演題:「患者から見たロービジョンケア―私は何故ロービジョンケアを必要としたのか?」
講師:関 恒子 (長野県松本市)
日時:平成23年9月14日 (水) 16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
1) 始めに
私は両眼に黄斑変性症を持っている。1996年先ず左眼に、その10ヵ月後右眼にも異常を自覚し、近視性血管新生黄斑症と診断された。1997年左眼に強膜短縮黄斑移動術、1999年右眼に全周切開の黄斑移動術を受けている。術後はかなりの視力の改善が見られたが、合併症と再発のために入院手術を繰り返し、現在は網膜萎縮の為に視力が徐々に低下している。治療はないが、今も通院検査を続け、時折ロービジョン(以下LV)ケアを受けている。
医学的治療からLVケアへの過程、LVケアが私に果たしてきた役割、その中で気付いた点等を自身の経験を紹介しながら述べてみたい。
2) 医学的治療からLVケアへ
治療の結果はどうあれ、医学的治療を受けられることだけでも患者には救いとなる。患者は医学に見放されることが何より辛く、私の経験でも視力低下が進行する中、経過観察だけで過ごした1年間が最も辛い時期であった。患者はLVケアやリハビリよりも、先ず医学的治療による回復を強く願うので、LVケアやリハビリに至るまでにはある程度の期間が必要である。
私が始めてケアを受けたのは、治療が一段落して落ち着いた日常生活を取り戻した頃で、発症してから約4年後だった。手術後視力は改善したものの歪み、暗視野、コントラスト感度の低下、両眼視ができないこと等から不便さを感じ、よく失敗もしていたので、ケアの必要性を自らが感じるようになっていた。
3) LVケアが私に果たしてきた役割を整理してみる
1.現在様々な視覚補助具があるが、それらについての情報を与えられたことによって、視力低下が進行しても大丈夫という安心と自信が生まれた。
2.視力低下の進行に応じた適切な補助具の選定を助けてもらうことによって、日常生活を維持させることができ、これが他人に甘え過ぎるのを防いでくれた。
3.視力が低下すると聞いた時、いろいろな事ができなくなると思い、自分の将来に希望をなくしたものである。できなくなった事は確かにあるが、今まだ殆どの事ができている。活動の幅を狭めないようにし、充実した人生を可能にしてくれたのがLVケアである。
4.医学的治療だけを受け、病気と必死で戦っていた頃は、LVケアを受ける程悪くなりたくない、それを受ける時は回復を諦め、将来をも諦める時だと思っていた。だが今は自分の人生を諦めない為にLVケアがある。
4) どれだけの人がLVケアを知り、活用しているか
LVという語自体、一般の人だけでなく、眼科の患者にさえ認知度が低い。私の調べた限り英語圏の外国人(医学関係者でない)も誰もこの語を理解しなかった。又地元の病院を訪れた際、電子ルーペを使っていた私の周りに眼科の患者とその家族が集まってきたが、誰も電子ルーペを知らず、その病院にはLV外来が標榜されているにも拘らず、それが何の為の場所か誰も知らなかった。
LVケアの必要性とその重要性がもっと理解され、多くの人が活用できる場所であって欲しい。
5) 私が受けてきたLVケアの中で気付いた疑問や問題点
1.拡大鏡選びの原則に対す疑問
拡大鏡選びはできるだけ広い視野を確保する為に文字が読み取れるうちの最低の倍率のものがよいとされる。この原則に従って購入した拡大鏡は、私の場合実生活の中では殆ど役に立たなかった。家の中の様々な条件下での使用を考えると余裕のある倍率の方が有用である。長文を読むにも疲れが少ない。私見では原則よりも個々の状態や主に何に使うのかで選ぶほうがよい。
2.拡大読書器
私の知人は給付金で拡大読書器を購入したが、全く使用していないと言っている。使用中気分が悪くなる、又使用してもよく読めないからだそうである。使用法を習熟することによって有用にすることができるのではないだろうか。
私程度の低視力者(障害未認定)にはかなり有用と思うが、20万円前後で高額である。拡大読書器よりはるかに安価な電子書籍リーダーやiPod等にもっと視覚障害者を意識した機能(拡大倍率をもっと大きくする等)を付加することはできないだろうか。
3.製品の個体差
補助具を購入する際、他の機種との比較はできるが、同機種同士の比較はできない。その為個体差に気付かず、粗悪品を購入してしまう事がある。私自身正規品より劣る機能のものを購入し、知らずに使っていた経験を持つ。又正常使用での故障の多さも気になる。
6) 終わりに
視力の低下を告知された時、失明した場合のことやこれから先できなくなる事ばかりを考えたものだが、やがてまだできる事がたくさん残っていることに気付いた。どんな境遇においても、人は自分に残されたものに希望を託して生きるより仕方がないと思う。
私は今自分に残された視力を最大限に活用し、人生を豊かにしようと努力しているつもりだが、この努力を支えてくれているのがLVケアである。LVケアがもっともっと普及してくれることを願っている。
【略 歴】
名古屋市で生まれ、松本市で育つ。
富山大学薬学部卒業後、信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。
1996年左眼に続き右眼にも近視性の血管新生黄斑症を発症。
2003年『豊かに老いる眼』翻訳。松本市在住。
趣味は音楽。フルートとマンドリンの演奏を楽しんでいる。
地元の大学に通ってドイツ文学を勉強。眼は使えるうちにとばかり、読書に励んでいる。
【追 記】
関さんには、これまで2度お話して頂いています。
第135回(07‐06月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:『「見える」「見えない」ってどんなこと? 黄斑症患者としての11年』
講師:関 恒子(患者;松本市)
日時:平成19年6月13日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
第163回(09‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
演題:「賢い患者になるために
-視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、及び医師との関係の中から探る」
講師:関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者)
これまでの講演もそうですが、今回もまた患者の気持ちが良く判るようにお話して下さいました。以下の言葉が印象に残っています。
「悪くなるのに、何もしないことが辛い」、「医者に見放されるのが怖い」、「ロービジョンケアもいいが、やはり治ることを期待している」、「ロービジョンケアを受け入れるには、ある程度の期間が必要」、「視力は改善しても、日常生活は不便」、「ロービジョン者(低視力者)は、周囲の人に理解されにくい」
勉強会に参加された方から、以下の感想も届いています。
1)関さんのお話は、前向きな気持ちばかりでは無かった事に共感しました。何の病気でもそうですが、医師に「治療法が無い」と言われた時の絶望感たるや、想像するだけでも恐ろしいです。勉強会で話した(自分の)「見え方」を伝えるのは、家族やごく一部の親しい知人だけで、誰にでも言える訳ではありません。家族にも心配をかけまいとして、なかなか言えない方もいる様です。一緒にいる時間が多い人にこそ伝えるべきだと感じます。
2)病気となってからの絶望、容認、順応という過程の中で、順応という部分でのプラス思考に感銘を覚えました。できないことよりもできることを積極的に探され、フルートやドイツ文学に興味をもたれ、活動していることは大変素晴らしいと感じました。また、視野や視力が悪くなってくることを想定して今できること、これからできなくなりそうなことを考えて行動されていることも大変素晴らしいと思いました。
多数の補助器を購入され、お試しになられているということをお聞きしましたが、同機種での個体差(バラツキ)が多々あるということに驚きました。手作りが多いためでしょうか?ユーザーに取っては厄介なものであると思いました。
3)障碍者として認められないで過ごす日々は色々な面で大変だと思います。だからこそ、ご自身が探し出されて切り開かれた人生に素直な敬服感を抱きました。何もしてもらえなかった一年間、治療での苦闘の三年間とご自身がつけられた決断。少しづつ低下する視力の八年間。期間こそ違え私にもあった日々です。
関さんがご自身の経験を理詰めでお話して下さるので、私たちにとっても理解することが可能となり、視覚に障がいを持つ方にも共感を得ているようです。
関さん、今後もお話を聞くことが出来る機会を持ちたいと思います。宜しくお願い致します。
報告:第185回(11‐07月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 盲学校弁論大会
「新潟盲学校弁論大会イン済生会」
日時:平成23年7月20日(水)16:30~18:15
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力により、ネット配信致しました。50数名のアクセスがありました。
1)落語
演目:「転失気」 「二人旅」
演者:たら福亭美豚 (たらふくていヴィトン;新潟盲学校小学部6年)
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自己紹介
