2016年12月13日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』 出田 隆一
  日時:平成28年10月23日(日)
  場所:有壬記念館(新潟大学医学部)

 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告しています。今回は出田隆一先生による「熊本地震と災害時視覚障害者支援」の講演要約です。 

演題:「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
講師:出田 隆一 (出田眼科病院) 

【講演要約】
 2016年4月14日午後9時26分と4月16日午前1時25分に熊本地方において発生した大規模地震により社会全体に甚大な被害が発生し、私達は全く予期せぬ状況に突然遭遇した。本講演ではまず震災により「眼科医療」に生じた状況とその対応、問題点について述べ、次に「災害時視覚障害者支援」について今回の経験で学んだ多くのことと、熊本県において継続している支援ネットワークの現状について報告した。 

 「熊本地震」は震度7の強震が2回(前震と本震)発生し、余震として震度6以上の強い揺れを5回観測するという近年稀に見る大地震であった。そのため多くの家屋の倒壊、地盤沈下や隆起による道路のひび割れ、がけ崩れなどの大災害となり、2回目の本震後は水道管の破裂などによる断水とガスの遮断といったライフラインの途絶をもたらした。一般道、高速道路あるいは鉄道の被害により物流も滞り、空港施設の損壊により航空便も停止した。 

 そのような状況のもと、私達の施設では地震発生時多数の患者さんが病棟に入院していた。地震は2回とも夜間に発生しており、大きな揺れのあとの強い余震が断続的に続くなか、入院患者をどのようにどこまで避難誘導するのかという基本的な初期対応の難しさにいきなり直面した。眼科病棟に入院する患者の多くが眼科術後であり視機能に問題を抱えた高齢者で、ADLの低下した状態のため、そのまま屋内に待機する危険性と病棟から移動することにより生じるリスクの勘案が非常に困難であった。 

 結果的に前震後は3階の病棟内に留まり、本震後は余震が強く本院に隣接する関連施設の1階ロビーに移動して夜を明かした。関連施設の方が築年数が浅く、低層の建物であることから安全性が高いと考えそのように判断した。移動は深夜に自主的に集まった病院職員と夜勤看護師によって安全に行われた。停電のため階段を使用して一旦屋外に出た後道路を隔てた隣接地に移動するためには複数集まった男性を含む職員の協力が非常に役に立った。 

 本震のあとは外部からの水や食料の供給も断たれ40名超の入院患者に提供する食事の問題、排泄や入浴などについても対応は極めて困難であった。そのため本震後は入院患者には順次退院を促し、外来診療は救急疾患のみの対応、予定手術は中止を決断した。水不足への対応には節水など大変な苦労があった。 

 1日も早い診療体制の復旧を目指し院内に「災害対策会議」を設置し、毎日2回の会議を行いながら様々な議論を繰り返し対策を検討した。断水の続く4月21日木曜日に通常と同じ外来診療と緊急手術のみを試験的に実施し問題ないことを確認した。その後完全復旧までの4手術日で3件の硝子体手術と3件のバックル手術を行った。水道とガスの復旧をうけ、4月25日に通常外来、4月28日に通常の手術を再開できた。 

 このような被災後の復旧を成し得たのは全国から寄せられた公私に渡る多くのご支援によるものであり、私達自身もなにか地域に対して支援活動をすることが恩返しになると考えた。その中で避難所における眼科診療と災害時視覚障害者支援についてお伝えした。 

 被害の大きかった益城町の益城総合体育館に設置された日本赤十字社の医療テント内に診察ブースを貸していただき、簡単ではあるが希望者に対して眼科診療を行った。避難所生活を不安な気持ちで過ごす被災者にとっては軽い症状でも眼科医に話をして目を診てもらうことがある種の癒しとなっていることを感じた。 

 最後に災害時視覚障害者支援について報告した。地震直後の急性期には地元支援者も被災していることから当初は県外の支援者による一次支援が立ち上げられていた。初期には要支援者リストに基づいた電話支援が実施され、その結果自宅などに直接訪問して安否確認が必要と判断された方々に対して訪問支援が行われることになった。そこで当院から8回に渡ってのべ23名でボランティアとして参加した。 

 実際に支援活動に参加してみると支援者の訪問は必ずしも好意的に受け取られるとは限らないことが印象に残った。視覚障害者にとって地震後の混乱期に突然現れた訪問者に対する警戒感はむしろ当然とも思われ、そのような心理に配慮した行動も求められた。この様な支援活動には多くの団体、個人が関わっており、様々な困難にもかかわらず地道に忍耐強く行動しておられることを知り大変感銘を受けた。 

 支援者の中には視覚障害の当事者も多く関わっておられ健常者と何一つ変わらない貢献を果たされている姿も非常に勉強になった。地震から1ヶ月が経過し一次支援者から地元への引き継ぎが行われ、現在は熊本県視覚障害者支援ネットワークとして熊本点字図書館、熊本県立盲学校、熊本県および熊本市視覚障害者福祉協会、熊本市福祉課、歩行訓練士、視能訓練士、眼科医などが協力し合って支援活動を継続している。 

 以上、熊本地震によって私達が体験した被災状況とその対応、震災後の視覚障害者支援の実態について報告した。災害対策にしても障害者支援にしても日頃の準備が何より大切であることは論を待たない。せっかく整備した災害対策マニュアルも頻回に避難訓練などで使用して慣れ親しんでおくこともまた重要なポイントである。 

 最後に震災に際して全国から頂いた温かいご支援に対して心から御礼申し上げます。
 

【略 歴】
 1994年 久留米大学医学部卒業
 1994年 東京大学眼科医員
 1995年 東京厚生年金病院眼科医員
 1996年 東京女子医大附属糖尿病センター眼科助手
 1998年 東京大学眼科助手
 2004年 東京大学眼科病院講師
 2008年 出田眼科病院副院長
 2009年 出田眼科病院院長
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@出田隆一先生のご紹介
 出田先生は、網膜硝子体を専門とするサージャンで、百年近くの歴史を持つ日本屈指の出田眼科(熊本市)第4代目院長でもあります。4月の熊本地震では、視覚障害者支援に多大な貢献をされました。忘れてはならないのは、病院も職員も甚大な被害を受けたにもかかわらず、被災者のために尽くしたということです。心から出田先生の、そして出田眼科病院職員の行動に感謝し学びたいと思います。

 

新潟ロービジョン研究会 2016
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171 

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182 

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
   http://andonoburo.net/on/5210 

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189 

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
    http://andonoburo.net/on/5217 

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
    http://andonoburo.net/on/5223 

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元東京都心身障害者福祉センター)
    http://andonoburo.net/on/5233 

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)
   
 http://andonoburo.net/on/5248

4. おわりに
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)
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2016年12月12日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』  香川スミ子
  日時:平成28年10月23日(日)
  場所:有壬記念館(新潟大学医学部同窓会館)
 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告しています。今回は香川スミ子先生に、「我が国の視覚リハビリテーション育ての親」である原田政美先生について語って頂きました。 

演題:「眼科医、原田政美の障害者福祉理念と功績」
講師:香川スミ子 (元東京都心身障害者福祉センター) 

【講演要約】
1.原田政美の経歴の概略
 原田政美は1950(28歳)年に東大医学部を卒業し、3年後に東京大学医学部眼科に入局したが、1964年までの12年間はわが国の弱視・斜視研究を牽引した一人であった。それは眼科研究誌等に掲載された少なくとも64本の論文によって示される。また、1960年以降には、リハビリテーションの必要性を説く論文が散見され、弱視学級開設、日本弱視教育研究会発足に尽力した。1965年には医師の職を辞し、東北大学教育学部教授「視覚欠陥学講座」初代教授に就任し1967年までの3年間を、学生に指導の傍ら研究及び論文発表(15本)、図書等を発表した。1968年には、東京都心身障害者福祉センター(以下センターとする)初代所長として、20年間(1968-1987:非常勤5年含む)、東京都における障害者福祉を発展させた。 

2.センター所長としての仕事
(1)開設当初から、障害者のニーズに応じる方途として、既存にないセンター独自の指導を開始した。視覚関連では盲幼児の親子指導、中途失明者の歩行訓練、点字指導、中途失明女子の日常生活動作訓練である。職員の実力不足や、医学以外のサービスの画期的な向上のために、センター内職員専門研修等(障害科研究発表会→研修開発セミナー(外国論文抄録含む)、研究会、研修会、派遣研修、図書室の整備、委託研究を実施した。
(2)新たな事業として視覚関連では、盲幼児のインテグレーション支援開始(1972)、CCTVの開発(1973)、オプタコン指導に着手(1976)した。
(3)「専門的技術を伴わない指導訓練は人権を尊重しない行為である。センター最大の使命は、専門的技術の確立と専門職員の養成であった」の考えのもとに、技術書を刊行した。視覚関連では、「盲人の家庭生活動作」、「盲乳幼児の養育指導→育児ノート盲乳幼児編」である。
(4)障害者福祉に関する新しい理念に基づく相談・指導体制への変換を実施した。1980年に就学前障害幼児への通所・集団指導体制を廃止し、家庭を中心とした親主導型育児プログラムへの支援を開始した。また、脳性まひに代表される乳幼児期からの全身障害者を対象とした「自立生活プログラム」を開始した。 

