2010年1月13日

報告 第167回(10‐01月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会    渡辺哲也
    演題: 「視覚障害者と漢字」 
    講師: 渡辺 哲也(新潟大学 工学部 福祉人間工学科)  
  日時:平成22年1月13日(水)16:30~18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】 
 視覚障害者による漢字の利用についてある学会で発表したところ、聴講者の一人から「視覚障害者に漢字を使わせる必要があるのですか」という質問を受けました。視覚障害者、特に全盲の方には点字があるのだから、それだけ使っていれば良いではないかという意見です。これに対するわたしの答えは次のとおりです。現在では視覚障害者がパソコンを使って文章を書いたり、電子メールをやりとりすることが一般的になっています。そのような場面で仮名ばかりの文章を書いたら、第一に、相手にとって読みづらいでしょう。見える人にとっては、漢字を中心とする文節をひとまとめで読む方が、仮名を1文字ずつ読むよりも理解しやすいのです。第二に、仮名ばかりの文章は幼稚な印象を与えるおそれがあります。だから、漢字を使って文章を書けた方がいいと思われます。 

 もっと重要な理由もあります。それは、漢字を核とする単語は日本語そのものであり、単語への理解を深めるには、単語を構成する個々の漢字の意味の理解が不可欠だということです。先天性の視覚障害児童の中には、「音楽」を「音学」と、「気勢」を「奇声」と思いこんでいるなど、同音異字への間違いがときどき見られます。このような場合、単語そのものの意味も間違って覚えてしまい、間違った使い方をしてしまうかもしれません(「奇声をそがれる」とするなど。正しくは「気勢をそがれる」)。 

 視覚障害者が漢字を取り扱う体系としては、漢点字、6点漢字、詳細読みがあります。

 漢点字は、大阪府立盲学校教諭だった川上泰一氏が、視覚障害者にも漢字の文化を伝えたいという思いで考案しました。漢字を構成する部首などの要素を点字1マスで表現し、この要素を1~3マス組み合わせて、一つの漢字を構成します。点字は通常6点ですが、漢点字は8点なので触って区別しやすくなっています。 

 6点漢字は、東京教育大学附属盲学校教諭だった長谷川貞夫氏が、点字入力で計算機に漢字を印刷させるために考案しました。こちらも点字3マスを用い、1マス目が前置符号、2マス目と3マス目が漢字の音読みと訓読みというのが基本的な構成です。覚えるのは大変ですが、3回のタイピングで済むので、仮名漢字変換をするより速く入力できます。 

 パソコンへの入力手段として多くの視覚障害者に日々利用されているのが漢字の詳細読みです。これは、漢字をその読みや熟語、構成要素などで説明することで、一つの漢字を特定する方法です。詳細読みはスクリーンリーダ製品ごとに異なっています。また、説明語によってその分かりやすさも変化します。 

 渡辺は、平成15年から18年にかけて、この詳細読みを子どもたちにも分かりやすくするための研究をおこないました。まず、既存の詳細読みを子どもたちに聞かせ、詳細読みが表していると思われる漢字を書かせる調査をおこないました。その結果から、詳細読みで使われる単語が子どもたちに馴染みがあるかないかで、漢字の正答率が変わることを突き止めました。この知見を応用して、教育基本語彙などの資料をもとに、子どもたちにも馴染み深い単語を使った詳細読みを作成、再び漢字書き取り調査をおこなったところ、既存の詳細読みより高い漢字正答率となりました。 

 最後に、知り合いの視覚障害者が実践している漢字の書き間違い防止策を三つ紹介します。一つ目は、語頭の文字が等しい同音異義語に警戒せよ、です。1文字目の詳細読みが予測通りでも2文字目が違っていることがあります。機会と機械、自信と自身などがよい例です。二つ目は、品詞を活用せよ、です。サ変動詞なら「何何する」と入力することで、名詞のみの単語を排除できます。三つ目は、辞書を活用せよ、です。仮名で辞書を引いて、意図した意味の見出し語をコピーしてくるのです。 

 このような手段を使って漢字の間違いを減らした方がよいわけですが、漢字の間違いをおそれて書く機会が減るのでは本末転倒です。視覚障害者がせっかく手に入れたパソコンという筆記用具をもっと活用して、社会へ発信をしていきましょう。 

◆参考Webサイト
 ○漢点字について
   日本漢点字協会:http://www.kantenji.jp/
 ○6点漢字について
   六点漢字の自叙伝:http://www5f.biglobe.ne.jp/~telspt/txt6ten.html
 ○漢字の間違いについて
   国立特別支援教育総合研究所共同研究報告書G-7「視覚障害児童・生徒向け仮名・アルファベットの説明表現の改良」(研究代表者:渡辺哲也): 
   http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_g/g-7.html 

 「気勢」を「奇声」とする間違いについては、pp.41-43、「盲学校における同音異義語練習問題の活用実践例」(渡辺寛子)より引用。
 漢字の書き間違い防止策については、p.45、「同音異義語を間違えないための工夫について」(南谷和範)より引用。 

 

【略 歴】
 平成3年 3月 北海道大学 工学部 電気工学科 卒業
 平成5年 3月 北海道大学 工学研究科 生体工学専攻 修了
 平成5年 4月 農林水産省 水産庁 水産工学研究所 研究員
 平成6年 5月 日本障害者雇用促進協会 障害者職業総合センター 研究員
 平成13年4月 国立特殊教育総合研究所 研究員
 平成21年4月 新潟大学 工学部 福祉人間工学科 准教授
 現在に至る 

 

【後 記】
 楽しい時間でした。漢字検定試験から始まり、漢字の起源の話(倉頡:そうけつ)、成り立ち(象形・指示・会意・形成・仮借)、そしてヒエルグリフ(古代エジプトの象形文字)まで飛び出してくる漢字にまつわる話は、興味深い話題満載でした。あまり面白くて、ここまでで講演時間の半分以上を費やしてしまいました。 
 今回の本題(と思われる)、視覚障害者における漢字を学ぶ意義、視覚障害者が漢字を取り扱う体系(漢点字、6点漢字、詳細読み)に話題が移ったのは残り20分くらいからでした。あっという間の50分でした。
 講演後の参加者の感想では、「漢字」を活用する脳と、「ひらがな」を活用する脳は同じ部位ではなく、両者を使用するということはハイブリットに脳を活用することになるという論評も飛び出し、いよいよ漢字への興味、視覚障害者と漢字への関心が深まりました。 

(参考)
 ・漢字の詳細読みに関する研究
 http://vips.eng.niigata-u.ac.jp/Onsei/Shosaiyomi/ShosaiJp.html 

 ・新潟大学工学部福祉人間工学科
 http://www.eng.niigata-u.ac.jp/~bio/study/study.html
 今回の渡辺哲也先生、そしてこれまで本勉強会で講演された林豊彦先生、前田義信先生などの他、多くのキラ星如きエンジニアが、「福祉」をテーマに新潟大学工学部福祉人間工学科で研究しています。
 「福祉」という文字の入った工学部は全国でも珍しいとのことです。「ものづくり」の専門家が福祉の分野で活躍できることは数多くあります。新潟大学工学部に福祉人間工学科があることを誇りに思います。

2009年11月23日

報告:「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」

 日時;2009年11月21日(土)
    開場:14時 14時30分~18時00分
 場所;済生会新潟第二病院 10階会議室


 特別講演
 「網膜色素変性とiPS細胞」
     高橋 政代 (神戸理研)
 「人工の眼は可能か?」 
     仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 

『特別講演』
 「網膜色素変性とiPS細胞」
   高橋 政代 (神戸理研)
    理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
     網膜再生医療研究チーム チームリーダー
    神戸市立医療センター中央市民病院眼科 非常勤医師
    先端医療センター病院眼科 客員副部長

【講演要旨】
 我々はES細胞あるいはiPS細胞由来の視細胞や網膜色素上皮細胞を用いた網膜再生治療開発を目指している。すでにヒトiPS細胞から視細胞および網膜色素上皮細胞の分化誘導法を開発した。臨床応用のためには今後それぞれの細胞特有の様々な問題を解決する必要がある。

 iPS細胞由来網膜色素上皮細胞の移植は、すでに純化という問題をクリアし、しかも拒絶反応がないと考えられるため、現在は実際の細胞の品質管理やプロトコール作りなどの手続きに焦点が移行する。一方、視細胞移植に関しても最近ES細胞由来細胞の移植で網膜変性モデルマウスを治療できることが報告された。視細胞については、移植細胞純化のための検討や、さらに視細胞変性には移植される側の網膜の炎症反応などの環境を制御することが移植細胞の生存率を高め神経回路網を再構築するために重要である。

 以上のように、網膜細胞移植は効果が確認され、現在は具体的に移植細胞の質の確保やどのような症例に応用するかという議論を始める時期にあると考える。

 研究は着実に進んでいるが、それでも視細胞移植では7年後に光を見せるのが目標という状況で、一般的な治療となるまではまだ年月が必要である。再生医療の報道が与える印象と実際とのギャップが患者を苦しめることにもなっている 実際の診療では、網膜色素変性で受診した人の10%弱のみが医療を必要としていたが、ほとんどは医療ではなく情報やケアが必要な状態であった。現在実際に向き合う網膜色素変性患者にとって、何が必要かを考えると再生医療研究などによる希望もよいが、疾患の正しい知識と疾患の受容、そして道具だけでない適切なケアが最も重要であることがわかる。

【略歴】
 昭和61年 京都大学医学部卒業、京都大学眼科研修医
 昭和63年~平成4年 京都大学医学部大学院
 平成4年~平成13年 京都大学医学部眼科助手
 平成7年~平成8年   アメリカソーク研究所留学
 平成13年~平成18年 京都大学病院探索医療センター助教授
 平成18年~ 理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
                神戸市立医療センター中央市民病院眼科非常勤医師
 平成20年~ 先端医療センター病院眼科客員副部長

【後記】
 網膜色素変性の理解から、最先端の研究まで判り易くお話ししてくれました。細胞を移植することによって、疾患で失われた網膜機能を再生させるプロジェクト。
 再生医療を成功させるためには、基礎側からのアプローチだけではなく、臨床側からのアプローチ、すなわち対象となる疾患の深い理解も重要。「医療側が与えたい情報と、患者側が欲しい情報とでは相違がある」「見えないことを母親が可哀想 と思うこと」の問題の指摘も印象に残りました。
 iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療が、近い将来確立できることを期待します。 
 http://www.cdb.riken.jp/jp/01_about/0105_annual02.html
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『特別講演』
 演題 「人工の眼は可能か?」 
 講師 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 

【講演要旨】
 私たちの脳の中には眼の網膜の各部位と対応関係のある領野が複数あり、これがいわゆる視覚野になっていることがわかってきました。その中に後頭葉の最後端のところに網膜の中心窩からの情報が届くところがあって、これを中心窩投射皮質といいます。この部分を電気で刺激すると視覚を感じることが知られていて、70年代にはドーベルがこれを利用した人工視覚装置を開発しました。しかし、ドーベルが2004年に亡くなり、その後はそのような研究は残念ながら立ち消えになっています。

 その一方で、アメリカとドイツを中心に網膜を刺激するタイプの研究が発展し、日本でも阪大や東北大でこの網膜刺激型の特殊なタイプが開発されてきています。南カリフォルニア大学のヒュマイアンは、すでに60電極の網膜刺激装置を網膜色素変性症で全盲の患者の眼にいれ、その患者はコントラストの高い大きな形なら判別できるようになっています。また、チュービンゲン大学のツレンナーは16+1500電極のものを入れ、視力が0.018になったと語っています。

