演題:「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
講師:田中正四 (胎内市)
日時:平成27年12月02日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
私の所属する(新発田音声パソコン フィンゲル)は、1996年に寄贈された1台のデスクトップパソコンと五名の視覚障がい者と五名のボランティアスタッフにより音声ワープロ教室としてスタートした。
翌年には、市内のサマーキャンプ・フェスティバルに参加し、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を精力的に取り組み、同年には、市内の商業高校の文化祭にて、音声パソコンによるデモ実演を成功させるに至った。以来、今日まで地域の小・中学校を主とした学校訪問を(出前授業)と称して継続してきたが、歴史の長さと共に近年では諸問題に直面する事となった。
今回私の報告は、その歴史と先輩諸氏の努力により築き上げた(出前授業)の変化と、地域独特の活動の困難を乗り越え、さらには、ボランティアスタッフの減少の中で、障がい者自から取り組んだ数々の工夫と改革の一例を紹介するものである。
その改革は、2012年に指導や運営を担っていただいたスタッフの退会により、(出前授業)の依頼の日程調整から、授業内容の決定、メンバーの構成と時間配分にいたるまで、私達障がい者の手で立案し、実践する事となったのである。(出前授業)では、視覚障害の解説や、日常生活の様子、白杖や盲導犬の有効性などが主な内容であるが、小、中学校の子供たちに障害の理解と工夫や努力を伝えるためには、作文を読むような内容では、理解されない。回数を重ね、反省と改善により、毎回の(出前授業)では、アイディアいっぱいの説明が聞かれるようになった。
私は会社務め時代に学び得た(計画・実行・確認・改善)のサイクルを繰り返す事の重要性を再認識させられた。そんな仲間達の改善例を紹介したい。
その1)子供達を集中させるために、ゲームやクイズで声を出させ、体を動かして、やわらかな雰囲気を作る。しかし、このゲームやクイズは、答えの中に視覚障害に対する思いや声かけの必要性、又、覚えてほしい事などを織り込むのである。
その2)家庭生活の様子では、いかに上手に料理ができるかの説明だけではなく、(少しくらい大きさが異なっていても、口の中に入れれば、おんなじ食べ物ヨ。)と、障害であるために時には、寛容な考え方もしなくてはならない事を理解させる。
その3)音声パソコンを指導する仲間は、あえて画面をクローズし、音声を聞いて文字を聴きとらせ、簡単な文章を完成させる。必ず2~3人のグループで構成し、数回の予習復讐ができるように工夫を加える。
その4)白杖、盲導犬の解説では、その有効性に加え、思わぬ危険性やお願い事項を織り込んで説明する。例えば、白杖での歩行時のヒヤリ体験や(盲導犬は、信号の色が判断できない)などと、安全確保の重要性や意外な事などを紹介するのである。
その5)視覚障害の説明では、小学校の高学年や中学生には、統計的数字を加えた説明を行い、印象深い説明を心がける事ができた。
さらに、今年から取り組んだ事として、障害経験の浅い会員にも(出前授業)に参加していただいた。経験の浅い人の苦労話や、失敗談が子供たちに視覚障害をより理解して貰えると考えたのである。もちろん、本人と家族の了解のもと同意を得て、奥様にも同席していただいた。(階段で転倒した事・食事のおかずを全てご飯に乗せてドンブリ飯にした)と失敗や食事の楽しみを失った事を説明し、奥様からは、(階段を腕を組み、数えながら一緒に上った。仕切りのある食器を用意して、時計方向におかずを説明した。)などと家族の工夫を話していただき、私達も初心に帰った思いであったし、子供たちには当事者と、家族や周囲の協力、そして、本人の努力が重要である事を教える事が出来たと考える。
現在、次年度の目標も検討中である。現在ブラインド体験や、誘導歩行の説明を晴眼者にお願いしているが、説明解説を私達自身で実践したい。又ブラインド折り紙などにより、その困難性やカン・コツをポイントで説明できないもか検討中である。さらには、盲導犬のスーツ・ハーネス等の意味や必要性、加えて補助犬法についても解りやすい解説ができたらと考えている。
フィンゲルの(出前授業)のカリキュラムは多種であるが、学校や地域の求めに応じてさらに可変的に対応したいものである。今回の私の報告内容は、決してめずらしいものではないが、参加していただいた方や、読んでいただいた皆様の参考になればと願うものです。
【略 歴】
1952年 長岡市(旧越路町)生まれ
1968年 日立制作所入所
2003年 腎不全により透析開始
2007年 視覚障害1級
2007年 日立製作所退社
2010年 盲導犬貸与される
【後 記】
盲導犬が5頭参加しての勉強会。何よりも、田中さんお話を聞いている時の参加者の楽しそうな笑顔が印象的でした。
いつも田中さんは、つかみが上手い。今回の講演はこんな小噺から始まりました。「以前、初孫が大きくなったらおじいちゃんの眼を治してあげると言っていたが、今は断念したようだ。そのかわり二人目の孫が、将来は消防士になりたいと言い出した。「消防士になるなら、イッパイ勉強しないといけないよ」と言ったら、『消防士になれなかったら医者になる』と言っています。」
今回のお話で、障がい者理解の浸透を目的に学校訪問を、自ら工夫を重ねて精力的に取り組んでおられていることを知りました。素晴らしい活動です。応援したいと思います。
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
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平成27年01月23日(土) 14時半開場 15時~18時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 予定
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/4209
15時~16時30分 座長 長谷部 日(新潟大学医学部眼科)
演題1:「好きこそものの上手なれ;Tell it like it is !」
講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
http://andonoburo.net/on/4223
16時30分~18時 座長 安藤伸朗(済生会新潟第二病院眼科)
演題2:「医療における心」
講師:出田 秀尚(出田眼科名誉院長)
http://andonoburo.net/on/4243
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平成28年02月17日(水)16:30~18:00 *第3水曜日です
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題1:「女性にとってお化粧とは何でしょう?」
講師:若槻 裕子(新潟市)
演題2:「私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現」-ブラインドメイクの出会いから1年ー
講師:岩崎 深雪(新潟市)
平成28年03月09日(水)16:30~18:00
第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
関 恒子(長野県松本市)
平成28年04月13日(水)16:30~18:00
第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「盲学校理療教育の現状と課題
~歴史から学び展望する~」
小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室)
平成28年05月11日(水)16:30~18:00
第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「嬉しかったこと、役立ったこと」
大島光芳(上越市)
演題:「臨床からの学び・発展・創造・実現」
講師:郷家和子(帝京大学)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
1.視覚欠陥学講座との出逢い
学部3年生からの専門課程には教育哲学・行政学・社会学・心理学の4学科があり、その中の心理学科心身欠陥学視覚欠陥学講座を選択した。その理由は、1963年作家の水上勉氏が重複障害児への療育サービスを求めた「拝啓池田総理大臣殿」という公開状(中央公論6月号)や島田療育園を見学した兄の話からの影響、さらに進路選択での視覚欠陥学講座の小柳恭治助教授の助言等であった。
2.東北大学教授時代の原田政美先生
原田先生は、1965年に東京大学医学部附属病院から視覚欠陥学講座の教授として赴任された。赴任以前から眼科のリハビリテーションに関心を示され、すでに弱視レンズの開発・普及に取り組まれていたし、大学においても小柳助教授とともに東北大式盲人用レーズライタを考案された(1967年東北大学教育学部研究年報:「盲人用レーズライタの試作とその性能に関する実験」)。
先生からは眼科に関する医学的な基礎知識や種々の検査技術、アメリカでの晴眼児と視覚障害児の統合教育についての演習、宮城県内の視覚障害者判定業務である巡回相談に同行し現場での診療や相談のあり方に関する臨床学習も体験させていただいた。先生は常に物事を考える際に「Neues(新しいこと) は何か。」、また「それは視覚障害者・児に役立つ実践的な有効な方法および補助具になり得るのか。」を検証するよう求められた。
なお、先生は大学を3年勤められた後、美濃部都政2年目の1968年に民政局技監として心身障害者福祉センターの初代所長職に就かれ、リハビリテーションの分野に身を置かれることになった。
3.東京都心身障害者福祉センターの職務内容
当時センターは1)障害者更生相談所業務、2)リハビリテーション業務、3)地域支援業務、4)開発業務等を職務とする全国でも最先端の施設であった。開発業務で生まれたロービジョン者向けの視覚補助具には、拡大読書器と遮光眼鏡がある。拡大読書器は1971年に視覚障害科科長村中義夫氏と株式会社ミカミとの共同開発により製品化され、1993年に日常生活用具に指定された。遮光眼鏡は1989年にレンズメーカー・ホヤと共同開発し、1992年に補装具として認定された。
4.センターでの訓練・支援業務
私が係わった訓練および支援業務で特に印象深い8事業を年代順に紹介したい。
1)視覚障害者電話交換手養成訓練(1971年)
