2018年1月7日

報告:済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』 宮坂道夫
  日 時:平成29年11月18日(土)14時30分~17時30分
  会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
 演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
 講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理) 

【講演要約】
 ハーバード大学で約80年にもわたって行われている研究があります。700人以上の男性を追跡調査しているものですが,それによると,家族,友人,コミュニティなど,親密な他者とつながっている人ほど幸福で健康であるのに対して,人と関わらず,孤立を甘んじて受け入れている人は,幸福感が低く健康を害しやすい傾向があるとのことです。また,経済学分野で注目されている「ソーシャル・キャピタル」という概念がありますが,これは社会の「結びつき」や「絆」のことで,これらが社会にとっての「資本」であるという考え方です。これが強い社会では,人々が私利私欲を超えて行動して助け合うために,犯罪の発生が少なく,雰囲気のよい社会になるのだそうです。 

 ただし,ソーシャル・キャピタルは,柵(しがらみ)も生み出します。日本でも,人間関係の濃厚なコミュニティで,そこのしきたりに従わない人が村八分のような仕打ちにあうことがあるように,「結びつき」や「絆」が大事にされる社会で,差別やいじめなどが発生することも確かなようです。夏目漱石の『草枕』の冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」という有名な文章は,今の時代にはより痛切に感じられるのではないでしょうか。若い人たちは各種のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を使いこなし,それで「結びつき」をつくりながら,その怖さもよく知っています。それによって引き金が引かれた自殺は毎年何件も起こっています。「不寛容の時代」という言葉をよく聞きますが,お互いに監視し合うような,この息苦しさはどこからくるのでしょうか。 

 これについて,フランスの社会学者トッドの分析が,客観的に私たちの社会を見つめる視点を与えてくれるように思います。彼の研究は,その社会で支配的な「居住と財産相続の形式」で,規範意識(何が正しいか,何に価値があるか,などについての共通認識)が形成されるはずだという仮説に基づいています。「居住」の形式とは,子が結婚後も親と同居するか,それとも結婚後に親と別居するかによって二分され,同居を続ける社会は縦方向の権威主義の傾向が強く,別居する社会では自由主義の傾向が強くなります。「相続」とは,親の財産を兄弟で分割相続するか,あるいは一人の子が独占的に相続するかで二分され,前者では平等主義が重んじられ,後者では不平等を受け入れるべきだという規範意識が持たれます。この考え方では,日本社会は,ドイツや韓国,ユダヤ人社会などと同様の「権威主義的で不平等的」な規範意識が強いグループに入ります。もちろん,現在ではそれが崩れているともいえるかもしれませんが,最近の日本社会の不寛容さの背後には,私たちが伝統的に抱えてきた規範意識があるのかもしれません。 

 問題は,そうした規範意識のもとでは,「弱い人」が叩かれやすい傾向があるという点です。私たちの社会では,公害や薬害のような産業災害でも,また地震や津波のような自然災害 でも,被害者には温かい支援の手が差し伸べられる一方で,ある程度の支援的措置がなされた段階で,被害者たちがそれ以上の支援なり処遇なりを求めようとすると,途端に被害者が叩かれる状況が出現してきました。権威主義的社会は,国民一丸で1つの目標に進む時には強みを発揮しますが,少子高齢化で「支え合いの屋台骨」が弱まった状況では,不利だとされています。明治から昭和初期まで続いた国家主義的時代,あるいはもう少し後まで続いた高度成長期はもはや過去の話で,今は少子高齢化で「支え合いの屋台骨」が弱まっていく時代です。日本社会が,これからも「結びつき」「絆」を大切にしていこうとするならば,「権威主義的で不平等的」な規範意識を変えないといけないのかもしれないのです。 

 講演の後半では,こうした時代の中で,「弱い人」を支えていく役割を担う,医療・福祉の分野で働く人たちに目を向けました。大学で医療人を育成する一端を担っている者として,かれらの「共感力」の現状や,それを育成する方法,あるいはそもそも共感力の低い人たちがどうやって患者や障害者,高齢者などと対話していけるのかを,様々な実例を用いて紹介しました。「私は○○については専門家ですが、あなたの人生のことについてはまったくの無知です。どうぞ教えてください」という態度を意識して対話に臨む「無知のアプローチ」,患者が医療者に教えるという立場で講義・対話を行う「でんぐりがえしプロジェクト」,質問力を向上させるための「戦略的インタビュー」,患者や高齢者の人生を振り返って紙芝居をつくる「人生紙芝居」,精神科領域で,統合失調症患者に薬物を用いず,対話的手法のみによって問題の解決を図る「オープンダイアローグ」など,多種多様なものです。これらのアイデアの素晴らしさに感心するのですが,中には実際に治療上の効果をあげているものもあり,適応対象などを広げていけるのではないかと考えています。 

【略 歴】 宮坂 道夫
 長野県松本市生まれ。早稲田大学教育学部卒業。
 大阪大学大学院医学研究科修士課程、東京大学大学院医学系研究科博士課程(博士・医学)を経て、新潟大学大学院保健学研究科教授。
 専門は生命倫理、医療倫理、ナラティヴ・アプローチなど。 

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済生会新潟第二病院眼科-市民公開講座2017
『人生の味わいはこころを通わすことから』
 日 時:平成29年11月18日(土)14時 公開講座:14時30分~17時30分
 会 場:済生会新潟第二病院 10階 多目的室
14時30分 開会のあいさつ
  安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
14時35分 講演
  演題:対話とケア 〜人が人と向き合うということ〜
  講師:宮坂道夫(新潟大学大学院教授 医療倫理・生命倫理)
15時35分 講演
  演題:人生の手応えを共にさがし求めて〜死にゆく人たちと語り合った20年〜
  講師:細井 順(ヴォーリズ記念病院ホスピス長;滋賀県)
16時35分 対談 宮坂vs細井
17時30分 閉会

2017年12月31日

報告:【新潟ロービジョン研究会2017】 参加者の感想 その2
 日時:2017年09月02日(土)
 会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

中村透(研究会;コメンテータ、川崎市視覚障害者情報文化センタ 歩行訓練士)
研究会に特別コメンテーターとして参加した。コメンテーターとしての役割はさておき、今更ながら人との繋がりというのは、「本当に重要だな」ということを再確認した。視覚リハ(LVケアを含む)の世界でもネットワークとか連携が大切とは言われるが、なかなか有効に機能させるまでには至らないことが多い。わかってはいるが日々の仕事に追われ、つい自己完結的に仕事を終えさせてしまうことが多いような気がする。しかし、当事者の方はそれで社会の中でQOLを向上させながら生きていくことができるのか?もっと個々の方が可能性を広げるための重要なアドバイスができるのではないか?など、悶々とすることもしばしばある。そんな時に、私に気づきや新たな視点をもたらしてくれるものが、新潟ロービジョン研究会のような存在だ。演者の先生方の話は、それぞれすばらしいに決まっている。大切なことは参加者が、折角集った場から何を得て、今後にどう繋げるか?であると思う。今後も新潟で情報発信の場として、形を変えてでも継続していただければありがたいと改めて感じた。 

石川県 看護師
とても、どの先生の内容も、共感できることが多く、うんうんと頷きながら聞いていました。でも、1番の注目は、演者として初登場の安藤先生。何を語るんだろう。初めて聞く、自信満々のサージャンだった頃の話。術後の患者さんに起こったルベオーシスからの急激な眼圧上昇による失明と自殺。 そこから、ずっと貪欲にロービジョンケアを学び続けている先生。今の先生だったら退院に向けてOさんに何と声を掛けたんだろう。と思いながら最後の質疑応答応答で、聞けずに終わってしまいました。これは、演者の先生皆さんに、問い掛けてみたかった事でした。見えなくなったら、どうしようの問いに、今のあなたなら、何と答えますか?と。そして、完全に、引き込まれて聞いてしまった清水先生のこれからは、クイックロービジョンケアが必要なのではないかと言う話。マインドがあれば、時間も人材もなくても出来ることがある。本当にそう思います。これから、どう拡散され浸透していくのか、清水先生の野望すら感じワクワクしました。山田先生には、本当に脱帽します。その継続する力と疾患のコントロール、自立支援、転倒予防とこんなに、生活に密着したトータルケアができるドクターは、2人といないじゃないでしょうか。どれだけのニーズに耳を傾けてきたんだろうと、山田先生には、本当に敬意を評します。そして、正しい事は恐れずに言い放つ高橋政代先生。これからのロービジョンケアに明るい未来を感じずには、いられないものでした。福祉難民になる前に、出口で捕まえる、、、。患者を『捕まえる。』こんな積極的な表現を聞いたことが、かつてあったでしょうか(笑)。ハンターのような高橋先生に、この人に ついていこうと思いました。愛すべきリーダーですね。最後に、これほど学べる貴重な機会を、自腹を切って提供し続けて下さった安藤先生と、それを理解し支えて下さった奥様に、心から感謝致します。本当にありがとうございました。 

千葉県 女性
清水朋美先生のお話を聞いていて、障害の有無にかかわらず人を愛するということはその人自身を大きくするものだなと思いました。「見返りを求めない愛」とか「かけがえのない存在」などと言葉にするとしらじらしいのですが、清水先生と視覚障害者のお父さんのエピソードを聞けば聞くほどそんな言葉が浮かびました。守りたい人ができると見栄も恥もなく、自分でなんとかしたいと思う心に共感します。障害のために孤立したり人間関係を広げられないということがあれば、それは人として成長の機会を失うということではないかと考えます。良い人間関係が築ける力をリハビリテーション活動の中でつけられるよう、私自身も努力を続けます。 

新潟市 女性
私の偏見だったかも知れませんが、医師を初め専門職の人は、素人の意見をイヤがるものだと思っていました。患者に医療の裏側など知られたくないだろうし、ましてや本音など隠しておきたいものだと思っていました。でも安藤先生を初め、講師の方々はとても謙虚で研究熱心、そして患者さん想いでいらっしゃいます。だれしも病気になり、それが治らないものと宣告されたままだったら、その先は真っ暗闇です。ようやく眼科にもリハビリという概念が浸透してきて、福祉や教育、仕事につながるサポート体制が充実してきたことを嬉しく思います。難しいこととは思いますが、病気を患者から切り離して診るのではなく、一人の人間としてよく見ていただきたいものです。専門家だけではなく患者、その家族、関係者だれもが参加できる安藤先生のこのような取り組みに、心から感謝しています。これからも、このような研究会、勉強会を続けてくださることを願っています。 

神奈川県 眼科医
山田先生の自殺をされた視覚障害の若者の話はいままでも何度か伺ったことはありました。(眼科医ではなく)内科の先生がアクションを起こされたことはもちろん衝撃です。その道が長く険しかったことも今回改めて思い知らされました。が、それよりも、その後にまだ自ら命を断たれる視覚障害者が何人も出ていたとは…言葉も出ませんでした。これが日本全国となったらどれだけの方が亡くなっているのか、またその氷山の水面下でどれだけの方が同じくらいの絶望を味わっているのかと考えたら、今までとてもそこまで考えの及ばなかった自分を本当に恥ずかしく思いました。私が他科の研修を1年半やったあとで眼科医になったばかりの頃、眼科は人が死ぬことはない「気楽な科」と考えていました。本当に恥ずかしいことです。私は今まで、ロービジョンは地域で誰か1人の眼科医がやっていればじゅうぶんだろう(地域の眼科医同士が風通しよく連携できていれば)と考えていましたが、どうやら考えを変えねばならないようです。困ったらロービジョンやってる先生に紹介しようでは遅いかもしれません。治療とロービジョンケア、失明宣告とロービジョンケアは常に同時進行でないといけない、そうでないと患者さんの命を守れないからです。 

