2012年6月24日

 シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
   守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 

 シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』は、当事者(竹熊・関)と医師(守本)が、それぞれの立場で講演。その後座長の進行で、会場の参加者とディスカッションを繰り広げました。シンポジウムの内容を座長報告として、そして参加者からの感想をお届けします。

 

シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
             佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)
             張替 涼子 (新潟大学)
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 無責任な「告知」は患者さんに深刻な悪影響を与えます。にも関わらず、眼科医が網膜色素変性の患者さんに対して治療法がない、遺伝性である、進行性で失明する可能性があるの「3点セット」と揶揄されている安易な告知を行っている例が未だに散見されます。外来の3分診療の中、突然このような「告知」をされたら患者さんはたまりません。ショックと混乱で絶望してしまいかねないのです。

 本症の告知に関しては、これまでにも1)「眼科医にとってロービジョン対策以前の課題である(安達恵美子)」、2)「提供するデータを研究するのみではなく、得られた医学情報の伝達方法についても検討し、医療技術の一部として教育や研鑽に努める必要がある(岩田文乃)」などの考察がありましたが、臨床の現場に浸透しているといえる状態ではなく、眼科医の人間性も重要ですがそれだけでは不十分な気がしていました。

 シンポジウムの前には、障害児・障害を持つ親に寄り添いながら、よりよい告知のためのシステム作りに情熱を傾けていらっしゃる小川弓子先生の基調講演がありました。小川先生は、「医師は自分自身の人間性を振り返り日々研鑽が求められる」ともおっしゃられていました。

シンポジウムでは3人のシンポジストにご講演いただきました。

1.当事者である竹熊さんは、16歳のときに自分と母親が別々に告知を受けたこと。自分に対する告知は見えにくくなることを差し迫ったものと感じさせない配慮があったが、母親は「3点セット」の告知を受けたと思われ、その後の嘆きが深かったこと。親の気持ちを慮るあまり、視覚障害者として生きていく選択ができなかったこと。今では三療の仕事に大きなやりがいを感じているが、ここまでくるのに25年もかかったことを話されました。人生の早い時期に告知されたが、病気の進行の予測がつかないために人生設計が難しかった面もあり、可能なら「何年後に視力が0.1くらいになる」といった予測を伝えてもらえると役にたつと思うと話されました。

2.眼科医である守本先生は、希望に繋がるプラスの情報を多く示すことでショックを最小限に抑え、できるだけ平常心を保てる告知を目標とし、そのために心がけるポイントを話されました。治療法がない→治療に通わなくていい、進行性→事前に教わってゆっくり準備できる、遺伝性→誰のせいでもないなど、言い方を工夫する。光、栄養、規則正しい生活などで行動を制限しない(逆は過去の行為を後悔して苦しみかねない)。QOLの高い視覚障害者の生活を伝える。患者交流会なども知らせ、告知から生じがちな孤独感の軽減を図る。話しやすい主治医と思ってもらい、以後も質問に応じられることを伝えておく、などでした。

3.20歳を過ぎたころに同病の父親から告知を受けた経験を持つ園さんは、JRPS主催の医療相談会で、我が子や、孫に遺伝しているかを気にした質問が多いことから、無症状の子供に診断を受けさせることの是非について発言されました。親が同病であるがゆえに子供がどうであるかを知るために眼科を受診する例が多いこと。小児期に診断を受けることでその後の人生において結婚や障害年金申請などさまざまな局面で不利益をこうむる可能性があることを知っておくべきであること。親の納得のためだけに診断を求めてはならないこと。一方、医師は、無症状の子供の診断を求める患者に対して、事前にこうした問題があることを助言することも必要なのではないかとも話されました。

 3人のご講演の後に、意見交換を行ったところ、多くの真剣な発言がありました。視点ごとに発言を整理してみました。

【告知のショック】
・3点セットの告知はやはりショックが大きかった。しかし告知自体は受けて良かった。告知があったことで情報を得ようと努力することができた。:当事者
・告知はショックだったが、大手術の直後にRPの告知をすることは心の負担を増やすことになると考えて避けてくれた初診医の配慮が有り難くその後ずっと自分の心を奮い立たせるバネになっている。:当事者
・昔、友人が眼疾患の告知後に自殺した。告知と同時に前向きな情報が知らされていれば友人は死ななくてすんだはずだと思う。患者が残りの才能で何ができるか、を考えた上での告知が必要なのではないか。:眼科医

【告知すべきかどうか】
・情報は患者のものである。:当事者・眼科医 双方から
・告知の職責が医師にはある。:眼科医
・告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか。:眼科医

【告知の時期】
・確定診断がついた時点での告知が長期的にみて医師・患者双方にとってベストである。:当事者(支援者)
・思春期の告知は難しい面がある。親の対応についても助言が必要。:当事者・眼科医 双方から

【遺伝の情報について】
・いろいろ考えたが、子供を産んでよかった。:当事者
・子供を産むかどうかの選択は正しい情報を持ったうえでおこなうべきで告知は必要。:当事者
・遺伝子異常は誰でもかならず持っているものであることは伝えたほうが良い。:眼科医
・遺伝の問題はデリケートであり、きちんとした相談のできるところに紹介したほうがよい。:眼科医

【どのように伝えるべきか】
・3点セットがダメなのははっきりしている。:眼科医
・あいまいにしていることで次の段階へのスタートが切れない人がいる。:当事者(支援者)
・マイナスのコメントがすごい生活制限に繋がってしまう。:眼科医
・眼科医として、将来の夢を一緒に考えてゆく姿勢が必要。:眼科医
・障害があったらどうしたらよいかという情報が今はたくさんある。見えなくなっても一生読み書きできる。こういった情報を一緒に伝えるべき。:眼科医

「少なくとも医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫であろう(眼科医)」というコメントもありました。今回のシンポジウムだけで結論の出るような問題ではありませんが、当事者、眼科医がそれぞれの意見をお互いに共有できた、非常に良い機会になりました。

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【参加者からの感想】到着順

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(当事者、新潟県内) 告知に対する、先生方の苦悩と患者側の要望が、交錯し激論を交わしておりました。パネリストの影響もあり、未就学児・就学児・中高年と将来のある患者へのアプローチが話題の中心となっておりましたので、発言しませんでしたが、「網膜色素変性症の告知」を60歳を過ぎた方、高齢者への告知も深刻な課題と思っております。JRPSの役員をしている関係で、告知を受けた患者よりのご相談を受けることが、あります。そこで、高齢者に「治療法がない・遺伝性疾患である・将来失明に至る」の三点セットの告知を受け、途方に暮れておられる方の相談が、年に数例あります。予後・余生(高齢者に失礼な言葉とはおもいますが)を希望を持たせる告知、または、心配をかけない告知についても、次回、議論して、頂きたいと思いました。
 どの世代の人にとっても。病気の告知は、重要な課題となると思いますが、正解は、「一緒でないのではと・・・」とも、思いました。「網膜色素変性症」の治療法・予防法が、確立し、このような問題も、昔話に、できるようになる日が、1日も早く来ることを、切望いたしております。

(当事者、千葉県) 多くのしつぎがあり、眼科の先生がたは、神経をすりへらし、悩んで、失明という言葉がひとり歩きしないよう、最善の注意をはらいながら、告知にいたっているということを知りました。

(研究所職員、兵庫県) 告知について患者だけでなく医師も悩んでいることがよくわかった。医師だから何でも知っていて、告知のプロだと思っていたら大間違い。医師たちも生身の人間である。いろいろな思いを抱えながら悩み、患者のことを心の底から考えている。診察に追われ、時間に余裕がない中で、患者への対応を迫られるのは気の毒に思う反面、正しい知識や情報を持ち、障害者に対する無駄な偏見や憐れみをなくしてほしい。障害者は決してかわいそうな人ではなく、生活上の不便を解消するだけで生活を一変させることができる、その方法を知らないだけではないか。患者に何が必要か、情報は誰のものか問えば、答えは必然的に導かれる。全ては患者のため。これは当たり前だとわかっていても、忙しさの中でついつい忘れがちになってはいまいか。そして、医師だけでなく、患者とその家族がもっと楽になるように告知の一部分を遺伝カウンセラーや心理カウンセラーに任せるなど役割分担があってもいいのではないだろうか。患者も医師もwin-winといきたいものだ。

(眼科医;大学勤務、東北) 私は患者さんを含めたこのようなシンポジウムを聞くのは初めてでとてもいい経験になりました。告知のことは非常に難しい問題を含むものであることを改めて感じさせられました。簡単に結論のでるものでないことは会場の患者さんのお話しでもよくわかりましたし、非常に心を揺さぶられるお言葉ばかりでした。竹熊さんや園さんが患者さんの代表としてご参加されて討論されたことにこころから感謝致します。討論は最先端でご活躍されている眼科医にも患者さんにもためになる内容だったのではないかと感じています。もっと広く臨床医にも参加していただきたい会だと思います。

(機器展示業者) 病名告知においてはその難しさ、重さを感じながら、現状と向き合わなければならないというバランスをどうとるかなのではと思う部分であります。

(当事者、千葉県) 「告知」という難しいテーマについて、医者と患者が席を同じにして議論できたことは素晴らしいと思いました。簡単に結論を論じられるようなテーマではないと思いますが、「情報は患者のためにある」との言葉が大変に心に残りました。

(福祉介護ボランティア、東京) 「告知」というテーマは、私にとってかなり関心のあるテーマでした。私自身、10余年前にはいわゆるガン告知を受けました。私の場合は非常に転移の可能性の低いガンであるということは、その告知の段階で言われており、今もこうして変わりなく日常生活を送れています。その時の執刀医(主治医)は、私が満足する十分な説明とあらゆる可能性を話していただけたので、そのドクターとの間には信頼関係ができ、今でもメール交換などもしています。
 私自身のことを除けば、身近な告知の例は「失明の告知」ですが、ガンの告知にしても余命の告知にしても、だんだん体の機能が衰えて行く難病の告知など、告知に関わる医療関係者側の軽重はないように思います。大きな重圧の中で、告知に向き合っていらっしゃると思います。ある意味他人の人生に対して、決定的なことを告げる訳ですから、誰に相談することもなく悩みに悩んで告知に臨んでいらっしゃることでしょう。一方告知される側にも、社会経験、家庭環境、その人の人生観・宗教観、様々な問題が一人一人皆違います。一人一人の患者側の状況が違えば、彼らに対する告知の仕方も一つ一つ違ってくるはずですが、「失明の告知」で言えば眼科におけるこんなにも大きなテーマなのにそれをしなければならない眼科医にとって、現状はその眼科医の持つパーソナリティや人生観だけを頼りとされているのではないでしょうか。
 小沢洋子先生が、あらゆる臓器にその可能性のある再生医療は科を横断した再生学会というようなものが必要になる、というご発言がありましたが、告知という点でも同じような考え方が必要になるのでは、と思いました。告知ということを真剣に突き詰めれば、各科を横断するばかりでなく、教育者、宗教家、様々な社会科学者なども参加し議論し合える「告知学会」が必要になると思います。医師のパーソナリティや人生観だけに囚われることなく、あらゆる科のすべての医師が告知学会で学び患者への告知に繋げて行く、というような流れを理想として考えましたが如何でしょうか。

(当事者) 色変を告知されてから32年。私も3点セットで言われました。今まで、必要な情報を集めながら、一番有効ではないかと思われることをやってみました。二人の子どもに遺伝していた場合のことがいつも頭から離れず、経過観察を続け、何か良い方策はないものか、進行を遅らせたり、ストップすることはなものかと、出来る限りお医者さんのいうことを聞いてきました。
 告知については大変難しいことだと感じました。医者と患者との間の信頼関係が大きく左右することと思います。私は、告知された時、身障者手帳をもらうように勧められましたが、気が進まず申請しませんでした。その後も、日常生活にたいした支障がなかったものですから、色変仲間から異端児扱いされたこともありましたので、本当に色変なのかと、病院を何回か変わり、その度に告知をされました。いやな告知の仕方は、どうせ治らないと投げやり口調で言われたり、気休めを言われるのはいやでした。32年前の先生は、すぐ失明するよ、と言われましたが、幸い、大丈夫です。心配しての宣告だったとおもいますが、決めつけて言ってほしくなかったです。

(眼科医;病院勤務、香川県) 告知に関する小川先生のご講演とシンポジウムについては、いろいろと考えさせられました。それぞれの立場によって、または個人によって思いは様々なんだなと改めて感じました。私の場合告知のタイミングについては、ある種の動物的感にたよっているところが多いかもしれません(笑)が、結局のところ「患者さんと一緒に考える」ということしかできないなと思いました。また、小川先生のお話しされた「前向き、希望的な告知」というのは、やはりキーワードになるかと思います。

(教育関係者;大学勤務、茨城県) 医療従事者だけでなく患者の立場からの意見もお聞きでき,大変興味深かったです。予後に対する専門的知識に加え,告知する側とされる側の信頼関係がとても大切であり,アフターフォローの重要さが良くわかりました。医学部では告知について,どのように教えられているのか知りたいです。

(生活支援専門職、京都府) 失明の告知に関して、岡山大学の守本先生がおっしゃっておられたと思うのですが、「ゆるゆるとお付き合いしていく」というお言葉にすごく共感できました。 失明告知の時点だけではなく、その後何10年も色変と付き合ってこられた人たちの中に、いよいよほとんど見えなくなった時に、告知におとらない大きなショックを受ける方が沢山おられます。そんな時に、ゆるゆると寄り添える専門職でありたいと思います。

(機器展示業者) とても興味深い内容で、当事者の立場、意見を尊重する意識を持つことが最も大切であると思いました。状況がそれぞれ異なるのでタイミングが難しいと思いますが、話の中で出たアフターケアも含め、まずは当事者のことを思いやる気持ちが大事であると感じました。

(薬品メーカー、新潟市) 患者さんの方から3点セットの告知というキーワードが飛び交っていましたが、医師側も患者側もお互い辛い立場にあるなかでいかに医師側がうまく伝えるのが難しいのかがよくわかりました。守本先生の柔らかい話し方、とても印象的でした。何でもプラスにとらえて医師側から患者側に伝えることがいかに重要かということはフロア全体での共通認識になったのではないかと勝手に思いました。

(当事者、長野県) 告知の問題では、先生方の苦悩が伝わってきました。基本的には当然知らせるべきなのでしょうが、それによって人生が大きく変わってしまうこともあるということは納得できます。私も一時落ち込みました。しかし今のうちにできることがあるということに気づき、またいろいろな機会に患者の方のお話をお聞きし別の考え方があることを知ることができました。告知のときに、あるいは少し時間をおいて同じ病気の人たちの団体があることを教えてくれるシステムがあればいいなと思いました。病院では治療が最優先にされて、そこまでは手が回らないのかも知れません。しかし患者にとってはそこがスタートなのです。そこで放り出されるようなことはあってはならないのではないでしょうか。私の場合だけかもしれませんが、そのような団体などは自分で探さなければなりません。探しても見つかるとは限りません。自分でネットワークを作るか探すかしかないのです。今は個人情報保護の観点からどこに聞いても名前も住所も、あるいはそういった人の存在すら教えてはもらえないのが実情です。団体があるとすればそういった情報を提供してもらえる体制があればありがたいと感じました。

(薬品メーカー、新潟市) 告知については、伝える側、伝えられる側の永遠の課題となると思いました。告知の際の環境や話し方、話す内容次第では、患者様の受け止める感情や将来への不安などが少しでも和らぐのではないかと思います。ただ、患者様一人一人によって受け止め方が違うと思いますのでとても難しいことだと感じました。 私が告知を受ける側であることを想像してみると、将来への不安を真っ先に考えてしまうと思ったことから、守本先生の、告知の際はプラスの話をすることやアドバイスをして頂くことが私にとっては一番良い告知であると感じました。

(眼科医;開業、東京) 小川先生の告知のご講演の途中から聞くことができました。遅れていったので、後ろの席になり、全体の様子が良く見えました。何人もの方が涙を流しながらお聞きになっていました。もちろん私も。 そのあとの当事者のお話しとフロアーからの体験談をお聞きし、短い言葉では表現できない思いを持ちました。そんなわけで感想を人にわかるような形で的確にのべる事ができませんが、まだ私にもやらなければならないことがあると感じ、また毎日の信じる歩みをこらからも続けていきます。

(当事者、長野県) 告知については、先生方が大きな問題として捉え、苦悩されていることが伝わり、患者の一人として嬉しく思いました。竹熊さんが、告知を受けてからの家族の対応に苦慮しながらも、今はマッサージ師として情熱を持、更に前進しようとしている姿勢に感銘を受けました。ご活躍を祈っています。

(眼科医;病院勤務、山形県) 告知の問題は医師側も慎重に考え、おこなわないといけない問題だと思います。網膜色素変性症の告知についてある開業医の奥様が「開業医は医師が1人で時間がない、時間のかかることは時間のとれる病院でカウンセラーをまじえておこなうべき。開業医ではスタッフも患者さんの話をじっくり聞く時間のある人間はいない」と2週間前に言われました。私は「白内障手術をおこなっている施設で少なくとも合併症の話で、(開業医さんでも色素変性の白内障手術してますのでそれまで色素変性について)説明するため時間とれますよね」と解答したのですが納得されませんでした。医師としてどんな場所で診察するにしても「診断」し「病名」を告げる場合(色素変性症に限らず)考え発言できるようにならなければならないと再認識させていただきました。

(当事者;自営業、新潟県内) 3名の講演を通して医師は告知を考える時に”伝えたイコール伝わったではない”ということを意識して欲しいというメッセージが抜かれており、告知の前に考えるべきこととして、保護者の状態や心情を理解することは特に大切であるという指摘は、医師としてよりも当事者としての気持ちなのだろうと思いました。医師は科学者であり、第一に求められることは事実を客観的に正確に伝えることです。けれど、それだけでは足りない何かがあると思います。小川先生は最後に告知については、伝える側の価値観、人生観、人権意識も試される。自分自身の人間性を振り返り、日々研さんが求められると結ばれました。足りない何かとは、このことではないか、そう思います。

(当事者、兵庫県) 「いつ、どのように告知をすべきか・・」JRPSでもRPのお子さんを持ったお母さんから時々そういうご相談を受けます。私自身は大人になってから発症し、告知を受けた時もいわゆる3点セットではなく、「治療法はない、徐々に視野が狭くなる、でも、あなたの眼は見えなくならないよ」という優しい?言葉でした。最後の「あなたの眼は見えなくならない」という言葉に少し安心して、・・・でも、徐々に視機能は落ちていきました。告知を受けてから24年、今は「手動弁」です。「絶望」・・と言うより「あきらめ」と「開き直り」で現在の自分の見え方を受け止めています。
 子供への告知は症状が出てきて本人が自覚した時、というような意見も出ていた、と思いますが、小さなお子さんの場合、物心ついた時からその視角の中で生活しているので、自分が眼が悪いという自覚を持つ次期は随分大きくなってからではないでしょうか?フロアーから思春期は避けたほうがいい。というご意見がありました。では、思春期の前?後?そのあたりをお聞きしたかったのですが、時間切れ・・・(帰りの新幹線の時間が迫っていました。)ただ、その先生がおっしゃった「お母さんが受容できているか、周りが支える環境にあるかは重要」そして「医師は告知をしたその後もフォローをしなくてはいけない」なるほど、そんな環境で告知を受けられたら、ある意味幸せかもしれない、と思いました。でも、お忙しい先生方にそんな余裕はあるのでしょうか?少なくともあの会場にいらっしゃった先生方はそんな告知を考えてくださっておられる、と期待しています。私が今、元気に活動しているのは、私を支えてくれる家族や友人、そして、同じ病気の仲間の存在です。自分は一人ではない。それは病気を受け止め、障害を受け止める心の支えになると思います。是非、告知をした後に仲間の存在を伝えてください。