視覚障害女性の経済的自立を目的とした職業訓練の電話交換手養成に携わるために1ヶ月間電話交換手養成機関で学び資格を取得した後、センターの電話交換機保守点検担当電話局から交換機2機の寄贈を受け訓練環境を整備した。視覚障害者の着信ランプ確認速度を高めるために感光器(ライトプルーブ)をセンター内併設財団法人心身障害者職能開発センターとの協力により開発した。
電話交換手は当時視覚障害者の新職業として関心がもたれ、訓練を受けるために都内に住所を移動する方々が少なくなかった。1960年に身体障害者雇用促進法は制定されていたが、弱視者の就職に比して全盲者は困難であった。
この養成訓練は一定の成果を得たことにより、開始2年後に上記の併設心身障害者職能開発センターに業務移管され、視覚障害科での養成訓練事業は終了した。
2)盲人用読書器オプタコンによる指導(1974年)
オプタコンは1971年にアメリカで開発され、1974年に日本に導入された。この器機は紙面上の文字を小型カメラで捉え、その文字の形を人差し指の指先位の大きさの触知盤に表示されるピンの振動パターンに変換して呈示するもので、視覚障害者が普通の文字をそのまま読めるという画期的な器械であった。文字ではなく世界初の楽譜読みの指導法を開発したことは、私にとって大きな誇りとなっている。
オプタコンは視覚障害者の職域拡大や中途失明者の現職継続を可能にし、かつ現在でも種々の場面で使用され続けているものの、技術の進歩により音声パソコン使用へと大きく変遷した。
3)視覚障害者の司法試験受験時間延長への支援(1978年)
司法試験管理委員会宛に強度の弱視者2名の受験に際して拡大読書器・弱視眼鏡の持ち込みと受験時間延長の必要性について、実証研究の結果を受験者の要望書に添えて提出した。2名は補助具の持ち込み及び試験時間の1.5倍延長が認められた。
これ以降、大学入試や公務員試験等でも補助具持ち込みの弱視者に対する試験時間延長が一般化し、試験の延長時間は全盲1.5倍、弱視1.33倍とされた。
4)網膜色素変性症者支援(1988年)
センター来所の網膜色素変性症者への精神的な支援が必要との判断から、障害福祉サービスの情報提供とグループ別懇談をセットにした懇談会を9年間毎年3回実施した。より充実した懇談会発展のために10回のピアカウンセラー養成講習会を開催し、個別支援援助の手法学習会も設定した。
事業終了後は、センター方式のピア懇談会や種々の自助グループ設立へと継続され、活動を続けている。
5)「視覚障害理解」の出前講習会(1995年)
講習会は3年間にわたって、希望病院の医療従事者を対象に業務終了後出張して実施した。身体障害者手帳取得後の福祉サービス、病院内誘導法、視覚補助具やADL関係の便利グッズの紹介等を行った。看護師が失明した入院患者さんに持参した用具を試用し、見えなくてもできることがあると新たな生活の再構築を目指す生活訓練施設入所まで発展した事例もあった。
6)指定医講習会開催(2003年)
指定医に補装具取り扱い改正等に関する情報提供の必要性があると考え、指定医を対象とした定期的な講習会開催を提案した。以来センター主催で身体障害者指定医講習会が毎年実施され、併せて身体障害者手帳診断書作成の手引き書が指定医に配布されることとなった。
7)補装具遮光眼鏡給付対象者の要件改正(2010年)
補装具遮光眼鏡の適用範囲は、1991年網膜色素変性症に限定、2005年に網膜色素変性、白子症、先天無虹彩、錐体杆体ジストロフィーに拡大されたが、遮光眼鏡が他の眼疾患にも効用ありとの論文が多数発表された。2006年に日本ロービジョン学会内に岡山大学守本典子眼科医と大阪医科大学眼科中村桂子視能訓練士と私の三人で補装具遮光眼鏡検討委員会を立ち上げ疾患名廃止への検討を重ね、その後厚生労働省に補装具遮光眼鏡検討委員会7名の名で4疾患以外への適用要望書を提出した。厚生労働省との膨大な量の交信を3年余行い、2010年3月31日に厚生労働省から疾患名の廃止という一部改正の通知が発出された。
8)教材・教具・指導書等刊行物
所属部署では視覚障害児者のさまざまな指導訓練に関する専門技術の確立と体系化の成果を技術書として刊行した。福祉保健局長賞受賞刊行物には、1991年「弱視レンズの選択と指導」、1994年「ガイドヘルパーの技術書」、2005年「身体障害者福祉法・知的障害者福祉法実務手引き書」がある。
5.まとめ
私は原田先生ご在職中のセンター、まさにリハビリテーション業務の最盛期に在職したことで、利用者の方々から多くを学び同僚と議論しあいスーパーバイザーから指導を受け、常に新しいことに挑戦し続けられたという幸運に恵まれた。臨床で提示された課題から解決に向けてこれまでにはなかった発想から指導法を考案し実現できたときには、役に立てたという安堵感とともに次の仕事への活力を得ることができた。本年ノーベル医学・生理学賞を受賞された大村智(さとし)氏が「研究は研究のためにやるのではなくて、人に役立つ、人のための研究をすることが大事」と言われたが、まさに原田先生からの教えを聞く思いであった。
現在視能訓練士を目指す学生たちの教育に携わっているが、患者さん一人ひとりのために何をすべきかを考え実践できる精神を持ち続けられる学生を育成するためにも、私自身もさらに研鑽・努力していきたい。
【略 歴】
1971年 東北大学大学院教育学研究科修士課程修了
1971年 東京都入都(心身障害者福祉センター)
1973年 ドイツ Bethel(重度障害者施設)研修
2004年 東京都身体障害者福祉司
2009年 帝京大学医療技術学部視能矯正学科講師
2013年 日本ロービジョン学会理事
2014年 帝京大学医療技術学部視能矯正学科非常勤講師
現在にいたる。
【後 記】
郷家先生に講演を依頼したのには目的がありました。
東北大学教育学部に存在した「視覚欠陥学講座」は、日本で一番最初にできた視覚リハビリテーションを研究する講座です。その初代教授の原田政美先生は、東大眼科の萩原朗教授門下で斜視弱視を研究していた眼科医。萩原教授の退官と共に、東北大学教育学部の教授に就任しています。そこで行ったことは、視覚障害者のためのリハビリテーション。私が知る限り、我が国の国立大学でこの分野では草分けです。神経眼科で有名な桑島 治三郎先生も東北大学教育学部視覚欠陥学講座の教授です。一流の眼科医が視覚リハビリの研究をしていたことに感嘆しました。
今、原田政美先生を知る人は少なくなりました。そこで東北大学での愛弟子であり、東京都心身障害者センターでも一緒に仕事をなされた郷家先生に、原田政美先生、東北大学教育学部視覚欠陥学講座のことをお話し下さるようにお願いしました。
郷家先生は、このような無理なお願いにもかかわらず、丁寧に欠陥学講座のこと、原田先生のことをお話しして下さり、そしてご自身が関わってきた視覚障害リハビリのお仕事をお話しして下さいました。実は、この部分がとても魅力的でした。
素晴らしい講演でした。アッという間の50分でした。常に患者さんの一人一人のためを思い続けて研究してきたこと、新しいものを求め続けたこと、大いにインスパイア―されました。
郷家和子先生の益々のご発展を祈念致します。
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年12月02日(水)16:30~18:00 *第1水曜日です
第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
田中正四 (胎内市)
http://andonoburo.net/on/4152
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
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平成27年01月23日(土) 15時半開場 16時~19時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
出田 秀尚(出田眼科)
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/3813
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平成28年02月17日(水)16:30~18:00 *第3水曜日です
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
若槻 裕子・岩崎 深雪 (新潟市)
平成28年03月09日(水)16:30~18:00
第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
関 恒子(長野県松本市)
平成28年04月13日(水)16:30~18:00
第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室)
【目の愛護デー記念講演会 2015】
「眼を見つめて50年ー素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
講師: 藤井 青(ふじい眼科)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
演者が眼科医となって約50年になるが、この間の眼科学の進歩には誠に目覚ましいものがあった。医療現場にも新しい検査法、検査機器が導入され、多くの疾患概念が塗り替えられた。当然のことながら治療法も変わった。処置や手術法も日進月歩の変遷で、眼科医療は所謂「レッドアイクリニック」から「ホワイトアイクリニック」へと一変した。しかし、この素晴らしい医学の進歩が現実の医療に本当に生かされているのか? 過去を顧みながら日常的な問題について、いくつか振り返ってみた。
今回の研究会の参会者は眼科医療従事者でなく一般の方だったので、まず現在の眼科医療の実態を過去と比較しながら説明、その後、医療現場でよく遭遇する眼科医療の問題について検討した。徒然なるままに、さまざまな話に脱線しながらの講演であったが、日常的に経験する点眼薬治療における問題点を中心に以下に要約する。
薬剤が病巣部に効率良く到達し、関係のない組織には行かないというのが薬物療法のポイントである。全身投与では薬剤は主に血液を介して病巣部へ運ばれるが、全身への副作用が懸念されるだけでなく、眼内には血液に対するいくつかの関門があるので効率が悪い。眼疾患では点眼が薬物療法の基本となる。50年前には想像できなかったほど多くの点眼薬が開発され、様々な病変に対応できるようになった。しかし、実際に適切に使用され、治療効果が得られているのであろうか?という疑問がある。
1)処方した点眼薬の使用量(残薬)のチェックが必要!
