『新潟ロービジョン研究会2009』
テーマ「ロービジョンケアは心のケアから」
日時:平成21年7月4日(土)
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
特別講演
1.「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
2.「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
シンポジウム「ロービジョンケアは心のケアから」
司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
シンポジスト
西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
小島 紀代子(NPO法人オアシス・視覚障害リハビリ外来)
竹熊 有可(新潟盲学校)
内山 博貴(福祉介護士)
稲垣 吉彦(アットイーズ;東京)
コメンテーター
櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
「新潟盲学校」紹介
学校紹介 田中宏幸(新潟盲学校教論)
盲学校に入学して 竹熊有可(新潟盲学校)
≪機器展示≫
東海光学、タイムズコーポレーション、アットイーズ(東京)、新潟眼鏡院
『特別講演』1
「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
気賀沢 一輝 (杏林大眼科)
【講演抄録】
2年前に井上眼科病院の若倉先生と「心療眼科研究会」を立ち上げました。ロージョン患者の心理的ケアはその主要なテーマです。
ロービジョンケアに専門的なメンタルケアを導入するには二つの方法があります。一つは精神医学の専門家との連携であり、もう一つは眼科医療従事者がメンタルケアの基本的技術を身につけることです。後者のためまず始めることは、精神医学の豊富な財産の中から眼科に応用できるものを探し出すことです。今回は、カウンセリングのパイオニアである「ロジャーズの来談者中心療法」、「ベックの認知療法」、「森田正馬の森田療法」のエッセンスを紹介しました。 「失明告知」は癌の告知と似ており、精神腫瘍学の成果の中から応用可能な部分を紹介しました。
ロービジョンケアは治療的な専門医療が限界に達してから導入されることが多いので、「EBMを補完するNBM(物語りに基づく医療)」の役割についても解説しました。
【略 歴】
1977年 慶應義塾大学医学部卒業
1979年 慶應義塾大学医学部眼科助手
1988年 東海大学医学部眼科講師
1996年 東海大学医学部眼科助教授
2000年 同退職
現在 杏林大医学部眼科非常勤講師
横浜相原病院(精神科病院)非常勤医師
心療眼科研究会世話人代表
【後 記】
医療従事者はメンタルケア、精神医学の基本を知らなすぎるために、救える患者も救っていないのではないか、というフレーズが印象に残りました。「心療眼科」という新しいジャンルを紹介してもらいました。
【質疑応答】 回答者:気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
1)1人の患者にかける診察時間(カウンセリングに用いる時間)はどれくらいですか?
返答:カウンセリング、心療眼科的アプローチは、一人の患者さんに対し、最初のうちは30分から1時間、次第に減少していく傾向があります。
2)1日に何人の患者を診察するのですか?
返答:私の個人的な診察スタイルを申し上げますと、一般診療(ある開業クリニックで)は一日に60人から70人診察します。基本的には、午前3時間、午後3時間です。眼科の患者さんのすべてに長時間のカウンセリング、心療眼科的アプローチを実行しているわけではありませんし、その必要もないように思います。ただ、必要な患者さんが新患でいらした場合は、予約制の患者さんにはお許しをいただいて、30分前後時間をかけます。再診は、特別な時間(通常の診察時間帯の前後とか)を設定して、ゆっくり対応します。
大学病院(杏林アイセンター)の神経眼科外来(心療眼科も含む)の場合は、そのような患者さんが集まっていますので、4時間で8人、すなわち1時間に2人というペースです。杏林アイセンターでは2人の医師が同時に並列で診療しています。ただ、患者さんが多い場合は、後ろにずれ込んだり、一人の時間が短くなったりします。
3)カウンセリングを拒む患者、あるいは精神科医師に紹介されることを拒む患者に対してどのような対処をしていますか?
返答:眼科におけるカウンセリングは、これからカウンセリングを行います、と言う具合に始まるのではなく、一般診療の中で自然に移行していくものですから、拒否されることはありません。
精神科受診を拒む人に対しては、中等症以上のうつ病が疑われる人には、しっかりと説得して背中を押します。
うつ病ではなく、神経症レベルの人は、カウンセリング、認知療法、森田療法のテクニックを使いながら、疾病利得に注意を払いながら眼科で本人がその気になるまで(時期が熟するまで)キープしていきます。この方法が、心療眼科的アプローチです。
もう少し詳しくは、文献をお読みいただけましたら幸いです(「視覚と目の異常感への心療眼科的アプローチ」気賀沢一輝 神経眼科 25:11-17、2008)
4)「ソクラテス的対話法」について、解説して下さい。
返答: 「ソクラテス式質問法」とは、治療者が患者に異議を唱えたり、治療者の視点を取り入れるように患者を説得するのではなく、質問を重ねる中で、患者が自ら気付いたり発見したりするように仕向ける質問法です。心の扉は外からよりは、内側からの方が開きやすいという発想によるものです。
もう少し詳しいことは文献をお読みいただけましたら幸いです(「視覚と目の異常感への心療眼科的アプローチ」気賀沢一輝 神経眼科 25:11-17、2008)
5)ロービジョンケアに関心はありますが、何から始めたらいいのか判りません。
返答:一歩を踏み出すとしたら、傾聴だと思います。そこから何かが始まるのだと思います。その患者さんの現実を見つめることによって、この人には何が必要か、聴いている側に考えが発動してくるのだと思います。
ただし、傾聴というのは、はっきり言ってリスクもあります。人間の裏面と言うのは、恐ろしいものがあり、一般社会には隠されていることも多いと思います。傾聴しているうちに、それがどんどん出てきて、とても手に負えなくなってしまいます。聴きすぎると、後戻りできなくなり、聴いている方が燃え尽きてしまうこともあります。ただ、この段階を経験しないと、心のケアはできないかもしれません。一度行き過ぎて初めて、距離感と言うものがつかめるのだと思います。行き過ぎて、一人で帰ってこられれば、多分一人前なのでしょう。
ただ、最初のうちは、聴いたことを上級者に聴いてもらうことによって、聴いたものの重みを分担してもらって、軽くなることができます。そして、気を取り直して、また現場に戻る、という繰り返しなのだと思います。
また、最初に陥りがちな錯覚ですが、聴いたことを全部自分で何とかしてあげなくてはと思い過ぎてしまうことです。あくまで、人生の責任は本人にあるわけで、聴いた人ではありません。聴いただけで、それなりのケアを果たしたと考えるべきです。杏林アイセンターのロービジョンスタッフも、恐ろしい話を聴いて辛くなった時は私のところに話にきます。そして、決して一人でかかえないように、チームで支えていこう、と確認し合っています。私も苦しくなってしまった時は、心療内科医、精神科医に聴いてもらいます。
残念ながら、気軽な心のケアはないかもしれません。しかし、チームで接すれば、負担はかなり軽く、比較的気軽に踏み出すことができると思います。一つの組織でチームを結成することは難しいかもしれませんが、こうした研究会を通したネットワークを利用することも可能だと思います。
『特別講演』2
「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
櫻井 浩治 (新潟大学名誉教授;精神科)
【講演抄録】