 このように人工視覚もここへきてかなりの進歩がみられ実用可能な範囲に突入しはじているのがわかります。しかし、手術の安全性、電極の耐久性、交換可能性、解像力、広い安定した視野というユーザーサイドから見た理想的な人工視覚にはまだまだのようです。

 さらに、疾患限定ではないものとなると結局はドーベルの最初の発想に帰り、脳内への直接入力が必要となります。現在、私はこれをより安全性が高く解像力がよくなるものとして脳内光刺激型の人工視覚に賛同しています。本講演の最後にそのコンセプトについて簡単に説明しました。

 究極のロービジョンケアは失明の治療であると考え、これからも「あきらめない」をキーワードに仕事を続けていきたいと思います。

【略歴】
 平成元年5月 東京慈恵会医科大学付属病院長 眼科研修医
 平成3年4月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手
 平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院派遣 眼科診療医員
 平成9年7月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療医長
 平成15年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成15年10月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手 眼科診療医員
 平成15年12月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師 眼科診療医長
 平成16年1月 Stanford大学留学(visiting scholar)
 平成17年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
 平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院
       第三機能回復訓練部部長

【後記】
 人工眼研究の歴史から現在の最新の情報まで、広範なお話を判り易くお話ししてくれました。
 バイオハイブリッド型人工眼、光を受け取る緑藻類(りょくそうるい)の遺伝子等、わが国の研究も進んでいることが判りました。
 http://www.io.mei.titech.ac.jp/research/retina/index-j.html
 http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=235403&lindID=4
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『シンポジウム 明日の眼科を考える』
 司会: 西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院) 
    安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
 シンポジスト
  田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
  木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
  清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
  川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
 コメンテーター
  高橋 政代 (神戸理研)
  仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター眼科) 

シンポジスト  
   田中 正四
   (新潟県胎内市;当事者) 
 私達患者が眼科を受診する時大きなアドバルーンを持って受診します。そのアドバルーンは(不安)と(希望)と言う二つのバルーンです。経験のない目の異常に、患者の心はバクバク状態で医師の前に立ちます。まさに(不安)バルーンは、パンパン状態です。一方、現代医学医療の進歩は目覚しくその情報は新聞・テレビ・ネット等により患者の耳に届きます。患者はそれらの情報に期待をふくらませるのです。しだいに見えなくなる現実に患者のあせりが加わり、なにげない医師の言葉や、治療法が示されない現実に失望を感じ、私のバルーンは大きく揺れ動き縮小拡大を繰り返すのです。
 患者の最大の望みは、もう一度ものを見る事につきます。妻や成長した娘達そして、さずかった孫達の姿や顔が見たいのです。病気の将来を承知し理解しながらも(希望)バルーンの中の夢を持続したいのです。この様な眼科受診の経験から今後の医療に次の事柄を望みます。
 一つには、病気の原因と現象、その対策と将来についてより明確で判りやすい説明が必要ではないでしょうか。さらには、失明につながる診断となった時には、早期の生活訓練の提案を望みます。病院・訓練機関・行政まで一環した訓練施設・内容の提案ができれば視覚障害者の自立に大きく貢献できるものと信じています。
 私はこの7年間、NPO法人や、ボランティアに参加し心に残る体験をしました。すなおになる事、出来るようになった事に喜びを見い出す事。これらを体験し、同じ障害者と接する中から(なにくそ)バルーンをかかげることができました。今後は、同じ障害を持つ仲間と共に社会貢献ができればと考えています。

 略歴   
  1952年 新潟県越路町(現長岡市)生まれ
  1968年 日立製作所入所
  1974年 移転により中条町(現胎内市)に転居
  2002年 右目緑内障発症
  2003年 慢性腎臓疾患により人工透析開始
  2004年 左目多発性後極部網膜色素上皮症・網膜中心静脈閉塞症発症
  2006年 ㈱中条エンジニアリング退職
        現在視覚障害一級・腎機能障害一級
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シンポジスト 
   木原 暁子
   (マイクロソフト社;当事者)
 私は2003年まで見えていた中途視覚障碍者です。体調不良と手術がきっかけとなり全盲となりました。
 目の手術は左右合わせて4回受けてきましたが、どの手術も不安と緊張が大きくありました。左目の手術直後は麻酔と緊張の影響で、飲み物を飲んでも嘔吐してしまったほどです。
 視力を保持したいという希望の気持ちと、失明してしまうかもしれないという不安から直前まで悩んだ右目手術は、網膜剥離予防と白内障改善のためと聞いていましたが、改善には及ばずその後の私に大きな影響を与えました。
 眼科治療は多かれ少なかれ人生を変動させるものだと思います。その眼科治療が人生に大きく影響するならば、その後人生をenjoyできるものが技術の進歩で開発されることを願っています。
 また患者の失明と同時に離れてしまいがちな医師にこそ、その後も人生を歩む私たち患者には情報(訓練施設や最新治療など)というtriggerを与えてほしいと思います。

 略歴
  1980年11月 若年性(1型)糖尿病発症
  1999年 9月 派遣会社入社
  2003年 2月 右目手術にて全盲となる
        5月 退院後障害手帳取得,生活訓練受講
  2003 12月 左足裏大やけどにより入院(8か月間)
  2005年 8月 退院後再度生活訓練受講
  2006年 7月 マイクロソフト株式会社入社~現在に至る
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シンポジスト  
   清水 美知子
    (埼玉県;歩行訓練士)
  今回のシンポジウムでは、さまざまな事柄に触れましたが、最も伝えたかったは、「ケア」と「リハビリテーション」は違うということです.
 昨今の「ロービジョン」ヘの関心の拡大とともに、「ロービジョンケア」を実施する眼科医療機関が増えています。そのような医療機関の中には、屈折異常、視力、視野などの視覚機能の評価とそれに基づいた眼鏡類の処方に加えて、書字読字、生活動作、安全な歩行などの訓練やカウンセリングなどを行うところもあります.
 いうまでもなく「訓練」や「カウンセリング」は「ケア」ではありません。そこで行われているのは「ロービジョンリハビリテーション」です。ケアの主体はケアの提供者です.リハビリテーションの主体は障害のある人自身です.
 「ロービジョンケア」を「ロービジョンリハビリテーション」と同義に使用することで、患者あるいは障害の残った人の主体性、その方々の生活、心理的な問題などリハビリテーションの重要な中味がなおざりにされるのではないかという危惧を持ちます.
 「ロービジョンリハビリテーション」は「ロービジョンケア」を内包しますが、その逆ではないと考えます.

 略歴
  歩行訓練士として、
   1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
    その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わる。
   1988年~新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、
    視覚障害リハビリテーション外来担当。
   2003年~「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
    http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm
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シンポジスト  
   川瀬 和秀
   (岐阜大学眼科)
 演者は眼科医となり20年が経過した。この20年間で白内障の手術の進歩は目覚ましいものがある。技術的な進歩により生活可能な視機能維持や視機能の獲得が可能となる治療が増えたことは嬉しい限りである。しかし、これらの技術をもってしても生活に不自由を感じている患者の数はむしろ増えている。最近のロービジョンケアのシンポジウムやセミナーの開催は、眼科医が、視機能障害の進行が止まった医学的な治癒だけで治療が終わらないことの大切さにやっと気付き始めた証拠である。この件に関して、今後のロービジョンケア教育やロービジョン学会の在り方が問われているのは確かである。
 さらに次の20年で、眼科医療がどのように進歩するのか楽しみである。高橋先生や仲泊先生のお話のように網膜移植や人工眼の開発も急ピッチで進められている。講演では、明後日の眼科診療として、私の専門の緑内障における、将来的に導入が期待される診断や治療法、基礎研究について紹介し、今日の眼科診療として、現在の眼科診療を見直し、明日の眼科診療として現在の治療では及ばない部分のロービジョンケアを中心としたお話をした。
 最後に現在の技術で作成可能な、光学的な技術を使用した補助眼鏡による歩行支援システムの開発を紹介した。

 略歴
  1988年 順天堂大学医学部卒業
  1988年 岐阜大学医学部眼科学入局
  1993年 ミシガン大学研究員
  1997年 文部省内地研究員(山口大学眼科)
  1999年 アイオワ大学眼科研究員
  2001年 岐阜大学医学部眼科講師
  2002年 岐阜大学医学部眼科助教授
  2005年 大垣市民病院眼科医長
  2007年 岐阜大学医学部眼科准教授 現在に至る


【シンポジウム後記】
 田中正四さん~「希望」「不安」「なにくそ」アドバルーン、とてもインパクトがありました。心に響きました。
 木原暁子さん~糖尿病網膜症で失明してから再就職に至るまで、出会った方々に感謝と語りました。感動。
 清水美知子さん~ケアとリハビリは違うことを指摘してくれました。「当事者主権」「エンパワメント」「インフォームド・デシジョン」「リハビリはマインドリセット」、多くのことを、考えさせられる講演でした。
 川瀬和秀先生~患者の訴えを聞くことが重要(患者さんがどう見えているのか、医者は知らない、聞いていない)。緑内障の治療は、眼圧や視野だけではない。視野から不自由さを推測することが大事。最新の緑内障診療の情報を交えたお話でした。

 田中さん・木原さんのお話から、医者が患者に説明することの大事さ、改めて感じました。打ち合わせはしていませんでしたが、講演やシンポジストに共通していたことは、「諦めない」ということだったようです。患者も、家族も、医者も諦めない。諦めないことは実は苦しいことですが、進歩はこうした中から生まれてくると信じます。
 同じテーマを、全国各地から集まった、いろいろな職種の方々と、同じ会場で一緒に、語り合うことが出来たことが最大の収穫でした。


【【フォーラム総括】】
 人工眼・再生医療という最先端の眼科医療の講演と、患者さんの生の声を交えたシンポジウムを通して、「明日の眼科の、夢と現実を考える」という、チョッと欲張りな企画でした。
 眼科医・医療関係者と患者さんと家族、および教育・福祉関係者を対象に、遠くは島根県・和歌山県・兵庫県・京都府、近くは福島県・山形県など全国から98名+盲導犬4頭(新潟県外23名、新潟県内23名、新潟市内52名;事前登録)。関係者、当日参加を加えると110名を超える人数になりました。


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「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」
  日時;平成21年11月21日(土)
  開始14時30分~終了18時30分
  場所;済生会新潟第二病院 10階会議室
  
 特別講演
 「人工の眼は可能か?」 
   座長: 鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
   講師: 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 
 「網膜色素変性とiPS細胞」
   座長: 安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
   講師: 高橋 政代 (神戸理研)
 シンポジウム 「明日の眼科を考える」
  司会: 西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院) 
     安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  シンポジスト
    田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
    木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
    清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
    川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
   コメンテーター
    高橋 政代 (神戸理研)
    仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター眼科) 

 主催 「明日の眼科を考える 新潟フォーラム」
 世話人 
  安藤 伸朗 (世話人代表;済生会新潟第二病院)
  川瀬 和秀 (岐阜大学)
  白木 邦彦 (大阪市立大学)
  鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
  仲泊 聡  (国立障害者リハビリセンター病院)
  西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院)

2009年9月9日

 演題:「賢い患者になるために
    -視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、
               及び医師との関係の中から探る」
 講師: 関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者)
  日時:平成21年9月9日(水) 16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要旨】
1)始めに
 私は両眼に黄斑変性症を持っている。左眼は1996年1月、右眼は同年11月に近視性血管新生黄斑症を発症している。この病気に対する有効な治療法が確立していない中で、当時最先端医療の黄斑移動術を選択し、左眼は1997年強膜短縮の黄斑移動術を、右眼は1999年に全周切開の黄斑移動術を受けた。その後も合併症や再発のために数度の手術を重ね、現在眼底出血はないが、網膜萎縮のために暗視野と視力低下が進行しつつあり、左眼0.4、右眼0.2の視力である。
 私のように、視力低下をもたらす病気を突然宣告されたら、誰でもかなりのショックを受けるはずである。その時の患者の心理と問題点、治療を選択する際の問題点等を、私の経験を基に患者の立場から述べてみたい。 