結膜嚢の中に入る液量はたかだか30㎕。点眼瓶の形状や材質にもよるが、ここからの1滴は約50㎕とされるので、点眼量は1滴で十分ということになる。
点眼液量を増やしても眼外へあふれ出るか、涙液と同様に、瞬目によって涙点から涙嚢、鼻涙管、鼻腔へと排出されてしまう。点眼量を増やしても効果が期待できないだけでなく、鼻腔などからの吸収による全身への副作用が強まる危険がある。点眼薬がすぐなくなるという人にはきちんと点眼方法を指導する必要がある。一方、残量の多い人も少なくない。点眼忘れもあるが、極端に結膜嚢に近づけて点眼するために、一度結膜嚢に入った薬液を点眼瓶のスポイト作用で再吸引して、薬剤が汚染されている場合があるので注意したい。
処方後の経過日数からして残薬があるとは思えないのに薬が無くなりそうで再来したという人もいる。少なくとも開封して1ヵ月以上経過した点眼薬は捨てるように指導したい。
2)点眼薬の性質、効能効果と副作用の観点から点眼方法を再考する!
①薬剤ごとに異なる点眼回数
点眼薬の濃度は、一般に眼内の最高濃度が最少有効濃度の5~6倍程度になるように設定されているが、最少有効濃度までに低下する時間は、薬剤と作用すべき眼組織によってそれぞれ異なる。そのため1日の点眼回数は薬剤ごとに異なっている。1日2回しか点眼できない事情のある人には、1日4回用の薬を2回点眼するよりは1日2回点眼でよい薬剤を選択すべきである。
アドヒアランスの問題もあり、点眼回数の少い薬が増加、配合剤の開発も進んでいることは喜ばしいことではあるが、点眼回数の少ない薬の中には水に溶けにくく吸収されにくいものがあるので、他剤との点眼間隔や順序に対する配慮が必要である。
②多剤点眼の場合の点眼順序
水溶性点眼薬同士であれば、より効果を期待したい薬を最後に点眼する。水溶性点眼薬と懸濁性点眼液であれば水溶性を先に点眼する。懸濁性点眼液やゲル化する点眼液は最後に点眼する。
③点眼後両閉瞼、涙嚢部圧迫、2剤以上点眼では5分間隔を間けるという方法が本当にベストか?
点眼薬が2種類、時に3種類以上処方されることがある。点眼直後にかなりの量の薬が涙嚢に吸い込まれ、さらに点眼の刺激で涙が出て結膜嚢内の薬物濃度は急激に薄まる。点眼直後に50%程度に減少するが3分後でも⒑%程度は残っているといわれている。結膜嚢内に未だ残っている薬剤を次の点眼薬で洗い出さないために5分位間隔を開ける必要がある。
全身への副作用の懸念される点眼薬では、薬の効果を高め、副作用を減らすためには、薬が涙嚢に吸い込まれないように工夫する必要がある。これには点眼直後に両眼を閉瞼し、眼と鼻の間の涙嚢の上を指で押さえる方法が推奨されている。演者もβ遮断点眼薬の全身性副作用の回避のため、この方法を追試したことがある。そして、この方法の有効性は確認できたが、同時に、患者自身に行ってもらった経験では、涙嚢部が正確に同定できないために指の動きで涙嚢にポンプ作用が起こり逆効果となるという不確実性も体験している(ß遮断剤チモプトール点眼の全身への影響と対策 —特に点眼方法について—,眼臨,1198ー1201,1984)。現在、演者自身は両眼の閉瞼のみを指示している。
3)緑内障の点眼薬治療における問題点
・ リズモン TG、チモプトールXE、ミケランLA、エイゾプトなど、水に溶けにくく吸収されにくい薬剤の点眼の留意事項は前項で述べた通りであるが、通常は単剤投与されるので問題ない。
・点眼方法に於ける一般的留意点も前項で述べた通りである。
・問題点は、現在第一選択として評価されているプロスタグランジン関連製剤の点眼方法である。
特に調剤薬局(特にまじめなスタッフの多い薬局)における点眼指導が時に問題になる。眼圧下降の得られない患者にどのように点眼しているか聞き直すと、点眼後まもなく風呂に入り顔を洗っているという人が結構いる。薬局などでかなり強調して説明を受けている例もあるようである。青い目で肌も白い人種と違って日本人ではさほど強調すべき副作用であろうか? 治療の目的を理解して本末転倒にならないような説明を期待したい。
一方、本剤の無効例があることが知られているためか簡単に他系列の薬剤に切り替えられことも少なくない。しかし、緑内障の治療は一生続く治療である。有力な治療薬を簡単に無効として切り捨ててよいものであろうか? もしかしたら点眼方法が不適切であったということはないか? 再検討する必要を強調したい。
4)薬の名前がわからない(・・・色の薬がほしい)
・患者さんにとって薬の名前を正確に記憶することは至難なことではないか? 一番多いのが青色の薬 が無くなったというような色による情報だが、瓶の色であったり袋の色であったり、キャップの色で あったり、掴みどころがない。我々としては一日4回点眼の薬? 2回の薬? などの質問で絞ってさらに写真や実物を見せて確認するしかないが、後発薬品が際限なく増加するとお手上げになる。
5)後発医薬品とはなにか? 日本の眼科医療における問題点
・日本の後発薬品と欧米のジェネリック医薬品とは異質なものである。欧米のジェネリックは主成分だけでなく添加物なども先発薬剤と全く同じものだが、日本は主成分が同じであれば同じ薬と認めているものである。
・前述した緑内障治療薬の原点ともいえるプロスタグランジン(商品名:キサラタン)を例示する。日本緑内障学会の調査結果では後発薬品が23種類もあった。国の方針にそって今後更に後発薬品の増加が予測されるが、名前も異なれば容器(色)も全く異なる後発薬品による現場での混乱は想像を絶するものがある。
@日本緑内障学会の調査結果 http://www.ryokunaisho.jp/infomation/data/eyewash_ver3.31.pdf
6)薬の販売申請(適応、薬価、など)
有用でも薬が眼科の適応がない薬。保険採用されても適応が狭い薬。高額で眼科医療を圧迫する薬。
薬剤の製品化、薬価などは製薬、販売会社の経営方針が先行し、ユーザー(医療機関)のニーズにはなかなか答えてくれない現実がある。先発メーカーや後発メーカーで競い合うのではなく、患者のためにどのようにするのが良いか、営利だけでなく、医療の原点に立ち返って検討してほしいと願っている。
【略 歴】
1970年 新潟大学大学院医学研究科修了後、新潟大学文部教官医学部(医学博士)
1973年 新潟市民病院に転任。眼科部長、地域医療部長、診療部長を歴任。
2004年 新潟市民病院定年退職。新潟医療技術専門学校視能訓練士科教授就任。
にいつ眼科名誉院長、新潟県眼科医会会長として地域医療に係る。
現在は、新潟市江南区ふじい眼科名誉院長、新発田市今井眼科医院顧問
【後 記】
長い間、新潟市民病院の眼科部長を務められ、新潟県眼科医会会長も歴任された藤井青(ふじい しげる)先生が、眼科医としての50年を振り返り、眼科の疾患の診断と治療の歴史を、問題点も含め丁寧に解説して下さいました。
70枚を超えるスライドを駆使し、体験してきた約50年間の眼科医療を振り返りながら、素晴らしいこの眼科学の進歩をいかに眼科医療の現場に生かすべきかについてお聞きした貴重な講演でした。いつもながら、豊富な知識と奥深い思慮に感服致しました。
藤井先生には益々お元気でお過ごし下さい。そして、我々後輩のご指導ご鞭撻をお願い致します。
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年11月11日(水)16:30~18:00
第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「臨床からの学び・発展・創造・実現」
郷家和子(帝京大学)
http://andonoburo.net/on/4104
平成27年12月02日(水)16:30~18:00
第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
田中正四 (胎内市)
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
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平成27年01月23日(土) 15時半開場 16時~19時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 予定
講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
出田 秀尚(出田眼科)
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/3813
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平成28年02月10日(水)16:30~18:00
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
若槻 裕子・岩崎 深雪 (新潟市)
平成28年03月09日(水)16:30~18:00
第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
関 恒子(長野県松本市)
演題:「眼を見つめて50年ー素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
講師:藤井 青先生(ふじい眼科)
日時:平成27年10月14日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
長い間、新潟市民病院の眼科部長を務められ、新潟県眼科医会会長も歴任された藤井青(ふじい しげる)先生が、眼科医としての50年を振り返り、眼科の疾患の診断と治療の歴史を、問題点も含め丁寧に解説して下さいました。
素晴らしい人類の視覚~「見える」ことの仕組み(眼球>視路>視覚皮質)、視力の発達・調節力の低下、屈折異常、中心視野と周辺視野、加齢による眼組織の変化、、
眼科の疾患、結膜炎・眼科抗生剤の変遷、レッドアイクリニックからホワイトアイクリニックへの変遷、ジェネリックの問題点、角膜の構造と検査法、コンタクトレンズ、ドライアイ、点眼の指導法、角膜手術、白内障手術・緑内障治療・眼底疾患の診断と治療の変遷、、、、
眼科学の急速な進歩により何も問題がなさそうだが、実際には未だ解決されない問題・新たな問題も生じていることが紹介されました。
講演の後の時間では、参加者からいろいろな感想や質問がありました。
○知識や技術の習得方法に関する質問もありました。かつては新しい知識や技術を伝達する機会や手段がなかったこと、現在は講習会や学会、雑誌や教科書の他に映像や動画・動物眼等を使っての技術指導・専門別ガイドラインなどもあり、適切な学習の選択もそれ以前と比較すれば格段に容易となったことなどの答えをお聞きしました。
