2013年12月3日

報告 第213回(13‐11月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「夢について」
 講師:櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)
  日時:平成25年11月13日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要旨】
 平安時代の終り頃に書かれた「源氏物語」には、夢が多く出てくる。勿論、作者紫式部の創作した夢なのであるが、当時、夢をどのように考えていたかを知る格好の材料にはなる。平安時代は、雷などの自然現象や原因の分からない病は、全て「物の怪(け)」のせいだとされていた。 

 源氏物語の夢も同様で、怨念や怒りをもって登場し、人に恐怖を与える夢は、全て生きている者の魂や死者の魂が「物の怪」となって現われている。一方、「神のお告げ」の夢や「獣の夢は懐妊の証(あか)し」という夢、不可思議な内容でその内容を解く専門家を必要とするような将来を知らせる「予知夢」もあって、「物の怪」とは別のもの、とされていたようである。例えば,主人公の光源氏が、腹違いの兄(当日の参考文に弟とあるのは間違い)である現帝と女性関係で問題を起こし、都を離れて須磨明石で過ごしていた嵐の夜、光源氏は亡き父の帝(みかど)が現われて都へ帰れることを暗示する夢を見るが、同じ夜に現帝は亡き父の帝に恐ろしい目で睨まれる夢を見る、という場面がある。これは「物の怪」と「予知夢」の両方を意味する夢であろう。 

 近代では、今からおおよそ100年ほど前に精神科医フロイトが、人は思い出したくない記憶を押し込んでいる「無意識」という部分がある、という仮説を立て、夢はこの「無意識」の中の記憶が姿を変えて現われるものだ、と考えた。しかしこれも夢についての観念的な説明にすぎず、科学的な根拠はない。 

 夢が科学的説明に一歩近づいたのは、「脳波」という脳細胞が活動する時に生じる電位を波の線に変えて記録する機器が発明されてからである。脳波による睡眠の研究によると、成人においては、睡眠は浅い眠りから約70分かかけて段々深くなり、次いで脳波は浅い眠りを示すと共に、眼球は激しく水平に動き、顎を支える下顎筋の緊張が全くなくなってしまっている睡眠が約20分続く。この後者を「レム睡眠」前者をそうでない睡眠、ということから「ノンレム睡眠」と呼ぶが、成人はこのノンレム睡眠とレム睡眠の合計約90分を一セットとして、これを一晩で四~五回繰り返しているのが睡眠の実態で、しかも夢はその80%をレム睡眠の時に見ていることが分かった。 

 そして、レム睡眠時の脳内神経活性物質が研究され、それらが内部から視覚中枢はじめ全ての感覚中枢を一斉に刺激し、記憶を想起させることで夢が形成されるのではないか、という説が生れた。動物にもレム睡眠期があるという。こうして、レム睡眠は動物や人にとって重要な役割を持つ脳活動の一つであり、「夢」もまた何らかの重要な意味を持つ現象だ、とも考えられるようになった。 

 こうして、レム睡眠は動物や人にとって重要な役割を持つ脳活動の一つであり、「夢」もまた何らかの重要な意味を持つ現象だ、とも考えられるようになった。朝の夢を覚えているのは、レム睡眠で目覚めるからである。だから夢は誰もが見ているはずだ。見た事が無い、と言う人もいるが、夢を見た直後に目覚めなければ覚えていないだろうし、見てもそのまま深い眠りに入れば忘れてしまうだろう。朝目覚めても、強烈な内容の夢でなければ思い出せないだろう。もともと夢は忘れ易いものだ。それだけのことで、本当は見ているのだと主張する人もいる。 

 しかし、もしも本当に夢を見てないない人がいたとしても、レム睡眠は誰にもあるのだから、レム睡眠時で必要とされる脳内作業はきちんとされているのであろう。夢は、昔のこころに残る想い出や、当日の印象深い出来事、あるいは気がかりなことなどが、姿を変えて現われたり、睡眠中の音や気温、寝具などの外部刺激や身体の動き、あるいは痛みや便意、尿意などの身体の内部刺激の影響を受けて見る、と言われている。 

 けれども、外部の同じ音が、同一人の夢では多様な場面でのいろいろの違った音の夢となっていた、という報告もあり、外部刺激や身体的刺激が夢を引き起こす原因にはなってはいても、夢の内容は勝手気ままな物語として現われてくる。夢の内容は、本人の経験したこと以外には現われないはずだという学者もいる。しかし目覚めている時と同様に、睡眠中でも脳自体で空想し創造することは可能なのではないだろうか。また夢で見たものを記憶し、その再現を別の夢で見ることもあり得るのではないか、などと私は自分の経験で思う。 

 「夢知らせ」という現象について、フロイトとほぼ同時代の精神科医ユングは、「ある特定の瞬間にある人のことを考えていたらその人から電話がかかってきた」というような偶然性を「共時性の作用」と呼び、この作用で「夢知らせ」を説明しようとし、フロイトは「心にかけていてのたまたまの偶然性」だと説明している。ユングはまた、夢は本人の行動を良い方に「補(おぎな)って」くれている、とも言う。が、これらの意見もいずれも科学的根拠はない。 

 源氏物語の作家紫式部は、上述した現帝の恐怖に対し、現帝の母親に「嵐の夜などには、常に心に思っていることが夢に出るものだ。気にすることはない」と言わせているし、自分の日記にも、後妻の病いは先妻が「鬼」なって後妻に憑いているのだと考えている夫の絵をみて、そのように受け取る夫の心が問題で、夫が先妻に済まない、と思っているからそのように考えるのだろう、という意味の和歌を残している。 

 夢はどのような内容であれ、個人的な、脳の内部刺激による生理的脳内反応の現象である。夢で驚いたり泣いたり喜んだりするのも、夢だった、とそれだけのことでしかない。ストレス学者は、思い出さなくとも夢でストレスを開放しているのだ、というかもしれない。 

 夢の現象を、どのように思い、どのように受け止めるかは、本人次第である。フロイトやユングや紫式部の説明を思い出して、夢を自分のために上手に利用して、夢とうまく付き合うことが賢い対応であろう。 

 結局は「夢」の内容がいかにして生まれるのかは、今も仮説の域を出ない。脳の「記憶」のメカニズムについての科学的な解明がなされない限りは不可能なのかもしれない。 

【略歴】
 1936年(昭和11)1月 新潟県地蔵堂町(現燕市)に生まれる。
 1964年(昭和39)新潟大学医学部卒業、慶応義塾大学医学部精神神経科学教室にて精神医学、心身医学を研鑽
 1969年(昭和44)10月、新潟大学医学部に勤務。
 1998年(平成10)日本心身医学会総会(新潟)会長。
 2001年(平成13)新潟大学医学部保健学科定年退職。
       同年 新潟医療福祉大学に勤務。
 2007年(平成19)河渡病院精神科デイケア棟勤務
    現在に至る 

【後記】
 夢の話、面白かったです。医学的見地からのみでなく、源氏物語などからも引用したお話でした。「夢の解釈は人次第。悪い夢を見た時は、夢でよかったと思えばいいし、いい夢を見た時は、現実でも叶うようにと思えばいい」という言葉に合点しました。
 参加者の感想もとても興味深いものでした。「つくづく夢は不思議だなぁと思いました。今夜は良い夢が見られそうな気がします」、「見えていたときの〈夢〉には、色も風景も人物もそのまま見えるのです。全盲となった今では、絶対にありえないことですものね。これこそが神様からの贈り物だと思っています」
 そう言えば、最近いい夢を見ていません。今晩はいい夢を見たいと思います。

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
   日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
   場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/ 

【次回以降の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年12月11日(水)16:30~18:00
  「見えない・見えにくいという現実とのつきあい方」
     稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ;取締役社長) 

 平成26年01月8日(水)16:30~18:00
  「大震災でつかめない大多数の視覚障害者への強いこだわり- 一人の中途失明者に何もできず落ちこんで50年」
     加藤俊和(社福:日本盲人福祉委員会 災害支援担当) 

 平成26年02月12日(水)16:30~18:00
  「黄斑変性患者になって18年-治療の日々のこと、そして今見え難さと闘いながら」
     関 恒子 (松本市) 

 平成26年03月12(水)16:30 ~ 18:00
  「私はなぜ“健康ファイル”を勧めるのか」
     吉嶺 文俊( 新潟大学大学院 医歯学総合研究科総合地域医療学講座 特任准教授)  

 平成26年4月9日(水)16:30~18:00
  「視覚障害とゲームとQOLと…」
     前田 義信 (新潟大学工学部福祉人間工学科) 

 平成26年5月14日(水)16:30~18:00
   演題未定
     松田和子(ひかりの森;埼玉県越谷市)

 

2013年10月14日

報告:第212回(13‐10月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「眼科医として私だからできること」
 講師:西田 朋美
             (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)

  日時:平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要旨】
 私が眼科医を目指した動機は、父の病である。父は、私が生まれる前にベーチェット病が原因で失明しており、私は見えている時代の父を知らない。父が見えないことに気付いたのは就学前で、どうして見えないのか?と母にたずねた。母がその時に教えてくれた「ベーチェット病」という言葉は強く心に残り、私にとっては父から視力を奪った憎むべき敵であった。この敵に立ち向かうには、眼科医になって戦うしかないと幼い私は真剣に考えていた。 