2)視力低下をもたらす病気を宣告された時、患者に起きる変化と問題点
◆ショックは理解力を低下させる
 私は初診時、「視力が落ちていく」と医師に言われ、考えてもいなかったことだけに、そのショックは大きく、「視力が落ちていく」という医師の言葉を失明の宣告と捉えてしまった。白衣高血圧症というものがあるように、白衣の前にいるだけでも患者は緊張し、通常とは異なる精神状態に陥るのかもしれないが、ショックは冷静さを失わせ、患者の理解力を低下させるものである。
 私は後になって、黄斑変性症=失明とは限らないことを理解できたのだが、このような患者の誤解や理解力のなさは、もともとその人に理解力がないのではなく、視力低下を起こす病気を突然告げられた時のショックによるところが大きい。 

◆楽観主義者も悲観主義者に
 黄斑変性症の知識が皆無であった私は、診断を受けた際、医師から「視力が落ちていく」と言われ、失明した時のことばかりを考えた。視力の障害は直ぐさま日常生活や仕事に大きな影響を与えるため、「視力低下」と聞いた途端、大きな不安に襲われ、将来に希望を失う。どんな楽観主義者も悲観主義者になり、もはや医師の説明のうち、最悪の状態になった時のことだけしか心にとどめず、不安をますます増強させるのである。 

◆ 不安や不便さは視機能の程度に比例しない
 歪み等のために、私が見え難さや不便を最も感じたのは初期の頃であった。その頃はまだ片眼は正常であったし、現在の視機能よりはるかに良かったにもかかわらず、精神的負担や訴えが多かった。初期の頃は、喪失感のほうが強く、残存する視機能をうまく使おうという意識などなかったからである。患者それぞれの不安の大きさや感じている不便さは、視機能の程度とは一致せず、患者への援助の必要性もまた障害の程度で決まるものではないように思う。 

◆ 患者になったばかりの人は医師とのコミュニケーションが下手
 医師との付き合いに慣れない、患者になったばかりの人は特に、忙しそうな医師の姿に質問を憚り勝ちなものである。私自身も適切な折に適切な質問ができていたなら、もっと不安は小さく、あれほど不安を増大させることもなかったに違いない。不安を緩解するために患者のほうもコミュニケーション技術を磨く必要があるのではないだろうか。 

◆ 自分の病気を受け入れ、病気と闘うために正しい知識が必要
 私が発症した当時は、黄斑変性症についての情報が現在ほど豊かでなかったこともあり、自分の病気について知識がないまま不安を募らせ、また不安のために心にゆとりがなく、知識を求めることさえしていなかった。その頃に、通院していた開業医から近視眼に関する一冊の本が私に与えられ、強度近視眼の危険性や、自分の病変がなぜ起こったのか、おおよそのことをその本から学ぶことができた。
 私が自分の病気を冷静に受け止めることができるようになったのはその時からである。正しい知識を得ることは、自分の病気と正面から向き合うことになり、それが病気を受け入れ、病気と闘う力に繋がると思う。 

◆ 病気について正しい知識を得るために
 自分の病気に関する予備知識がないまま告知を受ける患者は多いと思う。その患者が医師から説明を受けても、その場で直ぐに病気を完全理解することは難しい。しかし正しく理解することは患者にとって必要なことなので、医療者の方々には、患者は理解できないものと決めたり、諦めたりしないで、情報を与え続けて欲しい。しばらくして冷静な心理状態になった時には理解力が増すはずである。家族に病気を理解してもらい、協力してもらうためにも先ず患者自身が正しい知識を持つことが必要である。患者も理解しようと努めて欲しい。 

3)治療を受けるに際して
◆ インフォームド・コンセントはなぜ必要か
 Informed consent (I C)とComplianceは、医療の基本であり、医療者側と患者の信頼関係を築くもとになるものと考えられる。私の場合は、最初「視力が改善するかもしれない」という情報しか持たないまま黄斑移動術を受けることを即座に承諾して帰ったのだが、手術病院を紹介してくれた開業医からの、どんな手術なのかをよく知った上で承諾すべきだというアドバイスに従い、自分の方から病院に情報を求めた。そして再考の後、結局手術を選択した。手術の結果は、手術によって新たな障害も生まれ、全てを満足させるものではなかったが、まだ確立していない、予後も不明の危険な手術を選択したのは私自身である。だから結果は自己の責任でもあると思っている。 

 充分な情報と熟慮の末の自己決定であったと信じているので、結果の如何に関わらず、手術を受けたことを後悔していない。しかし、もし私が不充分な情報のまま安易に手術を受けていたら、後悔も自責の念も生まれたと思う。これが私自身が経験した自己決定の大切さであり、ICの必要性である。 

 しかし、たとえ充分な情報が与えられても、患者の背景によって理解度も、受け止め方も様々で、ICなど無駄と思える場合もあるかもしれない。中には自己決定を放棄する患者もいることだろう。しかし、たとえ充分な理解が困難な場合でも、説明をする医師の姿勢を見て、患者は安心して医療を受けることができるかもしれないし、またICの機会が医師と患者の対話の機会となり、信頼関係が芽生えるきっかけとなるかもしれない。 

◆ 患者に要求される理解力と判断力、そして人生目標
 ICの機会を得て自己決定をする際に、問題となるのは患者の理解力と判断能力である。自分自身の価値観と人生目標がない者には判断基準がなく、自己決定は不可能である。信念を持って生きることが必要なのかもしれない。また日頃から健康情報に関心を持つことが理解に役立つこともあるだろう。

◆ 患者は情報を得ようとする姿勢を
 私も経験したことであるが、情報は患者から求めなければ得られない場合もある。しかし求める姿勢があれば得られるものであると思う。医師から説明を省かれないためにも、患者は得ようとする姿勢を示して欲しい。

◆ 理解と共感
 眼科患者に限らず、多くの患者は周囲の者に自分の病気の状態を理解してもらいたい気持ちを持っている。眼科の場合、検査によって視機能が客観的に評価され、医師も周囲の者もそれによって状態を把握することができる。だが、多くの患者は客観的評価を充分と思っておらず、診察時には見え難さや不自由さを訴え、主観的評価と客観的評価の溝を埋めようとする。これは私もついしてしまうことである。限られた診察時間を無駄にする無用な訴えかもしれないが、医師に理解され、共感が得られたと患者が感じた時、患者の苦痛は軽減し、信頼感を持つのではないだろうか。 

4)終わりに
 患者にとって医師との関係は重要で、どんな患者も診察室の中の時間を大切に思っているに違いない。病気が深刻であればあるほど患者は医療を頼りにし、医師は患者の人生に深い関わりを持つようになる。上記に述べた患者の心理や問題点を認識し、理解し合うことが、患者側と医療者側のより良い関係を築く一助となり、また患者の方々にはより賢い患者になるための参考になれば幸いである。 

【略 歴】
 名古屋市で生まれ、松本市で育つ。
 富山大学薬学部卒業後、信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。
 1996年左眼に続き右眼にも近視性の血管新生黄斑症を発症。
 2003年『豊かに老いる眼』翻訳。松本市在住。
 趣味は音楽。フルートとマンドリンの演奏を楽しんでいる。
 地元の大学に通ってドイツ文学を勉強。
 眼は使えるうちにとばかり、読書に励んでいる。

 

【後 記】
 いつも感じることですが、疾患を乗り越えてきた患者さんの言葉には迫力があります。
 関さんによると、、、、、
  「視力が低下していく」という医者の説明を、「失明宣告」と理解してしまった。
  当時最新の手術(黄斑回転術)について、一度は理解しないまま承諾してしまった。
  治療法を選択するのは、自己責任。
  自己決定するには、知識が必要。
  困難な病に立ち向かうには、医師との信頼関係が必要

 多くの示唆に富んだお話でした。医師には説明責任がありますが、患者さんは自分で決定し、自分の責任で治療法を選択しなければなりません。 医者の患者さんへの病状説明は、急停車した電車での車内アナウンスと比喩した人がいます。原因は何なのか。これから復旧にどれくらい時間がかかるのか。こうしたことが早々にアナウンスされると乗客は安心して待っていられる。それがないと騒ぎ出す乗客が出てくると、、、、。
 患者さんが自分で決めることができるためにも、知識と患者さんの状況を、正しく伝えなければならないことを肝に銘じました。

2009年7月6日

『新潟ロービジョン研究会2009』 
 テーマ「ロービジョンケアは心のケアから」
  
日時:平成21年7月4日(土) 
  場所:済生会新潟第二病院 10階会議室 

特別講演
1.「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
    気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
2.「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
    櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科) 

シンポジウム「ロービジョンケアは心のケアから」
 司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
    安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
 シンポジスト
    西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
    高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
    小島 紀代子(NPO法人オアシス・視覚障害リハビリ外来)
    竹熊 有可(新潟盲学校)
    内山 博貴(福祉介護士)
    稲垣 吉彦(アットイーズ;東京)
 コメンテーター
    櫻井 浩治(新潟大学名誉教授;精神科)
    気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科) 

「新潟盲学校」紹介
  学校紹介 田中宏幸(新潟盲学校教論)
  盲学校に入学して 竹熊有可(新潟盲学校) 

≪機器展示≫
 東海光学、タイムズコーポレーション、アットイーズ(東京)、新潟眼鏡院

 

『特別講演』1
 「ロービジョンケアにおける心療眼科の役割」
   気賀沢 一輝 (杏林大眼科) 

【講演抄録】
 2年前に井上眼科病院の若倉先生と「心療眼科研究会」を立ち上げました。ロージョン患者の心理的ケアはその主要なテーマです。
 ロービジョンケアに専門的なメンタルケアを導入するには二つの方法があります。一つは精神医学の専門家との連携であり、もう一つは眼科医療従事者がメンタルケアの基本的技術を身につけることです。後者のためまず始めることは、精神医学の豊富な財産の中から眼科に応用できるものを探し出すことです。今回は、カウンセリングのパイオニアである「ロジャーズの来談者中心療法」、「ベックの認知療法」、「森田正馬の森田療法」のエッセンスを紹介しました。 「失明告知」は癌の告知と似ており、精神腫瘍学の成果の中から応用可能な部分を紹介しました。
 ロービジョンケアは治療的な専門医療が限界に達してから導入されることが多いので、「EBMを補完するNBM(物語りに基づく医療)」の役割についても解説しました。 

【略 歴】
 1977年 慶應義塾大学医学部卒業
 1979年 慶應義塾大学医学部眼科助手
 1988年 東海大学医学部眼科講師
 1996年 東海大学医学部眼科助教授
 2000年 同退職
 現在  杏林大医学部眼科非常勤講師
     横浜相原病院(精神科病院)非常勤医師
          心療眼科研究会世話人代表 

【後 記】
 医療従事者はメンタルケア、精神医学の基本を知らなすぎるために、救える患者も救っていないのではないか、というフレーズが印象に残りました。「心療眼科」という新しいジャンルを紹介してもらいました。

【質疑応答】 回答者:気賀沢 一輝(杏林大学;心療眼科)
1)1人の患者にかける診察時間(カウンセリングに用いる時間)はどれくらいですか?
 返答:カウンセリング、心療眼科的アプローチは、一人の患者さんに対し、最初のうちは30分から1時間、次第に減少していく傾向があります。 