僕は、新潟盲学校小学部6年の加藤健太郎です。僕には、もう一つの名前があります。落語で、高座に上がる時の高座名、たら福亭美豚です。小学部2年の時の文化祭で、始めて大勢の人の前で発表してから、デイサービスや自治会で高座をさせてもらっています。昨年には、新潟県内を中心に活躍されている、落語家さんと出会うチャンスをいただき、たまに稽古をつけてもらったり、寄席に上がらせてもらっています。僕の落語を聞いて、たくさん、笑ってください。そうすると、僕も、楽しい気分になります。
2)盲学校弁論大会イン済生会
1.「震災を通して」
丸山 美樹(まるやま みき) 専攻科理療科2年
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3月11日東日本大震災がおきました。その日は卒業式で、私は学校から帰ろうとしていた時でした。突然の揺れに驚き、大きくて長い揺れと学校が少し音を立てながら揺れていることに怖さを感じました。 震源地は宮城県沖、宮城県震度6、東京も火がでたところがある、そう聞いて不安な気持ちが溢れました。私には宮城県や岩手県、東京にも友達がいたからです。 学校から帰ってきて見たテレビには宮城県や岩手県の地震の被害の映像が流れていました。私がそれを体験したわけでもないのに泣きそうになりながら震源地に近い場所に住む友達にメールや電話をしました。
ほとんどの子からは大丈夫だと遅くなっても返事はきましたが、ただ1人岩手県の子と連絡がつきませんでした。テレビにはその子がすむ宮古市の地震と津波の被害の映像が、不安を煽るように何回も流れていました。どうか無事でいて、そう願いながら連絡を待つしかできませんでした。待っている不安の中、緊急地震速報の鳴る音やテレビの映像が流れる度、怖くて不安が増していきました。
こうやって怖がるだけで自分は何もできないのが、とても悔しかったです。被害を受けた場所の友達からくるメールに大丈夫だよと言葉をかけてあげるだけでした。傍にいてあげたいなと思うだけで何もできない自分は、とてもちっぽけでした。 そんな自分の小ささ無力さを実感する中、連絡がつかなかった岩手の友達からメールが届きました。安心から涙がでました。涙で滲んだ液晶画面には怪我は少しあるが大丈夫、あなたの言葉でがんばることができた、「本当にありがとう」そう書いてありました。 何もできていないと思っていた私には、そのたった一言のありがとうが嬉しくて嬉しくて、さらに涙が止まらなくなりました。私のつたない言葉が誰かの心を支えることができました。
今回のこの災害を通して言葉の力、言葉の大切さをとても実感できました。今まで何気なく使っていたありがとうを、これからはしっかりと伝えていきたいなと思いました。
(弁士紹介)
専攻科理療科で国家試験に向けて勉強を頑張っています。写真を撮ること、音楽を聴くことと歌うことが好きです。部活では、バレー部、野球部、自然部など7つの部活に所属し色々な活動に参加しています。6月には北信越盲学校バレーボール大会と北信越盲学校野球大会に参加してきます。自分ができることを精一杯頑張ってきます。
2.「過去・今・将来」
笠井 百華(かさい ももか)中学部3年
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「だから障害者はやなんだよ!」 何でそんなことを言われるのか、悲しくなりました。小学校の時、クラスの皆や他の学級の人たちから避けられるようになりました。変な噂が流れ「あいつに近づくと汚れる」「あまり関わらない方がいいよ」と言われ、仲の良かった友達が私の周りから離れていってしまいました。私が話しかけても無視をされたり、物を隠されたりしたこともありました。私の目が少し見えにくいというだけで、どうして無視されたり、嫌な思いをしたりしなければならないのだろう。視覚障害があっても同じ人間なのに、とても悔しかったです。
中学校に進学するに当たり、私は新潟盲学校中学部に入学しました。周りの人から見た盲学校の生徒は、勉強内容が簡単、人の介助が必要なイメージがあるかもしれません。私もこの学校に来る前は同じようなイメージがありました。人数も少ないし、友達が出来るかなって思っていました。
でも、実際は違います。盲学校には、幼稚部から高等部あります。しかも、私の父よりも年上の人も真剣に学んでいて、色々な人たちと年齢を超えてお話が出来ます。例えば、勉強のやり方や部活動の悩み事など、深刻なことから、芸能人や学校の話まで、気軽に話が出来ます。中学部の皆とも仲良くなれたし、年上の高等部の方々とも、何でも話せる仲間がたくさん出来ました。このような仲間が体育祭や文化祭などでは、一つになって行事を盛り上げます。
勉強もわかりやすくなりました。拡大教科書やルーペ、拡大読書器などを使えば、以前は細かくて見えづらかった字も読みやすくなりました。点字を使って勉強する人もいます。見えにくい人には、スポーツは何も出来ないと思われがちですが、フロアバレー、グランドソフトボール、陸上などたくさんのスポーツがあります。音や床面、方向などを頼りにしながら競技しています。
新潟盲学校でも運動部が沢山あります。私は小学校の時は球技が好きではありませんでした。しかし、フロアバレーをやって初めで球技が楽しいものだと知り、好きになりました。だから私は部活動でフロアバレーをしています。いま、中学校生活を振り返ると、新潟盲学校に入学して良かったと思います。話せる仲間もでき、勉強もわかりやすくなり、部活動で汗を流し、充実した毎日を送っています。
将来私は、小学校の頃の自分のように、困っている人たちを助けられる人間になりたいと思います。そのためには、私に出来ることを増やしたり、人間的に成長して人を思いやる優しい心を身に付けたりしたいと思います。もっと人間らしく大きく成長したいです。障害のある人もない人も、お年寄りや子供など年齢に限らず、みんなで助け合っていく社会にしたいです。その社会の実現を目指して頑張っていきたいです。
(弁士紹介)
私は、バレー部に所属し毎日練習をがんばっています。富山で行われる北信越バレーボール大会にも参加しました。初めての遠征で、とても楽しかったです。万代太鼓部にも所属していて、夏休みには新潟まつりに参加する予定です。部活動に勉強に毎日が充実しています。学校生活の中で悩むこともあるけれど、大切な友人がいるので頑張れます。中学校生活最後の年、思いっ切り何事も取り組みたいと思います。
【後 記】
ここ10年、本勉強会で毎年7月に盲学校弁論大会を行い、毎回、多くの感動を貰っています。
たら福亭美豚(たらふくていヴィトン)師匠は、前にも登場して頂いたことがありましたが、今回は変声期を迎えていました。しかしカスレ気味の声をテクニックでカバーするほどに、立派に成長していました。多くの人に笑ってもらえることが自分の喜びという思いに溢れた語りでした。笑顔と笑いは人の心を明るくします。
丸山美樹さんの弁論は、優しさや繊細さに溢れていました。「ありがとう」の言葉をこれからも伝えて下さい。応援します。
笠井百華さんは、明るい中学生でした。障がいのために受けた悔しさ、盲学校で生き生きと勉学に部活動に励んでいること、、、弁論を聞きながら、頑張れ!とエールを送りました。
弁論大会では、盲学校の生徒さんの決意を聞くことが出来ます。それに対して私たちは何もしてあげられないのですが、「証人」としてその決意をお聞きすることは出来ます。今回も弁士の皆様の決意をしっかりとお聞きしました。私たちは、その夢がかなうようことを応援します。
今回は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力により、初めてのネット配信を成功させることが出来ました。今後も配信の予定です。ただ、、、ネットでも参加できますが、都合の付く方は、会場まで足を運んで講師との話し合いに参加して下さると嬉しいです。
演題:「初めての道を歩く」
講師:清水美知子 (歩行訓練士;埼玉県)
日時:平成23年5月18日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
「道」という語には、「人が歩く空間」と「ある地点とある地点を結ぶ道筋(経路、ルート)」の意味がある。ここでは街の中の道と経路について考える。日常生活で「初めての道」に遭遇する状況には、行ったことのない場所へ行く時、初めて来た場所から家へ戻る時、引っ越しや転勤等で生活環境が変わる時、そして少し状況が異なるが、道に迷った時などがある。しかしほとんどの場合、外出の起点と終点は自宅のため、「初めての道」も、その始まりと終わりは「よく知った道」といえる。
[道をたどる]
街の中の道(歩道あるいは路側帯)は縁石、柵、白線などで車道と民地から区分され、視覚的に明瞭である。晴眼者は、現地に立てば道の境界や延びる方向を一目で認識でき、いわゆる“けものみち”と違い、道そのものをたどることは容易である。しかし、視機能が低下すると知覚できる空間は狭まり、例えば杖を第一次歩行補助具として歩く場合、聴覚や嗅覚によって得られる情報以外で、知覚できる空間は杖の届く周囲数メートルの範囲である。初めての道で、幅、車道や民地との境界、方向等を知るためには、数メートル円単位の探索を場所を移しながら何度も繰り返すことになる。これは極めて効率が悪く、実用的な方法とはいえないだろう。
では、情報を地図や人の説明から入手できるかというと、一般的に地図は一望することのできない広さの地理情報を示すもので、ここで重要と考える小さな空間(「近接空間」)情報を表示した地図はない。しかも、必要な手がかりの種類や量は視機能の程度によって異なるため、他の人からの説明が必ずしも役立つとは限らない。交差点についても同様のことがいえ、形状、大きさ、交通制御の種類をその場で知ることは難しい。