「心身医学」とは、心身相関の医学であり、患者中心の医学です。つまり、心身の障害を持った人を、その障害の部分だけを診るのではなく、障害を持ったその人の精神的苦悩は勿論、その家族の苦悩をも診る、という全人医療を、「障害者を診る基本的態度」として主張する医学です。
したがって、障害を持つ人の心理、医療機関を渡り歩く、など特別な行動をとる患者の心理、心理的な影響で起こる身体の障害(心身症)や、医療者によって引き起こされる身体の障害(医原性疾患)、などが具体的な研究内容になります。例えば、心理的影響で起こる身体障害としては、検査上、何ら異常所見がないにもかかわらず、瞼が垂れる症状や、声が出なくなる症状、あるいは歩行が困難になったり、めまいが出たり、痛みがとれないなどの症状があり、抜毛症や摂食障害のように行動の異常からの身体障害もあります。
更には心理的なストレスの結果として、円形脱毛症や胃潰瘍、高血圧など、検査上でも異常のある様々な身体障害が生じます。いわゆる自律神経失調症といわれる状態は、上に挙げたものとこれの中間の位置にあります。こうした症状はまた、実際の身体障害に重なるようにして現れる場合もあるのです。
このような自分の意思とは無関係に生じる、心理的原因による身体症状や障害、及びその周辺を、私の臨床経験をもとにお話しました。
【自己紹介】
昭和11年1月生(旧姓 塚田)
昭和39年、新潟大学医学部卒。
慶応義塾大学医学部精神神経学教室入局、精神科専攻。
新潟大学定年退職後、新潟医療福祉大学に勤務。
現在河渡病院デイケア病棟に務めている。
平成10年第39回日本心身医学会総会会長。医学博士。
一般的著書に「源氏物語の心の世界」(近代文芸社)「乞食(こつじき)の歌―慈愛と行動の人良寛」(考古堂)「句集独楽」(オリオン印刷)などがある。
【後 記】
心身医学(ひとは心身一如の存在)の立場から、心身の障害を持った人を、その障害の部分だけを診るのではなく、障害を持ったその人の精神的苦悩は勿論、その家族の苦悩をも診る、という「障害者を診る基本的態度」について、ユーモアたっぷりにお話して頂きました。
『シンポジウム』「ロービジョンケアは心のケアから」
司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
1)小島 紀代子(視覚障害リハビリテーション外来・NPO法人オアシス)
「視覚障害リハビリ外来」では、悩みや困ることの問いかけと傾聴から「こころのケア」がはじまり、必要な情報、道具、生活の知恵や工夫を一緒に考え、同じように苦しんだ仲間が集うオアシスの各種教室・講習会につなげます。明るく生きている仲間との出会い、できなくなったことができた喜びは、大きなこころのケアとなり、こころも体も考え方も変化します。
しかし、なかなか立ち直れない人、家に閉じこもっている人など、もっと多くの「人や機関、資源」がつながるシステムが、「希望」につながると思います。
2)内山 博貴(福祉介護士)
左目に自打球を当て、視力が完全に戻らないと言われた時、「普通の生活は送れないのでは?」「就職はできないのでは?」と暗い未来しか想像できない状態でした。手術が終わると同室の方が、私は頼んでいないのに看護師さんを二人くらい集め、私の進路について病室でワイワイ話したり、看護師さんは、「目の勉強してみる?高校じゃ習わないでしょ?」と本を貸してくれたりしました。
そんな何気ない入院生活でも私にはとても和やかで、凄く居心地のいいものでした。落ち込んでいた私を前向きにしてくれる貴重な時間で、目の怪我という現実を受け入れるきっかけなりました。
3)高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
視力や視野を失うということは、単に重要な身体機能の喪失というだけではなく、大きな心理的変化、すなわち不安や怒りなどの心理的葛藤や、将来への不安、経済的不安、家族や周囲の人々との役割変化・関係性の緊張などを生じさせる。
そのため不便な視機能を補うためだけのロービジョンケアでは患者の支援は不十分といえる。支援の視点を、身体の部分的な機能だけでなく、その人全体として捉え、その人が生きていく上で、どのような問題があるのか、どのような可能性があるのか、何が必要であるのか、患者・家族とともに考えるプロセスが重要であると考える。
4)稲垣 吉彦(有限会社アットイーズ取締役社長)
一人のロービジョン患者としての立場でお話をさせて頂きました。私自身は現在いわゆる視覚障害者ですが、視覚障害者である以前に、一人の人間であり、社会人であり続けたいと考えています。
ロービジョン患者であっても視覚障害者であっても、同じ一人の人間であるということを、ケアする人たちと当事者双方で共有し、共感できることが、ロービジョンケアにおける心のケアの第一歩ではないかと思います。
5)西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
視能訓練士の職責は「正確な視機能評価」と「少しでも見やすい視体験の提示」です。リハビリテーションは、新しい技術・動作を生活に取込む過程でもあり、患者さんの心の状態が影響します。しかし私たち視能訓練士の多くは、患者さんの心の問題に対応するための「技術」を持ち合わせていないのが現状です。そのことを認識したうえで、患者さんの「物語」を全力で聴き、受け止め、寄り添う姿勢が求められるのではないかと思います。
6)竹熊 有可(新潟盲学校)
25歳の時国立身体障害者リハビリテーションセンター病院で生活訓練を受けました。面談と訓練が並行して行われるため、訓練が単なる授業に終わらず、問題を解決する方法として、速やかに生活に取り入れていくことができました。
眼科の患者会を作らないかと声をかけていただき、ロービジョン患者の会を設立、その後日本網膜色素変性症協会の設立へとつながっていきました。『仲間作り』は、重要な心のケアの一つでした。すぐ諦めていた自分の思いを、具体的に行動に移すことができるようになったのです。
【略 歴】
小島 紀代子(視覚障害リハビリテーション外来・NPO法人オアシス)
新潟市に生まれる。
1962年 新潟県立新潟中央高校卒
1983年 新潟市社会事業協会信楽園病院総務課勤務 現在嘱託職員
1994年 信楽園病院視覚障害リハビリ外来 嘱託員
1995年 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会事務局員
2001年 新潟いのちの電話 認定相談員 現在休部
2007年 NPO法人障害者自立支援センターオアシス事務局員
電話相談・こころの相談室相談員
内山 博貴(福祉介護士)
2001年 夏の全国高校野球新潟県予選準々決勝で、左眼受傷(外傷性黄斑円孔)
済生会新潟第二病院に入院、手術を受ける。
2004年 福祉専門学校を卒業後、地元の福祉施設に勤める。
高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
1982年 東京女子大学文理学部卒業
2000年 東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科卒業
2004年 順天堂大学大学院医学研究科博士課程修了 医学博士(順天堂大学)
2004年 順天堂大学眼科学教室非常勤講師
立教大学兼任講師(リハビリテーション心理学) 現在に至る
2009年より水戸医療センター眼科ロービジョン外来、相談スタッフも兼任
主な著書「中途視覚障害者のストレスと心理臨床」(共著)など
稲垣 吉彦(有限会社アットイーズ取締役社長)
1964年 千葉県出身
1988年 明治大学政治経済学部経済学科卒業後、株式会社京葉銀行入行。
1996年 「原田氏病」という「ぶどう膜炎」で視覚障害になったのをきっかけに同行を退職し、筑波技術短期大学情報処理学科へ入学。
卒業後、株式会社ラビットで業務全般の管理、企業・団体向けの営業を担当。
杏林大学病院、東京大学医学部付属病院、国立病院東京医療センターのロービジョン外来開設時に、パソコン導入コンサルティングを行う
2005年 株式会社ラビット退職。
2006年 有限会社アットイーズ設立
同年8月「見えなくなってはじめに読む本」を出版。