(工学研究者;大学勤務、新潟市) 障が い当事者2名と医師1名から発表があった。各シンポジストの体験に基づいた発言には重みがあり、深く考えさせられた。「告知」の問題は、ぜひ医学倫理教育の中に取り入れてもらいたいものだ。医師が「病気」だけではなく、「患者そのもの」にも感心をもたせる、いいきっかけになるように思う。

(眼科医;大学勤務、岡山県) 竹熊さんのご講演では、親の受け止め方や考え方が子供の人生に響いてしまうため、そこへ第三者がどう食い込めるか、という難しさを感じました(でも、もし親御さんが早くにたくさんのロービジョン者や同じ立場の親御さんたちと出会えていたら、とは思います)。今の竹熊さんが理療のお仕事に生甲斐を見い出しておられることを、我が事のように嬉しく思いました。
 自分の講演では、当日は申しませんでしたが私は岡山で「目の不自由な方と家族の集い」と「網膜色素変性の子どもをもつ親の集い」という2つの交流会を継続開催しているので、そこで見聞きした経験(告知、思考、支え合い、立ち直りなど)を紹介できればよかったなと思いました。ロービジョン外来や交流会を通して、「人は心で生きている」と強く感じます。医者の知識が患者さんに正しく伝わり、その情報が患者さんの中で生かされてこそ告知の意味があります。医者の言葉は大切ですが、その何倍も、患者さんがその後に出会う人々からもらう言葉が大切です。告知医には是非、次の人に繋げて欲しいと思います。
 園さんには助けていただくことの方が多いのですが、頼もしい生き方をされているロービジョン者の代表的な人だなあ、とますます思いました。そのような方々のお話をたくさん、患者さんにお伝えしたいと思います。ご講演で述べられた成人前の眼科受診の是非については、成人するまでその子の将来を考える上で網膜色素変性であるかどうかがわからない状態であってもよいと考える親であったり、逆に夜盲等の症状が出ている(発症を確信している)親であったりすれば、ご発言の通りなのだろうと思います。しかし、告知にはいろんな要素がありますから、障害年金や生命保険についての知識を親御さんたちに知らせてよく考えていただく、ということに尽きるように思いました。
 告知の時期については、親の集いでもしばしば話題になり、個別性が大きいように思います。成人前では親の意向に沿うことになりますが、竹熊さんの例も園さんの例も、親御さんと一緒に考える上で大変参考になりました。次の集いで、悩める親御さんたちにもお話しさせていただきます。

(雑誌編集、東京) 私自身告知されたときのことを思い起こしました。私の場合、手術の事前説明のために手渡された外科や麻酔科からの書類や同意書の中に、病名と障害名が記載されていて、主治医から告知される前に、それを知ってしまった、というお粗末なものでした。けれど主治医や看護師は常に忙しくされている姿が印象的で、これも仕方ないのかなとも思えたのです。しかしそれは本当は悔しかった。告知する医師側は業務上何度となく告知の場を踏むのに対し、告知される側は一生に一回。その重みの違いが滲み出ている感じがした。ですから、今回の先生方のように、いつのタイミングでどう伝えるかなどに配慮をされ心を痛めておられる先生方もいらっしゃることに、救われた思いがしました。

(学生、新潟市) 告知に関する意見を患者本人の立場、眼科医師としての立場でそれぞれの考えを傾聴していてとても難しい話をしていたなという印象を強く受け、眼科医としては患者とその家族に絶望感を与えないように告知するにはどうしたらよいのかとそのタイミングや説明の仕方に工夫を説明し、患者やその家族からは過去に自分が告知された時の経験を語りながらどの時期に告知されるのがよいのかどんなふうに説明してくれればよいのかを互いの視点で語っている姿を見て、自分たちが目指している社会福祉士としての立場ではどうなるのかを深く考えさせられました。告知によってその患者さんのこれからの人生が大きく変わってくることになり、大きなショックと戸惑いが起きるはずです。それを支えていくために眼科医だけでなく社会福祉士の仕事であるケースワーカーやその他の職種の関係者たちが協力し合って患者さんを支えていく必要があると考える事が出来ました。

(学生、新潟市) 告知については、講演に参加している現場の医師の方々も大変苦慮しており、網膜変性疾患と診断された人に対して、想定していた将来像の変更や不安の軽減のために説明時間を多くとって配慮をする必要があること、告知するタイミングはいつがいいか、その後の具体的な支援について説明していき、気持ちを受け入れられるようにすることが課題になっていると理解できました。私は網膜変性疾患の告知について、告知する時期については診断が確定した後、様子を見てできる限り早く心理的負担がかかりにくい時期を見越して告知すること。告知する前に互いに信頼できる関係を形成し、告知の際にも丁寧にかつプラス面を考慮しながら説明することが求められていると思った。告知を上手に行うことで、告知された人の気持ちが大きく変わって本人にとって不利益なことでも場合によっては利益になることがあると考えました。

(眼科医;病院勤務、新潟市) フロアーから、「告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか」、「医療者側には、遺伝カウンセリングの知識が必要」、「ピア・カウンセリングは効果あり」というコメントを頂きました。三宅先生のコメントも会場の心を揺さぶりました。このシンポジウムは結論のないものだと思いますが、私は少なくても医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫かなと考えます。また患者さんばかりでなく、ストレスの多い医師に対するケアも必要と感じました。

 

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『新潟ロービジョン研究会2012』 プログラム 
   日時:2012年6月9日(土)
   開場12時45分 研究会13時15分~18時50分     
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

 12時45分 開場 機器展示    
 13時15分 機器展示 アピール    
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
        座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
   1)基調講演 (50分)
      演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
      講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
   2)私のIT利用法 (50分)
      「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
          三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
      「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
          園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
   3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)
      座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
    演題:「網膜変性疾患の治療の展望」
    講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)
           座長:張替 涼子 (新潟大学)
    演題:「明日へつながる告知」
    講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
      座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)
     守本 典子 (眼科医:岡山大学)
       「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
     園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
       「家族からの告知~環境と時期~」
     竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
       「こんな告知をしてほしい
」     コメンテーター:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ
     18時50分 解散

 【機器展示】   東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)、株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院

 

 基調講演2「明日へつながる告知」では、小児科医で福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園園長の小川弓子先生による告知とは何か、事実を受け入れ、かつ、病や障害と折り合いながら生きるための告知とはどういうものか、どうすればよい告知になるのかを、ダウン症患者アンケートや福岡市における障害告知の状況を示しながら、小川先生ご自身の経験も交えてご講演いただきました。 講演要旨と参加者から寄せられた感想を記します。

 基調講演2   座長:張替 涼子 (新潟大学)
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

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【講演要旨】

1)はじめに

 病名または障害名の告知は、患者にとっても医師にとっても、辛いものである。そもそも疾患や障害には、1)苦痛や経済、社会的不利益 2)将来像の変更と未知の今後への不安 3)潜在する偏見や拒否感などが内在し、告知はその現実に向き合わせる事でもある。告知アンケート調査などでも「とても絶望させられた」「受け入れられない」など悲観的な感想が並ぶ。また、重大な説明も充分に時間がかけられず行われている事実もある。この状況の中で半数以上の患者が告知に対する不満をもっている。しかし、その不満の大部分は配慮不足、説明不足、差別的態度等であり、私たち医療従事者の伝え方を振り返ってみる必要がある。一方、気持ちが立ち直るきっかけをみると、親の会を含む当事者同士の支え合いが大部分をしめる。こういった事実から、明日につながる告知とは、単に病状や障害の現状の理解をすすめるだけでなく、寄り添う気持ちや福祉情報など幅広い視点が必要と思われる。

2)福岡市の取り組み

 福岡市では小児神経科、新生児科、保健福祉センターなどとのネットワークの元に、療育センターで最終的な障害の認定、療育の提供、家族支援を実施。小児科医と臨床心理士、ケースワーカーなど多職種のカンファレンスのもとに障害告知を行っている。そこでは、家族の精神的不安やサポート体制などに考慮しながら説明し、あわせて患者の会をはじめとする情報提供を実施している。また、より正確な告知によって適切な教育への選択につなげるために、障害児施設の巡回小児科診察会を実施している。そこで私が心がけていることは、①診断を伝える際にはなるべくご家族で来ていただく②家庭環境や精神的状況を把握しておく③伝える場面ではわかりやすい説明につとめ根拠となる検査も示す④診断が確定していない場合でも、考えられる可能性を伝える⑤一度で多くを伝えるのではなく、困難な場合には数回に分けて伝える⑥今後に向けての実際的な情報(合併症や起こうるトラブル、当事者や親の会などの情報)もあわせて伝える⑥本人、家族の心情にも心を配る事などである。患者の立場からも、「的確に伝えて欲しい」「将来の見通しや具体的情報が欲しい」との要望もあり、これらは医師の役割と考えている。

3)伝えたいメッセージ

 私自身22年前、息子が3歳の時に視力障害の事実を病院で告知された。そのときは家族の今後の生活、息子の将来への不安、悲しみなど様々な感情が入り交じり、涙をこらえることができなかった。視界不良のまま運転し、息子を助手席に載せたまま、追突事故を起こしてしまった。告知のもたらす衝撃は覚悟してはいたものの、想像以上に大きかった。しかし、その後訓練を開始し、支えてくれる人、優しい人、困難を乗り越えた人々と多くの出会いがあり、人生を豊かにする歌や書籍があった。告知が新たな人生の扉を開けたのだと思う。そういった経験をした一人の人間として、かつ一人の専門的な職業の人間として、また目の前にいる人の困難な局面に、偶然にも出会った人として、伝えたいメッセージを添えるようにしている。それは、「病気や障害があっても、そこに一つの人生があり、意味がある。今の一つ一つの積み重ねは、次につながっていき、困難に応じた成長がある。そして決して一人ではないということ、新たな出会いがきっとあるということ」である。これは、私が一人の視覚障害児を育てた中で経験した事柄でもあり、現在の仕事を通じて、当初弱々しく立ち直れるか心配された保護者が、時間を重ね逞しく幅広い価値観をもった親へと変化していくことを目の当たりにしている実感から得たものでもある。そして、告知をスタートに、この困難を越えていってくれることを心から願っている。

4)最後に

 私が勤務しているあゆみ学園では、ご家族に向けて少しでも心の支えとなるものを発信したいと思い、心温まるエピソードや励まされる歌詞や文章を綴り、「ゆいゆい(結い結い)メッセージ」としてお届けしている。その中から私が強く感銘を受け、利用者に紹介している二つの詩をご紹介したい。

 「サフラン~悲しみの意味  冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があって一つの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって私がわたしになっていく ―星野 富弘―」

 「つよさ  つよいってことはまけないことじゃない つよいってことはなかないことじゃない つよいってことはまけてもあきらめないこと つよいってことはないてもまたわらえること ―濵津 息吹-」

 「告知」は診断や症状、今後の見通しなどの情報の伝達である。そこから一歩進んだ「明日につながる告知」とは、「目前の人が現実を直視し、新たな夢や希望を紡ぎ、着実な明日への一歩を刻んでいってくれることを心から願う気持ち」から自ずと生まれるものかもしれない。

 

【略歴】

 1983年 島根医科大学(現島根大学医学部)卒業
      九州大学病院 小児科勤務
 1984年 福岡市立こども病院勤務
 1985年 東国東地域広域国保総合病院 小児科勤務
 1986年 福岡市立子ども病院勤務
 1987年 長男(視覚障害児)出産を機に育児・療育に専念
 1994年 福岡市立心身障害福祉センター 小児科に復職
 2002年 福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園 園長就任

児童精神神経学会認定医、小児科医会認定「こどものこころの相談医」、福岡市児童発達支援センター指導医、福岡市就学相談委員、福岡市特別支援教育サポーター委員、特別支援教育放課後対策支援事業相談委員

 

【参加者からの感想】到着順
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(眼科医;大学勤務、東京)
 感動して思わず涙が出そうであった。眼科医が涙してては仕方ないものの、告知の方法の基調講演としてこれほど適切なものはないでしょう。

 (当事者;自営業、新潟県)
 小川先生の講演は、先生ご自身も障害児の親という社会的な体験をされたことで、施設で子供さんとのかかわりだけではない、親の心情も分かち合うかかわりを大切にして、お仕事をされていることが印象的でした。哲学者ディルタイの言葉通り、障害児施設の施設長というお仕事は、小川先生の天職なのだろうと思いました。そして、かつて障害児の母として何度も泣いたであろう我が母に、たまには優しくしようと思いました。

 (当事者;会社経営、千葉県)
 今回の研究会では、小川先生のお話が最も印象に残りました。「告知」という難しいテーマに対しても、やはり実際の経験・体験から生まれる小川先生の言葉には、深く感銘を受けました。一人の患者として、小川先生のような先生に巡り合えたら、きっともっと幸せを感じることができるような気がしました。

 (教育者;大学勤務、関東)
 告知の問題は,視覚障害に限らず,医療従事者にとって大変重い課題であることがよく理解できました。医療機関によっては「3時間待ちの3分間診療」にならざるを得ない中,丁寧な説明とフォローをされている先生方もいらっしゃるんですね。小川先生の考え方・取り組みに感動しました。

(薬品メーカー、新潟市)
 生まれてきておめでとう!という言葉・写真に対し、涙をこらえるのに必死でした。小川先生のお子さんの告知を受けた後で交通事故を引き起こしてしまったということに対して想像もできないほどつらい思いをされていたのだと思うと居た堪れません。受容するのに時間を有すると聞きましたが、人間は一人ではない、必ずどこかに仲間がいると思うと楽になれるような気がします。

(薬品メーカー、新潟市)
 アンケートで「告知に不満を感じた」と回答した方が過半数を超えていることに驚きと告知をする難しさを感じました。告知を受けると、患者様・家族の方・治療者様に「偏見」「拒否感」が出てしまうと仰っていましたが、立ち直ったきっかけの一番多いことが「同じ障害を持つ親」と知った時は、人のつながりが大事だと感じました。治療者様側は告知の環境も大事ですが、告知後の「情報」をしっかり伝えることが大事であり、患者様側は時間はかかるかもしれませんが、しっかりと受け止めることが大事であると私は思いました。

(当事者、長野県)
 小川先生はご子息のことや現在の活動を紹介しながらお話してくださったので、とても説得力がありました。告知については、先生方が大きな問題として捉え、苦悩されていることが伝わり、患者の一人として嬉しく思いました。

(眼科医;病院勤務、東北)
 どの科に限らず、病気があり、診断をされることは重いことなのだとよくわかりました。特に自分の病気ではなく、子供の病気となると受け入れまで10倍は時間のかかることだと思います。答えはない問題だとは思いますが、その分医療者側も口に出す前に十分検討しないといけないと思いました。

(当事者;自営業、新潟県)
 告知というと「がん告知」に代表されるように、患者さんご本人に対しての告知が、告知を考える上でスタンダードであると思いますが、今回は障害を持って生まれてきた子供が対象であるため、本人にではなく親に対しての告知を前提に告知の問題を考えています。特筆すべきは小川先生ご自身も、視覚障害児の母親として告知される側を経験されていることです。なので医師という立場で告知の問題を語られてはいますが、告知される母親の心情を誰よりも分かっているなと思わせるところが随所にあり、重いテーマであるにもかかわらず、なぜか暖かな気持ちになる講演でした。

(工学研究者;大学勤務、新潟市)
 小川先生は、ご自身が告知を受けた側でもあり、告知する側でもあることから、この主題の基調講演に最適な人選といえる。ご自信の経験と臨床に基づいた講演は説得力があった。が、同時に難しさ、奥の深さを実感させられた。個人の障害の受容プロセスは、社会の価値観などの環境要因、および教育レベル、家族状況などの個人要因にも大きく影響されるため、単純化されたモデルではとても語れないように思う。

(眼科医;大学勤務、中国地方)
 小川先生のご講演は、いつもながら先生や親御さんたちの本音を聞けて、とてもよい勉強になりました。先生が親御さんたちを支える言葉を大切になさる姿勢に共感いたします。

(眼科医:病院勤務、新潟市)
 「告知が新しいスタートになるように」、これですね!! 患者の不満の一つは、医療者の態度です。反省もありますが、医者は打たれ強いことも必要かもしれません。告知した後のケアが大事、未受容の期間は長い、前向き・現実的対応を、家族を支える、「はっきり、素直に、曖昧でなく」、説明は同情や気休めでなく、「あなたは、大切な一人の人、決して一人でない、どんな人生にも価値がある」、「生まれてきて、おめでとう!!」。経験から発した言葉には、重みがありました。

 

 

 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』は、ITを中心に、「作り手」(渡辺)、「作り手とユーザーの架け橋」(三宅)、「ユーザー」(園)がそれぞれにお話ししてくれました。シンポジウムの内容を座長報告として、そして参加者からの感想をお届けします。

『新潟ロービジョン研究会2012』   
  日時:2012年6月9日(土)
  開場12時45分 研究会13時15分~18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

1.シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
    座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
 1)基調講演 (50分)
   演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
   講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2)私のIT利用法 (50分)
   「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)

  シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』座長報告
             守本 典子 (岡山大学眼科) 
             野田 知子 (東京医科大学眼科)
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 このシンポジウムでは、渡辺先生の基調講演を受けて、お2人の講演と2題の質疑応答がありました。なお、ITはInformation Technologyの略で情報技術ですが、最近ではこれによるコミュニケーション(Communication)の要素を重要と考えることからICT(Information and Communication Technology)すなわち情報通信技術と呼ぶことの方が増えているそうです(それで園さんは抄録でもご講演でもこの略語の方を使われました)。当シンポジウムに関連しては、この2語を意味と思ってお読みください。


 三宅先生はApple社製の多機能電子端末であるiPadを用いた新しいロービジョンケアの可能性についてご講演されました。近年のバージョンアップにより音声入力や音声読み上げ機能が改良され、音声メールや地図のガイドなど、さらに使いやすくなったそうです。また、先生は2011年の日本臨床眼科学会でiPad本体の背面カメラを利用した簡易拡大読書器としての有用性を報告されていますが、カメラの解像度の向上、およびiPadを外出先で使用する際の固定台の開発などにより、さらに実用性が高くなったようでした。今回のご講演ではいくつかの便利なiPadの使い方をご紹介くださいましたが、電子データの原稿を最適な文字サイズとレイアウトで表示される機能は好評で、拡大読書器でしばしば困難とされる改行の問題もかなり解決されるのではないかと考えられました。


 このような背景を受けて、三宅先生はiPad関連の情報および視覚障害者向けの情報発信を目的とした情報発信サイトGift Handsを設立され、iPadを活用するための様々なアプリケーションの紹介や視覚障害者向けの各施設の案内等の情報を発信されています。その他に、iPadの直営店であるアップルストア(銀座)ほか多施設で、視覚障害者に向けたiPadの活用方法の体験セミナーを行うことで、より多くの視覚障害者にとってiPadが現実的なロービジョンエイドとして機能するかを実体験できるセミナーを企画されており、これらの活動の一部を報告されました。ご講演の後、固定台にiPadを設置してのデモンストレーションをされ、盛況でした。iPadの注目度がうかがえました。