[経路を策定し、それをたどる]
初めての場所へ行くには、まず現在地と目的地を含む地理的環境の情報が必要となる。高台から低地にある目的地へ行く時は経路全体を一望できるが、多くの場合経路全体を見渡すことはできない。地図や人の説明から地理情報を入手し、現在地と目的地の位置関係(オリエンテーション)を確認する。視覚障害者が自身で使える地図(触地図あるいは言語地図)は、晴眼者が使う紙に印刷された地図と比べ、そこに盛られる情報量は圧倒的に少なく、経路を策定し、たどるに十分とはいえない。
街の中の経路は基本的には単路(街区の一辺)と交差点で構成される。街区の一辺は通常数十メートルで比較的真っ直ぐであるから、次の交差点まで見通せ、晴眼者にとって単路を次の交差点に向って歩くのは容易である。そこで、晴眼者にとっての「目的地までの経路をたどる」(ウェイファインディング、wayfinding)という課題は、方向転換点(ある特定の交差点)の特定とそこでの進路(直進、右折、左折)の選択が中心となる。視覚障害者の場合、前述のように近接空間情報が乏しい状況では、気づかずに車道や民地に進入したり、駐車場への進入路を道あるいは交差点と誤認するなど、単路でもウェイファインディングの難しさがある。
[現在地の更新]
経路をたどるには、目的地へ向かって歩きながら現在地を逐次更新する必要がある。沿道の街並も目じるしも実際に見るのは初めてであり、直感的に現在地を認識するのは難しい。携行した地図上の(あるいは記憶にある)道路名や交差点名と現地にある表示を突き合わせたり、通過した交差点の数と方向の転換、およびその回数から現在地を推定する。晴眼者の場合、現在地の認識は「どの道(単路)、どの交差点にいるか」であるが、前述のように単路でのウェイファインディングも難しい視覚障害者の場合、単路を外れることは珍しいことではなく、”現在地”が民地内あるいは車道内であることもある。さらに気づかずに交差点を渡っていたり、あるいは曲がっていたという事象も起き、現在地の認識・更新が困難である。
以上のように、視覚障害者は地理情報ヘのアクセス(事前および移動中)が困難であり、眺望や現地情報(道路名,位置,道順などの表示、商店名など)が利用できないなどの理由で、利用できる経路情報は晴眼者に比べ非常に少ない。最近、触地図作成システム(新潟大学渡辺研究室)、位置情報表示(例:トーキングサイン)、視覚障害者用GPSを使った地理情報閲覧、言葉による道案内(例:ウォーキングナビ)などの視覚障害者向け地理情報提供サービスが実用化されつつある。今後晴眼者との情報格差が縮まることを期待したい。
経路をたどるためには、その基本要素である単路と交差点のたどりやすさが重要である。民地あるいは車道との境界の明確化、車両交通との分離あるいは棲み分け、道を不法に占拠する事物の除去、道の方向を示す「線」(点字ブロックはこの一例、他にも軒先や舗装の境界が作り出す「線」がある)の作成など、歩行空間を整備することで、近接環境情報が乏しい「初めての道」でも道を失わず、経路をたどることが容易になると考える。街を歩く時、視覚障害者にとって快適な歩行空間が確保されているかという視点から、「道」を見直してみてほしい。
【略歴】
1979年~2002年
視覚障害者更生訓練施設に勤務、その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる。
1988年~
新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、視覚障害リハビリテーション外来担当。
2002年~
フリーランスの歩行訓練士
2003年~
「耳原老松診療所」(大阪府堺市)にて、視覚障害外来担当。
【後記】
いつもながらですが、清水美知子さんの講演の時は、清水ファンが大勢参加され、今回も眼科外来に人が溢れ、会場は熱気でむんむんしていました。
聴衆に問いかけながら進行する清水節は、今回も全開でした。講演の最初に「初めての道を歩く」と聞いた時に、どんなことを想像したかということを、参加された方々に問いかけました。学生、ヘルパー、視覚障害者、ボランティアの方々と多岐の立場の人が皆、意見や感想を述べ合い、それぞれの立場での意見が述べられました。
「街は、視覚障害者が一人で歩くことを想定して出来ていない」「ガイドヘルプを頼み過ぎ」、清水語録のオンパレードでした。最後に語った言葉も印象に残りました。「視覚障害を持つ方々は、これまで訓練など受けなくても歩いていた。すなわち歩く能力を持っている。しかし現実の社会には、歩行の邪魔をするものが多い。こうした視覚障害がある方が歩く邪魔を取り除く街を作ることが出来れば、もう少し歩きやすくなる」
「歩く」ことは、足の運動だけでないことを改めて考えさせられました。
参加者の方々からの感想の一部を紹介します。
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●盲学校の子どもたちは、とかく大人に囲まれた生活ですので、ややもすると大人が先走ってしまうあまり、子どもが自発的に行動することが少なくなってしまうこともあります。子ども自ら声を発することができる環境をつくり、恥ずかしがらず声を出せるようになることが「援助依頼」の第一歩になるんだと思いました。
●ありのままの厳しい現実を,視覚障害者が安心して受け入れ納得できるような,思いやりのある話方をされます。冷静に目の前の困難の解決策を考えていけるよう促していると感じました。理想論で終わらず,具体的でとても分り易かったです。
●(初めて。。。)の言葉には、人それぞれに受け止めが異なると考えています。その人のツールにもよります。私の場合は、盲導犬というツールを得た事により、自身にとって、又盲導犬にとっての道を開拓したくてたまらない日々です。過去に歩いたり、通った道であっても環境によりその道はまったくの(初めての道)となります。 新潟大学の学生さん達の思いのこもった地図は利用者にとって有効です。ただ彼らが目指す地図を作るためには、徹底的にその立場の人たちの意見を聞いてほしいと思います。
●光覚弁になって、一人ではじめての目的場所へ向かうために、はじめての道を歩いた経験が無いので、改めて考えると、難しい課題と感じました。 結局は、「皆さんも、ご自分でよくお考えになってみてください」、ということなんですよね。
●視覚障害者が単独で初めてのところを歩くことは歩行訓練では想定していない、初めて聞く事実でした。しかし自然に考えれば妥当なことだと思いました。 ぶらりと目的地もなく散策のため気晴らしので歩けるようになる日が来るとよいなと願っています。
●難しいテーマでしたね。歩行を考えてしまうのですが、私自身は人生のこれからのことも初めての道のような気がしていました。今まで生きてきていた時間とこれからの時間・・・人間はもしかすると一生「初めての道」を歩き続けているような感じがしています。
●晴眼者と視覚障害者では、眺望空間、すなわち知覚できる空間の広さが異なり、得られる知覚情報の精度・解像度には差があります。「どんな形でもいいから自分の足で歩く」ということが清水さんの基本ではないかと感じます。清水さんの歩行訓練を見ると、歩行訓練は、視覚障害を負った方々をempowermentするものなのだと感じます。
報告:第177回(10‐11月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会 栗原 隆
演題:「私たちは何と何の間を生きているのか」
講師:栗原 隆 (新潟大学人文学部教授)
日時:平成22年11月17日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
私たちが〈生〉を享ける時点はどの時点であろう か。この世に誕生した時が〈生を享けた時〉だと単純明快に言い切ることが出来ないのは、妊娠中絶や生殖補助医療によって、〈生〉の始まりに人の手が介入できるようになったことによる。脳死をもって人の死と判断するようになって以来、死も、運命ではなく、私たちの判断によって定められるようになった。そうすると、私たちは、人と人との間に生きているからこそ、人間であるとも言われるが、日常的な場面で、常に私たちは倫理的な葛藤状況に身を晒し、その都度、どうするべきか対処することを求められていることも考え合わせるなら、私たちは倫理的な判断を生きていると言えるかもしれない。
1 胎児の数は誰が決めるのか
赤ちゃんの65人に一人が、体外受精で生まれる時代に、多胎妊娠の処置は、諏訪マタニティー・クリニックの他、15の診療所施設だけでしか行なわれていない。減数手術は「堕胎罪」に問われかねないからである。日本産科婦人科学会は、1996年以来、子宮に戻す受精卵・胚の数を、原則三個と規定してきたものを、2008年4月12日に「生殖補助医療の胚移植において、移植する胚は原則として単一とした。ただし、35歳以上の女性、または二回以上続けて妊娠不成立であった女性などについては、二胚移植を許容する と、移植胚数を制限するに到った。
減数手術に対して、医師が生まれてくる子どもを決めることに異論が出されてきたにもかかわらず、今度は医師によって、初めから、生まれてくる子の数が決められることになった。減数手術には厳しい眼が向けられる他方で、妊娠中絶の件数は、赤ちゃんが4人生まれるのに対して、1人が母胎内で命を絶たれる計算で、主婦層中心から、低年齢化している。
2 誰の迷惑にもならないことなら、何をしても許されるか
――出生前診断と着床前診断