新潟市 男性
当日は東京出張のため最初の安藤先生の講演のみ拝聴させていただきました。安藤先生の個人史を初めて聞き、現在の先生の眼科医療への情熱の源泉が分かった気がしました。長年の「新潟ロービジョン研究会」の開催お疲れ様でした。 

新潟市 男性
安藤先生、長い間大変お疲れ様でした。又、私にとっても約20年間お世話になりました。毎年の楽しみな行事が1つなくなるのが残念です。本研究会に参加することで私の病気の治療方法の現状を知り、まだ私の状態は悲観すすべき状態ではないということを知り、これから生活していくうえで何をしていくべきかを教えていただきました。願わくは、このような研究会が何らかの形で継続していくことを期待しております。私はよく他の人に「人は死ぬまで生きるのだから生きている間は悔いのない生活をおくろう」と言っています。これからも強く生きていきたいと思っています。 

新潟市 眼科医
この度は、新潟ロービジョン研究会に参加させて頂きありがとうございました。少し遅れて行ったら、席が満員で後ろの椅子の席で拝聴いたしました。毎回素晴らしい演者の方たちで、ロービジョンの勉強させて頂きました。自分の外来でもクイックロービジョンを検討します。フロアの方達の熱気も凄く、視覚障害の方などの色々な方の意見が聞けて、とても勉強になる会でした。今回が最後でとても残念です。 

福井県 男性
今年の新潟ロービジョン研究会は最後にふさわしい思い出深い会となりました。安藤先生の眼科医としての歴史やロービジョンケアとの深いつながり、またそのきっかけを作られた山田先生の内科医としての視覚リハへの地道な取り組み、お父様のベーチェット病をきっかけに眼科医になることを決意し、その目的を達し最前線でご活躍の清水先生、最後に最先端の医療に取り組みながらも視覚リハの重要性を常に訴え続け、実際にその拠点施設までも作られた高橋先生。そして夜の懇親会では各地でロービジョンケアに携わり、活躍する方々と親しくお話しする時間をいただけました。このような場をさらに増やしていくことこそ、安藤先生へのご恩返しと感じています。微力ではありますが、地方におけるロービジョンケアに今後とも携わっていきたいと、誓いを新たにいたしました。 

新潟市 眼科医
この度も、演者の先生方のお話はとても興味深いものでした。大変有難うございました。そして、この会を通じてすっかりファンになってしまった高橋先生のお話もまた印象的なものでした。記憶違いでしたら申し訳ございませんが、以前のご講演では、「健全なあきらめ」という言葉をご紹介頂き、時折しみじみとかみしめております。そしてこの度、写真撮影後に戻る際、先生が迷われる事なく違う部屋のドアを開けられたのを目撃致しました。行き当たりばったりで開くドアの先には、いつも新しい世界が待っているのでしょう。先生の歩かれた後にはばっちり道できるのです。これからも遠くから憧れさせて頂きたいと思います。これだけの会を長い間続けてこられたことはどれだけ大変でいらっしゃったことでしょう。名残りを惜しみつつ、関係してこられた皆様、安藤先生のファンの皆様、そして安藤先生に敬意を表したと思います。 

名古屋市 女性
私は、緑内障で治療を統けています。幸いにも、中心視野は残っているので、視力は出ますが、視野が狭くなり、人に接触したりすることも。緑内障は、治らない病気。一生病気とつき合っていかなければなりません。自分の病気についていろいろ知りたいと思うようになりました。「緑内障」を通じて多くの方との出合いもありました。この研究会も、同じ患者仲間さんに誘われて参加しました。講演会で先生方のお話を伺い、また懇親会では、多くの方々とお話する機会に恵まれました。皆様の治療やロービジョンに対する熱い思いを感じました。このような方々がいらっしゃることは、患者にとって大変有り難く、希望を持って治療を続けていけます。ロービジョン研究会に参加出来て、とても有意義でした。安藤先生有り難うございました。多くの患者は、自分の病気に不安を感じながら、同じ病気を持っている人の力になりたいと思っています。私にも出来ることがあればしていこうと思います。 

千葉県 男性
「新潟ロービジョン研究会2017」の案内を拝見し、まず、登壇される先生方のその豪華さに驚きました。これは絶対に行かねばと、今回、初めて参加させていただいたのですが、先生方お一人お一人の思いがストレートに伝わる感動的な内容で、中途視覚障害者の雇用問題等について、深く認識することができました。とても貴重なご講演を拝聴させていただき、あらためて御礼申し上げます。「勉強会」にも参加させていただきたく、今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。 

香川県 眼科医
とても有意義で素晴らしい研究会でした。安藤先生の行動力、山田先生の誠実さ、清水先生の情熱、高橋先生の未来視力・・・大変勉強になりました。「この会に来たら、元気をもらえる!」と皆さんも口々に言っておられました。懇親会では、高橋政代先生と話す機会を作っていただき、ありがとうございました。「2050年には、ほとんどの病気が治るようになると仰っていましたが、それで本当に人は幸せになるのでしょうか。」と質問いたしました。高橋先生は「そんな風に考えたことがなかった。今後、考えていきたい。少なくとも 目については見えるようになれば、みんな幸せになると思う。」と仰いました。 高橋先生のお話しを伺って感じたのは、研究者は自分の研究に確かなビジョンと信念をもって進んでいかなければ事を成し遂げるのは難しいという事です。 研究分野がもたらす未来について疑念を持つようでは、研究を継続することはできないのだろうと思いました。 

大阪府 眼科医
安藤先生が主催される新潟ロービジョン研究会が最後と聞いて何が何でもと参加いたしました。安藤先生、山田先生は視力を失い自ら命を絶ってしまった1人の患者さんとの出会いから患者さんが参加できる勉強会やサロンを病院に作られました。病院でこのような体制を作り、継続・発展させていくことには大変なことです。30年以上の永きに渡り目の前の患者に寄り添われてきたお話を拝聴し、自分を省みて、覚悟を持ってこれからも患者さんに向き合っていきたいと改めて強く感じました。清水先生、高橋先生からはこれからのロービジョンケアについて情熱のこもったご講演があり、大きな期待を感じました。同時に大学に在籍するものとして若い医師がロービジョンマインドを持つように指導したいと思います。本当にすばらしい研究会であり、今後も続いていくことを切にお願い申し上げます。 

京都府 視能訓練士
初めて参加させていただきました。参加させていただき医師や視能訓練士だけでなく、当事者の方、サポートされている方、歩行訓練士他沢山の職種の方がおみえになっているのがすごいと思いました。また 安藤先生や山田先生のような先生がおられたのは 本当に感動です。いろんな方々にお話をおききする機会をえられた事はとてもよかったです。私は視能訓練士です。視能訓練士は眼科にいて患者さんの視力や視野を測定します。見えにくいと悩んでおられる方を一番最初に見つけられる所にいるという事です。患者さんは通常の外来では何もおっしゃいません。悩んでいる方、不自由を感じておられる方をみつけられるよう アンテナを張り巡らす事の必要性を再認識いたしました。参加させて頂いた事本当に感謝しています。 

熊本市 視能訓練士
まず、会場に入ってびっくりしました。まだ始まってもいないのに会場全体に活気があり温かい雰囲気を感じたことです。次に目に入ってきたのは、満席の会場の中を安藤先生ご自身から参加者に声をかけたり、会場設営の為に動いたりという光景です。先生の人柄が会場の雰囲気を作っているのだとわかりました。最終回になる今回のテーマは『私と視覚リハビリテーション』で様々な経緯と立場から4名のパネリストの大変興味深い過去から現在に至るまでの話が聴けました。また、先生方に共通することとして、ロービジョンケアの精神を当事者から学んできていることと、将来のビジョンを持って根気強く他にないことを創造し行っていること、がありました。『行き当たりばったり』になったとき、『行き当たりばっちり』になれるように、日々の知識と技術の研鑽と、目の前の患者さんからロービジョンケアマインドを学ぶ姿勢が大切だと、改めて感じさせられた一日でした。 

新潟県 視能訓練士
研究会に参加して、まず、私は外来で手作りサインガードと読書用タイポスコープを作製しました。以前から、ロービジョン者、晴眼者にかかわらず、金融機関などの振込・振替用紙に上手く記入できない!という声を聞きます。私も同じくその用紙にはとても見づらさを感じています。ましてや、ロービジョン患者様にとって枠の中に文字をおさめることは難しく、訂正印を押し書き直したりでストレスを感じている患者様は多い事と思います。そこで、講師の先生がお話くださったように私にもできるクイックロービジョンケアを始めることにしました。患者様に資料だけではなく手作りサインガードなどをその場でお渡しすることで、すぐにでも使ってもらえることから、ロービジョングッズに興味をもっていただければ・・・少しでも患者様の『生活の質の向上』のお手伝いになれるORTを目指していこうと思います。 

東京都 女性
初めて参加させていただき、安藤先生の長年の取り組みに大変感動いたしました。安藤先生をはじめとする同志の先生方のプレゼンテーションを拝聴し、福祉施設に働くものとして、多くの刺激をいただきました。当事者のみなさんの言葉に耳をかたむけ、その背景を学び共有することは福祉施設で働く者にも当然必要なことと感じておりました。しかしながら、日々の仕事を理由になかなかアクションを起こすことができず今日に至っておりました。今年度、当館でスタートした相談支援事業では、近隣の医療機関に赴き相談会を開催したり、日常生活用具を持参し実際に手に取っていただき説明をするなど、細々とした繋がりができ始めています。館として動き出した新しい事業を、よりよい形で広げるために職員の意識もそれに伴うよう、できることから形にしていく意義を感じた次第です。新潟ロービジョン研究会のパッションを肌で感じ、目から鱗が落ちた感覚でした。懇親会では美味しいお食事をいただき、お腹も心もいっぱいになり、幸せな気持ちで帰京いたしました。 

仙台市 女性
あしかけ17年(全18回)の継続と、毎回の興味深いテーマ設定、そして、このような貴重な研究会を聴講料無料で開催しておられることに今年も感謝申し上げます。今回の研究会のテーマは「私と視覚リハビリテーション」でした。4人の演者の方が、偶然のめぐりあわせや、あるいは「受け入れがたい苦い経験」を糧にしながら、それぞれの立場から視覚リハビリテーションに関わり、続けてこられている姿勢が、聞いていてとても励みになりました。「○○地域は△△さんたちがいるから視覚リハが進んでいていいよねぇ」とうらやましく思っていても何も始まりません。地域ごとに制約(=障害)があることを踏まえた上で、それでもその地域の「現場」に携わる人が「今・ここで」できることを探っていくことの重要性を改めて感じました。日本は広いので、各地に浸透するには長い年月を必要とするかと思いますが、粘り強く楽観的にやっていきたいものです 

