第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
ランチョンセミナー(共催:新潟ロービジョン研究会)講演要旨
「生きる」を変える,携帯端末と視覚リハ事情
三宅 琢(Gift Hands)、氏間 和仁(広島大学)
平成25年6月22日 新潟大学駅南キャンパス「ときめいと」
【講演要旨:第一部(三宅)】
iPadやiPhoneは触知可能なホームボタンに代表される、視覚障害者の使用を考慮した構造的なユニバーサルデザインを標準装備したデバイスである。またこれらのデバイスは障害者補助機能であるアクセシビリティが充実している。本講演ではアクセシビリティ機能のうちズーム機能や白黒反転機能がどのようなシーンで活用され、ホームボタンへのショートカット機能を有効にする事でより実践的に活用できる機能となる事を解説した。
次にアプリケーションソフトウェア(以下アプリ)の重要性について解説した。タブレット端末では購入後にアプリを購入する事で、多くのエイドをアプリとして一つの端末内で持ち歩ことが出来る。代表的なアプリである電子書籍リーダーでは書籍の文字サイズやフォント、背景色等が患者各人に合わせて設定可能であり、この事は紙ベースの書籍を拡大して閲覧する行為とは根本的に読書の意味を変える。その他、カメラアプリを利用した簡易式の携帯型拡大読書器としての活用をはじめとした活用事例を紹介し、患者の生活がどのように変化したかについて報告した。
携帯端末を用いたロービジョンケアとはデバイス自体の機能説明ではなく、その先にあるアイデアの紹介である。視覚障害者たちの日々の生活の中で生まれたニーズと、それを解決するアプリの選定および紹介こそがロービジョンケアであり、その普及にはアクセシビリティ機能等に対する正しい理解が必要である。またエイドとしての導入前に家族や仲間と間に絆が存在した症例では、一般機器であるため導入後には一層彼らの絆が強まっていくのを日々の外来で実感する事が出来る。今後はいかにこれらの絆を構築するかが、エイドとして導入できるかの条件になる事と考えられる。
【講演要旨:第2部(氏間)】
はじめに実際に高校の授業でiPadを利用している愛媛県在住の高校生とFaceTimeを用いて,利用の様子を話してもらった。教科書や資料をPDFにしてiPadに保存し,授業中に活用している様子が紹介された。
現在,iPadの視覚障害教育での利用は着実に広まっている。私どもの研究では,ロービジョンの視機能に応じた表示を手軽に作り出す,HTMLビューアを完成させ,授業での利用をはじめたのが2000年であった。それ以来,WindowsCEを搭載した携帯情報端末や,WindowsXPを搭載したタブレット端末を利用したロービジョン者の読書環境の向上に関する研究と実践を続けてきた。そういった立場からすると,これまでの夢が実現する機械がようやく登場したといった感覚である。前半の3分の1はこのような内容を紹介した。
視覚補償法には,相対サイズ拡大の拡大教科書等,相対距離拡大の拡大鏡,相対角度拡大の単眼鏡,電子的拡大の拡大読書器や拡大パソコン等をあげることができる。iPadはこれらの視覚補償法では実現できないニーズを叶えてくれる。例えば,読書中にルビを大きくしたいときにピンチアウトで大きくできる,大きな視界で大きくして見ることができる,起動したいと思ったら1秒以内に起動できる,機能を追加できるといったニーズをこの1台が叶えてくれる。しかし,iPadを手にすれば,これまでの視覚補償法が不要になるわけではない。これまで視覚補償法とiPadを,目的に応じて使い分けたり,併用したりする目的志向のアプローチが重要である。また,世の中にはタブレット端末は多く存在するが,拡大したいところを即座に大きくしたり,倍率を変えたり,まぶしいと感じたら配色を反転したり,設定するだけで,音声読み上げできたりできるのは,現在のところ,iPad等のiDevicesである。中盤の3分の1では,このようなengagingとaccessibilityのコンセプトで開発された機械の魅力を紹介した。
例えば,カメラアプリを使うと,細かな目盛りを大きくして見ることができたり,顕微鏡の接眼レンズの視界を画面全体に拡大して見ることができたり,コントラストが低い映像のコントラストを大きくして映したり,実に様々な応用が可能である。ロービジョンの人たちと広島平和公園を,iPadを持って見学した際,窓ガラスの向こうの展示物をその場で確認できたり,コントラストの小さい影のコントラストを大きくして見ることができた。参加者からは,「これまで,スルーするのが当たり前だった博物館で,見る喜びを感じた。」といったポジティブな感想が寄せられた。終盤の3分の1では,授業や生活の中に浸透し,「見える」ことに喜びにつながっているケースを紹介した。
多機能機であるiPadを有効に利用するためには,使用目的を明確にすることが大切のようだ。当事者の見え方から生じるニーズを見極め,これまでの視覚補償法と合わせて,iPadも選択肢に加えて,検討することが大切であると考えられる。
【略歴】
三宅 琢 日本眼科学会眼科専門医、認定産業医、Gift Hands代表
2005(平成17)3月 東京医科大学卒業
同年3月 東京医科大学八王子医療センター 研修
2007(平成19)4月 東京医大眼科学教室入局
2012(平成24)1月 東京医科大学 眼科 兼任助教
永田眼科クリニック 眼科 勤務医(名古屋) Gift Hands 代表
同年3月 東京医科大学大学院卒業
2013(平成25)1月 三井ホーム株式会社 産業医
氏間 和仁 広島大学大学院教育学研究科准教授
1994(平成6)3月 筑波大学理療科教員養成施設卒業
同年4月 愛媛県立松山盲学校教諭
2005(平成17) 3月 明星大学大学院人文学研究科教育学専攻修了
2006(平成18) 4月 福岡教育大学教育学部講師
2008(平成20)10月 福岡教育大学教育学部准教授
2011(平成23) 4月 広島大学大学院教育学研究科准教授
2002(平成14) 第10回上月情報教育賞優良賞受賞
2003(平成15) 第13回特殊教育ソフトウェアコンクール
特殊教育研究財団理事長奨励賞受賞
第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
(共催:新潟ロービジョン研究会)講演要旨 招待講演
「網膜色素変性、治療への最前線」
山本修一 (千葉大学大学院医学研究院教授 眼科学)
2013 年6月23日(日)
チサンホテル&カンファレンスセンター新潟 越後の間
【講演要旨】
網膜色素変性は長らく「不治の病」とされてきたが、この数年で研究が急速に進み、多くの研究が動物実験から実際の患者を対象とした臨床試験に発展し、網膜色素変性の治療が現実のものとなりつつある。
網膜色素変性の原因は網膜の視細胞の遺伝子異常であり、この遺伝子がコードするタンパク質の異常が生じる。そして視細胞の変性から細胞死(アポトーシスまたはネクローシス)に至り、最終的には視細胞が消失して完全な網膜変性に至る。このような病気の各段階に応じて治療戦略が考えられている。すなわち、①原因となる遺伝子異常に対する「遺伝子治療」、②視細胞の変性から細胞死に至る過程を抑える「網膜神経保護」、③消滅した網膜視機能を再建する「人工網膜」と、④「網膜の再生および移植」に大別される。このうちの遺伝子治療、網膜神経保護、人工網膜について、実際に臨床試験が行われているものに限って紹介する。