 その後、幼い頃からの願いが実現し、私は本当に眼科医になった。しかも、ベーチェット病研究の第一人者の先生が率いる教室で学ばせていただけるという、とても恵まれた環境に身を置くことができた。新しい門出に意気揚々する反面、どうして医療の現場では福祉のことを学ぶことがないのだろう?と思うことも増えてきた。幼い頃から、盲学校や視力障害センターで勤務していた父を通して、数多くの視覚障害者の方々と交流する機会があった私にとっては、医療と福祉はとても密接したものという印象があった。しかし、実際には決してそうではない。その疑問は自分の臨床経験が増えるにつれ、ますます大きくなってきた。そして、多くの眼科医が視覚障害の患者さんに対して声をかける内容は、「見えなくなったら、エライことですからね、大変ですからね・・・」であり、それに対する視覚障害の患者さんの発言は、「見えなくなったら、何もできないし、死んだほうがまし、他がどんなに悪くなっても、目だけは見えていたい・・・」といった種類の言葉が大半だった。毎度その言葉を臨床の場で耳にするたびに、私には何か違うのでは?と思うことばかりだった。いろいろと自分なりに考えてみたが、一般社会にも眼科医にも視覚障害者の日常が単に知られていないのだという結論に至った。 

 振り返れば、私は幼少時から明るく楽しい視覚障害者と触れる機会が多く、視覚障害だからという理由で打ちひしがれている印象がほとんどなかったこともあり、逆に少々ショックだった。今はカリキュラムが違っているかもしれないが、思えば、私の医学部時代には障害者や福祉、診断書の書き方ひとつまともに習ったことがない。少しは患者さんに対してポジティブな発言ができるように、これからは医学部の学生や研修医の期間に、障害者や福祉に関しての知識が得られるようになるとよいと思う。 

 私が医者になって、20年が過ぎた。一般の眼科業務に加えて、私がぜひ継続して活動したいと思うことがいくつかある。一つ目は、視覚障害に関して、一般に正しく知ってもらうこと、二つ目は、ロービジョンケアと視覚障害スポーツに関して啓発していくこと、三つ目は、私がこの道にいる原点ともいえるベーチェット病に関して学び続けること、つまり、ベーチェット病研究班の会議を傍聴していくことである。2000年に第一回国際シルクロード病(ベーチェット病)患者の集いを通して、諸外国のベーチェット病患者さんが治療薬を手に入れるためにいかにご苦労されているのかを思い知った。それを機に、父が2001年にNPO法人眼炎症スタディーグループを立ち上げ、いくつかの国にコルヒチンを寄贈してきた。しかし、度重なる世情不安の中で継続困難となり、その後に法人名を海外たすけあいロービジョンネットワークと変えて、ロービジョンエイドを必要な諸外国に寄贈する活動を行っている。今年はそのために9月にモンゴルへ出向き、モンゴル眼科医会に拡大読書器、拡大鏡などを実際に運び、現地のニーズや活用状況を視察してきた。この手の活動もぜひ継続していきたい。 

 「失明を 幸に変えよと言いし母 臨終の日にも 我に念押す」は父が詠んだ短歌である。父がいよいよ見えなくなってきた時、医師に事実上の失明宣告を受けた。その直後、父の母は父に対して、「失明は誰でも経験できることではない。これを貴重な経験と思い、これを生かした仕事をしてはどうか?それがたとえどんなに小さな仕事でも、ひとつの社会貢献になるのではないか?」と語った。父もその言葉をすぐには受け入れることはできなかったようだが、失明して50年以上経過した今でも、父の座右の銘となり、これまで父は自分と同じ中途視覚障害の教え子さんたちにもこの言葉を語り続けてきたそうだ。私が思うに、この言葉は私にそのままあてはまる。眼科医の私にとって、生まれた時から視覚障害の父がいるということは、これ以上ない貴重な経験である。私の勤務先には、多くの視覚障害の患者さんがいらっしゃる。その方々を拝見する中で、私がこの半生で父を通して経験したことが実に役立つ。 

 こんな私なので、一般的な眼科医の仕事だけをしていたのでは、眼科医になった意味がない。あと何年眼科医ができるかわからないが、自分のミッションだと思って、今後私だからやれる仕事を眼科医の立場からできる限りやっていきたいと願っている。 

【略歴】
 1991年 愛媛大学医学部卒業
 1995年 横浜市立大学大学院医学研究科修了
 1996年 ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所留学
 2001年 横浜市立大学医学部眼科学講座助手
 2005年 聖隷横浜病院眼科主任医長
 2009年 国立障害者リハビリテーションセンター病院 第二診療部 眼科医長 
  現在に至る 

【後記】
 『眼科医として私だからこそできること』西田先生の力強い言葉が会場に響きました、、、、「私が生まれた時には、父は目が見えなかった」「父を目を見えないようにしたベ-チェット病は敵だった」「医師になって、やっと念願のベ-チェット病の研究に専念することが出来た」「医者は、障害者や福祉のことを知らな過ぎる」、、、参加者は、皆、感銘を受けました。
 「私だからできる仕事」ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指すとも聞こえました。自分にとってオンリーワンの仕事は何だろうと、講演を聞きながら自問自答しました。

 

2013年9月30日

報告:第211回(13‐09月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会
 演題:「言葉 ~伝える道具~」
 講師:多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)
  日時:平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
 一つの言葉で救われたり、一つの言葉で奈落の底に落ちたり、言葉は時として人の人生を左右する。言葉の専門家に「言葉は感情を伝える道具である」と教えていただいたことがある。言葉に込められた感情が時として言葉より先により力強く相手に伝わる。 

 「そんなつもりじゃなかったんだ」「そんなことで傷つくとは思わなかった」言葉は口から出てしまったらそれを受け取った相手次第に料理される。判断するのは話し手ではなく聞き手なのである。当日の勉強会の参加者に「救われた言葉」「傷ついた言葉」をそれぞれに準備して最後に発表していただいた。傷ついた言葉に今も心が癒えていなくて思い出すのがつらい、と発表された方がおられた。その人にとってはその時に聞いた言葉が今も現在進行形でその人に「傷ついた言葉」として残っていることを知らされた。ある方は身内の言葉に救われた、と言われた。同じ言葉を同じときに聞いても人はそれぞれに感じ方が違う。「かわいそうに」という言葉で外に出られなくなったという人を何人か知っている。心を込めた同情の言葉もその当事者には「傷ついた言葉」になってしまった例である。

  私は盲導犬を通して目の見えない人、見えにくい人たちに安全に歩行する方法を教えることを仕事としている。言葉を選びNon Visual Communicationの成立を目指している。しかし振り返れば私自身が私が向き合った多くの目の見えない人見えにくい人たちに「傷ついた言葉」を発してしまい傷つけてしまったに違いないことを反省している。そんな私が、ただ相手の寛大な心によって赦されて今もこの仕事を続けられていることを感謝する。

 私が白杖の歩行指導員の養成講習を受けた時に紹介されたトーマス キャロルの“失明”から多くを学んだ。その後、友人の約一年をかけた死をすべて見る中で「視力ある人の失明は死を意味する」が実感を持って迫ってきた。私の友人は最善の医療を受けたにもかかわらずその死から逃れることは出来なかった。Cure(治療)には限界がある。しかしCare(ケア)には限界はないのではないだろうか?視覚障がいリハビリテーションはターミナルケアであると思った。自分の視覚機能を使って情報を集めて行動をしていた自分がそれ以外の方法を受け入れそれを使って行動する。方法は違うが同じ結果に向かって進むことに違いはないはずである。

 受容とあきらめは受容が希望をもって将来を向いているのに対してあきらめは希望を見つけられず過去を向いているのではないだろうか。その原因はどれだけ多くの「救われた言葉」に出会うか、だと思う。

 相手を傷つけるかもしれないから何も言わない、のではなく相手を傷つけないように伝えたい。それでも相手が傷ついてしまったら「ごめんなさい」と言い、ひたすら相手の赦しを乞うしかない。同じように逆の立場の場合私も相手を赦す努力をしなければならない。私が6年間を過ごした異文化であるオーストラリアでの生活で日本人である私に新たな異文化思考を教えてくれた言葉は 「私はあなたを許します。しかしこの出来事は忘れません」(I forgive you but never forget)である。つらい出来事から解放される方法は忘れることだと思っていた私の日本人思考が変えられた言葉であった。赦さないと赦せない自分がつらくなるのである。

 無言でいることでNon Visual Communicationは成立しない。Non Verbal communication はそれなりの関係の上に立って成立し言語より雄弁に相手に伝える。

  変わるものを変えようとする勇気
  変わらないものを受け入れる寛容さ
    そしてその二つを取り違えない叡智
 (「ニーバーの祈り」ラインホールド・ニーバーより引用) http://home.interlink.or.jp/~suno/yoshi/poetry/p_niebuhr.htm 

 
 この言葉を受け入れるとき「健全なあきらめ」が導かれ新たな「希望」へと続くと思う。

 

【略歴】
 1974年 青山学院大学文学部神学科中退
     財団法人日本盲導犬協会の小金井訓練所に入る。
 1982年 財団法人関西盲導犬協会設立時に訓練部長として参加。
 1994年 国際盲導犬連盟のアセッサー(査察員)に任命
    (日本人では唯一人;現在に至る)
 1995年 クイーンズランド盲導犬協会(オーストラリア)
     シニア・コーディネーターとして招聘。後に繁殖・訓練部長に就任。
 2001年 帰国。財団法人関西盲導犬協会のシニア・コーディネーターに就任
 2004年2月 財団法人関西盲導犬協会のシニア・コーディネーター退職。
    3月 盲導犬訓練士学校、財団法人日本盲導犬協会付設盲導犬訓練士学校
       教務長(日本初)
    4月 財団法人日本盲導犬協会付設盲導犬訓練士学校開校
 2009年4月 財団法人日本盲導犬協会事業本部
      学校・訓練事業統括ゼネラルマネージャー
 2012年6月 公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術・訓練士学校 担当常勤理事 

*盲導犬クイールを育てた訓練士として有名
 著書:「犬と話をつけるには」(文藝春秋)、
    「クイールを育てた訓練士」(文藝春秋、共著)等

 