2)1日に何人の患者を診察するのですか?
 返答:私の個人的な診察スタイルを申し上げますと、一般診療(ある開業クリニックで)は一日に60人から70人診察します。基本的には、午前3時間、午後3時間です。眼科の患者さんのすべてに長時間のカウンセリング、心療眼科的アプローチを実行しているわけではありませんし、その必要もないように思います。ただ、必要な患者さんが新患でいらした場合は、予約制の患者さんにはお許しをいただいて、30分前後時間をかけます。再診は、特別な時間(通常の診察時間帯の前後とか)を設定して、ゆっくり対応します。
 大学病院(杏林アイセンター)の神経眼科外来(心療眼科も含む)の場合は、そのような患者さんが集まっていますので、4時間で8人、すなわち1時間に2人というペースです。杏林アイセンターでは2人の医師が同時に並列で診療しています。ただ、患者さんが多い場合は、後ろにずれ込んだり、一人の時間が短くなったりします。 

3)カウンセリングを拒む患者、あるいは精神科医師に紹介されることを拒む患者に対してどのような対処をしていますか?
 返答:眼科におけるカウンセリングは、これからカウンセリングを行います、と言う具合に始まるのではなく、一般診療の中で自然に移行していくものですから、拒否されることはありません。
 精神科受診を拒む人に対しては、中等症以上のうつ病が疑われる人には、しっかりと説得して背中を押します。
 うつ病ではなく、神経症レベルの人は、カウンセリング、認知療法、森田療法のテクニックを使いながら、疾病利得に注意を払いながら眼科で本人がその気になるまで(時期が熟するまで)キープしていきます。この方法が、心療眼科的アプローチです。
 もう少し詳しくは、文献をお読みいただけましたら幸いです(「視覚と目の異常感への心療眼科的アプローチ」気賀沢一輝 神経眼科 25:11-17、2008) 

4)「ソクラテス的対話法」について、解説して下さい。
 返答: 「ソクラテス式質問法」とは、治療者が患者に異議を唱えたり、治療者の視点を取り入れるように患者を説得するのではなく、質問を重ねる中で、患者が自ら気付いたり発見したりするように仕向ける質問法です。心の扉は外からよりは、内側からの方が開きやすいという発想によるものです。
 もう少し詳しいことは文献をお読みいただけましたら幸いです(「視覚と目の異常感への心療眼科的アプローチ」気賀沢一輝 神経眼科 25:11-17、2008) 

5)ロービジョンケアに関心はありますが、何から始めたらいいのか判りません。
 返答:一歩を踏み出すとしたら、傾聴だと思います。そこから何かが始まるのだと思います。その患者さんの現実を見つめることによって、この人には何が必要か、聴いている側に考えが発動してくるのだと思います。
 ただし、傾聴というのは、はっきり言ってリスクもあります。人間の裏面と言うのは、恐ろしいものがあり、一般社会には隠されていることも多いと思います。傾聴しているうちに、それがどんどん出てきて、とても手に負えなくなってしまいます。聴きすぎると、後戻りできなくなり、聴いている方が燃え尽きてしまうこともあります。ただ、この段階を経験しないと、心のケアはできないかもしれません。一度行き過ぎて初めて、距離感と言うものがつかめるのだと思います。行き過ぎて、一人で帰ってこられれば、多分一人前なのでしょう。
 ただ、最初のうちは、聴いたことを上級者に聴いてもらうことによって、聴いたものの重みを分担してもらって、軽くなることができます。そして、気を取り直して、また現場に戻る、という繰り返しなのだと思います。
 また、最初に陥りがちな錯覚ですが、聴いたことを全部自分で何とかしてあげなくてはと思い過ぎてしまうことです。あくまで、人生の責任は本人にあるわけで、聴いた人ではありません。聴いただけで、それなりのケアを果たしたと考えるべきです。杏林アイセンターのロービジョンスタッフも、恐ろしい話を聴いて辛くなった時は私のところに話にきます。そして、決して一人でかかえないように、チームで支えていこう、と確認し合っています。私も苦しくなってしまった時は、心療内科医、精神科医に聴いてもらいます。

 残念ながら、気軽な心のケアはないかもしれません。しかし、チームで接すれば、負担はかなり軽く、比較的気軽に踏み出すことができると思います。一つの組織でチームを結成することは難しいかもしれませんが、こうした研究会を通したネットワークを利用することも可能だと思います。

 

『特別講演』2
 「心と病気ー病は気から、とは本当だろうか?」
    櫻井 浩治 (新潟大学名誉教授;精神科)

【講演抄録】
 「心身医学」とは、心身相関の医学であり、患者中心の医学です。つまり、心身の障害を持った人を、その障害の部分だけを診るのではなく、障害を持ったその人の精神的苦悩は勿論、その家族の苦悩をも診る、という全人医療を、「障害者を診る基本的態度」として主張する医学です。
 したがって、障害を持つ人の心理、医療機関を渡り歩く、など特別な行動をとる患者の心理、心理的な影響で起こる身体の障害(心身症)や、医療者によって引き起こされる身体の障害(医原性疾患)、などが具体的な研究内容になります。例えば、心理的影響で起こる身体障害としては、検査上、何ら異常所見がないにもかかわらず、瞼が垂れる症状や、声が出なくなる症状、あるいは歩行が困難になったり、めまいが出たり、痛みがとれないなどの症状があり、抜毛症や摂食障害のように行動の異常からの身体障害もあります。
 更には心理的なストレスの結果として、円形脱毛症や胃潰瘍、高血圧など、検査上でも異常のある様々な身体障害が生じます。いわゆる自律神経失調症といわれる状態は、上に挙げたものとこれの中間の位置にあります。こうした症状はまた、実際の身体障害に重なるようにして現れる場合もあるのです。
 このような自分の意思とは無関係に生じる、心理的原因による身体症状や障害、及びその周辺を、私の臨床経験をもとにお話しました。

【自己紹介】
 昭和11年1月生(旧姓 塚田)
 昭和39年、新潟大学医学部卒。
      慶応義塾大学医学部精神神経学教室入局、精神科専攻。
      新潟大学定年退職後、新潟医療福祉大学に勤務。
      現在河渡病院デイケア病棟に務めている。
 平成10年第39回日本心身医学会総会会長。医学博士。
 一般的著書に「源氏物語の心の世界」(近代文芸社)「乞食(こつじき)の歌―慈愛と行動の人良寛」(考古堂)「句集独楽」(オリオン印刷)などがある。 

【後 記】
 心身医学(ひとは心身一如の存在)の立場から、心身の障害を持った人を、その障害の部分だけを診るのではなく、障害を持ったその人の精神的苦悩は勿論、その家族の苦悩をも診る、という「障害者を診る基本的態度」について、ユーモアたっぷりにお話して頂きました。

 

 

『シンポジウム』「ロービジョンケアは心のケアから」
  司会:加藤 聡(東京大学眼科准教授)
      安藤 伸朗(済生会新潟第二病院眼科) 

1)小島 紀代子(視覚障害リハビリテーション外来・NPO法人オアシス)
 「視覚障害リハビリ外来」では、悩みや困ることの問いかけと傾聴から「こころのケア」がはじまり、必要な情報、道具、生活の知恵や工夫を一緒に考え、同じように苦しんだ仲間が集うオアシスの各種教室・講習会につなげます。明るく生きている仲間との出会い、できなくなったことができた喜びは、大きなこころのケアとなり、こころも体も考え方も変化します。
 しかし、なかなか立ち直れない人、家に閉じこもっている人など、もっと多くの「人や機関、資源」がつながるシステムが、「希望」につながると思います。 

2)内山 博貴(福祉介護士)
 左目に自打球を当て、視力が完全に戻らないと言われた時、「普通の生活は送れないのでは?」「就職はできないのでは?」と暗い未来しか想像できない状態でした。手術が終わると同室の方が、私は頼んでいないのに看護師さんを二人くらい集め、私の進路について病室でワイワイ話したり、看護師さんは、「目の勉強してみる?高校じゃ習わないでしょ?」と本を貸してくれたりしました。
 そんな何気ない入院生活でも私にはとても和やかで、凄く居心地のいいものでした。落ち込んでいた私を前向きにしてくれる貴重な時間で、目の怪我という現実を受け入れるきっかけなりました。 

3)高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
 視力や視野を失うということは、単に重要な身体機能の喪失というだけではなく、大きな心理的変化、すなわち不安や怒りなどの心理的葛藤や、将来への不安、経済的不安、家族や周囲の人々との役割変化・関係性の緊張などを生じさせる。
 そのため不便な視機能を補うためだけのロービジョンケアでは患者の支援は不十分といえる。支援の視点を、身体の部分的な機能だけでなく、その人全体として捉え、その人が生きていく上で、どのような問題があるのか、どのような可能性があるのか、何が必要であるのか、患者・家族とともに考えるプロセスが重要であると考える。 

4)稲垣 吉彦(有限会社アットイーズ取締役社長) 
 一人のロービジョン患者としての立場でお話をさせて頂きました。私自身は現在いわゆる視覚障害者ですが、視覚障害者である以前に、一人の人間であり、社会人であり続けたいと考えています。
 ロービ
ジョン患者であっても視覚障害者であっても、同じ一人の人間であるということを、ケアする人たちと当事者双方で共有し、共感できることが、ロービジョンケアにおける心のケアの第一歩ではないかと思います。 

5)西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
 視能訓練士の職責は「正確な視機能評価」と「少しでも見やすい視体験の提示」です。リハビリテーションは、新しい技術・動作を生活に取込む過程でもあり、患者さんの心の状態が影響します。しかし私たち視能訓練士の多くは、患者さんの心の問題に対応するための「技術」を持ち合わせていないのが現状です。そのことを認識したうえで、患者さんの「物語」を全力で聴き、受け止め、寄り添う姿勢が求められるのではないかと思います。

6)竹熊 有可(新潟盲学校)
 25歳の時国立身体障害者リハビリテーションセンター病院で生活訓練を受けました。面談と訓練が並行して行われるため、訓練が単なる授業に終わらず、問題を解決する方法として、速やかに生活に取り入れていくことができました。
 眼科の患者会を作らないかと声をかけていただき、ロービジョン患者の会を設立、その後日本網膜色素変性症協会の設立へとつながっていきました。『仲間作り』は、重要な心のケアの一つでした。すぐ諦めていた自分の思いを、具体的に行動に移すことができるようになったのです。

【略 歴】
 小島 紀代子(視覚障害リハビリテーション外来・NPO法人オアシス)
  新潟市に生まれる。
  1962年 新潟県立新潟中央高校卒
  1983年 新潟市社会事業協会信楽園病院総務課勤務 現在嘱託職員
  1994年 信楽園病院視覚障害リハビリ外来 嘱託員
  1995年 新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会事務局員
  2001年 新潟いのちの電話 認定相談員 現在休部
  2007年 NPO法人障害者自立支援センターオアシス事務局員
      電話相談・こころの相談室相談員  

 内山 博貴(福祉介護士)
  2001年 夏の全国高校野球新潟県予選準々決勝で、左眼受傷(外傷性黄斑円孔)
      済生会新潟第二病院に入院、手術を受ける。
  2004年 福祉専門学校を卒業後、地元の福祉施設に勤める。

 高林 雅子(順天堂大学;心理カウンセラー)
  1982年 東京女子大学文理学部卒業
  2000年 東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科卒業
  2004年 順天堂大学大学院医学研究科博士課程修了 医学博士(順天堂大学)
  2004年 順天堂大学眼科学教室非常勤講師
      立教大学兼任講師(リハビリテーション心理学) 現在に至る
  2009年より水戸医療センター眼科ロービジョン外来、相談スタッフも兼任
  主な著書「中途視覚障害者のストレスと心理臨床」(共著)など 