体外受精による受精卵が、4~8分割した段階で細胞一個を取り出して、核のDNAを検査することで、遺伝性疾患の有無や性別を確かめる着床前診断は、妊娠後に、羊水検査など、胎児の細胞を調べるいわゆる出生前診断によって異常が発見された場合 に、判断を迫られる妊娠中絶を避けることが出来て、母親の肉体的・精神的負担の軽減に繋がると言われる。確かに、出生前診断では、染色体異常の子どもである可能性が170分の1とか、50分の1などという確率の形でしか出てこないため、受け止め方に関して、人によっては混乱を来たしかねない。子宮に針をさして、羊水を20ミリリットルほど抜き取って、そこに含まれている胎児から剥がれた皮膚や粘膜の生きた細胞を培養して染色体を検査する羊水検査は、平均で300回に一回の割合で流産が引き起こされる。誰にも迷惑や危害を及ぼさない技術だからといって、出産に関する自己決定権の行使として守られるべきものであろうか。妊娠率が低くなると言われてもいるこの着床前診断にあっては、8分割した段階で細胞を1~2 個、検査のために取られるというのであるからして、胚の尊厳を冒していないと言い切れるであろうか。
倫理を云々する以前に、胚にとって安全な技術であるのか、疑問が残る。最も確実な男女産み分けは、精子に蛍光塗料を加え、レーザー光線を照射して、男女産み分けをするフロー・サイトメトリーという方法があるが、必要の前に倫理は無力であってはならない。
3 胎児に生まれてくる権利はあるのか
祝福と希望に満ちて生まれてくる赤ちゃんもいる一方で、その4分の1ほどの数の胎児が中絶されている。日本では妊娠22週未満という〈線引き〉がなされている。妊娠中絶をめぐる〈線引き〉についての、ジューディス・ジャーヴィス・トムソンによる「人工妊娠中絶の擁護」(1971年)は、妊娠に繋がるかもしれない行為だと知っていながら行為に及んで、妊娠に到った場合の中絶をも擁護する議論を呈示した。どの段階から、受精卵は、胚ではなく胎児として、自然的紐帯のなかに迎え入れられるのであろうか。筆者の実感では、妊娠が最初に確認されて、超音波で、ごくごく小さな心臓の、限りない拍動が目に見えるようになった時、8週目くらいだったろうか、その時から胎児は家族の一員になった。
生まれてくる権利とか、女性の権利という概念で割り切れない命の繋がりが、その時からエコーの画面で目に見えるようになった。重要なのは、「権利」や「正義」という文脈ではなく、また受精卵一個の、胎児一人の生命ではなく、もっと大きな生命の繋がりの中で命が育まれてゆくというような形で捉え直されなくてはならないということである。「権利」や「正義」は、相手に対する共感・思いやりがない場合には、自分勝手なものになりかねないからである。家族として、胎児に対して理解を深め、共に生を営んでいく、そうした「生の繋がり」を、ディルタイは、「体験」を軸に分析的に描き出した。ヴィルヘルム・ディルタイは、『歴史的理性批判のための草稿』で、普遍的な生の連関を拓く契機を「体験」に見定めて、他者を理解することの成り立ちを明らかにしようとした。
生きてゆくということは、「人生行路(Lebensverlauf)」という表現にもあるように、時間と場所を経てゆくことである。日々、私たちが生きてゆくさなかにあって、次々と時間を過ごし、さまざまな場所を得ながら、いろいろな体験をしている。体験(Erleben)とはまさに生きる(Leben)ことである。生きてゆく場所のそれぞれは、瞬間のそれぞれは、次々と流れ去ってゆくように思われる。にもかかわらず、そこを生きている私は、同じ私として、連続したアイデンティティを担っている。人生の意義と目的とが自覚されていてこそ、その都度の出来事が体験として、その人の糧になる。
4 結び
個人の人生自体、自分だけで営まれているのではないのは、私たちの〈自己〉が、家風や家柄、しつけや作法、生活習慣や生活スタイル、経済状態、倫理観、順法意識、国家、宗教、芸術への趣味、学問、思想によって 影響されていることからしても、明らかであろう。親になって初めて、子育ての限りない喜びと束の間の苦労と些かの心配とが理解できる。
私たちに理解できるものが用意されていないことについては、理解のよすがを持つことができない。他者を理解しようとすると、自らを相手の立場に置き換えてみる「自己移入」が必要である。そうであるならば、書かれたテクストを読む場合であろうと、人に接する場合であろうと、いや、さまざまな患者さんと接する医療者であればこそ、相手を理解するためには、それだけ解釈する人の体験を豊かにしておかなくてはならないことになる。
【略歴】 栗原 隆(くりはら たかし)
新潟大学人文学部教授(近世哲学・応用倫理学)
1951年 新潟県新発田市生まれ。新潟市立万代小学校~鹿瀬小学校~
鹿瀬中学校~見附市立葛巻中学校~長岡高等学校
1970年 新潟大学人文学部哲学科入学(1974年卒業)
1974年 新潟大学人文学専攻科入学(1976年修了)
1976年 名古屋大学大学院文学研究科(博士課程前期課程)入学(1977年中退)
1977年 東北大学大学院文学研究科(博士課程前期課程)入学(1979年修了)
1979年 神戸大学大学院文化学研究科(博士課程)入学(1984年修了・学術博士)
1982年 大阪経済法科大学非常勤講師(1991年辞職)
1984年 神戸大学大学院文化学研究科助手(1987年辞職)
1987年 神戸女子薬科大学非常勤講師(1991年辞職)
1991年 新潟大学教養部助教授
1994年 人文学部に配置換え
1996年 新潟大学人文学部教授
【参考図書】
「現代を生きてゆくための倫理学」 著者;栗原 隆
(京都)ナカニシヤ出版 (2010/11/15 出版) 価格:2,730円 (税込)
現代世界において露呈する、個人の自己決定権の限界を見据え、再生医療、臓器売買、希少資源配分、将来世代への責任など、現代の諸問題を共に考えることで、未来への倫理感覚を磨き上げ、知恵の倫理の可能性を開く一冊。
【後 記】
難しそうなテーマでしたので、あまり多くの方は参加されないかも、、、と危惧しておりましたが、遠くは名古屋からの参加者も含め多くの方に集まって頂きました。
今、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の、『ハーバード白熱教室』がTVや書籍で話題です。今回の栗原先生の講演は、同じような興奮を感じながらお聞きしました。 胎児の数は誰が決めるのか? 誰の迷惑にもならないことなら、何をしても許されるか? 胎児に生まれてくる権利はあるのか?
出来ることはやるべきなのか?、、、様々なテーマを投げかけながら話が進みました。 「カント哲学」では、こう考える、、、、最後に医療従事者への提言と話は進みました。その展開にドキドキしながら引き込まれ、あっという間の50分でした。
お互いが相手のことを理解することは大事なプロセスです。医療の現場においては特に求められていることです。しかし理解できるものが用意されていないことについては、理解のよすがを持つことはできません。相手を理解できるのが追体験のみであるとするなら、障害のある人を理解することは、障害のない人にはできないということになってしまいます。自らを相手の立場に置き換えてみる「自己移入」が必要と栗原先生は喝破されました。
『眼聴耳視』(「げんちょうじし」あるいは「がんちょうじし」)という言葉を、何故か思い起こしました。眼で見るのではなく、眼で聴こう。耳で聴くのではなく、耳で見よう。大事なことは目に見えない。耳では聞こえない、という意味だそうです。
眼で聴くというのは、明るく元気な人を見ると「幸せそうだ」と思いますが、心の叫びを聴けなければ本当の姿は分かりません。耳で視るということは、洗い物をしているお母さんは赤ちゃんの泣き声を聞いただけで、オッパイを欲しいのか、オムツを替えて欲しいのかが目に浮かんできます。何も語らない人の思いを聴いて、見えない姿に心を寄せて視るということです。
哲学者である栗原先生の語りは、圧倒的でした。哲学というものを、今まであまり身近に感じたことはありませんでした。今回いろいろなテーマを突き付けられ、幾つかの論点を、さまざまな角度から考えるいい機会を設けることができ、とても有意義な時間を過ごしました。
サンデル教授ばりのお話を、またお聞きする機会を設けたいと思います。
栗原隆先生の益々のご発展を祈念致します。
報告:第173回(10‐07)済生会新潟第二病院眼科勉強会 盲学校弁論大会
日時:平成22年月7月28日(水)16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」
1)「点字を学習して」
伊藤 奏(いとう かなで) 中学部1年
今年の4月から全ての教科で点字を学習しています。小学校の5年生から少しずつ練習をしてきましたが、最初の頃はなかなか読めずに苦労しました。アイウエオから練習しましたが、タ行は点の数が多く苦労しました。毎日宿題を出してもらい3ヶ月で大分読めるようになりました。最近では少しずつ自信もつき、何とかやっていけるかなという気がしています。
ずっと活字の拡大文字による教科書を使って学習していたので活字・点字ともどちらの良さもわかります。今年1年間で点字の読み書きのスピードを上げるためにがんばりたいと思っています。
《弁士紹介》
現在、万代太鼓・陸上部に所属しています。昆虫が好きで、昆虫に関してはいろいろと知っています。中学部に入学するまでは男子が一人となるので不安でしたが、入学してみると意外と慣れて今では楽しく学校生活を送っています。先日行われた体育祭では実行委員長を務めました。今は8月の新潟祭りに向けて万代太鼓の練習をがんばっています。