【後記】
  さすがに多和田さんの講演です。会場には盲導犬が7頭も勢揃いしました。
 多和田さんの口調は穏やかで、まるで讃美歌を聞いているような講演でした。そして幾つかの気づきがありました。
 言葉は怖い。「そんなことで傷つけとは思わなかった」 とよく言うが、判断するのは話した本人ではなく、聞いた側の人。どんなに気を付けても人を傷つけることはあるが、そのために言わないというのは如何なものか?
 トーマス・キャロルの「失明」に、視力のある人の失明は、死を意味すると記されている。その意味で、視覚リハはターミナルケアではないのだろうか?失明と同時に、新しい自分に乗り換えるということ。
 「受け入れる」と「諦める」は違う。諦めるは、過去を断ち切ること。受け入れるは、将来を見ることだ。cureには限界があるが、careには限界がない(で欲しい)。
 人間はそもそも充分なものではあり得ない。過ちを犯す存在だ。赦されて生きている。では、あなたは他人を許せるか?、、、、、、
 多くのことを感じ、今後自分はどうしたらいいのかを問われた講演でした。

 

2013年9月6日

演題:「楽しい外出をサポートします 〜『同行援護』その効果とは〜」
講師:奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)
 日時:平成25年8月7(水)16:30 ~ 18:00 
 場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要約】
 初めに、筝によるミニコンサートが行われました。
 〜ミニコンサート・プログラム〜
 1. 六段の調べ・・・・・・・・・・・・八橋検校作曲
 2. 『天空の城ラピュタ』君をのせて・・久石譲作曲
 3. 見上げてごらん夜空の星を・・・・・いづみたく作曲

 さて、「どうして同行援護の講演の前に筝(こと)の演奏を??」と、思われるかもしれませんが・・・実は、日本の伝統音楽・伝統楽器(琵琶、筝(こと)、三味線等々)と視覚障害者は密接な関係があります。 

 琵琶・筝・三味線・浄瑠璃の演奏、鍼灸按摩等の職業は江戸時代まで視覚障害者が独占しており、晴眼者はこれらの職業に就くことはできませんでした。中世のころから存在した当道座(男性盲人の自治的組織・職能団体)は幕府の保護のもとに享受された様々な特権がありました。(官位、演奏場所の提供、治外法権的な裁判等々)これぞ、中世の福祉制度と言えるでしょう。

 そのような時代背景の中で日本の伝統音楽、鍼灸医学の発展が促進されたと言われています。我が国最上級の文化遺産の「平家物語」をはじめとする日本の伝統音楽や鍼灸按摩の技術の伝播に視覚障害者が大きく関わっていたことは今更ながら驚きです。明治維新以降、当道座は廃止となり、日本の伝統楽器の演奏は一般化して晴眼者も演奏されるようになりました。

 

障がい福祉サービスの歴史
昭和37年(1962) 老人家庭奉仕員派遣制度スタート(在宅高齢)
  42年(1967) 身体障害も対象に
  45年(1970) 心身障害者(児)も対象に
  49年(1974) 盲人ガイドヘルパー派遣事業スタート
  56年(1981) 脳性マヒ者等ガイドヘルパー派遣事業スタート
  63年(1988) 視覚障害者生活介補員派遣事業スタート
平成13年(2001) 知的障害者ガイドヘルパー派遣事業スタート
  15年(2003) 支援費制度スタート(措置から契約へ)
  18年(2006) 障がい者自立支援法スタート
  23年(2011) 10月から視覚障害者ガイドヘルプが「同行援護」へ移行
  25年(2013) 障害者総合支援法スタート 

同行援護サービスの内容
 1.移動時及びそれに伴う外出先において必要な視覚的情報の支援(代筆・代読を含む)
 2.移動時及びそれに伴う外出先において必要な移動の援護
 3.排泄・食事等の介護その他外出する際に必要となる援助 

情報支援と情報提供
 1.移動中の情報提供は見えるものすべてを言葉にして伝えます。
  ただし、利用者が望まない場合は、必要に応じた情報提供を行います。
 2.外出から帰宅までは様々なことに遭遇したり、状況の変化があったりします。同行援護従事者はそれらの状況を、的確にわかりやすい言葉で伝えなくてはなりません。
 3.視覚障害者にとっての一番大切な情報は、全然に移動するために必要な情報です。二番目に大切な情報は、移動中の周囲の状況を伝えることで視覚障害者のメンタルマップ作りの手助けになるような情報です。
 4.状況説明と一口に言っても、一朝一夕で出来るわけではありません。日頃から、様々な同行援護場面を想定して、状況説明の練習をしておくとよいでしょう。

視覚障害者にとってのリハビリって?
 ・中途視覚障害の人にとっては、以前の生活を取り戻すこと?
 ・先天性視覚障害の人にとっては、見えない不自由さを感じないで生活すること?
 ~同行援護サービスでは、上記の中でも外出に関することをサポートします~

同行援護の利用によりQOL向上の事例
 Aさん 75歳 男性 中途失明
 網膜色素変性症により40歳頃から視力が衰え始める。見えにくいながらも、何とか一人で歩行出来ていたため、よくカラオケなどに行っていた。70歳になり完全に失明し、まったくどこへも出掛けなくなってしまった。歩く機会が減ったため足腰の筋力が衰えてきた。
    ↓↓ 
 保健センターから同行援護を勧められて、ガイドヘルパーと出かけるようになった。カラオケには二度と行けないと思っていたが、行けるようになった。ガイドヘルパーは歌詞も読んでくれるため、見えなくても歌うことが出来る。定期的に出かけるようになったら、足腰の筋力も付いてきて歩くことが楽しくなってきた。

 Bさん 45歳 女性 中途失明
 3年前に網膜色素変性症と診断され、あっという間に見えなくなってしまった。まさか自分が視力を失うとは夢にも思わなかった。気分も塞ぎがちになり外出する気にもなれず家事もおろそかになってきた。
    ↓↓ 
 知り合いから同行援護という制度があることを聞き区役所を通じて申し込みしてみた。初めは気乗りしなかったが、ガイドヘルパーと歩いてみたら意外と楽しかった。自分で買物ができることが何より嬉しい。洋服を買いに行く時はおしゃれして行こうという気持ちになったし、食べたいものを沢山の商品の中から選ぶことが出来る(情報支援)

 Cさん 61歳 女性 先天性視覚障害
 生まれつき見えないため、歩行訓練により慣れたところは白杖をつかって移動することが出来る。しかし、洋服や食品など買物の時は視覚的情報がないために、商品を選ぶのに不便。
    ↓↓ 
 マッサージの仕事や、サークル活動などへ行く時は一人で行っている。買い物等は母親と行っていたが母親も高齢のため付添は難しくなってきたためガイドヘルパーを利用することにした。誘導だけでなく情報支援や代読・代筆などのとき助かっている。

おわりに
 QOL(生活の質)の向上例はたくさんあります。外出によってもたらされる様々な効果は、どんなリハビリよりQOL向上に繋がっているのではないかと思います。視覚障害の皆様に、「ガイドヘルパーを利用して良かった!」と言っていただけることが、私たちガイドヘルパーにとって最高の喜びです。これからも、「安心」「安全」「楽しい」ガイドヘルプを心がけ、サービス向上に努力し、外出をサポートしていきたいと思います。 ありがとうございました 

【略歴】
 平成 9年7月 (財)新潟市福祉公社にホームヘルパーとして入職
 平成17年4月 合併により新潟市社会福祉協議会に所属変更
  障がい者訪問介護センター センター長
  移動支援事業、ガイドヘルプコーディネートを担当。同行援護・移動支援従事者養成研修の開催、事業所内の移動支援実技研修講師等を担当。
  介護福祉士、介護支援専門員、移動支援従事者指導員、福祉住環境コーディネーター新潟市社会福祉協議会に勤務する傍ら、筝(こと)による演奏活動、福祉施設でのボランティア演奏等を行っている。
 「ボランティア演奏、お気軽にお声掛けください。どこでも演奏に伺います!」

 

【後記】
 視覚障害者の外出保障は40年以上の歴史をもって継続され、ガイドヘルパー事業として徐々に改善されてきました。そして、2011年10月より同行援護事業として障害者自立支援法の個別給付と位置づけられました。これまで外出時の代筆や代読などの情報処理ないしコミュニケーション支援がガイドヘルパー事業に含まれるのか否かが問題となっていましたが、同行援護事業ではこれらがサービス内容の本質であることが明確になりました。個別給付として全国一律の制度となり、地域生活支援事業で問題となっていた地域によるばらつきが解消されるものと期待されていました。
 しかし実際には、厚生労働省が示した事業内容が市町村において徹底されるには至っておらず、統一されるべき基準が市町村によって異なる事態が発生しており、一部では混乱も生じています。
 このシステムを充分に活用し、視覚障害者の移動を保証するためには、制度のより一層の改善も必要でしょうが、利用者の上手な活用法のスキルアップもキーポイントかなと、奥村先生のお話をお伺いし感じました。
 そして何より、こうした重要なことを担っているヘルパーさんの存在の大きさを改めて感じました。

 

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【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
  「言葉 ~伝える道具~」
   多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)

 平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
  「眼科医として私だからできること」
   西田 朋美 (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)

 平成25年11月13日(水)16:30~18:00
  「夢について」
   櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)

 平成25年12月11日(水)16:30~18:00
   演題未定
   稲垣 吉彦 (有限会社アットイーズ;東京都新宿区)

 平成26年01月8日(水)16:30~18:00
   未定 

 平成26年02月12日(水)16:30~18:00
   演題未定
   関 恒子 (松本市)

 

2013年7月26日

 「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」  
 (1)「自分を信じて」 中学部 3年   
 (2)「一冊から得られること」 高等部 普通科 2年 

    日時:平成25年7月10(水)16:30 ~ 17:30 
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

 