 稲垣 吉彦(有限会社アットイーズ取締役社長)
  1964年 千葉県出身
  1988年 明治大学政治経済学部経済学科卒業後、株式会社京葉銀行入行。
  1996年 「原田氏病」という「ぶどう膜炎」で視覚障害になったのをきっかけに同行を退職し、筑波技術短期大学情報処理学科へ入学。
   卒業後、株式会社ラビットで業務全般の管理、企業・団体向けの営業を担当。
   杏林大学病院、東京大学医学部付属病院、国立病院東京医療センターのロービジョン外来開設時に、パソコン導入コンサルティングを行う
  2005年 株式会社ラビット退職。
  2006年 有限会社アットイーズ設立
   同年8月「見えなくなってはじめに読む本」を出版。
  現在、視覚障害者向け情報補償機器の販売・サポートを行う会社を経営する傍ら、個人的には医療期間や福祉施設からの紹介を受け、ボランティアでロービジョン患者に対するカウンセリングを行っている。 

 西脇 友紀(もり眼科医院;視能訓練士)
  1998年3月 国立小児病院附属視能訓練学院卒業
    同年4月 杏林大学医学部付属病院眼科
  1999年1月 杏林アイセンター ロービジョンルーム
  2002年4月 杏林大学医学研究生(~07年3月) 
  2005年10月 もり眼科医院
  2007年5月 NPO法人障害者自立支援センターオアシス
        視覚障害者のためのリハビリテーション外来 

 竹熊 有可(新潟盲学校)
  1967年 新潟県加茂市生まれ
  1990年 お茶の水女子大学文教育学部哲学科卒業
  同年11月 小野塚印刷株式会社入社
  1992年 網膜色素変性症により障害者手帳2種5級取得
  1994年 日本網膜色素変性症協会(JRPS)設立、会長就任
    同年 結婚
  1995年 小野塚印刷を退社
  1996年 長女出産
  1999年 鬱病発症
  2000年 日本網膜色素変性症協会 会長を退任
   同年 株式会社加賀田組入社
  2001年 加賀田組を退社
  2002年 障害者手帳1種1級
  2009年 新潟盲学校専攻科理療科に入学 

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【総 括】
 新潟ロービジョン研究会は10年目を迎え、「心のケア」がメインテーマでした。「心のケア」、やろうと思って必ずできるものではないが,やろうと思わなければ,決してできません(参加者の感想から)。
 世の中全体、「想像する」「思い遣る」ということが欠如している現在、このテーマの持つ意義は大きいと思います。
 鳥取県・兵庫県・和歌山県・岐阜県・愛知県・静岡県・東京都・埼玉県・宮城県・福島県・山形県など新潟県内外から、参加者は150名を超え会場は熱気に溢れました。 多くの収穫と、出会いがありました。

 

2009年6月23日

第161回(2009‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 弁論大会
    『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
  日時:平成21年6月23日(火) 17:00~18:00  

【2年生】
 森山 威(もりやま たけし)専攻科理療科2年
 悩みながらも意地を張っていた社会人生活と比べ、現在はとても気持ちが楽になった。給食便りなど、小学校2年生の息子と同じ内容のプリントをもらい、不思議な感じがしている。帰宅時間も休日も同じ、話す内容は学校のことなど、親子と言うより兄弟のようである。3年間の学生生活も残り半分になった。息子のためにも、自分に負けず、しっかり勉学に励みたい。 

 自己紹介~7歳の息子の父親です。6月19日(金)に群馬県で行われる関東甲信越地区盲学校弁論大会に新潟盲学校代表として出場してきます。最初、出場することになったという話を聞いたときは不安で、嫌だなあという気持ちでしたが、学校代表として精一杯発表して来ようと思っています。盲学校に入学する前は八百屋として、仕事に夢中の毎日でした。
 

【白杖体験】  
 山田 弘(やまだ ひろし)専攻科理療科2年
 これまで白杖の必要性をそれほど感じていなかったが、ある日ホームルームの時間で白杖を使用しての歩行練習を行った。その際、アイマスクを使用しての歩行がいかに難しいかがわかり、精神的にも疲労してしまった。白杖の意義、大切さを理解し、今後の自分の生活を考えると白杖は必要不可欠なものとなるだろう。しかし、いまだに葛藤中の私である。 

 自己紹介~野球部、陸上部に所属しています。走ることが大好きで、趣味はマラソンです。先日行われた新潟マラソンにも出場しました。また、野球部ではピッチャーを務めています。7月1日~3日に富山県で開催される北信越盲学校グランドソフトボール大会に向け、毎日の練習を大切にして、仲間とともに頑張っています。
 

【もう一つの理由】
 京 円香(きょう まどか)専攻科理療科1年
 専攻科理療科に進学しようと決意したのは祖母の一言だった。自分の長所を生かすことができる仕事に就くために日々の学習、体力向上に努め、応援してくれている方々の期待に応えられるよう、精進していきたい。 

 自己紹介~前にも済生会での弁論大会に参加させていただいたことがあり、今回で2回目の参加です。バレー部に所属していて、6月17日~18日に長野県で行われる「第46回北信越盲学校バレーボール大会」に向けて練習中です。大会ではぜひ優勝カップを持ち帰りたいと思っています。また、今年から理療科の1年生ということで新しい分野の勉強に取り組み始めました。勉強が大変ですが、その分充実しています。趣味は音楽鑑賞です。
 

【後 記】
 3人の弁論に、感動しました。京円香さんの、初々しさ。健気に手に職を付けて頑張ろうとしている姿。 山田弘さんの50歳からの盲学校での再スタート。応援したくなりました。 森山威さんの「2年生」、理療の仕事は人の役に立てる、息子に親父の威厳のある背中を見せてやりたい、、、涙が出そうでした。
 生徒一人一人は飾ることもなく、素直な言葉で自分自身を表現しておりました。やはり一度、社会に出ていた生徒は、発病してからの葛藤を経ているからこそ、「生」の言葉に説得力があったと思います。盲学校に入学する気持ちになったのだから、もうふっきれたかな?と思われがちですが、行きつ戻りつの心の状態が続いているのが現状です。くじけそうになったとき、我々教師がどのように心理的サポートを行うことができるか、負けそうになる自分に打ち勝つためのヒントをどのように伝えるか、が大切なのだろうと思いました。
 今年も素晴らしい弁論を聞かせて頂き、ありがとうございました。

 

 

2009年6月10日

 演題:「杖に関する質問にお答えします」
 講師:清水 美知子(歩行訓練士;埼玉県)
   日時:平成21年6月10日(水) 16:30~18:00
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演抄録】
 市販されている10数種類の杖(下記)を、参加者に手渡し、それらの特徴をお話しました。最近は、杖の種類が増えていて、ジオム社や日本点字図書館用具部のカタログには30種余りの杖が載っています。全体的に携帯しやすい杖と、大きな球面を持った石突が好まれているようです。 

<紹介した杖>
 ・色:白、黒、模様柄
 ・構造:一本杖、折りたたみ式、スライド式
 ・素材:アルミニウム、カーボンファイバー、グラスファイバー
 ・石突:ペンシル、マシュマロ、ティアドロップ、ローラー、パームチップ
 ・重量:110~280g
 「歩行訓練」がわが国に紹介されて40年余りが過ぎました。これまで「歩行訓練」の教科書がいくつか著されてきましたが(文献1-5)、それらに記されている杖の操作技術(「ロングケイン技術」、the long cane techniques)の基本は、ほとんど変わっていません。 

<ロングケイン技術の基本>
 床に立ったときの床面から脇の下(あるいはみぞおち)までの垂直距離に等しい長さの杖を、次の5項目のように振る。
 1.手首を身体の中央に保持
 2.手首を支点として左右に均等な幅に振る
 3.振り幅は身体のもっとも広い部分(肩幅あるいは腰幅)よりやや広く
 4.振りの高さは杖の先端の最も高いところで数センチ以下
 5.振る速度は、歩調に合わせ、杖が振りの右端(左端)に接地したとき、左足(右足)が接地するように振る 

 一方、こうした教科書の基本通りに杖を使う人は稀で(文献6,7)、大方の人は、杖が脇の下までの距離より長かったり(短かったり)、杖を持った手を体側に置いたり、(その結果、またはそれと関係なく)振りは左右均等でなかったり、など基本型とは異なる形で振っています。また、大きな球面を持つ石突あるいはローラー式のように動く石突の普及が、石突を常時接地したままで振る方法(a constant-contact technique、文献8)を容易にさせ、石突の接地時間が延長の傾向にあるようです。 

 その理由は、教科書通りに振っても物と身体の接触を100%避けられないというロングケイン技術の限界に加えて、教科書通りの基本型を維持するのは身体的につらい、保有視機能で段差や障害物が検知できる、杖は視覚障害があることを示す単なる印と考えている、歩行訓練を受けたことがない、球面の大きな石突の普及、杖使用者の高齢化などが考えられます。 

 こうした状況を考えると、杖の導入段階での指導内容として、基本型を指導する意義は認めるとしても、指導者も使用者も型にこだわり過ぎないように注意することが大切だと思います。身体と物の接触あるいは衝突、路面の凹凸によるつまずき、踏み外し、転倒の頻度などを目安に、杖の種類・長さ・振り方の妥当性について、実際の状況で検証していくことが重要です。

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文献
  1.日本ライトハウス職業・生活訓練センター適応行動訓練室(1976).視覚障害者のための歩行訓練カリキュラム(失明者歩行訓練指導員養成講習会資料)第2版、厚生省.
  2.Ponder,P. & Hill,E.W.(1976).Orientation and Mobility Techniques;A Guide for the Practitioner, AFB Press.
  3.芝田裕一(1990).視覚障害者の社会適応訓練、日本ライトハウス.
  4.Jacobson,W.H.(1993). The art and Science of Teaching Orientation and Mobility to Persons with Visual Impairments, AFB Press.
  5.LaGrow,S. & Weessies,M.(1994). Orientation and Mobility;Techniques for Independence, Dunmore Press.
  6.Bongers, R.M., Schellingerhout, R., Grinsven, R.V. & Smithsman, A.W.(2002). Variables in the touch technique that influence the safety of cane walkers, JVIB, 96(7).
  7.Ambrose-Zaken,G.(2005). Knowledge of and preferences for long cane components: a qualitative and quantitative study, JVIB, 99(10).
  8.Fisk,S.(1986). Constant-contact technique with a modified tip: A new alternative for long-cane mobility, JVIB, 80,999-1000. 