遺伝子治療は、網膜色素変性の特殊型であるレーベル先天盲における成功が、世界的に華々しく報じられた。同じRPE65遺伝子異常を持つイヌに対する治療の成功を受けて臨床試験が行われ、RPE65遺伝子を網膜下に注入したすべての患者で視機能の改善が得られた。これは画期的な成果ではあるが、残念ながら直ちにすべての色素変性に応用可能なわけではない。まず原因遺伝子の特定が必要だが、色素変性の遺伝子は多岐に渡り、未だに新しい遺伝子の発見が続いている。また原因遺伝子を特定可能なのは、日本人患者では30%程度と推測されている。さらに原因遺伝子が特定されても、それぞれの遺伝子について治療の安全性や効果の検証が必要となるだろう。
神経保護では、米国における毛様体神経栄養因子(CNTF)の臨床試験が進行中であり、視機能の維持、視細胞数の減少抑制が確認されている。ヒトの網膜色素上皮細胞にCNTF遺伝子を導入して持続的にCNTFを産生するように改良し、この細胞を特殊なカプセルに詰めて、カプセルを眼内に埋植する。カプセルに守られた細胞は免疫系の攻撃に晒されることなく、長期にわたってCNTFを眼内に放出し続ける。網膜色素変性のみならず萎縮型加齢黄斑変性も臨床試験の対象となっているが、日本で臨床試験が行われる目途はたっていない。
0.15%ウノプロストン(オキュセバR)点眼液による神経保護の試みは、日本オリジナルのものである。本来は緑内障治療薬として開発された薬剤であるが、神経保護効果も併せ持つことが見出され、網膜色素変性を対象に臨床試験が行われた。当初は視機能悪化の抑止が期待されたが、実際には高濃度投与群で網膜感度の上昇がみられ、プラセボ群との間に有意な差が観察された。この結果をもとに、180例を対象とした52週間の第3相臨床試験が開始され、症例のエントリーは順調に進んでいる。
人工網膜は、米国で開発されたArgus IIがすでに米国と欧州で医療機器としての承認を受け、実際に患者への移植が行われている。電極が60個と限られているため視力に限界はあるが、先行する欧州からは臨床報告が相次いでいる。ドイツで開発された人工網膜は、1500個の電極あるため解像度に優れ、サイコロの目の数や向かい合った人の表情も判別できると報告されている。日本では大阪大学のグループが、強膜内に埋め込む人工網膜の開発を進めている。
これらの治療法は、直ちにすべての患者に適応可能というわけではないが、網膜色素変性の治療はもはや夢物語ではなく、間近に見える明るい希望の光であることは間違いない。
【略歴】
1983年 千葉大学医学部卒業
1989年 千葉大学大学院医学研究科修了
1990年 富山医科薬科大学眼科講師
1991年 コロンビア大学眼研究所研究員
1994年 富山医科薬科大学眼科助教授
1997年 東邦大学佐倉病院眼科助教授
2001年 東邦大学佐倉病院眼科教授
2003年 千葉大学大学院医学研究院眼科学教授
2007年 千葉大学医学部附属病院副病院長併任
2008年 日本網膜色素変性症協会(JRPS)副会長
第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
(共催:新潟ロービジョン研究会)講演要旨 招待講演
「iPS細胞を用いた網膜再生医療」
高橋 政代(理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
網膜再生医療研究プロジェクト プロジェクトリーダー)
2013 年6月23日(日)
チサンホテル&カンファレンスセンター新潟 越後の間
【講演要旨】
昔から眼は様々な新しい治療が最初に導入される場である。臓器移植としては角膜移植が腎臓移植と並んで始まり、人工レンズは早くから最も成功した人工臓器の一つである。また、網膜色素変性の遺伝子治療も一定の成功を納めている。加齢黄斑変性に抗VEGF剤が効果をあげているが、これは抗体医薬の最初の成功例である。そして、今、iPS細胞を用いた細胞治療も網膜で初めて行われようとしている。
2006年にマウス皮膚の線維芽細胞に4つの遺伝子を入れることでシャーレの中で無限に増えて、一方で身体中のあらゆる細胞を作ることができるiPS細胞(人工多能性幹細胞 induced pluripotent stem cells)が発表された。その1年後にはヒトのiPS細胞も作成された。それまでにES細胞(胚性幹細胞Embryonic Stem cells)から作った網膜色素上皮細胞を網膜疾患治療に応用できることを示していた我々は、ES細胞と同じ性質を備え、しかも拒絶反応を回避できるiPS細胞にとびついた。
そして6年の臨床への準備を経て、2013年8月に臨床研究に関与する3機関の倫理委員会と厚生労働省の審査で承認を得て世界で初めてのiPS細胞を用いた臨床研究が開始となった。具体的には加齢黄斑変性という網膜色素上皮細胞の老化によって引き起こされる疾患で、網膜の中央部(黄斑)が障害されるため全体の視野は問題ないが、見ようとするところが見えない、視力が低下して字が読めなくなるという疾患である。網膜色素上皮の老化が原因で、網膜の裏側にある脈絡膜から新生血管が発生する。新生血管に対しては効果的な眼球注射薬が存在するが、高価な上に1、2ヶ月毎に治療しなければ再発をするため、治療を続けなくてはならない。そこで、老化し障害された網膜色素上皮を患者本人のiPS細胞から作った正常で若返ったRPEと置き換えることによって、その上の視細胞の層を保護する役目がある。
最初の臨床研究では2年間にわたって6名の患者を選び治療後1年間で効果を判定する。移植する細胞シートは様々な検査で安全性が確認されている。未知の予測不可能な危険はゼロとは言えないが、細胞よりも細胞を移植する手術、これは毎週眼科で施行されている手術とほぼ同様のものであるが、その手術の危険の方がはるかに大きいのである。放置すると失明につながるような合併症は、数パーセントで起こる事が知られている。これは、報道などからは伝わらない事実である。
また、なかなか伝わらないのは、この細胞治療の効果である。最初の臨床研究はあくまでこの治療の安全性、特に移植する細胞が腫瘍を作らないか、拒絶反応を引き起こさないかを明らかにする研究である。よって、効果のある治療であるかどうかは安全性が確認されてから次の問題である。もちろんある程度の効果は期待して臨床研究を行うが、それでも矯正視力は多くの場合0.1まで回復するのがやっとであろうと予測される。従って、自然と臨床研究に参加していただく方の矯正視力は0.1以下の方に絞られてくる。「再生」という言葉はもとどおりに回復するという意味が本義であるので、網膜の再生というとよく見えるようになるという印象を受けてしまうのは仕方ないことである。しかし、そのような期待で臨床研究に参加すると裏切られる事になり、網膜の再生医療は健全なスタートをきる事ができない。
報道の短い時間や字数制限の中で伝えられる情報は多くない。報道だけが情報源である場合は、どうしても誤解が大きいようである。重要なことは、複数の情報源をもち、事実をそのままに受け取ってもらう事。我々は、将来の再生医療の発展のためにそれを説明し続けなければならない。また、過剰な期待を抱くのは、その裏側に障害の解消だけが解決策と考え、その他の方向性をまったく模索しないという場合に多い。つまり、疾患の正しい情報を集め障害の現状を理解して甘受する「健全なあきらめ」(九州大学 田嶋教授)(*)が必要である。
