科)
     演者:山本 修一(千葉大学大学院医学研究院眼科学教授/
              日本網膜色素変性症協会副会長)
   「ロービジョンで見えるようになる」
     座長:張替 涼子 (新潟大学眼科)
     演者:小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)
  シンポジウム 「『見えない』を『見える』に」
     司会:加藤 聡 (東京大学眼科)
        張替 涼子 (新潟大学眼科)
        安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院眼科)
     コメンテーター:
        山本 修一 (千葉大学大学院医学研究院眼科学教授)
        林 豊彦  (新潟大学工学部福祉人間工学科・教授)
        小田 浩一 (東京女子大学人間科学科教授)
   「見えないってどんなこと?」
      稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ 取締役社長)
   「見えなくてもできる」
      永井 和子 (視覚障害生活訓練等指導員;長崎こども・女性・障害者支援センター)
   「見える喜び・できる喜び~教育の立場から~」 
      田中 宏幸 (教諭;新潟県立新潟盲学校)
   「視野評価とロービジョンケア」  
      柳澤 美衣子 (視能訓練士;東京大学医学部付属病院眼科)
   「とっても眩しいんです」
      仲泊 聡 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部長)
 

【新潟ロービジョン研究会2011】 
 公開講座「高次脳機能と視覚の重複障害を考える~済生会新潟シンポジウム」
  2011(平成23)年2月5日(土) 15:00~18:00
  済生会新潟第二病院 10階会議室
  特別講演   座長:永井 博子(神経内科医;押木内科神経内科医院)
   「重複障害を負った脳外科医 心のリハビリを楽しみながら生きる」
     佐藤 正純(もと脳神経外科専門医;横浜市立大学付属病院
           医療相談員:介護付有料老人ホーム「はなことば新横浜2号館」)
  教育講演  座長:安藤 伸朗 (眼科医;眼科医済生会新潟第二病院)
  「高次脳機能障害とは?」 
    仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院;眼科医)
  「高次脳機能障害と視覚障害を重複した方へのリハビリテーション」
    野崎 正和 (京都ライトハウス鳥居寮;リハビリテーション指導員)
 
 「前頭葉機能不全 その先の戦略~Rusk脳損傷通院プログラムと神経心理ピラミッド」
    立神粧子 (フェリス女学院大学)
 

【新潟ロービジョン研究会2012】
  2012(平成24)年6月9日(土)13時15分~18時50分
  済生会新潟第二病院 10階会議室
  会費:無料 要;事前登録
 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
     座長:守本 典子 (岡山大学) 
        野田 知子 (東京医大)
  1)基調講演
    「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
      渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
  2)私のIT利用法
    「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
    「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
 特別講演  座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  「網膜変性疾患の治療の展望」
    小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)
 基調講演  座長:張替 涼子 (新潟大学)
  「明日へつながる告知」
    小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)
 シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
 
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、
      張替 涼子 (新潟大学)
   「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
     守本 典子 (眼科医:岡山大学)
   「家族からの告知~環境と時期~」 
     園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
   「こんな告知をしてほしい」
     竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
  コメンテーター
    小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

【新潟ロービジョン研究会2013】
 第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会 『招待講演』
  2013(平成25)年 6月23日(日) 9:00~10:50
  チサンホテル4階越後の間(東)& 新潟大学駅南キャンパスときめいと
     座長 安藤伸朗 (済生会新潟第二病院 眼科)
 「iPS細胞を用いた網膜再生医療」  
     高橋 政代 (理化学研究所)
 「網膜色素変性、治療への最前線」 
     山本 修一 (千葉大学眼科教授)

2014年2月17日

『「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科』
 難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、済生会新潟第二病院眼科で2010年2月から2012年8月にかけて8回の「学問のすすめ」講演会を開催致しました。
 今後、講演要約を順次に公開します。興味のある方、ご覧ください。 

 第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?
    