3.原田政美の障害者福祉の理念の変遷
・1966年:「視覚障害リハビリテーションの重要な問題は、失われた視覚を代償する方策を考えること」と考え、その理念のもとに、レーズライターの試作、盲人用、弱視者用カナタイプライター、超音波盲人歩行誘導装置の開発(委託)等、盲人用電話交換機の開発(委託)、CCTVの開発、指導技術の研究(7):失明女子の日常生活動作技術、オプタコン指導、視覚障害乳幼児の発達指導を実施した。
・1974年:「盲児を特別な存在として育てるのではなく、普通の子どものひとりとして、近所の子どもたちと一緒に遊ばせ一緒に幼稚園へ通わせること、これが福祉国家を施行しているわが国の正しい姿である。
・1977年:「障害者が社会にそぐうことができないのは、社会に問題がある。社会が体質をかえれば問題の大半は消える」
 理念を変更するきっかけは、一つには東大眼科医時から変わらぬ諸外国の先進的な知見のレビューであり、さらにセンターにおける実践から得られた障害児者の生活の実態から学んだと考えられる。本人や家族が障害、およびその程度および予後をできるだけ早く知り、家族がそれを受容したうえで、どのように生活するかを選択することが重要であること、専門家は客観的な情報を提供することが責務である。1981年、原田がリハビリテーションについて、その知見を体系的に示した論文がある。そして、センターにはその理念を補完する多くの研究と発表がある。 

4.まとめ
 原田政美は、いずれの職場においても多くの論文を発表している。批判を受けることを恐れていない。そのことを通して互いがより高次な視点に到達すべきとする考えがあると思われる。その一つとして眼科医、他医療保健分野、福祉分野、教育分野への啓もう的情報提供も積極的に行った。

 原田は、社会的役割を果たすために、常に自分がそのときどこで何をどのようになすべきかを熟慮し行動をしてきた。私達センター職員は、専門職として障害当事者及び児の養育者のニーズを知り、それを解決するために、内外の文献を検索すること、必要な器具の開発、指導技術を高めること、有用な指導技術を開発すること、科学的に整理して一般に発表すること、評価を受けること、指導技術の改善等の努力を怠らず、各人が世界や日本で一番のサービスを提供することを目指せとする指導を受けた。1998(76歳)の「弱視治療の反省」には、次の文意の記述がある。眼科医は自分の個々の患者に対して、「治療の期間や方法、予後に関する情報を提供し、もし治療を行わない場合はどうなるかについても言及する必要がある」と。 

 本報告は、眼科関連研究雑誌、「弱視教育」、東京都心身障害者福祉センター刊行「あゆみ」「研究紀要」「BULLETIN」等をもとに考察した。
 

【略 歴】 香川 スミ子 (元東京都心身障害者福祉センター)
 1968年3月 東京教育大学教育学部特設教員養成部盲教育部普通科修了
 1969年4月 東京教育大学教育学部付属盲学校小学部教員
 1970年4月 東京都心身障害者福祉センター(視覚障害科、幼児科、在宅援助科)
 1999年3月 日本大学大学院理工学研究科医療福祉工学専攻、博士後期課程修了、博士(工学)
 1999年4月 聖カタリナ女子大学社会福祉学部助教授(平成12年4月教授)
 2003年4月 浦和大学総合福祉学部教授
 2015年3月 浦和大学総合福祉学部退職 

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@原田政美先生と香川スミ子先生の紹介
 我が国のロービジョンケアを語る時、忘れてならないのは1965年(昭和40年)東北大学教育学部視覚欠陥学教室を開設した初代教授原田政美の功績です。原田先生は、東大眼科萩原教授の門下で、斜視弱視を主に研究した眼科医ですが、萩原教授退官と同時に東北大学教育学部の教授に就任しています。そこで行ったことは「視覚に欠陥のあるものが現代社会によく適応し、各個人の最大限の可能性をもって、社会生活を営めるような知見を提供すべく、医学的、心理学的、教育学的な研究を行う」という、まさ視覚リハビリテーションの科学的追求だったのです。その後美濃部都知事に請われ、東京都心身障害者福祉センターの初代所長として、今度は障害全般のリハビリテーションで活躍します。
 現在、原田先生をご存じの方が少なくなりました。香川先生は東京都心身障害者福祉センターで原田先生と共に乳幼児の支援に携わった方です。原田先生の功績を語るにふさわしい方です。 
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新潟ロービジョン研究会 2016
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171 

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182 

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
   http://andonoburo.net/on/5210 

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189 

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
    http://andonoburo.net/on/5217 

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
    http://andonoburo.net/on/5223 

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元東京都心身障害者福祉センター)
   
 http://andonoburo.net/on/5233

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本) 

4. おわりに 
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)
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2016年12月11日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』  佐渡一成
  日時:平成28年10月23日(日)
  場所:有壬記念館(新潟大学医学部同窓会館)
 演題:「我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学) ー開設当時を振り返ってー」
 講師:佐渡一成(さど眼科:仙台市) 

【講演要約】
 順天堂大学眼科リハビリテーションクリニックは、1964年 中島 章教授の指令で、紺山和一先生(伝説の医局長で1979年からはWHOジュネーブ本部で眼科専門官としてWHO失明予防プログラムを長年担当した)が開始し、2年後の1966年から赤松恒彦先生が引き継いだ。 

 当時は大学病院といっても今のように開業医との機能分化がされていない状態で、結膜炎から白内障、緑内障、来院した患者は全部かかえ込んで「目洗い」をしていた時代で、外来には患者が押し寄せていた。その中で、大学病院としての機能が発揮できるようにするためにはどうしたらよいかという検討が自然発生的に加えられた。 

 まず、開業医で間に合うような患者は開業医に紹介することにした。次に、医学的に手を加えようもない患者が多数たまっていたことを認識していたが、失明宣告をしてもその後どうしたらいいかわからないためと、自殺でもされたらという心配から放置していたことを自覚した。紺山先生が更生施設入所者の入所に至る経緯に関する調査を行った結果、「医療機関を転々としていた」「更生施設への入所までに長期間を有していた」「眼科医を含めた診療施設から更生施設への紹介がわずか」であったことが明らかになった。すなわち眼科医をはじめとする医療関係者たちは、リハビリテーションおよび回復の見込みがない者へ無関心であり、診療部門と更生部門の連携が不徹底であることが明らかになった。これらの状況に危機感を抱いた順天堂は、中島教授のもと、紺山医局長が主体となってクリニックを開設した(高林雅子:日本医史学雑誌49、2003)。 

  赤松先生によると、その頃未熟児網膜症のため両眼全く失明した3歳の患児が来院した。母親はその子の眼が治らないことはもうとっくに知っていたが、その子がまだ歩行もできない状態をなんとかならないかと相談に来たわけである。母親に、子供を突き放して「はいはい」させることからやってみてはと帰したが、1か月後にはとても私の手から離れないと言ってまた相談に来た。盲学校や児童相談所などに相談したが、盲学校は学童期に達しなければだめと断られ、児童相談所では視覚障害者の専門家がいないからと断られた。 

 当時は乳幼児の視覚障害児の盲児指導機関もなければ社会適応訓練をするところもなく、盲学校と国立視力障害センターのみであった。そこで視力障害センター相談室に相談した結果、室長の松井新二氏の協力を得て病院の一室でリハクリを開始した。当時は社会適応訓練施設がなかったためカナタイプ協会の協力を得て歩行訓練、点字、カナタイプの訓練、乳幼児の育児指導等を行っていた。1969年に東京都心身障害者福祉センターが開設されたため訓練はそちらにお願いすることになり、順天堂では相談紹介が主な業務となった。 

 失明してしまった者の視力を回復させることは不可能な場合が多いため、リハビリテーションの第一歩は失明宣告である。当然ながら失明宣告を受けた障害者は深い絶望状態に陥る。そこでリハクリでは、病状の説明、失明宣告、その直後から心理的カウンセリング、次に将来進むべき方向の相談に乗り、各機関への紹介をしている。スタッフは心理ワーカー、ソーシャルワーカー、眼科医がそれぞれ相談に当たる。 

 相談を受ける側はただ話を聞くだけではなく、的確なアドバイスをする必要がある。まず障害者の持っている心理的な問題と社会的背景をしっかり把握しなければならない。こちらが悩みのポイントをしっかり把握してから、その解決にはどうしたらよいかのアドバイスを与えるようにする。心理的な多くの問題を乗り越えた時に、一般的な生活をするために必要な基本的訓練を行う。その後、社会に復帰する者、職業訓練施設に入る者、教育機関に入る者などに分かれて行く。 

 これらのスタッフをそろえて相談する場所は更生相談所や身障福祉センターなどでも良いが、医療機関からの紹介で福祉施設の相談機関に行くまでには障害者の心理的な落差が大きく、その間の障害者の迷いには種々のむだや事故を起こす危険性をはらんである。したがって、当時の順天堂眼科は大学附属病院の中にスペシャル・クリニックの形で開設していた(赤松恒彦:病院35、1976)のである。 