○その他、携帯電話やパソコンなどによる最近の新たな目の負担に関する話題、時代と共に変遷する眼疾患、感染を防ぐ手洗いなども話題もありました。
70枚を超えるスライドを駆使し、藤井先生が体験してきた約50年間の眼科医療を振り返りながら、素晴らしいこの眼科学の進歩をいかに眼科医療の現場に生かすべきかについてお聞きした貴重な講演でした。
演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
日時:平成27年9月9日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
視覚障害がある人の歩行訓練は人々が活動している実環境で行われることに大きな特徴がある。そこで訓練士は視覚障害がある人と街の人、そして双方のインターラクションを観察する。
南雲(2002)は、障害によってもたらされる心の苦しみには、自分の中から生じるものと、自分と社会の関係から生じるものがあり、前者の苦しみを軽減するためには新たな自分を知り受け入れる「自己受容」が、後者のためには社会が障害者を受け入れる「社会受容」が必要であるとしている。
私は「街を歩く」ことがこの二つの受容を進めるのに役立つと考えている。視覚障害がある人は、街を歩く自分と自分に対する街の人の態度を観察することを通して自分を再形成する。一方、街の人は視覚障害がある人を見たり言葉を交わしたりすることで、各々の障害者観を形成していく。
「街を歩く」ことは、街の人々(社会)に対して自分をさらけ出すこと(Coming-out)でもある。視覚障害を隠すには、動かなければよい。視覚障害のある人が座って前を見ているだけでは、その人の視覚障害を疑わせる手がかりを見つけるのは難しいが、その人が立ち上がり一歩足を前に踏み出せば、視覚障害の存在を隠すのは難しい。つまり視覚障害のある人にとって街に出ることは、否応のない自己開示なのである。
街には、見返すことのできない視線、予測できない態度の人々が待ち受けている。そのような好奇な眼の中へ足を踏み出すのは、自分が思っている以上に心の強さが要る。視覚障害によって自尊心が傷つき自信を失っている状況にある人にとっては、さらにその負担は大きい。障害を負った後、自分自身を再形成する段階では、自分を周囲にどう見せようか迷っている状態のため、外には出たいが、自己開示はしたくないという気持ちになる。足元が見えにくく歩くのに不安を抱えながらも、あたかも眼は悪くないかのように振る舞いがちである。そのため、外出中、白杖を出したり、場所や状況によって折りたたんで鞄の中にしまったりしながら歩く人もいる。社会に対する自己開示のハードルは決して低いものではない。今回の勉強会に参加した盲導犬使用者のひとりが「盲導犬と出かけたら度胸が決まり、乗り越えられないでいた垣根を越えられた」「杖は折りたためるけど、盲導犬は折りたためない」と語ったが、それはこのような状況での話だろう。
対人関係における自己開示、コミュニケーション、気づき、自己理解などを説明するのに、「ジョハリの窓」というモデルがある。そのモデルでは自分を「公開された領域」「隠された領域」「自分は気づいていないが他人には見られている領域」「自分には他人にもわからない領域」の4つの領域に分けている。障害を負うとそれまで認識していた自己概念や自尊心が壊れ、それを再認識しないと新たな自分を形成できない。自分がよくわからない段階では解放された領域が小さい。例えば、今自分が外を歩いたらどのように歩くか、見えなくなって家から出てない人にはわからない。街に出て自分の歩く姿を人に見せ、見た人のリアクションを受け止めることは、自分自身を知るプロセスとして大切である。そしてそれは同時に街の人の意識を変えることにも役立つ。
講演後、視覚障害のある参加者(盲導犬使用者5人、白杖使用者1人)に街を歩いているときに経験したことについて質問した。多くの回答は街の人から受けた親切で優しい応対についてであった。そこで、あえて嫌な思いをしたことや辛かった経験についても聞かせてもらった。以下はその一部である。
・突然、汚い言葉や罵声を浴びせられた
・「俺がお前を襲ったら、この犬(盲導犬)はどうする?」と脅された
・帰路、付きまとわれたので、遠回りをして家に帰った。
・「他のお客さんに迷惑なので」とコンビニや飲食店で入店を拒否された
・「見えない者は外を歩くな、見えないのになぜ外を歩く」と言われた
そのほか、遠慮のない好奇心から質問された、上からの物言いをされた、無視された、避けられた等の経験談が挙げられた。
一般に障害がある人に対する街の人の態度を決める要因には、知識、接触経験、能力観、価値観、ステレオタイプ、相手の態度などがあるといわれる。当事者の数少ない体験談、テレビ番組で紹介される「がんばる障害者」などが、個々の街の人が時折視覚障害のある人と遭遇したときに示す態度に影響を与えているのであろう。社会の障害者への態度は一朝一夕に変わるものではなく、法で規制できるものではない。街の中での一期一会が、社会の障害観を形成するひとつの要因として機能するものと思われる。
今回の勉強会で、視覚障害のある人から、移動支援、買物介助、代筆代読、通院介助等、福祉サービスが濃くなることで、視覚障害のある人と街の人との直接的な交流が少なくなってきているのではないかと心配する発言があった。視覚障害のある人の多くは高齢で、加齢に伴う身体機能や認知機能の低下を考えると、同行援護従業者、ホームヘルパーなど福祉専門職との外出機会が増えていると思われる。外出のための支援が、一方では街の人との間の垣根となる側面があることを、サービスを提供する側も利用する側も共にしっかり認識しておく必要がある。
(参考資料)
・南雲直二(大田仁史監修):リハビリテーション心理学入門−人間性の回復をめざして. 荘道社. 2002
・清水美知子:「Coming-out, 自分になる」、済生会新潟第二病院眼科勉強会. 2002年8
・ジョハリの窓:https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョハリの窓
【略 歴】
1979年~2002年
視覚障害者更生訓練施設に勤務、
その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる
1988年~
新潟市社会事業協会「信楽園病院」視覚障害リハビリテーション外来担当
2002年~
フリーランスの歩行訓練士
参考までに
カミング・アウトに関する清水先生の過去の講演録を、以下に記します。
●報告:第76回(2002‐9月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
日時:2002年9月11日(水)16:00~17:30
場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming out –人目にさらす」
講師:清水美知子 (信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当)
http://andonoburo.net/on/4023
●報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
演題 「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
演者 清水美知子(歩行訓練士)
http://andonoburo.net/on/4030
【後 記】
清水先生は、障害者の目線でお話の出来る方です。「NBM(Narrative-based Medicine;物語と対話による医療)」とか、「社会受容」ということを最初に教えて頂いたのが清水美知子先生でした。
当院で開催する講演会や勉強会には清水先生を、ほぼ毎年をお呼びしていますが、先生の講演の日は、いつも多くの視覚障害者の方が出席します。どうしてなのか不思議でしたが、答えが判りました。今回の勉強会に、こんな感想が届きました。「清水先生のお話を聞くと『あるある』とか『そうそう』とか『そうなのよ』とうなづくことばかりで、どうしてそんなに分かるのかなあといつも不思議にさえ思います。でもだからこそ、この人は私達、視覚障碍者のことが分かる人、と安心して心が開けるので人気なのでしょう」。
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
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平成27年10月10日(土)14:00〜18:00
済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
会場:済生会新潟第二病院10階会議室
当日参加可能
講演者
五味文(住友病院)
高橋政代(理化学研究所)
立神粧子(フェリス女学院大学教授)
http://andonoburo.net/on/3896
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平成27年10月14日(水)16:30~18:00
【目の愛護デー記念講演会 2015】
(第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
「ー眼を見つめて50年ー
素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
藤井 青(ふじい眼科)
http://andonoburo.net/on/4042
平成27年11月11日(水)16:30~18:00
第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「臨床からの学び・発展・創造・実現」
郷家和子(帝京大学)
平成27年12月02日(水)16:30~18:00
第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
田中正四 (胎内市)
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
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平成27年01月23日(土) 15時半開場 16時~19時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 予定
講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
出田 秀尚(出田眼科)