【講演要旨】
(1)「自分を信じて」新潟県立新潟盲学校 中学部3年  

 自分はできない。あきらめようか。そう思ったことはありませんか?
 僕も今までの人生でそう思ったことは何回もあります。その中でも一番大きな挫折感を味わったのは、4歳から6歳に挑戦した、自転車に乗ることです。僕は小さい頃から目が見えません。当時の僕はそんなことを気にしてはいませんでした。兄が自転車に乗っているので、「自分も乗ってみたいな」と思い、父と母にその気持ちを伝えると、僕の誕生日に自転車を買ってくれました。 

 最初は補助輪をつけて、乗り方を父と母に教えてもらい、何回も練習しているうちに、乗れるようになりました。その時、胸は喜びで一杯になりました。次に補助輪を外して練習しました。補助輪の支えが無くなった僕は、今までのように乗れなくなりました。サドルにまたがっただけで転びました。自分で自転車を起こし、サドルには乗ることができましたが、今度はこぐ練習です。たくさん転んで擦り傷が絶えませんでした。それでも僕はくじけずに頑張りました。でも、あるとき転んだ拍子に身体を下水の蓋に打ち付け、七転八倒しました。その時僕は、「自分にはできない。あきらめようかな。」という沈んだ気持ちになりました。それから一年くらいは自転車から離れていました。

 あるとき「少し乗ってみるか」という軽い気持ちで乗ってみました。案の定僕は乗った瞬間に転んでしまいました。それを見ていた友達のお母さんが、「地面を足で蹴って、自転車が止まる前にペダルに足を乗せ、ペダルをこげば乗れるんじゃない」と、丁寧にアドバイスしてくれました。僕は、「よし!やってみよう。」と思いました。最初はうまく乗ることはできませんでしたが、2回・3回と乗っているうちに、いつの間にか乗れるようになっていました。その時は、「やった!」という満足感と、「乗れたぞ」という喜びでいっぱいになりました。 

 改めて自分を振り返ってみても、「あきらめない」という思いも、「乗れたぞ」という満足感や達成感につながったのではないかと思います。これからの人生、いろいろな障害にぶつかり、立ち止まることも多々あると思いますが、「あきらめなければ何かが見えるはず」という思いを胸に頑張っていきたいと思います。 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

(2)「一冊から得られること」新潟県立新潟盲学校 高等部 普通科2年 

 皆さんは、自分にとって最高の一冊と呼べる本がありますか?
 私は本を読んで良かったと感じたことを紹介し、皆さんに読書の良さを知ってもらいたいと思います。まず一つめは読書を共通の趣味として、周囲の人との関係を築くことができるということです。中学校に進学して間もなくの頃、私の席の近くで読書をしているクラスメートに、彼が読んでいる本について尋ねました。すると、その質問から少しずつ発展して、色々なことを話していくうちに、互いの趣味や性格、相手がどのように接して欲しいのかなどお互いに理解できるようになりました。たった一冊の本でも、「親友」と呼べる仲間を作ることができるのだな、と思いました。 

 二つめは、読書を通して難しい漢字や表現方法を無理なく覚えることができることです。さらに覚えることができるだけでなく、そこで覚えた知識を文章を書くときに利用できることです。中学校で意見文の課題が出された際、行き詰ったので、休憩しようと小説を読み始めました。その本の内容は意見文の内容と全く関係ありませんでした。しかし、読み始めて少しすると、行き詰っていたのが嘘のようにアイディアが浮かんできました。次回の意見文を書くときにも、同じように本を開いてみようと思いました。

 皆さんの中には、難しい本を読むのは疲れると思う方もいらっしゃると思います。しかし、初めから分厚い本を読まなくてはならないわけではありません。気負わず読み続ければ良いのだと思います。一方で、もっと本を読みたいのに時間がないという方もいらっしゃると思います。しかし、少しずつ読み進めても十分に楽しむことが可能なのです。疲れる、時間がないなどの理由で読書をすることを諦めず、簡単な本からでも少しずつでも本を読んでいただきたいと思います。

 最後に、今一度お尋ねします。皆さんには、自分にとって最高の一冊と呼べるものがありますか?私はそれを見つけることができて良かったと今でも思っています。そして、皆さんにも最高の一冊を見つけるためにたくさん本を読んでいただきたいと思います。

 

【後記】
 新潟盲学校の生徒の弁論大会を当院で行うようになって10年経ちます。今回も視覚に障がいを持つ中学生と高校生が、精一杯に病院で弁論を行いました。

 最初の弁論では、自転車が出来るようになるまでの苦労と、出来た時の達成感を語ってくれました。思えば自転車乗りと鉄棒の逆上がりは、多くの人にとって人生で最初の試練ではないでしょうか?この自転車乗りの試練を乗り超えることができた体験を堂々と発表してくれました。「諦めないこと」「自分を信じること」の大切さを、一生懸命に訴える中学3年生の弁士の姿に感動しました。

 2番目の弁論では、最初に「あなたにとって最高の一冊と言える本はありますか?」と皆に問いました。正直、なかなか素直に答えることが出来た人はあまりいませんでした。一冊の本を読んだことから、共通の友人を得たこと、文章表現を学んだこと等々、感動したことを訴えてくれました。この高校2年生がこのまま素直に成長してくれることを願いました。

 今年も爽やかな感動をもらいました。

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【全国盲学校弁論大会】
 大会への参加資格は、盲学校に在籍する中学部以上の生徒。高等部には、はり、きゅう、あんま、マッサージの資格取得を目指す科があり、再起をかけて入学する中高年の中途視覚障害者も多い。7分という制限時間内で日ごろ胸に秘めた思いや夢が語られる。今年で82回を迎えた。

【全国盲学校弁論大会:関東・甲信越大会】
平成25年6月21日 茨城県立盲学校(水戸市袴塚)
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20130622ddlk15040059000c.html
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。
 参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。

   日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
   場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している  音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00 
  「楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)

 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
  「言葉 ~伝える道具~」
     多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)

  平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
  「眼科医として私だからできること」
     西田 朋美 
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)

 平成25年11月13日(水)16:30~18:00
   演題未定
     櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)

 

2013年7月17日

  演題:「視覚障害グループセラピーの考察」
  講師:小島 紀代子(新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会
             NPO法人障害者自立支援センターオアシス)

    日時:平成25年6月12日(水)16:30~18:00
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要旨】
 こころのケアの一つとして2000年から行われ、150回以上続いている「グループセラピー」の考察を通して、オアシスの活動全体をみつめる良い機会になりました。視覚障害リハビリテーションは「こころのケア」に始まり、最後まで必要な治療で最も難しいと云われています。

 私たちの活動の中で『直接的なこころのケア』は、①」視覚障害リハビリテーション外来 ②グループセラピー③なんでも相談・電話相談です。
  『間接的なこころのケア』として、④パソコン・機器の使い方、点字教室 ⑤白杖・誘導歩行介護講習会 ⑥調理・化粧教室・日常生活指導・転倒予防 ⑦サマースクール・学校訪問 ⑧看護学生実習受入れ ⑨同行援護従事者養成講座 ⑩新潟県内パソコン教室姉妹校10校の開設があげられます。 

 活動の根幹は、月2回の「リハビリ外来」です。その外来は、東京から経験豊かな清水美知子先生、石川充英先生と眼科の大石正夫先生、内科の山田幸男先生他で診療が行われています。先生方は、広い視野と既成概念にとらわれないユニークな人間性をお持ちです。その精神やお考えのもとに多くの職種、人々が連携し、「チーム医療」が行われています。

Ⅰ.「グループセラピー」とは何か、目標は?
 目の不自由な人【ピア(Peer)「仲間」「対等」】が中心になり、集団で行う。

1) 同じ目の不自由な人と出会いたい。「気持ち」「情報」「考え方」を『わかちあい』抑えていた気持ち、怒り、悲しみを外に出し、役立つ情報を得て、前向きな考え方を仲間と共に身につける。

2)『わかちあい』から気持ちが楽になり、『ひとりだち』へ。ガイドヘルパー制度を使って、スーパーで買い物、近くの公園を散歩して帰宅。自分で選び自分で決めることが「自立」そして、社会参加へと。

3 『ひとり立ち』は、鬱ウツしていた気持ちが解けて、安心して自由な気持ちで話ができ、いろんなことが許せ、「社会への働きかけ」へと発展していく。

 以上が、グループセラピーの目標です。

 オアシスでは、毎月第1土曜日13時~15時に開催。メンバーは対等、個人の意志の尊重、話したくない時は話さない。この部屋で聞いたことはこの部屋に置いていく。新しいメンバーを大切に、話しやすい雰囲気を作るなど、簡単なルールのもと、目の不自由な人の司会進行で行っています。

Ⅱ.グループセラピーのアンケート調査から
 グループセラピーによく参加している人、1,2回参加した人、参加していな方に分けて、調査をしました。

○参加する目的
 「同じ目の不自由な人の話を聞いてみたい。どうして生活しているのか知りたい」

○参加してよかったことは?
 「自分だけが悩んでいるのではないことが分かった」、「前向きに考えられるようになった」「機器の情報、生活の工夫がわかった」
 よく参加する組は、「家族や晴眼者にはわからないつらさや失敗が話し合えた」、「気持ちが楽になった」

○不満に思うこと、よくない点は
 「ある程度のところで話が終わり、解決策が得られない」、「一般社会の価値観とのずれや、メンバーの固定化」

○本音が、話せたかどうか?
 1,2回組み~「何とも言えない」が66%でした。

○こころのケアに役立ちましたか?
 よく参加する組は「役立った」が92% 
 1,2回組みは、「役立たない・何とも言えない」が50%です。

○どういう時に、どういう人が参加するといいでしょうか?
 「視力低下の不安の強い 人、何か困ったことがある時、少し落ち着いた頃」。

○どういうテーマがよいですか?
 「ひとりになった時にどうしたらいいか」「毎日の生活の工夫」「視力が落ちて行く不安」「家族との葛藤」が上位、
 その他、「差別や偏見」「白杖が持てない」「冠婚葬祭の時の対処のしかた」「親や配偶者の介護」など、よく話題になるテーマです。