 第3回日本ロービジョン学会(仙台,2002)に体調が万全ではないにも関わらず、学会全日程に参加された赤松先生が、教育分野のシンポジストとフロアの眼科医とのやり取りを聞いて「眼科医は 見えるということをわかっていない」「「眼科医と他の分野の専門家がうまく協力できるように・・・」と 話されていた。 

 1964年 順天堂大学がリハクリを開設してから現在までに52年が経過している。中島教授・紺山先生・赤松先生らが始めた眼科医による視覚障害者支援は進歩しているのだろうか?先人の思いを私たちは重く受け止める必要があると思う。 

 

【略 歴】
 1979年      岩手県立釜石南高校卒業
 1986年      順天堂大学医学部卒業
 1993年      厚生省主催眼鏡等適合判定医師研修会終了
 1999年      順天堂大学眼科講師
 2000年から  さど眼科(仙台市)院長・順天堂大学眼科非常勤講師
 2001年から  岩手県沢内村(現西和賀町)で眼科診療(月1回)
 2002年      第3回日本ロービジョン学会事務局長
 2005年から  視覚障害リハビリテーション協会理事 

@佐渡一茂先生の紹介 
 我が国のロービジョンケアを語る時、必ず挙げられる歴史的事実は、1964年順天堂大学眼科で始まった「眼科臨床更生相談所」です。設立当時のことを佐渡先生に語って頂きました。
 佐渡先生は順天堂大学出身の眼科医で、仙台で開業しています。数多くの分野(コンタクト・スポーツ医学・沢内村診療等)で活躍するスーパードクターで、現在でも毎月リハビリ外来を順天堂大学眼科で行っています。

 

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●新潟ロービジョン研究会 2016
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171 

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182 

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
   http://andonoburo.net/on/5210 

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189 

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
    http://andonoburo.net/on/5217

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
   
 http://andonoburo.net/on/5223

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績

   香川 スミ子(元 浦和大学) 

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本) 

4. おわりに 
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年12月9日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』 小西 明
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)
演題:「新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医」
講師:小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長) 

【講演要約】
1 はじめに
 日本の障害のある子どもの教育(以下:障害児教育)は、明治11年の京都盲啞院がはじまりである。明治13年には、東京に楽善会訓盲院が開校し、国の東西で障害児教育が出発した。しかし、すでに明治5年に制定された学制では「廃人学校」が規定されたものの、障害児に関する規定は明示されなかった。明治時代においては、障害児教育は国の政策課題としてほとんど見当たらず、社会的にも少数の小さな存在として扱われていたといえる。障害のある子どもにとっては、教育する学校も制度も整っていない時代であった。そこで障害児教育は、一般の学校制度から外れた学校として、視覚・聴覚障害者を対象にほとんどが私立の盲唖学校として展開されるようになった。 

 こうした社会からの支援のない時代と環境であったために、視覚・聴覚障害者のための学校設立は篤志家によるものだった。設立主体は、個人・グループ・団体などあり、社会的属性は教育者、医師、鍼按業の盲人、政治家、実業家、宗教家等である。とりわけ新潟県内の訓矇・盲唖学校開設で目立つことは、眼科医等の医師の主導または関与である。 

2 眼科医関与の新潟県訓矇・盲唖学校3校の創設経緯等
(1)高田訓矇学校1889(明治22)
 眼科医・大森隆碩(キリスト教徒)が、自身が眼病となり視覚障害者となったことから、盲人教育を提唱し、朋友の杉本直形、真保利雄ら医師の協力によって創設される。訓盲談話会から盲人矯風研技会、その後訓矇学校へと展開した。地域の支持基盤は医師会や教育会であったが経営困難が続く。教育内容・教授法をはじめ学校組織としてシステム化されず、資金面でも窮乏が続く。盲人のみを教育対象とし、普通教育と自活技術の習得を目指す。 

 訓矇の意味=蒙(モウ)は、おおうの意味。目がおおわれている。盲目を意味するが、隆碩は、心の啓蒙「目が覆われている状態で道理の暗いことを、教育により明らかにする」ことの必要性を説いた。また、大森隆碩、杉本直形らは訓曚学校創設とともに、女子教育や地域医療を担い多くの社会事業に尽力した。 

(2)中越盲唖学校 1906(明治39)
 眼科医・地方議員 宮川文平(キリスト教徒)刈羽郡鍼灸冶組合による、柏崎鍼按講習所の共同経営から、中越盲唖学校へと展開。盲唖学校は宮川の単独経営。支持基盤弱く経営は困窮していた。盲・聾者の自立を目指し、普通科・技芸科を設置するも、盲人教育中心の学校運営であった。
 宮川文平
  明治38年(1905) キリスト教徒内村鑑三と、文通や宿泊など交流がはじまる。
  明治39年(1906) 刈羽郡鍼灸組合が盲人の教育を開始する。
  明治41年(1908) 「私立中越盲唖学校」設立認可される。
   校長は、宮川文平  教員は、姉崎惣十郎、平野藤太郎 

(3)新潟盲唖学校 1907(明治40)
 鍼按業盲人に対する医師(眼科医・竹山屯など含)の協力による。設立運動委員は下記のとおりである。支持基盤は新旧の名望家、実業家、行政官、医師、教育者、民権活動家など幅広い。そのため経営は比較的安定していた。
 新潟盲唖学校設立運動委員 明治38(1905)
 ①設立(開校)責任者
  長谷川一詮(医師・鍼灸冶組合会長:代表)
  鏡淵九六郎(医師・私立第二代校長)
  荒川  柳軒(医師)
  前田 恵隆(元小学校長・私立第三代校長)
 ②鍼灸治組合関係者(盲人9人)
 ③眼科医 竹山屯の支援
  明治40年(1907) 「私立新潟盲唖学校」の設立が認可される。(7月17日)
  竹山屯が新潟市医学町通一番町69番地に所有していた土地民家を「私立新潟盲唖学校」に貸与されたことで、開校される。
  内訳:借館坪数33坪、教室数2(13坪)、屋内運動場1(坪) 

3 眼科医の功績
(1) 眼科医(医師)の主導または関与による学校創設
 ・新潟県には眼病患者が多く、明治11(1878)天皇巡幸による御下賜金千円により、眼科講習所設置や「眼科提要」4巻が発刊されるなど、眼科や視覚障害者への関心が高まった。 (眼科医:竹山屯らの功績)
 ・明治18(1885)関口寿昌と協力者:医師・鏡淵意伯により「盲人教育会」が新潟神宮教会の一部を借りて教育を始める。明治27(1894)関口の死去により閉校する。
  (類型:盲人と協力医師のさきがけ)
 ・明治20(1887)高田訓曚学校創設において、上記前例は、大森+杉本に生かされている。
 ・眼科医は医療に加え、社会事業に力を注いだ。女子教育や保健・衛生教育、障害者教育など、社会の関心が届かなかった分野に尽力した。
 ・眼科医の中には県議会議員、市議会議員となるなど、政界でも活躍し、盲聾教育の社会的認知に寄与した。
 ・盲唖学校設立に関して、視覚障害鍼按業者の要望に理解を示し、これを支えた。
  (明治37「鍼灸術取締規則」による基礎医学の習得など)
 ・社会保障制度が未整備であったため、視覚障害生活困窮者の医療費を無料低額診療とするなどして支えた。また、医師をはじめ実業家からの寄付により、生徒から授業料の徴収はしていない。
 ・高田訓曚学校は、資金源に恵まれなかっただけでなく医師界と教育界に広範な支持層をもちながら、学校運営をシステム化できなかった。学校経営と教務の体制(指導者、指導内容の確保)が確立していないかったため、教育上の重要な情報の入手に遅れ、教育界の助言も実行できなかった。
 ・長岡盲唖学校、新潟盲唖学校は、名望家、実業家、行政官、教育者、民権活動家など幅広い層に理解を求め、これらを支援者として経営安定を図った。教育の理念と成果によって、地域社会の期待に応えることができた。
 ・高田訓曚学校、中越盲唖学校、新発田訓盲院の設立者はキリスト教徒(救済の志)であったが、仏教界も寺院の一角を校舎として貸与するなど施設面等で支援した。 

(2)医療・保健・福祉・教育・労働の一体化を推進
 ・学校創設の目的は、学校規則の第1条に明記されおり、社会自立、職業自立を謳い教育の重要性を啓発した。
 ・学校運営の安定を目的に、私立から県立への移管が他県に比べ早期に実施された。また、これとともに、盲聾分離がなされ教育の専門性向上が図られた。大正12年「盲学校及び聾唖学校令」交付の前年に移管を果たしている。(宮川の英断。県議会へ請願書提出)
 ・学校創設は、その後の社会事業の魁となった。地域の社会事業家として使命感をもって当たる。社会事業は、恩光会(富山)や実業家(高助、中野財団)へ引き継がれる。
 ・眼科領域の研究が、北越眼科研究会を中心に盛んに開催され、盲唖学校生徒の保健衛生の向上にも大いに寄与した。
 ・眼科医師らがコアとなって社会事業の活動が盛んになった。視覚・聴覚障害者への理解が深まり篤志家からの寄付が増加、学校経営が安定した。その結果、長岡校、新潟校では、しだいに就学率が向上した。
 ・眼科医の産婆学校創設により、眼病予防が効果を上げ、失明者が減少した。
 ・大正15(1926)旧中越盲唖学校跡に新潟県盲人協会が日本初の「点字図書館」、日本初の点字図書配送システム「姉崎文庫」の設立は画期的な企画であった。
 ・盲人福祉団体の結成を支援した。 