東京都 眼科医
午前中の仕事を終え、急いで新幹線に飛び乗り会場に到着した時には、既に山田先生の講演は終了しており清水先生がご講演中でした。ご自分の体験をお話しくださり、眼科医というよりも一人の人間としての当事者への関わり方の考え方を教えていただきました。高橋先生からは視力が弱くなってしまった方々が、社会との繋がりを続けていくために、私たちが何を考えて行動をしていくべきかを教えていただきました。後半の討論の場で当事者である大島さんから“以前に主治医に診断書のお願いをした時に、先生から「診断書は、患者さんのために書くものなんですよ。」という言葉を聞いて以来、自分の話や自分の気持ちをドクターに話す様になった“というお話を聞きました。改めて自分が患者さんにどのような態度や気持ちで接しているかなぁ・・・と自分を振り返る良い機会となりました。いつかこのような会がまたありましたら、是非また参加したいです。 

愛媛県 男性
演者の皆様は我が国を代表するロービジョンケアの第一人者ばかりです。このような素晴らしい研究会を毎年無料で主催されてこられた安藤先生には心より感謝しております。安藤先生と山田先生がこれまで新潟で継続して実践されている取り組みは、医師と患者の深いつながりを大切にされ、生き生きと共に歩む姿勢が何より素晴らしいと感じます。視覚リハのお手本として多くの人々に知っていただきたいと思います。清水先生のお父様が失明されたときに、お父様の母親から、失明は誰にでも経験できるものではない。この貴重な体験を生かして、小さなことでも人に役立つようにと、我が子に対して、自信と希望を持たせたことに感動しました。身近にいる大切な人がしっかりと受け止め一緒に歩むことが大切であると改めて感じました。これは視覚リハに関わる者も同じように大切にしたい気持ちだと思います。高橋先生が目指しているユートピアは、ロービジョンであることを隠さずカミングアウトのできる障害者の生きる理想の社会であり、この実現のため神戸アイセンターの2階にビジョンパークという障害のあるなしにかかわらず皆が楽しく集い活動する場を設けるとのことで、網膜再生医療と合わせて、新たな医療と福祉の取り組みが始まっています。この事業を推進するためのネクストビジョンのメンバーである仲泊先生と高橋先生との出会いが、新潟ロービジョン研究会だったとのことで、未来へつなぐ人たちとの出会いの場ともなっていた素晴らしい会を催していただいた安藤先生に心より感謝いたします。 

加藤 聡 (研究会;司会、東京大学眼科) 
第18回新潟ロービジョン研究会に司会役として、参加できとても充実した時間を過ごせましたことを主催者の安藤先生に心から感謝いたします。安藤先生も研究会中に言われました通り、今回の演者は今まで以上に選りすぐりの演者で、私だけでなく会場の方々も大満足だったと思えます。どの演者も本音で語っていただいたことが印象的です。この研究会が今回で終わってしまうことを残念に思いつつ、来年以降も何らかの形でこの続きがあることを期待しています。私は研究会の締めのあいさつの時にも申し上げましたが、仮にこの研究会が今回で終わってしまったとしても、新潟ロービジョン研究会で知り合った方たちとの絆は、私の今後の人生の上で大きな財産になることは間違いないと考えています。 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)、仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)、大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
    安藤 伸朗
    (済生会新潟第二病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6256
  14時40分~
  「眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション」
    山田 幸男
  (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、
   NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科)
  http://andonoburo.net/on/6250
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
    清水 朋美
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6229
  16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
    高橋 政代
    (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了

 

2017年12月30日

報告:【新潟ロービジョン研究会2017】  参加者からの感想 その1
  日時:2017年09月02日(土)
  会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室

新潟県上越市 大島光芳 (研究会;コメンテーター)
冒頭に参加者の内訳が紹介されました。医者とか視能訓練士、看護師あるいは病院に務めている方は50人くらい。ご自身が目が不自由だとか家族だとかが50人くらい。あと40人くらいは盲学校に務めている方とか福祉関係の方とか特に興味のある方々が集まっています。私はこの参加者の多様性への寛大さ、それと当事者に対する対等な目線を強く感じました。それは講演にも引き継がれ「百の患者さんには百の人生がある。一生その患者さんと付き合う覚悟が大事だ。医師が変われば患者も変わる。」「もう1つの道、見えないけどできるという道がある。」「友達づくり、情報交換、ボランテアがやれる場」「患者さんの暮らしのためにやっている研究」「医療者からでもない福祉からでもないロービジョンケア」「途中の方が辛い。」「症状は連続的であって、連続的な人で構成されたピア」と嬉しい言葉が聞けました。お話された4人の先生はとにかく動き出すが特徴のように思えました。例えば「とにかくやるんだよ。法律とか規則を変えるまでやるんだよ。」「どんなに多職種が頑張っても、眼科医が突破口になり旗振っていかないと進まない。」「箱もの作って中を一生懸命に埋めるというのが大嫌いで、10年間中身を作っていよいよ外身を作る時期だと思ってお願いしたところです」「未来のあるべき姿から遡って今どうするかです」「守るだけでなく変えるものです」「社会が変わります。医療が変わります。人工知能で変わります」「アイデアを募集するには上下関係が邪魔になる」など気分を活性化する言葉を、どの先生からも聞けました。私は未診断疾患により見えなくなった67歳ですが、出来る限り勉強し、しっかり人生を歩みたいと、この研究会に参加して思いました。 

兵庫県 眼科医
この度は、9月2日の『新潟ロービジョン研究会2017』に参加させて頂きありがとうございました。日帰りのため、ご講演だけになってしましましたが、それでも、指定討論あり、全体でのフリー討論ありで、うまく計画された研究会でしたね。驚いたのは参加者が満席で、全国各地から顔見知りの方も参加されていたことです。私は、いつもMLで研究会や勉強会の案内と、その後の安藤先生の詳細な事後報告(講演抄録など)を見せてもらっているだけでした。しかし、今回はひょっとして安藤先生ご自身のご講演が最後になるかもしれないと考えて、新潟へ出かけた次第です。先ず安藤先生のお話しでは、ご自身の詳しい経歴を始めて聞かせてもらいましたが、LVケアへの思いは共感できました。次に、先生も尊敬され、私も同様に尊敬している山田幸男先生の控え目でいて実効性のあるLVケアの活動は素晴らしく、私としてはDM関連内科医にもこの活動を広めて戴きたいと思いました。清水朋子先生はよく透るお声で分かりやすい、説得性のあるお話しでした。視覚障害の父に育てられた先生の幼少時の考え方は本当に参考になりました。「クイックLVケア」はいい言葉で、私も使わしてもらおうと思っています。高橋政代先生も夢のあるしかし20年先には実現するだろう、多くの研究と社会改革を自信をもって話されました。「行き当たりバッチリ」の言葉も使おうと思っています。加藤聡日本ロービジョン学会理事長、仲泊聡(理研)先生、中村様その他の進行係の運営も素晴らしく、また、会場のお世話係りの方々も行き届いた対応で、素晴らしい会だったと思います。懇親会に参加できなかったのが心残りです。 

神奈川県 女性
今回は安藤先生の生い立ちからのお話が聞けたファン垂涎もの。また山田先生の語る、失明患者の自死から学び悩み切り開いた自立支援施設のお話は、決して始まりは明るくないが、今を、障害者たちを、絶望ではない未来へ導く、希望の光が射している。御講演者のお話はどれも温かく胸に沁み力強い励みになり、自立の大切さを強く感じた。懇親会では、障害者から障害者へ教わり伝えるリレー料理教室やブラインドメイクの経験者ともお会いし「ガスの火も使える。晴眼の頃に失敗した料理も、今の方が上手に作れる。」そう話す笑顔はとても綺麗で、清潔に感じる丁寧なメイクにも、見惚れる。そして患者自身や大きな施設だけでなく、クリニック勤務の医療者の方々やチェーン店の薬剤師さん。皆それぞれに手探りし工夫をしながら頑張っている。患者の身として有難く嬉しい。そして思う。「もし見えなくなっても、出来ることは、きっといっぱいある。」 

東京都 眼科医
山田幸男先生~地道な活動を長年継続していらっしゃいますことを、以前から尊敬申し上げております。生徒が次々に先生になって伝えていくリレー式の料理教室など、すばらしい方式だと思いました。先生はもうデジタルな時代だからとおっしゃいますが、アナログなアプローチこそ人間にしかできないことで、実はこれからAIが進めば進むほど大切になってくると思います。清水朋美先生~何と言っても、視覚障害のある方々の日常を家族の体感で知っていらっしゃることが強みだと思いました。すぐ使えるクイックロービジョンについても、どんどん具体的に発信して頂ければ幸いです。高橋政代先生~ワープする思考の快感、とでもいうべきものを久しぶりに感じさせて頂きました。境界領域を鳥の眼で見渡すと、随分と面白いものが沢山、案外手つかずのまま落ちているように思います。安藤伸郎先生~先生ご自身ももちろんなのですが、僭越ながら、先生の人と人とを結びつけて新しい化学反応を起こさせるというご才能が全く他の追随を許さず群を抜いていて、本当に素晴らしいことだと思います。これからもどうぞ、いろいろと興味深いものをみせて頂けるようお願い申し上げます。 

東京都 男性
思えば第1回の開催に際し、当時の私の勤務先に講師依頼をいただいたことがきっかけの初参加で、何と光栄なことかと感謝申し上げています。さて、デジタルビジョンケア華やかな現在、アナログ的ビジョンケアの重要性を、山田幸男先生の講演から改めて痛感しました。視覚支援機器は、ICTの発展に加え、AIが絡み、いずれメガネのように難しい操作もなく、誰でも読み書きに不自由がなくなることは、20年後を見据えた高橋政代先生の話から想像できます。しかし、歩行(移動、転倒防止)や人との関わり(コミュニケーションの喜び、自殺防止)は、ICT、IOT、AIの技術がいかに発展しても解決できないこともまた再認識させていただきました。ある看護師さんは、下の世話のできる我々こそ、高齢ロービジョン者へのケアの担い手と仰っています。人が人に関わるアナログ的ロービジョンケアがあってこそ、求める人にはデジタルビジョンケアを、という流れが理想のよに思えました。

埼玉県 眼科医
今回の演者は4名ともに視覚リハとの接点を持ち、長くこの領域に関わっている医師である。各々、メインでやっている仕事は異なるが、共通して言えるのは「半端ないロービジョンケアマインド」だと感じた。日本のロービジョンケアをもっと発展させるには、特に次世代の若手眼科医にロービジョンケアマインドをいかに根付かせていけるのかがキーになると思う。各地にきっといる「半端ないロービジョンケアマインド」を持つ医師が集結すれば不可能ではない気がしてきた。日本のロービジョンケアの先行きが楽しみになるような研究会だったと思う。長年、本研究会を主催してこられた安藤先生、本当にありがとうございました!そして、お疲れさまでした!本研究会は、The endではなく、きっとTo be continuedになることでしょう。 