○家族を入れたグループセラピーの案が出ていますがどう思いますか?
 「家族も視覚障害が分かるので、あったほうがよい」1,2回参加組42%
 「家族が参加しないように思うから今のままでよい」よく参加する組33%

○まだ参加してない人に・・参加されないのはなぜですか?
 「まだ参加する気持ちになれない」「自分の気持ちが話せるかどうか心配」60% 

Ⅲ.グループセラピーのまとめ
 よく参加するAさんは、視力が落ちてくる不安を何回も何回も口に出し、好きなことを見つけ今の自分を受けとめ、全盲になられても落ち着いています。

 1.2回の参加のBさんは、まだ仲間との信頼関係ができていないので、本音が話せない、自慢話は聞かされる、足の確保も難しいなど、ある程度続けないと気持ちや情報の「わかちあい」までは到達しない。しかし、1,2回でも、『悩んでいたのは、自分一人ではない』ことが分かり、『視力が落ちて行く不安』『生活の工夫』など、グループセラピーは、継続してほしいと願っていますが、ご自分は「リハビリ外来」の先生方と話し合うほうが合っていると。

 Cさんも1,2回組みですが、オアシスの福祉機器普及係として、次の視覚障害者に教える、姉妹校にも行政への働きかけを呼び掛けるなど、「機器の使い方教室」で生き生きとしています。

 長年皆さんの傍にいる私は、『「人」は、語ること、弱さ、つらさを吐きだすことで、納得し強くなれる。聴くことにより、自分を、障害を、客観視でき、役に立つ情報を得、前向きな考え方に変化させていく』など、障害を受け容れるには、時間とお仲間の力は、大切な要素と感じています。
 グループセラピーの良い点は、前向きになれる。自分のことは自分で決める。変えられないことがあることが分かるなど。
 気をつけることは、どうしても、内側に向きがちです。新しい風、社会に働きかけること。そこだけで解決するのではなく、リハビリ外来や地域に繋がる必要性を痛感します。
 また、今後は、『家族』のグループセラピーや、家に閉じこもっている方へのアプローチの検討と、視力が低下していく方、困った時などに、なくなってはいけないのが、「リハビリ外来」・「オアシス」・「グループセラピー」だと思いました。活動の継続、広報のあり方を多くの皆さんと考えたいと思います。

Ⅳ.みえてきたこと
 メインの活動に、「パソコン・機器使い方教室」「白杖誘導歩行講習会」「調理・化粧教室」などがあります。誰もが「こころのケア」をしてもらっている感覚はなく、技術を学ぶ場として定着していますが、仲間が集まりお茶やおしゃべりができ、技術を学ぶ場が一緒にあることが、「こころのケア」として大きく貢献していると思いました。
 中途で障害者となり、言葉も失いかけた人たちが、自分を表現できる場があり、受け入れ難いことも、仲間と交ること、生活するための技術を学ぶことで、「こころ・からだ」が、強くなれます。「リハビリ外来」といろんな職種の人たちの支援を得ての『チーム医療』のお陰と思いました。
 最後に、参加した目の不自由な方にお聞きしました。「不自由・不便から得たものは?」そんなことあるわけがないと言いながら「人の気持ちが分かる」「家族の有難さ」「小さいことに感謝できる」「信頼できる仲間に出会えた」など・・「苦」を体験した人達の人間的『深さ』を垣間見た気がしました。
 どんなに科学が発達しても、「人と人との支え合い」により、絶望から「希望」が見える。相互扶助が「よりよく生きる」ための基本だと改めて感じさせていただきました。
 よき先生方とオアシスの仲間たち、支えて下さる多くの皆さん、発表の場を与えて下さった安藤先生に心から感謝申し上げます。

【略歴】
 1994年 「新潟県視覚障害者のリハビリテーションを推進する会」事務局
 1994年 信楽園病院「視覚障害リハビリテーション外来」スタッフ
 1995年 信楽園病院「視覚障害パソコン教室」スタッフ
 2000年 「いのちの電話」相談員認定 現在休部
 2005年 「NPO法人障害者自立支援センターオアシス」 理事・事務局
 2005年 信楽園病院移転のため活動場所を移動(有明児童センター2F)
       月2回「視覚障害リハビリテーション外来」スタッフ
       週4回「日常生活訓練センターオアシス」スタッフ
 現在に至る。

【後記】
 オアシスのアイドル、小島さんの講演に多くの方が集まりました。150回も続けているグループセラピー、、、、 お聞きしながら、多くの医療関係者に聞いて欲しいと思いました。 「こころのケア」から話が始まりました。
 ・受け入れ難い状況を受入れ、行動できる「力」を得るために出来ることは?
 ・舌は一枚だが耳は二つあるのだから、「語る」ことよりも「聴く」ことが大事。
 ・「不自由・不便」から得るものがあるはず。。。。
 ・医者が行うのは治療と説得、でも患者に必要なことは納得
 ・人は、大切なものを失った時、「言葉」も失い、言いだせない時がある
 ・医者は医学の力で病を治療するが、グループセラピーは自然治癒力を高める効果がある。どちらも必要、
「視力を失って得たものはありますか?」という小島さんの問いに答えてくれた皆さんの答えも印象的でした。
 ・真の友人を得た ・感謝の気持ちを持つことが出来た・・・・・・・ 

 最後にフリーアナウンサーの樋口幸子さんが登場して、皆で大きな声を出し朗読会を行いました。大きな声を出すと元気になれます。締めくくりは、素敵な詩「そのあと」(谷川俊太郎)を朗読してもらい参加者一同、感動しました。

 今回、改めて小島さんのお話を伺い、優しさ、ひたむきさに心が打たれました。益々の活躍を祈念致します。

 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 附)「そのあと」谷川俊太郎

  そのあとがある

  大切なひとを失ったあと

  もうあとはないと思ったあと

  すべて終わったと知ったあとにも

  終わらないそのあとがある

 

  そのあとは一筋に

  霧の中へ消えている

  そのあとは限りなく

  青くひろがっている

 

  そのあとがある

  世界に そして

  ひとりひとりの心に

 http://homepage2.nifty.com/fruit~/sakuhin2013/sonoato/sonoato.html

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『NPO法人障害者自立支援センターオアシス』
 http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/

「グループセラピー」
 日時:第1土曜日 13時~15時まで
 場所: 有明児童センター2階相談室
 対象: 目の不自由な人と御家族
http://www.fsinet.or.jp/~aisuisin/serapy.html

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。 参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。
 眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。

   日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
   場所:済生会新潟第二病院眼科外来

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。

 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】

 平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00 
  「楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)

 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
  「言葉 ~伝える道具~」
     多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)

 平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
  「眼科医として私だからできること」
     西田 朋美 
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)

 平成25年11月13日(水)16:30~18:00
   演題未定
     櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)

 

 

 

 

 

2013年5月28日

  演題:「インクルーシブ教育システム構築と視覚障害教育~盲学校に求められるもの~」
  講師:小西 明 (新潟県立新潟盲学校:校長)
    日時:平成25年5月8日(水)16:30 ~ 18:00 
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
1 障害者の権利に関する条約
 障害者プランが終了した後の平成16年(2004)、最近の平成23年(2011)に障害者基本法の改正がありました。この間、障害のある子どもの教育においては、平成19年に障害児教育(特殊教育)が特別支援教育という用語に改正された時でした。この前後から、それまでの統合教育とかノーマライゼーションという用語に代わり、インクルーシブ教育(インクルージョン)という用語が使われるようになりました。特別支援教育では、障害者である児童生徒とない児童生徒と共に教育を受けられるよう配慮すること。障害者である児童生徒並びにその保護者に対し十分な情報の提供やその意向を尊重すること。交流及び共同学習の推進などが課題とされました。

 同時期の平成18年(2006)、国際的な動きとして「障害者の権利に関する条約」が第61回国連総会で採択され、平成20年(2008)に発効しました。我が国は、平成19年(2007)に条約に署名し、現在批准に向け政府で検討がなされています。条約の内容は、前文と第1条から第50条まであり、全文はネットで検索していただくとして、教育に関しては第24条に示されています。24条にはインクルーシブ教育(包容教育とか共生教育と訳されている)が明記されています。これを簡略に表現すれば、
 1) 原則的に、障害のある者も障害のない者も、共に学ぶ仕組み「inclusive education system 」(署名時仮訳:インクルーシブ教育システム)であり「general education system」(署名時仮訳:教育制度一般)から排除されないこと。
 2) 共に学ぶに必要な人的・物的配慮を受ける合理的配慮が提供されること。(視覚障害者であれば、拡大図書や読書器、点字教材や指導者の配置など)
 3) 小学校や中学校等、希望する教育環境で学ぶことができる仕組みなどです。 

2 障がい者制度改革推進会議
 これを受け、我が国では平成21年(2009)12月に、条約の締結に必要な国内法の整備をはじめとする障害者に係わる制度の改革、並びに障害者施策の推進を図るため、内閣総理大臣を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」が設置されました。さらに、同本部の下に「障がい者制度改革推進会議」 (以下:推進会議)が設置され、制度改革が行われています。

  障害者の権利に関する条約にかかるこれまでの経緯
 ・平成18年12月 国連総会において採択
 ・平成19年 9月  署名
 ・平成21年12月 内閣府「障がい者制度改革推進本部」及び「障がい者制度改革推進会議」を設置
 ・平成22年 7月 中央教育審議会「特別支援教育の在り方に関する特別委員会」(通称:特特委員会)を設置
 ・平成23年 8月 障害者基本法の一部を改正する法律が公布
 ・平成24年 5月  内閣府「障がい者制度改革推進会議」を廃止、「障害者政策委員会」を設置
 ・平成24年7月23日 特特委員会は、「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進」(報告)としてとりまとめた。