現在、視覚障害者向け情報補償機器の販売・サポートを行う会社を経営する傍ら、個人的には医療期間や福祉施設からの紹介を受け、ボランティアでロービジョン患者に対するカウンセリングを行っている。
西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
1998年3月 国立小児病院附属視能訓練学院卒業
同年4月 杏林大学医学部付属病院眼科
1999年1月 杏林アイセンター ロービジョンルーム
2002年4月 杏林大学医学研究生(~07年3月)
2005年10月 もり眼科医院
2007年5月 NPO法人障害者自立支援センターオアシス
視覚障害者のためのリハビリテーション外来
竹熊 有可(新潟盲学校)
1967年 新潟県加茂市生まれ
1990年 お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業
同年11月 小野塚印刷株式会社入社
1992年 網膜色素変性症により障害者手帳2種5級取得
1994年 日本網膜色素変性症協会(JRPS)設立、会長就任
同年 結婚
1995年 小野塚印刷を退社
1996年 長女出産
1999年 鬱病発症
2000年 日本網膜色素変性症協会 会長を退任
同年 株式会社加賀田組入社
2001年 加賀田組を退社
2002年 障害者手帳1種1級
2009年 新潟盲学校専攻科理療科に入学
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【総 括】
新潟ロービジョン研究会は10年目を迎え、「心のケア」がメインテーマでした。「心のケア」、やろうと思って必ずできるものではないが,やろうと思わなければ,決してできません(参加者の感想から)。
世の中全体、「想像する」「思い遣る」ということが欠如している現在、このテーマの持つ意義は大きいと思います。
鳥取県・兵庫県・和歌山県・岐阜県・愛知県・静岡県・東京都・埼玉県・宮城県・福島県・山形県など新潟県内外から、参加者は150名を超え会場は熱気に溢れました。 多くの収穫と、出会いがありました。
『新潟ロービジョン研究会2008』
期日:平成20年8月2日(土) 15時30分~18時30分
場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
テーマ「視覚障がい者の就労」
基調講演
1)「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
2)「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
3)「わが社の障がい者雇用について」
小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市)
4)「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして
栗川 治 (新潟西高校教諭)
5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
渡辺 利喜男、仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)
パネルディスカッション~「皆で考える『視覚障がい者の就労』」
進行役 張替 涼子(新潟大学)
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
パネラー
仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市)
栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
小川 良栄 (長岡市自営業)
《機器展示》
東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院
済生会新潟第二病院眼科では、毎年、県内外の患者さんと家族、眼科医・視能訓練士や医療および教育・福祉関係者を対象に、新潟ロービジョン研究会を開催しています。
第9回目になる今年は、「視覚障がい者の就労」をテーマにして、魅力的な講師陣をお呼びして企画しました。 全国11都県から123名の方々が参加して開催しました。
厚生労働省の調査(06年)では、15歳以上64歳以下の身体障がい者約134万人のうち、就業しているのは約4割と推定されています。一方、同省が全国約5000事業所で働く約11000人を対象に行った「障害者雇用実態調査結果報告書」(03年度)によると、身体障がい者の3割以上が過去に離職・転職を経験し、平均転職回数は2.1回でした。
05年に成立した障害者自立支援法は、意欲と能力のある障がい者が働きやすい社会の推進を目指すとしていますが、視覚障害者への支援はまだ不十分なようです。
【講演抄録】
1 「視覚障害者の就労に、私はどうかかわることができるか?」
仲泊 聡
国立身体障害者リハビリテーションセンター病院 第三機能回復訓練部部長
視覚障害者にとって就労は最重要課題である。なぜなら、障害によって奪われた「収入」と「所属」と「生き甲斐」のすべてを就労に関連して獲得することができるからだ。
しかし、眼科医はこの最大の問題に自らが手を差し伸べられると自覚していない。眼科医は、まず疾患を治療し、視機能の回復をはかるべきである。これが全てだ。しかし、それに時間を要し過ぎると逆に就労継続に対する壁になる。むやみに入院治療を引き延ばしてはいけない。エイドによる機能的な回復を実現し、手帳や年金の手続きをすみやかに行ない、職場への説明を十分に行なって理解を促し、就労への環境を整えるのも眼科医の仕事である。手におえないのなら相談・訓練や教育の場への橋渡しを行う。
私は、そうやってこの10年を過ごした。しかし、尚うまくいかない。どこにその問題があるのか。
本質的な問題は何か?パソコンにしても三療にしても、能力のある人は、適切な支援さえあれば問題ない。資格はあるけれど上手く働けない人、資格を得ることが出来ない人が問題である。そして自立である。自立支援法が出来たが、必ずしも上手く運用しているとは言えない。
今年新たなポストに就き、眼科医としてだけではない重責を感じている。これから皆さんと一緒に考えてみたい。
◎講演後、新潟県視覚障害者福祉協会の松永秀夫さんから、現行の障害者自立支援法は、視覚障害者にはあまり適応にならないとコメントがありました。
2「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
篠島 永一
特定非営利活動法人タートル 事務局長
NPOタートルの目的は、1)「見えなくても、見えにくくても働ける」を提唱し、社会啓発に努める、2)「職業選択の自由を求めて」を目標に職域拡大と能力開発に努める、3)「定年まで勤めつづける」をめざして定着支援を連携と協力により行う、4)「納税者になろう」をモットーに、職業自立を支援する、である。
特に、就労継続(中途視覚障害者の就労の継続をすすめ、失職を防止する)、復職(視覚障害リハビリテーションを受け、雇用主の不安感を払拭する)、再就職(コミュニケーションスキルとモビリティスキルを身に付けることにより自信とプラス思考をもって就職活動をする)、新規就職(新たな職域に挑戦する意欲を持つ)の各分野で活動を展開している。
何よりも会社の戦力と成り得る実力を付けること、そして自分の意見を会社に提案できることが大事である。そのためには、本人の働きたいという意志が大切。
現実に障がい者を受け入れる会社は増えてきている。タートルでは事例をファイルして、公にしている。ハローワークにも働き掛けている。
視覚障がい者の多くは眼科を受診する。眼科医の一言が大きく影響する。眼科医にも視覚障がい者が実際に社会で活躍していることを知って欲しい。
視覚障がい者には、うつ病の方が多い。心の支援を必要としていることにも目を向けて欲しい。