また将来、網膜の細胞治療(再生治療)が成功したとしても、0.1程度の低視力に留まることが多いため、その状況で補助具などを使い有効に視機能を使える事が治療の効果を十分に引き出すために重要である。すなわち、どの分野でも同様であると考えられるが、再生医療とはリハビリテーション(ロービジョンケア)とセットで完成する治療である。
(*)「健全なあきらめ」(田嶌誠一 九州大学教授)
変わるものを変えようとする勇気
変わらないものを受け入れる寛容さ
そしてその二つを取り違えない叡智
【略歴】
1986(S61)京都大学医学部卒業
1986(S61)-1987(S62)京都大学付属病院眼科研修医
1988(S63)-1992(H4)京都大学大学院医学博士課程
1992(H4)-2001(H13)京都大学医学部眼科助手
1995(H7)-1996(H8)米国サンディエゴ ソーク研究所研究員
2001(H13)-2006(H18)京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
2006(H18)- 理化学研究所 発生再生科学総合研究センター
網膜再生医療研究チーム チームリーダー
(組織改正による)理化学研究所 発生再生科学総合研究センター
網膜再生医療研究開発プロジェク リーダー
第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会 講演要旨 特別講演
「視覚障害者のこころのケア」
山田 幸男(新潟県保健衛生センター・信楽園病院内科)
日時:平成25年6月22日(土)
会場:チサンホテル&カンファレンスセンター新潟 越後の間
【講演要約】
1.目が不自由になると一度は死を考える
目が不自由になるとそれが原因で、少なくとも2人に1人は死ぬことを考えます(文献1)。いや、「目が不自由になると、誰もが一度は死ぬことを考える」といったほうが正しいのかも知れません。パソコンや携帯電話など文字を頻繁に使う現在のような情報社会にあっては、目が不自由になると、仕事や日常生活が難しくなります。
視覚障害者は生活行動や精神面で大きなハンディキャップを抱えながら、回復の見込みがないままに、また視力の残っている人は全く見えなくなるのではないかと不安を抱(いだ)きながら、生き続けなければなりません。がんなどの病気と違って、視覚障害の終点には“死”がないため、耐え切れなくなると、自分から死を選ぶのだと思います。
2.うつ病などこころに関連する病気が多い
目の不自由な人には、うつ病をはじめ、すいみん障害、不安障害、パニック障害、過換気症候群など、こころに関連した病気を併発することが少なくありません。なかでも、うつ病は多く、かつ苦痛が大きいので見逃すことができません。最近晴眼の大人のうつ病患者が増え、5人に1人といわれています。目の不自由な人にはさらに多くみられます。
私たちの調査では、目の不自由な人97名のうち、うつ病の人は23.7%(23名)、うつ状態の人は24.7%(24名)、ほとんど問題なしの人は51.6%(50名)でした(文献2)。この結果から明らかなように、目の不自由な人のほぼ半数はうつ病やうつ状態にあります。とくに女性や糖尿病の人に多いことが注目されます。
そのみられる時期は、仕事や日常生活動作が困難になった時がもっとも多く、次いで病気の進行したとき、視覚障害の現われた時、見えなくなった時、などです。視覚障害が原因でおこるうつ病は、多くは大うつ病性障害の一つである反応性・症候性うつ病に含まれます。反応性・症候性の場合は、比較的短い期間でなおるともいわれ、私たちは次に述べるパソコン兼喫茶室がきわめて有効と考えています。
3.パソコン教室兼喫茶室はこころのケアにも有効
私たちが開設して間もなく20年になるパソコン教室兼喫茶室が視覚障害者のこころのケアに役立つかを47名の利用者に聞いたところ、21.3%の人は大いに役立っている、76.6%の人は役立っていると答えていました。とくにこころが和む、元気が出る、などこころのケアに有効と考える人が多く、さらに友達作り、楽しむ場、また情報交換の場としても皆さん利用しています。パソコンの普及を兼ねた喫茶室は視覚障害者の自立に欠かせないため、県内10数か所にパソコン教室兼喫茶室を常設して、リハビリテーションに、またこころのケアの場として利用してもらっています。
4.障害者は地域で治療を受けることを望んでいる
多くの障害者、とくに高齢者は、長年住み慣れた地域社会でリハビリを受けたいと思っています。家族に囲まれながら、自分の座を確保しながら、リハビリテーシヨンを受けることを望んでいます。そのため家族と離れてまでして技術を身につけなくてもよいといいます。またリハビリテーションをやるような精神状態ではないことも無関係ではないようです。障害者医療は、本来、地域医療であるといわれています。ほとんどの視覚障害者は、できることなら家族と生活しながら通院でリハビリテーションをやりたいと考えています。
5.燃えつき症候群―家族にもこころのケアは必要
視覚障害者とその介護にあたる家族は、対人関係や、期待・要求に必死に頑張ろうとする慢性的なストレスのために、身体的に、また精神的に、エネルギーの消耗した状態になりがちです。このような状態を、明るいろうそくが燃え尽きる姿になぞらえて、「燃えつき症候群」、「燃えつき」などといわれていますが、障害者の半数以上、家族の4割弱が経験していまこころのケアは、障害者とともに介助にあたる家族などにも必要です。
文献
1)山田幸男、大石正夫、ほか:中途視覚障害者のリハビリテーション(第6報)視覚障害者の心理・社会的問題、とくに白杖、点字、障害者手帳、自殺意識について。眼紀 52:24-29、2001.
2)山田幸男、大石正夫、ほか:中途視覚障害者のリハビリテーション(第9報)視覚障害者にみられる睡眠障害とうつ病の頻度、特徴。 眼紀 55:192-196、2004。
【略歴】
1967年(昭和42)3月 新潟大学医学部卒業
4月 新潟大学医学部附属病院インターン
1968年(昭和43)4月 新潟大学医学部第一内科入局(内分泌代謝斑)
1979年(昭和54)5月 社会福祉法人新潟市社会事業協会信楽園病院
2005年(平成17)4月 公益財団法人新潟県保健衛生センター
学 会
日本内科学会認定医、日本糖尿病学会専門医、日本内分泌学会専門医、
日本ロービジョン学会評議員、日本病態栄養学会評議員
著 書
・視覚障害者のリハビリテーション(日本メディカルセンター)
・視覚障害者のためのパソコン教室(メディカ出版)
・白杖歩行サポートハンドブック(読書工房)
・目の不自由な人の“こころのケア”(考古堂)
・目の不自由な人の転倒予防(考古堂)、ほか
第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会 講演要旨 特別講演
「視覚障がい者はどうして支援機器を使わないのか?」
林 豊彦(新潟大学・教授 大学院自然科学研究科/工学部福祉人間工学科)
日時:平成25年6月22日 午前
会場:チサンホテル&カンファレンスセンター新潟 越後の間
【講演要約】
1.視覚障がい者は支援機器を活用しているか?