千葉市 男性
安藤先生をはじめ、ご講演いただいた先生方からは、今回も多くの「気づき」をいただきました。また、親睦会では医療機関、福祉機関、教育機関、そして視覚障害当事者と、多岐にわたる方々と旧交を温めたり、新たなつながりができたりと、大変充実した時間を過ごさせていただきました。これも安藤先生の長年のご尽力のおかげと感謝は尽きません。新潟ロービジョン研究会は今回が一つの区切りを迎えるようですが、安藤先生を中心としたこのすばらしいネットワークは永久に不滅であると確信しております。今後ともよろしくお願いいたします。

新潟市 男性
安藤先生が「患者さんの治療後、退院後の生活」に心を向けてロービジョンに取り組まれ、現在の大きな成果につながっていることに改めて感銘を受けました。40年の多様な体験から出た「受容」と「共感」という言葉は特に響きました。山田先生の誠実で優しいお人柄と、地道ながら着実に重ねてこられた取組に頭が下がります。清水先生の当たり前に備わるべき「ケアマインド」のお話、高橋先生の最先端技術の根っこにある「人間性」と「創造性」というお話からは、日本の眼科医療をけん引する先生を少し身近に感じられ、近未来に明るい希望が見える気がしました。それにしてもすごい先生方の貴重なお話をお聞きすることができて、本当に勉強になりました。安藤先生ありがとうございました。 

神奈川県 男性
今回、初めて「新潟ロービジョン研究会」に参加させていただいたのですが、各演者さんの示唆に富んだお話を聞け、非常に刺激になりました。私は普段は訓練士としてリハビリ業務に従事しており、眼科医がメインの集まりには余り参加する機会はないのですが、知り合いの視能訓練士からは「ロービジョンケアはなかなか採算が取れないので、広がりという意味では難しい面がある」と聞いたりします。その中で、安藤先生をはじめ、山田先生などがロービジョンケアに尽力され、また、視覚障害の方のカウンセリングや訓練、レクの場を作っておられることにとても感銘を受けました。仲泊先生もおっしゃってましたが、「この患者は退院したらどうなるんだろう?」と普通は考えるが、安藤先生の場合「この患者をどういう風に退院させたらよいのだろう?」と考えれらる点が素晴らしいです。と同時に、眼科医個人の資質に余りにも頼りすぎている現状に危機感もあります。視覚リハは万能ではありませんが、それでも早期の段階で患者さんが視覚リハと結びつく仕組みを作らなければいけません。理学療法士や作業療法士のように、医療現場により近い場所で歩行訓練士が活動することが大切で、高橋先生や仲泊先生のいらっしゃる神戸アイセンターがそのモデルケースになってくれたらと思います。清水先生の提唱された「クイックロービジョンケア」も大変興味深いものでした。ちょっとしたことで、見えにくさの改善が図れたりしますので、全国の眼科医でこのような工夫が取り入れられるとよいと思います。 

名古屋市 眼科医
まず、参加者の数に驚かされました。それと、医師、医療関係者、患者関係者とそれぞれに多数の参加者があり、他に例を見ないユニークな勉強会であったと思います。講演内容に関しては、今回は総括のような意味もあり、それぞれの講演者の先生自身のロービジョンとの関わりから始まり、先生それぞれのロービジョンに対する考え方や立ち位置をお話しいただいたものと思いますが、どれも非常に興味深く拝聴しました。私はロービジョン初心者ですが、大いに共感し、勇気をいただいた気がします。討論もしっかり時間をとってあり、しゃべりっぱなしではなく、わからないところはとことん議論しようという姿勢はさすがと感じました。最近の学会ではあまりみられなくなった光景ですが、反省すべきかと思います。討論では、人により、また職種間により意見が割れる場面も多かったと思います。これも決して悪いことではなく、お互いの考え方を知る良い機会でしたし、今回のご講演と討論をお聞きして、私はやはり私たち一般の眼科医がもっとロービジョンケアに取り組み、その中で声を上げていくことが、このような溝をなくし、患者さんにもよりよいケアを提供できる道ではないかと考えるに至りました。微力ながら精進したいと思います。以上、本当に楽しく、勉強になりました。ありがとうございました。 

新潟県 男性
新潟ロービジョン研究会は医療関係者を対象にした研究会の印象が強く障害者にとっては敷居の高い講演会と思われましたが今年が最後になるとの事なので思い切って参加させて頂きました。安藤先生と山田先生にはそれぞれ主催されている「眼科勉強会」・「視覚障害者支援センタ」でお世話になっております。両先生が眼科医に従事されていた昔、患者さんが自らの命を絶つ・治療の甲斐なく失明した等の厳しい経験を経てロービジョンケアの重要性を周囲に説きLVCに尽力されている様子が講演を通じ良く理解出来ました。今後共両先生のご指導を頂き夫婦協力し歩んで行きたいとの気持ちを強く致しました。清水先生は御父上が全盲で有ったとの稀有な経験から又高橋先生は再生医療の経験を通し、両先生が高度のLVCの必要性を感じ取られ活動されている事が良く判りました。清水先生の「全ての眼科医がLVCを」高橋先生の「アイセンタ」の達成と成功をお祈り致しました。   

神奈川県 眼科医
昨年に続き、素晴らしい講演会、ありがとうございました。安藤先生:100人の患者さまには100の人生、受容と共感、患者を見捨てない、cureとcare(見えなくてもできる、サポーターとして一緒に岩を支えようとする)など先生の哲学に加え、病気の人を治す、ニーバーの祈り、等珠玉のお言葉の数々をいただき、心に刻みたいと思いました。山田先生:O君の自殺から学ばれて、内科医であられながらこれだけのお働きにつなげられたことに感銘を受けました。患者様にききフィードバックする姿勢、気付きそして学ぶこと、の大切さを、教えられました。清水先生:何度おききしても、涙がでます。失明を貴重な体験としてそれを生かした仕事をすれば、それがたとえ小さくても社会貢献につながれば生きがいになるのでは?という発想の転換、素晴らしいと思います。清水先生の原動力、モチベーションの真摯さを前に、自分のモチベーションを改めて問われる思いです。高橋先生:未来視力と仲泊先生が形容しておられたように、何十年先のビジョンから逆算しやるべきことを割り出されるとのこと。高みから俯瞰する力、次々に湧いてくるビジョンの豊かさには世界のトップリーダーとしての資質を垣間見させていただきました。到底真似できないけれど、せめて目の前のことに追われるばかりの毎日から抜け出しビジョンや夢に向かい必要なことに向き合う努力をせねば、と思いました。先生方からいただいたメッセージを大切にしていきたいです。安藤先生の素晴らしい会やお働きに深く感謝しつつ、これからもお続けいただけたらと心から願っております。 

新潟県 女性
安藤先生 過去 何回か研究会に参加させて、いただき とっても毎回感動と感謝を書き込みと御礼を、考えてと思いつつ 時間に流されてしまい、先生の勉強会研究会 学会 診療 本当に多忙な 活動には頭がさがります。私は まだ若く元気な 十代で 視神経炎と診断され、再発を繰り返すため神経内科の病気といわれ 早 半世紀になり、中途視覚障害となり オアシスと出会い このような、会を知り 多くの出会いと たくさんのかたの支えがあり、生かされていることに感謝しています。また健康でいたなら決してかかわれないであろう世界、清水先生のおばあ様の言葉 [人としてあまり経験できないことを できる事として生きる}やがて失明するかもしれない子供に諭されたように、ポジティブな生き方を諭され、そのような考え方もある事 こんなにもロービジョンについて研究してただく方々 私が 発病したころは全く このような所もなく ただ不安な気持ちをかかえていました。 近年の医学の発展はめまぐるしいものがあり、す応用できるかは、これからおおいに期待したいものです。私たち 当事者も、住みよい社会になにができるか解りませんが、声をだすがも必要といおもいます。 

新潟市 男性
職種を問わず、職務の実践とそれに関わる研修や研究は、携わる者にとって大切なことであると言われています。なかでも医療・福祉・教育などの従事者は、当事者の裁量に任せられている内容が多く、研修や研究は不可欠です。安藤先生が二十数年にわたり開催された勉強会や研究会を通して、私はその度ごとに、自らの課題に気付くことができました。また、眼科をはじめ、すばらしい講師先生方から、各分野の現状と課題などについてお話をうかがうことができました。日々の仕事を振り返り、明日への希望が湧く貴重な機会を頂戴しました。安藤先生の長年にわたる御尽力に感謝申し上げます。ありがとうございました。 

新潟市 視能訓練士
ロービジョンケアの知識がなかった頃、教えて下さる先生を探して関東の講習会に参加させていただいてました。あれから20数年が経過し、この会は新潟で毎回素晴らしい先生方のご講演を聞くことが出来る、贅沢で夢のような時間でした。高橋先生の20年後の壮大なビジョンのお話。山田先生の当時の院長先生にライフワークにしなさいと言われ、20年以上継続されていらしゃるお話。20年後を楽しみにしたいと思いました。 

新潟県 男性
第18回新潟ロービジョン研究会は、どの演題も成書にはない、ロービジョンケアの実践から生まれてくる言葉で語られて胸を打たれた。その中でもっともシンパシーを感じたのは高橋政代先生の「ロービジョンケアとの出会い」だった。高橋先生は視覚障害があることをカミングアウトできない人もいるということを指摘されたが、この一言が心からうれしかった。研究会後半の総合討論でも高橋先生に「なぜ、カミングアウトできないと思うか?」という質問があった。これに当事者として答えるなら、第一に視覚障害に対して自分自身が否定的な感情を持っているために、他人に知られることが恥ずかしいと思っているので隠したい。第二に仕事上、あるいは就職に不利になるなど、実質的な必要性があるために隠したい、といったところだろうか。視力0.08の軽度視覚障害者は、白い杖は持っていないが、メガネやコンタクトを使っても十分には見えるようにならないために、時に大変な困難を感じている。しかし、多くの市民、医療者にはこのことがあまり知られていない。そこにカミングアウトできないということが加わるから、やっかいである。障害が軽度である人の困難は、重度の人と比べて小さいと理解されていて、重度、軽度というのは単に目の見え方の程度を示すだけではなく、辛さの程度や困難さを表すものと理解されているが、本当にそれは正しいか、もう一度考えてみてほしい。Scienceの最前線にいる高橋先生が、もっともHumanな問題も考えて下さっていたことに感謝したい。 

長野県 女性
毎回演者の方々が第一線でご活躍の先生方ばかりでしたので、私にとってこの研究会はとても貴重な機会でした。今回で終わるのはとても残念で、淋しいです。でもパワフルな安藤先生のこと、これは単なる一区切り、新境地を開かれるものと確信しております。 今回の研究会は最後ということで、いつもと少し異なり、研究面より、個人的背景やロービジョンに関わったきっかけを詳しくお話し下さり、それぞれの先生の人間性が垣間見えて私にはとても興味深かったです。ロービジョンにお世話になっている者としては、先生方のロービジョンに対する熱い思いも伝わってきて、大変心強く感じました。 安藤先生に心からねぎらいの言葉と賛辞を捧げたいと思います。 