◎講演後、神奈川県茅ケ崎から参加された社会保険労務士の中村雅和さん(1型糖尿病)から、「なにくそ! 障がいになんか負けるものか。障がいはチャンスだ」と力強いメッセージがありました。新潟の信楽園病院の山田幸男先生から、「新潟の人が地元で支援を受けられるようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」という質問がありました。篠島さんは以下のように答えていました。「資源の多い東京とは違う、新潟では新潟のやり方があるはず。でも、根本のところでは、当事者が当事者の就労相談を受ける体制をつくることが大事だろう。」
3「わが社の障がい者雇用について」ー年金をもらうばかりではなく、税金を納める側になれー
小野塚 繁基
小野塚印刷株式会社 専務取締役
厳しい最近の経済状況では、企業にとって障がい者を雇用することは困難になってきている。健常者以上に能力がないと採用されないというのが現実である。そういう意味では障がいのあるなしは関係ない。企業にとってプラスになる人材は必ず採用される。
障がい者としての弱者意識、疎外感の中で生きてきた彼らが、不自由ながら平等な意識で外へ、職場へ出てこれるように導くことから始まる。思うように指先が使えず、握力もほとんどなしの、男性が「誰もが彼には無理だ」と思う紙揃えを「これが出来なければ、もう自分のいけるところがない」という必死の想いで、練習をすることにより、仕事がリハビリとなり、手先が器用になり、問題なく、印刷機械を操作できるようになった。
家では何もかも、お母さんがやって下さり、できなさそうなことは最初から手を出さない難しそうなことはやってもらう、それが当たり前の生活の中で、できるように工夫すること努力することなど学べるはずはない。社会に出ようとする障がい者にとって一番の足枷が家庭環境である。かわいそうに、つらいだろうにと、大事に大事にかしずかれ、結局、自立できない人の助けなしでは生きられない人間になってしまう。仕事で甘やかすことが差別になる。
絶対できないことは理解しているが、工夫や努力をしない人、我慢がない人はいらない。どんどん配置転換をして、出来ること、やりたいことを捜してもらう。ノーマライゼーションの実現・・・遠く長い道のりを、挑戦し、体験を拾い上げて積み上げて行くことにより、障がい者が社会の一員として認められる。
「国の年金をもらうばかりではなく、一日も早く税金を納める側になれ!」
4「『障碍』を持つ教師の働く権利保障をめざして」
栗川 治
(「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
新潟県教育委員会の障碍者雇用率は1.09%で、全国で2番目に低い。日本全体でも2.0%の法定雇用率に達しているのは京都府と大阪府のみで、教育現場の立ち遅れが著しい。
「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会で全国の当該教師を支援する中で実感するのは、個々の障碍に応じた働き方を可能にする条件が整っていない事である。必要な人的、物的、心的支援があれば、障碍を持つ者は働けるし、素晴らしい教育実践の蓄積もある。しかし、多くの場合、支援や配慮がない中で、退職を迫られたり、本人が無理を重ねてつぶれたり、同僚
や児童生徒に負担が転嫁されたりして、障碍を持って働き続ける事が困難な状況に追い込まれていく。
個々の創意工夫や職場の支えも重要であるが、それらを保障するための「合理的配慮」が具体的に実行される事が、障碍者雇用を進め、障碍者差別を無くしていく上で決定的な要因となっていると言える。
◎和歌山県海南市から参加された山本浩さん、山形市から参加された武田健一さんからコメントがありました。
5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
渡辺 利喜男、 仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)
中学部および高等部普通科では筑波技術大学や筑波大学附属視覚特別支援学校への進学が増加。最近は一般企業への就職も見られる。理療科では、開業をする者や治療院就職が減少し、一方ではスーパー銭湯などの健康産業にマッサージ師として就職する者が増加している。
◎信楽園病院の山田幸男先生から、盲学校には適材適所にコーディネートするような方はいらっしゃるのかという質問がありました。
【パネルディスカッション】
『皆で考える「視覚障がい者の就労」』
仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市)
栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
小川 良栄 (長岡市自営業)
まずはじめに就労体験者から発言がありました。薬師寺さんからは視覚障害者が働く上での環境整備の重要さ、亀山さんからはコミュニケーションの大切さ、轡田さんからはできる範囲内で障害の状態を理解して頂くことの大切さが語られました。
小川良栄さん(長岡市)は、”ふつう”ではないけれども市民がイメージする視覚障害者でもないどっちつかずな存在といえる軽度視覚障害者が抱える問題について訴えました。障害の重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障害はリンゴが10個、軽い障害はリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになることを理解していただくことが、就業問題を考える第一歩ではないか、、、、、。
小野眞史先生(日本医大)のから、視覚障害があるからこそ向いている職種がある、それはコーティングで実際に推進している「アリスプロジェクト」を紹介してくれました。
小島紀代子さん(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会)から、視覚障害者が高齢者や肢体不自由者にパソコンを指導している実例を挙げ、障害を持つ人は、今の時代に一番欠けている「相手の立場に立つことのできる人」と紹介がありました。この時、小野塚さんから、「企業の立場からすると、そのことがどう会社に役立つのかを知りたい」とのコメントがありました。
高橋茂さん(西新潟中央病院リハビリ;言語聴覚士)は、障害の種類による異なる支援と能力開発の必要性を訴えました。
岩田文乃先生(順天堂大学)は、視覚障がい者の就職や能力開発を考えた場合、視覚障がいがあると何にも出来なくなるという負のイメージ(特に親の)に問題があるとの指摘しました。
麻野井千尋さん(NAT)は富山県の活動について、八子恵子先生(前福島県立医大)は福島県の活動についてから報告してくださいました。
仲泊聡先生(国立身体障害者リハビリ病院 眼科部長)は、復職という問題について産業医はどうかかわっているのか、鍼灸マッサージの環境整備について発言があり、最後に「視覚障害者は空気を読むのが苦手、脱KYが不可欠。そして笑顔を忘れないことが就労に繋がる」と語り、会場から喝采を浴びました。
視覚障がい者の就労について語る場合、1)障がい者は就労に足る能力(企業が望む能力)を身につけること、2)企業は障害の有無にとらわれずに能力を見出す採用をすること、3)企業が望む能力を身に付けるために、盲学校は何をしなければならないのか、医療者は何が出来るのか、親は何をすべきか、4)能力(資格)を身に付けられない障がい者は如何したらいいのか?、5)働けるのに働かない障がい者がいることはもっと大きな問題では、、、、 課題はまだまだてんこもりです。
「就労」(と「結婚」)は、障がいがあるという事実と真正面から向き合うことを余儀なくされます。建前でない真剣な討議が交わされ、充実した研究会となりました。参加の皆様の熱意に感謝致します。
【略歴】
仲泊 聡
昭和53年3月 学習院高等科卒業
昭和58年3月 学習院大学文学部心理学科卒業
平成元年3月 東京慈恵会医科大学医学部卒業
平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科
平成15年8月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師