新潟市障がい者ITサポートセンターを設立した2008年、支援機器の使用状況を把握するためにアンケート調査を実施した。対象者は、身体障がい者手帳、療育手帳、精神障がい者福祉手帳をもつ新潟市民全員である。1500票配布し、有効回答799票をえた。視覚障がい者の内訳は41人(5.1%)であった。調査する支援機器は、代表的ないくつかの機器とし、各機器について「知らない」「聞いたことはある」「知っているが不要」「必要だが未使用」「使用中」のどれかを選んで答えてもらった。本来の調査目的は、使用状況と個人・環境要因との関係を分析することにあったが、結果は驚くべきものであった。
視覚障がい者の自立支援および就労・就業支援に必要な拡大読書器、Wiondows拡大鏡、ピンディスプレイ、スクリーンリーダー、光学式文字読み取り装置装置に対して、「知らない」と答えた割合は、それぞれ79.5%、85.5%、94.4%、94.4%、91.5%で、「使用中」の割合は、拡大読書器の5.1%が最高であった。このように、新潟市の視覚障がい者は、ほとんど支援機器を知らなかった。そのような現状では、潜在的なニーズはあるが、現実的なニーズは少なく、いくらサポートセンターを設置しも利用者は来てくれないことになる。
2.支援技術とその背景
支援技術とは、TIDE(1991)の定義によれば、「機能的な制約を補い、自立生活を助け、かつ高齢者・障がい者が能力を発揮できるようにする技術」である。すなわち、能力を発揮するための環境要因のひとつである。私は医用生体工学が専門であったため、この分野に入ったとき、取りあえずアメリカのある学会・機器展示会に参加してみた。驚いたことは、日本では見たことも聞いたこともない多くの機器が展示されているばかりか、実際に使っている障がい者も参加していたことである。どうしてアメリカでは使われているに、日本では使われていないのだろうか?それが私の素朴な疑問であった。
その理由はすぐにわかった。日本とアメリカの法律の違いであった。アメリカでは、1990年に障がい者の差別を禁止したADA法(障がいをもつアメリカ人法)が制定され、1997年には障がい児が能力に応じて教育を受ける権利を保証する個別障害児教育法が改訂されていた。つまり、障がい者が支援機器を就学・就労に活用できる法的環境が整えられていた。そのための公的な予算措置もあった。支援機器の専門家が職業として存在し、その利用を支援するNPOも存在していた。
3.新潟市障がい者ITサポートセンター
嘆いているだけではしかたないので、地域の関連期間・団体・組織と連携してセンターの運営体制を整え、2009年度から実質的な支援を開始した。いまだ地域ニーズが少ないことを考慮して、事業戦略は「障がい者が必ず関係する病院と学校に対して積極的に営業活動を行い、介入する」こととした。具体的には、出前の講演会・講習会・研修会を頻繁に開催した。それが功を奏し、4月は支援件数が13件しかなかったものが、1年後には月平均50件を越えるようになった。平成24年度は、全支援件数が721件(月平均60件)、講座・研修会の開催が41件であった。支援員がひとりしかいなセンターとしては、画期的な数字ではないかと思う。
当センターの支援ポリシーは、単独では支援しないで、コメディカルや教師など他分野の専門家といっしょに支援することである。すなわち、障がい者がほんとうに必要としている環境を、医療・福祉・教育の専門家と恊働で整備することである。「我々ができる支援をする」のではなく、「障がい者個人にとって最適な環境を作る」ことが必要だからである。平成24年度に連携した機関・組織・団体は52におよぶ。
4.支援体制の問題と解決策
上記の実績にもかかわらず、我々が支援してきた障がい者は、必要としている人のごく一部にすぎない。それは当センターの支援体制そのものに問題があるからである。つまり、支援員がひとりしかいない状態では、直接的な支援をいま以上に増やすことは不可能に近い。しかし、支援技術者という職業が存在しない日本では、支援技術者の増加も困難である。
その解決策としてひとつ考えられることは、当センターの社会的機能を、職業として成り立っている専門家に分散させることである。つまり、コメディカルと教師の一部を支援技術の専門家として育成することである。各学校・病院に、そのような専門家がひとりいれば、簡単な問題はそこで解決でき、それによって支援できる人を増やすことができる。サポートセンターは、その上部組織として、難しいケースの支援、機器情報の提供、機器の貸し出し、教育・研修などを行えばよい。そのために今年度、コメディカルを対象とした教育カリキュラムを作り、試行的に教育も行ってみた。来年度からは、新潟県作業療法士会と協力して教育を始める予定である。牛歩の歩みではあるが、前には進んでいると思う。
【略歴】
1977 新潟大学工学部・電子工学科卒業
1979 新潟大学大学院・工学研究科修士課程修了
新潟大学・助手 歯学部
1986 歯学博士 (新潟大学)
1987 新潟大学・講師 歯学部附属病院
1989 工学博士 (東京工業大学)
1991 新潟大学・助教授 工学部情報工学科
1996 Johns Hopkins大学・客員研究員
1998 新潟大学・教授 工学部福祉人間工学科
2008 新潟市障がい者ITサポートセンター長(兼任)
演題:「楽しい外出をサポートします 〜『同行援護』その効果とは〜」
講師:奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)
日時:平成25年8月7(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
初めに、筝によるミニコンサートが行われました。
〜ミニコンサート・プログラム〜
1. 六段の調べ・・・・・・・・・・・・八橋検校作曲
2. 『天空の城ラピュタ』君をのせて・・久石譲作曲
3. 見上げてごらん夜空の星を・・・・・いづみたく作曲
さて、「どうして同行援護の講演の前に筝(こと)の演奏を??」と、思われるかもしれませんが・・・実は、日本の伝統音楽・伝統楽器(琵琶、筝(こと)、三味線等々)と視覚障害者は密接な関係があります。
琵琶・筝・三味線・浄瑠璃の演奏、鍼灸按摩等の職業は江戸時代まで視覚障害者が独占しており、晴眼者はこれらの職業に就くことはできませんでした。中世のころから存在した当道座(男性盲人の自治的組織・職能団体)は幕府の保護のもとに享受された様々な特権がありました。(官位、演奏場所の提供、治外法権的な裁判等々)これぞ、中世の福祉制度と言えるでしょう。
そのような時代背景の中で日本の伝統音楽、鍼灸医学の発展が促進されたと言われています。我が国最上級の文化遺産の「平家物語」をはじめとする日本の伝統音楽や鍼灸按摩の技術の伝播に視覚障害者が大きく関わっていたことは今更ながら驚きです。明治維新以降、当道座は廃止となり、日本の伝統楽器の演奏は一般化して晴眼者も演奏されるようになりました。
◆障がい福祉サービスの歴史
昭和37年(1962) 老人家庭奉仕員派遣制度スタート(在宅高齢)
42年(1967) 身体障害も対象に
45年(1970) 心身障害者(児)も対象に
49年(1974) 盲人ガイドヘルパー派遣事業スタート
56年(1981) 脳性マヒ者等ガイドヘルパー派遣事業スタート
63年(1988) 視覚障害者生活介補員派遣事業スタート
平成13年(2001) 知的障害者ガイドヘルパー派遣事業スタート
15年(2003) 支援費制度スタート(措置から契約へ)
18年(2006) 障がい者自立支援法スタート
23年(2011) 10月から視覚障害者ガイドヘルプが「同行援護」へ移行
25年(2013) 障害者総合支援法スタート
◆同行援護サービスの内容
1.移動時及びそれに伴う外出先において必要な視覚的情報の支援(代筆・代読を含む)
2.移動時及びそれに伴う外出先において必要な移動の援護
3.排泄・食事等の介護その他外出する際に必要となる援助
◆情報支援と情報提供
1.移動中の情報提供は見えるものすべてを言葉にして伝えます。
ただし、利用者が望まない場合は、必要に応じた情報提供を行います。
2.外出から帰宅までは様々なことに遭遇したり、状況の変化があったりします。同行援護従事者はそれらの状況を、的確にわかりやすい言葉で伝えなくてはなりません。
3.視覚障害者にとっての一番大切な情報は、全然に移動するために必要な情報です。二番目に大切な情報は、移動中の周囲の状況を伝えることで視覚障害者のメンタルマップ作りの手助けになるような情報です。
4.状況説明と一口に言っても、一朝一夕で出来るわけではありません。日頃から、様々な同行援護場面を想定して、状況説明の練習をしておくとよいでしょう。
◆視覚障害者にとってのリハビリって?