 園さんはお若い頃からの興味がお仕事にも結びつき、システムエンジニアとして生計を立てられました。パソコンを使いこなして情報を収集、発信し、自身の日常生活に役立てるばかりか、ロービジョン者のためのパソコン普及活動や機器展示会のお世話などもして来られました。一般のパソコン教室ではキーボード中心の操作方法を教えられないため、ロービジョン者を対象とした教室を開設し、指導者の養成もされたそうです。機器展示会への集客力は大変なものだった、とのことでした。また、ロービジョン者向けの機器の開発でも当事者としての提案をされ、例えば音声で電話をかけられるピッポッパロットができました。途中、園さんが日常、愛用されているスマートフォンや使い勝手を試してみられている iPadなどを取り出して、一部を披露されました。最後に、「墨字での文字処理が困難なロービジョン者にとって、パソコンほど便利な道具はなく、自分はICTの時代になったからこそしたいことができた」と括られました。


 討論では、機器メーカーの方からの「音声パソコンの開発や普及を頑張って来たが、この調子ではパソコンはiPadに取って代わられるのか」というご質問に対して、渡辺先生は「機能による使い分けをすればよくそれぞれが有用」、三宅先生も「iPadは携帯性に優れ、場所を選ばず使えるという点て有益だがパソコンにはパソコンの良さがある」、園さんも「iPadではできないことがまだまだあり、多くの量をこなす仕事ではパソコンが欠かせない」という風に、いずれも両者がぞれぞれの特徴を生かした形で生き残り、ユーザーは便利に使い分ければいい、というお答えでした。また、主催された安藤先生が「今回、講師が開発、普及、ユーザーとバランスよく3者揃った。今後、どのような展開を考えておられるかといった展望を一言ずつうかがいたい」と言われたのに対して、お3人とも現在の活動を継続し、より発展させていきたい旨のご回答をなさり、頼もしく思いました。

 

【参加者からの感想】到着順
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 (眼科医;大学勤務、東京)
 iPadの活用(三宅先生):三宅先生の数々の講演に刺激されて、東大眼科のロービジョン外来でも5月にiPadを購入しました。私たちは患者さんに説明するほど使いきれていない面もあり、今後三宅先生にメールをしながら聞いていく予定です。今日紹介された各種ソフトとも勉強になりました。これからのロービジョンケアにiPadは必需品だと確信しました。
 園さん:これだけポジティブにiPadを使いこなすロービジョン者はいないと思いました。こちらが勇気づけられる思いでした。

 (研究所職員、関西)
 iPadが広げてくれる世界、可能性が十二分に伝わってきた。外出時に携帯用の拡大読書器はカッコ悪くて出せなくても、iPadなら何の抵抗もなく出せる。流行や情報に敏感な若い人も頑固なおじさんもこれなら使ってくれるかもしれない。アイデア次第でまだまだ使い道が広がるiPad とApple社の顧客に対する思いがこれからの社会を変えてくれそうな気がする。iPadが目の見えない人の記憶・思い出を作ってくれるとは目からウロコの話だ!

 (眼科医;大学勤務、東北)
 作り手、ユーザー(患者)、眼科医の話がうまく絡まりたいへん興味深かったシンポジウムです。iPadは興味の対象外でしたが少し考えが変わりました。まず自分で利用してみようかなと思います。

(機器展示業者、愛知県)
 いつもながらロービジョン研究会のテーマは非常に興味深いものでありました。ロービジョンケアにおけるiPadの活用は、これからの視覚障害補助具の可能性を広げるものでした。

(当事者、千葉県)
 三宅先生のご講演で、新たなデバイスの可能性に触れ、視覚障害当事者として、新たな期待を膨らませた次第です。

 (視能訓練士、新潟市)
 ユーザーの方たちのたくさんの声を聞き、作り手の多くの方々の努力と汗の結晶でしょうが、iPadのように、一般の方たちと同じものを共有できる究極のバリアフリー商品が他にも出来てくるといいですね。

(眼科医;病院勤務、四国)
 技術は進歩し時代はiPadへ。「人は記憶の中を生きる」と訴えた三宅先生のお話しでは、思わずiPadを手に取ってみたくなりました。「失明に向かう自分をワクワクしていた」という園さんのお話しには、度肝を抜かれました。確実に一つのことを成し遂げていく園さんの行動力には、学ぶべきことがたくさんありました。
 どんなに便利な道具が存在しても、当事者にそれを使う意欲がなければ、それはただのガラクタに過ぎません。たとえば視覚障がい者が、拡大読書器を使用して墨字を読むことができたとします。拡大読書器がすばらしいのでしょうか?拡大読書器もすばらしいですが、もっとすばらしいのは当事者の意欲だと思うのです。いくら読めるといっても、そこには大変な努力があるということを支援者は知っておく必要があると思います。

(教育関係者;大学勤務、関東)
 三宅先生が,単にiPadの機能紹介にとどまらず,アップル社への交渉,一般利用者への説明など,多方面にわたり働きかけている情熱がよく伝わってきました。次回は,パソコンとの使い分け・連携についてもお聞きしたいです。
 園さんは,視覚障害に対する告知を淡々と受容された,とのお話でしたが,告知を受けた際に誰もが一度は自殺を考えるほどの絶望感を乗り越えられたエピソードをもう少しお聞きしたかったです。

(機器展示業者、兵庫県)
 三宅先生のiPadの応用については、これからの時代はスマートフォンやiPadのようなタブレットPCが文字拡大・OCR・音声認識など、視覚障害者にとって様々な可能性を秘めた有効な機器であることを感じました。機器を選定する場合、利用する当事者の用途、状態をよく考慮して勧めないと高額で、最新の機器であっても当事者にとって適正でない場合があります。比較的安価で、一般に普及している機器の用途の幅が広がることはとてもすばらしいことであると思いました。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 三宅先生:驚きの連続でした。知恵次第で目の不自由な人に感動を提供できることがあるのだなと思いました。また、営利目的なしでツールを提供する三宅先生を尊敬しました。ITを活用するのに抵抗を感じる人も多いと思いますが、こういったきっかけがあれば自分も挑戦してみようかなと思わせる三宅先生は素晴らしいと思いました。
 園さん:以前、済生会眼科勉強会での講演を聴かせて頂きましたが、今回もパワフルな講演が聞けてよかったです。元々ITには精通している方なので、パソコンを活用するのは何ら問題はないような気がしますが、パソコンを活用するというよりは、園先生の根本的なプラス思考が働いているような気がします。また、情報に対する貪欲さがひしひしと伝わってきました。ある情報を知らなくて損をすることも多々あると思いますので、大変参考になりました。
 全体を通しての感想:アイデアがあってそれを試行錯誤し、物を作り、活用するという流れは一見バラバラに思いますが、それぞれに共通していることは、目の不自由な方にとって利益になるという思いだと思います。企業ではニーズとコストのバランスが問われることがあると思いますので、福祉事業補助金等が充実すればよいなと思います。署名運動等で行政が動くのを期待してます。

(当事者、長野県)
 iPadの使い方には大変興味を持ちました。確かに今までのPCに比べてマンマシンインターフェースが格段にやさしくなりました。障害者に限らず高齢者にも使いやすいものだと思いました。これからこのようなものがますます発達していくと思いますが、思わぬ使い方があるものだと感心しました。iPadには最初から視覚障害をサポートする機能が入っていることも知りました。多くのメーカーがそのような取り組みをし、もっと普及するよう願っています。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 三宅先生:iPadが他社製品と比べてレスポンスが早いこと、電子書籍では文字の大きさを変えたり読み上げ機能が付いていること、音声入力が非常に感度が良いことなど、iPadが目に不自由な方に使用しやすいことを学ぶことができました。また、三宅先生の言葉で、iPadが「見える」「読める」「書ける」だけではなく「記憶」「情報」「想い」が可能になる。と仰ったことがとても印象深かったです。
 園さん:「情報を知ることから始まり、情報を与える機会を提供する立場になった」と仰っていたのがとても印象的で、いかに情報が大切なものなのかを再度認識することができました。また、園様が実際に目の不自由な方々へのサポートを実施していることから園様の考え方や人生観の大きさを感じることができました。

(内科医;病院勤務、新潟県内)
 ITに付いての発表をお聞きしましたが、各演者ともに、日頃の研究の経過、成果、工夫、活用…いずれも見事でした。目の見えるはずの私がなにも利用していないのに、障害のある方々が工夫をして、立派に活用していることに感激し、敬服して帰ってきました。

(当事者、長野県)
 今回の研究会に是非出席したいと思ったのは、ロービジョン者のiPad活用の可能性を知りたいとかねてから思っていたからでした。店頭では教えていただけない活用術を教えていただき、有り難うございました。私が現在使用している電子ルーペは、購入以来、ほぼ2ヶ月に一回故障しています。障害者用に特定した物は、小規模に作られているためか品質管理が不十分ではないかと、私は不信感を抱いています。その点、iPadだったら2ヶ月に一回故障するようなものは市場に出回らないだろうと言う安心感もありますし、三宅先生のお話をお聞きして、iPadが私の要求に応えてくれる事も分かりましたので、現在購入を考えています。以前から障害者を意識したタブレットの実現を期待していましたので、三宅先生のような方の存在も大変嬉しく思いました。

(眼科医;病院勤務、山形県)
 iPadてすごいなと言うのが正直な感想です。若い視覚障害者のかただけでなく、年配の方も使い方の説明次第では十分活用できると思うので、もう少し使い方の勉強をしないといけないと思いました。
 園さんはいろんな情報をいつもメールでいろんな方に発信しており、まねできない事だと思います。実際山形の網膜色素変性症の患者さんが、園さんにメールで現状の相談をしているとの話もあり、パソコンは情報発信、収集にかかせないのだと思いました。

(当事者;自営業、新潟県)
 今年3月に発売された第3世代のiPadは、ロービジョン者も使いやすいように、画面拡大、ハイコントラスト、大きなフォント、VoiceOver(音声読み上げ)などのアクセシビリティ機能をOSレベルでサポートしており、この機能を活用してロービジョンケアにiPadを取り入れる試みが広がっています。眼科医の三宅琢先生の演題「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」では、これらのアクセシビリティ機能の概要と、iPadのカメラ機能に三宅先生が開発された外付けレンズを装着することで拡大読書器として使う方法などが紹介されました。
 私は今年の5月に東京にあるNPOが主催するロービジョン者のためのiPad講座を見学する機会があり、三宅先生が開発された外付けレンズも含め実際にiPadの操作を体験してみました。iPadの最大の特徴は銀行のATM同様にタッチスクリーンによる操作ですが、明るく解像度の高いRetinaディスプレイと画面拡大機能のおかげで、指でタッチスクリーンに軽く触れる直感的な操作で、画面の拡大、白黒反転、音声による文字入力も含めた音声アシスト機能が非常にスムースに使えることに感動しました。また、眼を凝らしてマウスカーソルを追う必要がないこともロービジョン者がiPadを使う大きなメリットであると思います。ちなみにRetinaとは網膜という意味です。
 三宅先生はパソコンにできることをより楽しく快適にできるマシンがiPadであると表現されましたが、情報の取り出しやすさという点ではパソコンよりもiPadは確かに優れており、ロービジョンケアでは残存視力がある子供向けの学習教材をデジタル化してiPadで取り出すというような教育分野での利用が向いていると思いました。けれど、三宅先生が指摘されたような自宅ではパソコン、外出先ではiPadというような使い方は、恐らく多くのロービジョン者はしないと思います。なぜなら、事前に落ち着いてゆっくり調べて、頭に入れて臨んだほうが安心できるからです。ロービジョン者がもっとも苦手なことは「その場での早い対応」です。これの唯一の解決策はそれを社会の側が理解することであるわけですが、ロービジョンは特別なことではないと人々に意識を変えてもらうきっかけを、iPad、アップルというネームバリューがもたらしてくれるかも知れないことが、iPadをロービジョンケアに取り入れる最大のメリットなのかも知れません。
 ロービジョンケアにおけるInformation and Communication Technologyシンポジウム最後の演題はロービジョン者の立場から、京都福祉情報ネットワーク代表の園順一さんによる「視覚障害者にとってのICT、今の私があるのはパソコンのおかげ」でした。15年前、視力を失った園さんが見えない生活を支えるために使い出したICT機器の利用法と、ICT機器の便利さ、面白さを伝えるためにかかわってきた数々の活動の履歴を語っていただきました。
 ここ数年のICTの発展は、視覚障害者がこれまでひとりでは不可能であった様々なことを可能にしてきました。スクリーンリーダーや画面拡大ソフトを使い、文書の作成、印刷、電子メールの送受信、ホームページの観覧および作成、スキャナを使った紙の文書や書籍の音声読み上げなど、園さんも指摘されるようにパソコンが視覚障害者にとって情報障害を軽減する強力なツールであることは今や常識になりました。そう考えると、視覚障害者はICTの恩恵を晴眼者以上に受けているのではないかと思えるくらいです。ところが、晴眼者に比べ視覚障害者のパソコン利用は依然として進んでおらず、その大きな原因のひとつにサポートの難しさがあります。つまり、一般のパソコンユーザーが利用しているようなサポートサービスは「画面がふつうに見える」ことを前提に提供されているため、視覚障害者には利用できないからです。
 園さんの講演を聴いて最も印象に残ったのはICTの便利さ、楽しさを伝えたいという意欲です。サポートサービスがないという問題意識があるだけでは何も変わらず、そこから自分たちに必要なサービスを企画立案し、お仲間と共に具体的な形にしていかれたのは本当にスバラシイことだと思いました。
 こういった当事者とボランティアの努力のおかげで、今では全国各地に視覚障害者向けパソコン教室が開かれるようになり、特に中途視覚障害者が社会とのつながりを保つという点において有効に機能していると思います。ただ、就労を前提としたパソコンの操作技術、知識の習得という点では不十分で、一定レベルのカリキュラムを提供できるフォーマルサービスの充実が必要ではないかと考えます。

(工学研究者;大学勤務、新潟市)
 眼科医の三宅先生のiPad応用への情熱には圧倒され、当事者である園さんの長年の技術開発と普及への努力には頭が下がった。今後、IT機器がロービジョン支援にますます有効になっていくことを再確認できた。

(当事者、新潟市)
 三宅・園両先生の 「ITの利用法」…iPadの活用法。 最初に三宅先生が会場の参加者に「iPad」所有の有無を問われたのに反応し挙手された皆さんの多さに驚きました。 昨今は利便性活用のメリットに大きなものも期待されますが、一方で利用者側の知識・認識の不足によるトラブルにも課題があるものと思っていますがいかがでしょうか。

(眼科医;大学勤務、中国地方)
 三宅先生には、柔軟な発想とすばやい実行力と溢れんばかりの情熱を感じました。各地で引っ張りダコ状態であられるのも合点がいきます。ITにはとくに疎い私ですが、「いいですよ~」と宣伝している手前、早くロービジョン外来に取り入れなければ、と思っています。
 園さんにはいきなり「この度の新潟行きの切符の購入も自分がしました。こんなことができるのもICTのお陰です」と皆の前で暴露されてしまいました。実際、「一緒に行ってもらえますか?京都からの切符は僕が買っておきます。先生は岡山~京都間の往復だけ手配してください」という調子でしたので、私は京都で園さんと合流することだけを考えればよく、当日も園さんの盲導犬ならぬ盲導人間となって、会場まで連れて来ていただきました・・いえ、ちゃんと私がお連れしたのですが、指示を出し、誘導したのは園さんでした。新幹線ではリュックサックから出るわ出るわのIT機器・・私は講演前からカルチャーショックに見舞われていました。
 討論時間の質疑応答であったパソコンとiPadの両立(ユーザーによる使い分け)および両者の今後の発展に、さらなる期待と希望を抱かせてもらえました

(雑誌制作、東京)

 三宅先生のお取り組みを初めて伺い、大変驚きました。眼科の先生でありながら、iPadという最新技術を取り入れてロービジョン支援を組織的に展開されていること。それを広めるための精力的で画期的な活動の数々。園さんのご発言にあったデスクトップとの棲み分けの話なども現実的で参考になりました。希望する人がスムーズに講習を受けチャレンジし環境を整えられるような仕組みが、ますます広がりますようにと、期待に胸が膨らみました。

(学生、新潟市)
 視覚障害者向けに作られたIT技術の歴史の長さ、そしてさらに発展されたiPadの普及により視覚障害を持った人たちの活躍する場は段々広がっているのだと感じる中で、IT企業や技術者が利用者のニーズに合わせた工夫を行う視覚障害だけに限らず様々な障害を持って暮らしている人達にも気軽に使う事が出来るようになれば障害を持った人達の活躍する場面はもっと増えるのではないかと考えられるように思いました。

(学生、新潟市)
 私が特に興味を持って聞けたのが「ITを利用したロービジョンケア」である。主にipadを利用したロービジョンケアには驚きが多かった。私もiphoneを利用しているが、知らない機能を多く知ることができた。使いこなす事さえできれば、視覚障害者にとって最大のツールになり、ロービジョンケアの発展にも大きく影響を与えると感じた。また、見えなくてもうまく利用することさえできれば、コミュニケーションを十分図ることのできるものであるということも学ぶことができ、とても興味深い印象だった。

(学生、新潟市)
 ITの発展・利用法では、音声合成装置の今までの変遷や、音声合成装置等を使って任意に文章を作成その他多くのことができるようになり、視覚障害を持つ方でも社会に出て活躍できるようになったことや、iPadを活用した視覚に障害を持つ人への支援方法があり、読書の字の拡大、映像を通して遠くの人と顔を会わせることができる等、多くの機能が開発されていることを知りました。特に地図検索の際に地図の先の町の様子を映像で見る事ができる機能は外にあまり出歩かない視覚に障害がある人にとっても大いに活用できるため、推進していき、多くの人が外に積極的に出て、社会に関わっていけるようになって欲しいと感じました。

(当事者、新潟市)
 日進月歩のIT関連分野のお話では、張替先生からの勧めもあり使い始めたiPADでは、三宅先生の活用法の講演は視覚に障害があるなしに関わらず、こんな便利な使い方がありますよ!また、もっと使いやすくするためには自分で企画設計して便利グッツを作ってしまうほど使いやすさを究極まで追い求めて、その反応を次の商品開発に役立てていらっしゃるようで、今後も視覚障がい者が情報困難者にならないようにご尽力くださることを期待しつつ私なりにいろいろな分野で使っていきたいと思っています。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。スクリーンリーダーの開発に携わった渡辺先生の音声合成器の開発、大きな驚きでした。実演は記憶に残りました。三宅先生は、「視力じゃない 記憶だ」「記憶 情報 想い」金言を取り混ぜた印象に残るプレゼンテーションでした。園さんの(失明に向かう自分をワクワクしていた)と言うコメント、毎回ですが凄いなと思いました。
 会でもコメントしましたが、作り手/架け橋はユーザーのニーズを如何に聞き出す(探り出す)かがポイントだと感じました。またユーザーは如何に思いを作り手に伝えるかが大事と思います。ただ、製品となると採算がとれるのかが企業側としては欠かせない点ですので、現在の現物支給の福祉行政そのものが問われなくてはなりません。