平成16年1月 Stanford大学留学
平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセン ター病院
第三機能回復訓練部部長
小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市)
平成2年4月 小野塚印刷株式会社 入社
製造部オフセット印刷オペレーター
その後、経営企画室長、製造部次長、工務部次長を歴任
平成10年3月 株式会社ウエマツへ印刷技術習得の為、転社
平成12年3月 小野塚印刷株式会社へ戻る
営業部長、制作部長、総務部長、取締役統括本部長を歴任
平成17年 全国重度障害者雇用事業所協会
関東甲信越ブロック新潟支部長に就任
平成20年6月 小野塚印刷株式会社 専務取締役に就任
篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
東京都青梅市在住
学 歴
1961年3月 慶應義塾大学工学部計測工学科 卒業
1967年3月 高校数学教師資格取得
1968年3月 社会事業学校専修科 卒業
2001年3月 社会福祉施設長資格認定講習課程修了
施設長資格取得
職 歴
1961年4月 三井石油化学工業株式会社入社
1965年3月 視力低下により退社
1967年4月 クスダ事務機株式会社入社
1977年12月 退社
1978年1月 社会福祉法人日本盲人職能開発センターに入職
2007年3月 定年(70歳)により同センター退職
2007年12月 特定非営利活動法人タートルの理事就任
栗川 治 (新潟県立新潟西高校教諭)
1959年 新潟市生まれ
1982年 早稲田大学第一文学部哲学専攻卒業
1984年 新潟県立柏崎高校小国分校に新採用社会科教員として赴任
1987年 視覚障碍の重度化(網膜色素変性症)
1988年 県立新潟盲学校に転勤
1992年~96年 全国視覚障害教師の会事務局長
1993年 県立西川竹園高校に転勤
1996年~ 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長
2006年 県立新潟西高校に転勤
渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
あはき師、理学療法士 筑波大理療科教員養成課程卒業、
神奈川県総合リハビリテーションセンター勤務後、
昭和51年より新潟盲学校に赴任、現在に至る。
仁木知子 (新潟県立新潟盲学校)
平成16年新潟盲学校に赴任、体育担当、進路指導部
特別講演 2
「ロービジョンケアを考える」
山田信也(生活支援員、歩行訓練士;国立函館視力障害センター)
【講演要旨】
《はじめに》
新潟は思い出のある所です。かつて第一回盲聾疑似体験セミナーを当時、国立特殊教育研究所におられた中野泰志先生(現、慶応大学)方が企画され、高橋広先生(現、柳川リハ)、安藤伸朗先生(現、済生会新潟第二病院)らが参加され、高橋先生はそこでロービジョンケア、特に盲聾の方々のケアに目覚められたことを思い出します。
1)「みる」ということ
私たちがものを「みる」ということはどういうことなのでしょうか? ヒトが、花を見てから「それは花です」と答えるまで、以下のプロセスがあります。
眼で、つまり網膜の視細胞で感じた刺激を、視神経、視交叉を介して脳の視覚中枢にて認識され、それを脳の運動野に伝えて声帯を動かして「それは花です」と言葉を発することになります。つまり、見るという当たり前のような行為の中に、様々なレベルで、障害がないということが前提になります。
私たちが、「みる」と一言で言っても、様々な見方がありますし、当然見るレベルの差というものも考える必要があります。生理的な機能を十分に活用してみるのが、「見る」です。細かく見ていくのが「視る」というようにです。ロービジョン者自体がものを「みる」と言った場合、生理的な機能として見ることは能わないとしても、例えば分析したり、統合したり、認知したりといった点では、「みる」工夫をすることが大切であると思います。
2)ロービジョンサービスとロービジョンケア
「ロービジョンサービス」と「ロービジョンケア」について、私見を述べたいと思います。言葉の意味の整理をしておきたいと思います(このことは今後、議論されていく課題だと思いますが)。
「ロービジョンサービス」とは、保有している視機能を活用し、QOL(生活の質)の向上を目指す、どちらかと言えば、技術的にある一定のレベルのサービスを行うことだと考えます。従って、どの地方に行っても、ロービジョンサービスの質は一定であることを前提にしています。
一方、「ロービジョンケア」とは、保有している視機能を最大限に活用し、その人の本心を大切にし、QOL(生活の質)の向上を目指すサービスであると言えます。そこには、ケアの側に重心があると思うのです。技術的な支援はもちろんですが、本人のその人らしさに着目して、問題解決をしていくと言うことが、大切になると思うのです。
3)ロービジョンケアの基本姿勢
ロービジョンケアを行う際の「基本姿勢」として、何が大切なのでしょうか。以下の点を心構えとして持つことが大事であると考えます。
視覚障害はひとつの条件であって、総てではありません。ロービジョンケアを行ううえでは、その人らしさを大切にすることが大事なのです。つまり、目の前に現れたロービジョン児・者の生活者としての顔は様々です。だからこそ、その人の思いに寄り添い支援する。そして、目標が達せられた時の「人としての輝き」を共有する。ネガティブシンキング、ポジティブシンキングでもなく、背景を理解し、その人の想いを大切に受けとめ、同伴する。自己選択、自己決定を大切にすることが肝要です。
4)障害を受けたときの本心
「このままいったらどうなるんだろう・・・」、「仕事は大丈夫だろうか?・・・」。不安が不安を助長し、現実に取り組まず逡巡、諦めそうになったり、失望したり、落胆したりします。「自分の置かれている現状を見るのはちょっと・・・」、「あるがままに見たい、でも・・・」、「足りないものを認めたくない・・・」などなど。
5)アクションプログラムーNOをYESにするアイテムー
過去は過去、現在は現在です。できれば、NOと言われる現実をYESに転換したいわけです。
そのためには、「アクションプログラム」を考える。その時の要点は今までの経験則から言えば以下の四点に集約されると考えています。
ⅰ)協力者はいるのか?
ⅱ)原則はあるのか?
ⅲ)具体的な行動指針はあるのか?
ⅳ)行動期間を決めているか?
6)自分の眼を諦めないー保有視覚活用を意識
主体的に対処する(主人公になる)ためには何が必要か?まず、「自分の眼」を諦めてはいけない。「これだけしか見えない」と思うよりも「こんなにも見えているのか」ということに気づく。再び「見る」ことの楽しさを感じる。小さな一歩を大切にする。諦めないことで工夫が生まれるのです。
自分の眼を諦めない上で大切なのが、保有視覚活用を意識することで、ロービジョンケアを進めていく上で大事な点です。
「視力」とは何か?「視野」とは何だろう?視野の意味を本当に知っているのだろうか?生活視力や視野を考えたことがあるのか?コントラストのつけかたも・・・・。
つまり、見えないことを気にするよりも、どのように見えているのかを知ることが大切で、見えにくさをどのように人に伝えているか?具体的に表現できるか?ができると、様々な工夫を生み出す余地が出てきます。
《おわりに》
『QOL(Quality of Life)』という言葉があります。「生命の質」と考えるのが、医学。「生活の質」と考えるのは、ロービジョンケア。「人生の質」と考えるのが、包括的リハビリテーションとしてのロービジョンケアであると思います。 医療のみでは、視覚障害者の悩みは問題解決はできません。包括的なリハビリテーションとしてのロービジョンケアを大切に育んでいく、そのためには多くの職種がその人らしさを大切に専門知識をもってサービスすることが大事です。NOをYESに転換するには、意識化が重要です。そして具体的なアクションプログラムを作成することが、ケアの根幹だと感じています。
【山田信也氏:略 歴】