・中途視覚障害の人にとっては、以前の生活を取り戻すこと?
・先天性視覚障害の人にとっては、見えない不自由さを感じないで生活すること?
~同行援護サービスでは、上記の中でも外出に関することをサポートします~
◆同行援護の利用によりQOL向上の事例
Aさん 75歳 男性 中途失明
網膜色素変性症により40歳頃から視力が衰え始める。見えにくいながらも、何とか一人で歩行出来ていたため、よくカラオケなどに行っていた。70歳になり完全に失明し、まったくどこへも出掛けなくなってしまった。歩く機会が減ったため足腰の筋力が衰えてきた。
↓↓
保健センターから同行援護を勧められて、ガイドヘルパーと出かけるようになった。カラオケには二度と行けないと思っていたが、行けるようになった。ガイドヘルパーは歌詞も読んでくれるため、見えなくても歌うことが出来る。定期的に出かけるようになったら、足腰の筋力も付いてきて歩くことが楽しくなってきた。
Bさん 45歳 女性 中途失明
3年前に網膜色素変性症と診断され、あっという間に見えなくなってしまった。まさか自分が視力を失うとは夢にも思わなかった。気分も塞ぎがちになり外出する気にもなれず家事もおろそかになってきた。
↓↓
知り合いから同行援護という制度があることを聞き区役所を通じて申し込みしてみた。初めは気乗りしなかったが、ガイドヘルパーと歩いてみたら意外と楽しかった。自分で買物ができることが何より嬉しい。洋服を買いに行く時はおしゃれして行こうという気持ちになったし、食べたいものを沢山の商品の中から選ぶことが出来る(情報支援)
Cさん 61歳 女性 先天性視覚障害
生まれつき見えないため、歩行訓練により慣れたところは白杖をつかって移動することが出来る。しかし、洋服や食品など買物の時は視覚的情報がないために、商品を選ぶのに不便。
↓↓
マッサージの仕事や、サークル活動などへ行く時は一人で行っている。買い物等は母親と行っていたが母親も高齢のため付添は難しくなってきたためガイドヘルパーを利用することにした。誘導だけでなく情報支援や代読・代筆などのとき助かっている。
◆おわりに
QOL(生活の質)の向上例はたくさんあります。外出によってもたらされる様々な効果は、どんなリハビリよりQOL向上に繋がっているのではないかと思います。視覚障害の皆様に、「ガイドヘルパーを利用して良かった!」と言っていただけることが、私たちガイドヘルパーにとって最高の喜びです。これからも、「安心」「安全」「楽しい」ガイドヘルプを心がけ、サービス向上に努力し、外出をサポートしていきたいと思います。 ありがとうございました
【略歴】
平成 9年7月 (財)新潟市福祉公社にホームヘルパーとして入職
平成17年4月 合併により新潟市社会福祉協議会に所属変更
障がい者訪問介護センター センター長
移動支援事業、ガイドヘルプコーディネートを担当。同行援護・移動支援従事者養成研修の開催、事業所内の移動支援実技研修講師等を担当。
介護福祉士、介護支援専門員、移動支援従事者指導員、福祉住環境コーディネーター新潟市社会福祉協議会に勤務する傍ら、筝(こと)による演奏活動、福祉施設でのボランティア演奏等を行っている。
「ボランティア演奏、お気軽にお声掛けください。どこでも演奏に伺います!」
【後記】
視覚障害者の外出保障は40年以上の歴史をもって継続され、ガイドヘルパー事業として徐々に改善されてきました。そして、2011年10月より同行援護事業として障害者自立支援法の個別給付と位置づけられました。これまで外出時の代筆や代読などの情報処理ないしコミュニケーション支援がガイドヘルパー事業に含まれるのか否かが問題となっていましたが、同行援護事業ではこれらがサービス内容の本質であることが明確になりました。個別給付として全国一律の制度となり、地域生活支援事業で問題となっていた地域によるばらつきが解消されるものと期待されていました。
しかし実際には、厚生労働省が示した事業内容が市町村において徹底されるには至っておらず、統一されるべき基準が市町村によって異なる事態が発生しており、一部では混乱も生じています。
このシステムを充分に活用し、視覚障害者の移動を保証するためには、制度のより一層の改善も必要でしょうが、利用者の上手な活用法のスキルアップもキーポイントかなと、奥村先生のお話をお伺いし感じました。
そして何より、こうした重要なことを担っているヘルパーさんの存在の大きさを改めて感じました。
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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
「言葉 ~伝える道具~」
多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
「眼科医として私だからできること」
西田 朋美 (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)
平成25年11月13日(水)16:30~18:00
「夢について」
櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)
平成25年12月11日(水)16:30~18:00
演題未定
稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ;東京都新宿区)
平成26年01月8日(水)16:30~18:00
未定
平成26年02月12日(水)16:30~18:00
演題未定
関 恒子 (松本市)
演題:「言葉 〜伝える道具〜」
講師: 多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
日時:平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【抄録】
先日、コンサートで後ろの席の女性から演者を指して「あんなに綺麗なのに目が見えないなんて・・・かわいそう。」という言葉が聞こえてきた。どのような人がそのような言葉を出したか見てやろうと思っていたがコンサートが終わった時に私はその人の顔を見ることも忘れて音楽の余韻に浸っていた。その女性はきっと同情心にあふれた良い人なのであろう。しかし私はその言葉に大きな違和感を感じた。まず、演者は音楽家として音楽で私に素晴らしい時を与えてくれた。そして彼女が綺麗で素敵な女性であることは私も認めるがもし彼女が綺麗でなければ見えなくても仕方ないのか? きっと後ろの女性にこんな話をしたら「そんなつもりで言ったんじゃない」と言われるでしょう。また「かわいそう」という言葉がどれほど多くの悲しみや困難の中にいる人達を傷つける言葉になり得るか私は39年間のこの仕事においてまなざしが視線となって突き刺さることもあることを経験的に学んできている。
私が仕事においてかかわってきている犬たちはまさにNon Verbal Communicationでパートナーに対して余計な事を言わず秘密には固く口を閉ざしている。また我々は盲導犬使用者である目の見えない人、見えにくい人達に対して Non Visual Communicationをもって接しているだろうか、考える時を皆様と共有したいと思っています。
【略歴】
1974年 青山学院大学文学部神学科中退
財団法人日本盲導犬協会の小金井訓練所に入る。
1982年 財団法人関西盲導犬協会設立時に訓練部長として参加
1994年 国際盲導犬連盟のアセッサー(査察員)に任命
(日本人では唯一人;現在に至る)
1995年 クイーンズランド盲導犬協会(オーストラリア)
シニア・コーディネーターとして招聘。後に繁殖・訓練部長に就任
2001年 帰国。財団法人関西盲導犬協会のシニア・コーディネーターに就任
2004年2月 財団法人関西盲導犬協会のシニア・コーディネーター退職
3月 盲導犬訓練士学校、財団法人日本盲導犬協会付設盲導犬訓練士学校
教務長(日本初)
4月 財団法人日本盲導犬協会付設盲導犬訓練士学校開校
2009年4月 財団法人日本盲導犬協会事業本部
学校・訓練事業統括ゼネラルマネージャー
2012年6月 公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術・訓練士学校 担当常勤理事
*盲導犬クイールを育てた訓練士として有名
著書:「犬と話をつけるには」(文藝春秋)、
「クイールを育てた訓練士」(文藝春秋、共著)等
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興味があって参加可能な方は、遠慮なくご参加下さい。どなたでも大歓迎です。(参加無料、事前登録なし、保険証不要)。ただし、お茶等のサービスもありません。悪しからず。
今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。下記のいずれでも視聴できます。
http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai
http://nitsc.eng.niigata-u.ac.jp/saiseikai/
録画はしておりません。当日の視聴のみ可能です。
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。
参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
2)済生会新潟第二病院 ホームページ
http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html
3)安藤 伸朗 ホームページ
http://andonoburo.net/