4 おわりに
 ・新潟県の訓曚・盲唖学校を創設した眼科医は、日頃の診療をとおして、教育からも職業からも見放され、社会から放棄され、除外された盲人に、障害の良き理解者として、いち早く救いの手を差し伸べ、学習の基盤を培った。
 ・現在では、視覚補助具の目覚ましい進展により視覚障害者の生活や学習方法は変容したが、学習基盤習得の重要性は一世紀前と何ら変わらない。
 ・彼らは普通教育、職業教育の重要性を説き、支持者・協力者を集め、社会的認知、財政基盤を確立し、社会の光の当たらない、手の届かない生活困窮者に温もりの手を差し伸べた。眼科医が盲人とともに、向上を目指す姿勢に心を打たれる。
 ・当時の記録から、病、障害、老い、境遇・・・・ 悩める者すべての虹となり、いのちに寄り添う崇高な人間愛の精神がうかがえる。 

 

表  【学校教育制度と盲唖学校】
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 明治 4年(1871)  明治新政府による「当道座」の解体と「鍼冶講習所」廃止
 明治 5年(1872)  学制制定
 明治 7年(1874) 「医制」わが国初の医療と医学教育の規制法 西洋医学の導入
 明治12年(1879) 教育令
 明治13年(1880) 京都盲唖院開設
 明治14年(1881) 楽善会訓盲院(現:筑波大学附属視覚特別支援学校)
          11月より按摩、鍼冶の教授開始
 明治18年(1885) 「鍼灸営業差許方」布告
 明治19年(1886)   小学校令(第一次)
 明治20年(1887)     官立東京盲唖学校(訓盲唖院が改称)  盲唖学校鍼按科設
 明治22年(1889) 高田訓矇学校創設
 明治23年(1890) 小学校令(第二次) 盲唖学校の設置・廃止事項制定。
          学義務の免除・猶予規定の制定。
 明治32年(1889) 私立学校令 私立盲唖学校の設置・廃止制定
 明治33年(1900) 小学校令(第三次) 義務教育無償の原則
 明治36年(1903)    東京盲唖学校に教員練習科が設置される(全国盲学校数20校)
 明治38年(1905) 長岡盲唖学校創設
 明治39年(1906) 中越盲唖学校創設
 明治40年(1907) 新潟盲唖学校創設
 明治43年(1910) 新発田訓盲院創設
 明治40年代     —–   小学校就学率93%、盲唖学校就学率10%
 明治43年(1910) 朝鮮総督府済生院盲唖部で鍼按指導 (統治1910~1945)
 明治44年(1911) 「按摩術営業取締規則」「鍼術灸術営業取締規則」(1912)により、試験合格か 指定学校卒業後に限り免許鑑札の義務
 明治45年(1912) 鍼灸按摩指定学校全国15校中 新潟盲唖学校、高田訓矇学校、長岡盲唖学校、中越盲唖学校の4校認可
 大正11年(1922) 新潟盲唖学校、長岡盲唖学校の県立移管。
          中越盲唖学校・新発田訓盲院閉校
 大正12年(1923) 公立私立盲学校及聾唖学校令・規程交付
          「盲学校ノ修業年限ハ初等部六年、中等部四年ヲ常例トス盲学校ノ中等部ヲ分チテ普通科、音楽科 及鍼按科トシ」
 昭和16年(1941)  国民学校令公布
 昭和22年(1947)  教育基本法、学校教育法公布される。
 昭和23年(1948)  盲学校・聾学校教育義務制施行される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

 

【略 歴】
 1977年 新潟県立新潟盲学校教諭
 1992年 新潟県立新潟養護学校はまぐみ分校教諭
 1995年 新潟県立高田盲学校教頭
 1997年 新潟県立教育センター教育相談・特殊教育課長
 2002年 新潟県立高田盲学校校長
 2006年 新潟県立新潟盲学校校長
  2015年 済生会新潟第二病院・医療福祉相談室 

 

@小西明先生の紹介
 小西先生は、新潟県の視覚障害教育、特別支援教育に長い間ご尽力され、現在は済生会病院の医療福祉相談室にお勤めです。新潟県の視覚障害教育のことに精通し、多くの引き出しをお持ちですが、今回は新潟県で盲教育で活躍した眼科医についてお話して頂きました。新潟県そして我が国の視覚リハビリテーションの基盤を培った眼科医の功績は大事な事柄です。多くの史実を基にしたお話は重厚で、示唆に富んでいます。  

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●新潟ロービジョン研究会 2016
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171 

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182 

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
   http://andonoburo.net/on/5210 

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189 

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
   
 http://andonoburo.net/on/5217

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医) 

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学) 

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本) 

4. おわりに 
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年12月7日

報告:『新潟ロービジョン研究会2016』  山田幸男
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

演題:「視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室の開設とその意義」
講師:○山田 幸男 田村瑞穂 嶋田美恵子 久保尚人
     (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会) 

【講演要約】
Ⅰ.はじめに
 眼の不自由な人が転びやすいのは、見えないために物につまずくだけではありません。眼はものを見るためだけでなく、平衡を司る器官でもあるため、眼が不自由になるとバランスをくずしやすくなるからです。加えて、眼が不自由になると、運動量が減り筋力が落ちるため、ますます転びやすくなります。転倒を恐れて外出をひかえると、ビタミンD不足になり、さらに転倒しやすく、骨折の大きな原因となる骨粗鬆症にもなりやすくなります。骨粗鬆症は骨折を、骨折は寝たきりの原因ともなります。

 私たちの検討では、眼の不自由な人の中には、バランス能力を示す片足立ちや、運動能力を示す歩行速度、さらに全身の筋力を示す握力などの検査で基準値以下の人がたくさんみられます。

 そこで私たちは、少々のつまずきでも転ばない、歩くことのできる体力の維持、サルコペニアやロコモの予防、将来の寝たきり予防のために、20年ほど前から毎月1回開いてきた歩行講習会(1996年から誘導歩行を、1999年から白杖歩行)の中に、2014年から「転倒予防・体力増進(以下、転倒予防)教室」を併設しました(図1)。

 図1.転倒予防・体力増進教室、歩行講習会のあゆみ 

 

 転倒予防教室の内容は講義と実技からなります。講義は、医師によるロコモ、サルコペニア、フレイル、骨粗鬆症など、看護師によるフットケア、栄養士による転倒予防と食事(ビタミンDも含めて)、などです。

 実技は、身体計測(血圧、握力、腹囲、体重、開眼片足立ち時間、最大一歩幅、5メートルの歩行時間など)を行ったあとに、参加者全員でラジオ体操その他を行います。さらに誘導歩行と転倒予防の希望者には、誘導歩行を30分行い、その後、筋トレ、スクワット、片足立ちなどを30分行います。白杖歩行の希望者は60分間白杖歩行の指導を行います。

 この度、転倒予防・体力増進教室の開設経緯とその効果について検討しました。 

Ⅱ.対象と方法
 対象:2014年8月に開始した第1回「転倒予防・体力増進教室」に毎月1回1クール5回参加した視覚障害者15名(男性3人、女性12人)を対象としました。

 方法:運動開始前に行った身体計測値の変化を検討しました。さらに11名には、教室参加の意義や楽しさ、自宅での運動状況などについて電話によるアンケート調査を行いました。 

Ⅲ.結果
 歩行速度・握力ともに異常なしの人(サルコペニアではない)が11人(73.3%)です。身体計測では、4カ月後には開眼片足立ち時間と最大一歩幅は向上傾向を認めたが、握力や5メートル歩行速度では変化を認めませんでした。

 アンケート調査では、教室に参加後、歩行の歩数が増え、運動するようになった人が7割に達しました。参加して体力がついた・楽しい(64%)、動きがよくなった・転びにくくなった(55%)など、参加して運動効果を認める人が多くみられます。およそ半数の人が、教室は転倒予防に有効、参加して体力がついた、自宅でも運動をするようになった、タンパク質を多く摂取するようになった、などと答えています。 

Ⅳ.考案
1.参加者のほとんどが転倒予防・体力増進教室を選択
 転倒予防開設時、誘導、白杖、転倒予防の3コースの中から、希望コースを選んでもらったところ、ほとんど全員といっていいほどの人が転倒予防のコースを選択されました。珍しさもあってのことかと思っていたところ、その後も毎回ほとんどの人が転倒予防コースを希望です。これでは本家本元の誘導・白杖歩行が消滅しないとも限りません。