1961年10月31日 京都市生まれ
(学歴)
1987年 3月 日本社会事業大学社会福祉学部社会事業学科Ⅲ類卒業
1996年 3月 九州芸術工科大学芸術工学研究科生活環境専攻中退
(職歴)
1987年 4月 国立福岡視力障害センター採用
1999年 4月 国立函館視力障害センター配置転換
福岡市地下鉄デザイン検討委員会委員(~2006年)
2000年 4月 弘前大学医学部講師(~2005年 ロービジョン外来)
日本ロービジョン学会理事就任
2002年 4月 福岡大学医学部公衆衛生学講座講師(実習担当)
2004年 4月 東北大学医学部講師(~2006年 ロービジョン外来)
【後記】
6年前(2001年7月27日)、弘前大学に山田信也先生のロービジョン外来を見学に行ったことがあります。衝撃でした。机は丸机。同伴者も一緒に座る。一人に30分から60分掛けて一生懸命、患者さんの悩みを聞き出す。一緒に悩み、考える。解決出来ないことは次回までの宿題にする。遮光眼鏡の処方では、一緒にTVを観る。一緒に外を見る。一緒に廊下を歩く。。。。患者さんに「今日来て良かった」と思えることを、ひとつは感じてもらえるよう努力する。それまでの自分の外来が恥ずかしくなりました。
そんな山田信也先生を一度、当院にお招きしたいと思っていました。この度初めて実現しました。講演は期待以上のものでした。単にロービジョンケアの技術論ではなく、心のケアなどというものでもなく、、、如何に患者さんに寄り添うかということの大切さを教わりました。医者になった時に意識していたことを、改めて教わりました。
『山田信也先生の言葉から』(ネットで検索)
【医の原点】
障害を持った人が病院にたどり着くまでに,どんな思いをするか。ひとりで来られる人もいますが,誰かにお願いしなければいけないこともある。そうした人を前にして「わあ,どうしよう?」ではなく,「いろんな思いをして来ているんだろうな」と,全部受け止めて癒していく。それが医の原点みたいな部分だと感じます。
【コミュニケーションスキル】
短い診療時間の中でも,本音を引き出す言葉というのがあります。そういうものをつかめたら,医療を志す人にとって大きなプラスになるし,患者さんも幸せです。
【ロービジョンケアの可能性】
黄斑変性や視神経萎縮の方で,中心暗点があっても周辺の視野が残っているような場合,本を読んだり,細かいものを見るのは苦手です。でも日常生活の中での歩行移動や作業はほとんど可能です。ところが,本人が「きちんと見てみよう」と思った時には中心に暗点がきて,そこだけ視野からスポンと抜けてしまい戸惑うわけです。そうした場合,訓練をすれば少し暗点をずらすような目の使い方ができるようになり,さほど不自由なくものを見ることができるようになってきます。
光の明暗もわからないという方は,視覚的な情報よりも音の情報を使って,「交差点では自分と同じ方向の車の音がしたら横断しましょう」とか,「自分の進む側の音響信号が鳴ったと同時に出ましょう」という訓練をします。触覚を使ってものを判断したり,伝い歩きが可能なことを知ってもらい,杖を使って前の不安を取り除いて歩く訓練もします。
タイプに応じた多様な訓練が可能です。仕事をしたいという人のために,技術訓練も可能です。コンピュータの画面を少し大きくすれば見えることがあり,拡大することで対応できます。それでも作業効率が落ちるということであれば音声を利用する方法もあります。パソコンの基本的な操作ができさえすれば,仕事を続けることも可能です。
*「自分でできるロービジョンケアWORKBOOK」
自分の見え方や目の使い方を知ることで、ロービジョンの人の生活はもっと豊かになる! 自分でも簡単にできる眼球運動訓練の方法や、見やすい文房具、拡大鏡・単眼鏡、拡大 読書器の活用法なども解説。
著者・発行元:山田信也(国立函館視力障害センター)
大活字文庫 定価2940円
【新潟ロービジョン研究会2007】その1
2007(平成19)年9月1日(土) 15時00分~18時45分
済生会新潟第二病院 10階会議室 会費:1000円
特別講演~ 座長:張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
「視覚障害リハビリテーション
-ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」
山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリテーション外来)
「ロービジョンケアを考える」
山田信也(生活支援員、歩行訓練士;国立函館視力障害センター)
討論会「眼科に期待すること、眼科が出来ること」
司会 小野沢裕子(フリーアナウンサー) 安藤伸朗(眼科医)
討論参加者 山田幸男(内科医) 山田信也(歩行訓練士)
張替涼子(眼科医) 佐藤美恵子(視能訓練士)
患者さん 会場全員
機器展示 東海光学、ナイツ、タイムズコーポレーション、大活字、
おんでこ、新潟眼鏡院
2001年から毎年『新潟ロービジョン研究会』を開催しています。今年も9月に素晴らしい講演者に恵まれ、患者さん・家族・ボランティア・眼科医・視能訓練士・看護師・大学教員・盲学校教師・等、新潟県内外から100名を超える参加者で、8回目の研究会を盛大に行いました。報告『新潟ロービジョン研究会2007』(その1)山田幸男先生(信楽園病院)の特別講演の講演要約を紹介致します。
特別講演 1
「視覚障害リハビリテーション
-ボランティア・パワーを集結した医療をめざしてー」
山田幸男(内科医 信楽園病院 視覚障害リハビリテーション外来)
【講演要約】
1.視覚障害者の自立のために、視覚障害リハビリテーション外来を開設
内科医である私が、視覚障害者のリハビリに関わりを持つようになったのは、糖尿病で失明した35歳の患者さんの自殺を経験したことがきっかけだった。
糖尿病で失明した患者さんは、眼科での治療は終了しても、内科の治療は終わらないことが少なくない。失明した患者さんへの対応は内科側でも必要となる。脳卒中の患者のように、視覚障害者にもリハビリテーションが行われなければならないと思ったが、糖尿病学会で埼玉の清水先生の講演を聞くまでリハビリテーションのあることを知らなかった。すぐに熊谷を訪ね、一週間泊めていただいた。その後、さらに全国の視覚障害リハビリを行っている施設を訪ね、一冊の本にまとめた。
患者さんにアンケート調査してみると、家を離れることの不安、家族とともに暮らしたい等々、障害をもつ人こそ地域で暮らしながらリハビリテーションを受けたいと願っていることが判った。
そこで、信楽園病院にリハビリテーション外来を開設することを検討した。開設には、リハビリテーションの必要性が知られていないことや、何からやるべきか見当がつかないこと、スタッフやリハビリの専門家が少ないこと、医療報酬がもらえないこと、事故を起こしたときの責任など様々な壁があった。しかし当時信楽園病院の院長だった平沢先生の「これは必要です」という応援もあり、1994年5月にようやく 視覚障害リハビリテーション外来が誕生した。
外来日は毎月2回(12:30~17:00)、担当は、眼科医 2名、歩行・生活訓練士 1名、糖尿病内科医 1名、視能訓練士 1名。指導内容は、歩行訓練、ロービジョンケア、点字や音声パソコン指導、 こころのケア(グループセラピーも含む)、日常生活用具や 更生施設・援助制度の紹介、転倒予防教室、調理教室、化粧教室、拡大読書器・携帯電話の使用法の指導など。主な受診目的は、視覚的補助具の紹介・処方、白杖による歩行訓練、日常生活訓練、職業相談、音声パソコンなどであった。
2.ボランティア・パワーを集結して、より良い診療に
診療報酬がもらえない現在の医療体制の中で、視覚障害リハビリテーションをさらに発展させることは困難であった。そこで「ボランティア・パワー」に期待することにした。
「ボランティア」について勉強した。そこで得られた結論は、「魅力のある、やりがいのあることを、まね事ではなく、オリジナルを含めて企画し、実行する。できないことは、全国にネットワークを広げ、全国の先生方のお力を借りる」こととした。
ボランティア・パワーのとくに関与の大きなものを次に紹介する。