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/3813
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平成28年02月10日(水)16:30~18:00
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
若槻 裕子・岩崎 深雪 (新潟市)
平成28年03月09日(水)16:30~18:00
第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
関 恒子(長野県松本市)
後日、ご本人に書いて頂いた講演要約を掲載いたしますが、速記録から私が理解したことを紹介致します。
速報版:第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
日時:平成27年9月9日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【速記録から】
6月に福島で行われた視覚リハビリテーション研究発表大会で、言葉で自分の内面を伝えるという「自己物語」というテーマで講演をした。今日お話しするのは、街を歩くこと(自分が動くこと)が、自分を見せていること(カミング・アウト)になるということである。
視覚障害のない人にとって、視覚障害がある人の行動は、急に立ち止まったり、急に曲がったりするなど予測が困難。一方、視覚障害がある人にとって、障害を負った当初は特に、一人でどれだけ歩けるのか、街の人とどのようなやり取りが起こるのかわからず、不安だ。
視覚障害者は自分が見えないということを他人に知らせたくなければ、何もせずに座っているか、立っていればいい。しかしいったん歩きはじめると、「あれ、あの人は目が不自由なんだ」ということが人に知れてしまう。だから、歩くこと、街に出ることだけでカミングアウト(自分を他者に曝け出すこと)になる。そしてそこから双方のインターアクションが生じる。 歩いていると、視覚障害者が次に必要になるのは、援助要請交渉である。「ここはどこですか」「○○に行くにはどうすればいいですか?」
視覚障害のある人とない人が街歩きの場面で出会い、触れ合うことで相手の反応・態度を経験し、相手に対する考えや態度が構築される。しかし視覚障害者は歩くことが晴眼者へのカミング・アウトになるが、視覚障害者は晴眼者が歩くところを見ることが出来ないという点では不平等でもある。
「ジョハリの窓」理論(@)で考えると、自己開示する(カミングアウトする)ということは、秘密が減ることになる。
歩行訓練士が陥りやすい誤りがある。見えないことを他人に知られたくないと思っている視覚障害者に歩行訓練を強制することは、非常に精神的に重荷を負わせることになる。理学療法士(PT)は歩行を教えるだけでよいが、歩行訓練士はこの辺りを理解して歩行訓練を行う必要がある。最初は寄り添いながら訓練を開始するが、徐々に離れて最終的には視覚障害者が一人で歩けるようにする。
講演が終了後、参加者への問いかけが始まった。見えないことでチョッと嫌な経験をしたことはないか? 見えない人に対する社会の視覚障害者観等々、清水先生と視覚障害の方々との濃厚なディスカッションが続いた。
@ジョハリの窓(ジョハリのまど、Johari window)
自己には「公開された自己」(open self) と「隠された自己」(hidden self) があると共に、「自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己」(blind self) や「誰からもまだ知られていない自己」(unknown self) もあると考えられる。これらを障子の格子のように図解し、格子をその四角の枠に固定されていないものとして、格子のみ移動しながら考えると、誰からもまだ知られていない自己が小さくなれば、それはフィードバックされているという事であるし、公開された自己が大きくなれば、それは自己開示が進んでいるととる事が出来る。
【参考~過去の清水美知子先生の講演録】
報告:第76回(2002‐9月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 清水美知子
日時:2002年9月11日(水)16:00~17:30
場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
演題:「Coming out —-人目にさらす」
講師:清水美知子 (信楽園病院視覚障害リハビリ外来担当)
http://andonoburo.net/on/4023
報告:第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会 清水美知子
日時:2003年8月20日(水) 16:30~18:00
場所: 済生会新潟第二病院 眼科外来
演題 「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
演者 清水美知子(歩行訓練士)
http://andonoburo.net/on/4030
報告:第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
日時:平成27年8月5日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
【講演要約】
1.高次脳機能障害とは
高次脳機能障害は脳外傷、脳卒中、脳腫瘍などを原因とする器質性の後遺障害である。とくに前頭葉の認知機能の働きに問題が生じる。認知機能とは、①覚醒と周囲への意識と心的エネルギー、②感情をコントロールする抑制と発動性、③注意と集中、④情報処理、⑤記憶、⑥遂行機能と論理的思考力、などの諸機能のこと。これらを下から順番に階層にして示しているのが「神経心理ピラミッド」の図表である。ピラミッドには最下層に“リハビリに取り組む意欲”が置かれ、最上層には“受容”と“自己構築”が置かれている。ピラミッド型が示すように下位の機能が働いていないと上位の機能はうまく機能しない。と同時に、諸機能は連動し相互に作用する。
脳損傷の特殊性として、脳細胞の欠損は身体の他の臓器と異なり再生しないことが挙げられる。しかも脳の機能はその人固有の人生の学習の記憶によって成り立っている。人それぞれ歩んできた人生が違うので、AさんとBさんとは神経回路のつながり方は全く異なる。本人に障害が残った自覚がない場合や、家族が症状の本質を理解しないために的確な支援ができない場合もある。そのため、症状自体に加え治療の目標も個々で異なり、リハビリは困難を極める。
2.Rusk研究所における脳損傷通院プログラムとは
夫は2001年の秋に重篤な解離性椎骨動脈破裂によるくも膜下出血を発症し、脳損傷(高次脳機能障害)が残存した。2004〜05の1年間、夫と筆者はNew York大学医療センター・リハビリテーション医学Rusk研究所の「脳損傷通院プログラム」で機能回復訓練を受けた。Ruskの通院プログラムは神経心理学を学問的基盤としたホリスティックなアプローチで、対人コミュニケーションを中心とした療法的プログラムである。20週を1サイクルとする訓練は個々のゴールにあわせて周到に計画され、理論と実践が巧みに組み合わされ構造化されている。訓練生は規則的な訓練の中で、症状の本質の理解と補填戦略を繰り返し学ぶことになる。
Rusk研究所での夫の訓練が終わるとき、Ben-Yishay博士から「君たちが訓練に成功したのは、君たちが成熟した音楽家で、訓練ということの意味を理解していたからだ」と言われた。このことについて考えてみたい。
3.ピアノを教えるとは
ピアノを教えるとき、専門家を育てるだけでなく、初心者、子供の情操教育、大人の趣味など、対象者は多岐にわたる。脳損傷が個々のケースで全く異なるように、年齢、習熟度、目的が一人一人異なる。ピアノを教えるということは、Ruskでの訓練と同じように、①多様なゴールを理解する、②個人の特性に合わせて(=相手の脳と心になり)指導する、③その都度ゴールを定めて、技術と考え方の両面からゴールの達成に向け訓練する、④教え込むのではなく自分でできるように導く、⑤ほめて育てる+厳しく指摘する、などを意味する。
良いピアノの指導者(=コーチ)は、①この上なく音楽を愛する、②情報交換を怠らずよく勉強する、③相手を知ろうとする、④レッスンの目的・方法論を明確にもつ、⑤渾身のレッスンをする、などの資質を持つことが望ましい。指導者は改善すべきところを見つけ、理論的かつ実践的に技術と方法を示す。生徒の側も、主体的にその道の専門家のアドバイスに耳と心を傾け、順応性をもって素直に訓練を受ける態勢になることが大切である。指導の目的は生徒が「自分で自分を改善させる」ことができるようにすること。つまり、自分の音を批評できる能力、悪いところを自分で気づき予防できる能力、様々なテクニック(戦略)を知り自分で使いこなす能力などを、訓練によって身につけさせることである。これらはそのまま高次脳機能障害のコーチングの技術に当てはまる。
4.高次脳機能障害のコーチング
脳損傷者のコーチングには重要な前提条件がある。第一に、訓練生が落ち着いていて客観的な時にのみコーチングする。イライラしていると抑制困難症を引き起こし、コーチングが逆効果となる。第二に、訓練生が疲れすぎていない時にコーチする。神経疲労を起こしていると、コーチングを受け取る集中力も情報処理力も十分に働かない。第三に、コーチされる側も活発にコーチングを求める意欲を持つ。本人に改善する意志がないと意味がない。
そして脳損傷のコーチングの原理としては、①ひとつの問題に焦点を当て,選択的であること、②問題は具体的に指摘し、慎重に戦略を選び、具体的に解決策を示す、③良いことも具体的に指摘する、④改善すべきことを良いことの指摘に挟む「サンドイッチ効果」の技法を使ってコーチする、⑤ユーモアを忘れないように、などである。
5.受信情報を確認しながら会話しよう
例えば、会話の訓練がある。隣の人と会話をしてみよう。その際に、受信情報を確認する〈確認の技〉や、相手の言葉を借りる〈語幹どりの技〉などを使ってみると、発動性のない人も、抑制困難な人も、それぞれの問題にとって助けになる戦略を用いて会話を進める事ができる。戦略を使うことで発動性のない人には発話のきっかけとなり、抑制困難症の人には話の筋道からそれないようにすることができる。
会話の訓練以外にも、何か動作を覚える時の確認の手順や、日常生活を構造化することで動きの流れを作っていくことなど、症状に合わせてそれぞれの戦略を用いて一歩先のゴールを設定して地道に訓練することで、日常生活をよりスムーズにする事ができる。障害の完治は期待できないが、訓練により戦略を用いる技術を習慣化する事はできる。