-神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)

 

 第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)強度近視の臨床研究を通してのメッセージ〜clinical scientistを目指して
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価
      植木 智志 (新潟大学眼科) 

 

 

 

 第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く
    ―亡き恩師からのミッション

     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)わがGlaucomatologyの歩みから
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)

 

 

 第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
     日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
     会場:済生会新潟第二病院  B棟2階研修会室
 1)臨床研究における『運・鈍・根』
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
 2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学)

 

 

 第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)私と緑内障
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー
     栂野 哲哉 (新潟大学)

 

 

 

 

 第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)

 

 第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)

 

 第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)疫学を基礎とした眼科学の展開
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)2型糖尿病の成因と治療戦略
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長)

 

【「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科 とは?】
 福沢諭吉の「学問のすすめ」には「天ハ人ノ上二人オ造ラズ人ノ下二人オ造ラズ」という有名な言葉があります。これは「人間は生まれたときは皆同じ、歳を経て人間の差ができるのは学問をするか否かである」ということが言いたかったという解釈です。すなわち、学問のすすめです。
 リサーチマインドを持った臨床家を育てなければ、新しい医療の創造はありません。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。若い人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいと、「学問のすすめ」講演会を開催しています。
 一演題で60分の講演、30分の質疑応答を予定しています。このように時間を掛けた講演会はなかなか行うことができませんが、お仕事の理解を深めるためには、一つの試みだと思います。

2014年2月16日

報告 第215回(14‐01月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 
 演題:「大震災でつかめない大多数の視覚障害者への強いこだわり~
          一人の中途失明者に何もできず落ちこんで50年」
 講師:加藤俊和(社福:日本盲人福祉委員会災害支援担当)
  日時:平成26年1月8日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

 

【講演要旨】
*私は・・・
 1945年に京都・西陣で生まれ育ち、高一の1961年から点訳などのボランティア活動を始めました。立石電機(現オムロン)で12年間開発業務に従事した後、1980年から日本ライトハウスで情報やリハの所長など、2003年から京都ライトハウスの点字図書館長に従事して、2010年3月に退職しました。その後、ボランティアで、サピエ事務局長や日本盲人福祉委員会の東日本大震災対策本部事務局長などをしてきました。

*視覚障害者の避難と現状は?
 東日本大震災からまもなく3年になろうとしています。私は、避難するときに重要なのは、何よりも持病の薬の持ち出しであること、そして、視覚障害者にとって、避難所で最も大変なのは「トイレの中」であることを言い続けてきました。阪神淡路のときは3年後には復興住宅が完成して仮設住宅がほぼなくなっていましたが、東日本大震災においては復興住宅はまだ数%にすぎません。その中で、仮設住宅などに長期間居住を余儀なくされている障害者の多くは、これまで支えられてきた地域社会が崩壊して、行き先の見通しがまったく立っていないのが現状です。このように困窮とあきらめの中の多数の被災障害者のことはほとんど表面に出ず、深刻化しています。
 「早くどこか施設に入りたい・・・」などの切羽詰まった相談が、今も連絡先となっている私の携帯電話に入ってくるのです。

*なぜ私は震災支援に飛び込んだ?
 阪神淡路大震災のときにも私は支援に関わりましたが、都市部を中心とした大災害でしたので、東日本大震災のような広い農山漁村が主体の大災害においては、阪神淡路と同じ方法では、支援ができないと思われました。自分から声を出すことができる人たちへの支援もままならず、さらに、大多数となっている中高年から視覚障害となった方々が埋もれて取り残されてしまう、と思われたからです。 

*私の心を支えた、故・鳥居篤治郎氏
 1961年に私が「奉仕活動」を始めたちょうどそのときに、京都府立盲学校の副校長で日本盲人会連合(日盲連)の2代目会長でもあった鳥居篤治郎氏が、点字図書館など京都の活動の拠点となる京都ライトハウスを設立されました。高校でクラブ活動として日赤の奉仕活動と点訳を始めていた私は、こぢんまりした当時の京都ライトハウスに行き、鳥居先生にお会いして話すことができたのは幸運でした。そのような中で、目が悪くなった人の家に行ってみるか、と言われ、何も考えずに行きました。当時は、自立できる優秀な視覚障害者さえ強い偏見の中に置かれている時代であり、中途視覚障害になりたての人までは手が回ってはいなかったのです。何もできないだろうけれど、ということだったとはいえ、一高校生にとっては話しをすることもできない「苦い体験」でした。視覚障害者には、私たちが接している方々だけでなく、何も言えずに取り残されている中途視覚障害者が多数おられる、ということを半世紀も前に教わっていたことが私の活動の原点になりました。
 ところで、鳥居氏は、日盲連の会長に就任されてすぐに、当事者・施設・教育の3分野を統合されて「日本盲人福祉委員会(日盲委)」を1955年に設立され、強い交渉力で大きな成果を積み重ねられておられました。その後、障害者運動は当事者が中心になっていき、日盲委の活動の場は少なくなっていきました。 