1)音声パソコン教室
信楽園病院内に、「音声パソコン教室」を開設して12年が経った。当初は10名のコアメンバーを中心に始めた。週2回(水・土曜日)行い、毎回30~40人の参加者がある。楽しく、友達作りや心のケア、情報交換、ボランティア活動の場として利用してもらっている。昼食会も楽しいと好評。
新たな発見があった。はじめは晴眼のボランティアが視覚障害者に教えていた。やがて視覚障害者同士で教えあい、そして視覚障害者が晴眼の肢体不自由者や高齢者に教えるようになった。先生も、生徒も、障害者。教わった人は、教える。障害を持たない人にはなかなか出来ないような忍耐強い教え方が障害を持つ人には出来る。何よりも「人の役に立つ」ということが、障害を持つ人のモチベーションとなった。これは、視覚障害を理解してもらう絶好の機会となった。
視覚障害者のパソコン教室参加の目的は、パソコンを習うだけでなく、友達作り、情報交換、心のケアなど様々であった。特にパソコン教室が心のケアに役立っているか、アンケートしてみたところ、98%のひとが役立っていると回答してくれた。
「音声パソコン教室」の変遷
第1期(1995年6月~)ボランティアが視覚障害者に指導し、視覚障害者も視覚障害患者に指導。
第2期(2000年10月~)視覚障害者が晴眼の肢体不自由者や高齢者に指導。
第3期(2001年8月~)パソコン指導のほかに、「こころを病んでいる人」のこころを和らげ、癒す教室に。
第4期(2006年1月~)エクセルも指導内容に含める。
第5期(2007年6月~)調理・化粧教室、転倒予防教室も併設。
2)白杖・誘導歩行講習会
白杖を使用している人のなかで、杖の使い方を教わった人は、わずかに42%しかいなかったため、講習会を始めた。
講習会は、初めにお茶タイム、次いで講師によるレクチャー、そして歩行訓練、最後に意見交換という構成である。白杖歩行では一人の先生が一度に10人ほどの指導に当たるので、アシスタントが一つ一つの指示を伝達し、確認する。歩行訓練は、その後も、くり返し、指導し訓練しなければならないため、パソコン教室でも復習している。
3)立ち直りのきっかけ
こころのケアは、何回も何回も相談にのり、勇気づけが必要。人手や時間のかかることなので、ボランティア・パワーに依存している。
立ち直りのきっかけについて、アンケート調査した。様々な信楽園病院の関連行事(パソコン教室・視覚障害リハ外来・歩行講習会・グループセラピー・メーリングリスト・目の電話相談など)よりも「病院職員の一女性の対応」が一番大きな立ち直りのきっかけになった。彼女(小島さん)は当院の職員(売店)で、いつでも障害者と顔を合わすことができる立場にあることや、いつでも電話を受け取ることができる立場にあり、またすべての行事に参加しているので全員を把握しているうえ、「いのちの電話」でトレーニングを受けたことがあるため、親身になって相談にのり、すべての人から信頼されている。
目のことで自殺を考えたことのある人は、失明した人で60%、ロービジョンの人で45%。ロービジョンの人で失明の不安を感じている人は、87%である。これまで自殺した人は3名であるが、視覚障害リハビリを開始してからは、皆無になった。
3.さらに、新しい分野の開拓を
眼が不自由になって運動量の減った人が70%であった。身長と体重から体型を評価するボディマス指数《BMI[体重(kg)/身長(m)二乗]》から算出すると、視覚障害者全体では、3割が肥満・3割が痩せであったが、男女で違いがあり、男性の場合は肥満が4割・痩せが1割弱、女性では肥満が2割・痩せが5割強であった。 視覚障害者は、運動不足・外出少ない(光に当たる機会少ない)・痩せ(女性)という点で、骨粗鬆症になる危険性が指摘される。さらに転倒しやすい、栄養の片寄りという因子が加わると、容易に骨折を来たすことが懸念される。こうしたことを背景に骨折の予防策として、運動療法・バランス体操(棒体操)→「骨粗しょう症・転倒予防教室」、栄養の片寄り→「栄養教室」を開始した。「メーキャップ教室」も大盛況である。
最後に:ここまでやってこれたのは、県内外の先生方や全国の更生施設・障害者支援グループ(タートルの会など)の先生方のお力によるものです。あらためて感謝申し上げます。
【山田幸男氏:略 歴】
1967年 新潟大学医学部卒業
1968年 新潟大学医学部第一内科 内分泌・代謝班に所属
1979年 信楽園病院に赴任 糖尿病の診療に従事
2005年 新潟県保健衛生センター
現在に至る
《山田先生「視覚障害リハビリテーション」の歩み》 (ネットから検索)
・1989年 7月 視覚障害者のリハビリテーション用テキスト出版「視覚障害者のリハビリテーション、特に中途視覚障害者の日常生活のために」
・1993年12月 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会結成
・1994年 5月 中途視覚障害者のリハビリテーション外来開設
・1994年 9月 第1回中途視覚障害者のリハビリテーション講演会開催(年1回)
・1995年 3月 音声パソコン教室を信楽園病院に開設
・1995年11月 西川町に音声パソコン教室開設
・1996年 3月 小千谷市(点とう虫の会)、6月柏崎市、10月新発田市(フィンゲルの会)に音声パソコン教室開設
・1996年 5月 誘導歩行の講習会開始(月1回)
・1996年 9月 視覚障害者にたずさわるボランティアのための講習会開催(年4回)
・1997年 6月 誘導歩行学習用ビデオ作成「目の不自由な人の“目”となってください」
・1997年 8月 第1回学生のためのサマースクール開催“もっと目の不自由な人を知ってもらうために”(第1回)
・1997年12月 県内全小・中・高校に誘導歩行学習用ビデオ配布完了
・1998年 4月 上越市に音声パソコン教室開設
・1998年 5月 視覚障害者パソコンワークセンターの指定を受ける。(県身体障害者団体連合会)
・1998年 7月 誘導歩行の訪問指導開始
・1998年 9月 長岡市にパソコン教室開設(現在アットホームの会)
誘導歩行学習用冊子「目の不自由な人の“目”となってください」作成
・1998年10月 第1回音声パソコンとコミュニケーション講習会開催(年1回)
誘導歩行のポスターとしおり作成
・1999年 9月 白杖歩行の講習会開始(月1回)
・2000年 2月 目の電話相談室開設
・2000年 3月 電子メール(メーリングリスト)による交流開始
・2000年 4月 第1回視覚障害「こころのケア」セミナー(年1回)
情報ダイアルサービス開始
グループセラピー開始(月1回)
・2000年10月 視覚障害リハビリテーション外来にカウンセリング・コーナーを併設
視覚障害者による脳卒中患者および高齢者のパソコン教室開設
ホームページ開設
・2001年 9月 巻町に音声パソコン教室開設(現在すずらんの会)
・2001年10月 十日町市に音声パソコン教室開設(現在にこにこアットマークの会)
・2002年 6月 加茂市に音声パソコン教室開設(現在パソコンらくらく)
・2002年10月 第1回拡大読書器などの光学的補助具と音声パソコンの進歩開催
・2002年11月 拡大読書器教室開設
・2004年 2月 長野県安曇野三郷村に音声パソコン教室開設(現在にこにこ)
・2004年 5月 携帯電話講習会開催 携帯電話教室開設
・2005年 2月 誘導歩行講習会プログラムを作成、規定技術の習得者に【修了証書】を発行
・2005年 9月「視覚障害者の初めてのパソコン教室」出版
・2006年 5月「視覚障害リハビリテーション外来」「パソコン教室」を、信楽園病院から有明児童センター2Fに移転
・2006年 9月「特定非営利活動法人障害者自立支援センターオアシス」を設立
・2006年11月「白杖・誘導歩行講習会」にコミュニケーションの場「喫茶オアシス」を提供
もっと知りたい方は、下記を参照下さい。
1)夢かける…目の不自由な人のための情報局
http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/index.html