6.コーチングの意義
脳損傷者がこうした技術を身につける事ができれば、家族や周囲の人たちとの共同生活の中でも、自分の存在に価値がある事を自ら感じる事ができる。コーチングの技術、コーチを求める順応性のある心と意欲が双方に求められる。ケアマネージャーやヘルパーさんたちとの連携も必要である。最終的には、自分で自分を改善できる力を持ち、相手との良い関係を再構築できるようにしたい。コーチする人もコーチされる人も、その時の問題にひとつずつ取り組み、落ち着いて訓練してつねに改善することが肝要である。
音楽の訓練を通じて「訓練」や「技術の獲得」ということの本質を理解していた我々だったので、Ben-Yishay博士は「訓練は成功した」と言及したのだろう。それほど、脳損傷者にとって自分の症状を理解し、それに対する戦略の習得から習慣化に至る地道な繰り返しの訓練が必要、ということである。
【略 歴】
1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術学博士号)
2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加。治療体験記を『総合リハビリテーション』(医学書院)に連載(2006年)。
2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)
現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長、日本ピアノ教育連盟評議員、米国Pi Kappa Lambda会員。
【著 書】
『前頭葉機能不全/その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』
立神粧子著 (2010年11月 医学書院)
医学書院のHPに以下のように紹介されている。
「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明なままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912
【後 記】
素晴らしい講演でした。ご夫婦で東京芸大出身の音楽家。立神先生はピアノ、ご主人はトランペット。ヤマハ楽器にお勤めだったご主人が「くも膜下出血」を発症。その克服にご夫婦で立ち向かい、ニューヨークで約一年の研修を受け、その後も地道な訓練をひたすらに続け、生活を取り戻した(今でも進行形)壮絶なお話。訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩みだすことができた。後半ではご主人のユーモア溢れる講演もお聞きした。
こうした経験から立神先生は、神経心理ピラミッドに則った訓練は、脳損傷リハビリにもピアノ教育にも有効なツールとなっていることに気が付いたという。すべてのリハビリあるいは習い事のいいお手本となるお話を、感動と共に拝聴しました。
立神先生ご夫婦の健やかなお暮しを祈念致します。この度は、誠にありがとうございました。
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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年9月9日(水)16:30~18:00
第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
http://andonoburo.net/on/3919
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平成27年10月10日(土)午後
済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
会場:済生会新潟第二病院10階会議室
事前登録(受付中)
講演者
五味文(住友病院)
高橋政代(理研)
立神粧子(フェリス女学院大学教授)
http://andonoburo.net/on/3896
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平成27年10月14日(水)16:30~18:00
【目の愛護デー記念講演会 2015】
(第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
「ー眼を見つめて50年ー
素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
藤井 青(ふじい眼科)
平成27年11月11日(水)16:30~18:00
第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「臨床からの学び・発展・創造・実現」
郷家和子(帝京大学)
平成27年12月02日(水)16:30~18:00
第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「フィンゲルの仲間と取り組んだ出前授業
~工夫を重ねて子供たちの心をキャッチ~」
田中正四 (胎内市)
平成28年01月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
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平成27年01月23日(土) 15時半開場 16時~19時
「学問のすすめ」 第10回講演会 済生会新潟第二病院眼科
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 予定
講師 門之園 一明(横浜市立大学教授)
出田 秀尚(出田眼科)
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/3813
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平成28年02月10日(水)16:30~18:00
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
若槻 裕子・岩崎 深雪 (新潟市)
平成28年03月09日(水)16:30~18:00
第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
関 恒子(長野県松本市)
「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
日時:平成27年7月8日(水)16:30~17:30
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
(1)「僕の父」 中学部3年
(2)「夢は地道にコツコツと」 高等部普通科3年
(1)「僕の父」 新潟県立新潟盲学校 中学部3年
僕は、月曜日から木曜日まで寄宿舎に泊まります。中学部になってから、父と毎日会えません。だから少し淋しいです。
僕の父はやさしいです。休みのときは父と一緒にお風呂に入ります。僕の身体をごしごし洗ってくれます。そんなときは、「お前、小さいときよく泣いてたな。お父ちゃんのくしゃみや鼻かむ音で泣いてたな」と僕の子供の頃の話をしてくれます。
また、 「お出かけについて」話をします。お出かけに連れて行ってくれます。僕の好きな巫女爺や熱気球大会や花火大会を見に行ったり、いろいろな所に連れて行ってくれます。今年のゴールデンウィークは、毎日、柏崎や長岡に連れて行ってもらいました。行事のときは、家族みんなを学校まで送ってくれます。体育祭のときは「がんばれ、がんばれ」と応援してくれました。
文化祭では作業で作ったフォトフレームをよくできた」と言ったり、有志のステージ発表で、僕たちがよさこいソーランを踊ったときは、「上手だったよ。」と、ほめてくれたりしました。
僕とよく遊んでくれます。総合体育館に行って、僕の手を引いて走ります。そのとき父は飛ばします。速いので僕が手を離しそうになると、「おい、お前なにしてやんだ。」と言います。
家ではウィーでゲームをしてくれます。座禅やスキーのジャンプのゲームを教えてくれます。父は、「飛べ!飛べ!前、前、前、前・・・」と、ジャンプのタイミングを指示してくれます。僕が上手に飛べると、「123メートルだって。いったねえ。」と、ほめてくれます。テレビで「お宝鑑定団」やニュースをよく見ています。
父は電気工事士をしています。仕事に出かけるとき僕に「よし、お父ちゃん仕事に行ってきますよ」と言って出かけます。そんな父はかっこいいと思います。
僕は父が一番大好きです。これからも元気でいて下さい、お父さん。
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(2)「夢は地道にコツコツと」 新潟県立新潟盲学校 高等部普通科3年
今から話しをするのは、二年間話すことが出来なかった中学校の時の話です。
私は、生まれつきの弱視ですが、勇気が出せず、本当に信用している友達にしか目が悪いことを打ち明けていませんでした。だから私は他の友達に気づかれないように学校生活を送っていました。高校受験も、盲学校進学ではなく、普通校進学を希望していました。なぜなら私は、盲学校は目が全く見えない人が通うところだと勘違いしており、盲学校に進学することで、目が悪いことがみんなに知られてしまうのを恐れたからです。
私は、普通校合格のために必死に勉強しました。入試当日、教室に書見台が用意され、拡大された答案用紙が配られました。他の受験生たちがじろじろと見ているのがとても恥ずかしかったし、視線を怖く感じました。それでも、入試を出来る限りがんばりました。休み時間には友達が面白い話や、「俺だめだった」みたいな話をして私を勇気づけてくれました。志望した高校には、友達が多く受験していたので、緊張せずに取り組めました。入試が終わったあと、『やることはやった!がんばった!』という達成感よりも、『無事に高校に入学できるか』という不安でいっぱいでした。
志望校合格発表の日。自分の受験番号を一生懸命探しました。1、2、3、4……数が近づいてくるにつれ、私の心臓はバクバクしました。結果は不合格でした。私は、頭が真っ白になりました。理解できずに何度も何度も探しましたが、番号はありませんでした。