岐阜県 視能訓練士
まずもって新潟大学有壬記念館にご参集の皆様に心から拍手を贈らせて頂きます。発展的最終回に相応しい講師の先生方に感謝です。いつも思うのですが日本中から一流の素晴らしい先生をお招き下さる安藤先生の凄さに感銘しておりました。今回は超厳選されこれ以上無い皆様方でした。私はスライドに食い入り、お話ぶりに納得し体中で感動し言葉がありませんでした。当事者様、ご家族のために夫々の立ち位置で手を携え未来は捨てたものではないと実感しました。先生にはロービジョンリハへ背中を押して頂いたり、応援やご指導を賜り有難うございました。もう少しお役に立てるよう気張ります。 

宮城県 男性
新潟ロービジョン研究会では、貴重な経験をすることが出来ました。私自身が初めて参加した2014年頃から、この研究会では様々なエッセンスを頂きました。特に印象的だったものは、信楽園病院山田先生の「ケアのリレー」です。講演を聞いていく中で「ケアのリレー」は、視覚リハの人員が足りない地域でも、有効活用ができると確信しました。実際に私自身がお会いする方々、地域で同じような流れを作ることが出来ないかと考え、福島県のいわき市にある木村眼科クリニックの多大なる協力のおかげで「ケアのリレー」を参考にした「音声パソコンの使い方リレー」を実践しています。感謝と共に今後の継続的な研究会も希望しています。 

新潟市 女性
「ロービジョン研究会」となっていると、ロービジョンについて目のことや支援のしかたなどを学ぶ会という印象があります。今回は、少し視点が違うというか、いろいろな方々の「ロービジョン」(視覚障害)との出会いやかかわり方、これからのことを聞くことができました。このような話からは、支援や配慮、かかわりのポイントが自然に出てきていて、とても聞きやすい・分かりやすいと思いました。そして、いろいろなかかわり方があると思いました。そのいろいろが重なったり交わったりして、社会全体がロービジョンを知っていく、かかわっていくといいなぁと思っています。

理化学研究所 仲泊 聡 (研究会;司会)
安藤先生には、2003年に第9回神奈川ロービジョンネットワーク研修会でお会いしてから、すでに14年もご指導頂いております。前の職場に移るときに相談に乗ってくださったのも、そして、今の職場を得るチャンスを与えてくださったのも安藤先生です。この業界に足を踏み入れたのは私が数年早かったようですが、常に安藤先生に導かれてここまできたように思っています。本研究会では、毎度の無茶振りで、その都度大変勉強させていただきました。今回は、やっと終わりのご挨拶だけだとホッとしていたところ、結局壇上でのディスカッションに駆り出されました。奇しくも演者の半分は私と職場を共にした(している)清水先生と高橋先生で、お二人には大変大変お世話になっております。彼らは、日本のロービジョン業界を支える現場の二本柱です。今回のご講演では、そのお二人から「クイックロービジョンの勧め」「軽度ロービジョンへの注目」というふたつの新しいメッセージに触れることができました。どちらもとても重要なことです。何とかして全ての眼科医に、これらを普及させなければと身の引き締まる思いがしました。安藤先生と山田先生のお話はこれまでに何度もお聞きしてきておりますが、その度にその哲学が身に滲みます。お二人の患者中心の診療の姿勢には毎回頭の下がる思いです。最後に、安藤先生が、この研究会などを通して、日本のロービジョン業界を牽引してこられたことに敬意を表しまして、私の感想とさせて頂きます。

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)、仲泊 聡(理化学研究所)、安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)、大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
    安藤 伸朗
    (済生会新潟第二病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6256

 14時40分~
  「眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション」
    山田 幸男
  (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科) 
  http://andonoburo.net/on/6250  

休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
    清水 朋美
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6229

  16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
    高橋 政代
    (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221

 

休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了 

2017年12月29日

報告:【新潟ロービジョン研究会2017】   4)安藤伸朗
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

「新潟ロービジョン研究会2017」から、安藤伸朗の講演要約をアップします。
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 演題:「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
 講師:安藤伸朗 済生会新潟第二病院眼科
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【講演要約】
 「眼科医の評価は目を治すこと」と信じ手術に明け暮れていた一眼科医が、視覚リハビリテーションに興味を持ち、ロービジョン研究会を立ち上げ16年間続けた。この度、最終回を迎え、ここまでの経緯を振り返ってみた。 

 私が医学部学生の昭和40年代後半から50年代にかけては、医学は急成長し癌に対する手術療法・放射線療法・抗がん剤治療などが華々しく進歩した時代であった。一方で、1957年に乳児死亡率が全国平均の2倍から、1962年に全国初の乳児死亡“ゼロ”を達成した岩手県沢内村((現西和賀町)の深沢晟雄村長や、農村特有の疾病の研究及び保健活動を積極的に行うことにより農村医学を発展させた佐久総合病院の若月俊一院長が注目を浴びていた。こうした時代に医学を学び、病を治すことのみでなく、予防やリハビリに興味を持った。医学部5年生の時に、新潟大学整形外科の田島達也教授(当時)に紹介状を書いて頂き、当時我が国で一番最先端のリハビリテーションを行っていた都立養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)に見学に出掛けた。当時の記憶は定かでないが、治すことをしっかりできる医師になってからリハビリを極めたいと思ったことを記憶している。 

 1977年(昭和52年)3月に新潟大学医学部を卒業し、すぐに新潟大学眼科学教室に入局した。大学眼科時代の18年10か月は、必死に患者さんの治療に明け暮れた。特に網膜硝子体疾患の手術の修練に励んだ。当時は難治性の網膜剥離や増殖糖尿病網膜症の治療を行う硝子体手術が日本に導入された頃である。手術の術を獲得するために講習会に出掛け、全国の眼科医と討論を重ねた。国内外で学会活動をした。当時恩師の岩田和雄教授には「単なる手術屋になってはならない。疾患の病態生理を学びそこから治療法を見出すことが大事」と諭された。研究のテーマは、血液網膜柵機能と網膜硝子体疾患で、外来診療の傍ら硝子体螢光測定を行っていた。 

 1984年に糖尿病網膜症で高度の視力低下に陥っていた患者Oさんの硝子体手術を行った。手術は成功し長い間見えなかった目が見えるようになった。Oさんは奥様ともどもとても喜んでくれた。ところが2週間と経たないうちに続発性緑内障になり結局光を失ってしまった。そしてあろうことかその数日後に入院していた病院で飛び降り、自ら命を絶ってしまった。このことが、内科の主治医の山田幸男先生(当時、信楽園病院)と出会いとなった。その後山田先生は、視覚障害者の視覚リハビリテーションに取り組み、新潟に素晴らしい視覚リハビリテーションを築いた。 

 1991年7月米国Duke大学留学しMRIとガドリニウムを用いた血液網膜柵の研究を行った。Dukeには硝子体手術の父と言われたRobert Machemer教授が在職しており、時間がある時は手術の見学が許され硝子体手術をまじかに学ぶことができた。Machemer教授は、常に真のサージャンの心得をレジデントに語っていた。「本当の医者は、自分の手術の上達に満足するのではなく、手術を受けた患者がどのように生活を拡大するかに心を配らなければいけない。手術後の屈折矯正を基本とする視覚環境のケアに眼科医はもっと関心を持たなければいけない」。今日でいうロービジョンケアに通じる言葉だった。 

 1996年2月に現在の済生会新潟第二病院に赴任した当時は、多くの眼科手術(特に網膜硝子体手術)の経験があり、どんな病気もメスで治すことが出来ると自負していた。赴任して一年ほどして、両眼増殖糖尿病網膜症の69歳男性が入院した。入院時視力は両眼0.1。何度も手術を繰り返すも、両眼光覚弁となってしまった。退院させようにも、親戚もなく日常生活も出来ずという状況で、メディカル・ソー シャルワーカーや看護師・保健師等々と度々相談した。こうした経験からロービジョンケアを取り入れようと国立障害者リハビリテーションセンター病院(以後、国リハと略す)第三機能回復訓練部部長だった簗島謙次先生にお願いして、当院の視能訓練士一人を2カ月ほど毎週所沢まで通わせロービジョンケアの手ほどきをして頂いた。1998年には国リハで行っていた視覚障害者用補装具適合判定医師研修会に参加し、私自身がロービジョンケアを学んだ。 

 2000年4月、日本ロービジョン学会が創設された。済生会新潟第二病院眼科でも始めたばかりだったので積極的に参加した。全国の経験や活動、そして多くの職種の方との交わりは刺激だった。2001年4月、学びながら発展したいと念じて、「新潟ロービジョン研究会」を開始した。本研究会には、我が国の眼科医療と視覚リハビリテーションの分野で活躍している方々をお招きし、県内外から参加者が集う会に成長した。 講師の先生方に講演抄録や講演要約を執筆して頂き、研究会のご案内や報告をメールやメーリングリストで全国に発信した。2001年から開始して今回2017年でトータルで18回となった(2001年は2回開催)。 

 メーカーなどからの資金援助なしで、ゼロからスタートしここに至るまで全国の先輩や仲間に指導して頂いた。講演者は旅費のみで来て頂いた。研究会の開催に当たっては病院眼科スタッフや病院関係者、そして会場作りなどで多くの皆さまのご協力を賜った。感謝の一言に尽きる。 

 定年を迎える2018年3月以降、どのような人生が待っているか分からないが、何かに興味を持ち、何とか情報を発信するであろう自分に期待し、ワクワクしている。 

 

【略 歴】
 1977年3月 新潟大学医学部卒業
      5月 新潟大学眼科学教室入局
 1979年1月 浜松聖隷病院勤務(1年6ヶ月)
 1987年2月 新潟大学医学部講師
 1991年7月 米国Duke大学留学(1年間)
 1992年7月 新潟大学医学部講師(復職)
 1996年2月 済生会新潟第二病院眼科部長
 2014年4月 杏林大学非常勤講師
 2017年11月 東京女子医大東医療センター 客員教授 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「新潟ロービジョン研究会を立ち上げて16年」
    安藤 伸朗
    (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション」
    山田 幸男
    (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科)
  http://andonoburo.net/on/6250
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
    清水 朋美
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6229
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
    高橋 政代
    (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了

 

2017年12月28日

報告【新潟ロービジョン研究会2017】 3)山田幸男先生
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