【略 歴】
 歩行訓練士として、
  1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
         その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わっている。
  1988年~新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて
          視覚障害リハビリテーション外来担当。

  2003年~「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
 http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm 

 

【後 記】
 30本にも及ぶ杖を持参しての講演会でした。杖にもいろいろな種類があることを改めて知りました。清水さんはいつも障がい者の視点と、歩行訓練士の視点で語ってくれます。現状でいいのか、もっとこうあるべきではないか、もっとこうして欲しい、、、、。 歩行訓練、奥が深いです。 

 以下、今回参加した医学部学生の感想を紹介し、編集後記の締めくくりととします。

●今日は、歩行訓練士の立場からのロービジョンへの取り組み、考え方を聞くことができ、今まで自分の知らなかった視点からロービジョンを捉えることができました。今までの実習では医療者側から患者さんに接してきましたが、疾患やその症状を評価するのに客観的なデータである視力や検査の結果に着目しがちでした。しかし、本当に重要なのは患者さんがどれくらい見えているのか、そしてその視力障害が生活に対してどの程度の影響を及ぼしているのか、であると再認識させられました。 

●生活への影響は、年齢や生活パターン、合併する疾患など患者さんの状態に応じて千差万別であり、それを把握するためには時間をかけて一人ひとりの視覚障がい者としっかり向き合い、接していかなければなりません。歩行訓練士の清水さんは、歩行という動作を通じて一人一人の生活を把握し、杖によりサポートしていらっしゃいました。 

●清水さんの話では、昔は種類が少なかったために限られた選択肢の中から杖を選んでいたのに対し、最近では杖の種類が増えてきたことでニーズに合わせた選択を行うことができるようになったとのことでした。また、歩行訓練についても昔は教科書通りの指導を行っていたが、最近では視覚障がい者の現状の歩き方を見た上で問題点を改善していくという方針に変わりつつあるそうで、より障がい者側の立場に立って指導されるようになっている。障がい者を取り巻く環境として、画一的な評価や指導を行っていた従来の状態から、一人一人の状況に合わせたサポートを行うように変化してきていることを知りました。 

●現在の問題点は、障がい者、サポート側のいずれもが知識不足のために、今の便利な環境を知らないままに不便な思いをしながら歩行や生活を続けていることである。これを改善するために、まずはロービジョンの会合などを通じて啓発活動をしていくこと、そして医療者、福祉士、介護士を始めとしたスタッフが協力、連携していく必要があることを学びました。 

 今後医療者として、治療行為を通しての患者さんのサポートはもちろんのこと、それに加えて今回の勉強会のような会合や新しい情報の提供という形でも視覚障がい者をサポートしていきたいと思います。

2009年4月8日

報告:第158回(2009‐04月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会  宮坂道夫
     演題:「医療紛争のソフトな解決について」
     講師:宮坂 道夫(新潟大学医学部准教授)
   日時:平成21年4月8日(水) 17:00~18:30
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演抄録】
 裁判外紛争処理(ADR、alternative dispute resolution)は、1960~70年代に欧米で提案され、80年代から急速に国際的に拡大した。これは、司法制度の限界を見据えて、より柔軟な紛争処理の仕組みを設けようという運動であった。いくつかの異なった仕組みが提案されている。裁判の「前段階」として、司法の枠内にそのようなシステムを設けようという提案や、裁判とは独立した仕組みを提案する民間型の提案がなされてきた。 

 日本の医療でも、裁判は紛争解決の手段として問題が多々あることが指摘されてきた。和田らは、(1)争点が法的問題に限定されること、(2)責任主体が限られた個人に限定されること、(3)紛争解決の帰結が金銭賠償に限定されること、(4)対決的構図が必然的に設定されること、(4)医療現場への影響が大きいこと、等を指摘する(*1)。

 *1 和田仁孝、中西淑美
   『医療コンフリクト・マネジメント-メディエーションの理論と技法-』 (シーニュ、2006年)

 さらにこれに加えて、(5)患者の権利が法制度化されておらず、診療情報が医療側に独占されていること、にも関わらず(6)立証責任が訴えた側にあること、(7)医療者側の証拠提示義務が十分でないこと等も指摘されてきた。 

「医療コンフリクト・マネジメント」
 和田らは、(A)医療紛争において、患者側のニーズと医療者側のニーズは、実はかなり共通している。(B)当事者のニーズに丸ごと対応できる、ケアの理念に基づくシステムが必要、という前提に立ち、「医療コンフリクト・マネジメント」を提唱している。それによると、当事者の対立は認知フレームの相違に基づいているので、「対立をもたらす認知フレームに働きかけ、それを変容させるべき」だという。そのために、メディエーターが、対立の構造(イシュー、ポジション、インタレスト)を分析し、その上で仲介(メディエーション)を試みる。 

 講演では、具体的なケーススタディを行って、ADRが日本の医療現場でも有効に働きうることを指摘し、その一方で限界もあることを示唆した。演者は、検討を要する課題として、(1)ADRは、紛争の内容が「広範囲」に及ぶ場合(複数の医療施設が関わるような場合や、当事者の姻戚関係や職場・学校などに紛争の環境要因があるような場合)に対応が困難、(2)ADRがあくまで紛争発生後の「事後」の対処法である、という点を指摘した。また、参加者から、メディエーターの育成・確保の問題も指摘された。これについては、日本医療メディエーター協会が養成事業を行っていることなどを紹介した。 

 ADRの弱点を補う方法として、「紛争の芽を絶つ」事前の解決策が不可欠であり、その位置づけにあたるのが「臨床倫理」の検討会ではないかと提案した。具体的には、多職種による「臨床倫理検討会」をインフォーマルに行うことを提案した(*2)。

  *2 詳細は、以下を参照のこと
   宮坂道夫:『医療倫理学の方法 原則, 手順, ナラティヴ』(医学書院,2005年)
   宮坂道夫, 坂井さゆり, 山内春夫:日常臨床における医療倫理の実践,
    日本外科学会雑誌,110(1), 28-31, 2009  
 

【宮坂 道夫 先生:略歴】
 1965年長野県松本市生まれ。松本県ヶ丘高校卒業、
 早稲田大学・教育学部理学科生物学専修卒業、
 大阪大学・大学院医学研究科修士課程修了、
 東京大学・大学院医学系研究科博士課程単位取得、博士(医学、東大)
 現在、新潟大学医学部保健学科准教授。
  専門は生命倫理、医療倫理など。
  主著:『医療倫理学の方法』(医学書院)
     『ハンセン病 重監房の記録』(集英社新書)など
 HP http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/

【後記】
 医療訴訟は、医療現場での悩ましい問題です。一生懸命治療していた結果患者さんに訴えられる、あるいは信頼して治療を受けていた主治医を訴える、、、、辛く悲惨な状況です。解決の方法として医療裁判があるのですが、現状では、時間がかかりお金がかかる割には、双方に納得できる解決が得られることが殆どありません。すなわち、どちらも不満足な、不本意な判決になってしまうことが多いのです。

 時間がかからず、経費がかからずに、双方が満足できる(Win-Win)解決法、ソフトな解決法はないものか?こうした疑問に一つの答えを示してくれる講演でした。すなわち、こじれた関係をいかにお互いの立場や心情を理解しつつ、歩み寄れるのか、そのためにはどのような方策が考えられるのか、と改めて考えさせられる内容でした。
 参加された方々からも、いくつかの事例が報告され皆で考える時間を持つことが出来ました。
 

 今回は、耳慣れない言葉が多かったので、私なりに調べてみました。
 「裁判外紛争処理制度(ADR)」
  http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/adr.html
  日本弁護士連合会(日弁連)のHP
 

 「医療コンフリクト・マネジメント」
  http://www.conflict-management.jp/preface/preface.htm
  医療コンフリクト・マネジメント研究会のHP
 

 「日本医療メディエーター協会」
  http://jahm.org/toha.htm
  日本医療メディエーター協会のHP

2008年11月12日

 演題:「”ふつう”ってなに?-見える見えないの狭間で思うこと-」
 講師:小川 良栄 (長岡市自営業)
  
日時:平成20年11月12日(水)16:30 ~ 18:00
  
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来   

【講演抄録】
 障害と社会のかかわりには、二つの考え方がある。ひとつは、健常者社会に障害者もできるだけ取り込んでいこうとする、「個人モデル」または「医療モデル」と呼ばれる考え方である。これは現在の大勢を占める考え方である。もうひとつは、障害者の差別や偏見につながる社会のルール、社会のしくみを変えていこうとする「社会モデル」と呼ばれるものである。 

 「医療モデル」は、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは目が見えないからであるとする、問題の原因を個人に求めるう考え方である。一方、視覚障害者が駅のホームから落ちてしまうのは、目が見えないからではなく、十分な転落防止策が講じられていないからと原因を社会に求めるのが「社会モデル」である。 

 世間では障害の重い人のほうが軽い人よりも、生活していく中で辛く困難であると理解されているが、この理解自体が間違っているのではないだろうか?そのことを「社会モデル」流に考えてみようというのが本日の話のテーマである。 

 軽度視覚障害者は全盲ではないけれども、どんな医学的手段を用いても十分に見えるようにならない。時に対人関係で、時に社会的配慮の遅れなどで、社会から背負わされる辛さというものがある。同時に社会の偏見から逃れるために自身の障害を隠すという心理的葛藤とも向き合わなくてはならない。つまり、軽度障害者には独自の辛さ、困難さがある。 

 障害の重い軽いというのは量ではなく、質である。同じ視覚障害者と呼ばれる中にも多様性がある。ところが、多くの人は障害者を安易なイメージでとらえてしまいがちである。視覚障害者とは白杖を使う人、点字を使う人と理解してしまう。でも、実際には生活していく中で障害者の感じる辛さや困難さは、個々にすべて違う。ひとくくりにはできない。 

 障害者が求める支援の幅は広い。事前の学習で得られる知識、例えば、視覚障害者の誘導の方法を学ぶことは無意味ではないが、それが視覚障害者そのものを理解することにはならない。事前にすべてのことを理解することは不可能であり、必要もない。大切なことは「自分は相手のことをわかっていない」ということを理解しておくことである。 

 相手のことがわからないから、想像する。そして聞いてみて、振る舞いを見てみて、わからなかったことが、わかることへ変化する。この繰り返しで人間関係は深まっていき、例えば友人関係になる。事前の知識は、相手が何が辛いのか、何に困っているのか想像するときに役に立つ。 

 しかしこれは相手が障害者だから特別なことではなく、健常者同士でも基本的には同じである。では、一対一という関係から、かかわる人の数が増えたらどうか、一対一の関係と比べてうまくやっていくのは難しくなる。それは、他者との関係を良好に保つために、時に自分を抑えなければならないことが増えるからである。 

 視覚障害者のために横断歩道にエスコートゾーン(*)をつけたい、といった見えない人のために作り変えていくためには、税金というコストがかかる。音声誘導付信号機の場合、誘導音声を騒音と感じる近隣の住民も存在し、時に自分を抑えて相手との間に妥協点を探らなければならない。困っている人を目の当たりにしない状況で、かつ、自分にとって大切な人のためだけでなく、会ったことのない誰かのために、想像力を働かせて積極的な負担ができるのかどうか、それが問題である。 

 人と人が暮らしていくためには、なにがしかのルール、言いかえれば社会のしくみが必要である。ルールを守るということは、そのまま、時に自分を抑えるということを意味する。自分の自由を守るためには、他者の自由も尊重しなければならない。自分が自由であることが他者の自由を侵害することがあってはならない。ルールのあるところには、それにかなうもの、つまり「ふつう」と、そこからはずれるもの「ふうつでないもの」が生まれてしまう。ジレンマである。だからこそ我々は誰にとってもフェアなルールづくりを目指していかなければならない。 

(*)エスコートゾーン
 道路横断帯(通称:エスコートゾーン)~横断歩道の真ん中に点字ブロック(触覚表示)敷かれていて、視覚障害者の道路横断を支援する設備 

 

【略歴】 小川良栄(おがわ よしえい)
 1984年 仙台医療専門学校卒業、国家試験合格後、盛岡リハビリテーション学院、小泉外科病院、更埴中央病院、老人保健施設サンプラザ長岡にて研修。
 1991年 長岡市に接骨院を開業、現在に至る。
 2005年 介護支援専門員ライセンス取得。
 2006年 (財)東京都老人総合研究所介護予防運動指導員ライセンス取得。
 2008年 長岡市介護認定審査会 審査委員に就任

 

【後記】
 小川さんは、これまで何度か勉強会に参加され、その度に的確なコメントをされる、お洒落で、頭脳明晰で、そして少しシャイな方です。8月の新潟ロービジョン研究会は、「視覚障がい者の就労」がテーマでした。「障がいを持つ者にとって、恋愛と就労は心底自らの障がいと向き合わなければならない場面を迎えるという点で、同じなんだ」と語った、小川さんのコメントは忘れられません。 