3 特特委員会(報告)の要点
(1)共生社会の形成に向けて
・障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会です。それは、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合い、人々の多様な在り方を相 互に認め合える全員参加型の社会である。
・このような社会を目指すことは、我が国において最も積極的に取り組むべき重要な課題である。

(2)就学相談・就学先決定の在り方について
・早期からの教育相談等による、本人・保護者への十分な情報提供と共通理解・障害の状態、本人の教育的ニーズ、本人、保護者の意見、専門家の意見、学校や地域の状況等を踏まえた総合的な判断で、就学先を決定する仕組みが必要である。
・就学時に決定した「学びの場」は固定したものではなく、児童生徒のそれぞれの発達の程度、適応の状況等を勘案しながら柔軟に転学ができることが重要である。例えば、特別支援学級から通常学級へ、またはその逆など。
・個別の教育支援計画の活用

(3)障害のある子どもが通常の学級等で、十分に教育を受けられるための「合理的配慮」 及び「基礎的環境整備」
・「合理的配慮」とは、障害のある子どもが、他の子どもと平等に教育を受ける権利を享有・行使することを確保するために、学校の設置者及び学校が必要かつ適当な変更・調整を行うことであり、体制面、財政面において、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの。 

(4)多様な学びの場の整備と学校間連携の推進
・多様な学びの場として、通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校それぞれの環境整備の充実を図っていくことが必要である。
・域内の教育資源の組合せ(スクールクラスター)により、域内のすべての子ども一人一人の教育的ニーズに応え、各地域におけるインクルーシブ教 育システムを構築することが必要である。例:視、聴、知、病等の学校
・センター的機能を効果的に発揮するため、各特別支援学校の役割分担や、特別支援学校のネットワーク構築が必要である。
・交流及び共同学習は、特別支援学校や特別支援学級に在籍する障害のある児童生徒等にとっても、障害のない児童生徒等にとっても、共生社会の形 成に向けて、経験を広め、社会性を養い、豊かな人間性を育てる上で、大きな意義を有するとともに、多様性を尊重する心を育むことができる。
・教育課程の位置付け、年間指導計画の作成等、交流及び共同学習の更なる計画的・組織的な推進が必要である。その際、関係する都道府県教育委員会、市町村教育委員会等との連携も重要である。 

(5)特別支援教育の充実のための教職員の専門性向上等
・インクルーシブ教育システム構築のため、すべての教員は、特別支援教育に関する一定の知識・技能を有していることが求められる。
・学校全体としての専門性を確保していく上で、校長等の管理職のリーダー シップは欠かせない。 

4 新潟盲学校の取組
(1)早期からの教育相談:相談支援センター0歳から成人まで
(2)情報発信:行政機関へのリーフレット、巡回相談、スマートサイト
(3)幼保、小、中学校特支学級との連携:研修会参加、出張支援、授業参観、学習支援教室
(4)交流及び共同学習:24・25年度実践研究校
(5)生きる力を育む指導と教職員の専門性:校内研修、情報の発信

 

【略歴】
 1977年 新潟県立新潟盲学校教諭  
    1992年 新潟県立はまぐみ養護学校教諭
    1995年 新潟県立高田盲学校教頭      
 1997年 新潟県立教育センター教育相談・特殊教育課長
 2002年 新潟県立高田盲学校校長
 2006年 新潟県立新潟盲学校校長

【後記】
 「障害者の権利に関する条約」、ここで謳われている障害者である児童生徒とない児童生徒と「共に生きる」社会を醸成するために、教育がなせることは何か?というのが今回の主題だった。
 お金ありきでなく、理念を持って先ずは動くことが大事だと。生徒が選択できること。医療・教育・福祉がチームを組むこと、、、、、。

 *障害者の権利に関する条約 第24条(教育)
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/rights/adhoc8/convention.html#article24

 以下のことを考えながらお聞きしておりました。
 1.二元論から一元論(インクルーシブ教育)となった場合に、教育(教師)の専門性を如何に保つか?育むか?
 2.結局は経済的な視点が、この制度には大きく関与しているのではないか?
 3.先天盲は減少しているが、後天性視力障害は増えているのでは?こうした現状では、ロービジョンケアも盲学校の仕事では?この点に関して、小西先生は、6月に新潟で開催される第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会において、「盲学校での中途視覚障害者支援」についての特別企画をオーガナイズしている。

  第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
   ホームページ: http://www.jarvi2013.net/
  詳細な情報: http://andonoburo.net/on/1690

 今回のお話で、障害児教育の流れと現場のご苦労が語られたが、最後に新潟盲学校での積極的な取り組み(スマートサイト等)が披露された。
 その後も小西先生とお話をする時間を持つことが出来た。眼疾患(未熟児網膜症等)を持った子供たちの学童期の視機能と抱える問題点について教わった。医者は、患者と治療の時点でのピンポイントでお付き合いしているが、教育の方々は、治療後の長い10数年にも及ぶ経過で子供たちと関わっておられる。同じ方を語っていても視点が違い、とても参考になった。つくづく、もっとお話をお聞きしたいと思った。
 小西先生の、新潟盲学校のますますの発展を願います!

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年6月12日(水)16:30~18:00
   「視覚障害グループセラピーの考察」
      小島 紀代子 (NPOオアシス)

 平成25年6月21(金)~23日(日)
  第22回視覚リハビリテーション研究発表大会
  (兼 新潟ロービジョン研究会2013)
   期 日:2013年6月21日(金)プレカンファレンス
             22日(土)・23日(日)本大会
   会 場:「チサン ホテル & コンファレンスセンター 新潟」4階
        「新潟大学駅南キャンパスときめいと」 2階
   メインテーマ : 「見えない」を「見える」にする「心・技・体」
    大 会 長 :  安藤 伸朗  (済生会新潟第二病院)
    実行委員長 : 渡辺 哲也  (新潟大学工学部 福祉人間工学科)

 平成25年7月10日(水)16:30 ~ 18:00
   「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」

 平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00 
   「楽しい外出をサポートします!~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)

 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
   「言葉 ~伝える道具~」
     多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)

 平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
   演題未定
     西田 朋美 (国立障害者リハビリテーション病院 眼科)

2013年5月15日

  演題:「私の目指す視覚リハビリテーションとは」
  講師:吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会会長
    日時:平成25年4月10日(水)16:30 ~ 18:00
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
 私の目指す視覚リハビリテーションサービスの理想は、「一生涯を通じて、日本のどこに住んでいても、全盲でもロービジョンでも、身体障害者手帳所持の有無にかかわらず、介護保険サービスを利用していても、必要な時に視覚リハビリテーションサービスが受けられるようにすること」です。 このことが私の理想になったのは、私が高知でおこなって来た、視覚障害リハビリテーションの普及活動や、その後様々な問題を持った当事者の方との出会いを通して、そのような理想を持つようになりました。 

 そこで、この講演では、まず「高知県での普及活動で私が分かった」ことをお話しました。高知県の特徴は、県財政も貧しく、県民の所得水準が低く、公共交通機関などの社会インフラが整備されていないこと。視覚リハサービスの利用者は、7割以上が高齢者で、しかも中途視覚障害者であることです。高齢の中途視覚障害者は、「目が見えない・見えにくい状態になったら、なにもできない」とあきらめていることが多く、視覚リハに関する情報もほとんど知らせていないので、サービスを利用しようという気持ちにはなりません。だから、「利用しに来るのを待つ」のではだめで、「こちらから出ていくサービス『デリバリーサービス』でなければ、高知県には視覚リハは普及しないという戦略を立て、実施した過程をお話しました。

 次に、視覚障害者の高齢化と中途視覚障害者の割合が増加しているのは、高知県だけの特別なことではなく、日本全国どこにでも当てはまるということを、統計資料を使って説明させていただきました。 

 また日本眼科医会の研究班がおこなった2009年度の調査報告を引用して、視覚障害があって日常生活に困っている方は、手帳所持者の5倍以上になること。全盲とロービジョンの比率は1対9ほどで、ロービジョンの方が圧倒的であることを説明しました。

 しかし、一般の方たちも、行政の方たちも、視覚障害者=全盲者であり、幼い頃からの障害者であり、点字を日常的に使っている人であるという固定観念を持っていること。その観念にしたがって、今我が国の視覚障害者に対するサービスは、幼い頃からの視覚障害者で全盲の方中心で、実際視覚障害があることで日常生活に困っている方たちの多くは利用対象外になっており、視覚障害があって日常生活に困っている方のニーズには応えられていないということをお話しました。 

 このような現状の中で、大変つらい思いをしておられる方たちの事例を取り上げさせていただき、このような状況を変えて行くには、現状を理解している視覚障害当事者の方たち、支援者の方たちが積極的に啓発活動をおこない、「このケースは私の専門ではない」と言って拒まずに受け入れること。そのような悪戦苦闘の中から、新しい専門技術を作り出すこと、いろいろな関係機関との連携が重要であるこをお話し、講演を結ばせていただきました。

 私が話をさせていただいたのは、眼科外来で、視覚障害当事者の方も含め、30人ほどのとてもアットホームな雰囲気の中でした。私の話が終わった後、相互の意見交換ができ、私の講演内容について、多くの共感をいただくことができました。

 この機会でお話しさせていただけたことは、今後の私の活動の方向を決めていく、大きな手がかりとなりました。主催いただいた安藤先生、熱心に聞いてくださった参加者の皆さんに心から感謝申し上げます。 

【略歴】
 1947年 東京生まれ 65歳
 1968年 東京教育大学(現筑波大学)付属盲学校高等部普通科卒業
 1970年 日本福祉大学社会福祉学部入学
 1974年 同卒業、名古屋ライトハウスあけの星声の図書館に中途視覚障害者の相談業務担当として就職(初めて中途視覚障害者と出会う)
 1977年 東京都児童相談センター入都(障害者雇用枠)
 1989年 日本女子大学文学研究科博士課程前期社会福祉専攻入学
 1991年 同上終了(社会学修士)
 1991年10月~1999年3月まで 東京都立大学(現首都大学)人文学部 社会福祉学科助手
 1999年4月~209年3月まで 高知女子大学社会福祉学部講師→准教授
 2008年4月~任意団体視覚障害リハビリテーション協会長 