「新潟ロービジョン研究会2017」から、山田幸男先生の講演要約をアップします。
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演題:眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション
講師:山田 幸男(新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科)
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【講演要約】
1.眼科医赴任を待つリハビリ外来開設までの10年間
 私たちの視覚障害リハビリのきっかけは、1984年の糖尿病網膜症で失明した35歳男性(O君)の自殺でした。O君のような患者が周囲にたくさんいたため、次の自殺者を防ぐために、O君の自殺原因を検討する必要がありました。
 O君の生前の入院生活を振り返ると、トイレやナースステーションに行くときはもちろんのこと、食事をするときも常に奥さんの介助が必要でした。そのため奥さんは働くこともできず、経済的に困り、「俺さえいなければ」と死の道を選んだのではないかと考えました。もしO君が、自分で歩き、自力で食事ができたら、奥さんは働くことができ、自殺は防げていたのかもしれません。 
 当時、眼の不自由な人のリハビリが行われていることは私は知りませんでした。周囲の眼科医を含む医療関係者も知らない、聞いたことがないとの返事です。「視覚障害リハビリはまだないのかも?」頭の中がもやもやした日々が続きました。それを解消したのが、糖尿病学会での清水先生の講演でした。リハビリはすでに行われていたのです。すぐに先生のベーチェット協会江南施設を訪ねました。次いで全国にある主な施設も見学させてもらいました。
 そのリハビリですが、新潟県外の施設に行ってリハビリをやったことのある人が極めて少ないことと、病院内でリハビリを行ってほしいと答えた人が7割を占めたことから、リハビリは信楽園病院内で行うことを考えました。
 ところで、我々医療者が眼の不自由な人のリハビリの存在を知らなかったのは、医療(眼科診療)と福祉(リハビリ)の連携が不足していたためではないかと考えました。そのため、リハビリは眼科医と生活訓練士を中心に行うことが必要と考えました。ところが当院には常勤の眼科医が当時おりません。院長にお願いして大学からの赴任を待ちました。そして、1994年、待ちに待った眼科医、大石正夫先生が赴任してくださったのです。 

2.リハビリ外来の開設
 リハビリは、眼科医と関東のリハビリ施設の生活訓練士の先生を中心に、視能訓練士、糖尿病医、事務職員が担当しました。その後、看護師、栄養士、理学療法士、ケースワーカー、検査技師、ボランティアも加わり、月2日のリハビリ外来と、日常生活訓練を週4日行って、受診者の困ることに積極的に対応しています。 

3.心のケア
 眼が不自由になると、6割近くの人が一度は自殺を考えることや、半数の人がうつ病・うつ状態、すいみん障害、燃え尽きを経験したこと、家族などの介助者も同様の精神的なダメージが大きいことをアンケート調査で知り、家族を含めた心のケアの重要性を認識しました。その対応として、リハビリ外来、パソコン教室、グループセラピーや、我々の行う行事の中では心のケアを意識して運営を行っています。 

4.なんでもありのパソコン教室
 心のケアでもっとも大きな力になっているのがパソコン教室です。教室開設当時の20数年前は、パソコンは障害者にとっても革命的な手段でした。文字の読み書き、メール、インターネットなどができるからです。そこで眼の不自由な人の集まる場を「パソコン教室」と命名しました。もちろんパソコンも教えますが、パソコンをやらない人もお茶のみや情報交換の場としても利用できます。歩行や調理、化粧の指導などなんでもありの教室です。このパソコン教室が、実は眼の不自由な人の心のケアに大きな役割を果たしてきました。時には利き手が使えない脳卒中患者に、眼の不自由な人がワードの使い方を習得して、脳卒中患者に教えたことは、視覚障害者の大きな自信となりました。
 その効果の大きさから、県内10数か所にパソコン教室を開設しています。 

5.転倒予防・体力増進教室を含めた歩行講習会
 もっと外に出たいとの声が多いため誘導歩行教室を、白杖を使っている人の6割が一度も白杖の使い方を教わったことがないことを知り白杖教室、さらに体力の低下が著しいことから転倒予防・体力増進教室を含めた歩行講習会を毎月行っています。最近の調査で、眼の不自由な人も誘導や白杖の技術を身に着けるべきだと考えている人が多いことを知り、その指導方法を検討しているところです。 

 以上、眼科医と施設の生活訓練士を中心にした、多職種のスタッフが集まり、障害者の要望に応える私たちの視覚障害リハビリについて紹介いたしました。
 

【略 歴】  山田幸男(やまだ ゆきお)
 1967年(昭和42年)3月 新潟大学医学部卒業
  同年       4月 新潟大学医学部附属病院にてインターン
 1968年(昭和43年)4月 新潟大学医学部第一内科に入局。内分泌代謝斑に所属
 1979年(昭和54年)5月 社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
 2005年(平成17年)4月 公益財団法人 新潟県保健衛生センター 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「眼科医40年 患者さんに学んだケアマインド」
     安藤 伸朗
     (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「眼科医と生活訓練士を中心に多職種が集まった、なんでもありの私たちの視覚障害リハビリテーション
     山田 幸男
     (新潟県視覚障害者のリハビリを推進する会、NPO障害者自立支援センター「オアシス」、信楽園病院内科
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
     清水 朋美
     (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
  http://andonoburo.net/on/6229
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
     高橋 政代
     (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了

2017年12月26日

案内:第263回(18-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会      加藤 聡
 演題:ロービジョンケアを始めて分かったこと
 講師:加藤 聡(東京大学眼科)
  日時:平成30年01月10日(水)16:30 ~ 18:00
  会場:済生会新潟第二病院眼科外来 

【抄 録】
 私は東大病院眼科外来でロービジョン外来を立ち上げて16年、日本ロービジョン学会の評議員になって8年、同じく理事長になって5年が経ち、眼科医として思ってもみなかったことのいくつかに遭遇しました。それらを思いつくままに皆さんに知っていただきたいと思っています。

 私は眼科医として毎日、たくさんの患者さんを診ています。その一方、ロービジョンケアを始めて福祉の方々とも知り合う機会や、その方面の勉強も行うことも増えてきました。しかし、多くの眼科医を含めた医療関係者は福祉については不勉強です。その理由の一つに医師、看護師、視能訓練士も含めての医学教育の場では、福祉について学習する機会が非常に少ないことが挙げられます。医療と福祉は本来は継続すべきものなのですが、様々な点で差異が生じています。例えば、医療では患者は病院に自由アクセスできるのに対し、福祉では行政上の垣根を超えることができないなどです。

 日本でも、ロービジョンケアがずいぶん行われるようになってきたと思っています。しかしその一方、2017年のオランダで行われた国際ロービジョン学会で日本人のロービジョンケアに携わっている人を一番驚かせたことは、世界中195か国中178か国(91%)でロービジョンケアに対するデータがあるのに対し、日本ではロービジョンケアのデータがとられていない数少ない国に分類されていたことだと思います。ロービジョンケアに対するデータというのは医療分野がとるべきものなのか、福祉分野でとるべきものか、日本ではその方向性もはっきり見えできていません。

 我々眼科医はロービジョンケアの臨床論文を書くときにその対象として、patients with low visionとしますが、福祉や教育の方々の論文ではpeople with low visionまたはchildren with low visionとの記載を散見します。私たち、医療関係者はロービジョンの人を患者として見ていることは必ずしも良いことだとは限らないようにも思っています。

 以上のように医療と福祉の狭間に苛まれながら、医療側からのアプローチの限界と戦っている私の話をしたいと思っています。

 

【略 歴】 加藤 聡 (カトウ サトシ)
 1987年 新潟大学医学部医学科卒業
     東京大学医学部附属病院眼科入局
 1996年 東京女子医科大学糖尿病センター眼科講師
 1999年 東京大学医学部附属病院分院眼科講師
 2000年 King’s College London, St. Thomas’ Hospital研究員 
 2001年 東京大学医学部眼科講師
 2007年 東京大学医学部眼科准教授
 2013年 日本ロービジョン学会理事長
  現在に至る 

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。
 話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。 ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。  2018年3月で終了。 

  日時:毎月第2水曜日 午後
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
 新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
 http://occhie3.sakura.ne.jp/suzuran/

2)済生会新潟第二病院 ホームページ
   http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html

3)安藤 伸朗 ホームページ
   http://andonoburo.net/
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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成30年02月14日(水)16:00 ~ 18:30
 第264回(18-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会「ささえ、ささえられて」
  小林 章(日本点字図書館:歩行訓練士)
  「空気を感じて歩く楽しさと  少しでも楽に歩ける視覚活用方法を伝えること」
  大石華法(日本ケアメイク協会)
  「『ブラインドメイク物語』視覚障害者もメイクの力で人生が変わる!」
  橋本伸子(白尾眼科:石川県、看護師)
  「これからのロービジョンケア、看護師だからできること」
  上林洋子(盲導犬ユーザー;新潟市)
  「生きていてよかった!!」
  岩崎深雪(盲導犬ユーザー;新潟市)
  「私のささやかなボランティア …」 

平成30年03月14日(水)16:00~18:00
  第265回(18-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会(最終回)
   演題:これまでのこと、これからのこと
   講師:安藤伸朗(済生会新潟第二病院 眼科医)

 

2017年11月29日

案内:第262(17-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会   関 恒子
  日時:平成29年12月13日(水)16:30 ~ 18:00
  会場:済生会新潟第二病院 眼科外来
 演題:患者になってからの20年をふり返って私が伝えたいこと
 講師:関 恒子(長野県松本市) 

【抄 録】
  私が近視性の黄斑変性症を発症してから今年で21年になろうとしている。これまでに安藤先生から何回か私見を述べる機会を与えていただいたが、今回は最後ということで、この20年余りをふり返り、まとめてみたい。

  罹患後の最初の7年間は手術と合併症、再発などで様々な治療を試み、なんとかして視力を回復したい、視力低下をくい止めたいと願い、戦う日々だった。

 その後は徐々に現実を受け入れ、自分の状況にも適応することができるようになり、新しい生き方で生きることを決意して現在に至っている。だが視野狭窄が進行する中で、どこまで自分の障害を許容できるか疑問視する自分がいることも確かである。

 このような私の患者としての思いや願いに少しでも理解・共感してくださる方がいれば幸いである。

 

【略 歴】 松本市在住
 富山大学薬学部卒 薬剤師
 1996年左眼に続き右眼にも近視性血管新生黄斑症を発症
 1997年と1999年に黄斑移動術を受ける。
 この経験を生かして『豊かに老いる眼』を翻訳 (田野保雄監訳 文光堂)
 趣味はフルートの演奏、ドイツ文学研究、旅行など 

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。
 話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。 ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
  2018年3月で終了。 

  日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則)
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来  

*勉強会のこれまでの報告  下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
 新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
 http://occhie3.sakura.ne.jp/suzuran/

2)済生会新潟第二病院 ホームページ
   http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html

3)安藤 伸朗 ホームページ
   http://andonoburo.net/

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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会】
平成30年01月10日(水)16:30 ~ 18:00
 第263回(18-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:ロービジョンケアを始めて分かったこと
  講師:加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会理事長) 

平成30年02月14日(水)16:00 ~ 18:30
 第264回(18-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会「ささえ、ささえられて」
  小林 章(日本点字図書館:歩行訓練士)
   「空気を感じて歩く楽しさと  少しでも楽に歩ける視覚活用方法を伝えること」
  大石華法(日本ケアメイク協会)
   「『ブラインドメイク物語』視覚障害者もメイクの力で人生が変わる!」
  橋本伸子(白尾眼科:石川県、看護師)
   「これからのロービジョンケア、看護師だからできること」
  上林洋子(盲導犬ユーザー;新潟市)
   「生きていてよかった!!」
  岩崎深雪(盲導犬ユーザー;新潟市)
   「私のささやかなボランティア …」 

平成30年03月14日(水)16:00~18:00
  第265回(18-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会(最終回)
   演題:これまでのこと、これからのこと
   講師:安藤伸朗(済生会新潟第二病院 眼科医)

2017年11月26日

報告【新潟ロービジョン研究会2017】 2)清水朋美先生
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室 