 そこで1年後には、転倒予防教室を重視しつつ、白杖や誘導歩行にも参加してもらうために、開設時考えた3コースを2コースに減らしました。誘導と転倒予防を1つにした誘導・転倒予防体力増進コースと、白杖歩行の2つのコースです。どのコースを選択する人も転倒予防の講義を15分聞き、さらにラジオ体操と筋トレを15分間することにしました(図2)。その後、白杖と、誘導-転倒予防の2グループに分かれます。白杖コースの参加者は白杖歩行実技1時間、誘導・転倒予防コースの人は誘導歩行の実技30分、転倒予防体力増進の実技30分の合計1時間です。このやり方だと、転倒予防の講義を15分聞くことができ、かつ誘導歩行の人も、また転倒予防の人も、転倒予防の実技を45分(講義と実技で合計60分)できるので不満は少なくなりました。

 図2.転倒予防・体力増進教室、歩行講習会のプログラム 

 

2.教室の効果
 眼が不自由でも「自分の行きたいところに自分の力で移動し、やりたいことができる」ようにと、1996年から歩行講習会を開いてきました。今回は2年前に始めた転倒予防教室が、その目的を達しているかどうかを検討しました。その結果、参加して4カ月後には、最大一歩幅、開眼片足立ちでは向上を認め、また歩く歩数が増えた人もたくさんみられました。

 ときどき思い出して体操をする、ラジオ体操やスクワットが身についた、家ではキッチン台につかまって運動をしている、など運動意欲が向上し、転びにくくなったことも大きな効果です。参加しなくなって転びやすくなった、体力が元に戻った、太った、などの声も聞かれます。肉は嫌いだがなるべく食べるようにしている、もともと肉は好きで安心して食べられるなど、食事面でも意識の変化もみられます。 

Ⅴ.今後の課題
 下肢の力は歩行、体のバランス維持に重要です。今回は下肢の力は握力で代行しましたが、腰・膝の疾患のある人は握力が正常でも下肢筋力の低下の可能性があります。足趾筋力測定器具などを用いて足趾筋力の測定を行い、低下者には下肢筋力アップの運動を勧めたいと考えています。県内に10数か所あるパソコン教室姉妹校でも転倒予防教室を開いて、パソコン教室の充実につなげたいと考えています。

 勉強のため参加している、現状維持でもうけもの、今はこれが一番の健康法、習ったことを自分なりにもっと時間をかければ体力はつくと思う、教室参加は必ず転倒予防に役立つはず、などの声も多いので、スタッフ一同自信をもってさらに発展させたいと考えています。「体操も、講義内容もいいので、健常者にも広げないともったいない」との指摘もあるので、今後もっと晴眼者にも紹介してゆきたいと考えています。

 

【略 歴】山田幸男(やまだ ゆきお)
 1967年(昭和42年)3月  新潟大学医学部卒業
    同年(昭和42年)4月  新潟大学医学部附属病院インターン
 1968年(昭和43年)4月  新潟大学医学部第一内科に入局。内分泌代謝斑に所属
 1979年(昭和54年)5月  社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
 2005年(平成17年)4月  公益財団法人新潟県保健衛生センター
  日本内科学会認定医、日本糖尿病学会専門医、日本内分泌学会専門医
  日本病態栄養学会評議員  

@山田幸男先生の紹介
 私の最も尊敬する先輩の一人です。内科医ですが新潟で視覚障害者のための視覚リハビリを立ち上げ、県内10数か所にパソコン教室を作る原動力となり、白杖歩行は勿論、誘導歩行、見えない方のお料理教室・お化粧教室・ピアカウンセリング等々を実行しています。

 一番すごいところは、とにかく眼の不自由な方が集まってお茶を飲むというサロンを開放していることです。こうした中から患者さんの心のケアを行い、やる気を引き出しているのです。自分たちの持っているものを患者さんに教え込もうとするリハビリの押しつけとは一線を画しているのです。 

 

●新潟ロービジョン研究会 2016 プログラム
0.はじめに
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)

4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年11月28日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 3)岩瀬 愛子
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 
演題:「最大のロービジョン対策とは?私の緑内障との闘い」
講師:岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科) 

【講演要約】
1 視覚障害原因としての緑内障
 日本における中途視覚障害の原因として、視覚障害者手帳申請の原因疾患統計がよく引用される。この報告において、2004年に糖尿病網膜症を抜いて1位になった緑内障は2014年の報告においても依然として1位のままである。一方、日本緑内障学会が実施した2つの疫学調査、多治見スタディ・久米島スタディにおいても、緑内障はロービジョン原因疾患の上位3位内に入っている。

 臨床統計と疫学調査のどちらの点からみても、緑内障がロービジョン対策に重要な病気であることは明白である。そして、この2つの疫学調査が示したもう一つの緑内障の特徴は、緑内障になっている人で診断時までに未発見であった人の多さであり、多治見スタディでは89.5%、久米島では75%であった。すなわち両眼で補ってしまうなどの理由で、進行しなければ自覚症状が出ないところに緑内障の怖さがあり、未発見のまま治療開始が遅れ緑内障が視覚障害原因となる背景がそこにある。
 

2 緑内障の早期発見には眼科検診と啓発活動
 早期発見には「眼科疾患のための眼科検診」が必須であるが、日本眼科医会の調査では、成人眼科公的検診が実施されているのは全国自治体の20%以下であり、特定検診以外の方法で実施している自治体は3.7%に過ぎないと報告されている。岐阜県多治見市では、1995年より節目検診の形で40歳以上の5歳きざみの眼科検診を始め、緑内障を始めとする眼の病気の早期発見を目指してきた。自治体によるこうした眼科検診には法的根拠もなく、予算も厳しい中で、眼科医が常に強く発信しないと消滅してしまいそうになるが、幸い現在まで継続してきている。

 現在、節目検診だけではなく、さまざまな機会をとらえて検診受診者を増やしてはきたが、多治見市の眼科検診受診者は、まだ年間2,000人くらいにしかならない。2000年から2001年に実施された多治見スタディは、日本緑内障学会の疫学調査であったが、多治見市では、同時に「多治見市民眼科検診」の形で、対象年代である40歳以上の検診受診希望者全員に、多治見スタディと同一機器による眼科検診を年間通して行った。この時は最大の広報活動を行ったこともあり、市民の関心も高く、疫学調査の対象者を合わせての検診受診者は17,800人であり、これは多治見市の当時の40歳以上の人口54,000人の約30%であった。現在の年間検診受診者はこの約1/9に過ぎない。市の検診体制の弱さにも原因があるかもしれないが、眼科検診に対する市民の関心を維持できていないせいもあると考えた。これは、ひとえに眼科医の責任である。 

 今、緑内障早期発見のためにできることは、緑内障の正しい知識と眼科検診の重要性を理解して自ら眼科検診を受ける人を増やす活動をしなければいけないと思った。それは、一自治体の中で、検診受診者を増やす努力をするだけにとどまらず、もっと広く情報を発信する手段が必要ではないか?と考えた。「ライトアップinグリーン運動」はそうした啓発活動の一つである。「ライトアップinグリーン運動」は、毎年3月に世界中で展開される啓発活動期間である「世界緑内障週間」に、全国のいろんな施設で緑色のライトアップをして緑内障という病気に関心をもっていただこうという日本緑内障学会の運動である。2015年の3月から全国5か所で始めたが、2016年の3月には点灯場所が20か所になった。緑色の光の意味は、「緑内障の早期発見」「継続治療」、そして、「希望」である。

 「早期発見」ができるのが一番の進行予防対策であり、失明予防対策である。緑内障だからといって、すべての人が失明するわけではない。「早期発見」し治療によって進行を緩やかにすることができれば「見える」には大いに役立つ。一方、早期発見ではない場合でも「治療を継続」することで、少しでも「見える」を維持することができる。お一人でも多くの「見える」を確保できますようにという「希望」を込めて全国に緑の光の輪が今後も広がりますように。治療の研究の発展とこうした広報活動で、緑内障が失明原因の1位ではなくなりますように、見えにくくなる方が一人でも少なくなりますようにとの思いを込めての活動である。 

3 今、眼科医として自分ができることは何か?
 高齢者は、緑内障他の眼の病気になりやすいだけではなく、さまざまな全身の疾患を抱えていることが多い。しかし、そうした場合、公的制度のはざまで、本当にその人が希望しているサポートが得られていない例がたくさんある。例えば、高齢者は介護保険優先の原則とされるも、複数の疾患がある場合自治体のルールなどによっては、両方のサービスから外れてしまい、本来必要な助けを受けられなくなっている場合がある。今回の発表では、たじみ岩瀬眼科に通院中の方の事例をお話しした。

 眼科医は医療によって患者さんの眼疾患の治療をするだけではなく、自らの知識を持って、医療だけではカバーしきれない支援を必要とする患者さんがよりよく生きるための努力をしなければいけない。ロービジョンケアへの取り組み、医療と福祉の中でのその方に適したより良い環境の確保も眼科医の責任である。見えにくくしないための医療、でも、見えにくくなった時、「どう支援すればいいのか?」「それはその人が本当にして欲しいことなのか?」、「今、自分ができることが何か?」振り返れば、足りないことばかりであり身が引き締まる思いである。 