 

 

2012年6月23日

「学問のすすめ」第7回講演会 済生会新潟第二病院眼科
1)iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
   高橋 政代 (理化学研究所)
2)遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
   中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 

 日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

 リサーチマインドを持った臨床医は、新しい医療を創造することができます。難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。

 今回は、iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療に意欲を燃やす高橋政代先生(理化学研究所)、遺伝性網膜変性疾患のお仕事を精力的にされている中澤満先生(弘前大学眼科教授)に講師をお願いし、若い人へのメッセージを添えて、先生方の取り組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという願いを込めて、これまでの学究生活を自叙伝風に語って頂きました。 

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iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ
  高橋 政代 (理化学研究所)
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【講演要約】
 卒業以来25年余り、臨床と研究と軸足を置き換えながら、それでもずっとどちらからも離れることなく続けてきた。5年前に京都大学から理化学研究所に移ってからは臨床は週2回の網膜変性疾患専門外来のみになったが、治療開発である我々の研究のためには臨床を離れて研究だけになってしまってはいけないと考えていた。基礎研究は重要であるが、それだけでは治療はできない。治療という出口を知る臨床医が応用研究をすることは重要なことである。 

 網膜再生医療研究の始まりは、1996年にアメリカサンディエゴのソーク研究所の脳研究で有名なGage研究室に留学した時であった。その際にまだ概念も定まっていなかった神経幹細胞の研究に出会った。いくつかの分野の境界領域で新しいものは生まれやすい。眼科医が脳神経研究という分野に飛び込み、神経幹細胞という概念にふれたことで、幹細胞による網膜再生(=網膜細胞移植)という新しい治療研究が芽生えた。それは神経幹細胞に出会った眼科医であれば誰でも考えつくことであった。 

 神経幹細胞を使えば網膜の難病が治療できると意気揚々と留学から帰って研究を続けたが、そう簡単ではなかった。様々な幹細胞を検討したが一長一短があり、2000年代初めからはES細胞の研究に移行した。ES細胞から網膜の治療に必要な網膜色素上皮細胞や視細胞が作れることを発表し、ES細胞から作った網膜色素上皮細胞は網膜治療に使えることを初めて示していた。しかし、網膜色素上皮細胞は他人の細胞の移植では拒絶反応を起こすことが胎児細胞移植で知られており、網膜の病気のために免疫抑制剤を用いて身体を危険にさらすことには躊躇を覚えた。また、日本ではES細胞は臨床には使えないという声が多く聞かれた。まごまごしているうちに、アメリカの企業はそんなことはお構いなしに免疫抑制剤を用いてES細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床試験を着々と準備しているという情報が入り愕然とした。その頃、京都大学の山中先生によってiPS細胞が発明されたのである。iPS細胞は大人の皮膚細胞からES細胞と同じ性質の細胞が作れるので、患者さんの皮膚からiPS細胞を作り、さらに網膜細胞にすれば拒絶反応のない自分の細胞を移植できる。これで完成だと思った。 

 そこから、研究レベルであった細胞の作り方などを大急ぎで臨床レベルの品質に作り上げ、できた細胞の安全性や品質を完璧に確認して、iPS細胞が発明されてから5年で臨床を考えられるところまで漕ぎつけた。これには、iPS細胞の力、魅力によって産官学の多くの方々の協力が得られたことが大きい。当初、日本の場合は厚労省の規制が最も難関と考えていたが、それも指針などがどんどん改訂されて、iPS細胞を用いた治療が行えるように先回りして整備されて行っている状態である。むしろ基礎科学者や新しい治療開発に慣れていない眼科医の先生方の方が(必要以上に)厳しいと感じている。 

 再生医療(=細胞治療)は従来の治療とはまったく異なるものである。むしろ手術と同じで、最初から完成されて効果も一定なわけではなく、開始されてから、年月を経て徐々に改良され効果が大きくなる治療である。白内障手術は20年前と現在で大きく改良され、今やかなり完成された安全で効果的な治療となっている。網膜細胞移植も最初は重症の方から開始して効果もさほど大きくないであろうが、20年後には安全な一般的な治療になっていると想像する。 

 15年前、網膜再生治療の話しをすると「網膜再生は無理だ」という声を聞いた。ES細胞研究では「ES細胞は倫理的にも問題があり臨床では使えない」と言われ、iPS細胞研究で臨床の話をすると「iPS細胞はまだまだ危険だから治療を考えてはいけない」と言われていた。臨床研究が視野に入って来た今、5名の患者さんだけで安全性を確認する臨床研究がゴールではなく、一般治療にするための治験、産業化ということが必要であることがはっきりと見えてきた。「まだ産業化など考える時期ではない」と言われる人も多いが、今までの経験から何事も考えるのに早すぎるということはないと思っている。  

 20世紀は物理学が世界を変えた時代であったが、21世紀はライフサイエンスの時代と言われる。眼科医は眼科という非常に専門的な分野を熟知している貴重な人材なのである。その強みを生かした研究に若い人達も挑戦してみてほしいと願っている。 

【略暦】
 1986年  京都大学医学部卒業
 1986年    京都大学付属病院眼科勤務
 1988年    京都大学大学院医学研究科博士課程入学
 1992年   京都大学医学部眼科助手
 1996-97年 米国ソーク研究所研究員
 2001年    京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006年   理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
      網膜再生医療研究チーム チームリーダー 

 

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遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学
  中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)
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【講演要約】
 遺伝性網膜変性の代表は何と言っても網膜色素変性である。網膜色素変性と言えば、今も昔も「進行性、原因不明、遺伝性、やがて失明の可能性もある。」ということに尽きる。緑内障、糖尿病に次いで中途視覚障害の第3位、人口4000人に1人の有病率の疾患であるが、この病気の患者を診る時ほど眼科医としての無力感を感じることはないとも言える。緑内障や糖尿病網膜症は早期発見、早期治療によって重篤化を防ぐことができる。つまり人間の努力が報われる病気であるのに対して、網膜色素変性にはそれがない。どんなに早期発見しようとも患者の予後には影響がない、そればかりか早期に病名を告知したばかりに却って眼科医が恨まれる事も時にはある。結婚話や家族計画、就学就業にも深刻な影響をおよぼしてしまう。 

 このような難病の少なくとも「原因不明」という部分が解明されれば、それを手掛かりに何らかの治療法のヒントが得られるかも知れない、とは誰でも考えることである。私も1982年の秋から水野勝義教授の許可を得て、早坂征次先生の指導により酵素生化学的な研究の手ほどきを受け、さらに1985年から3年間米国のWinston Kao先生から分子生物学、とくに分子クローニングの基礎トレーニングを受けた。その後、1989年からは玉井信教授の許可の下、東北大学眼科を拠点として網膜色素変性の患者の血液バンクを構築した。しかし、この時点でも実際は暗中模索であった。 

 時代の流れは誠に凄まじいもので、ちょうど留学中の1987年に今で言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR法)が発明され、ヒトの遺伝子診断が格段に簡便になった。そして1990年には早くも網膜色素変性の原因の1つがロドプシン遺伝子変異であることが明らかになった。それまで、ありとあらゆる学問領域の研究者がそれぞれの方法で懸命にその原因を探ってきて果たせなかった研究課題があっさりと解明されたのである。網膜色素変性の原因がロドプシン遺伝子変異であった事はコロンブスの卵のような出来事であったが、この発見は実は網膜色素変性の原因のほんのごく一部でしかなかった事も判明した。そして、世の中は世界中の多くの研究者による熾烈な遺伝子解析競争によって、網膜色素変性とは実に多種様々な原因遺伝子異常をもつ極めて異質性の高い疾患群であることが分かってきたのである。現在はアッシャー症候群、バーデット・ビードル症候群、セニョール・ローケン症候群やレーバー先天盲なども含めれば網膜色素変性の原因遺伝子ないし候補遺伝子は70種類を軽く超える。しかも、これらの遺伝子の中には網膜色素変性以外にも各種黄斑ジストロフィや小口病などの原因となっているものもある。臨床像と原因遺伝子の双方でのオーバーラップがある、というのがこの病気の特徴である。幸運にも私もこの遺伝子解析競争の流れの中に身を委ねる機会に恵まれた1人でもあった。 

 21世紀に入ると、多くの研究者の興味は網膜色素変性の治療法開発へと徐々にシフトした。遺伝子解析から分かった事、それは一方で疾患の遺伝的多様性であるとともに、もう一方で視細胞の変性の共通メカニズムであるアポトーシスである。現在世の中で進んでいる治療研究の視点は、いかにしてアポトーシスを止めるか、という点と視細胞アポトーシスが起きてしまってもいかにして代替手段を駆使するか、という2点に尽きる。前者には遺伝子治療と視細胞保護療法、そして後者には再生医療と人工網膜がある。私は弘前大学という研究の場を得て、視細胞保護療法の立場から網膜色素変性の治療法の開発という研究を進める機会に恵まれた。視細胞保護による進行遅延にも十分な意義がある。我々の研究チームのキーポイントは視細胞アポトーシスとカルシウムとの関係、そしてアポトーシスとカルパインとの関係である。これらを手掛かりに視細胞アポトーシスの抑制が実現できれば、という思いで牛歩のごとき遅々とした歩みではあるが、目標に向かって駒を進めている。講演ではこのうち、カルシウム拮抗薬ニルバジピンの動物実験での変性遅延効果の確認とそれに引き続いて行った単一施設ランダム化比較試験(Ib)の結果、カルパイン特異阻害を示すペプチド療法の実験的研究と点眼治療の可能性、そしてRPE65遺伝子異常マウスに対する9-シス-レチナールの実験的効果についてお示しした。 

 最後に、これまでの網膜変性外来での経験から「網膜色素変性診療の勘どころ」と称して、眼科医と患者との間で生じやすい2つのギャップ、すなわち失明という言葉の語感に関する医師と患者との間のギャップと視野異常の検査上の結果と日常生活で患者が感じている体感視野とのギャップの問題について私なりの考えを示した。 

 これまでの研究の歩みを振り返ってみると、自分自身の予想に反した結果ばかりに直面してきたことだと思う。しかし、そこから認識が深まり、新しい視点が生まれたとも言える。査読者とのやりとりは正にrefinementという言葉に尽きる。これらの経験は確実に臨床実地にも栄養となっている。 

【略暦】
 1980年 東北大学医学部卒業
 1980年 東北大学眼科研修医
 1982年 東北逓信病院(現:NTT東日本東北病院)眼科
 1982年 東北大学眼科
 1985年 米国シンシナティ大学眼科ポスドク
 1989年 東北大学眼科講師
 1995年 東北大学眼科助教授
 1998年 弘前大学眼科教授

 

2012年6月20日

『新潟ロービジョン研究会2012』
1.シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』      
 座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)  
 1)基調講演 (50分)    
  演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」    
  講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)  
 2)私のIT利用法 (50分)    
  「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」       
   三宅 琢 (眼科医:名古屋市)    
  「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」       
   園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)

  シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』は、ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。
 今回は、「作り手」として登場した渡辺哲也先生の、音声パソコンの基礎になる音声合成器についての、基調講演の講演要旨と参加者から寄せられた感想をお届けします。

基調講演1  
「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」     
 渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
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【講演要旨】  
 今でこそ日常的に使われているスクリーンリーダですが、これらが当たり前になるまでには要素技術開発の長い歴史と、先輩視覚障害者たちの多大なる苦労があったことを知ってもらいたかったというのが、技術者の立場としての渡辺が講演に込めた思いです。その講演の中では、音声合成の発達、6点漢字ワープロの開発、MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発という3つのテーマについてお話しました。それぞれのテーマごとに内容をまとめます。

(1)音声合成の発達  
 1791年、ハンガリーの発明家フォン・ケンペレンが開発した音声合成器は、人が声を出す仕組みをふいごと共鳴室からなる機械で真似たものでした。片手でふいごを動かして空気を送り、これがリードをふるわせ共鳴室の中で母音のような音になり、音の出口の開け閉めの工夫で子音を作ります。  
 それから1世紀半を経た1939年、機械的な部品を全くなくし、電気回路のみで動作する音声合成装置VODERが開発されました。操作者は、点字キーボードに似たキーを打鍵して音素を選び、足下のペダルで声に高低をつけます。この電気回路が集積回路に納められて、弁当箱サイズのケースに入って、外付け音声合成装置として市販されるようになったのが1980年代のこと。人の操作が不要になり、テキストさえ入力すればどんな文章でも発声できるようになりました。  
 これを利用して、視覚障害者のための音声読み上げソフトウェアが日米それぞれで開発される時代を迎えたのです。その間、合成音声の音質も改善されてきまた。抑揚がなく単調でいわゆる「機械的」だった音声が、文脈に応じて抑揚が付けられるようになり、今や人と機械の区別が付かないほどのレベルに達しています。高品質な音声は、今のスクリーンリーダにも使われています。

(2)6点漢字ワープロの開発  
 長谷川貞夫さん(元筑波大学附属盲学校教諭)には、二つの願いがありました。一つは点字印刷物を手軽に作ること、そしてもう一つは漢字仮名交じり文章の墨字を自分で書くことです。どちらも、情報の入手と発信を晴眼者と同じようにできないもどかしさに端を発しています。これらの願いが絵空事ではなく、実現可能なのではと思えるようになったきっかけは、1966年の新聞社見学でした。そこでは、もはや活字を手作業で並べてはおらず、キーパンチャーで文字を打ってコード化し、そのコードを自動植字鋳造機に入力して活字を作り、印刷をしていました。   視覚障害者は手元を見ないでもキーを打つことができます。ならば、視覚障害者が漢字を入力するための仕組み(これが後に6点漢字となる)を作れば、自ら印刷できるのではないか。更に、パンチャーで打った普通文字のコードを点字に読み下すプログラムと点字印刷装置があれば、点字印刷物を複製できるのではないか。  
 そう思いついた長谷川さんは、コンピュータを使える場所や、プログラムができる人、印刷会社のコード、点字印刷装置などを求めて西へ東へ駆け回り、1973年に漢字仮名交じり文をコード化した紙テープから点字を印刷する実験に成功しました。翌1974年には6点入力した点字コードから漢字仮名交じり文を墨字印刷する実験にも成功しました。  
 時代は下って1981年、かつて大型計算機で行ったことが、「パソコン」でできるようになり、6点漢字ワープロが完成しました。これに触発された高知盲学校の先生らが、地元のメーカと共同で開発したのが日本初の音声点字ワープロAOKです。これを製造・販売する高知システム開発は、PC-Talkerをはじめとするた視覚障害者用製品を多数世に送り出しています。

(3)MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発  
 斎藤正夫さん(アクセステクノロジー社長)は、真空管、トランジスタ、ICを自らいじるほどの機械好きでした。そして、人に頼るのがきらいな性格でした。1980年代初期にパソコンが広まりはじめると、純粋にこれを使いたいだけでなく、これで自分に役立つものを作れないかと考えました。しかし、パソコンを使おうにも、スクリーンリーダがまだない時代のこと。斎藤さんは、プログラムを頭の中で考え、これを全くフィードバックなしでパソコンに打ち込みました。うまく動いたら思った通りの音が出るが、一箇所でも間違っていたら反応しない。これを繰り返して、モールス符号で画面上の文字を音で出力するプログラムを作り上げました。  
 当初はBASIC言語を使いましたが、それではほかのプログラムを音で出力してくれません。そこで、マシン語によるプログラミングに取り組みました。このときも試行錯誤の連続、適当に命令 を打っては結果を見て動作を推測しました。そしてパソコン購入から5ヶ月目の1983年12月、キーを打ったら即座に音が出るプログラムが完成したのです。  
 その後、斎藤さんは、知人からの依頼に応じて、様々なパソコン機種と音声合成器へ対応したプログラムを次々と開発しました。このときプログラムに付けたファイル名がVDMです。VD は画面を音声出力するVoice Display、そしてMはマシン語に由来します。MS-DOSのスクリーンリーダVDM100は1987年11月~12月頃に完成しました。視覚障害者自らが開発し、改良の依頼に即座に対応するVDM100はユーザの支持を得て、広く普及しました。Windows環境においては、VDM-PC-Talkerシリーズとして使い続けられています。

【略歴】  
 1993年 北海道大学大学院生体工学専攻修了   
  同年  水産庁水産工学研究所研究員  
 1994年 日本障害者雇用促進協会(現、高齢・障害・求職者雇用支援機構) 障害者職業総合センター研究員  
 2001年  国立特殊教育総合研究所(現在は、国立特別支援教育総合研究所) 研究員~主任研究員  
 2009年  新潟大学工学部福祉人間工学科准教授

 視覚障害者を支援する機器・ソフトウェア等として、スクリーンリーダ(95Reader)、漢字の詳細読み(田町読み)、視覚障害者自身が描画可 能な触覚ディスプレイ(mimizu)、点字点間隔可変印刷ソフトウェア、触地図自動作成システム(tmacs)などを開発してきた。調査研究として、障 害者の就労支援、障害のある学生の就学支援、拡大教科書の普及などに従事してきた。

【参加者からの感想】到着順
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(眼科医;大学勤務、東京)  
 普段患者さんに勧めている音声パソコンの開発経緯が説明され、非常に興味深かった。できれば、拡大読書器の開発経緯も聞きたかった。

(当事者、千葉県)  
 渡辺先生のお話を聞き、諸先輩方の底知れない努力のおかげで、現在のICT技術の恩恵を我々視覚障害者が享受できる幸せを改めて感じました。以前、VDMを開発したアクセステクノロジーの斎藤社長が、「自分で使う道具は、自分で作る」とお話していたことを、ふと思い出しました。音声もない、まさにブラインドタッチだけの環境下で、何度もトライアンドエラーを繰り返し、VDMを作り上げた斉藤社長のご尽力に改めて感謝です。

(視能訓練士;病院勤務、新潟市)  
 アナログからデジタルに変わったころから、時計、体温計、体重計などが音声化され、これからどんどん便利な物が出来るよ、と説明していました。音声パソコンは画期的でした。IT時代に入り視覚障害があっても、たくさんの情報を受け取ることが可能になりました。今は患者さんからたくさんの情報を教えていただいています。

(眼科医;病院勤務、四国)  
 人は100年以上も前から機械に言葉をしゃべらすことを夢みていた・・長年の研究成果のリレーにより開発されたスクリーンリーダー。渡辺先生のお話しには、とても重みを感じました。

(教育関係者;大学勤務、関東)  
 渡辺先生のお話の中で紹介された音声合成の開発黎明期の音源は,よくぞ探されたと思う貴重なものばかりで,大変感動しました。重度視覚障害者のQOLを支えるIT技術が,着実に研究・開発されている様子がよくわかりました。

(機器展示関係者;関西)  
 渡辺先生のお話を聞いて、最近の精度の高いスクリーンリーダーやOCRソフトの進歩の影に研究努力があり、お話にもあった、何より当時者の意見を取入れ、製品開発に反映させてきたからこそ良い製品が生まれてきていると思いました。

(薬品メーカー関係者;新潟市)  
 人工的に声を合成するという歴史を知ることができたのは非常によかったです。当時は研究目的でいかに音を出すかというところに視点があったと思いますが、この基礎研究の基盤があって現在のツールができたことは素晴らしいと思いました。渡辺先生の講演時間がもう少し長ければよかったなと思いました。