【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
「眼科医として私だからできること」
西田 朋美
(国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)
平成25年11月13日(水)16:30~18:00
「夢について」
櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)
平成25年12月11日(水)16:30~18:00
演題未定
稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ;東京都新宿区)
平成26年01月15日(水)16:30~18:00
未定
平成26年02月12日(水)16:30~18:00
演題未定
関 恒子 (松本市)
「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
(1)「自分を信じて」 中学部 3年
(2)「一冊から得られること」 高等部 普通科 2年
日時:平成25年7月10(水)16:30 ~ 17:30
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
(1)「自分を信じて」新潟県立新潟盲学校 中学部3年
自分はできない。あきらめようか。そう思ったことはありませんか?
僕も今までの人生でそう思ったことは何回もあります。その中でも一番大きな挫折感を味わったのは、4歳から6歳に挑戦した、自転車に乗ることです。僕は小さい頃から目が見えません。当時の僕はそんなことを気にしてはいませんでした。兄が自転車に乗っているので、「自分も乗ってみたいな」と思い、父と母にその気持ちを伝えると、僕の誕生日に自転車を買ってくれました。
最初は補助輪をつけて、乗り方を父と母に教えてもらい、何回も練習しているうちに、乗れるようになりました。その時、胸は喜びで一杯になりました。次に補助輪を外して練習しました。補助輪の支えが無くなった僕は、今までのように乗れなくなりました。サドルにまたがっただけで転びました。自分で自転車を起こし、サドルには乗ることができましたが、今度はこぐ練習です。たくさん転んで擦り傷が絶えませんでした。それでも僕はくじけずに頑張りました。でも、あるとき転んだ拍子に身体を下水の蓋に打ち付け、七転八倒しました。その時僕は、「自分にはできない。あきらめようかな。」という沈んだ気持ちになりました。それから一年くらいは自転車から離れていました。
あるとき「少し乗ってみるか」という軽い気持ちで乗ってみました。案の定僕は乗った瞬間に転んでしまいました。それを見ていた友達のお母さんが、「地面を足で蹴って、自転車が止まる前にペダルに足を乗せ、ペダルをこげば乗れるんじゃない」と、丁寧にアドバイスしてくれました。僕は、「よし!やってみよう。」と思いました。最初はうまく乗ることはできませんでしたが、2回・3回と乗っているうちに、いつの間にか乗れるようになっていました。その時は、「やった!」という満足感と、「乗れたぞ」という喜びでいっぱいになりました。
改めて自分を振り返ってみても、「あきらめない」という思いも、「乗れたぞ」という満足感や達成感につながったのではないかと思います。これからの人生、いろいろな障害にぶつかり、立ち止まることも多々あると思いますが、「あきらめなければ何かが見えるはず」という思いを胸に頑張っていきたいと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(2)「一冊から得られること」新潟県立新潟盲学校 高等部 普通科2年
皆さんは、自分にとって最高の一冊と呼べる本がありますか?
私は本を読んで良かったと感じたことを紹介し、皆さんに読書の良さを知ってもらいたいと思います。まず一つめは読書を共通の趣味として、周囲の人との関係を築くことができるということです。中学校に進学して間もなくの頃、私の席の近くで読書をしているクラスメートに、彼が読んでいる本について尋ねました。すると、その質問から少しずつ発展して、色々なことを話していくうちに、互いの趣味や性格、相手がどのように接して欲しいのかなどお互いに理解できるようになりました。たった一冊の本でも、「親友」と呼べる仲間を作ることができるのだな、と思いました。
二つめは、読書を通して難しい漢字や表現方法を無理なく覚えることができることです。さらに覚えることができるだけでなく、そこで覚えた知識を文章を書くときに利用できることです。中学校で意見文の課題が出された際、行き詰ったので、休憩しようと小説を読み始めました。その本の内容は意見文の内容と全く関係ありませんでした。しかし、読み始めて少しすると、行き詰っていたのが嘘のようにアイディアが浮かんできました。次回の意見文を書くときにも、同じように本を開いてみようと思いました。
皆さんの中には、難しい本を読むのは疲れると思う方もいらっしゃると思います。しかし、初めから分厚い本を読まなくてはならないわけではありません。気負わず読み続ければ良いのだと思います。一方で、もっと本を読みたいのに時間がないという方もいらっしゃると思います。しかし、少しずつ読み進めても十分に楽しむことが可能なのです。疲れる、時間がないなどの理由で読書をすることを諦めず、簡単な本からでも少しずつでも本を読んでいただきたいと思います。
最後に、今一度お尋ねします。皆さんには、自分にとって最高の一冊と呼べるものがありますか?私はそれを見つけることができて良かったと今でも思っています。そして、皆さんにも最高の一冊を見つけるためにたくさん本を読んでいただきたいと思います。
【後記】
新潟盲学校の生徒の弁論大会を当院で行うようになって10年経ちます。今回も視覚に障がいを持つ中学生と高校生が、精一杯に病院で弁論を行いました。
最初の弁論では、自転車が出来るようになるまでの苦労と、出来た時の達成感を語ってくれました。思えば自転車乗りと鉄棒の逆上がりは、多くの人にとって人生で最初の試練ではないでしょうか?この自転車乗りの試練を乗り超えることができた体験を堂々と発表してくれました。「諦めないこと」「自分を信じること」の大切さを、一生懸命に訴える中学3年生の弁士の姿に感動しました。
2番目の弁論では、最初に「あなたにとって最高の一冊と言える本はありますか?」と皆に問いました。正直、なかなか素直に答えることが出来た人はあまりいませんでした。一冊の本を読んだことから、共通の友人を得たこと、文章表現を学んだこと等々、感動したことを訴えてくれました。この高校2年生がこのまま素直に成長してくれることを願いました。
今年も爽やかな感動をもらいました。
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【全国盲学校弁論大会】
大会への参加資格は、盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、はり、きゅう、あんま、マッサージの資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学する中高年の中途視覚障害者も多い。7分という制限時間内で日ごろ胸に秘めた思いや夢が語られる。今年で82回を迎えた。
【全国盲学校弁論大会:関東・甲信越大会】
平成25年6月21日 茨城県立盲学校(水戸市袴塚)
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20130622ddlk15040059000c.html
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。
参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している 音声パソコン教室ホームページ
http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
2)済生会新潟第二病院 ホームページ
http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html
3)安藤 伸朗 ホームページ
http://andonoburo.net/
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00
「楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)
平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
「言葉 ~伝える道具~」
多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
「眼科医として私だからできること」
西田 朋美
(国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)
平成25年11月13日(水)16:30~18:00
演題未定
櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)
演題:「楽しい外出をサポートします!〜『同行援護』その効果とは!?」
講師:奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)
日時:平成25年8月7(水)16:30 ~ 18:00
*今回は第1週の開催になります。ご留意下さい。
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【抄録】
視力が不自由になり一人で外出ができなくなったとしたら・・・
みなさん、どうされますか? 外出のできない人生・・・想像できますか?