*「視覚障害者対策」の拠点をどうするか?
 東日本大震災は、広範囲に広がる悲惨な状況の中にあり、現地にはすぐには行けなかったこともあって、視覚障害関係団体は支援方法から模索していました。阪神淡路のときは、大阪(被災地から約40km)の日本ライトハウスが拠点となり、「ハビー」というボランティア団体が支援の中心を担いました。しかし、東日本大震災では、被災地の広大さをはじめ状況はまったく異なり、きちんとした団体でないと視覚障害者リスト入手も支援もうんと限られてしまいます。そのため、私は、鳥居先生が作られた日盲委に対策本部を置くしかないと主張して押し進めるとともに、私が視覚障害者に関わってちょうど半世紀になっていたことも運命的に感じて視覚障害者の支援活動に飛び込み、東北と東京が生活の場になりました。

*東日本大震災を支援しての教訓
 まず第一は、障害者は誰が助けてくれるのか、です。今やどの障害も7割以上が高齢者となっており、災害時に命を左右したのは、消防団員や警察官などではなく、迅速に避難者を助けた人の多くが、周囲の「隣近所の方々」であったことです。
 二つ目は、東日本大震災の視覚障害者支援は、団体や点字図書館のリストにより、4月末の支援は236人で実質上終ろうとしていましたが、その後の「新たな取り組み」によって、支援から取り残されていた1455人もの方々がおられた、という事実です。「表面に出ない視覚障害者が大多数にのぼる」ことを、大きすぎる犠牲によって数字が示した教訓です。私はそれらの対策の必要性を、これからも強く訴え続けていきたいと思っています。

 

【略歴】
 1961年 高1から、視覚障害者支援ボランティア活動
 1968年から12年間立石電機(現オムロン)中央研究所
 1980年から日本ライトハウスで、情報関係やリハ所長など
 2003年から京都ライトハウス情報ステーション所長
 2010年3月退職。以降はボランティア活動
  東日本大震災の勃発で日本盲人福祉委員会で支援の事務局長
  現在、全視情協サピエ事務局長、日盲委災害支援担当
  講演など:専門点字・触図、視覚障害リハ・情報、災害等 

【後記】
 今年は新潟地震から50周年、中越地震から10周年に当たります。自然災害の時に障害者はどのようにしていたのか?どのような困難があり、今後どのような対策を講じたらいいのか?誰でもが思う疑問を見事に真正面から取り組まれた加藤俊和先生の、想いの籠った(魂の籠った)講演でした。
 個人情報のためなかなか情報がつかめない中、視覚障害者の状況を丁寧に集め、支援してきたことは大変感動的でした。何よりも視覚障害者の8割がどこの団体・組織にも属していないことも判明しました。災害時には情報の伝達・発信が重要。そして何よりも自らの手で自らを守ることが求められます。薬を服用する方は、一週間くらいの薬は常備する必要。また薬の名前を覚えておくことも大事なこと。災害に備えるということは、地域の方との接触等も含め、日常の生活が問われること等、教訓も多く含まれていました。
 阪神淡路の大震災の頃に比べると、ボランティア活動もだいぶ進歩してきました。ただボランティアに求められる大事なポイントはリーダーの存在。リーダーの重要な仕事は、ニーズの掘り起こしと明言していました。大多数の「言えない中途視覚障害者」をだれが代弁するのか? 視覚リハ関係者は「それを知っているはず」、「知ってないといけないはず」。初期の中途視覚障害者と最も接点のあるのは、眼科医と視能訓練士。その連携が「8割以上の中途視覚障害者」を助けるとの言葉は心に刻んでおきたいと思います。
 加藤先生、本当にありがとうございました。益々のご活躍を祈念しております。

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
  日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html 

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html 

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/ 

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【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成26年03月12(水)16:30 ~ 18:00 
  「私はなぜ“健康ファイル”を勧めるのか」
     吉嶺 文俊( 新潟大学大学院 医歯学総合研究科総合地域医療学講座 特任准教授)  