(薬品メーカー関係者;新潟市)  
 私が一番驚いたことは、200年前から木箱の音声合成装置があったことです。数々の発明、発展により現在ではノドの動きだけだけで音を出せることを知ることが出来ました。本当に驚きの連続でした。また、開発に目の不自由の方が関わることで、使い手の気持ちを考え、より使用しやすい物づくりが可能だと際実感いたしました。

(当事者;長野県)  
 渡辺先生の音声合成器の構造や発展の歴史、初めて見たり聞いたりすることばかりで、とても興味深かったです。

(当事者;新潟県)  
 点字は文字文化のひとつとして、その特徴を生かして視覚障害者に広く使われてきました。長い間、そして現在も、それは白杖とともに視覚障害者をシンボライズするものでもあります。それがパソコンとスクリーンリーダー(パソコンの画面情報読み上げソフトウェア)の登場により、点字に頼らなくても読み書きが可能になり、鍼灸マッサージ以外の職種も選択できる可能性につながりました。新潟大学工学部福祉人間工学科准教授の渡辺哲也先生による基調講演「ITの発展と視覚代行技術、利用者の夢、技術者の夢」は、音声合成の歴史と概念、スクリーンリーダーの開発と進化を、古い時代から最新のものまで、実際の音源データを聴かせていただきながらの講演でした。  
 イニシエの人がしゃべる器械にあこがれてから200年、現在はパソコンで動作する音声合成エンジンが開発され、抑揚のある人間らしいしゃべり方を獲得できるまでに技術は進歩しました。 この音声合成技術をベースに開発されたのがスクリーンリーダーであるわけですが、ここで注目すべきは、それを最も必要とした視覚障害者自身が開発、改良に深くかかわってきたという事実です。目が不自由な人の「人に頼りたくない」という思い、言葉を変えれば「自由でありたい」という当たり前の願いが、その努力を支えるモチベーションになりました。講演ではDOS時代の代表的なスクリーンリーダーであったVDMの作者である斉藤正夫さんが紹介されましたが、現在もその流れは途切れていません。無料のスクリーンリーダーとして注目を集めているNVDA日本語版の開発 とWebアクセシビリティの提言をする活動をしている株式会社ミツエーリンクスの辻勝利さん。社会学者でありプログラマーでもある石川准さんはGPSを利用した視覚障害者誘導システムの開発に情熱をかたむけられています。  
 自由を勝ち取るための努力を惜しまない人たちに学ぶべきことは、技術そのものよりも、そのスピリッツであると思います。それに共感していただける渡辺先生のような科学者、そして製品を使う一般ユーザーの的確なフィードバックが、より優れた、役に立つモノを作り出す力になるのではないでしょうか。

(工学部関係者;大学勤務、新潟市)  
 シンポジウム1は、内容が私の専門分野だったので興味津々だった。渡辺先生の視覚代行技術の詳しいレビューは聞きごたえがあった。

(当事者、新潟市)  
 渡辺哲也先生の「ITの発展と視覚代行技術…」の基調講演で、音声合成器の開発・発達の過程が開発当初手動であったこと、それが電気による合成へ、そして音声電卓…自動代筆…AOK点字音声ワープロの開発…技術者だけでなく開発に携わった多くの方々の巾広いそして力強い努力に一種の感激と驚きを感じました。

(眼科医;大学勤務、中国地方)  
 人が空を飛びたいと夢を見、知恵と道具を使って実現させたように、ロービジョン者が音声で文字を知りたいと夢を見、知恵と道具を使ってそれが実現された、ということでしょうか。多くの研究者のロマンに支えられた地道な努力があって、後世のユーザーたちがそれを享受しています。そして今も発展し続けているのだ、ということを渡辺先生のご講演から知って、感動いたしました。

(学生、新潟市)  
 音声合成装置の今までの変遷や、音声合成装置等を使って任意に文章を作成その他多くのことができるようになり、視覚障害を持つ方でも社会に出て活躍できるようになったことなど多くのことを学びました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)  
 ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。「作り手」として登場した、スクリーンリーダーの開発に携わった渡辺先生の音声合成器の開発、大きな驚きでした。実演は記憶に残りました。

 

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『新潟ロービジョン研究会2012』 プログラム     
 日時:2012年6月9日(土)      
  開場12時45分 研究会13時15分~18時50分   
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

 12時45分 開場 機器展示  
 13時15分 機器展示 アピール  
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』      
  座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)  
 1)基調講演 (50分)    
  演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」    
  講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)  
 2)私のIT利用法 (50分)    
  「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」       
   三宅 琢 (眼科医:名古屋市)    
  「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」       
   園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)  
 3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)  
   座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)   
 演題:「網膜変性疾患の治療の展望」   
 講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)       
   座長:張替 涼子 (新潟大学)   
 演題:「明日へつながる告知」   
 講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』   
   座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)    
 守本 典子 (眼科医:岡山大学)     
  「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」    
 園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)     
  「家族からの告知~環境と時期~」    
 竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)     
  「こんな告知をしてほしい」   
 コメンテーター:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ   
 18時50分 解散

 【機器展示】
  東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)、株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院

2012年6月13日

報告 「学問のすすめ」第7回講演会

 リサーチマインドを持った臨床家は、新しい医療を創造することができます。
難題を抱えている医療の現場ですが、それを打破してくれるのは若い人たちのエネルギーです。

 本講演会は、若い医師とそれを支える指導者に、夢と希望を持って学問そして臨床に励んでもいたいと、2010年2月より済生会新潟第二病院眼科が主催して細々と続けている企画です。
開催が地方病院の眼科であり、実際の参加者はあまり多くありません。
しかし情報は日本全国の700名を超す医師および医療関係者に直接メールで配信し、さらに幾つかのMLを介して全国の数千人以上の方に届いています。

 今回は、遺伝性網膜変性疾患のお仕事を精力的にされている中澤満先生(弘前大学眼科教授)と、iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療に意欲を燃やす高橋政代先生(理化学研究所)に講師をお願いし、若い人へのメッセージを添えて、先生方の取り
組んでこられた研究テーマを中心に、これからの医療を背負う人たちに、夢を持って仕事・学問をしてもらいたいという願いを込めて、これまでの学究生活を自叙伝風に語って頂きました。

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 「学問のすすめ」第7回講演会
     日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
     会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
     主催:済生会新潟第二病院 眼科 (共催なし)

  「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
      中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授) 
  「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)

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演題:「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
講師:中沢 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)

【講演要約】
 遺伝性網膜変性の代表は何と言っても網膜色素変性である。網膜色素変性と言えば、今も昔も「進行性、原因不明、遺伝性、やがて失明の可能性もある。」ということに尽きる。
緑内障、糖尿病に次いで中途視覚障害の第3位、人口4000人に1人の有病率の疾患であるが、この病気の患者を診る時ほど眼科医としての無力感を感じることはないとも言える。
緑内障や糖尿病網膜症は早期発見、早期治療によって重篤化を防ぐことができる。
つまり人間の努力が報われる病気であるのに対して、網膜色素変性にはそれがない。
どんなに早期発見しようとも患者の予後には影響がない、そればかりか早期に病名を告知したばかりに却って眼科医が恨まれる事も時にはある。
結婚話や家族計画、就学就業にも深刻な影響をおよぼしてしまう。

 このような難病の少なくとも「原因不明」という部分が解明されれば、それを手掛かりに何らかの治療法のヒントが得られるかも知れない、とは誰でも考えることである。
私も1982年の秋から水野勝義教授の許可を得て、早坂征次先生の指導により酵素生化学的な研究の手ほどきを受け、さらに1985年から3年間米国のWinston Kao先生から分子生物学、とくに分子クローニングの基礎トレーニングを受けた。
その後、1989年からは玉井信教授の許可の下、東北大学眼科を拠点として網膜色素変性の患者の血液バンクを構築した。
しかし、この時点でも実際は暗中模索であった。

 時代の流れは誠に凄まじいもので、ちょうど留学中の1987年に今で言うポリメラーゼ連鎖反応(PCR法)が発明され、ヒトの遺伝子診断が格段に簡便になった。
そして1990年には早くも網膜色素変性の原因の1つがロドプシン遺伝子変異であることが明らかになった。
それまで、ありとあらゆる学問領域の研究者がそれぞれの方法で懸命にその原因を探ってきて果たせなかった研究課題があっさりと解明されたのである。
網膜色素変性の原因がロドプシン遺伝子変異であった事はコロンブスの卵のような出来事であったが、この発見は実は網膜色素変性の原因のほんのごく一部でしかなかった事も判明した。
そして、世の中は世界中の多くの研究者による熾烈な遺伝子解析競争によって、網膜色素変性とは実に多種様々な原因遺伝子異常をもつ極めて異質性の高い疾患群であることが分かってきたのである。
現在はアッシャー症候群、バーデット・ビードル症候群、セニョール・ローケン症候群やレーバー先天盲なども含めれば網膜色素変性の原因遺伝子ないし候補遺伝子は70種類を軽く超える。
しかも、これらの遺伝子の中には網膜色素変性以外にも各種黄斑ジストロフィや小口病などの原因となっているものもある。
臨床像と原因遺伝子の双方でのオーバーラップがある、というのがこの病気の特徴である。
幸運にも私もこの遺伝子解析競争の流れの中に身を委ねる機会に恵まれた1人でもあった。

 21世紀に入ると、多くの研究者の興味は網膜色素変性の治療法開発へと徐々にシフトした。
遺伝子解析から分かった事、それは一方で疾患の遺伝的多様性であるとともに、もう一方で視細胞の変性の共通メカニズムであるアポトーシスである。
現在世の中で進んでいる治療研究の視点は、いかにしてアポトーシスを止めるか、という点と視細胞アポトーシスが起きてしまってもいかにして代替手段を駆使するか、という2点に尽きる。
前者には遺伝子治療と視細胞保護療法、そして後者には再生医療と人工網膜がある。
私は弘前大学という研究の場を得て、視細胞保護療法の立場から網膜色素変性の治療法の開発という研究を進める機会に恵まれた。
視細胞保護による進行遅延にも十分な意義がある。
我々の研究チームのキーポイントは視細胞アポトーシスとカルシウムとの関係、そしてアポトーシスとカルパインとの関係である。
これらを手掛かりに視細胞アポトーシスの抑制が実現できれば、という思いで牛歩のごとき遅々とした歩みではあるが、目標に向かって駒を進めている。
講演ではこのうち、カルシウム拮抗薬ニルバジピンの動物実験での変性遅延効果の確認とそれに引き続いて行った単一施設ランダム化比較試験(Ib)の結果、カルパイン特異阻害を示すペプチド療法の実験的研究と点眼治療の可能性、そしてRPE65遺伝子異常マウスに対する9-シス-レチナールの実験的効果についてお示しした。

 最後に、これまでの網膜変性外来での経験から「網膜色素変性診療の勘どころ」と称して、眼科医と患者との間で生じやすい2つのギャップ、すなわち失明という言葉の語感に関する医師と患者との間のギャップと視野異常の検査上の結果と日常生活で患者が感じている体感視野とのギャップの問題について私なりの考えを示した。

 これまでの研究の歩みを振り返ってみると、自分自身の予想に反した結果ばかりに直面してきたことだと思う。
しかし、そこから認識が深まり、新しい視点が生まれたとも言える。
査読者とのやりとりは将にrefinementという言葉に尽きる。
これらの経験は確実に臨床実地にも栄養となっている。

【略暦】
 1980年 東北大学医学部卒業
 1980年 東北大学眼科研修医
 1982年 東北逓信病院(現:NTT東日本東北病院)眼科
 1982年 東北大学眼科
 1985年 米国シンシナティ大学眼科ポスドク
 1989年 東北大学眼科講師
 1995年 東北大学眼科助教授
 1998年 弘前大学眼科教授

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演題:「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
講師:高橋 政代 (理化学研究所)

【講演要約】
 卒業以来25年余り、臨床と研究と軸足を置き換えながら、それでもずっとどちらからも離れることなく続けてきた。
5年前に京都大学から理化学研究所に移ってからは臨床は週2回の網膜変性疾患専門外来のみになったが、治療開発である我々の研究のためには臨床を離れて研究だけになってしまってはいけないと考えていた。基礎研究は重要であるが、それだけでは治療はできない。
治療という出口を知る臨床医が応用研究をすることは重要なことである。

 網膜再生医療研究の始まりは、1996年にアメリカサンディエゴのソーク研究所の脳研究で有名なGage研究室に留学した時であった。
その際にまだ概念も定まっていなかった神経幹細胞の研究に出会った。
いくつかの分野の境界領域で新しいものは生まれやすい。
眼科医が脳神経研究という分野に飛び込み、神経幹細胞という概念にふれたことで、幹細胞による網膜再生(=網膜細胞移植)という新しい治療研究が芽生えた。
それは神経幹細胞に出会った眼科医であれば誰でも考えつくことであった。

 神経幹細胞を使えば網膜の難病が治療できると意気揚々と留学から帰って研究を続けたが、そう簡単ではなかった。
様々な幹細胞を検討したが一長一短があり、2000年代初めからはES細胞の研究に移行した。
ES細胞から網膜の治療に必要な網膜色素上皮細胞や視細胞が作れることを発表し、ES細胞から作った網膜色素上皮細胞は網膜治療に使えることを初めて示していた。
しかし、網膜色素上皮細胞は他人の細胞の移植では拒絶反応を起こすことが胎児細胞移植で知られており、網膜の病気のために免疫抑制剤を用いて身体を危険にさらすことには躊躇を覚えた。
また、日本ではES細胞は臨床には使えないという声が多く聞かれた。
まごまごしているうちに、アメリカの企業はそんなことはお構いなしに免疫抑制剤を用いてES細胞由来網膜色素上皮細胞の臨床試験を着々と準備しているという情報が入り愕然とした。
その頃、京都大学の山中先生によってiPS細胞が発明されたのである。
iPS細胞は大人の皮膚細胞からES細胞と同じ性質の細胞が作れるので、患者さんの皮膚からiPS細胞を作り、さらに網膜細胞にすれば拒絶反応のない自分の細胞を移植できる。
これで完成だと思った。

 そこから、研究レベルであった細胞の作り方などを大急ぎで臨床レベルの品質に作り上げ、できた細胞の安全性や品質を完璧に確認して、iPS細胞が発明されてから5年で臨床を考えられるところまで漕ぎつけた。
これには、iPS細胞の力、魅力によって産官学の多くの方々の協力が得られたことが大きい。
当初、日本の場合は厚労省の規制が最も難関と考えていたが、それも指針などがどんどん改訂されて、iPS細胞を用いた治療が行えるように先回りして整備されて行っている状態である。
むしろ基礎科学者や新しい治療開発に慣れていない眼科医の先生方の方が(必要以上に)厳しいと感じている。

 再生医療(=細胞治療)は従来の治療とはまったく異なるものである。むしろ手術と同じで、最初から完成されて効果も一定なわけではなく、開始されてから、年月を経て徐々に改良され効果が大きくなる治療である。
白内障手術は20年前と現在で大きく改良され、今やかなり完成された安全で効果的な治療となっている。
網膜細胞移植も最初は重症の方から開始して効果もさほど大きくないであろうが、20年後には安全な一般的な治療になっていると想像する。

 15年前、網膜再生治療の話しをすると「網膜再生は無理だ」という声を聞いた。
ES細胞研究では「ES細胞は倫理的にも問題があり臨床では使えない」と言われ、iPS細胞研究で臨床の話をすると「iPS細胞はまだまだ危険だから治療を考えてはいけない」と言われていた。
臨床研究が視野に入って来た今、5名の患者さんだけで安全性を確認する臨床研究がゴールではなく、一般治療にするための治験、産業化ということが必要であることがはっきりと見えてきた。
「まだ産業化など考える時期ではない」と言われる人も多いが、今までの経験から何事も考えるのに早すぎるということはないと思っている。 

 20世紀は物理学が世界を変えた時代であったが、21世紀はライフサイエンスの時代と言われる。
眼科医は眼科という非常に専門的な分野を熟知している貴重な人材なのである。
その強みを生かした研究に若い人達も挑戦してみてほしいと願っている。


【略暦】
 1986年  京都大学医学部卒業
 1986年    京都大学付属病院眼科勤務
 1988年    京都大学大学院医学研究科博士課程入学 
 1992年   京都大学医学部眼科助手
 1996-97年 米国ソーク研究所研究員
 2001年    京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授
 2006年   理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
      網膜再生医療研究チーム チームリーダー


【中澤満先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 私は中澤先生がアメリカから帰国され、何もない実験室に遺伝子解析のシステムを作り上げ、網膜色素変性の患者さんの解析を開始し、日本の第一人者になりアレスチン遺伝子の解析でNatureに報告された流れを目の当たりにしており、今回のお話しは治療にまで言及されるお話しで先生の臨床・研究に対する歴史とその流れを改めて理解でき、たいへん素晴らしい御講演だったと思います。
中澤先生は、いつどんなことを聞いても一瞬で相手を理解しわかりやすく説明してくれるのですが、今回の話も非常に分かりやすいもので、改めて中澤先生の偉大さを感じました。
 講演で検査上の視野と体感的視野についてお話しをされましたが、このことば自体も中澤先生が話をわかりやすくする独特の方法だと思います。
言葉だけでも話の内容が理解できます。
 ニルバジピンはいわゆるDrug reprofiling strategyの1つとして積極的に世の中に御報告されて、網膜色素変性の治療の選択肢にいれていただきたいと思いました。
すごくいい仕事だと思います。

(眼科医;開業、宮城県)
 ご講演を拝聴し、RPの遺伝子、臨床像との関連について しばらくぶりに自分自身の知識をアップデートさせていただきました。
また、アダプチノール内服のエビデンスを示した論文が発表されているのを教えていただきましたので、早速、患者さんとの会話に役立てています。
もう一つ、日頃から何となく感じていた、1)「失明」という言葉に対する患者さんと眼科医の感じ方のギャップ、2)検査結果としての「視野」と患者さんが「見えている範囲」のギャップについて、わかりやすく整理して教えていただきましたので、「のどの奥につっかえていた」ものがすっきりしました。
ありがとうございました。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 ニバジールが効きそうなのには、ちょっと驚きました。
たしかに、色素変性の患者に出会うたびに「治りません、失明する事があります」と言っているよりは、「研究している人がいるんだよ」と言えるだけでこの会に参加してよかったと思います。
中澤先生のお話は、翌日の外来から使えそうな話でとってもためになりました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 長年研究をされてきた中澤先生と高橋先生のお話は厚く深く、さらに人生観までもが織り込まれたすばらしいものでした。
自分がもう少し若い時に拝聴させていただいていれば人生変わったかも・・?!と感じた程でした。
 中澤先生のご講演では、遺伝性網膜疾患の治療研究についてはもちろんですが、医師・患者間での「失明」の語感ギャップから体感視野に至るまで、大変勉強になりました。
「失明」については最近外来を受診された盲ろうの方の言葉が頭をよぎりました。
「ここ2.3年で大分見えにくくなった。いずれ光もわからなくなるのですか?」と筆談されました。
「少しずつ見えにくくなるかもしれませんが、光がわからなくなることはないですよ。」とお伝えすると少し安心した様子でした。
前日のロービジョン研究会の告知の話題と共通点があり、中澤先生のご講演を大変興味深く拝聴させていただきました。