2)「人と関わるとは」
石黒知頼(いしぐろ ともより) 高等部普通科2年
昨年、新潟市役所で「職業体験」をする機会がありました。そこで職員の方に点字について教えたのですが、人にものを教えることの難しさを実感しました。また、タクシー券を数える仕事をしました。その時にミスをしたのですが、そのことを伝えることができずに迷惑をかけてしまいました。自分の意思を人に伝えるということがとても大変でした。ついつい人にどう思われるかを考えてしまうからです。
今後一人で暮らすことになると、ますます多くの人と関わることになります。自分でできることを増やす、できないことは人に伝える、助けてもらった時は感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。そのためにも「自分の意思をはっきり伝える」、「わかりやすく教える」力を身に付けていきたいと思います。
《弁士紹介》
私は昨年の春から寄宿舎に入舎しています。高等部を卒業したら、茨城県の筑波技術大学に進学したいと考えています。済生会での弁論は今回で2回目です。高等部に進学後の体験を通じて考えたことを率直にお伝えできたらと思います。現在、野球部に所属し、今年度は7月1日より石川県で開催される北信越盲学校グランドソフトボール大会に出場してきます。
3)「出逢い」
長谷川弘美(はせがわ ひろみ) 高等部専攻科理療科1年
出逢いって不思議だと思いませんか?出逢いによってこれまでの人生観が大きく変わってしまうことがあります。私にとって一番の出会いは母です。3年前に亡くなりましたが、私が幼い時に苛められると、「苛めるほうが悪い。天に向かって唾を吐くと、自分にかかってしまう」。「人に親切にされた時は、感謝の気持ちを忘れてはならない」。社会人になってからは会社の先輩に言われた一言が心に残っています。「僕は誰とでも仲良くなれる。あなたとも仲良くなれる」。当時の私は人の悪いところばかりみて批判していたのですが、それとなく諭してくれたのです。美しい言葉は、ありがとう。美しい心は、思いやり。美しい人は、ひた向きに生きる人。4月から盲学校に入学して多くの人・仲間と出会うことができました。悩んだり迷ったりしたときには教えられたことを思い出しています。
出逢いの数だけさまざまなことを学び、成長していく・・・。これからも皆といっしょに学んでいきたいと思います。
《弁士紹介》
盲学校に入学して今まで忘れていた感動や優しさに触れ、元気をもらっています。勉強の方は今までになく頑張ってはいるのですがなかなか頭に入ってくれません。こんな流れに乗ってしまった自分にビックリしています。今一番の楽しみはいろんな人に出逢うこと、家では植物や金魚、愛犬にいやされています。
4)「夢の続き」
山田 弘(やまだ ひろし) 高等部専攻科理療科3年
あなたは夢を持っていますか?私には一度あきらめかけた夢があります。ランニングの楽しさがわかり、自信も高まり、ホノルルマラソンへ参加しようと考えていました。しかし、ある時走っている時に人と接触して転んでしまいました。視野が狭いために脇に人がいることが分からなかったのです。このアクシデントで自信も失い、夢もあきらめてしまいました。 しかし、昨年町内のマラソン大会に招待された千葉真子さんの何度も何度も挫折を乗り越えたという講演を聞き、もう一度挑戦しようと思い立ちました。
みなさんも諦めてしまった夢がありましたら、再びチャレンジし追いかけてみませんか?
《弁士紹介》
昨年度に引き続いての参加です。7月1日より開催される北信越盲学校グランドソフトボール大会に参加してきます。今年度は最後の大会となるので悔いの残らないよう仲間と力を合わせ、精一杯がんばってきたいと思っています。弁論では自分の夢のことをお話しさせていただきますが、自分の考えていることをお伝えできたらと考えています。
【後 記】
毎年新潟盲学校の方々に来てもらい当院で弁論大会を開いています。そして毎回「どうしてこんなに純粋なんだろう」、「どうしてこんなに真っ直ぐなんだろう」と、多くの感動をもらっています。今回参加された方から、以下の感想を頂きました。
・先日は、盲学校の生徒さんたちのお話を聞かせて頂き、ありがとうございました。
・みなさんがとてもしっかりとした考えを持っていて、前向きで、自分が今何をすべきかをきちんと理解し、それに向かって着実に進んでいられる事に、ただただ圧倒されてしまいました。
・私は何年か前に失明しましたが、さほど落ち込んでいるつもりはありませんでした。それでも皆さんのお話をお聞きして、まだまだ弱虫の自分がいることに気がつかされてしまいました。
・これからも、たくさん勉強させていただきたいと思います。
今回の弁論大会で、4名の方々から意欲や夢を聞き、「挑戦する勇気」、「感謝する心」、「夢を持ち続けるパワー」をもらいました。4名の弁士に心から感謝し、彼らにエールを送りたいと思います。
報告 第167回(10‐01月) 済生会新潟第二病院 眼科勉強会 渡辺哲也
演題: 「視覚障害者と漢字」
講師: 渡辺 哲也(新潟大学 工学部 福祉人間工学科)
日時:平成22年1月13日(水)16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
視覚障害者による漢字の利用についてある学会で発表したところ、聴講者の一人から「視覚障害者に漢字を使わせる必要があるのですか」という質問を受けました。視覚障害者、特に全盲の方には点字があるのだから、それだけ使っていれば良いではないかという意見です。これに対するわたしの答えは次のとおりです。現在では視覚障害者がパソコンを使って文章を書いたり、電子メールをやりとりすることが一般的になっています。そのような場面で仮名ばかりの文章を書いたら、第一に、相手にとって読みづらいでしょう。見える人にとっては、漢字を中心とする文節をひとまとめで読む方が、仮名を1文字ずつ読むよりも理解しやすいのです。第二に、仮名ばかりの文章は幼稚な印象を与えるおそれがあります。だから、漢字を使って文章を書けた方がいいと思われます。
もっと重要な理由もあります。それは、漢字を核とする単語は日本語そのものであり、単語への理解を深めるには、単語を構成する個々の漢字の意味の理解が不可欠だということです。先天性の視覚障害児童の中には、「音楽」を「音学」と、「気勢」を「奇声」と思いこんでいるなど、同音異字への間違いがときどき見られます。このような場合、単語そのものの意味も間違って覚えてしまい、間違った使い方をしてしまうかもしれません(「奇声をそがれる」とするなど。正しくは「気勢をそがれる」)。
視覚障害者が漢字を取り扱う体系としては、漢点字、6点漢字、詳細読みがあります。
漢点字は、大阪府立盲学校教諭だった川上泰一氏が、視覚障害者にも漢字の文化を伝えたいという思いで考案しました。漢字を構成する部首などの要素を点字1マスで表現し、この要素を1~3マス組み合わせて、一つの漢字を構成します。点字は通常6点ですが、漢点字は8点なので触って区別しやすくなっています。
6点漢字は、東京教育大学附属盲学校教諭だった長谷川貞夫氏が、点字入力で計算機に漢字を印刷させるために考案しました。こちらも点字3マスを用い、1マス目が前置符号、2マス目と3マス目が漢字の音読みと訓読みというのが基本的な構成です。覚えるのは大変ですが、3回のタイピングで済むので、仮名漢字変換をするより速く入力できます。
パソコンへの入力手段として多くの視覚障害者に日々利用されているのが漢字の詳細読みです。これは、漢字をその読みや熟語、構成要素などで説明することで、一つの漢字を特定する方法です。詳細読みはスクリーンリーダ製品ごとに異なっています。また、説明語によってその分かりやすさも変化します。
渡辺は、平成15年から18年にかけて、この詳細読みを子どもたちにも分かりやすくするための研究をおこないました。まず、既存の詳細読みを子どもたちに聞かせ、詳細読みが表していると思われる漢字を書かせる調査をおこないました。その結果から、詳細読みで使われる単語が子どもたちに馴染みがあるかないかで、漢字の正答率が変わることを突き止めました。この知見を応用して、教育基本語彙などの資料をもとに、子どもたちにも馴染み深い単語を使った詳細読みを作成、再び漢字書き取り調査をおこなったところ、既存の詳細読みより高い漢字正答率となりました。
最後に、知り合いの視覚障害者が実践している漢字の書き間違い防止策を三つ紹介します。一つ目は、語頭の文字が等しい同音異義語に警戒せよ、です。1文字目の詳細読みが予測通りでも2文字目が違っていることがあります。機会と機械、自信と自身などがよい例です。二つ目は、品詞を活用せよ、です。サ変動詞なら「何何する」と入力することで、名詞のみの単語を排除できます。三つ目は、辞書を活用せよ、です。仮名で辞書を引いて、意図した意味の見出し語をコピーしてくるのです。
このような手段を使って漢字の間違いを減らした方がよいわけですが、漢字の間違いをおそれて書く機会が減るのでは本末転倒です。視覚障害者がせっかく手に入れたパソコンという筆記用具をもっと活用して、社会へ発信をしていきましょう。
◆参考Webサイト
○漢点字について
日本漢点字協会:http://www.kantenji.jp/
○6点漢字について
六点漢字の自叙伝:http://www5f.biglobe.ne.jp/~telspt/txt6ten.html
○漢字の間違いについて
国立特別支援教育総合研究所共同研究報告書G-7「視覚障害児童・生徒向け仮名・アルファベットの説明表現の改良」(研究代表者:渡辺哲也):