【後記】
 福島県からの参加の方も含め、30名近くの方々が参加しました。
 吉野さんは、先ずご自身の障害のことからお話を開始しました。ご自身の生い立ちから大学進学、東京でのご勤務、高知での体験等を紹介しながら、自ら描く理想の「視覚リハビリテーション」について語って頂きました。
 「ニーズは掘り起こすもの」「出張して行うリハビリ(攻めのリハビリ)」「どこでも、だれでも、いつでも、どんな場合でも、行えるリハビリ」「どんな障害にも対応できる力をつける」「連携だけではなく、どんなことでもやろうという気迫」等々の言葉が印象に残りました。
 貪欲な、そして精力的な現場の情熱を感じました。講演後の討論では、介護の方から現場へのサポートや教育も必要という声が上がりました。
 とても充実した時間を過ごすことが出来ました。吉野先生に感謝致します。

 吉野先生が会長を務める視覚障害リハビリテーション協会が主催する「視覚障害リハビリテーション研究発表大会」の第22回が、来月に新潟で開催されます。2つの招待講演(iPS細胞/網膜色素変性の治療)、2つの特別講演(心のケア/視覚障害者へのITサポート)、シンポジウム「視覚障害者の就労」、その他「歩行訓練」「スマートフォン」「盲学校」等々視覚リハビリテーションに関係する多くの課題について学ぶことができます。最新の福祉機器を揃えた機器展示、盲導犬の体験コーナーもあります。多くの方に参加して頂きたいものと準備しております。
 http://andonoburo.net/on/1690

 

 第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
  期 日: 2013年6月21日(金)  プレカンファレンス
                    22日(土)・23日(日) 本大会
  会 場:「チサン ホテル & コンファレンスセンター 新潟」4階
         「新潟大学駅南キャンパスときめいと」 2階
  メインテーマ : 「見えない」を「見える」にする「心・技・体」
   大 会 長 :  安藤 伸朗  (済生会新潟第二病院)
   実行委員長 : 渡辺 哲也  (新潟大学工学部 福祉人間工学科)
   ホームページ: http://www.jarvi2013.net/

 

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】

 平成25年6月12日(水)16:30~18:00
   「視覚障害グループセラピーの考察」
      小島 紀代子 (NPOオアシス) 

 平成25年6月21(金)~23日(日)
  第22回視覚リハビリテーション研究発表大会
  (兼 新潟ロービジョン研究会2013)
  最新情報 http://andonoburo.net/on/1690
  ホームページ:http://www.jarvi2013.net/

 平成25年7月10日(水)16:30 ~ 18:00
   「新潟盲学校弁論大会 イン 済生会」 

 平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00
         「楽しい外出をサポートします!~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会)

 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
   「言葉 ~伝える道具~」
     多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事)

 

 

 

2013年3月30日

 演題:「視覚障害者とスマートフォン」
 講師:渡辺 哲也 (新潟大学 工学部 福祉人間工学科)
  日時:平成25年3月13日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要旨】
1.はじめに
 昨今、タッチパネル操作が主体のスマートフォンとタブレットPCの広まりが目覚ましい。ロービジョンの人たちにとってこれらの機器は、画面拡大操作がしやすい、拡大読書器の代わりに使える、持ち運びに便利、そして格好いい、など利点が多い。他方で、全盲の人たちにとっては、たとえ音声出力があっても、触覚的手がかりのないタッチパネル操作は難しいのではないかと思われる。そこで、全盲の人たちがスマートフォンやタブレットPCを利用する利点と問題点について各種調査を始めた。Webを使った文献調査、利用者への聞き取り調査、音声によるタッチパネル操作実験などを通してわかってきたことを報告する。

2.GUIショックとの相似
 文字中心であった二つ折り型携帯からタッチパネル操作のスマートフォンへの移行は、1990年代にコンピュータの基本ソフトが文字操作中心のMS-DOSから画像操作中心のWindowsへ移行したときに匹敵する衝撃的な変化である。両者の相似点は、(1) 取り扱う情報がテキスト情報からグラフィカル情報へ移行したことと、(2) 矢印キーを使ったテキスト情報選択からポインタを使ったアイコンの直接選択へ移行したことの2点である。

 他方で異なる点は、(1) スクリーンリーダの存在と、(2) ポインタの操作方法である。1990年代前半にWindowsが普及し始めた頃、日本ではWindows用スクリーンリーダはまだ研究開発の途上にあった。他方で、iPhone、iPad、Androidが普及し始めた現在、これらのOS向けのスクリーンリーダは開発済みであるばかりか、機械に標準で装備されている。操作方法に関しては、従来のパソコンではマウスやタッチパッドを使ってポインタを動かす相対操作であるのに対して、タッチパネル操作では指先位置がポインタ位置となる直接操作である。このため、画面を見ないでも音声フィードバックさえあればユーザはアイコンを指示できる。これら二つの特徴により、全盲の人たちはスマートフォンやタブレットPCを利用できる。

3.利用方法
1)スクリーンリーダ
 iPhoneやiPadには、スクリーンリーダVoiceOverが標準装備されている。AndroidにもスクリーンリーダTalkBackが標準装備されているが、日本語出力のために音声合成ソフト(ドキュメントトーカ)をインストールする必要がある。

2)アイコン等の選択
 2通りの操作方式がある。直接指示方式では、触れた位置にあるアイコンなどが選択され、読み上げが行われる。続けてダブルタップすると選択決定となる。画面構成を覚えておけば操作は容易だが、画面構成が分からないと目標項目を探すのは困難である。順次選択方式では、画面上でスワイプ(フリックともいう)することで、前後の項目へ移動し、これを読み上げる。項目間を確実に移動できるが、目標項目に到達するまで時間がかかることが多い。

3)文字入力
 テンキー画面によるフリック入力やマルチタップ入力(同じキーを押すたびに、あ、い、う、と変化)、50音キーボード画面やQWERTYキーボード画面が音声読み上げされる。漢字の詳細読み機能もある。いずれの方式も、個々のキーが小さいため、入力が不正確になりがちである。この問題を解決するため、iPhoneには自動修正機能が装備されている(英語版のみ)。ジョージア工科大学で開発されたBrailleTouchというアプリでは、タッチ画面を点字タイプライタの入力部に見立てて6点入力をする。

4.様々な便利アプリ
 光認識、色認識、紙幣認識、拡大機能、読み上げなど、単体の機械や従来型の携帯電話で実現されてきた機能が、スマートフォンへのアプリのインストールだけで利用可能になった。インターネットとの常時接続やGPSによる位置の推定など、スマートフォンの特徴的な機能を応用した新しいアプリとしては、物体認識、屋外のナビゲーションなどがある。以下にアプリ名とその内容を紹介する。
 ・Fleksy:打ち間違えても、「正しい」候補を賢く表示
 ・Light Detector:光量を音の高低で表示
 ・マネーリーダー:紙幣の額面金額を読み上げ
 ・明るく大きく, VividCam:コントラスト改善、拡大
 ・TapTapSee, CamFind:視覚障害者向け画像認識
 ・Ariadne GPS, ドキュメントトーカボイスナビ:現在地・周囲情報・経路案内

5.まとめ
 音声支援により全盲の人もタッチパネルを操作できる。しかし、アイコン等の選択や文字入力が効率的に行えるとは言いがたい。お札や色の判別などのアプリは従来の携帯電話でも利用できたが、これらを簡単にインストールできる点は利点であろう。スマートフォンで新たに実用可能になった物体認識やナビゲーション機能の実用性の検証とその発展が今後期待される。

 

【略歴】
 平成 3年 3月 北海道大学 工学部 電気工学科 卒業
 平成 5年 3月 北海道大学 工学研究科 生体工学専攻 修了
 平成 5年 4月 農林水産省 水産庁 水産工学研究所 研究員
 平成 6年 5月 日本障害者雇用促進協会 障害者職業総合センター 研究員
 平成13年4月 国立特殊教育総合研究所 研究員
 平成21年4月 新潟大学 工学部 福祉人間工学科 准教授

 情報通信技術(ICT)を用いた視覚障害者支援に従事。これまでの開発成果は、スクリーンリーダ”95Reader”、電子レーズライタ”Mimizu”、漢字の詳細読み”田町読み”(iPad・iPhoneに搭載)、触地図作成システム”tmacs”など。 

【後記】
 現在、IT関係の発達は目覚ましいものがあります。iPadやスマートフォンに代表される携帯端末もその一つです。こうしたものが発達することは、情報をいち早く得るためや、情報を発信するために欠かせないものになってきました。一方では、こうした機器に不慣れであると、情報に取り残された、いわゆる情報難民を生み出すことになります。
 視覚障害者がこうした情報難民にならないようにするために取り組んでおられる、渡辺研究室の活躍を期待したいと思います。 

 *参考までに
  新潟大学 工学部 福祉人間工学科 渡辺研究室のWebサイト
  http://vips.eng.niigata-u.ac.jp/

 

『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。 参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。

   日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
   場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している  音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
  http://www.ngt.saiseikai.or.jp/02/ganka/index5.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
  http://andonoburo.net/

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年8月7日(水)16:30 ~ 18:00 
  「楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (社会福祉法人新潟市社会福祉協議会) 

 平成25年9月11日(水)16:30 ~ 18:00
  「言葉 ~伝える道具~」
     多和田 悟 (公益財団法人日本盲導犬協会 訓練技術担当理事) 

 平成25年10月9日(水)16:30 ~ 18:00
  「眼科医として私だからできること」
     西田 朋美
    (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部 眼科医長)