当センターでは、視覚障がい者を対象とした移動のサポート「同行援護事業」を行っております。全盲・弱視・先天性視覚障害・中途視覚障害など様々な障がいをお持ちの方が同行援護の制度を利用し外出を楽しまれています。
「同行援護」とは「視覚障がい者への移動の支援」と「視覚情報の提供」を行う制度で、たとえば支援の内容は以下のようなものです。
1 移動の支援
外出先での安全かつ快適な移動を心がけます。移動中に生命の危険となるような状況を回避します。
2 情報の提供
他のサービス(例えば介護保険)にはない、専門性を必要とする独自の支援です。視覚障がい者の目となり、あらゆる情報を提供することで視覚障がい者本人が自己決定できるよう環境情報などを的確に、かつ客観的に伝えます。
3 代読・代筆
外出先で必要な代読・代筆を行います。視覚障がい者の気持ちを大切にしながら正確に行います。
様々な処へ外出することが視覚障がい者にとり、如何にリハビリ効果を発揮し、どれだけ豊かな人生を過ごせるか、事例を交えお話ししたいと思います。
【略歴】
平成 9年7月 (財)新潟市福祉公社にホームヘルパーとして入職
平成17年4月 合併により新潟市社会福祉協議会に所属変更
障がい者訪問介護センター センター長
移動支援事業、ガイドヘルプコーディネートを担当。同行援護・移動支援従事者養成研修の開催、事業所内の移動支援実技研修講師等を担当。
介護福祉士、介護支援専門員、移動支援従事者指導員、福祉住環境コーディネーター新潟市社会福祉協議会に勤務する傍ら、筝(こと)による演奏活動、福祉施設でのボランティア演奏等を行っている。
「ボランティア演奏、お気軽にお声掛けください。どこでも演奏に伺います!」
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興味があって参加可能な方は、遠慮なくご参加下さい。どなたでも大歓迎です。(参加無料、事前登録なし、保険証不要)。ただし、お茶等のサービスもありません。悪しからず。
今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。下記のいずれでも視聴できます。
http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai
http://nitsc.eng.niigata-u.ac.jp/saiseikai/
録画はしておりません。当日の視聴のみ可能です。
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。
参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
2)済生会新潟第二病院 ホームページ
http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html
3)安藤 伸朗 ホームページ
http://andonoburo.net/
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
「言葉 ~伝える道具~」
多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
「眼科医として私だからできること」
西田 朋美
(国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)
平成25年11月13日(水)16:30~18:00
演題未定
櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)
演題:「視覚障害グループセラピーの考察」
講師:小島 紀代子(新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会
NPO法人障害者自立支援センターオアシス)
日時:平成25年6月12日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
こころのケアの一つとして2000年から行われ、150回以上続いている「グループセラピー」の考察を通して、オアシスの活動全体をみつめる良い機会になりました。視覚障害リハビリテーションは「こころのケア」に始まり、最後まで必要な治療で最も難しいと云われています。
私たちの活動の中で『直接的なこころのケア』は、①」視覚障害リハビリテーション外来 ②グループセラピー③なんでも相談・電話相談です。
『間接的なこころのケア』として、④パソコン・機器の使い方、点字教室 ⑤白杖・誘導歩行介護講習会 ⑥調理・化粧教室・日常生活指導・転倒予防 ⑦サマースクール・学校訪問 ⑧看護学生実習受入れ ⑨同行援護従事者養成講座 ⑩新潟県内パソコン教室姉妹校10校の開設があげられます。
活動の根幹は、月2回の「リハビリ外来」です。その外来は、東京から経験豊かな清水美知子先生、石川充英先生と眼科の大石正夫先生、内科の山田幸男先生他で診療が行われています。先生方は、広い視野と既成概念にとらわれないユニークな人間性をお持ちです。その精神やお考えのもとに多くの職種、人々が連携し、「チーム医療」が行われています。
Ⅰ.「グループセラピー」とは何か、目標は?
目の不自由な人【ピア(Peer)「仲間」「対等」】が中心になり、集団で行う。
1) 同じ目の不自由な人と出会いたい。「気持ち」「情報」「考え方」を『わかちあい』抑えていた気持ち、怒り、悲しみを外に出し、役立つ情報を得て、前向きな考え方を仲間と共に身につける。
2)『わかちあい』から気持ちが楽になり、『ひとりだち』へ。ガイドヘルパー制度を使って、スーパーで買い物、近くの公園を散歩して帰宅。自分で選び自分で決めることが「自立」そして、社会参加へと。
3 『ひとり立ち』は、鬱ウツしていた気持ちが解けて、安心して自由な気持ちで話ができ、いろんなことが許せ、「社会への働きかけ」へと発展していく。
以上が、グループセラピーの目標です。
オアシスでは、毎月第1土曜日13時~15時に開催。メンバーは対等、個人の意志の尊重、話したくない時は話さない。この部屋で聞いたことはこの部屋に置いていく。新しいメンバーを大切に、話しやすい雰囲気を作るなど、簡単なルールのもと、目の不自由な人の司会進行で行っています。
Ⅱ.グループセラピーのアンケート調査から
グループセラピーによく参加している人、1,2回参加した人、参加していな方に分けて、調査をしました。
○参加する目的
「同じ目の不自由な人の話を聞いてみたい。どうして生活しているのか知りたい」
○参加してよかったことは?
「自分だけが悩んでいるのではないことが分かった」、「前向きに考えられるようになった」「機器の情報、生活の工夫がわかった」
よく参加する組は、「家族や晴眼者にはわからないつらさや失敗が話し合えた」、「気持ちが楽になった」
○不満に思うこと、よくない点は
「ある程度のところで話が終わり、解決策が得られない」、「一般社会の価値観とのずれや、メンバーの固定化」
○本音が、話せたかどうか?