(当事者、新潟県)
 「学問のすすめ」講演会には、初めて参加いたしましたが、両先生の、難しいお話をわかりやすく話していただき、大変勉強になりました。
講師先生方、参加医師の質疑応答を、拝聴し、先生方の熱意に、感動しております。

(教育研究者;大学勤務、茨城県)
 医療関係者対象の講演会にもかかわらず,参加させていただきありがとうございました。
本学の学生にも網膜色素変性が最近多く,よく再生医療の進捗について話題になります。
加齢黄斑変性症に対する臨床研究が始まるようで,先は長いでしょうが明るい話題です。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 今までは原因遺伝子が分からなかったことがPCRの発達によりロドプシン遺伝子の突然変異が原因だったことがわかったことから、一つ一つの積み重ねが病気の原因の発覚に繋がり新薬への開発に繋がると思いました。
このようなことから、研究がいかに治療に対して大切なものなのかを感じることができました。

(薬品メーカー勤務、新潟市)
 ロドプシン遺伝子の点突然変異により色変になるということ、色変の原因遺伝子が70種類以上あること等、大変勉強になりました。
アミノ酸配列コードにおけるミスマッチでこのような病気が起きてしまう悲しい現実が垣間見えました。
ただ、そのような状況の中で、ニルバジピン投与で有意差ありという明るいデータは大変興味深かったです。
他にもサプリメント(ルテインや9-cisレチナール)も効果が高そうなので保険適応等になればよいなと思いました。
Filling in機能は眼から鱗でした。
本当に勉強になりました。
ありがとうございました。

(眼科医;開業、新潟市)
 講演くださった先生方も一流の演者で、有名ミュージシャンのライブにいるような感覚で講演を拝聴しておりました。
自分も若い時にこのような面白い講演を聞いていたら違った道もあったのかな、などとありもしないことを考えてしまいました。
それにしても日曜日の朝一番から演者の先生はじめ、参加者も福島、仙台など遠方から沢山いらっしゃるんですね。
新潟の先生達ももっといらっしゃるのかと思いましたがそれほどでもなく、何か勿体ない気がしました。
同じ講演会でもこのような素晴らしい講演会であれば有料でも拝聴したいです。

(当事者、京都市)
 お二人の先生の講演を聴きながら、ここまで来たのだとの思いであった。
私が当事者としてJRPSに参加した頃は網膜色素変性に対する治療法についての研究はまだまだであった。
会員と共に、孫の時代には治療法の確立をしようと誓い合い、総会で研究助成金を創設した。
お二人の先生にも研究助成金を受賞していただいている。
これからの10年に期待が持てると感じた。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 長年に亘る地道なご研究に心洗われる思いがしました。
遺伝子の異常部位の違いによる薬への反応の差がよくわかり、情報を正しく分析、理解しないといけないなあ、と思いました。
新しい治療薬の研究が進み、患者さんに朗報がもたらされる日が近い気がいたしました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 遺伝子治療が、まだ海のものとも山のものとも分からない時代に、研究を開始された先生の先見の明に改めて感心しました。
ニルバジピンは効果ありそうでした。
カルパイン阻害による新規ペプチド創薬、点眼のお話、期待です。
9cisレチナール、期待できそうでした。
 そして「失明」についてのコメント。
確かに宣告された途端に明日から急に見えなくなることを心配する患者が多いこと実感しています。
また検査での視野と体感視野、その通りです。
医師と患者の受け止め方にギャップを感じます。
いろいろ教えていただき、ありがとうございました。


【高橋政代先生の講演に対する参加者からの感想】  到着順
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(眼科医;大学勤務、東北地方)
 バリバリの最先端のお話しでした。
先生の研究への思いをうかがったのは初めてのような気がします。
講演会の趣旨に答えた素晴らしい話でした。
まず基礎の研究者と患者さんをみている研究者の研究成果の理解ですが、これはベクトルの違いでお話しをされました。
ベクトルは基礎研究者は確かに深く掘り下げられ大切ですが、応用研究は研究成果のベクトルの方向が患者さんに向かいます。
もうひとつ、患者さんを診ている研究者は目標が決してぶれません。
患者さんの方向にベクトルが向かいます。
いままでぼんやりと理解していたことをはっきりわかりやすく表現されてまさに目からうろこ、という感じでした。
もっと若い臨床医師に聞いてもらいたかった内容です。
 個人的には薬事法に規制された状態で前例のない治療法開発をどのようにすすめているのかもう少し確認したかったところがありますが、日本のいいところとして医師法の存在のお話しを聞けたのはよかったです。
 21世紀はバイオロジー、ライフサイエンスの時代というお話しをされました。
私もそのようになってほしいと思います。

(薬品メーカー;薬品開発、東京)
 QOLを大きく低下させるであろう失明のリスクの多い網膜疾患に対して、基礎研究から臨床研究、さらには、治験を経て医療用市販製剤にまで育てる事により、多くの患者さんに大きな希望を与えたいという先生方の強い意志を感じる事の出来る2つのご講演でした。
 その一方、国やそれに準ずる機関からの大きくてタイムリーな支援が、この日本ではまだまだ不足しているのではないかと思いました。

(眼科医;開業、宮城県)
 講演会直後の12日には「iPS細胞を用いた加齢黄斑変性の治療」、さらに数日後には「iPS細胞を用いたRPの治療」のニュースが全国を駆け巡りました。
 ネイチャーの論文でさえも「疑い」、患者さんのために治療法の確立を「信じて」臨床と研究の両面から走り続けていたということを会場の近い距離でうかがい、鳥肌が立つような感動でした。
私が生きているうちに、治療への道筋が見えればと思っていましたが、近い将来、高橋先生を中心とした日本の臨床研究から 世界中の患者さんのための治療法が確立されることを確信しました。
ありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いします。

(眼科医;大学勤務、東北地方)
 再生医療のお話は未来があってとても興味深かったです。
しかももう治験が始まりそうという事なので、もうがんばってください以外の言葉が見つかりません。
またお話で出てきた、無駄な事はない、やってれば誰かがパスを出してくれるという話は、今現在がんばっているみんなの心を打つ話でした。
もちろんそんな簡単な事では無いでしょうが、高橋先生の言葉にはとても説得力があり騙されたと思って頑張ろうかなという気にさせられました。

(眼科医;病院勤務、香川県)
 ご講演で印象的だったのは、「どんなしょうもない仕事でもそこに意味を見出してやっていく、それが大切です。」「走っていればパスがくる。走り続けることが大切。」というお言葉です。
「患者さんと約束したから、研究をやめられない」というお言葉はとても以外で、高橋先生の決意の強さを改めて感じました。
今や再生医療は脚光を浴び花形というイメージがありましたが、その反面走り続けなければならないという重圧もあるんだなと感じました。
私もそろそろ医師になって折り返し地点にさしかかりますが、今回の講演会を出発点に新たな放物線を描きたいと思います。
ありがとうございました。

(薬品メーカー、新潟市)
 EUでは希少疾病の治験が眼科で32グループあり、そのうち17グループが網膜色素変性症の治験を行っていると仰られてました。
いかに網膜色素変性症が世界で注目され、世界で求めている薬剤であるかを知ることができました。
また、イギリスではヒトES細胞をマウスへの移植に成功していることから治療薬の完成に少しづつ近づいてきていると感じました。

(薬品メーカー、新潟市)
 医師と基礎研究という二足の草鞋で活躍されている高橋先生の講演は臨眼学会か何かで講演があったと伺いましたが、貴重な講演が聞けてよかったです。
エビデンスがあったとしてもそれを疑う姿勢がすごいと思いました。
また、PMDAとの交渉でのことも驚きました。
製薬会社では、PMDAより何度何度も細かく指摘されるという状況なので、本当に最先端の研究をされているのだなと驚愕の連続でした。
アメリカは基礎から応用の流れがありますが、日本ではそのようなことがないという現状を知ることができましたし、実用のメド(脈絡膜シートで移植等)が見えてきたということも明るい兆しではないかと思いました。

(当事者、長野県)
 私にとっては懐かしい、あの分子構造、本当に勉強した気分になりました。
前日の小沢先生のお話と併せて、高橋先生の再生医療のお話は、医学の進歩が実感でき、眼科については特に期待が大きくふくらみました。
 2,3日後、高橋先生の再生医療学会での発表があちこちの報道で取り上げられていましたが、私たちは報道より早く、直接お聞きでき、幸運でした。
臨床実験の結果の報告が待ち遠しいです。
将来私にも適用可能かもしれませんので。

(眼科医;大学勤務、岡山県)
 高橋先生の「歩み」を聞かせていただき、まずはそのことに感動しました。
先生の人生にもよい出会いがたくさんおありだったようですが、先生の積極性と不屈の精神がそれを支えたのだと思いました。
また、「人の論文(研究)は疑ってかかれ」という京大魂をお聞きして、「さすがだなあ」と思いました。
臨床も研究も、とアグレッシブな先生の情熱が非常に魅力的でした。

(当事者、新潟市)
 長年網膜色素変性で苦しんできた多くの患者(私も含めて)に一日も早く治療法を確立させたいという熱い情熱と感動と勇気を与えていただきました。
日本にはこんな素晴らしい先生方が日々、壁にぶつかることが沢山あっても、あきらめることなく困難に立ち向かってチームで協力し合いながら「患者さんのために」という気持ちで取り組んでいらっしゃるということがとてもよく伝わってきました。
「今できることの最善策を行っていく」そして、QOLを高めいつの日にか治療が行えるようになる日を期待して生きていけたらと思っています。
それまで、全身の健康状態を良好に保ちながら今の視機能を大切にしていけたらと思っています。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 講演は、臨床医にどうして研究が必要か?という本会の核心のテーマから始まりました。
基礎研究者には、実用化のベクトルがないこと。臨床医は患者のためということからブレルことがない。
ただし10年で目途をつける。
 (京大式)科学的考え方とは、「疑う心」(この論文本当か?多面的見方)・「信じる心・あきためない心」(戦略)。
大学院に入ったが、指導医がいなくなったのでテーマ探しが辛かったが振り返って考えてみると、その時の苦労はとても意義があった。
 「日本発の治療を!」「患者さんとの約束が支え」、、、、、「走っているとパスが来る」、先生がバスケットボールの選手だったことを知り、なるほどと一人で感心していました。
凡人は走る方向やタイミングが悪い。
そこが一流のプレーヤーとの違いなんでしょうね、きっと。
多くの研修医や若手医師に伝えたい講演でした。




『新潟ロービジョン研究会2012』
 眼科治療にも関わらず視機能障害に陥った方々に対して、残っている視機能を最大限に活用して生活の質の向上をめざすケアを「ロービジョンケア」といいます。
 済生会新潟第二病院眼科では、眼科医や視能訓練士、看護師、医療および教育・福祉関係者、そして患者さんと家族を対象に、2000年1月から年に一度、だれでも参加できる「新潟ロービジョン研究会」を開催しています。
 2012年6月9日、済生会新潟第二病院で『新潟ロービジョン研究会2012』が開催されました(今回で12回目)。「ITによる支援」、「網膜変性症治療の展望」、「告知」のテーマで講演とシンポジウムが行なわれ、新潟県内外から120名(県内70、県外50;内訳~医療関係者60名・研究・教育関係者40名・当事者・家族20名)が参加しました。

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 『新潟ロービジョン研究会2012』   
  日時:2012年6月9日(土)
     開場12時45分 研究会13時15分~18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

【プログラム】
 12時45分 開場 機器展示
 13時15分 機器展示 アピール
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
     座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
 1)基調講演 (50分)
   演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
   講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2)私のIT利用法 (50分)
   「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
 3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)  
    座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  演題:「網膜変性疾患の治療の展望」
  講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑)

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)  
    座長:張替 涼子 (新潟大学)
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)
   守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ 
 18時50分 解散


 機器展示
  東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)
  株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院

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 今回は、特別講演「網膜変性疾患の治療の展望」の講演要旨と、参加者から寄せられた感想をお届けします。

特別講演 「網膜変性疾患の治療の展望」
 慶應義塾大学医学部眼科学教室 網膜細胞生物学研究室
 小沢洋子

【講演要旨】
 網膜変性疾患に対する治療は、古くから課題とされているにもかかわらず、未だに広く普及した方法はないのが実情である。その一つの理由は、網膜は、脳とともに中枢神経系の一部であるためであろう。20世紀初頭にノーベル生理学・医学賞を取ったカハール博士は、“成体(大人の)哺乳類の中枢神経系は損傷を受けると二度と再生しない”と述べた。確かに、中枢神経系では組織の再構築は簡単には行われない。
 しかし、21世紀に入ると、この言葉が必ずしも真実ではないことが明らかになってきた。成体の脳や網膜内にも、刺激に反応して増殖する細胞があることが、報告されるようになってきた。とはいえ、疾患により広く障害された部分を補てんするほどの細胞が、次々と生まれるというわけではない。すぐに医療に応用することができるわけではなかった。しかしながら、このような生物学の発展は、もしかしたら、研究を重ねればこれまでありえないと思っていたような新しい方法を生み出せるかもしれないという、可能性を信じる心を、我々に持たせてくれることになっていると思う。

 さて、もともと網膜にある細胞を、網膜の中で増殖させて網膜を再構築するのが細胞数の関係から難しいのであれば、移植手術をしてはどうか、と考えるのは順当であろう。これまでには、胎児網膜細胞、ES細胞、iPS細胞などを利用した研究が動物実験で行われてきた。元来、網膜は視細胞などの神経細胞と、神経由来であるが成体になってからは視細胞のサポート細胞としての性格を持つ網膜色素上皮細胞がある。視細胞に関する移植研究では、2006年のマウスの研究で、移植した胎児の視細胞がきれいに組織に入り込み生着したことを喜んだことは記憶に新しい。そのうえ、最近では、移植した神経細胞が、網膜内でシナプスネットワークを作り、ホスト網膜とつながりうることが確認されるようになった。ただし、まだ、機能回復を得るには至っておらず、疾患治療を目標にできるほどの大きな効果は得られていない。現時点ではこれを医療に持ってくるにはまだまだ距離があり、今後も長年にわたる研究が必要であろう。

 一方、網膜色素上皮細胞に関しては、ES細胞やiPS細胞等を用いた移植への道が、一歩一歩進められている。試みに、ごく少数のヒトへの移植が行われたという報告が見られるようになってきた。しかし、多くのヒトが、安全性と確実性を持って治療されるには、まだまだ越えなければいけないハードルが存在するであろうことは、想像に難くない。

 このような中で、iPS細胞の開発は、移植以外の治療の可能性も生み出したといえよう。それは、神経保護治療である。神経保護治療に関しては、すでに国内外でも網膜色素変性症に対して治験が行われている。UF-021(オキュセバ)といった薬剤や毛様体神経栄養因子(ciliary neurotrophic factor; CNTF)が、試験的に投与された。これらの薬剤が本格的に使われるようになるには、さらなる注意深い研究が必要である。また、この2剤だけですべてが解決できるとは限らないので、今後も研究の幅を広げる必要がある。

 iPS細胞は、この神経保護治療の研究に、大きな貢献をする可能性を持つと考えられる。特に遺伝子異常による疾患の場合、大きな威力を持つだろう。ヒト疾患の研究は、その臓器の検体を元に研究を進めたいところである。しかし、網膜を採取することはその部分が見えなくなることにつながることから、採取するわけにはいかない。また、がん細胞などと異なり、少量取り出したものをどんどん増殖させるというわけにもいかない。しかし、患者遺伝子異常を持つiPS細胞を患者皮膚細胞などから樹立(作成)し、それを網膜細胞に分化誘導させれば、患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を、継続的に培養することができ、何回も研究することに使えるということになる。この方法により患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を得ることは、疾患メカニズムを解析したり、候補薬剤のスクリーニングをしたり、といった研究を進める第一歩といえよう。我々の研究室でも、実際に網膜色素変性症患者の皮膚細胞(網膜細胞ではなく)を採取させていただき、これを用いた研究を開始した。研究成果が蓄積されることで、臨床現場に還元できるとよいと、心から願う。薬剤の候補が見つかったらすぐに臨床に応用できるわけではないが、一歩一歩、堅実に進みたいものだと思う。

 多くの研究結果が蓄積されることで多くの効果的な薬剤が生まれ、遺伝子診断の確実性も増し、法的整備も進められた暁には(これは何十年も先のことになるかもしれないが)、診断がついたらすぐにでも神経保護治療を開始し、生活に不都合のあるような視野異常を生じないような予防をしたいものである。遺伝子異常があっても網膜異常を生じない世の中が来ることが理想であり、その実現を切に願う。

【略歴】
 1992年   慶應義塾大学医学部卒業 眼科学教室入局
 1994年   佐野厚生総合病院 出向 
 1997年   慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手
 1998年   東京都済生会中央病院 出向
 2000年   杏林大学医学部 臨床病理学教室 国内留学 
 2001年   慶應義塾大学医学部 生理学教室 国内留学 
 2004年 4月 川崎市立川崎病院 出向 医長
 2004年10月 慶應義塾大学医学部 生理学教室 助手
 2005年 4月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手 
 2008年10月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 専任講師 
 2009年 4月 網膜細胞生物学研究室 チーフ (兼任)


【参加者からの感想】到着順
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(眼科医;大学勤務、東京)
 これほどまでに感動的な講演は今まで聞いたことはなかった。内容はもとより、眼科医、ロービジョン者双方に満足させる講演は素晴らしかった。研究内容などは足元にも及ばないが、講演の方法など自分にとって勉強になることだった。

(当事者;新潟県)
 網膜色素変性症の治療法・予防法が確立し、このような問題も、昔話にできるようになる日が、1日も早く来ることを、切望いたしております。

(眼科医;大学勤務、東北)
 網膜色素変性は確立した治療法がありませんが、これまでの試み、今行われている(研究されている)治療法などを非常に分かりやすくお話しされたと思います。ウイルスを利用した遺伝子治療、アールテックウエノの緑内障薬による神経保護、細胞移植など小沢先生のことばでわかりやすくお話しされていたと思います。今こころみられていることがなぜ効果があるのかわからないと継続は難しいという言葉は印象的でした。また病初期から継続して使用できる治療が可能なものを考慮しているなど臨床研究者としてのお考えもわかりました。

(機器展示、愛知県)
 網膜変性疾患の治療については、医療の進化を感じ、希望あふれる内容であったのではなかと思います。その中でも、私自身は小沢先生の、今以上悪くしないための投薬治療の研究は、今まで移植など完全治療を目指す方向しか知らなかった自分にとって興味深い内容でした。

(当事者、千葉県)
 最先端の大変難しいお話を、医師だけではなく、一般の患者にも理解できる言葉でお話しいただいた小沢先生のご講演に感動しました。小沢先生の研究が、実際に臨床に生かされるまでには、まだ30年近い期間が必要とのことでしたが、この30年という期間を遠く感じるか、近く感じるかは人によっても違うと思います。私は小沢先生の研究が臨床に生かされる日を楽しみにしつつ、日々の生活を楽しみたいと思いました。