私は、二次の新潟盲学校受験を頑張ろうと思い、再び努力しました。そして、新潟盲学校に合格しました。うれしいのですが、素直に喜べませんでした。目が見えない人がいく学校で、自分の目が悪いことを知られてしまうと思ったからです。友達に「どこ入学するの?」と聞かれて盲学校と答えるのが嫌でした。私の不安は無事に入学できるかというものから、盲学校ってどんなところなのかというものに変わっていき、入学式が近づくにつれてその不安がどんどん大きくなりました。ついには盲学校入学が決まっているのに、「普通校に行きたい」「普通校で勉強したい」とさえ思ってしまいました。
しかし、その不安は入学式で生徒会長からのお祝いの言葉を聞いたときに全て吹き飛びました。しっかりハキハキと言っている姿を見て「本当に目が悪いのか?」と思いました。学校生活が始まり、グランドソフトボール部の先輩たちがアイマスクをしていても、普通に投げたり打ったり、走ったりしているのを見て「すごいなぁ」と思いました。さらに、寄宿舎でも私よりもよっぽど小さな子が一人暮らしをしていてすごいと思いました。
盲学校に来たばかりで何も知らなかった私に気軽に話してくれる人ばかりでした。私のことを大好きと言ってくれる人もいました。私は、とてもうれしかったです。私は、『盲学校入学は、間違いじゃなかったんだ、もし私が普通校に合格していたら、こんなすてきな友達と出会えなかったし、私のことをわかってくれる先生方もいなかった!普通校に落ちたから今の私がある!』と思っています。
三年生になり、たくさんの友達といつもわいわいしながら学校生活を送っています。そんな私には今、夢があります。それは、パン屋になるという夢です。私がパン屋を意識したのは、中三の時です。「焼きたてジャパン」というテレビアニメにハマり、家でパンを作り始めたのがきっかけです。目盛りやはかりの線が見えにくい私にとって、非常に難しい夢だと思います。しかし、その夢をあきらめたくはありません。なぜなら、私はパンが好きだからです。
私は、二年生の時から「産業社会と人間」という授業を選択しています。その授業では、日頃のあいさつ、礼儀、作業など就職に関したことを学んでいます。慣れてくると現場実習があり、二週間の現場実習を行いました。金具組み立てや段ボール作りなどを一日六時間以上やるので、とてもくたくたになりましたが、この実習を通して仕事の大変さや辛さがしみじみとわかりました。今年も七月にまた実習があります。就職に向けて大変な実習もがんばっていきたいです。
さて、みなさんは、連続テレビ小説「まれ」を知っていますか?夢が嫌いなまれが言った言葉に「人生は地道にコツコツ」という言葉があります。まれは夢が嫌いですが、私は夢が大好きです。夢がなかったら人生は楽しくないし、夢が無いと何事もがんばれないと思います。みなさんも夢に向かって地道にコツコツとがんばりましょう。たとえ大きな障害があり、それがどんなに暗闇に包まれたとしても、続けていれば必ず夢に近づいて行くはずです。私もパン屋という夢に向かって走り続けていきます。
これで発表を終わります。ご清聴ありがとうございました。
【後 記】
済生会新潟第二病院眼科勉強会の七月は、毎年新潟盲学校の生徒による弁論大会を行っています。盲学校生が胸に秘めた熱い思いを弁論は、毎回好評です。
今回も二人の弁士は、一所懸命に時に身振りを交えて弁論してくれました。参加者からも多くの賛辞が寄せられ、感動の弁論大会でした。
@全国盲学校弁論大会弁論47話「生きるということ―鎖の輪が広がる―」
http://www.kyoikushinsha.co.jp/book/0103/index.html
平成20年度で77回目を迎えた全国盲学校弁論大会の発表作品は、“こころ”の課題を抱える現代の児童生徒、学生にインパクトとともに大きな勇気を与えている。学校、家庭での読み聞かせにお勧めの一冊。
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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年9月9日(水)16:30~18:00
第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
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平成27年10月10日(土)午後
済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
会場:済生会新潟第二病院10階会議室
要:事前登録
講演予定者
五味文(住友病院)
高橋政代(理研)
立神粧子(フェリス女学院大学教授)
http://andonoburo.net/on/3607
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平成27年10月14日(水)16:30~18:00
【目の愛護デー記念講演会 2015】
(第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
「ー眼を見つめて50年ー
素晴らしい眼科学の進歩と医療現場における問題を顧みる」
藤井 青(ふじい眼科)
平成27年11月11日(水)16:30~18:00
第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「臨床からの学び・発展・創造・実現」
郷家和子(帝京大学)
平成27年12月02日(水)16:30~18:00
第238回(15-12)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
田中正四 (胎内市)
平成28年1月13日(水)16:30~18:00
第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会
「パラドックス的人生」
上林明(新潟市)
平成28年2月10日(水)16:30~18:00
第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題未定
若槻 裕子・岩崎 深雪 (新潟市)
演題:「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
講師:立神粧子(フェリス女学院大学教授)
日時:平成27年8月5日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院眼科外来
後日、ご本人による講演要約を頂き報告する予定ではありますが、ここにメモをもとに速報版の報告を致します。
【講演要旨】
ご夫婦で東京芸大出身の音楽家。立神先生はピアノ、ご主人はトランペット。ヤマハ楽器にお勤めだったご主人が「くも膜下出血」を発症。その克服にご夫婦で立ち向かい、ニューヨークで約一年の研修を受け、その後も地道な訓練をひたすらに続け、生活を取り戻した壮絶なお話。
2001年秋、ご主人が仕事中に突然解離性くも膜下出血で倒れ、後遺症として高次脳機能障害が残った。2年ほど大きな改善は見られず悶々としていたなか、2004年立神先生はフェリス女学院大学からのサバティカルの1年を利用して、お二人でNewYork大学リハビリテーション医学Rusk研究所の通院プログラムに参加した。Y.Ben-Yishay博士が率いるRusk研究所は脳損傷通院プログラムの世界最高峰と言われていた。
高次脳機能障害とは、交通事故や脳卒中などの後遺症による、器質性の機能障害。認知機能に問題が起こるのみでなく、本人に障害の自覚がない、記憶に問題があり自分では改善できない,といった問題がある。易疲労性で、抑制困難、発動生の欠如と行った症状が出てくる。これらが、顕著に表れたり、一見治ったかのように表れる。。。。さらに、家族が症状の本質を理解できないという、問題もある。
脳損傷者の機能回復訓練において最も厄介なことは、人それぞれ歩んできた人生が違う、ということである。例えば臓器であれば、その機能は共通で発症後の経過を予測できるであろう。しかし脳の機能はその人固有の人生の学習の記憶によって成り立っている。神経回路のつながり方はAさんとBさんとでは全く異なるのである。
Rusk研究所(NY大学医療センター)通院プログラム
「認知機能の神経心理ピラミッド」 認知機能を9つの階層に分け、ピラミッドの下が症状の土台であり、その基本的な問題点が改善されていなければ、ピラミッドのそれより上の問題点の解決は効果的になされないとする考え方で、ピラミッドの下から訓練は行われる。
9つの階層~下から以下のとおり 意欲>覚醒・警戒・心的エネルギー>抑制(過小・過多)>注意・集中>コミュニケーション・情報処理>記憶>論理的思考>受容>自己同一性。
Ruskではこれらすべての階層の問題のひとつひとつに戦略(対処法)がある。月曜日から木曜日までの朝10時から午後3時まで、対人コミュニケーションや個別の認知訓練、カウンセリングまでをも含む構造化された時間割の中でシステマティックな訓練が行われる。
Rusk研究所での夫の訓練が終わるとき、Ben-Yishay博士から「君たちが訓練に成功したのは、君たちが成熟した音楽家で、訓練ということの意味を理解していたからだ」と言われた。
認知の諸機能に問題が生じる脳損傷(高次脳機能障害)に対する訓練は、1日の流れを構造化した生活の中で地道に継続することが肝心である。短期記憶に問題が生じるので、新しいことを脳が学習することが難しくなる。認知機能不全によりできなくなったことができるようになるために、症状を分析、細分化し、環境を構造化し、ひとつひとつ達成感を感じながら練習→習得→習慣化の過程を経る必要がある。こうした過程は、楽器の習得などと共通点が多い。そして非常に重要な部分として、脳損傷者の機能の統合と再構築を助ける、専門家及び家族のコーチングの技術がある。支援することを構造化 そのためにはケアマネージャーさんやヘルパーさんとの連携が不可欠。
こうした訓練と戦略のおかげで、絶望的だった夫との生活は奇跡的に改善され、希望が持てる人生を歩みだすことができた。神経心理ピラミッドは脳損傷にもピアノ教育にも有効なツールとなっている。
【略 歴】
1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術学博士号)
2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加。治療体験記を『総合リハビリテーション』(医学書院)に連載(2006年)。
2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)
現在:フェリス女学院大学音楽学部音楽芸術学科教授、音楽学部長、日本ピアノ教育連盟評議員、米国Pi Kappa Lambda会員。
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『前頭葉機能不全/その先の戦略:Rusk通院プログラムと神経心理ピラミッド』