http://www.nise.go.jp/kenshuka/josa/kankobutsu/pub_g/g-7.html
「気勢」を「奇声」とする間違いについては、pp.41-43、「盲学校における同音異義語練習問題の活用実践例」(渡辺寛子)より引用。
漢字の書き間違い防止策については、p.45、「同音異義語を間違えないための工夫について」(南谷和範)より引用。
【略 歴】
平成3年 3月 北海道大学 工学部 電気工学科 卒業
平成5年 3月 北海道大学 工学研究科 生体工学専攻 修了
平成5年 4月 農林水産省 水産庁 水産工学研究所 研究員
平成6年 5月 日本障害者雇用促進協会 障害者職業総合センター 研究員
平成13年4月 国立特殊教育総合研究所 研究員
平成21年4月 新潟大学 工学部 福祉人間工学科 准教授
現在に至る
【後 記】
楽しい時間でした。漢字検定試験から始まり、漢字の起源の話(倉頡:そうけつ)、成り立ち(象形・指示・会意・形成・仮借)、そしてヒエルグリフ(古代エジプトの象形文字)まで飛び出してくる漢字にまつわる話は、興味深い話題満載でした。あまり面白くて、ここまでで講演時間の半分以上を費やしてしまいました。
今回の本題(と思われる)、視覚障害者における漢字を学ぶ意義、視覚障害者が漢字を取り扱う体系(漢点字、6点漢字、詳細読み)に話題が移ったのは残り20分くらいからでした。あっという間の50分でした。
講演後の参加者の感想では、「漢字」を活用する脳と、「ひらがな」を活用する脳は同じ部位ではなく、両者を使用するということはハイブリットに脳を活用することになるという論評も飛び出し、いよいよ漢字への興味、視覚障害者と漢字への関心が深まりました。
(参考)
・漢字の詳細読みに関する研究
http://vips.eng.niigata-u.ac.jp/Onsei/Shosaiyomi/ShosaiJp.html
・新潟大学工学部福祉人間工学科
http://www.eng.niigata-u.ac.jp/~bio/study/study.html
今回の渡辺哲也先生、そしてこれまで本勉強会で講演された林豊彦先生、前田義信先生などの他、多くのキラ星如きエンジニアが、「福祉」をテーマに新潟大学工学部福祉人間工学科で研究しています。
「福祉」という文字の入った工学部は全国でも珍しいとのことです。「ものづくり」の専門家が福祉の分野で活躍できることは数多くあります。新潟大学工学部に福祉人間工学科があることを誇りに思います。
演題:「賢い患者になるために
-視力障害を伴う病気を告知された時の患者心理、
及び医師との関係の中から探る」
講師: 関 恒子(長野県松本市;黄斑変性症患者)
日時:平成21年9月9日(水) 16:30 ~ 18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演要旨】
1)始めに
私は両眼に黄斑変性症を持っている。左眼は1996年1月、右眼は同年11月に近視性血管新生黄斑症を発症している。この病気に対する有効な治療法が確立していない中で、当時最先端医療の黄斑移動術を選択し、左眼は1997年強膜短縮の黄斑移動術を、右眼は1999年に全周切開の黄斑移動術を受けた。その後も合併症や再発のために数度の手術を重ね、現在眼底出血はないが、網膜萎縮のために暗視野と視力低下が進行しつつあり、左眼0.4、右眼0.2の視力である。
私のように、視力低下をもたらす病気を突然宣告されたら、誰でもかなりのショックを受けるはずである。その時の患者の心理と問題点、治療を選択する際の問題点等を、私の経験を基に患者の立場から述べてみたい。
2)視力低下をもたらす病気を宣告された時、患者に起きる変化と問題点
◆ショックは理解力を低下させる
私は初診時、「視力が落ちていく」と医師に言われ、考えてもいなかったことだけに、そのショックは大きく、「視力が落ちていく」という医師の言葉を失明の宣告と捉えてしまった。白衣高血圧症というものがあるように、白衣の前にいるだけでも患者は緊張し、通常とは異なる精神状態に陥るのかもしれないが、ショックは冷静さを失わせ、患者の理解力を低下させるものである。
私は後になって、黄斑変性症=失明とは限らないことを理解できたのだが、このような患者の誤解や理解力のなさは、もともとその人に理解力がないのではなく、視力低下を起こす病気を突然告げられた時のショックによるところが大きい。
◆楽観主義者も悲観主義者に
黄斑変性症の知識が皆無であった私は、診断を受けた際、医師から「視力が落ちていく」と言われ、失明した時のことばかりを考えた。視力の障害は直ぐさま日常生活や仕事に大きな影響を与えるため、「視力低下」と聞いた途端、大きな不安に襲われ、将来に希望を失う。どんな楽観主義者も悲観主義者になり、もはや医師の説明のうち、最悪の状態になった時のことだけしか心にとどめず、不安をますます増強させるのである。
◆ 不安や不便さは視機能の程度に比例しない
歪み等のために、私が見え難さや不便を最も感じたのは初期の頃であった。その頃はまだ片眼は正常であったし、現在の視機能よりはるかに良かったにもかかわらず、精神的負担や訴えが多かった。初期の頃は、喪失感のほうが強く、残存する視機能をうまく使おうという意識などなかったからである。患者それぞれの不安の大きさや感じている不便さは、視機能の程度とは一致せず、患者への援助の必要性もまた障害の程度で決まるものではないように思う。
◆ 患者になったばかりの人は医師とのコミュニケーションが下手
医師との付き合いに慣れない、患者になったばかりの人は特に、忙しそうな医師の姿に質問を憚り勝ちなものである。私自身も適切な折に適切な質問ができていたなら、もっと不安は小さく、あれほど不安を増大させることもなかったに違いない。不安を緩解するために患者のほうもコミュニケーション技術を磨く必要があるのではないだろうか。
◆ 自分の病気を受け入れ、病気と闘うために正しい知識が必要
私が発症した当時は、黄斑変性症についての情報が現在ほど豊かでなかったこともあり、自分の病気について知識がないまま不安を募らせ、また不安のために心にゆとりがなく、知識を求めることさえしていなかった。その頃に、通院していた開業医から近視眼に関する一冊の本が私に与えられ、強度近視眼の危険性や、自分の病変がなぜ起こったのか、おおよそのことをその本から学ぶことができた。
私が自分の病気を冷静に受け止めることができるようになったのはその時からである。正しい知識を得ることは、自分の病気と正面から向き合うことになり、それが病気を受け入れ、病気と闘う力に繋がると思う。
◆ 病気について正しい知識を得るために
自分の病気に関する予備知識がないまま告知を受ける患者は多いと思う。その患者が医師から説明を受けても、その場で直ぐに病気を完全理解することは難しい。しかし正しく理解することは患者にとって必要なことなので、医療者の方々には、患者は理解できないものと決めたり、諦めたりしないで、情報を与え続けて欲しい。しばらくして冷静な心理状態になった時には理解力が増すはずである。家族に病気を理解してもらい、協力してもらうためにも先ず患者自身が正しい知識を持つことが必要である。患者も理解しようと努めて欲しい。
3)治療を受けるに際して
◆ インフォームド・コンセントはなぜ必要か
Informed consent (I C)とComplianceは、医療の基本であり、医療者側と患者の信頼関係を築くもとになるものと考えられる。私の場合は、最初「視力が改善するかもしれない」という情報しか持たないまま黄斑移動術を受けることを即座に承諾して帰ったのだが、手術病院を紹介してくれた開業医からの、どんな手術なのかをよく知った上で承諾すべきだというアドバイスに従い、自分の方から病院に情報を求めた。そして再考の後、結局手術を選択した。手術の結果は、手術によって新たな障害も生まれ、全てを満足させるものではなかったが、まだ確立していない、予後も不明の危険な手術を選択したのは私自身である。だから結果は自己の責任でもあると思っている。
充分な情報と熟慮の末の自己決定であったと信じているので、結果の如何に関わらず、手術を受けたことを後悔していない。しかし、もし私が不充分な情報のまま安易に手術を受けていたら、後悔も自責の念も生まれたと思う。これが私自身が経験した自己決定の大切さであり、ICの必要性である。
しかし、たとえ充分な情報が与えられても、患者の背景によって理解度も、受け止め方も様々で、ICなど無駄と思える場合もあるかもしれない。中には自己決定を放棄する患者もいることだろう。しかし、たとえ充分な理解が困難な場合でも、説明をする医師の姿勢を見て、患者は安心して医療を受けることができるかもしれないし、またICの機会が医師と患者の対話の機会となり、信頼関係が芽生えるきっかけとなるかもしれない。
◆ 患者に要求される理解力と判断力、そして人生目標
ICの機会を得て自己決定をする際に、問題となるのは患者の理解力と判断能力である。自分自身の価値観と人生目標がない者には判断基準がなく、自己決定は不可能である。信念を持って生きることが必要なのかもしれない。また日頃から健康情報に関心を持つことが理解に役立つこともあるだろう。
◆ 患者は情報を得ようとする姿勢を
私も経験したことであるが、情報は患者から求めなければ得られない場合もある。しかし求める姿勢があれば得られるものであると思う。医師から説明を省かれないためにも、患者は得ようとする姿勢を示して欲しい。
◆ 理解と共感