(眼科医;病院勤務、四国)
 小沢先生のご講演で一番印象的だったのは「20~30年後には、どんなタイプの網膜変性疾患に対しても治療薬はできているだろう」という力強いお言葉でした。遺伝性疾患の場合、子や孫への影響が心配されますが「そんな心配は要らないですよ。今を大切に生きましょう」と希望的に患者さんとお話しできることは、精神的強みになるからです。本日受診された網膜色素変性症の患者さんにそのようにお伝えしたら、涙しておられました。小沢先生、患者さんのためにもよろしくお願いいたします。

(教育関係者;大学勤務、関東)
 医学的知識が不足している私には,少し難しかったですが,研究の歴史的経緯など初めて聞く内容ばかりで大変興味深く拝聴しました。再生医療が最近マスコミでよく取り上げられますが,それ以前からの医療関係者の熱い情熱を感じました。

(薬品メーカー勤務、新潟)
 非常に判り易く講演頂きまして感謝しております。一昔では考えられない方法論(細胞から目の組織を作る)で色変の患者さんに夢と希望を持たせてくれる講演でした。また、大学院で自身が学んだ知識がこのようなところで役に立つとは想像もつきませんでした。また、自分の大学の先輩がiPS細胞について本を出版しており、判り易く記載してありますが、それを上回る講演であったことに感謝しております。治療薬の内容、すごく気になります。。。

(当事者、長野県)
 網膜色素変性症は治らないということに対し、再生医療という新しい分野が登場したことは大変心強いことと思います。ips細胞の話題はマスコミでしか知らなかったのですが、研究は着実に進んでいることがよくわかり大変心強く感じました。

(薬品メーカー勤務、新潟)
 難しい内容の話になると思っていましたが、とても分かりやすい講演でした。ES細胞やiPS細胞の研究がこんなにも進んでいるとは知りませんでした。また、イモリは網膜細胞が復活することや、すでにマウスでは網膜細胞の移植・生着に成功していることなど、驚かされてしまう内容の話ばかりでとても勉強になりました。開発に成功しても治験が長期になるため、まだまだ時間もかかると思いますが、網膜色素変性症の治療薬に明るい兆しがあるように感じました。

(眼科医;病院勤務、東北)
 研究があり、新しい治療法、薬剤がつくられていくのは漠然とは知っていましたが、実際の現場の生の声を聞く事ができ、勉強になりました。医学は臨床だけじゃないと今まで以上に知る事ができました。

(当事者;自営業、新潟県)
 小沢先生の考える将来の最終的な網膜色素変性症の治療の理想は、第一に出生時、学童期の遺伝子診断、第二に早期からの神経保護治療を行う、つまり、遺伝子に異常が見つかっても網膜異常がでない治療をおこなうことです。
しかし、ここに至るには治験の難しさなど、まだまだ多くの問題をクリアしなければならず、研究開発が完成するまでには10年単位の時間が必要だというお話でした。
 小沢先生のお話を聴いて、先端医学の現場では当初は大きな希望であった再生医療から、現在はもっと現実的な発症を押さえる薬の開発へと、治療に対する考え方もシフトしてきており、それは基礎研究の分野に臨床を経験した先生方の考え方が反映された結果であるということが分かりました。
同時に世界を相手にシノギを削る研究者の凄味も感じました。

(福祉人間工学専門;大学勤務、新潟)
 特別講演は、網膜変性疾患に対する再生医療の最前線を垣間みることができた。医学の最先端の講演はいつも魅力的だが、小沢先生の講演は特に分かりやすく、魅力的だった。難問は山積みだろうが、何年かかろうとも一歩一歩着実に進展させてもらいたいと思った。もし仮にうまく行かなかったとしても、その礎の上にいつかは大きな花が咲くと信じている。研究とはそういうものだ。

(当事者、新潟市)
 「神経は損傷すると再生しない」というが「イモリ」の網膜は再生されるという。近年ES細胞、ips細胞の活用が話題になり大きな期待もかかっている。保護薬の開発、遺伝子治療は是非にも必要。そのためには横断的学界組織のつなぐ組織をつくるなど考えてもよいのではないかとの具体的な提案も。専門的な難しい問題に先が見えるようなお話もあり期待されます。

(眼科医;大学勤務、中国地方)
 「思い込んだら信じて突き進む」という強い姿勢を感じました。ご研究に真摯に取り組まれる態度と聡明なご発言に尊敬の念を抱きました。「ここに研究者魂を見た」という感動がありました。

(当事者、新潟市)
 網膜変性疾患に対する治療法(特に網膜色素変性症)について期待される網膜再生の研究が現在どの段階まで進められてきているのか?問題点などあらゆる角度から研究がチームで行われている現状が慶応大の小澤先生(9日)や理化学研究所の高橋先生(10日)のご講演でとても分かりやすく聴講できました。そして、長年この目の病気で苦しんできた多くの患者(私も含めて)に一日も早く治療法を確立させたいという熱い情熱と感動と勇気を与えていただきました。日本にはこんな素晴らしい先生方が日々、壁にぶつかることが沢山あっても、あきらめることなく困難に立ち向かってチームで協力し合いながら「患者さんのために」という気持ちで取り組んでいらっしゃるということがとてもよく伝わってきました。

(眼科医;病院勤務、新潟市)
 「神経は損傷を受けると再生しない」というCajal(1928)の呪縛から抜け出しつつある現在の状況を教えてくださいました。本当は難しいお話を素人にも判りやすく語って頂き流石でした。遺伝子治療や薬物治療は、多施設での研究が必要。iPS細胞の研究、薬の開発に適している。神経保護治療は、長期観察を要する、根気が必要。拠り所が判っていることが後ろ盾となる、、、ナルホド・ナルホドと合点しながら拝聴しました。

2012年6月10日

『新潟ロービジョン研究会2012』 (3)「告知」
 基調講演2 
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長)

【講演要旨】
1)はじめに
 病名または障害名の告知は、患者にとっても医師にとっても、辛いものである。そもそも疾患や障害には、1)苦痛や経済、社会的不利益 2)将来像の変更と未知の今後への不安 3)潜在する偏見や拒否感などが内在し、告知はその現実に向き合わせる事でもある。告知アンケート調査などでも「とても絶望させられた」「受け入れられない」など悲観的な感想が並ぶ。また、重大な説明も充分に時間がかけられず行われている事実もある。この状況の中で半数以上の患者が告知に対する不満をもっている。しかし、その不満の大部分は配慮不足、説明不足、差別的態度等であり、私たち医療従事者の伝え方を振り返ってみる必要がある。一方、気持ちが立ち直るきっかけをみると、親の会を含む当事者同士の支え合いが大部分をしめる。こういった事実から、明日につながる告知とは、単に病状や障害の現状の理解をすすめるだけでなく、寄り添う気持ちや福祉情報など幅広い視点が必要と思われる。 

2)福岡市の取り組み
 福岡市では小児神経科、新生児科、保健福祉センターなどとのネットワークの元に、療育センターで最終的な障害の認定、療育の提供、家族支援を実施。小児科医と臨床心理士、ケースワーカーなど多職種のカンファレンスのもとに障害告知を行っている。そこでは、家族の精神的不安やサポート体制などに考慮しながら説明し、あわせて患者の会をはじめとする情報提供を実施している。また、より正確な告知によって適切な教育への選択につなげるために、障害児施設の巡回小児科診察会を実施している。 

  そこで私が心がけていることは、①診断を伝える際にはなるべくご家族で来ていただく、②家庭環境や精神的状況を把握しておく、③伝える場面ではわかりやすい説明につとめ根拠となる検査も示す 、④診断が確定していない場合でも、考えられる可能性を伝える、⑤一度で多くを伝えるのではなく、困難な場合には数回に分けて伝える、⑥今後に向けての実際的な情報(合併症や起こうるトラブル、当事者や親の会などの情報)もあわせて伝える、⑦本人、家族の心情にも心を配る事などである。患者の立場からも、「的確に伝えて欲しい」「将来の見通しや具体的情報が欲しい」との要望もあり、これらは医師の役割と考えている。 

3)伝えたいメッセージ
 私自身22年前、息子が3歳の時に視力障害の事実を病院で告知された。そのときは家族の今後の生活、息子の将来への不安、悲しみなど様々な感情が入り交じり、涙をこらえることができなかった。視界不良のまま運転し、息子を助手席に載せたまま、追突事故を起こしてしまった。告知のもたらす衝撃は覚悟してはいたものの、想像以上に大きかった。しかし、その後訓練を開始し、支えてくれる人、優しい人、困難を乗り越えた人々と多くの出会いがあり、人生を豊かにする歌や書籍があった。 

 告知が新たな人生の扉を開けたのだと思う。そういった経験をした一人の人間として、かつ一人の専門的な職業の人間として、また目の前にいる人の困難な局面に、偶然にも出会った人として、伝えたいメッセージを添えるようにしている。それは、「病気や障害があっても、そこに一つの人生があり、意味がある。今の一つ一つの積み重ねは、次につながっていき、困難に応じた成長がある。そして決して一人ではないということ、新たな出会いがきっとあるということ」である。 

 これは、私が一人の視覚障害児を育てた中で経験した事柄でもあり、現在の仕事を通じて、当初弱々しく立ち直れるか心配された保護者が、時間を重ね逞しく幅広い価値観をもった親へと変化していくことを目の当たりにしている実感から得たものでもある。そして、告知をスタートに、この困難を越えていってくれることを心から願っている。 

4)最後に
 私が勤務しているあゆみ学園では、ご家族に向けて少しでも心の支えとなるものを発信したいと思い、心温まるエピソードや励まされる歌詞や文章を綴り、「ゆいゆい(結い結い)メッセージ」としてお届けしている。その中から私が強く感銘を受け、利用者に紹介している二つの詩をご紹介したい。 

 「サフラン~悲しみの意味  冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があって一つの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって私がわたしになっていく ―星野 富弘―」 

 「つよさ  つよいってことはまけないことじゃない つよいってことはなかないことじゃない つよいってことはまけてもあきらめないこと つよいってことはないてもまたわらえること ―濵津 息吹-」 

 「告知」は診断や症状、今後の見通しなどの情報の伝達である。そこから一歩進んだ「明日につながる告知」とは、「目前の人が現実を直視し、新たな夢や希望を紡ぎ、着実な明日への一歩を刻んでいってくれることを心から願う気持ち」から自ずと生まれるものかもしれない。 

【略歴】
 1983年 島根医科大学(現島根大学医学部)卒業
       九州大学病院 小児科勤務
 1984年 福岡市立こども病院勤務
 1985年 東国東地域広域国保総合病院 小児科勤務
 1986年 福岡市立子ども病院勤務
 1987年 長男(視覚障害児)出産を機に育児・療育に専念
 1994年 福岡市立心身障害福祉センター 小児科に復職
 2002年 福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園 園長就任 

児童精神神経学会認定医、小児科医会認定「こどものこころの相談医」、福岡市児童発達支援センター指導医、福岡市就学相談委員、福岡市特別支援教育サポーター委員、特別支援教育放課後対策支援事業相談委員 

【後 記】
 小児科医で福岡市立肢体不自由児通園施設あゆみ学園園長の小川弓子先生による告知とは何か、事実を受け入れ、かつ、病や障害と折り合いながら生きるための告知とはどういうものか、どうすればよい告知になるのかを、ダウン症患者アンケートや福岡市における障害告知の状況を示しながら、小川先生ご自身の経験も交えてご講演いただきました。

 「告知が新しいスタートになるように」、これですね!! 患者の不満の一つは、医療者の態度です。反省もありますが、医者は打たれ強いことも必要かもしれません。告知した後のケアが大事、未受容の期間は長い、前向き・現実的対応を、家族を支える、「はっきり、素直に、曖昧でなく」、説明は同情や気休めでなく、「あなたは、大切な一人の人、決して一人でない、どんな人生にも価値がある」、「生まれてきて、おめでとう!!」。経験から発した言葉には、重みがありました。

 

 

シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』  座長報告
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
   守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 無責任な「告知」は患者さんに深刻な悪影響を与えます。にも関わらず、眼科医が網膜色素変性の患者さんに対して治療法がない、遺伝性である、進行性で失明する可能性があるの「3点セット」と揶揄されている安易な告知を行っている例が未だに散見されます。外来の3分診療の中、突然このような「告知」をされたら患者さんはたまりません。ショックと混乱で絶望してしまいかねないのです。

 本症の告知に関しては、これまでにも1)「眼科医にとってロービジョン対策以前の課題である(安達恵美子)」、2)「提供するデータを研究するのみではなく、得られた医学情報の伝達方法についても検討し、医療技術の一部として教育や研鑽に努める必要がある(岩田文乃)」などの考察がありましたが、臨床の現場に浸透しているといえる状態ではなく、眼科医の人間性も重要ですがそれだけでは不十分な気がしていました。

 シンポジウムの前には、障害児・障害を持つ親に寄り添いながら、よりよい告知のためのシステム作りに情熱を傾けていらっしゃる小川弓子先生の基調講演がありました。小川先生は、「医師は自分自身の人間性を振り返り日々研鑽が求められる」ともおっしゃられていました。 

シンポジウムでは3人のシンポジストにご講演いただきました。

1.当事者である竹熊さんは、16歳のときに自分と母親が別々に告知を受けたこと。自分に対する告知は見えにくくなることを差し迫ったものと感じさせない配慮があったが、母親は「3点セット」の告知を受けたと思われ、その後の嘆きが深かったこと。親の気持ちを慮るあまり、視覚障害者として生きていく選択ができなかったこと。今では三療の仕事に大きなやりがいを感じているが、ここまでくるのに25年もかかったことを話されました。人生の早い時期に告知されたが、病気の進行の予測がつかないために人生設計が難しかった面もあり、可能なら「何年後に視力が0.1くらいになる」といった予測を伝えてもらえると役にたつと思うと話されました。 

2.眼科医である守本先生は、希望に繋がるプラスの情報を多く示すことでショックを最小限に抑え、できるだけ平常心を保てる告知を目標とし、そのために心がけるポイントを話されました。治療法がない→治療に通わなくていい、進行性→事前に教わってゆっくり準備できる、遺伝性→誰のせいでもないなど、言い方を工夫する。光、栄養、規則正しい生活などで行動を制限しない(逆は過去の行為を後悔して苦しみかねない)。QOLの高い視覚障害者の生活を伝える。患者交流会なども知らせ、告知から生じがちな孤独感の軽減を図る。話しやすい主治医と思ってもらい、以後も質問に応じられることを伝えておく、などでした。 

3.20歳を過ぎたころに同病の父親から告知を受けた経験を持つ園さんは、JRPS主催の医療相談会で、我が子や、孫に遺伝しているかを気にした質問が多いことから、無症状の子供に診断を受けさせることの是非について発言されました。親が同病であるがゆえに子供がどうであるかを知るために眼科を受診する例が多いこと。小児期に診断を受けることでその後の人生において結婚や障害年金申請などさまざまな局面で不利益をこうむる可能性があることを知っておくべきであること。親の納得のためだけに診断を求めてはならないこと。一方、医師は、無症状の子供の診断を求める患者に対して、事前にこうした問題があることを助言することも必要なのではないかとも話されました。 

 3人のご講演の後に、意見交換を行ったところ、多くの真剣な発言がありました。視点ごとに発言を整理してみました。

【告知のショック】
・3点セットの告知はやはりショックが大きかった。しかし告知自体は受けて良かった。告知があったことで情報を得ようと努力することができた。:当事者
・告知はショックだったが、大手術の直後にRPの告知をすることは心の負担を増やすことになると考えて避けてくれた初診医の配慮が有り難くその後ずっと自分の心を奮い立たせるバネになっている。:当事者
・昔、友人が眼疾患の告知後に自殺した。告知と同時に前向きな情報が知らされていれば友人は死ななくてすんだはずだと思う。患者が残りの才能で何ができるか、を考えた上での告知が必要なのではないか。:眼科医 

【告知すべきかどうか】
・情報は患者のものである。:当事者・眼科医 双方から
・告知の職責が医師にはある。:眼科医
・告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか。:眼科医 

【告知の時期】
・確定診断がついた時点での告知が長期的にみて医師・患者双方にとってベストである。:当事者(支援者)
・思春期の告知は難しい面がある。親の対応についても助言が必要。:当事者・眼科医 双方から 

【遺伝の情報について】
・いろいろ考えたが、子供を産んでよかった。:当事者
・子供を産むかどうかの選択は正しい情報を持ったうえでおこなうべきで告知は必要。:当事者
・遺伝子異常は誰でもかならず持っているものであることは伝えたほうが良い。:眼科医
・遺伝の問題はデリケートであり、きちんとした相談のできるところに紹介したほうがよい。:眼科医 

【どのように伝えるべきか】
・3点セットがダメなのははっきりしている。:眼科医
・あいまいにしていることで次の段階へのスタートが切れない人がいる。:当事者(支援者)
・マイナスのコメントがすごい生活制限に繋がってしまう。:眼科医
・眼科医として、将来の夢を一緒に考えてゆく姿勢が必要。:眼科医
・障害があったらどうしたらよいかという情報が今はたくさんある。見えなくなっても一生読み書きできる。こういった情報を一緒に伝えるべき。:眼科医 

「少なくとも医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫であろう(眼科医)」というコメントもありました。今回のシンポジウムだけで結論の出るような問題ではありませんが、当事者、眼科医がそれぞれの意見をお互いに共有できた、非常に良い機会になりました。
 

【後 記】
 フロアーから、「告知をするかどうかでなく、どのように伝えるかが大事ではないか」、「医療者側には、遺伝カウンセリングの知識が必要」、「ピア・カウンセリングは効果あり」というコメントを頂きました。このシンポジウムは結論のないものだと思いますが、私は少なくても医師も告知について悩んでいるということを患者さんにわかって頂けたことは収穫かなと考えます。また患者さんばかりでなく、ストレスの多い医師に対するケアも必要と感じました。

 


 

 『新潟ロービジョン研究会2012』 (2) ITの発展と視覚代行技術 
基調講演1〜ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-
 渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)

【講演要旨】
 今でこそ日常的に使われているスクリーンリーダですが、これらが当たり前になるまでには要素技術開発の長い歴史と、先輩視覚障害者たちの多大なる苦労があったことを知ってもらいたかったというのが、技術者の立場としての渡辺が講演に込めた思いです。その講演の中では、音声合成の発達、6点漢字ワープロの開発、MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発という3つのテーマについてお話しました。それぞれのテーマごとに内容をまとめます。 

(1)音声合成の発達
 1791年、ハンガリーの発明家フォン・ケンペレンが開発した音声合成器は、人が声を出す仕組みをふいごと共鳴室からなる機械で真似たものでした。片手でふいごを動かして空気を送り、これがリードをふるわせ共鳴室の中で母音のような音になり、音の出口の開け閉めの工夫で子音を作ります。それから1世紀半を経た1939年、機械的な部品を全くなくし、電気回路のみで動作する音声合成装置VODERが開発されました。操作者は、点字キーボードに似たキーを打鍵して音素を選び、足下のペダルで声に高低をつけます。 

 この電気回路が集積回路に納められて、弁当箱サイズのケースに入って、外付け音声合成装置として市販されるようになったのが1980年代のこと。人の操作が不要になり、テキストさえ入力すればどんな文章でも発声できるようになりました。これを利用して、視覚障害者のための音声読み上げソフトウェアが日米それぞれで開発される時代を迎えたのです。その間、合成音声の音質も改善されてきました。抑揚がなく単調でいわゆる「機械的」だった音声が、文脈に応じて抑揚が付けられるようになり、今や人と機械の区別が付かないほどのレベルに達しています。高品質な音声は、今のスクリーンリーダにも使われています。 