2010年11月 医学書院より出版。
医学書院のHPに以下のように紹介されている。
「高次脳機能障害の機能回復訓練プログラムであるニューヨーク大学の『Rusk研究所脳損傷通院プログラム』。全人的アプローチを旨とする本プログラムは世界的に著名だが、これまで訓練の詳細は不透明なままであった。本書はプログラムを実体験し、劇的に症状が改善した脳損傷者の家族による治療体験を余すことなく紹介。脳損傷リハビリテーション医療に携わる全関係者必読の書」
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62912
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演題:「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
講師:吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
日時:平成27年06月03日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要約】
はじめに
リハビリテーションという言葉の定義は、元々がキリスト教における「波紋を解き、身分を回復する」という意味から派生して「再び相応しい状態に戻す」という意味から、人生の半ばで何らかの障害を負った方たちに対して、生活や社会活動において失われた機能を回復させるための様々なサービスを表す言葉となった。しかし、私がここでお話しする視覚障害者に対するリハビリテーションは、幼い頃からの視覚障害者や中途視覚障害者等すべての方たちの生活を向上させるためにおこなわれている医療・福祉・教育に関わる広範囲なサービスについての我が国における歴史的展開についてある。
1 特殊コミュニティーから盲学校を中心としたコミュニティーへ
9世紀頃視覚障害者は、琵琶法師として、また歌舞音曲を行う者として細々と生計を立てており、その技術を伝え自らを守るために、当道座という独特の組織を成立した。江戸時代になると、杉山検校とその弟子たちが、梁・灸等の技術を確立し、その治療で将軍の病気を治したことなどが認められて、検校を頂点とする独特の階級社会を作り上げ、あ・は・き業の独占をはじめ、様々な特権を得た。
この特権は、明治維新と共に、1871年当道座の解体と共に廃止されることとなり、視覚障害者は、あ・は・き等の今まで培ってきた知識を次世代に伝える手段を失った。そこで、盲学校設立の運動が巻き起こり、1878年には京都盲唖学院が開設され、1880年に石川倉治によって開発された日本式点字を使った教育法と共に、全国に広まって行った。
2 戦争と傷痍軍人と中途視覚障害者のリハビリテーションの芽生え
日清・日露戦争後の傷痍軍人対策として、障害を持った者に対する機能回復訓練や職業訓練という考え方が我が国にも芽生えた。視覚障害者に特化した施設としては、岩橋武雄らの提唱により1938年に設立された「失明軍人寮」が最初である。
傷痍軍人対策としてのリハビリテーションは、敗戦後占領軍により排除されたが、そこで培われた方法・技術は受け継がれ、国立リハビリテーションセンター、塩原視力障害者センターなど、各地に中途視覚障害者のリハ施設が開設された。
また、1948年に、ヘレンケラーの二度目の来日を機に日本盲人会連合(日盲連)が結成され、視覚障害者の生活向上に向けての様々な運動が開花した。
3 目標は経済的自立、単独視覚障害者を対象、収容型中心の視覚リハの時代
1949年に成立した身体障害者福祉法の目的は、「障害者が経済的に自立し、社会に貢献する」ことを目指したサービスを制度化することであった。そのため、視覚障害者に対するリハは、三療業(あ・は・き)を中心とする職業訓練で、幼い頃からの視覚障害者については、盲学校で、中途視覚障害者に対しては、国立視力障害者センターを中心に収容型施設で行われた。訓練しても経済的自立が望めない、視覚と他の障害を合わせ持つ人や、主婦層や高齢の方に対する生活訓練などは、初期の頃は対象外とされた。
1970年に日本ライトハウスにおいて歩行訓練士養成講習会が行われたのが、我が国における視覚リハ専門家の養成という意味では初めてのことで、その後、1990年に国リハ学院に「視覚障害生活訓練専門職員養成課程」が開設されたが、視覚リハの専門職員養成は、福祉の側からの働きかけによって行われ、肢体障害者のリハに携わる理学療法士等が医療の要請の中から生まれたこととは大きく異なっており、その後の視覚リハの展開において大きな影響を与えた。
4 制度と対象の激変時代
1980年から始まった国際障害者年やノーマライゼーション思想の我が国への浸透を経て、障害者リハの目標は、経済的自立から社会への参加を目指すものに変化し、在宅による訓練も少しずつ開始されたが、基本的には大きな変化はなかった。しかし、2005年に成立した障害者自立支援法は、身体・知的・精神と言う3障害を同一施設でサービス対象とすることと、作業や訓練を行う施設と生活や介護を行う施設とを大きく区分すると言うことが打ち出され、サービス体制が激変した。また視覚障害の原因の激変により、幼い頃からの視覚障害者が減り、中途障害者が増加、また、60歳以上の視覚障害者が視覚障害者全体の70%を占める事態となった。
2014年に、我が国は障害者の権利に関する条約を批准、リハビリテーションは、誰でも、どこに住んでいても、性別や年齢に関わりなく、受傷後できるだけ早期に受ける権利を障害者が有し、国はその権利を実現するための環境を整える義務を負うこととなり、現在視覚リハサービスの体型を見直さざるを得ないと言う激変期にいたっている。
5 まとめ
概括してきたように、我が国の視覚障害リハにおいては、幼い頃からの視覚障害者が中心となり生活のために作ってきた特殊コミュニティ-と、その元で育まれた「あ・は・き」と言う職業等を中心として展開されてきた。しかしながら、視覚障害となる原因の激変、制度の激変、高齢視覚障害者の急速な増加により、単独視覚障害者中心の教育や職業訓練を中心とする体制は維持できなくなってきている。このことを踏まえ、広く一般社会への啓発と制度サービス体制の見直しが必要な時期が今まさにきているのである。
【プロフィール】
1947年 東京生まれ 67歳
1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
1974年 日本福祉大社会福祉学部卒業後、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
1991年 日本女子大学大学院文学研究科社会福祉専攻終了(社会学修士) 東京都立大学人文学部社会福祉学科助手を経て1999年4月から2009年3月まで高知女子大学社会福祉学部講師→准教授 高知女子大学在任中、高知県で視覚障害リハビリテーションの普及活動を行う。
2009年4月より任意団体視覚障害リハビリテーション協会長(現在に至る)
【後 記】
素晴らしい講演でした。視覚障害と肢体障害の重複障害をお持ちの当事者個人の視点と、視覚障害リハビリテーション協会会長としての視点から、「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」を語って頂きました。
視覚障害者に対するリハビリテーションというものを、先天性視覚障害者や中途視覚障害者等すべての方たちの生活を向上させるためにおこなわれている医療・福祉・教育に関わる広範囲なサービスと捉え、我が国におけるその歴史的展開について言及しました。今後の我が国の視覚障害者に対するサービスの未来を考える時の一つの問題提起としてお聞きしました。
吉野先生の益々のご活躍を祈念致します。
【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年7月8日(水)16:30~17:30
第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
新潟盲学校弁論大会 イン 済生会
(1)「僕の父」 中学部3年
(2)「夢は地道にコツコツと」 高等部普通科3年
http://andonoburo.net/on/3675
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平成27年8月1日(土) 新潟ロービジョン研究会2015 「ロービジョンケアに携わる人達」
開場;13時30分 研究会14時~18時
会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
要:事前登録
主催:済生会新潟第二病院眼科
http://andonoburo.net/on/3629
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平成27年8月5日(水)16:30~18:00
第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題:「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
講師:立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
平成27年9月9日(水)16:30~18:00
第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)
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平成27年10月10日(土)午後
済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
会場:済生会新潟第二病院10階会議室
要:事前登録
講演予定者
五味文(住友病院)
高橋政代(理研)
立神粧子(フェリス女学院大学教授)
http://andonoburo.net/on/3607
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平成27年10月14日(水)16:30~18:00
【目の愛護デー記念講演会 2015】
(第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
演題未定
藤井 青 (ふじい眼科)
平成27年11月11日(水)16:30~18:00
第237回(15-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
演題:「臨床からの学び・発展・創造・実現」
講師:郷家和子(帝京大学)