【略 歴】
 1980年 岐阜大学医学部医学科卒業
 1990年 多治見市民病院眼科医長
 1995年 多治見市民病院眼科診療部長
 2000年 多治見市保健センター非常勤医師兼任
 2005年 多治見市民病院副院長
 2009年 たじみ岩瀬眼科院長

 たじみ岩瀬眼科HP
 http://www.iwase-eye.jp/ 

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【岩瀬愛子先生の紹介】
 祖父が緑内障であったことから、生涯緑内障による視覚障害撲滅のために闘っている先生。長年、地方で病院勤務医・開業医として活躍していながら、日本緑内障学会・日本視野学会の会長も歴任され、国際視野学会のメンバー(Vice Presiden)でもあります。有名な多治見スタディーの実質的中心人物です。今回の締めくくりも、
岩瀬先生が語ると重い言葉となります。曰く、「眼科医は医療によって患者さんの眼疾患の治療をするだけではなく、自らの知識を持って、医療だけではカバーしきれない支援を必要とする患者さんがよりよく生きるための努力をしなければいけない」。
(文責;安藤伸朗) 

@国際視野学会 主要メンバー
 http://www.perimetry.org/GEN-INFO/groups.htm 

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新潟ロービジョン研究会 2016 プログラム
0.はじめに
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
   http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5182
 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
   http://andonoburo.net/on/5189
 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)
3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)
4. おわりに   
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医) 

2016年11月25日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 2)三宅 琢
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)  

 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告しています。今回は、三宅琢先生の講演要約です。
 

演題:「情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア」

講師:三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)

【はじめに】
私はiPadやiPhoneといったICT(Information and Communication Technology)機器を用いたロービジョンケアをデジタルビジョンケアと称し、医療や就労の分野において眼科医や産業医の立場で2011年より5年間実践して来た。本講演では私の専門性である〝人と社会を診る医療〟について紹介した。具体的には意欲のケアとしてのデジタルビジョンケア、自らの個性を知り提案できる力であるセフルアドボカシー、障害を強みにするバリアバリューの三つのテーマを中心に5年間での学びと気づきを紹介した。 

【デジタルビジョンケアによる意欲のケア】
これまでの視覚障害者に対する補助具に当たるルーペや拡大読書器等のロービジョンエイドよる視機能の向上に加えてICT機器の活用による情報保障は、視覚障害者の視認や読書意欲を向上させて情報障害に陥ることを予防する上でとても重要な意味を持つと考える。 

デジタルビジョンケアの導入には従来の視機能の把握によるロービジョンケアに加えて、患者のニーズに当たる必要な情報を把握することが極めて重要である。例えば視力低下により出社困難となった弱視の女性の例では、iPadの前面カメラを拡大できる鏡として活用することで化粧が可能となり出社が可能となった。また背面カメラを用いた簡易式の拡大読書器としての活用を提案した事例では、爪切りや食事の補助に活用がされた。こられの事例より患者のニーズや困難さは患者の中にしかないため、患者教育に加えて患者から学ぶ姿勢の大切さに気付かされる。 

また読書に関する意欲ケアでは拡大よりもテキスト情報をデジタル化することで文字の書体やサイズ、文字や背景の色調、構成等が適正化されることが何より重要である。デジタル情報であれば適宜音声読み上げ機能等も併用することが可能なため読書の方法の選択肢が広がる。これまでは障害に合わせて生きる時代であったが、情報はデジタル化された現在では情報を障害に合わせる時代へと変化したと言える。 

全盲者へのiPhoneを用いた情報保障では情報の可視化が重要である。ある全盲者の活用事例では、複数の国を移動する際の困難さとしての紙幣の識別をiPhoneの背面カメラを用いた紙幣識別のアプリケーションソフトウェア(以下アプリ)で紙幣情報を音声化することで可視化し困難さは解消された。この事例を通した学びは視覚障害者が困難に感じるのは、視機能の低下に加えて生活に必要な情報の取得が困難であることである。また適切な情報保障のツールとして、ICT端末と日々登場する生活情報を可視化する安価アプリ群はとても有用であることを伝えている。 

【自己権利擁護としてのセフルアドボカシー】
中途で視覚障害者となった労働者へのICT機器を用いた合理的配慮の事例では、視機能の評価に基づく適切なロービジョンエイドとICT機器の選定と特別利用の許可、支援支援施設等の情報提供の重要性について解説した。 

また配慮の必要性の医学的根拠の取得方法や具体的な対策方法の提案等は、当事者本人が自身の機能低下と改善方法を産業医、企業内産業保健スタッフ、眼科医等とともに考えることで実現可能な配慮の提案をする力(セルフアドボカシー)の重要性を紹介した。障害者の就労や就学における合理的配慮の提供が義務化にともない、今後セルフアドボカシーに関する教育の啓蒙の重要性は増すと考えられる。 

【障害を強みにするバリアバリュー】
私の知人の中途失明の精神科医は、精神科に通う患者の表情や外見が見えなくなることでより患者の感情の揺れを声で評価することが可能になったと語った。バリアバリューの概念においては、視覚情報を損失することで得られる聴覚や触覚、嗅覚の機能向上を強みにすることを検討している。産業医は企業内で労働者に関するさまざまな就労上のアドバイスを行う職務をもち、今後産業医の企業内で活躍がバリアバリュー事例を増やす上では需要であり、企業や業界の枠を超えた成功事例の共有が行える場の提供が必要であると考える。 

【おわりに】
視覚障害者である患者にとってのQOLに直結するQOV(Quality of Vision)の向上に必要なケアは、屈折矯正や眼科的治療だけではない。患者は教科書であると言われるように、患者のニーズは患者の中にしか存在しない。丁寧な問診を重ねることで患者のニーズに耳を傾けて、患者に聞くという姿勢を持って、彼らの視機能に加えて困難さにも関心を持つことが重要である。

 情報時代に適合した情報保障の一つとして、ICT機器によるデジタルビジョンケアは一つの医療の形であると私は考える。障害者や患者という名前の人間はおらず、彼らが不便であっても不幸にしないためには、人の意欲と社会(環境)を診る産業医が必要であり、患者を治すよりも患者自身が治る医療の形をこれからも産業医、眼科医として追求し続けて行きたいと思う。
 

【略 歴】
 2005年 東京医科大学医学部 卒業
 2007年 東京医科大学眼科学教室  社会人大学院
 2012年 東京医科大学眼科学教室  兼任助教
 2013年 東京大学先端科学技術研究センター 人間支援工学分野 特任研究員
 2014年 神戸理化学研究所 網膜再生医療研究開発プロジェクト 客員研究員
     株式会社ファーストリティング 産業医  

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三宅 琢先生の紹介】
 彼の語るロービジョンケアは、夢があります。聞いていてワクワクします。そして常に将来を見据えています。「障害を武器に」と彼が語ると、そうだなと納得できます。医学医療をはみ出した活躍をする三宅節は注目です。 

 

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新潟ロービジョン研究会 2016
 
日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部)
0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
    http://andonoburo.net/on/5171

 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)

 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)

2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)

 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)

 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)

 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)

3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)

4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2016年11月24日

報告『新潟ロービジョン研究会2016』 1)橋本伸子
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

 新潟ロービジョン研究会2016は、10月23日(日)有壬記念館(新潟大学医学部)で行いました。研究会での講演を順次報告致します。今回は、橋本伸子さんの講演要約です。 

演題:『看護師が関わるとこんなに変わるロービジョンケア』
講師:橋本 伸子(看護師;石川県 しらお眼科)

【講演要約】
Ⅰ.はじめに
 多くの方は、ロービジョンケアというと、眼科医や視能訓練士が中心となると考えていることと思う。しかし、実は多くの職種の方がさまざまに関わる事ができる。そしておのおのの立場でケアに加わることで、広く深いケアになる。 

Ⅱ.看護師が関わると何が変わるの?
1)ケアの視点
 看護師はケアのプロである。かつ、患者さんの意見や不満を、よく聞く立場にあることを強く意識している。それは、ロービジョンケアの領域でも同様だ。私達看護師が関わったなら、まず最初に出てくるのは、見えにくくなってからの排泄の自立、栄養や清潔の保持など生活の自立についてだ。

 なぜなら、私達には、初めから自立支援のための援助が叩き込まれている。残存機能を活用して、地域でいかに自分らしく自立して生活していけるか。それは、私達が他科で経験している脳血管障害の後遺症で麻痺が残った方への援助や、脊髄損傷で車椅子で生活をするための援助と全く同じ考え方なのだ。 

2)羞恥心を伴う排泄ケアにも踏み込む
 私達が、まず最初に考えるのは、もっとも人に頼みたくない排泄の自立だろう。こういう羞恥心を伴う問題にも当然のニーズとして踏み込める。皆さんは、自分の勤務する職場や駅などでトイレに使いにくさがないか考えた事があるだろうか?トイレの流し方に戸惑った経験はないだろうか?