 「新潟ロービジョン研究会2017」から、清水朋美先生の講演要約をアップします。 

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演題:眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える
講師:清水朋美(国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部長)
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【講演要約】
  眼科医の仕事は今も昔も眼の病気を治すことである。私の眼科医像はこの点だけは一貫して変わらない。しかし、私のこれまでの半生を「プレ眼科医期」、「眼科医前半期」、「眼科医後半期」に分けて考えてみると、「見えにくい人の最大理解者!目の専門家!」→「見えにくい人のこと、わかっている???」→「見えにくい人のこと、わかってない眼科医が多すぎ!!!」と各期とともに私の眼科医像は変遷してきた。変遷してきた最大の理由は父にある。 

  私の父は、ベーチェット病が原因で30歳の時に失明した。私が生まれる前にすでに父は失明していたので、父は私を見たことはない。「プレ眼科医期」の私は、父が見えていないことを自然と理解することができた。就学前の幼少時に、どうして見えないのだろう?と不思議に思い、母に尋ねた。この時に母からベーチェット病のことを聞いた。遠い昔の出来事だが、今もこの時のことは鮮明に覚えている。その時、眼科医になればすべて解決できると幼いながらも強く思った。何しろ、眼科医は「見えにくい人の最大理解者!目の専門家!」だと信じていたからだ。 

  そのまま医学部に進学し、更に運よくベーチェット病研究の第一人者である大野重昭教授(北海道大学眼科名誉教授)と出会い、当時先生がおられた横浜市立大学眼科の大学院生になり、留学の機会も与えられた。このように、私の「眼科医前半期」が始まった。研究テーマはもちろんベーチェット病で、この頃の私は、これでようやく長年の敵と向かい合えるという心境だった。しかし、臨床経験を積むにつれ、私には不思議に思うことが増えてきた。医学部時代から眼科医になっても、福祉制度、障害者、診断書等の書き方、患者さんへの病状説明の仕方について全く学ばないし、手帳がとれそうなのに取っていない患者さんが多いこと等々の疑問は膨らむばかりだった。更には、患者さんと眼科医の視覚障害についての知識が乏しく、患者さんは「見えなくなったら何もできない、死んだ方がマシ…」といった内容に終始し、眼科医も「見えなくなったらミゼラブル、大変、えらいこと…そこまで考えなくていい…」といった応答に止まっていた。幼少時から視覚障害者との接点が多かった私にはとても違和感があった。私には視覚障害者は暗いというイメージはなく、明るく楽しく過ごしている視覚障害者を沢山知っていたので、余計に不思議だった。眼科医は「見えにくい人のこと、わかっている???」という思いが経験を積むにつれ、強くなっていった。 

  縁あって2009年から今の職場である国立障害者リハビリテーションセンター病院で勤務しているが、まさに「眼科医後半期」に入り、「見えにくい人のこと、わかってない眼科医が多すぎ!!!」という思いを確信している。以前よりはロービジョンケアに関心を持つ眼科医は増えてきたとは思う。それは、平成24年度からロービジョン検査判断料が保険点数化され、私の職場で開催される「視覚障害者用補装具適合判定医師研修会」に参加希望の眼科医が右肩上がりに増えていることを見ても明白だ。しかし、まだ多くの眼科医にとってロービジョンケアは異質なものに見えてしまっていることが残念だと思う。 

  一般の眼科医にとってロービジョンケアが常識となるには、制度、道具、連携に力を入れた王道のロービジョンケアではなく、すべての眼科医が取り組める「クイックロービジョンケア」を推進していくことがこれからの時代には必要ではないだろうか。つまり、ロービジョンケアマインドを持って、見えにくい患者さんにちょっとしたことをアドバイスできる力を身につけることだ。それを実現するには、医学生のうちから福祉的なことも学び、視覚障害の体験をするのもよいだろう。眼科専門医受験資格に視覚障害の体験や研修会を盛り込めるとなおいい。 

  一定の経験ある眼科医には、ロービジョン患者さんの最大の困り事である「読み書きと移動」の2点を最低でも患者さんに確認するシステムを構築するのも一案だろう。異質でわかりにくいからロービジョンケアはやらないというのではなく、サインガイドひとつでいいのでちょっとしたことを見え方で困っている患者さんに教えていけるようにすれば、より多くのロービジョンの患者が救われるだろう。これこそが眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアだと思う。この体制を日本の眼科医に根付かせることが出来れば、日本のロービジョンケアは大きく変わると信じている。そのために、私の稀有な半生で得た経験が少しでも役立つのであれば、なお本望である。 

【参考URL】
 第9回オンキョー点字作文コンクール 国内の部 成人の部 佳作
 「忘れることのできない母の言葉」横浜市 西田 稔
 http://www.jp.onkyo.com/tenji/2011/jp03.htm

【略 歴】
 1991年 愛媛大学医学部 卒業
 1995年 横浜市立大学大学院医学研究科 修了
 1996年 ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所 留学
 2001年 横浜市立大学医学部眼科学講座 助手
 2005年 聖隷横浜病院眼科 主任医長
 2009年 国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科医長
 2017年 国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部長
 現在に至る 

 

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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)
     開場:13時半  研究会:14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」
 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「眼科医40年 患者さんに学んだケアマインド」
     安藤 伸朗
     (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「私と視覚障害リハビリテーション」
     山田 幸男
     (県保健衛生センタ/信楽園病院/NPO「オアシス」)
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
     清水 朋美
     (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
     高橋 政代
     (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
  http://andonoburo.net/on/6221
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東京大学眼科)
 17時50分 終了

2017年11月24日

報告【新潟ロービジョン研究会2017】 1)高橋政代先生
  日時:2017年09月02日(土)
   会場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室

 済生会新潟第二病院眼科で2001年開始(2001年は2回開催)、17回継続した「新潟ロービジョン研究会」は、新潟から眼科医療そして視覚リハビリテーションの情報を発信して参りましたが、今回の第18回が最後となります。ここまで続けてこれたのは、皆様のご支援のお蔭です。改めて感謝申し上げます。
 今回の研究会で行った4つの講演から、高橋政代先生の講演要約をアップします。


演題:ロービジョンケアとの出会い   
講師:高橋政代(理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)

【講演要約】
 iPS細胞を用いた網膜の再生医療は他家移植という第2のステージに進み、標準治療としての可能性を追求している。期待はますます高まっているが、正常に戻るというような視機能回復を望めない初期の再生医療では、患者ケアや術後のリハビリテーション(ロービジョンケア)が必要である。

 このような考えに至った背景には、アメリカのソーク研究所留学を終えて帰国後再生医療の対象となる網膜色素変性の専門外来を担当したからである。それまで詳しくは知らなかったこの病気の診療に大きな問題があることにすぐ気付いた。その当時網膜色素変性は、診断されると「遺伝病です。失明します。治療法がありません。」それだけを伝えられることが多かった。

 患者さんはどうしたら良いのかもわからず大きな不安を抱えて、ただただビタミン剤をもらいに病院に通うだけであることを知ったのである。紹介患者がほとんどの大学病院の外来では、「必ずしも失明するわけではありませんよ」というだけでほっとされて泣かれる方がとても多かった。

 これはおかしいと思った。患者に幸せと安心を届けるべき医療から間違った情報が伝わり余計な精神的ストレスを生み出している。正しい情報や有用な情報を何とか伝えたい。私にとってロービジョンケアは補装具ではなく、精神的ケアが入り口であった。 

 1年ぐらいどうしようかと困っている時に患者さんの中の森田茂樹さんが京大で拡大読書器の紹介をさせて欲しいと申し出てくれた。これは渡りに船。時間と知識があるけれど場所と対象患者を持たない森田さんとその逆の私。かくして当事者とロービジョンケアの素人が行うロービジョンケア外来が京大病院眼科で始まった。

 業界の方々はヒヤヒヤしてみていたであろう。しかし、私には森田さんから患者側から見たロービジョンケアをたっぷり学んだ貴重な経験であった。違う角度から入ったことでよかった点もあるのかもしれない。その後、京都視力障害者協会の協力も得て、視能訓練士の方も熱心に参画して徐々に形ができた。 

 その頃から安藤先生に新潟に呼んでいただいて、いろんな人に出会った。今一緒に外来をやってくれているカウンセラの田中桂子さん、iPadでデジタルロービジョンケアを広めている三宅琢先生、そしてアイセンター設立に向けて合流してくださったロービジョンケア総本山の仲泊聡先生、神戸のロービジョンケアの土台は新潟の会で培った人脈から生まれている。 

 本年12月に研究と臨床、そしてロービジョンケアや福祉がワンストップで受けられる神戸アイセンターが開院となる。入り口のフロアは公益法人NEXT VISIONのフロアである。バリアフリーならぬ段差だらけの「バリアアリー」であるが、そこに見えにくい人もそうでない人も安心して楽しめるユートピアを作りたい。

 さだまさしの小説「解夏」にもあるように、外来で出会う患者さん方の中では視覚障害が重篤になってからよりも視機能が低下していく途中の苦悩や不安が強いように感じる。まだ生活に不自由もないようなその時期の不安や悩みは極力少なくし、自由な心で将来の生活を思い描けるようになってほしい。 

 日本は旧来重度視覚障害に対する福祉は整えられていたが、そのもっと前、軽度障害の頃からのケアが重要であると感じる。網膜剥離の手術でも同じであるが、早期の治療が有効で、一度固まってしまうとそこから治療することは難しい。ロービジョンケアも視機能の低下によって自分で活動を制限してしまってからその生活を変化させるのは非常に難しい。早期のロービジョンケアが重要であるが、眼科医にはその必要性の認識が薄いし、当事者も勧めてもなかなかロービジョンケアや福祉を利用することに抵抗がある。それは軽度の視覚障害が世間に認知されていないために晴眼者と重度視覚障害と別世界であるような意識があり、障害者への自分の中の差別、向こうの世界に行きたくないという抵抗である。

 どんな障害でも軽度から重度までスペクトラムで存在しておりここから障害という境界線はない。ところが軽度障害の当事者が世間に認知されていないことにより視覚障害は身近にいない別世界の人になってしまっている。それが病気の進行の途中、まだ見えている時の苦悩であり、眼科医療、ビジネス、福祉すべての問題点である。 

 遺伝子診断をしているとわかる。あらゆる人が疾患遺伝子を持ち、性格も含めれば誰もが何らかの障害を持っているとも言える。今後、一般社会の中で活躍している視覚障害者が何の不安もなくカミングアウトできて障害者との壁が崩れ健常者も障害者もお互い助け合いながら不自由をデバイスで補って仕事を続けられる。そういうユートピアを目指して、NEXT VISIONはiSee!運動を展開していく。 

【略 歴】
 1986 京都大学医学部卒業
 1986 京都大学医学部附属病院 眼科
 1992 京都大学大学院医学研究科博士課程修了
 1995 アメリカ ソーク研究所 研究員
 2001 京都大学医学部附属病院 助教授
 2006 理化学研究所 チームリーダー
 2012 理化学研究所 プロジェクトリーダー
  現在に至る