眼科患者に限らず、多くの患者は周囲の者に自分の病気の状態を理解してもらいたい気持ちを持っている。眼科の場合、検査によって視機能が客観的に評価され、医師も周囲の者もそれによって状態を把握することができる。だが、多くの患者は客観的評価を充分と思っておらず、診察時には見え難さや不自由さを訴え、主観的評価と客観的評価の溝を埋めようとする。これは私もついしてしまうことである。限られた診察時間を無駄にする無用な訴えかもしれないが、医師に理解され、共感が得られたと患者が感じた時、患者の苦痛は軽減し、信頼感を持つのではないだろうか。
4)終わりに
患者にとって医師との関係は重要で、どんな患者も診察室の中の時間を大切に思っているに違いない。病気が深刻であればあるほど患者は医療を頼りにし、医師は患者の人生に深い関わりを持つようになる。上記に述べた患者の心理や問題点を認識し、理解し合うことが、患者側と医療者側のより良い関係を築く一助となり、また患者の方々にはより賢い患者になるための参考になれば幸いである。
【略 歴】
名古屋市で生まれ、松本市で育つ。
富山大学薬学部卒業後、信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。
1996年左眼に続き右眼にも近視性の血管新生黄斑症を発症。
2003年『豊かに老いる眼』翻訳。松本市在住。
趣味は音楽。フルートとマンドリンの演奏を楽しんでいる。
地元の大学に通ってドイツ文学を勉強。
眼は使えるうちにとばかり、読書に励んでいる。
【後 記】
いつも感じることですが、疾患を乗り越えてきた患者さんの言葉には迫力があります。
関さんによると、、、、、
「視力が低下していく」という医者の説明を、「失明宣告」と理解してしまった。
当時最新の手術(黄斑回転術)について、一度は理解しないまま承諾してしまった。
治療法を選択するのは、自己責任。
自己決定するには、知識が必要。
困難な病に立ち向かうには、医師との信頼関係が必要
多くの示唆に富んだお話でした。医師には説明責任がありますが、患者さんは自分で決定し、自分の責任で治療法を選択しなければなりません。 医者の患者さんへの病状説明は、急停車した電車での車内アナウンスと比喩した人がいます。原因は何なのか。これから復旧にどれくらい時間がかかるのか。こうしたことが早々にアナウンスされると乗客は安心して待っていられる。それがないと騒ぎ出す乗客が出てくると、、、、。
患者さんが自分で決めることができるためにも、知識と患者さんの状況を、正しく伝えなければならないことを肝に銘じました。
第161回(2009‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会 弁論大会
『新潟盲学校弁論大会 イン 済生会』
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
日時:平成21年6月23日(火) 17:00~18:00
【2年生】
森山 威(もりやま たけし)専攻科理療科2年
悩みながらも意地を張っていた社会人生活と比べ、現在はとても気持ちが楽になった。給食便りなど、小学校2年生の息子と同じ内容のプリントをもらい、不思議な感じがしている。帰宅時間も休日も同じ、話す内容は学校のことなど、親子と言うより兄弟のようである。3年間の学生生活も残り半分になった。息子のためにも、自分に負けず、しっかり勉学に励みたい。
自己紹介~7歳の息子の父親です。6月19日(金)に群馬県で行われる関東甲信越地区盲学校弁論大会に新潟盲学校代表として出場してきます。最初、出場することになったという話を聞いたときは不安で、嫌だなあという気持ちでしたが、学校代表として精一杯発表して来ようと思っています。盲学校に入学する前は八百屋として、仕事に夢中の毎日でした。
【白杖体験】
山田 弘(やまだ ひろし)専攻科理療科2年
これまで白杖の必要性をそれほど感じていなかったが、ある日ホームルームの時間で白杖を使用しての歩行練習を行った。その際、アイマスクを使用しての歩行がいかに難しいかがわかり、精神的にも疲労してしまった。白杖の意義、大切さを理解し、今後の自分の生活を考えると白杖は必要不可欠なものとなるだろう。しかし、いまだに葛藤中の私である。
自己紹介~野球部、陸上部に所属しています。走ることが大好きで、趣味はマラソンです。先日行われた新潟マラソンにも出場しました。また、野球部ではピッチャーを務めています。7月1日~3日に富山県で開催される北信越盲学校グランドソフトボール大会に向け、毎日の練習を大切にして、仲間とともに頑張っています。
【もう一つの理由】
京 円香(きょう まどか)専攻科理療科1年
専攻科理療科に進学しようと決意したのは祖母の一言だった。自分の長所を生かすことができる仕事に就くために日々の学習、体力向上に努め、応援してくれている方々の期待に応えられるよう、精進していきたい。
自己紹介~前にも済生会での弁論大会に参加させていただいたことがあり、今回で2回目の参加です。バレー部に所属していて、6月17日~18日に長野県で行われる「第46回北信越盲学校バレーボール大会」に向けて練習中です。大会ではぜひ優勝カップを持ち帰りたいと思っています。また、今年から理療科の1年生ということで新しい分野の勉強に取り組み始めました。勉強が大変ですが、その分充実しています。趣味は音楽鑑賞です。
【後 記】
3人の弁論に、感動しました。京円香さんの、初々しさ。健気に手に職を付けて頑張ろうとしている姿。 山田弘さんの50歳からの盲学校での再スタート。応援したくなりました。 森山威さんの「2年生」、理療の仕事は人の役に立てる、息子に親父の威厳のある背中を見せてやりたい、、、涙が出そうでした。
生徒一人一人は飾ることもなく、素直な言葉で自分自身を表現しておりました。やはり一度、社会に出ていた生徒は、発病してからの葛藤を経ているからこそ、「生」の言葉に説得力があったと思います。盲学校に入学する気持ちになったのだから、もうふっきれたかな?と思われがちですが、行きつ戻りつの心の状態が続いているのが現状です。くじけそうになったとき、我々教師がどのように心理的サポートを行うことができるか、負けそうになる自分に打ち勝つためのヒントをどのように伝えるか、が大切なのだろうと思いました。
今年も素晴らしい弁論を聞かせて頂き、ありがとうございました。
演題:「杖に関する質問にお答えします」
講師:清水 美知子(歩行訓練士;埼玉県)
日時:平成21年6月10日(水) 16:30~18:00
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演抄録】
市販されている10数種類の杖(下記)を、参加者に手渡し、それらの特徴をお話しました。最近は、杖の種類が増えていて、ジオム社や日本点字図書館用具部のカタログには30種余りの杖が載っています。全体的に携帯しやすい杖と、大きな球面を持った石突が好まれているようです。
<紹介した杖>
・色:白、黒、模様柄
・構造:一本杖、折りたたみ式、スライド式
・素材:アルミニウム、カーボンファイバー、グラスファイバー
・石突:ペンシル、マシュマロ、ティアドロップ、ローラー、パームチップ
・重量:110~280g
「歩行訓練」がわが国に紹介されて40年余りが過ぎました。これまで「歩行訓練」の教科書がいくつか著されてきましたが(文献1-5)、それらに記されている杖の操作技術(「ロングケイン技術」、the long cane techniques)の基本は、ほとんど変わっていません。
<ロングケイン技術の基本>
床に立ったときの床面から脇の下(あるいはみぞおち)までの垂直距離に等しい長さの杖を、次の5項目のように振る。
1.手首を身体の中央に保持
2.手首を支点として左右に均等な幅に振る
3.振り幅は身体のもっとも広い部分(肩幅あるいは腰幅)よりやや広く
4.振りの高さは杖の先端の最も高いところで数センチ以下
5.振る速度は、歩調に合わせ、杖が振りの右端(左端)に接地したとき、左足(右足)が接地するように振る
一方、こうした教科書の基本通りに杖を使う人は稀で(文献6,7)、大方の人は、杖が脇の下までの距離より長かったり(短かったり)、杖を持った手を体側に置いたり、(その結果、またはそれと関係なく)振りは左右均等でなかったり、など基本型とは異なる形で振っています。また、大きな球面を持つ石突あるいはローラー式のように動く石突の普及が、石突を常時接地したままで振る方法(a constant-contact technique、文献8)を容易にさせ、石突の接地時間が延長の傾向にあるようです。
その理由は、教科書通りに振っても物と身体の接触を100%避けられないというロングケイン技術の限界に加えて、教科書通りの基本型を維持するのは身体的につらい、保有視機能で段差や障害物が検知できる、杖は視覚障害があることを示す単なる印と考えている、歩行訓練を受けたことがない、球面の大きな石突の普及、杖使用者の高齢化などが考えられます。
こうした状況を考えると、杖の導入段階での指導内容として、基本型を指導する意義は認めるとしても、指導者も使用者も型にこだわり過ぎないように注意することが大切だと思います。身体と物の接触あるいは衝突、路面の凹凸によるつまずき、踏み外し、転倒の頻度などを目安に、杖の種類・長さ・振り方の妥当性について、実際の状況で検証していくことが重要です。
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文献
1.日本ライトハウス職業・生活訓練センター適応行動訓練室(1976).視覚障害者のための歩行訓練カリキュラム(失明者歩行訓練指導員養成講習会資料)第2版、厚生省.