 平成25年11月13日(水)16:30~18:00
   演題未定
     櫻井 浩治 (精神科医、新潟市)

 

2013年3月14日

  演題:「歩行訓練40余年を振り返る」
  講師:清水 美知子 (フリーランスの歩行訓練士;埼玉県)

    日時:平成25年2月13日(水)16:30 ~ 18:00 
    場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

【講演要約】
 今回の勉強会には6名の方が盲導犬とともに参加されました。当初は杖を使った歩行訓練についてお話しする予定でしたが、床に臥している6頭の盲導犬を前にして、自然に口から出て来たのはわが国の盲導犬に関する歴史でした。

 国産第一号の盲導犬は塩屋賢一さん(東京盲導犬協会:現「アイメイト協会」の創設者)が訓練したチャンピイですが1)、その18年前の1939年にはドイツから購入した4頭の盲導犬が陸軍病院で訓練され、戦争で失明した軍人に与えられています2)。1970年以降、国産の盲導犬訓練事業が本格化するまで、外国産の盲導犬を使う例は他にもあったようです。佐々木たづさんは著書3)の中で、英国産の盲導犬を日本の道路環境に順応させる大変さを述べています。Howard Robsonさん(1970年代に盲導犬訓練施設を開設すべく民間企業に招かれて英国から来日した盲導犬訓練士)は、当時の日本の道路状況が英国に比べて非常に悪く(歩道がない、側溝に蓋がないなど)、自国での訓練法、歩行方法がそのままでは通用しないことについて驚きとともに書いています4,5)

 一方、米国でHooverらによって開発された長い杖(a long cane)を使った歩行方法6)は、1960年代の中頃にわが国に伝えられました。杖を使って歩く方法についての記述はそれ以前にも国内外にありましたが7,8)、普及しませんでした。その後、1970年にAmerican Foundation for Overseas Blind(AFOB)の支援を得て、日本で初めての歩行訓練指導員講習会が日本ライトハウスで開催されました。1972年からは、厚生省の委託を受け、毎年、盲人歩行訓練指導員研修として開催されました。そして1990年には、国立身体障害者リハビリテーションセンター学院(現「国立障害者リハビリテーションセンター学院」)に視覚障害生活訓練専門職養成課程が開設され、この時から指導内容が「歩行訓練」のみではなく、コミュニケーション訓練、日常生活動作訓練など視覚障害者の社会適応訓練全般に変わりました。職名の呼び名も「視覚障害生活訓練専門職」(国リハ)や「視覚障害生活訓練指導員」(日本ライトハウス)となりました。

 ここでわが国の視覚障害リハビリテーションについて振り返ると、1948年に東京と塩原に光明寮が開設されて以来、三療師を職業ゴールとする職業リハビリテーションに終始してきました。1970年代に入り歩行訓練士が養成され、七沢ライトホームなど新たな施設が開設され、社会適応訓練が実施されるようになりましたが、職業訓練の前段階に位置づけられ、学習技能(例:点字)の習得および寮生活の自立を主な目的とした個別性の乏しい画一的なプログラムでした。それでも1970,80年代は施設を拠点とした歩行訓練の最盛期で、1977年には日本歩行訓練士協会も発足しました(1991年に解散)。1990年代になると、職業訓練を希望する入所者の減少が目立ち始め、2000年以降は大きく定員を下回った状況が続き、歩行訓練指導の件数も減ってきました。

 歩行訓練が行われる場所に関して考えると、施設での歩行訓練は施設生活には有用ですが、退所後は習得技術を生活環境に合わせて調整したり、地理道路情報を集めたり、経路を開拓したりといった作業を、見えない・見えにくい状態で、すべて自分でしなければなりません。それに比べ生活圏での訓練は、生活スタイルを変えることなく訓練を受けられ、実環境に特化した技能の習得により訓練の成果を直ちに生活に反映させることができるなど多くの利点があります。最近、地域で歩行訓練を提供する機関は増えており、全国で70ヶ所を越えると推定されます。ただしこれらの機関の多くは中途失明者緊急生活訓練事業あるいは独自の財源で運営する団体のため、財政的基盤が小規模かつ脆弱で、訓練頻度や訓練期間などに制約が生じ、当事者の状況や要望に応えられているとは言えないのが現状です。

 この40余年間に歩行訓練の内容も変化しました。そのいくつかを以下に記します。

1.杖操作法の主流が二点打法 (Two-Point Touch Technique) 9)から常時接地法(ConstantContact Technique)10)
2.聴覚的な手がかりより触覚的な手がかりを重視した歩行方法11)の定着

3.交通環境の変化(例:定周期制御から感応制御式信号へ)による指導内容の改変
4.訓練士主導から訓練生の主体性を尊重した訓練へ

 これまでに、点字ブロック、音響信号機、エスコートゾーン、ホームドア、など移動支援設備が普及しつつありますが、交通の慢性的な混雑、歩道上の自転車交通、高齢者などモビリティ障害者との衝突、交差点の信号制御の複雑化、駅プラットホームからの転落の危険、自動車の静音化など視覚障害者を悩ませる数多くの問題が解決されるにはまだまだ時間がかかるでしょう。そのため残念ながら、現状では都市部の不慣れな地域の外出にはガイドを使って行動するのが合理的で安全と言えるかもしれません。でも、日々の生活環境を考えると、徒歩圏内にもコンビニ、スーパー、友人宅、バス停など多くの目的地があります。路線バスで数駅足を延ばせば、さらに目的地は増えるでしょう。経路を決め、繰り返し歩き、道筋を熟知すると、ひとりで行ける身近な場所は意外と多くあるものです。社会生活を営む上で、自らの意志選択で自由に外出できるということは大切です。歩行訓練士は目的地まで安全に移動するための方法や経路選択について、専門的見地から助言します。

 季節は今、冬から春へと向かっています。外に出て、移りゆく季節を楽しむことができる時期です。歩行訓練士とともに散歩道を探してみてはいかがでしょうか。

【参考文献】
 1. 河相洌(1981)、ぼくは盲導犬チャンピイ,偕成社
 2. 葉上太郎(2009)、日本最初の盲導犬、文芸春秋
 3. 佐々木たづ(1964)、ロバータさあ歩きましょう、朝日新聞社
 4. Robson, H. (1976), Guide Dog Training in Japan- 1, New Beacon, 60,13-117
 5. Robson, H. (1976), Guide Dog Training in Japan- 2, New Beacon, 60,41-143
 6. Bledsoe, C.W. (2010), The Originators of Orientation and Mobility Training, Foundations of Orientation and Mobility edited by W.R. Wiener, et.al. AFB Press
 7. Levy, W. H. (1872), Blindness and the Blind, Chapman and Hall, London
 8. 木下和三郎(1939)、盲人歩行論、傷兵保護院
 9. Hill, E. & Ponder, P. (1976), Orientation and Mobility Techniques: A Guide for the Practitioner,American Foundation for the Blind, New York
 10. Fisk, S. (1986),Constant-Contact Technique with a Modified Tip: A New Alternative for Long-cane Mobility, Journal of Visual Impairment and  Blindness, 80, 999-1000
 11. 村上琢磨(2011)、私の歩行訓練史(特別講演)、第37回感覚代行シンポジウム講演論文集

 【略歴】
 1979年~2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、その後在宅視覚障害者の訪問訓練事業に関わる
 1988年~    新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて、視覚障害リハビリテーション外来担当。
 2002年~    フリーランスの歩行訓練士
 現在に至る

(参考) 清水美知子 ホームページ
 http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/

【後記】
 最初に盲導犬を使った日本人はどなたですか?と盲導犬のことから話が始まりました。盲導犬のこと、歩行訓練のこと、歴史と共に多くの知識が語られました。多くは知らないことばかりでしたが、歴史の流れを学び、今の現状の一端を知ることが出来ました。特に戦勝国は軍隊が残り、負傷した兵士は国が治療しリハビリをしたが、敗戦国では傷痍軍人には治療はおろかリハビリもされなかったという下りに合点が行きました。
 最後に、6月21日(金)午後、新潟で行う視覚リハ大会プレカンファレンスで、「歩行訓練の将来」というテーマで、清水さん、山田幸男先生、松永秀夫さんの3人で討論するので、是非、聞きに来てほしいとのメッセージがありました。

『第22回視覚障害リハビリテーション発表大会』(2013 新潟)
 兼 新潟ロービジョン研究会2013
 http://andonoburo.net/on/1690 
【特別企画】
 「歩行訓練の将来」               6月21日(金)午後
   山田 幸男(司会:信楽園病院/NPO障害者自立支援センターオアシス)
   清水 美知子(歩行訓練士;埼玉県)
   松永 秀夫(新潟県視覚障害者福祉協会)

 いつも清水美知子さんの話は、魅力いっぱいです。今後の益々の発展を期待します。

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
 平成25年4月10日(水)16:30 ~ 18:00
   「私の目指す視覚リハビリテーションとは」
      吉野 由美子 (視覚障害リハビリテーション協会会長)

 平成25年5月8日(水)16:30~18:00
   「インクルーシブ教育システム構築と視覚障害教育
                                                                         ~盲学校に求められるもの~」

      小西 明 (新潟県立新潟盲学校:校長)

 平成25年6月12日(水)16:30~18:00
   「視覚障害グループセラピーの考察」
      小島 紀代子 (NPOオアシス)

 平成25年6月21(金)~23日(日)
  第22回視覚障害リハビリテーション研究発表大会
  (兼 新潟ロービジョン研究会2013)
  ホームページ:http://www.jarvi2013.net/  
  最新情報 http://andonoburo.net/on/1690
  参加申し込み:http://www.jarvi2013.net/sanka

 平成25年7月10日(水)16:30 ~ 18:00
  「 楽しい外出をサポートします! ~『同行援護』その効果とは!?~」
     奥村 京子 (新潟市社会福祉協議会)