(2)6点漢字ワープロの開発
 長谷川貞夫さん(元筑波大学附属盲学校教諭)には、二つの願いがありました。一つは点字印刷物を手軽に作ること、そしてもう一つは漢字仮名交じり文章の墨字を自分で書くことです。どちらも、情報の入手と発信を晴眼者と同じようにできないもどかしさに端を発しています。これらの願いが絵空事ではなく、実現可能なのではと思えるようになったきっかけは、1966年の新聞社見学でした。そこでは、もはや活字を手作業で並べてはおらず、キーパンチャーで文字を打ってコード化し、そのコードを自動植字鋳造機に入力して活字を作り、印刷をしていました。視覚障害者は手元を見ないでもキーを打つことができます。ならば、視覚障害者が漢字を入力するための仕組み(これが後に6点漢字となる)を作れば、自ら印刷できるのではないか。更に、パンチャーで打った普通文字のコードを点字に読み下すプログラムと点字印刷装置があれば、点字印刷物を複製できるのではないか。 

 そう思いついた長谷川さんは、コンピュータを使える場所や、プログラムができる人、印刷会社のコード、点字印刷装置などを求めて西へ東へ駆け回り、1973年に漢字仮名交じり文をコード化した紙テープから点字を印刷する実験に成功しました。翌1974年には6点入力した点字コードから漢字仮名交じり文を墨字印刷する実験にも成功しました。時代は下って1981年、かつて大型計算機で行ったことが、「パソコン」でできるようになり、6点漢字ワープロが完成しました。これに触発された高知盲学校の先生らが、地元のメーカと共同で開発したのが日本初の音声点字ワープロAOKです。これを製造・販売する高知システム開発は、PC-Talkerをはじめとするた視覚障害者用製品を多数世に送り出しています。 

(3)MS-DOSのスクリーンリーダVDMの開発
 斎藤正夫さん(アクセステクノロジー社長)は、真空管、トランジスタ、ICを自らいじるほどの機械好きでした。そして、人に頼るのがきらいな性格でした。1980年代初期にパソコンが広まりはじめると、純粋にこれを使いたいだけでなく、これで自分に役立つものを作れないかと考えました。しかし、パソコンを使おうにも、スクリーンリーダがまだない時代のこと。斎藤さんは、プログラムを頭の中で考え、これを全くフィードバックなしでパソコンに打ち込みました。うまく動いたら思った通りの音が出るが、一箇所でも間違っていたら反応しない。これを繰り返して、モールス符号で画面上の文字を音で出力するプログラムを作り上げました。当初はBASIC言語を使いましたが、それではほかのプログラムを音で出力してくれません。 

 そこで、マシン語によるプログラミングに取り組みました。このときも試行錯誤の連続、適当に命令を打っては結果を見て動作を推測しました。そしてパソコン購入から5ヶ月目の1983年12月、キーを打ったら即座に音が出るプログラムが完成したのです。その後、斎藤さんは、知人からの依頼に応じて、様々なパソコン機種と音声合成器へ対応したプログラムを次々と開発しました。このときプログラムに付けたファイル名がVDMです。VD は画面を音声出力するVoice Display、そしてMはマシン語に由来します。MS-DOSのスクリーンリーダVDM100は1987年11月~12月頃に完成しました。視覚障害者自らが開発し、改良の依頼に即座に対応するVDM100はユーザの支持を得て、広く普及しました。Windows環境においては、VDM-PC-Talkerシリーズとして使い続けられています。 

【略 歴】  渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 1993年 北海道大学大学院生体工学専攻修了
  同年  水産庁水産工学研究所研究員
 1994年 日本障害者雇用促進協会(現、高齢・障害・求職者雇用支援機構)
       障害者職業総合センター研究員
 2001年  国立特殊教育総合研究所(現在は、国立特別支援教育総合研究所)
       研究員~主任研究員
 2009年  新潟大学工学部福祉人間工学科准教授 

 視覚障害者を支援する機器・ソフトウェア等として、スクリーンリーダ(95Reader)、漢字の詳細読み(田町読み)、視覚障害者自身が描画可能な触覚ディスプレイ(mimizu)、点字点間隔可変印刷ソフトウェア、触地図自動作成システム(tmacs)などを開発してきた。調査研究として、障害者の就労支援、障害のある学生の就学支援、拡大教科書の普及などに従事してきた。 

 

 

シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』  座長報告
     座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
  渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
   基調講演1〜ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-
 
 三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   ロービジョンケアにおけるiPadの活用
 園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)  
   視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~

 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』は、ITを中心に、「作り手」(渡辺)、「作り手とユーザーの架け橋」(三宅)、「ユーザー」(園)がそれぞれにお話ししてくれました。シンポジウムの内容を座長報告として、お届けします。 

 渡辺先生の基調講演を受けて、お2人の講演と2題の質疑応答がありました。なお、ITはInformation Technologyの略で情報技術ですが、最近ではこれによるコミュニケーション(Communication)の要素を重要と考えることからICT(Information and Communication Technology)すなわち情報通信技術と呼ぶことの方が増えているそうです(それで園さんは抄録でもご講演でもこの略語の方を使われました)。当シンポジウムに関連しては、この2語を意味と思ってお読みください。 

 三宅先生はApple社製の多機能電子端末であるiPadを用いた新しいロービジョンケアの可能性についてご講演されました。近年のバージョンアップにより音声入力や音声読み上げ機能が改良され、音声メールや地図のガイドなど、さらに使いやすくなったそうです。また、先生は2011年の日本臨床眼科学会でiPad本体の背面カメラを利用した簡易拡大読書器としての有用性を報告されていますが、カメラの解像度の向上、およびiPadを外出先で使用する際の固定台の開発などにより、さらに実用性が高くなったようでした。今回のご講演ではいくつかの便利なiPadの使い方をご紹介くださいましたが、電子データの原稿を最適な文字サイズとレイアウトで表示される機能は好評で、拡大読書器でしばしば困難とされる改行の問題もかなり解決されるのではないかと考えられました。 

 このような背景を受けて、三宅先生はiPad関連の情報および視覚障害者向けの情報発信を目的とした情報発信サイトGift Handsを設立され、iPadを活用するための様々なアプリケーションの紹介や視覚障害者向けの各施設の案内等の情報を発信されています。その他に、iPadの直営店であるアップルストア(銀座)ほか多施設で、視覚障害者に向けたiPadの活用方法の体験セミナーを行うことで、より多くの視覚障害者にとってiPadが現実的なロービジョンエイドとして機能するかを実体験できるセミナーを企画されており、これらの活動の一部を報告されました。ご講演の後、固定台にiPadを設置してのデモンストレーションをされ、盛況でした。iPadの注目度がうかがえました。 

 園さんはお若い頃からの興味がお仕事にも結びつき、システムエンジニアとして生計を立てられました。パソコンを使いこなして情報を収集、発信し、自身の日常生活に役立てるばかりか、ロービジョン者のためのパソコン普及活動や機器展示会のお世話などもして来られました。一般のパソコン教室ではキーボード中心の操作方法を教えられないため、ロービジョン者を対象とした教室を開設し、指導者の養成もされたそうです。機器展示会への集客力は大変なものだった、とのことでした。また、ロービジョン者向けの機器の開発でも当事者としての提案をされ、例えば音声で電話をかけられるピッポッパロットができました。途中、園さんが日常、愛用されているスマートフォンや使い勝手を試してみられている iPadなどを取り出して、一部を披露されました。最後に、「墨字での文字処理が困難なロービジョン者にとって、パソコンほど便利な道具はなく、自分はICTの時代になったからこそしたいことができた」と括られました。 

 討論では、機器メーカーの方からの「音声パソコンの開発や普及を頑張って来たが、この調子ではパソコンはiPadに取って代わられるのか」というご質問に対して、渡辺先生は「機能による使い分けをすればよくそれぞれが有用」、三宅先生も「iPadは携帯性に優れ、場所を選ばず使えるという点て有益だがパソコンにはパソコンの良さがある」、園さんも「iPadではできないことがまだまだあり、多くの量をこなす仕事ではパソコンが欠かせない」という風に、いずれも両者がぞれぞれの特徴を生かした形で生き残り、ユーザーは便利に使い分ければいい、というお答えでした。また、主催された安藤先生が「今回、講師が開発、普及、ユーザーとバランスよく3者揃った。今後、どのような展開を考えておられるかといった展望を一言ずつうかがいたい」と言われたのに対して、お3人とも現在の活動を継続し、より発展させていきたい旨のご回答をなさり、頼もしく思いました。


【後 記】
 ITを中心に、「作り手」「作り手とユーザーの架け橋」「ユーザー」がそれぞれにお話ししてくれました。スクリーンリーダーの開発に携わった渡辺先生の音声合成器の開発、大きな驚きでした。実演は記憶に残りました。
 三宅先生は、「視力じゃない、記憶だ」「記憶 情報 想い」金言を取り混ぜた印象に残るプレゼンテーションでした。
 園さんの(失明に向かう自分をワクワクしていた)と言うコメント、毎回ですが凄いなと思いました。
 
作り手/架け橋はユーザーのニーズを如何に聞き出す(探り出す)かがポイントだと感じました。またユーザーは如何に思いを作り手に伝えるかが大事と思います。ただ、製品となると採算がとれるのかが企業側としては欠かせない点ですので、現在の現物支給の福祉行政そのものが問われなくてはなりません。

 

 

『新潟ロービジョン研究会2012』  
  日時:2012年6月9日(土)13時15分~18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

1.シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
     座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
 1)基調講演 (50分)
   演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
   講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2)私のIT利用法 (50分)
   「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)

 

『新潟ロービジョン研究会2012』 (1)「網膜変性疾患の治療の展望」
特別講演 小沢 洋子
 慶應義塾大学医学部眼科学教室 網膜細胞生物学研究室
 「網膜変性疾患の治療の展望」
 

【講演要旨】
 網膜変性疾患に対する治療は、古くから課題とされているにもかかわらず、未だに広く普及した方法はないのが実情である。その一つの理由は、網膜は、脳とともに中枢神経系の一部であるためであろう。20世紀初頭にノーベル生理学・医学賞を取ったカハール博士は、“成体(大人の)哺乳類の中枢神経系は損傷を受けると二度と再生しない”と述べた。確かに、中枢神経系では組織の再構築は簡単には行われない。

 しかし、21世紀に入ると、この言葉が必ずしも真実ではないことが明らかになってきた。成体の脳や網膜内にも、刺激に反応して増殖する細胞があることが、報告されるようになってきた。とはいえ、疾患により広く障害された部分を補てんするほどの細胞が、次々と生まれるというわけではない。すぐに医療に応用することができるわけではなかった。しかしながら、このような生物学の発展は、もしかしたら、研究を重ねればこれまでありえないと思っていたような新しい方法を生み出せるかもしれないという、可能性を信じる心を、我々に持たせてくれることになっていると思う。

 さて、もともと網膜にある細胞を、網膜の中で増殖させて網膜を再構築するのが細胞数の関係から難しいのであれば、移植手術をしてはどうか、と考えるのは順当であろう。これまでには、胎児網膜細胞、ES細胞、iPS細胞などを利用した研究が動物実験で行われてきた。元来、網膜は視細胞などの神経細胞と、神経由来であるが成体になってからは視細胞のサポート細胞としての性格を持つ網膜色素上皮細胞がある。

 視細胞に関する移植研究では、2006年のマウスの研究で、移植した胎児の視細胞がきれいに組織に入り込み生着したことを喜んだことは記憶に新しい。そのうえ、最近では、移植した神経細胞が、網膜内でシナプスネットワークを作り、ホスト網膜とつながりうることが確認されるようになった。ただし、まだ、機能回復を得るには至っておらず、疾患治療を目標にできるほどの大きな効果は得られていない。現時点ではこれを医療に持ってくるにはまだまだ距離があり、今後も長年にわたる研究が必要であろう。

 一方、網膜色素上皮細胞に関しては、ES細胞やiPS細胞等を用いた移植への道が、一歩一歩進められている。試みに、ごく少数のヒトへの移植が行われたという報告が見られるようになってきた。しかし、多くのヒトが、安全性と確実性を持って治療されるには、まだまだ越えなければいけないハードルが存在するであろうことは、想像に難くない。

 このような中で、iPS細胞の開発は、移植以外の治療の可能性も生み出したといえよう。それは、神経保護治療である。神経保護治療に関しては、すでに国内外でも網膜色素変性症に対して治験が行われている。UF-021(オキュセバ)といった薬剤や毛様体神経栄養因子(ciliary neurotrophic factor; CNTF)が、試験的に投与された。これらの薬剤が本格的に使われるようになるには、さらなる注意深い研究が必要である。また、この2剤だけですべてが解決できるとは限らないので、今後も研究の幅を広げる必要がある。

 iPS細胞は、この神経保護治療の研究に、大きな貢献をする可能性を持つと考えられる。特に遺伝子異常による疾患の場合、大きな威力を持つだろう。ヒト疾患の研究は、その臓器の検体を元に研究を進めたいところである。しかし、網膜を採取することはその部分が見えなくなることにつながることから、採取するわけにはいかない。また、がん細胞などと異なり、少量取り出したものをどんどん増殖させるというわけにもいかない。

 しかし、患者遺伝子異常を持つiPS細胞を患者皮膚細胞などから樹立(作成)し、それを網膜細胞に分化誘導させれば、患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を、継続的に培養することができ、何回も研究することに使えるということになる。この方法により患者遺伝子異常を持つ網膜細胞を得ることは、疾患メカニズムを解析したり、候補薬剤のスクリーニングをしたり、といった研究を進める第一歩といえよう。

 我々の研究室でも、実際に網膜色素変性症患者の皮膚細胞(網膜細胞ではなく)を採取させていただき、これを用いた研究を開始した。研究成果が蓄積されることで、臨床現場に還元できるとよいと、心から願う。薬剤の候補が見つかったらすぐに臨床に応用できるわけではないが、一歩一歩、堅実に進みたいものだと思う。

 多くの研究結果が蓄積されることで多くの効果的な薬剤が生まれ、遺伝子診断の確実性も増し、法的整備も進められた暁には(これは何十年も先のことになるかもしれないが)、診断がついたらすぐにでも神経保護治療を開始し、生活に不都合のあるような視野異常を生じないような予防をしたいものである。遺伝子異常があっても網膜異常を生じない世の中が来ることが理想であり、その実現を切に願う。

【略歴】
 1992年   慶應義塾大学医学部卒業 眼科学教室入局
 1994年   佐野厚生総合病院 出向 
 1997年   慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手
 1998年   東京都済生会中央病院 出向
 2000年   杏林大学医学部 臨床病理学教室 国内留学 
 2001年   慶應義塾大学医学部 生理学教室 国内留学 
 2004年 4月 川崎市立川崎病院 出向 医長
 2004年10月 慶應義塾大学医学部 生理学教室 助手
 2005年 4月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 助手 
 2008年10月 慶應義塾大学医学部眼科学教室 専任講師 
 2009年 4月 網膜細胞生物学研究室 チーフ (兼任)
 

【後 記】
「神経は損傷を受けると再生しない」というCajal(1928)の呪縛から抜け出しつつある現在の状況を教えてくださいました。本当は難しいお話を素人にも判りやすく語って頂き流石でした。遺伝子治療や薬物治療は、多施設での研究が必要。iPS細胞の研究、薬の開発に適している。神経保護治療は、長期観察を要する、根気が必要。拠り所が判っていることが後ろ盾となる、、、ナルホド・ナルホドと合点しながら拝聴しました。

 

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 『新潟ロービジョン研究会2012』  
  日時:2012年6月9日(土)13時15分~18時50分
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室

【プログラム】
 12時45分 開場 機器展示
 13時15分 機器展示 アピール
 13時30分 シンポジウム1『ITを利用したロービジョンケア』
     座長:守本 典子 (岡山大学)  野田 知子 (東京医大)
 1)基調講演 (50分)
   演題:「 ITの発展と視覚代行技術-利用者の夢、技術者の夢-」
   講師:渡辺 哲也 (新潟大学工学部福祉人間工学科)
 2)私のIT利用法 (50分)
   「ロービジョンケアにおけるiPadの活用」
      三宅 琢 (眼科医:名古屋市)
   「視覚障害者にとってのICT~今の私があるのはパソコンのおかげ~」
      園 順一  (京都福祉情報ネットワーク代表 京都市)
 3)総合討論 (10分)

 15時20分 特別講演 (50分)
    座長:安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
  演題:「網膜変性疾患の治療の展望」
  講師:小沢 洋子 (慶応大学眼科 網膜細胞生物学斑) 

 16時20分 コーヒーブレーク & 機器展示 (15分)

 16時35分 基調講演 (50分)
    座長:張替 涼子 (新潟大学)
  演題:「明日へつながる告知」
  講師:小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 17時25分  シンポジウム2『網膜色素変性の病名告知』
  座長 佐渡 一成 (さど眼科、仙台市)、張替 涼子 (新潟大学)、守本 典子 (眼科医:岡山大学)
    「眼科医はどのような告知を目指し、心がけるべきか」
   園 順一 (JRPS2代目副会長 京都市)
    「家族からの告知~環境と時期~」
   竹熊 有可 (旧姓;小野塚 JRPS初代会長、新潟市)
    「こんな告知をしてほしい」
  コメンテーター
   小川 弓子 (小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園 園長) 

 18時35分 終了 機器展示 歓談&参加者全員で片づけ 
 18時50分 解散

 

 機器展示
  東海光学株式会社、有限会社アットイーズ、アイネット(株)、
  
株式会社タイムズコーポレーション、㈱新潟眼鏡院

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 眼科治療にも関わらず視機能障害に陥った方々に対して、残っている視機能を最大限に活用して生活の質の向上をめざすケアを「ロービジョンケア」といいます。済生会新潟第二病院眼科では、眼科医や視能訓練士、看護師、医療および教育・福祉関係者、そして患者さんと家族を対象に、2000年1月から年に一度、だれでも参加できる「新潟ロービジョン研究会」を開催しています。

 2012年6月9日、済生会新潟第二病院で『新潟ロービジョン研究会2012』が開催されました(今回で12回目)。「網膜変性症治療の展望」、「ITによる支援」、「告知」のテーマで講演とシンポジウムが行なわれ、新潟県内外から120名(県内70、県外50;内訳~医療関係者60名・研究・教育関係者40名・当事者・家族20名)が参加しました。

 

【総括】
 今年も充実した研究会を開催することが出来ました。今回で12回目になります。私にとっては、慌ただしく過ぎ去った怒涛の1日でした。ああすれば良かった、この人ともう少しお話ししたかった という悔いばかりが残っています。
 
当初よりこの研究会は、医師や医療関係者のみでなく、当事者・家族、そして多くのサポートする方々が一堂に会して討論することを信条にしてやって参りました。今回も新潟県内外から120名が参加しました。その時に一番関心のあることをテーマに選びますが、今回は「視覚障害者へのITによるサポート」「網膜変性治療の最前線」「病名告知」と3つテーマを選びました。欲張ったために討論の時間が十分に取れなかったことが反省点です。片道分の交通費で出演を承知して頂いた講師・座長・シンポジストの皆様に、改めて御礼申し上げます。