 前からこの勉強会でお話して頂こうと考えていましたので、やっと念願が叶いました。沢山のキーワードがありました。「ふつう」「自動車の免許」「個人と社会」「バリアフリー」「障害者と健常者」「社会のしくみ」「重度と軽度」「理解されない」「人間関係」「隠したい」「彼女とのデート」「予行練習」「「りんごとバナナ」「「思い込み」「ルール」「医療モデル」「社会モデル」「想像力」、、、、、、。 

 スライド(パワーポイント)を使っての講演でしたが、目の不自由な方のために音声(駅のプラットホームや音声信号機の音)を用意してくれた初めての演者でした。期待通り、いやそれ以上の立派な講演でした。 

 ご自身が軽度の視覚障がい者であることから、障がいの重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障がいはリンゴが10個、軽い障がいはリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになるという解説はとても理解しやすい例えです。 

 心理的側面の話題もありました。初めてデート。障がいを持つ者は、障がいのことをデート相手には隠してお付き合いをする。完璧に事前に予行練習をして臨むが、そこで生じる様々な失敗談の場面で、講演は一番盛り上がり、また印象にも残りました(小川さんには不本意だったかもしれませんが)。 

 そして社会ルールを守る(創る)ために、「想像力」を働かすことの大切さ。多くの教えを頂きました。

2008年8月6日

『新潟ロービジョン研究会2008』 
      期日:平成20年8月2日(土) 15時30分~18時30分
      場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 
 テーマ「視覚障がい者の就労

 基調講演
 1)「視覚障害者の就労に私はどうかかわることができるか」
     仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
 2)「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長) 
 3)「わが社の障がい者雇用について」
     小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
 4)「障碍」を持つ教師の働く権利保障をめざして
     栗川 治 (新潟西高校教諭)
 5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
     渡辺 利喜男、仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)

       
パネルディスカッション~「皆で考える『視覚障がい者の就労』」
  進行役 張替 涼子(新潟大学)  
      安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  パネラー
    仲泊 聡 (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
    篠島 永一 (NPO法人タートル事務局長)
    小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
    栗川 治 (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
    渡辺 利喜男、仁木 知子(新潟県立新潟盲学校)
    就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
          薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
          轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
          小川 良栄 (長岡市自営業)

《機器展示》
 東海光学、タイムズコーポレーション、ナイツ、アットイーズ(新潟)、新潟眼鏡院

 
 済生会新潟第二病院眼科では、毎年、県内外の患者さんと家族、眼科医・視能訓練士や医療および教育・福祉関係者を対象に、新潟ロービジョン研究会を開催しています。
 第9回目になる今年は、「視覚障がい者の就労」をテーマにして、魅力的な講師陣をお呼びして企画しました。 全国11都県から123名の方々が参加して開催しました。

 厚生労働省の調査(06年)では、15歳以上64歳以下の身体障がい者約134万人のうち、就業しているのは約4割と推定されています。一方、同省が全国約5000事業所で働く約11000人を対象に行った「障害者雇用実態調査結果報告書」(03年度)によると、身体障がい者の3割以上が過去に離職・転職を経験し、平均転職回数は2.1回でした。
 05年に成立した障害者自立支援法は、意欲と能力のある障がい者が働きやすい社会の推進を目指すとしていますが、視覚障害者への支援はまだ不十分なようです。

【講演抄録】
1 「視覚障害者の就労に、私はどうかかわることができるか?」
    仲泊 聡
    国立身体障害者リハビリテーションセンター病院 第三機能回復訓練部部長
 視覚障害者にとって就労は最重要課題である。なぜなら、障害によって奪われた「収入」と「所属」と「生き甲斐」のすべてを就労に関連して獲得することができるからだ。
 しかし、眼科医はこの最大の問題に自らが手を差し伸べられると自覚していない。眼科医は、まず疾患を治療し、視機能の回復をはかるべきである。これが全てだ。しかし、それに時間を要し過ぎると逆に就労継続に対する壁になる。むやみに入院治療を引き延ばしてはいけない。エイドによる機能的な回復を実現し、手帳や年金の手続きをすみやかに行ない、職場への説明を十分に行なって理解を促し、就労への環境を整えるのも眼科医の仕事である。手におえないのなら相談・訓練や教育の場への橋渡しを行う。
 私は、そうやってこの10年を過ごした。しかし、尚うまくいかない。どこにその問題があるのか。
 本質的な問題は何か?パソコンにしても三療にしても、能力のある人は、適切な支援さえあれば問題ない。資格はあるけれど上手く働けない人、資格を得ることが出来ない人が問題である。そして自立である。自立支援法が出来たが、必ずしも上手く運用しているとは言えない。
 今年新たなポストに就き、眼科医としてだけではない重責を感じている。これから皆さんと一緒に考えてみたい。

◎講演後、新潟県視覚障害者福祉協会の松永秀夫さんから、現行の障害者自立支援法は、視覚障害者にはあまり適応にならないとコメントがありました。


2「視覚障がい者の就労」~NPO法人タートル事務局長の立場から~
     篠島 永一
     特定非営利活動法人タートル 事務局長
 NPOタートルの目的は、1)「見えなくても、見えにくくても働ける」を提唱し、社会啓発に努める、2)「職業選択の自由を求めて」を目標に職域拡大と能力開発に努める、3)「定年まで勤めつづける」をめざして定着支援を連携と協力により行う、4)「納税者になろう」をモットーに、職業自立を支援する、である。
 特に、就労継続(中途視覚障害者の就労の継続をすすめ、失職を防止する)、復職(視覚障害リハビリテーションを受け、雇用主の不安感を払拭する)、再就職(コミュニケーションスキルとモビリティスキルを身に付けることにより自信とプラス思考をもって就職活動をする)、新規就職(新たな職域に挑戦する意欲を持つ)の各分野で活動を展開している。
 何よりも会社の戦力と成り得る実力を付けること、そして自分の意見を会社に提案できることが大事である。そのためには、本人の働きたいという意志が大切。
 現実に障がい者を受け入れる会社は増えてきている。タートルでは事例をファイルして、公にしている。ハローワークにも働き掛けている。
 視覚障がい者の多くは眼科を受診する。眼科医の一言が大きく影響する。眼科医にも視覚障がい者が実際に社会で活躍していることを知って欲しい。
 視覚障がい者には、うつ病の方が多い。心の支援を必要としていることにも目を向けて欲しい。

◎講演後、神奈川県茅ケ崎から参加された社会保険労務士の中村雅和さん(1型糖尿病)から、「なにくそ! 障がいになんか負けるものか。障がいはチャンスだ」と力強いメッセージがありました。新潟の信楽園病院の山田幸男先生から、「新潟の人が地元で支援を受けられるようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」という質問がありました。篠島さんは以下のように答えていました。「資源の多い東京とは違う、新潟では新潟のやり方があるはず。でも、根本のところでは、当事者が当事者の就労相談を受ける体制をつくることが大事だろう。」


3「わが社の障がい者雇用について」ー年金をもらうばかりではなく、税金を納める側になれー
    小野塚 繁基
    小野塚印刷株式会社 専務取締役
 厳しい最近の経済状況では、企業にとって障がい者を雇用することは困難になってきている。健常者以上に能力がないと採用されないというのが現実である。そういう意味では障がいのあるなしは関係ない。企業にとってプラスになる人材は必ず採用される。
 障がい者としての弱者意識、疎外感の中で生きてきた彼らが、不自由ながら平等な意識で外へ、職場へ出てこれるように導くことから始まる。思うように指先が使えず、握力もほとんどなしの、男性が「誰もが彼には無理だ」と思う紙揃えを「これが出来なければ、もう自分のいけるところがない」という必死の想いで、練習をすることにより、仕事がリハビリとなり、手先が器用になり、問題なく、印刷機械を操作できるようになった。
 家では何もかも、お母さんがやって下さり、できなさそうなことは最初から手を出さない難しそうなことはやってもらう、それが当たり前の生活の中で、できるように工夫すること努力することなど学べるはずはない。社会に出ようとする障がい者にとって一番の足枷が家庭環境である。かわいそうに、つらいだろうにと、大事に大事にかしずかれ、結局、自立できない人の助けなしでは生きられない人間になってしまう。仕事で甘やかすことが差別になる。
 絶対できないことは理解しているが、工夫や努力をしない人、我慢がない人はいらない。どんどん配置転換をして、出来ること、やりたいことを捜してもらう。ノーマライゼーションの実現・・・遠く長い道のりを、挑戦し、体験を拾い上げて積み上げて行くことにより、障がい者が社会の一員として認められる。
 「国の年金をもらうばかりではなく、一日も早く税金を納める側になれ!」 


4「『障碍』を持つ教師の働く権利保障をめざして」
    栗川 治
   (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
 新潟県教育委員会の障碍者雇用率は1.09%で、全国で2番目に低い。日本全体でも2.0%の法定雇用率に達しているのは京都府と大阪府のみで、教育現場の立ち遅れが著しい。
 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会で全国の当該教師を支援する中で実感するのは、個々の障碍に応じた働き方を可能にする条件が整っていない事である。必要な人的、物的、心的支援があれば、障碍を持つ者は働けるし、素晴らしい教育実践の蓄積もある。しかし、多くの場合、支援や配慮がない中で、退職を迫られたり、本人が無理を重ねてつぶれたり、同僚
や児童生徒に負担が転嫁されたりして、障碍を持って働き続ける事が困難な状況に追い込まれていく。
 個々の創意工夫や職場の支えも重要であるが、それらを保障するための「合理的配慮」が具体的に実行される事が、障碍者雇用を進め、障碍者差別を無くしていく上で決定的な要因となっていると言える。

◎和歌山県海南市から参加された山本浩さん、山形市から参加された武田健一さんからコメントがありました。


5)「新潟県立新潟盲学校における進路指導の現状と課題」
    渡辺 利喜男、 仁木 知子 (新潟県立新潟盲学校)
 中学部および高等部普通科では筑波技術大学や筑波大学附属視覚特別支援学校への進学が増加。最近は一般企業への就職も見られる。理療科では、開業をする者や治療院就職が減少し、一方ではスーパー銭湯などの健康産業にマッサージ師として就職する者が増加している。

◎信楽園病院の山田幸男先生から、盲学校には適材適所にコーディネートするような方はいらっしゃるのかという質問がありました。


【パネルディスカッション】
『皆で考える「視覚障がい者の就労」』
  仲泊 聡    (国立身体障害者リハビリセンター病院眼科部長)
  篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
  小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  栗川 治    (「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長)
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
  就労体験者~亀山 智美 (長岡中央病院)
        薬師寺 剛 (新潟県立吉田養護学校教諭)
        轡田 貴子 (国際福祉医療カレッジ)
        小川 良栄 (長岡市自営業)