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【新潟ロービジョン研究会2017】
 日 時:2017年09月02日(土)
     開場:13時半  研究会:14時~17時50分
  会 場:新潟大学医学部 有壬記念館 2階会議室
     住所:〒951-8510 新潟市旭町通1-757
 主 催:済生会新潟第二病院眼科
 テーマ:「私と視覚リハビリテーション」 

 1)司会進行
   加藤 聡(東京大学眼科)
   仲泊 聡(理化学研究所)
   安藤伸朗(済生会新潟第二病院)
  特別コメンテーター
   中村 透(川崎市視覚障害者情報文化センター)
   大島光芳(新潟県上越市)
2)プログラム
 14時00分~
   開会のあいさつ  安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 14時05分~
  「眼科医40年 患者さんに学んだケアマインド」
     安藤 伸朗
     (済生会新潟第二病院眼科)
 14時40分~
  「私と視覚障害リハビリテーション」
     山田 幸男
     (県保健衛生センタ/信楽園病院/NPO「オアシス」)
休憩(10分)
 15時25分~
  「眼科医オールジャパンでできるロービジョンケアを考える」
     清水 朋美
     (国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科)
 16時00分~
  「ロービジョンケアとの出会い」 
     高橋 政代
     (理化学研究所CDB 網膜再生医療研究開発プロジェクト)
休憩(10分)
 16時45分~全体討論
 17時40分~討論総括   仲泊聡(理化学研究所)
 17時45分~閉会の挨拶  加藤聡(東大眼科)
 17時50分 終了

 

報告:第261回(17-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会   仲泊 聡
  日時:平成29年11月08日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
 演題:「視覚障害者支援における課題の変遷」
 講師:仲泊 聡(理化学研究所 研究員;眼科医) 

【講演要約】
 私は、ごく普通の眼科医としての教育を受けたのち、1995年に神奈川リハビリテーション病院に勤務するようになって以来、20年余りを視覚障害者の皆さんとともに歩いて参りました。これまでに私が見聞きし、働きかけてきた視覚障害者支援の現場について、この機会にまとめてみました。まず、20世紀に起きたこと、そして、21世紀になってからは概ね10年ごとに区切り、最後には2021年からの10年についても展望したいと思います。 

 私が研修医をしていた頃、白内障手術に大きな変革の波が来ていました。そして、その技術が日に日に改良され、どんどん素晴らしい技術に発展する時代を過ごしてきました。私の同僚たちは、すべて手術に魅了されていきました。じつは、私が眼科医を目指したのは、分子生物学にハマって生化学教室に出入りしていた学生時代に、視神経再生の研究をしていた眼科の大学院生に出会ったのがきっかけでした。だから、卒業したら「研究」ができると思っていました。ところが周囲は手術一辺倒で、ちょっと違うなーと感じていた頃に、指導教授から研究テーマが与えられました。それが、なんと「大脳での色覚がどうやって生まれるかを調べよ」という課題でした。そこには、分子生物学とはまた違う魅惑の「脳科学」の世界が広がっていました。そして、その研究を深めるために私は神奈川リハビリテーション病院に赴任しました。 

 ところが、そこで出会ったのは、大勢の視覚障害者の皆さんでした。正直言って「えらいところに来てしまった」と思いました。なぜなら、視力をよくするのが眼科医の仕事だと刷り込まれて6年もたっていましたので、治療ができない目の見えない患者さんというのは、私にとっては「申し訳ない」という以上の「恐ろしい」対象となっていたからです。しかし、そのような環境に私は13年も身を置くことができました。それは、慣れたということでなく、素晴らしい視覚障害者の友人をたくさん持つことができたからだと思います。目の不自由さを乗り越え、社会復帰している方達は、一様にコミュニケーション能力に長けた聡明な紳士淑女でした。そして、その病院と併設していた七沢ライトホームの職員のおじさんたちから私は多くのことを学ばせていただきました。 

 20世紀の最後の5年を私は、そこで過ごしました。その期間は、実は視覚障害者支援のこれまでで最も元気な時代の最後のときだったのです。ライトホームの利用者さんの主な疾患は、ベーチェット病、網膜色素変性症と先天眼疾患でした。皆で登山を楽しむこともありました。しかし、世界ではその背景として大変な思想の転換が生じていたことを当時の私は知る由もありませんでした。戦後から障害者を庇護する政策が当たり前に続けられてきたなかで、1964年の世界盲人福祉協議会での「盲人の人間宣言」で、この庇護政策を『これほど盲人の人権を無視したシステムはない』と批判する方向性が打ち出されていました。 

 ライトのおじさんたちは、その動きを察知していました。そしてあの頃、私に課題は、1) 手帳の有無による大きな格差 2) 点字・白杖などステレオタイプな対応 3)障害者は守られるべきものと思われていること 4) 軍人になれなかった障害者に対する差別の因習 5) だから障害者にはなりたくないと手帳申請しない人がいること 6)障害者には経済的支援さえすればよいという行政等にあると聞かされていました。 

 21世紀になるとさすがの私もその異変に気づくようになりました。このままだと視覚障害者支援システムが崩壊してしまうという危機感をライトのおじさんたちと共有しました。そして、実際に障害者支援施設をゆるがす制度改革が次々に始まっていきました。措置に基づいて行われていた支援が、支援費制度になり、そして障害者自立支援法が2006年に施行されました。ライトホームの安泰の時代から徐々に入所者への対応の仕方が変わり、そして希望者激減の時代を私は彼らとともに歩きました。制度が庇護から自立へ変換するなかで、お金を払えない当事者や先を見通せない当事者が引きこもり、盲学校やリハ施設から姿を消していったのです。 

 そのような中で世間に先駆けていち早く行ったことは、地域での連携でした。現在の神奈川ロービジョンネットワークの前身となる会合を最初に開催したのが1999年2月のことでした。県内の4つの大学病院と県眼科医会に呼びかけ、それまでの教育と福祉主体の視覚障害者支援から医療と連携した支援体制の必要性を訴えました。なぜなら、視覚障害者の8割が眼科には通院しているという統計があったからです。リハの必要性を訴える場として、医療現場は欠かせないと考えたわけです。 

 この時代、私たちはこの先リハをする専門職がいなくなってしまうと考えていました。利用者が減るということは、行政から見れば需要がなくなったと解釈され、職員数が減らされます。自立支援法で障害の範囲が広がり、その区別がなくなったことから様々な特性を持った障害者が集まってきます。利用者の減少に歯止めをかけたくて施設側もそれまで拒んできた慢性疾患患者、高齢者、知的障害者を利用者として認めざるをえなくなっていきます。そして、それによって職員の視覚障害に対する専門性が奪われ、そして育たなくなっていくと考えました。 

 私は、2008年に神奈川を離れ、所沢の国立障害者リハビリテーションセンターに異動しました。異動の動機は一言では言えませんが、そのなかにこの重大問題をなんとかしなければという気持ちもありました。そして、そのポストを利用して学会などに働きかけ、教育・福祉の医療との連携を呼び掛けてきました。1) スマートサイト 2)中間型アウトリーチ支援 3) ファーストステップ と様々な仕込みをしてきました。そして現在を含む2011年からの10年には、日本眼科医会や日本眼科学会が福祉・教育との連携を真剣に考えてくれるようになり、この考えが当たり前のこととして受け止められるようになりました。 

 そして、次の10年、何をすべきかについて考えました。現在、大勢の同志が立ち上がり、視覚障害者支援のサービスの質と量を担保するために働いてくださっています。しかし、それでもなお、そのサービスの行き届かない地域があります。これをなくすのは一筋縄ではいきませんが、現在のICT技術は、ほんの10年前には想像していなかったほどに発展しています。これを使って遠隔でも支援ができないものかと現在はその技術開発に取り組んでいます。さらに、その方向性を確認するために、障害者権利条約の26章のリハビリテーションのところを読み解いて、1) 障害者相互の支援2) できるだけ早期に 3) できるだけ近くで という3つのキーワードを指針として、これからの計画を立てていきたいと思っております。 

 今年の12月1日には、神戸アイセンターがオープンします。NEXT VISIONという公益法人の活動として、上述の方向性をしっかりと見据えた活動をしてまいりますので、皆様、今後ともよろしくお願いいたします。 

【略 歴】
 1989年 東京慈恵会医科大学医学部卒業
 1995年 神奈川リハビリテーション病院
 2003年 東京慈恵会医科大学医学部眼科講師
 2004年 スタンフォード大学心理学科留学
 2007年 東京慈恵会医科大学医学部眼科准教授
 2008年 国立リハ病院 第三機能回復訓練部長
 2010年 国立リハ病院 第二診療部長
 2016年 神戸理化学研究所 研究員 

【後 記】
 大学の准教授から国立障害者リハビリテーションセンター病院の部長職を8年間務めた後、研究所の一研究員に身を投じた気概の眼科医仲泊聡先生が、ご自身の半生と視覚障害者支援の歴史を絡めた素晴らしい講演でした。
 得てして大真面目に本筋を語るよりも、ポロリと本音を語る場面は人を惹きつけます。私は冒頭の5分間で魅了されてしまいました。・視力をよくするのが眼科医の仕事であり、どれだけの視力を良くしたかが通信簿、・視力の悪い患者さんは、申し訳ないというよりも怖い存在、・視力の不自由さを乗り越えた(目の前にいる)患者さんは素晴らしい人たち、、、、、
 講演では、目の不自由さを乗り越え、社会復帰したコミュニケーション能力に長けた聡明な紳士淑女、そして病院に併設されていた七沢ライトホームの職員のおじさんたちから学んだこと断りながら、障害者を庇護する時代から自立支援への変革の理念と問題点等々が語られました。難しいイデオロギーや言葉・文章でしか得られなかった事柄が、平易な言葉で皮膚感覚で語られました。さらには現在の問題点、今後の展望も盛り込んだ膨大な講演でした。
 今後はNEXT VISIONという公益法人に身を置き活動していかれるとのこと、益々のご発展を祈念しております。 

 

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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成29年12月13日(水)16:30 ~ 18:00
  第262(17-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演題:患者になってからの20年をふり返って私が伝えたいこと
   講師:関 恒子(長野県松本市) 

平成30年01月10日(水)16:30 ~ 18:00
 第263回(18-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:ロービジョンケアを始めて分かったこと
  講師:加藤 聡(東京大学眼科准教授;日本ロービジョン学会理事長) 

平成30年02月14日(水)16:00 ~ 18:30
 第264回(18-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会「ささえ、ささえられて」
 小林 章(日本点字図書館:歩行訓練士)
 「空気を感じて歩く楽しさと  少しでも楽に歩ける視覚活用方法を伝えること」
 大石華法(日本ケアメイク協会)
 「『ブラインドメイク物語』視覚障害者もメイクの力で人生が変わる!」
 橋本伸子(白尾眼科:石川県、看護師)
 「これからのロービジョンケア、看護師だからできること」
 上林洋子(盲導犬ユーザー;新潟市)
 「生きていてよかった!!」
 岩崎深雪(盲導犬ユーザー;新潟市)
 「私のささやかなボランティア …」 

平成30年03月14日(水)16:00~18:00
  第265回(18-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会(最終回)
   演題:これまでのこと、これからのこと
   講師:安藤伸朗(済生会新潟第二病院 眼科医)