1,2回組み~「何とも言えない」が66%でした。
○こころのケアに役立ちましたか?
よく参加する組は「役立った」が92%
1,2回組みは、「役立たない・何とも言えない」が50%です。
○どういう時に、どういう人が参加するといいでしょうか?
「視力低下の不安の強い 人、何か困ったことがある時、少し落ち着いた頃」。
○どういうテーマがよいですか?
「ひとりになった時にどうしたらいいか」「毎日の生活の工夫」「視力が落ちて行く不安」「家族との葛藤」が上位、
その他、「差別や偏見」「白杖が持てない」「冠婚葬祭の時の対処のしかた」「親や配偶者の介護」など、よく話題になるテーマです。
○家族を入れたグループセラピーの案が出ていますがどう思いますか?
「家族も視覚障害が分かるので、あったほうがよい」1,2回参加組42%
「家族が参加しないように思うから今のままでよい」よく参加する組33%
○まだ参加してない人に・・参加されないのはなぜですか?
「まだ参加する気持ちになれない」「自分の気持ちが話せるかどうか心配」60%
Ⅲ.グループセラピーのまとめ
よく参加するAさんは、視力が落ちてくる不安を何回も何回も口に出し、好きなことを見つけ今の自分を受けとめ、全盲になられても落ち着いています。
1.2回の参加のBさんは、まだ仲間との信頼関係ができていないので、本音が話せない、自慢話は聞かされる、足の確保も難しいなど、ある程度続けないと気持ちや情報の「わかちあい」までは到達しない。しかし、1,2回でも、『悩んでいたのは、自分一人ではない』ことが分かり、『視力が落ちて行く不安』『生活の工夫』など、グループセラピーは、継続してほしいと願っていますが、ご自分は「リハビリ外来」の先生方と話し合うほうが合っていると。
Cさんも1,2回組みですが、オアシスの福祉機器普及係として、次の視覚障害者に教える、姉妹校にも行政への働きかけを呼び掛けるなど、「機器の使い方教室」で生き生きとしています。
長年皆さんの傍にいる私は、『「人」は、語ること、弱さ、つらさを吐きだすことで、納得し強くなれる。聴くことにより、自分を、障害を、客観視でき、役に立つ情報を得、前向きな考え方に変化させていく』など、障害を受け容れるには、時間とお仲間の力は、大切な要素と感じています。
グループセラピーの良い点は、前向きになれる。自分のことは自分で決める。変えられないことがあることが分かるなど。
気をつけることは、どうしても、内側に向きがちです。新しい風、社会に働きかけること。そこだけで解決するのではなく、リハビリ外来や地域に繋がる必要性を痛感します。
また、今後は、『家族』のグループセラピーや、家に閉じこもっている方へのアプローチの検討と、視力が低下していく方、困った時などに、なくなってはいけないのが、「リハビリ外来」・「オアシス」・「グループセラピー」だと思いました。活動の継続、広報のあり方を多くの皆さんと考えたいと思います。
Ⅳ.みえてきたこと
メインの活動に、「パソコン・機器使い方教室」「白杖誘導歩行講習会」「調理・化粧教室」などがあります。誰もが「こころのケア」をしてもらっている感覚はなく、技術を学ぶ場として定着していますが、仲間が集まりお茶やおしゃべりができ、技術を学ぶ場が一緒にあることが、「こころのケア」として大きく貢献していると思いました。
中途で障害者となり、言葉も失いかけた人たちが、自分を表現できる場があり、受け入れ難いことも、仲間と交ること、生活するための技術を学ぶことで、「こころ・からだ」が、強くなれます。「リハビリ外来」といろんな職種の人たちの支援を得ての『チーム医療』のお陰と思いました。
最後に、参加した目の不自由な方にお聞きしました。「不自由・不便から得たものは?」そんなことあるわけがないと言いながら「人の気持ちが分かる」「家族の有難さ」「小さいことに感謝できる」「信頼できる仲間に出会えた」など・・「苦」を体験した人達の人間的『深さ』を垣間見た気がしました。
どんなに科学が発達しても、「人と人との支え合い」により、絶望から「希望」が見える。相互扶助が「よりよく生きる」ための基本だと改めて感じさせていただきました。
よき先生方とオアシスの仲間たち、支えて下さる多くの皆さん、発表の場を与えて下さった安藤先生に心から感謝申し上げます。
【略歴】
1994年 「新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会」事務局
1994年 信楽園病院「視覚障害リハビリテーション外来」スタッフ
1995年 信楽園病院「視覚障害パソコン教室」スタッフ
2000年 「いのちの電話」相談員認定 現在休部
2005年 「NPO法人障害者自立支援センターオアシス」 理事・事務局
2005年 信楽園病院移転のため活動場所を移動(有明児童センター2F)
月2回「視覚障害リハビリテーション外来」スタッフ
週4回「日常生活訓練センターオアシス」スタッフ
現在に至る。
【後記】
オアシスのアイドル、小島さんの講演に多くの方が集まりました。150回も続けているグループセラピー、、、、 お聞きしながら、多くの医療関係者に聞いて欲しいと思いました。 「こころのケア」から話が始まりました。
・受け入れ難い状況を受入れ、行動できる「力」を得るために出来ることは?
・舌は一枚だが耳は二つあるのだから、「語る」ことよりも「聴く」ことが大事。
・「不自由・不便」から得るものがあるはず。。。。
・医者が行うのは治療と説得、でも患者に必要なことは納得
・人は、大切なものを失った時、「言葉」も失い、言いだせない時がある
・医者は医学の力で病を治療するが、グループセラピーは自然治癒力を高める効果がある。どちらも必要、
「視力を失って得たものはありますか?」という小島さんの問いに答えてくれた皆さんの答えも印象的でした。
・真の友人を得た ・感謝の気持ちを持つことが出来た・・・・・・・
最後にフリーアナウンサーの樋口幸子さんが登場して、皆で大きな声を出し朗読会を行いました。大きな声を出すと元気になれます。締めくくりは、素敵な詩「そのあと」(谷川俊太郎)を朗読してもらい参加者一同、感動しました。
今回、改めて小島さんのお話を伺い、優しさ、ひたむきさに心が打たれました。益々の活躍を祈念致します。
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附)「そのあと」谷川俊太郎
そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある
そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている
そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に
http://homepage2.nifty.com/fruit~/sakuhin2013/sonoato/sonoato.html
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『NPO法人障害者自立支援センターオアシス』
http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/
「グループセラピー」
日時:第1土曜日 13時~15時まで
場所: 有明児童センター2階相談室
対象: 目の不自由な人と御家族
http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/serapy.html
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。 参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
1)ホームページ「すずらん」
新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
2)済生会新潟第二病院 ホームページ
http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html
3)安藤 伸朗 ホームページ
http://andonoburo.net/
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00
「楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)
平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
「言葉 ~伝える道具~」
多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
「眼科医として私だからできること」
西田 朋美
(国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)
平成25年11月13日(水)16:30~18:00
演題未定
櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)