 まずはじめに就労体験者から発言がありました。薬師寺さんからは視覚障害者が働く上での環境整備の重要さ、亀山さんからはコミュニケーションの大切さ、轡田さんからはできる範囲内で障害の状態を理解して頂くことの大切さが語られました。
 小川良栄さん(長岡市)は、”ふつう”ではないけれども市民がイメージする視覚障害者でもないどっちつかずな存在といえる軽度視覚障害者が抱える問題について訴えました。障害の重い、軽いとは定量だけでなく定性で考えることも重要で、重い障害はリンゴが10個、軽い障害はリンゴが5個ではなく、バナナが1本という捉え方をしてほしい。そして、リンゴとバナナでは食べ方が違うように、支援のためのアプローチも違ったものになることを理解していただくことが、就業問題を考える第一歩ではないか、、、、、。
 小野眞史先生(日本医大)のから、視覚障害があるからこそ向いている職種がある、それはコーティングで実際に推進している「アリスプロジェクト」を紹介してくれました。
 小島紀代子さん(新潟県中途視覚障害者のリハビリテーションを推進する会)から、視覚障害者が高齢者や肢体不自由者にパソコンを指導している実例を挙げ、障害を持つ人は、今の時代に一番欠けている「相手の立場に立つことのできる人」と紹介がありました。この時、小野塚さんから、「企業の立場からすると、そのことがどう会社に役立つのかを知りたい」とのコメントがありました。
 高橋茂さん(西新潟中央病院リハビリ;言語聴覚士)は、障害の種類による異なる支援と能力開発の必要性を訴えました。
 岩田文乃先生(順天堂大学)は、視覚障がい者の就職や能力開発を考えた場合、視覚障がいがあると何にも出来なくなるという負のイメージ(特に親の)に問題があるとの指摘しました。
 麻野井千尋さん(NAT)は富山県の活動について、八子恵子先生(前福島県立医大)は福島県の活動についてから報告してくださいました。
 仲泊聡先生(国立身体障害者リハビリ病院 眼科部長)は、復職という問題について産業医はどうかかわっているのか、鍼灸マッサージの環境整備について発言があり、最後に「視覚障害者は空気を読むのが苦手、脱KYが不可欠。そして笑顔を忘れないことが就労に繋がる」と語り、会場から喝采を浴びました。

 視覚障がい者の就労について語る場合、1)障がい者は就労に足る能力(企業が望む能力)を身につけること、2)企業は障害の有無にとらわれずに能力を見出す採用をすること、3)企業が望む能力を身に付けるために、盲学校は何をしなければならないのか、医療者は何が出来るのか、親は何をすべきか、4)能力(資格)を身に付けられない障がい者は如何したらいいのか?、5)働けるのに働かない障がい者がいることはもっと大きな問題では、、、、 課題はまだまだてんこもりです。 
 「就労」(と「結婚」)は、障がいがあるという事実と真正面から向き合うことを余儀なくされます。建前でない真剣な討議が交わされ、充実した研究会となりました。参加の皆様の熱意に感謝致します。
 

【略歴】
 仲泊 聡 
  昭和53年3月 学習院高等科卒業
  昭和58年3月 学習院大学文学部心理学科卒業
  平成元年3月 東京慈恵会医科大学医学部卒業
  平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院眼科
  平成15年8月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師
  平成16年1月 Stanford大学留学
  平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
  平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセン ター病院
                          第三機能回復訓練部部長

 小野塚 繁基 (小野塚印刷専務取締役;新潟市) 
  平成2年4月 小野塚印刷株式会社 入社
                     製造部オフセット印刷オペレーター
                    その後、経営企画室長、製造部次長、工務部次長を歴任 
   平成10年3月 株式会社ウエマツへ印刷技術習得の為、転社
   平成12年3月 小野塚印刷株式会社へ戻る 
          営業部長、制作部長、総務部長、取締役統括本部長を歴任
   平成17年  全国重度障害者雇用事業所協会
               関東甲信越ブロック新潟支部長に就任
   平成20年6月 小野塚印刷株式会社 専務取締役に就任

 篠島 永一  (NPO法人タートル事務局長)
   東京都青梅市在住
  学  歴
   1961年3月 慶應義塾大学工学部計測工学科 卒業
   1967年3月 高校数学教師資格取得
    1968年3月 社会事業学校専修科 卒業
   2001年3月 社会福祉施設長資格認定講習課程修了 
          施設長資格取得
  職  歴
   1961年4月 三井石油化学工業株式会社入社
   1965年3月 視力低下により退社
   1967年4月 クスダ事務機株式会社入社
   1977年12月 退社
   1978年1月 社会福祉法人日本盲人職能開発センターに入職
   2007年3月 定年(70歳)により同センター退職
   2007年12月 特定非営利活動法人タートルの理事就任

  栗川 治  (新潟県立新潟西高校教諭)
   1959年 新潟市生まれ
   1982年 早稲田大学第一文学部哲学専攻卒業
   1984年 新潟県立柏崎高校小国分校に新採用社会科教員として赴任
   1987年 視覚障碍の重度化(網膜色素変性症)
   1988年 県立新潟盲学校に転勤
   1992年~96年 全国視覚障害教師の会事務局長
   1993年 県立西川竹園高校に転勤
   1996年~ 「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会事務局長
      2006年 県立新潟西高校に転勤
   
  渡辺 利喜男 (新潟県立新潟盲学校)
    あはき師、理学療法士 筑波大理療科教員養成課程卒業、
    神奈川県総合リハビリテーションセンター勤務後、
    昭和51年より新潟盲学校に赴任、現在に至る。
  仁木知子 (新潟県立新潟盲学校)
    平成16年新潟盲学校に赴任、体育担当、進路指導部

2008年7月27日

報告 第149回(08‐7月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
   日時:平成20年7月4日(金)17:00 ~ 18:30 
   場所:済生会新潟第二病院 10階会議室A  

1)「共に生きる社会に向けて」
     石黒知頼(いしぐろ ともより)新潟盲学校中学部3年 
 【弁論抄録】
 視覚に障がいを抱えていても、他の人と同じことを同じようにできると嬉しい。今回特に、職業の選択、副音声、ATMについて考えたい。
 現在、大学も点字で受験できるようになったが、就職については現実的には厳しいようだ。視覚障がい者が就職できるとする職種は、鍼・灸・あんまということになるが、最近は音声パソコン等の普及により視覚に障がいを抱えていてもいろいろと活躍できる場が増えていることは心強い。しかし新潟で就職レベルまでパソコンを会得することは厳しい。大阪や筑波まで行かなくてはならない。
 テレビやドラマでの副音声解説があるとありがたい。見えなくてもテレビや映画を楽しみたい。周りの人が笑っていても笑えない。副音声があれば、どういう状況なのかがよくわかり、嬉しい。時には周りの人が状況を説明してくれるのだが・・・。 最近のATMは、タッチパネルなので僕達には使えない。全てのATMで音声案内が備わって欲しい。
 自分の力で何でもできるようになりたい。自立したい。職業の選択・副音声・ATMを糸口に訴えていきたい。 

 【弁士自己紹介】
 僕は野球部に所属しています。7月1日から3日まで新潟を会場にして北信越盲学校野球大会が開催されます。僕はレフトを守っています。音を頼りにボールをキャッチするのでとても難しいですが、うまくキャッチできたときはとても嬉しいです。学校では生徒会長をしています。ことしはいよいよ3年生で受験も控えているので、勉強も頑張りたいです。 

 【先生からの補足】
 知頼君は昨年度「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に学校代表として出場しました。昨年も「暮らしやすい社会」の実現に向けて自分の感じていること、考えていることを発表しました。済生会の勉強会での発表は昨年に続き、2回目になります。とても張り切っています。昨年とは一味違う知頼君の発表にご期待ください。
 

2)「家族の絆」
     近山朱里(ちかやま あかり)新潟盲学校中学部3年 
 【弁論抄録】
 部活(卓球)のために一年間寄宿舎で暮らした。寄宿舎では身の回りのことはすべて自分でやらなければならない。掃除・洗濯物をたたむ、、大変だ。今まではこんな大変なことを全部やってもらっていたんだ。
 些細なことで家族とけんかをしてしまうが、翌日は「おはよう」と言って終わり。3世代同居をしている(母方の)祖母が入院した。「おばあちゃん、お願いだから早く良くなって」と祈った。
 寄宿舎で生活するようになってからいろいろと家族に支えられていたことを実感することができた。自分を陰で支えてくれていたこと、家族が健康でいることのありがたさ、強いつながり。
 家族と絆を実感し、家族に感謝している。 

 【弁士自己紹介】
 わたしは卓球部に所属しています。秋には石川県で北信越盲学校卓球大会が行われます。今年は選手として参加できるように練習を頑張っています。最初はなかなか難しかったですが、だんだんとボールを打ち返せるようになり、今はとても練習が楽しいです。学校での得意教科は英語です。理由はいろいろな単語や表現の方法を覚えることが楽しいからです。趣味は音楽鑑賞で特に最近のJ-POPをよく聴いています。 

 【先生からの補足】
 朱里さんは今年度新潟で開催された「関東甲信越地区盲学校弁論大会」に出場しました。昨年は「わたしの主張 新潟市地区大会」で最優秀賞を受賞し、県大会に進みました。大勢の前で発表することを何度も経験してきました。とても明るく、いつもにこにこしている朱里さんです。
 

3)新潟盲学校の紹介(ビデオ使用)  田中宏幸(新潟県立新潟盲学校:教諭)
   http://www.niigatamou.nein.ed.jp/
 当校は、昨年度創立百周年という大きな節目を迎えました。これまで当校が歩んできた歴史と伝統を振り返り、これからの特別支援教育の動向を踏まえ、新たな一歩を踏み出してまいります。
 また、当校は県内唯一の視覚障害教育専門機関として、その使命や役割を自覚し、特別支援教育推進に努めています。幼児児童生徒個々のニーズに応じた適切な教育支援を推進し、自立や社会参加につながる力の育成を目指し、県民の期待に応えます。
  (小西明校長あいさつ;HPより)

 

【後 記】
 毎年7月に、盲学校の生徒を招いて院内で弁論大会(盲学校弁論大会 イン 済生会)を行うようになって、8年目になりました。今年も2名の弁士を迎えて開催しました。
 限られた短い弁論時間で、これまでの挫折や苦労、そして小さな一歩の勇気から外に出て周りの人の温かさを知り、人のために何かしたいと感じ生きていく。そんな人間の強さ、無限の可能性に毎年感銘を受ける弁論大会です。毎回、生徒の明るさと、元気、純粋さに圧倒されています。
 

@全国盲学校弁論大会
 1928(昭和3)年、点字大阪毎日(当時)創刊5周年を記念して「全国盲学生雄弁大会」の名称で開催された。大会は戦争末期から一時中断。47(同22)年に復活。75(同50)年の第44回からは名称を「全国盲学校弁論大会」に変更。
 大会の参加資格は盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学した中高年の中途視覚障害者も多く、幅広い年代の生徒が同じ土俵で競うのも特徴。
 社会に発信する機会の少ない視覚障害者が、自らの考えを確かなものにし、その思いを社会に届ける場として伝統を刻んできた。出場者からは視覚障害者の間で活躍するリーダーが育っている。 

 新潟盲学校は地区予選を「関東甲信越地区」の枠で行う。
 第77回全国盲学校弁論大会関東甲信越地区大会(同地区盲学校長会主催、毎日新聞社点字毎日部など後援)が6月13日、新潟市内で行われた。7都県9校から盲学校の生徒11人が参加。出場者は7分の持ち時間で、障害を抱える中で体験したエピソードを熱く語った。
 審査の結果、東京都立八王子盲学校専攻科2年、北村浩太郎さん(36)が1位となり、県立新潟盲学校専攻科1年の佐藤成美さん(18)が2位に選ばれた。北村さんと佐藤さんは、10月に福島県で開かれる全国大会に出場する。 

@@新聞の投書欄から ~新潟日報「窓」 2008年6月26日朝刊
 元気もらった盲学校弁論大会
  新潟市 熊木克治(67) 新潟大学名誉教授
 先週、全国盲学校弁論大会の地区予選を聞く機会があった。
 盲学校理療科で解剖学を教えているが、目が不自由な人と聞くだけで、何となく腰が引けたり、遠慮していたりする自分に気付き、その未熟さを嘆いている。 さわやかな語り口から、勇気と元気をもらったのは、実は私のほうだった。
 障害を個人のマイナスとしてだけ捉えるのでなく、社会での広い相互理解の意識が大切と思う。いわゆる晴眼者といわれる私たちの方こそが、無知で認識不足であった。まさに「目からうろこが落ちる」貴重な体験であった。