 従来のスタンダードなタンク横のカランが付いてるタイプ以外に、手動及び自動センサー、あるいは壁にパネル式のボタンがあったりと、流し方が多様化している。なぜなら、JIS企画では、触知記号の位置や意味が決まっていない。決まっているのは、起点になるボタンにマークを使用するとの方針のみだ。そのため、触知記号をどのボタンに採用するかはメーカー独自の対応となっている。

 これでは、慣れた場所のトイレ以外は使いにくい。トイレの不安があると外出が億劫になる。そのため、活動が低下している場合に、要因の1つとして排泄に対する不安が無いか、真剣に考えなくてはいけない。 

3)視機能だけではなく、その人全体を総合的に捉える
 見えにくくなったという訴えがあり、視機能に変化はない時、私たちは、生活のリズムや質に変化がないだろうかと考える。睡眠はとれているだろうか?食事はとれているだろうか?体重減少はないだろうか?他の基礎疾患の有無、コントロール状態はどうだろうか?と考える。

 食事についても、クロック式の配膳ということばかりでなく健康に必要な栄養が取れているかという視点で考える。生活背景や環境、生活習慣、家族での役割、経験値などを含めた視点で考える。 

Ⅲ.私が行っているロービジョンケア
 私が多く関わるのは、見えにくさを訴えられる成人のケアだ。大切にしているモットーは『人にお願いする事が1つでも減るためのケア』であり、自立を妨げる支援にならないように注意している。

 具体的にどんな事をしているの?と問われると特別なことはない。例えば、皆さんは、ご存知だろうか、目の前にいる患者さんが、どうやって通院しているか?朝、起きてから病院に到着するまでの生活を?

 私達看護師は、患者さんのニーズを良く知っている。気軽に話せる関係性を日常から築いている。何か私にできる支援はないか?というスタンスではない。逆である。こちらが学ぶ姿勢である。彼らがやってのけている日常生活から知恵と工夫を拝借する。それは、今、不便を感じているかたのニーズと合致する事が多い。そのコツをメッセンジャーとして伝授していく。そこで、また一緒に考え、新しい工夫が生まれる事を共に楽しみながら行っていく。例えば、ルーペの固定が上手く出来ない時は、ルーペの達人の技から学んだり、手の癖を見てコツ要らずの小道具を作成したり、小銭の仕分けの工夫や、毎日買い物には行けなくても困らない作り置きメニューの工夫、学校や町内会の役員のこなし方や、雨の日に白杖と傘で両手が塞がる時の工夫などと学ぶことは多い。現場だからこそ得られる情報である。つまりは、教えるケアではなく、教わるケアなのである。 

Ⅳ.おわりに
 看護師の行うケアとは、目の前の人が何か困っていないか、どうしたら良いかを毎日毎日気に掛け、解決法を一緒に考えて他人(先輩)から学ぶことの繰り返しである。

 看護師が関わると視点が変わるように、他(多)職種が関わる事で、より細やかなロービジョンケアが行えるようになり、ロービジョンケアは発展し拡散することができる。今回タイトルを『看護師が関わると』としたが、これは、例えば『栄養士が関わると』や、『内科医が関わると』『〇〇が関わると』と何でもありである。自分に出来ることに置き換えてると、多くの細やかなロービジョンケアが生まれる。その(他)多職種連携と拡散こそが大事であり、これから必要になってくると考えている。 

 

【プロフィール】 橋本 伸子(看護師;石川県 しらお眼科)
 1991年〜1996年 リハビリテーション加賀八幡温泉病院 外来勤務
          (現在の名称は、やわたメディカルセンター)
 1997年〜2015年 2月 眼科わじま医院勤務
 2015年3月〜  しらお眼科勤務
・3人の子供を持つ母
・「視覚障害者ITサポート友の会」メンバー
・平成25年度石川県バリアフリー社会推進賞福祉用具部門 優秀賞(iPadコロコロ号)
・2016年 i see Working Awards 就労アイデア『価値変換賞』
 ロービジョンケアは、いつもお世話なってる地域の皆様への恩返しであり、町医者に勤務する私にできる地域還元だと考えてる。 

【橋本伸子先生の紹介】
 看護師はケアの専門家。橋本さんによると、「ロービジョンケアがケアであるなら、看護師の力は必要なはず。しもの世話でも何でもやります。看護師は、健康維持、栄養や排泄、清潔保持さらにはセルフケア支援を行うことが出来ます。すなわち視機能だけでなく、全体として捉え残存機能を最大限にいかすことが出来るのです。」
 私は、いままでこんなことを言った看護師を見たことがありません。正論を堂々と言える人。開業医の看護師であり、かつ地元でiPad活用教室を主催する。ご本人は意識していないが、Think globally, act locallyを地道に実践中。
 彼女が将来の日本のロービジョンケアを変える一人であることを確信しています。ご注目ください。

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新潟ロービジョン研究会 2016
 日時:平成28年10月23日(日)
 場所:有壬記念館(ゆうじんきねんかん;新潟大学医学部) 

0.はじめに
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科医)
1.【第1部 連携を求めて】
 1)看護師が関わると、こんなに変わるロービジョンケア
   橋本 伸子(しらお眼科;石川県白山市、看護師)
 2)情報障害に情報保障の光を、患者に学ぶビジョンケア
   三宅 琢(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員;眼科医)
 3)視覚障害者のための転倒予防・体力増進教室
   ○山田 幸男 田村 瑞穂 嶋田 美恵子  久保 尚人
   (新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会;NPOオアシス)
2.【第2部 眼科医療と視覚リハビリ】
 1)最大のロービジョン対策は予防と治療:私の緑内障との闘い
   岩瀬 愛子(たじみ岩瀬眼科;岐阜県多治見市、眼科医)
 2)新潟県の訓矇・盲唖学校設立に尽力した眼科医
   小西 明(済生会新潟第二病院医療福祉相談室、前新潟盲学校長)
 3)我が国初の眼科リハビリテーションクリニック(順天堂大学)
   ー開設当時を振り返ってー
   佐渡 一成(さど眼科;仙台市、眼科医)
 4)眼科医・原田政美の障害者福祉理念と功績
   香川 スミ子(元 浦和大学)
3. 【第3部 熊本地震を考える】
  「熊本地震と災害時視覚障害者支援」
   出田 隆一 (出田眼科院長;熊本)
4. おわりに  
   仲泊 聡(神戸理化学研究所;眼科医)

2015年9月7日

 新潟ロービジョン研究会2015は、「ロービジョンケアに携わる人達」をテーマに、8月1日(土)済生会新潟第二病院で行いました。研究会での講演を順次、報告しています。今回、大島 光芳(当事者、上越市)さんの講演要約をご紹介します。

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報告:『新潟ロービジョン研究会2015』  (8)大島 光芳
 演題:嬉しかったこと役立ったこと(患者の立場として) 
 講師:大島 光芳 (上越市) 

【講演要約】
 2009年4月に大学病院眼科の廊下待合で妻がロービジョン外来の貼り紙を見つけ、その日に担当医を通じて予約してもらいました。6月に初受診するとこの先生なら大丈夫、この先生の言う通りにやって行こうと思いました。 

 7月に休職を開始、市役所を訪問。福祉課の保健師さんが応対され、障害者相談支援センターの相談員を紹介下さいました。相談員の支援で7月に障害者手帳を申請、8月下旬2級が交付(翌年5月1級)、9月に支援計画、10月に移動支援16時間、11月20時間へ更新、12月に通院介護13時間と家事援助10時間を追加。2010年10月に移動支援30時間へ更新。 これらの福祉制度を受けられたことで私は人生の隘路をくぐり抜けられたと感じています。キーマンは相談員と保健師さんでした。「障害者手帳の取得」の先にこんな社会資源と福祉制度があることを知って頂きたくて話しました。 

 当時を振り返ると、お盆が過ぎると陽射しが弱まり気持ちが優しくなりました。両親の言葉を思い出し、余計なことを考えないで、とにかく忙しく、忙しく過ごせば何とかなるだろうと思っていた記憶があります。10月にサービス提供先のチーフがいいました。「移動支援ではいつでもどこへでも何にでも出かけられます。楽しみに出かけましょうね。」。この言葉を受け、私は12月の東京通院を予約しました。 しかし、この事業所は市外でのサービス提供ができませんでした。相談員が通院介護と県外へも出かけられる事業所を用意してくれました。 

 奮い立とうとする気持ちの一方で保育園児のような気分もありました。妻がちょっと近くだからと黙って出ようとすると「どこへ行く」と後追いしました。それと、務めていたから誰とも話せない時間がどうにも堪りません。つのる寂しさに耐えきれず相談員に訴えました。お昼に弁当を購入して届けてもらうと、日中に少し話ができただけで取り残された感覚が消えました。 これは相談員が家事援助は奥さんがいるから駄目ですと言っていたのに対して「これは食う食わないの問題ではないです。生きるかどうかなのです。」と私が言うと、やってみましょうと回答し、交渉してくれたおかげでした。 

 2010年1月に保健師さんが両方の提供先と相談員を私の家に集めてサービス提供会議を開催してくれました。3月の会議では4月から新潟大学病院通院は通院介護でホームヘルパーさんと一緒に列車で行くことが認められました。毎月のこの経験があったから10月には新潟市へも1人で出かけることができたのでした。 直江津駅から列車内を一人で2時間過ごして、新潟駅からは新潟市のガイドヘルパーさんの移動支援で動き出すと、次々と新展開が待っていました。 