「新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会」
「障害者自立支援センターオアシス」
2)リハビリテーション – 自立は心のケアから
ユニバーサルネット・コミュニティー(ゆうゆうゆう)2005年7月26日掲載
http://www.u-x3.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=43
【後記】
尊敬している山田幸男先生に講演して頂きました。期待通りの、いや期待以上の素晴らしい講演でした。
20年前、受け持ちの失明した糖尿病患者さんの自殺から、目のリハビリテーションを目指します。しかし当時は目のリハビリは一般的でなく、手探りでの模索から創めます。そこで全国のいろいろな所に見学に行かれたとのことでした。「新潟でやらなくても、こちらへ患者さんを紹介してくれればいいんですよ」という施設も多かったそうです。でも患者さんは地元でリハビリを受けたいんだということ(そして悔しさ)を胸に、必死で自分の病院に内科医の山田先生が「目のリハビリ外来」を創設されましたと伺ったことがあります。
それだけでも素晴らしい業績ですが、先生はそれに止まらず新潟県内そして県外にも「視覚障害者のためのパソコン教室」を各地に作り、長年に渡り「白杖&誘導歩行訓練教室」を開催し、一般の子供と視覚障害者の触れ合いを目的とした「サマースクール」を毎年夏に開催等々、事業を拡大してきました。その功績の一部は、山田先生「視覚障害リハビリテーション」の歩みにまとめました(上記)。
講演の最中に「新潟は遅れている、新潟はまだまだなので、」と何度も繰り返されました。「まだ遅れていると思う」ことが先生のエネルギー源です。確かに患者さんからすれば、まだまだ満足できない状況ではあります。でも今の新潟の「目のリハビリテーション」のレベルは(山田先生のお陰で)、全国でも有数な先進県ではないかと私は思います(この点が山田先生の凄さと、私の至らないところの差だと思います)。あくまでも「患者さんの視点に立つ」ことを学びました。
現実には報酬の対象となりにくいロービジョン外来を創設・維持することは大変な困難を伴います。それをボランティアの方々の協力を得ることで解決してきた道のりに感服です。常々、どうして山田先生の周りには人が集まるのか不思議でしたが、その秘訣を初めて伺うことが出来ました。「魅力のある、やりがいのあることを、まね事ではなく、オリジナルを含めて企画し、実行する」。なるほどと合点がいきました。やはり山田先生は「ただもの」ではありませんでした。
内科医であることから、以前から独特の視点で取り組みを展開されていました。本来体内時計は25時間にセットされているといいます。起床時に視覚的に明るい光が入ることにより、体内時計が24時間に調整されます。でも視覚障害者はこれがうまくいかないことが多く、夜更かし勝ちになり不眠を訴える方が多いことを専門の内分泌の知識から松果体との関連で研究されました。今回は骨折との関係を運動量とBMIを用いて研究され、運動療法・バランス体操(棒体操)→「骨粗しょう症・転倒予防教室」、栄養の片寄り→「栄養教室」を開始し、さらに「メーキャップ教室」まで手を伸ばしておられます。凄いです。次はどんな展開になるのでしょう。
山田幸男先生のパワーと迫力に圧倒された50分でした。
【新潟ロービジョン研究会2006】
2006(平成18)年7月29日(土)16時~19時10分
済生会新潟第二病院 10階会議室
講演
「一般外来でのロービジョンケア-QOL向上のための初めの一歩」
佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
「視覚障害者の就労継続と連携」
工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
「中途視覚障害者の家族としての支援、家族への支援」
工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
「失明してしまった手術のこと」
荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
便利グッズ紹介 県内の皆さんからの紹介コーナー
シンポジウム「皆で考えるロービジョンケア」
座長 張替涼子(新潟大学) 安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
佐藤美恵子 (視能訓練士 新潟県立新発田病院)
工藤正一 (中途視覚障害者の復職を考える会『タートルの会』)
工藤良子 (千葉県医療技術大学校看護学科)
荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
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「失明してしまった手術のこと」
荻野誠周 (眼科医 新城眼科)
私の眼科手術者としての基本認識は以下の二つである。一つは、医療は病気の自然経過に介入して、より良い結果を得ようとする行為であるということ。したがって失明してしまったという表現は間違いで、失明させた、あるいは潰したと表現するべきである。治したという表現も間違いで、治った、良くなったのであって、医者が治したのではない。二つ目は、「医者」は「患者」を食い物にして生きている卑賤な職業である。卑下することはないが、このことは厳然たる事実である。
基本姿勢が二つある。一つ、技能を含めた「知識」が絶対に必要である。最良の結果を得るには知識こそが全てであるといっていい。二つ、ヒポクラテスの誓いにあるとり、患者に不利益をもたらすことは行わない。しかし、いわゆる医師の倫理として要求される、高潔、誠意、熱意、謙虚などは実は無意味である。治らなければ無意味であり、治ることに必須なのは知識だけである。実際、私が失明させた症例はすべて憶えているが、そのすべてが知識のなさに原因している。
たとえ手術を含めた治療が適切で、いい結果だと考えられても、視力が不良のままであることは多くある。私はロービジョン患者を多数生み出している。私が専門とする網膜硝子体手術では術後視力は術前視力に強く相関する。手術がノーミスで終了することはありえない。また、なにが起きるかわからないので、良い視力を悪くする可能性はある。しかし、視力の最低線を失明の防止に置くのでは、どうにもならない。基本方針として最低線を運転免許が取得できる視力に置いている。
【略歴】
1971(昭和46)京都大学医学部医学科卒業
1978(昭和53)京都大学大学院医学研究科修了
1978(昭和53)京都大学医学部眼科助手
1981(昭和56)天理よろず相談所病院眼科副部長
1984(昭和59)京都大学医学部眼科講師
1987(昭和62)愛知医科大学眼科助教授
1994(平成6)フリー眼科医
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新潟ロービジョン研究会2006(第7回に相当)は、7月29日(土)午後、済生会新潟第二病院10階会議室にて行われ、当日参加も含め133名(眼科医20名・視能訓練士60名・その他、患者さんと家族・看護師・医療関係者・眼鏡店関係者・盲学校教師・工学部関係者・学生等; 新潟県内から111名県外から22名)の参加者があり、これまでになく活発な意見が交わされまた。研究会の翌日(30日)に、新潟の梅雨明け宣言が発せられ、我々の熱気で一気に夏に突入した感があります。
今回は、研究会前半は医師、視能訓練士の講演、就労・家族についての講演があり、研究会後半のシンポジウムでは、4人の講師を中心に様々なテーマで論議が交わされました。ロービジョンケアはだれがやるべきことなのか?看護師はもっと優しい声掛けが必要では、視能訓練士など若手の医療関係者はお年寄りとのコミニケーションをとることが不得手ではないか?等々、、、の意見のほか、医師に対する注文もありました。今回の研究会では結論は出ませんでしたが、医者も患者も視能訓練士・看護師も、何でも言える環境でのディスカッションは、明日に繋がると思います。