 平成26年4月9日(水)16:30~18:00
  「視覚障害とゲームとQOLと…」
     前田 義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科) 

 平成26年5月14日(水)16:30~18:00
  視覚障がい者支援センター「ひかりの森」の過去・現在・未来~地域生活支援の拠点として~
     松田和子(視覚障がい者支援センター・ひかりの森 理事長) 

 平成26年 6月11日(水)16:30~18:00
   演題未定
     上林洋子(新潟市) 

 平成26年7月
   新潟盲学校弁論大会 イン 済生会

 

 

2014年1月14日

報告 第214回(13‐12月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
  日時:平成25年12月11日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 
 演題:「見えない・見えにくいという現実とのつきあい方」
 講師:稲垣吉彦(有限会社アットイーズ 取締役社長;東京)

 

【講演要旨】
 私は、ぶどう膜炎原田病および続発性緑内障を患った視覚障害者です。原田病の発症から21年、緑内障を併発し視覚障害者手帳を手にしてから今年で18年の歳月が過ぎ去ろうとしています。
 このような私ですが、視覚障害を持った一人の患者であると同時に、同じ障害を持つ患者さんとお話をさせていただく機会をいただいている、いわゆるピアカウンセラーでもあります。
 今回の講演では、見えないあるいは見えづらいという現実と、どのようにつきあったら少しでも快適に生活を送れるのかというテーマに対して、私自身の最近の出来事と、ピアカンでのエピソードをご紹介しつつ、私が今思う一つの方向性をご提示してみたいと考えました。

●30年ぶりの同窓会
 今年の9月の終わりに高校の同窓会が開催されました。見えなくなって20年近い歳月を過ごしてきた私でも、見えているときの自分しか知らない旧友たちに、あえて見えなくなった姿をさらすべきかどうか、参加に際してかなり悩みました。
 白杖を持っていたことで私が見えなくなったことを知った級友たちは、初めは見えなくなったことに関して質問していいものかどうか躊躇している感もありましたが、話が進むにつれ、ごく自然に話題は私の目の話題へ移り、見えなくなるきっかけとなった病気のこと、見えなくなってからの生活、現在の見え方など、聞かれるがままに話し続けました。
 たまたま私の場合は見えなくなったことがみんなの関心を呼んでしまいましたが、ある人は高校時代よりかなり太ったとか、髪の毛が薄くなったとか、女性陣はしわがどうのとか、子供がどうのとか、様々な話題で盛り上がりました。
 逆に言うと、見えなくなったことは必ずしも特別なことでなく、高校の同窓生と離れて生活していた30年間に起こった出来事のひとつでしかなかったのです。 

●ピアカウンセリングより
 私と同じぶどう膜炎の患者さんから、「風邪をひいたりすると、どうも目の炎症が強まる気がするのですが、稲垣さんはそんなことを感じたことはありませんか?」との質問を受けました。
 もう10年以上前に私も同じように感じたことがあったので、私はある眼科医に尋ねたことがあります。その先生は、風邪はのどの炎症だし、たとえば手や足をどこかにぶつけてけがをすれば、すり傷や切り傷を含めそれも炎症、身体のどこかに炎症が出れば、その炎症がもともと炎症のある目に影響を及ぼすことも少なくはないと教えてくれました。
 ところが、別の眼科医の診察時に、たまたま少し風邪気味だった私は、「風邪のせいで目にも炎症が出ちゃってますか?」と質問したことがあります。するとその先生は、「そんなことは関係ない、目の炎症と風邪に因果関係がある証拠は存在しない。」と、これまた医学的にはそうなのかもしれないと思える説明をされました。
 医学的な知識があるわけではない患者としては、ある意味正反対の見解ではあるものの、どちらの話もそれなりに納得がいく話でした。納得ができてしまうだけに正反対の話を聞いた患者としては悩む方もいらっしゃるかと思いますが、どちらも一理あると考えれば、患者としては自分の都合や気分に応じて、ある時は前者を、またあるときは後者の意見を信じればいいのだと思います。 