 ケアを受けた後に私達が社会資源とどうかかわるかを知って頂く事が患者の立場だと思い至り、急遽タイトルで予定していた内容を変更し話しました。 相談員も汲み取って下さる人ばかりとは思えません。また許諾機関を説得するのが必ずしも得意でないかも知れません。保健師さんも状況によってはできない場合もあります。その時に患者はどうしたらいいのかを考えて頂きたいのです。その時に、このようなケースもあったと知っていて欲しかったのです。 

【略 歴】
 1950年に生まれ、64年に直江津市中学校新人戦野球大会で準優勝
 2009年 新潟大学ロービジョン外来受診、その日に新潟県点字図書館登録
     NPO法人新潟県障害者自立支援センターオアシス 利用会員
 2010年 任意団体 上越市視覚障害者福祉協会 会員
 2011年 社会福祉法人 新潟県視覚障害者福祉協会 会員
     任意団体 新潟県中途視覚障害者連絡会 会員、日本点字図書館登録
 2013年 視覚障害リハビリテーション協会 会員 

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『新潟ロービジョン研究会2015』
  日時:平成27年8月1日(土)14時~18時
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
  テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」 

【プログラム】
14時~はじめに 安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医)
14時05分~特別講演
  座長:加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
  『世界各国と比べた日本のロービジョンケア』
    仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/3843

15時~パネルディスカッション ~ 『ロービジョンケアに携わる人達』
  司会:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医)
     仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
  1)眼科医が行うロービジョンケア
    加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
    http://andonoburo.net/on/3923

 2)NPOオアシスでやってきたこと、行っていること
    山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
    http://andonoburo.net/on/3952

 3)ロービジョンケアにおける視能訓練士の関わり
    西脇 友紀(国立障害者リハビリテーションセンター病院;視能訓練士)
   http://andonoburo.net/on/3982

 4)新潟盲学校が取り組む地域支援
     渡邉 信子 (新潟県立新潟盲学校;教諭)
   http://andonoburo.net/on/3990

 5)盲導犬とローヴィジョン
    多和田 悟 (公益財団法人:日本盲導犬協会 訓練事業本部長 常勤理事)
  http://andonoburo.net/on/3999

 6)後悔から始まった看護師によるロービジョンケア
    橋本 伸子(石川県;看護師)
  http://andonoburo.net/on/4007

 7)嬉しかったこと、役立ったこと (患者の立場から)
     大島 光芳 (上越市;視覚障がい者)
  http://andonoburo.net/on/4013

2015年9月6日

 新潟ロービジョン研究会2015は、「ロービジョンケアに携わる人達」をテーマに、8月1日(土)済生会新潟第二病院で行いました。 「報告:『新潟ロービジョン研究会2015』」と題して、研究会での講演を順に報告しています。今回、橋本 伸子(看護師)さんの講演要約をご紹介します。

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報告:『新潟ロービジョン研究会2015』  (7)橋本 伸子
 演題:後悔からはじまった看護師によるロービジョンケア
 講師:橋本 伸子 (看護師;しらお眼科、石川県)

【講演要約】
 なぜ、看護師がロービジョンケアを?これまで何度も聞かれてきた質問である。それは、20年前にさかのぼるが、見えなくなったらどうしようと、頻回に通院していた方が、見えなくなった途端に通院をやめた事がきっかけである。不安への傾聴以外に、自分に、できることがあったのではないだろうかと後悔したからである。傾聴だけでは、その人の明日は変わらない。何ができたのだろうか。

 当時、私は、リハビリテーション施設が整った病院に勤めていたので、見えなくなっても、自分の病院で歩行訓練を受け日常に戻っていけるものだと思っていた。ところが、PT(理学療法士)もOT(作業療法士)も中途失明者の歩行訓練は、行っていないことを知った。それは、驚愕であった。え?では、見えなくなった人たちはどこで歩行訓練を受けられるのだろう?どうやって日常に戻っていくのだろう?ここからの探究がロービジョンケアの入口であった。

 人生半ばにして視覚障害者になる方に、接する位置にいる私たちは、社会資源と繋ぐ窓口になる必要があると強く感じた。それは、病院の会計で高額医療費の説明ができる事と同じように、対象と接する者が知識を持っているべきであると。それが、福祉難民を予防する事にもなるのではないかと。そして、石川県視覚障害者情報文化センターにたどりついた。実際に訪問し、歩行訓練や家事訓練、音声図書の貸し出し、生活相談など事業内容と利用方法について知った。

 私には傾聴以外に、この情報を伝える必要があったのだ。社会資源に、早く繋がるということは、自立への近道となるということである。もし、我々、看護師が地域の社会資源に繋がる情報を持ったならば、眼科通院をやめたかたにも情報を拡散できるルートとなる。それは、大変重要なことである。どれだけ熱心な眼科医がいても、どれだけ優秀な視能訓練士がいても、眼科通院をやめたかたに繋がることは難しい。

 私たち看護師の分布は保健所、市町村、病院、診療所 助産所、介護老人保健施設、介護老人福祉施設、訪問看護ステーション、社会福祉施設、居宅サービス、事業所、研究機関、看護師養成所と多岐にわたる。

 眼科以外に存在する事が、最大の強みである。風邪をひけば内科を受診するし、腰が痛ければ整形外科には受診するということである。しかし、我々、看護師に向けてロービジョンケアや視覚リハビリテーションについての啓発はあまり行われていない。

 看護師は眼科に従事する職種の中で、職業人口自体が圧倒的に多い。看護師1,571,647人(2014年看護協会)、眼科医13,724人(2010年日本眼科医会)、視能訓練士9,351人(2010年日本視能訓練士協会)である。そんな私たちに向けて、ロービジョンケアや視覚リハビリテーションの教育や啓発を行わない手はない。情報拡散の大きなマンパワーとなるだろう。

 また、私たち看護師は、このように社会資源と繋ぐコーディネーター役も重要であるが、ノウハウを共有するメッセンジャー役にもなる。それは、多くの患者さんから学ぶ事ができるポジションであることを生かし、ベテランの見えにくい方複数から、生活の中の知恵や多くの工夫を学び、そのノウハウを今、その情報を必要としている方に、共有し伝えていくことである。

 私のこれまでの経験では、自分のノウハウを、出し惜しみする人は、一人もいない。例えば、小銭の見分けがつかなくなって困っている。特に10円玉と100円玉がわかりにくい。→横のギザギザを触れば有無で区別できる。または、小銭財布は、1円と5円。10円と50円。100円と500円。と3つに仕分けできるものが便利。という具合に、複数のノウハウを知り情報提供をすることができる。

 さらに、私たちが関わることで期待するのは、ケア自体の発展である。私たちは、排泄にも関われるケアのプロである。これまでは、歩行や移動、文字の見えにくさ、情報障害、教育支援、就労支援について議論されることが多かったが、私たち看護師が多く関わることで、これまで取り上げられることがなかった、清潔の保持や栄養や排泄など基本的な欲求にたいしてのケアの発展が最も期待される。それを実現していくために、今後、看護師を対象にしたロービジョンケアや、視覚リハビリテーションに対しての積極的な教育や啓発が必要である。


【略 歴】
 1991年〜1996年 リハビリテーション加賀八幡温泉病院 外来勤務
              (現在の名称は、やわたメディカルセンター)
 1997年〜2015年 2月 眼科わじま医院勤務
 2015年3月〜   しらお眼科勤務
 「視覚障害者ITサポート友の会」のメンバーでもあり、3人の子供を持つ母でもある。


 
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『新潟ロービジョン研究会2015』
  日時:平成27年8月1日(土)14時~18時
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
  テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」

【プログラム】
14時~はじめに 安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医)
14時05分~特別講演
  座長:加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
  『世界各国と比べた日本のロービジョンケア』
    仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/3843

15時~パネルディスカッション ~ 『ロービジョンケアに携わる人達』
  司会:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院;眼科医)
     仲泊 聡(国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
  1)眼科医が行うロービジョンケア
    加藤 聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
    http://andonoburo.net/on/3923

 2)NPOオアシスでやってきたこと、行っていること
    山田 幸男 (新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
    http://andonoburo.net/on/3952

 3)ロービジョンケアにおける視能訓練士の関わり
    西脇 友紀(国立障害者リハビリテーションセンター病院;視能訓練士)
   http://andonoburo.net/on/3982

 4)新潟盲学校が取り組む地域支援
     渡邉 信子 (新潟県立新潟盲学校;教諭)
   http://andonoburo.net/on/3990

 5)盲導犬とローヴィジョン
    多和田 悟 (公益財団法人:日本盲導犬協会 訓練事業本部長 常勤理事)
  http://andonoburo.net/on/3999

 6)後悔から始まった看護師によるロービジョンケア
    橋本 伸子(石川県;看護師)
  http://andonoburo.net/on/4007

 7)嬉しかったこと、役立ったこと (患者の立場から)
     大島 光芳 (上越市;視覚障がい者)