2.Ponder,P. & Hill,E.W.(1976).Orientation and Mobility Techniques;A Guide for the Practitioner, AFB Press.
3.芝田裕一(1990).視覚障害者の社会適応訓練、日本ライトハウス.
4.Jacobson,W.H.(1993). The art and Science of Teaching Orientation and Mobility to Persons with Visual Impairments, AFB Press.
5.LaGrow,S. & Weessies,M.(1994). Orientation and Mobility;Techniques for Independence, Dunmore Press.
6.Bongers, R.M., Schellingerhout, R., Grinsven, R.V. & Smithsman, A.W.(2002). Variables in the touch technique that influence the safety of cane walkers, JVIB, 96(7).
7.Ambrose-Zaken,G.(2005). Knowledge of and preferences for long cane components: a qualitative and quantitative study, JVIB, 99(10).
8.Fisk,S.(1986). Constant-contact technique with a modified tip: A new alternative for long-cane mobility, JVIB, 80,999-1000.
【略 歴】
歩行訓練士として、
1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わっている。
1988年~新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて
視覚障害リハビリテーション外来担当。
2003年~「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm
【後 記】
30本にも及ぶ杖を持参しての講演会でした。杖にもいろいろな種類があることを改めて知りました。清水さんはいつも障がい者の視点と、歩行訓練士の視点で語ってくれます。現状でいいのか、もっとこうあるべきではないか、もっとこうして欲しい、、、、。 歩行訓練、奥が深いです。
以下、今回参加した医学部学生の感想を紹介し、編集後記の締めくくりととします。
●今日は、歩行訓練士の立場からのロービジョンへの取り組み、考え方を聞くことができ、今まで自分の知らなかった視点からロービジョンを捉えることができました。今までの実習では医療者側から患者さんに接してきましたが、疾患やその症状を評価するのに客観的なデータである視力や検査の結果に着目しがちでした。しかし、本当に重要なのは患者さんがどれくらい見えているのか、そしてその視力障害が生活に対してどの程度の影響を及ぼしているのか、であると再認識させられました。
●生活への影響は、年齢や生活パターン、合併する疾患など患者さんの状態に応じて千差万別であり、それを把握するためには時間をかけて一人ひとりの視覚障がい者としっかり向き合い、接していかなければなりません。歩行訓練士の清水さんは、歩行という動作を通じて一人一人の生活を把握し、杖によりサポートしていらっしゃいました。
●清水さんの話では、昔は種類が少なかったために限られた選択肢の中から杖を選んでいたのに対し、最近では杖の種類が増えてきたことでニーズに合わせた選択を行うことができるようになったとのことでした。また、歩行訓練についても昔は教科書通りの指導を行っていたが、最近では視覚障がい者の現状の歩き方を見た上で問題点を改善していくという方針に変わりつつあるそうで、より障がい者側の立場に立って指導されるようになっている。障がい者を取り巻く環境として、画一的な評価や指導を行っていた従来の状態から、一人一人の状況に合わせたサポートを行うように変化してきていることを知りました。
●現在の問題点は、障がい者、サポート側のいずれもが知識不足のために、今の便利な環境を知らないままに不便な思いをしながら歩行や生活を続けていることである。これを改善するために、まずはロービジョンの会合などを通じて啓発活動をしていくこと、そして医療者、福祉士、介護士を始めとしたスタッフが協力、連携していく必要があることを学びました。
今後医療者として、治療行為を通しての患者さんのサポートはもちろんのこと、それに加えて今回の勉強会のような会合や新しい情報の提供という形でも視覚障がい者をサポートしていきたいと思います。
報告:第158回(2009‐04月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会 宮坂道夫
演題:「医療紛争のソフトな解決について」
講師:宮坂 道夫(新潟大学医学部准教授)
日時:平成21年4月8日(水) 17:00~18:30
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
【講演抄録】
裁判外紛争処理(ADR、alternative dispute resolution)は、1960~70年代に欧米で提案され、80年代から急速に国際的に拡大した。これは、司法制度の限界を見据えて、より柔軟な紛争処理の仕組みを設けようという運動であった。いくつかの異なった仕組みが提案されている。裁判の「前段階」として、司法の枠内にそのようなシステムを設けようという提案や、裁判とは独立した仕組みを提案する民間型の提案がなされてきた。
日本の医療でも、裁判は紛争解決の手段として問題が多々あることが指摘されてきた。和田らは、(1)争点が法的問題に限定されること、(2)責任主体が限られた個人に限定されること、(3)紛争解決の帰結が金銭賠償に限定されること、(4)対決的構図が必然的に設定されること、(4)医療現場への影響が大きいこと、等を指摘する(*1)。
*1 和田仁孝、中西淑美
『医療コンフリクト・マネジメント-メディエーションの理論と技法-』 (シーニュ、2006年)
さらにこれに加えて、(5)患者の権利が法制度化されておらず、診療情報が医療側に独占されていること、にも関わらず(6)立証責任が訴えた側にあること、(7)医療者側の証拠提示義務が十分でないこと等も指摘されてきた。
「医療コンフリクト・マネジメント」
和田らは、(A)医療紛争において、患者側のニーズと医療者側のニーズは、実はかなり共通している。(B)当事者のニーズに丸ごと対応できる、ケアの理念に基づくシステムが必要、という前提に立ち、「医療コンフリクト・マネジメント」を提唱している。それによると、当事者の対立は認知フレームの相違に基づいているので、「対立をもたらす認知フレームに働きかけ、それを変容させるべき」だという。そのために、メディエーターが、対立の構造(イシュー、ポジション、インタレスト)を分析し、その上で仲介(メディエーション)を試みる。
講演では、具体的なケーススタディを行って、ADRが日本の医療現場でも有効に働きうることを指摘し、その一方で限界もあることを示唆した。演者は、検討を要する課題として、(1)ADRは、紛争の内容が「広範囲」に及ぶ場合(複数の医療施設が関わるような場合や、当事者の姻戚関係や職場・学校などに紛争の環境要因があるような場合)に対応が困難、(2)ADRがあくまで紛争発生後の「事後」の対処法である、という点を指摘した。また、参加者から、メディエーターの育成・確保の問題も指摘された。これについては、日本医療メディエーター協会が養成事業を行っていることなどを紹介した。
ADRの弱点を補う方法として、「紛争の芽を絶つ」事前の解決策が不可欠であり、その位置づけにあたるのが「臨床倫理」の検討会ではないかと提案した。具体的には、多職種による「臨床倫理検討会」をインフォーマルに行うことを提案した(*2)。
*2 詳細は、以下を参照のこと
宮坂道夫:『医療倫理学の方法 原則, 手順, ナラティヴ』(医学書院,2005年)
宮坂道夫, 坂井さゆり, 山内春夫:日常臨床における医療倫理の実践,
日本外科学会雑誌,110(1), 28-31, 2009
【宮坂 道夫 先生:略歴】
1965年長野県松本市生まれ。松本県ヶ丘高校卒業、
早稲田大学・教育学部理学科生物学専修卒業、
大阪大学・大学院医学研究科修士課程修了、
東京大学・大学院医学系研究科博士課程単位取得、博士(医学、東大)
現在、新潟大学医学部保健学科准教授。
専門は生命倫理、医療倫理など。
主著:『医療倫理学の方法』(医学書院)
『ハンセン病 重監房の記録』(集英社新書)など
HP http://www.clg.niigata-u.ac.jp/~miyasaka/
【後記】
医療訴訟は、医療現場での悩ましい問題です。一生懸命治療していた結果患者さんに訴えられる、あるいは信頼して治療を受けていた主治医を訴える、、、、辛く悲惨な状況です。解決の方法として医療裁判があるのですが、現状では、時間がかかりお金がかかる割には、双方に納得できる解決が得られることが殆どありません。すなわち、どちらも不満足な、不本意な判決になってしまうことが多いのです。
時間がかからず、経費がかからずに、双方が満足できる(Win-Win)解決法、ソフトな解決法はないものか?こうした疑問に一つの答えを示してくれる講演でした。すなわち、こじれた関係をいかにお互いの立場や心情を理解しつつ、歩み寄れるのか、そのためにはどのような方策が考えられるのか、と改めて考えさせられる内容でした。
参加された方々からも、いくつかの事例が報告され皆で考える時間を持つことが出来ました。
今回は、耳慣れない言葉が多かったので、私なりに調べてみました。
「裁判外紛争処理制度(ADR)」
http://www.nichibenren.or.jp/ja/judical_reform/adr.html
日本弁護士連合会(日弁連)のHP
「医療コンフリクト・マネジメント」
http://www.conflict-management.jp/preface/preface.htm
医療コンフリクト・マネジメント研究会のHP
「日本医療メディエーター協会」
http://jahm.org/toha.htm
日本医療メディエーター協会のHP