 いずれの出来事も、共通している点は自分の病気についてある程度分かっていなければ話にならないということです。
 眼科医の先生に違う見解を述べられたとしても、病気に関するある程度の知識があり、かつその病気とつきあってきた経験がある程度あれば、先生がどういおうと、医学的にどうであろうと、自分の経験上それが正しいと思えるかどうかの判断は可能です。
 健常者とともに働くにせよ、職業訓練や生活訓練を受けるにせよ、補償機器を選定する場合でも、自分の病気や見え方について、きちんとした知識があるのとないのとでは大きな違いが出てしまいます。
 とすると、「自分の病気をきちんと知る」ということが、見えない、見えづらい現実とつきあっていくうえで、一つのポイントになるのではないでしょうか。 

 それでは、自分の病気をきちんと知るためにどうしたらいいのでしょう? 私は今回の講演で、10年近く前からしたためている「慢性疾患恋愛論」の考え方の一部をご紹介しました。
 現代医学で治せない病気、当面一緒につきあって行かなければいけない慢性疾患を持った患者の場合、とことんその病気を好きになりましょうという考え方です。どんなに嫌でもつきあわざるを得ない病気だとしたら、嫌がっているよりも好きになった方が、理解が深まり、少しでも楽しく生活できるのではないでしょうか。
 現代医学の進歩により、その慢性疾患と発展的に別れられる日を夢見つつ、今はその病気といがみ合うのではなく、もっと理解が深まるように恋愛を楽しみましょう。

【略歴】
 1964年 千葉県出身
 1988年 明治大学政治経済学部経済学科卒業
  同年 株式会社京葉銀行入行
 1996年 ぶどう膜炎(原田氏病)および続発性緑内障により視覚障害2級となり同行を退職
  同年 筑波技術短期大学情報処理学科入学
 1999年 同学を卒業し、株式会社ラビット入社
 2005年 会社都合により、同社退職
 2006年 有限会社アットイーズ設立
  同年  9月 著書『見えなくなってはじめに読む本』を出版
 2010年 国立大学法人 筑波技術大学 保健科学部情報システム学科非常勤講師
  現在に至る

【後記】
 本音トーク全開でした。
「受容なんてできない。娘の顔がもう一度見たい!」
「当初は、治ることを信じていた。不安で不安で、どうしようもなかった」
「当時は病気のこと(原田病・続発性緑内障)を分からなかった」
「人に説明できなかった。分からないから怖かった」
「前の視力に戻ることが叶わないと悟った時から、苦しみが始まった」
「逃げ出したいと思った。逃げていても苦しみは増幅されるのみだった」
「ある時フッと、もう少し病のことを知りたいと思えるようになった」
「この病気と向き合おう。自分の中での納得が必要だ。この病を好きになろう」
「主治医といい関係を作ることは大事。人間関係、合う合わないはつきもの」
「せめて診察時間(3分でも)内に、一言二言会話をするように心がけた」
「治らなくても、病気を知ることで理解し好きになることはできる。これを『慢性疾患恋愛論』と命名したい」

 稲垣さんらしいトークでした。患者さんの目線で疾患との対処の仕方を語って頂きました。「慢性疾患恋愛論」良かったです。
 視覚障害者のためのサポートをお仕事にしている傍ら、患者さんのピアカウンセリング(電話相談)を行っている稲垣さんの益々の活躍を祈念しております。

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
  日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html 

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html 

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/ 

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【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成26年02月12日(水)16:30~18:00
  「黄斑変性患者になって18年ー私の心の変遷」
     関 恒子 (松本市) 

 平成26年03月12(水)16:30 ~ 18:00 
  「私はなぜ“健康ファイル”を勧めるのか」
     吉嶺 文俊( 新潟大学大学院 医歯学総合研究科
            総合地域医療学講座 特任准教授)  

 平成26年4月9日(水)16:30~18:00
  「視覚障害とゲームとQOLと…」
     前田 義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科) 

 平成26年5月14日(水)16:30~18:00
  視覚障がい者支援センター「ひかりの森」の過去・現在・未来
   ~地域生活支援の拠点として~
     松田和子(視覚障がい者支援センター・ひかりの森 理事長) 

 平成26年 6月11日(水)16:30~18:00
   演題未定
     上林洋子(新潟市)

 平成26年7月
   新潟盲学校弁論大会 イン 済生会