2016年2月27日

 2011年の第17回糖尿病眼学会(東京フォーラム、学会長;安藤伸朗)で、ご自身が、ご子息が、父上が、ご主人が疾患や障害を持った方々でシンポジウム『患者さん・家族が語る、病の重さ』を行いました。大変反響がありました。
 5年経過し、同じシンポジストに新潟にお越し頂き、『病とともに生きる』というシンポジウムを企画しました。どなたでも参加できます。 一緒に「医療」を考えてみませんか? 

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 シンポジウム「病とともに生きる」
   日時:平成28年7月17日(日)
     開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
   会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
     新潟市中央区旭町通1-757
  入場無料 事前登録
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シンポジウム「病とともに生きる」
 4.「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト
     ~作戦を立ててがんばる~」
    立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)   

【抄 録】
 「高次脳機能障害はエベレスト登山に匹敵する手強い障害である」。先が見えず途方に暮れて参加したNY大学のRusk通院プログラムで当時所長のBen-Yishay博士から聞いた言葉は厳しいものだった。しかしその次に「でも大丈夫。我々は君たちにエベレストの攻略法と最適のツールを与える」。ほっとする間もなく檄が飛ぶ。「登るのは君たち自身だ。使い方を習得して一歩ずつ自分の手と足で歩んでいってほしい」。 

 あの日から早いもので12年が経った。今でも症状の本質は変わらない。神経疲労、無気力症、注意と集中、情報処理、記憶、論理的思考と遂行機能など。神経心理ピラミッドに見られる認知機能の諸問題に関して、多少の改善はあっても症状は残存している。時を選ばず襲いかかるこれらの症状に対しては、自分の症状や脳の性質を学び、戦略を用いてことが起きるそのときに対応できる力を備えるしかない。それには周到な訓練が必要である。ひとつの動作から人とのコミュニケーションまで、訓練には全人的な視点からの取り組みが求められる。 

 訓練の目的は、自動的に戦略を用いて対処できる自分を作り、周囲から信頼される自分になること。そしてその先に、社会の一員として誇れる自分自身を再構築すること。家族もコーチングの技術を学び本人のために環境を構造化すること、家族自身の幸せの再構築も忘れないことなどである。ずっと似たようなところからエベレストの頂上を見上げている気分だが、私たちの努力と歩みは日々続いている。 

【略 歴】
 1981年 東京芸術大学音楽学部卒業
 1984年 国際ロータリー財団奨学生として渡米
 1988年 シカゴ大学大学院修了(芸術学修士号)
 1991年 南カリフォルニア大学大学院修了(音楽芸術博士号)
 2004-05年 NY大学医療センターRusk研究所にて脳損傷者の通院プログラムに参加.治療体験記を『総合リハビリテーション』に連載.
 2010年 『前頭葉機能不全その先の戦略』(医学書院)著
 現在:フェリス女学院大学教授,音楽学部長,大学院音楽研究科長 

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シンポジウム「病とともに生きる」
  日時:平成28年7月17日(日)
     開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
  会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
     新潟市中央区旭町通1-757 
  入場無料 事前登録
  http://andonoburo.net/on/4424

 コーディネーター
  
曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  
安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長)  

 基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
   大森 安恵
    (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
    東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
     http://andonoburo.net/on/4450 

 シンポジスト (各25分)
   南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
    「糖尿病を通して開けた人生」
     http://andonoburo.net/on/4462 

  小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
     「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
     http://andonoburo.net/on/4478 

  清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
     「オンリーワンの眼科医を目指して」
     http://andonoburo.net/on/4491 

  立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
     「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト
        ~作戦を立ててがんばる~」
     
http://andonoburo.net/on/4495

 ディスカッション (50分)
     演者間、会場を含め討論  

 13時 終了
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@参考
 第17回 日本糖尿病眼学会(学会長;安藤伸朗)
 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00  東京国際フォーラム)
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  オーガナイザー:
   安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科)
   大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
    南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
    http://andonoburo.net/on/4165
 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長)
    http://andonoburo.net/on/4171
 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター)
    http://andonoburo.net/on/4203
 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科 教授)
     http://andonoburo.net/on/4206
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2016年2月26日

 シンポジウム「病とともに生きる」を企画しました。コーディネーターを曽根博仁先生(内科医;新潟大学医学部教授)と安藤が務めます。基調講演は、大森安恵先生(内科医;東京女子医大名誉教授)です。シンポジストは南 昌江先生(内科医;ご自身が1型糖尿病)・小川 弓子先生(小児科医;ご子息が未熟児網膜症で視力障害)・清水 朋美先生(眼科医;父上がベ-チェット病で失明、旧姓西田)・立神 粧子先生(音楽家・フェリス女学院大学院教授;ご主人が高次脳機能障害)の4名です。

 どなたでも参加できます。 一緒に「医療」を感じ、そして考えてみませんか?   

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 シンポジウム「病とともに生きる」
  日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
  会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757
  入場無料 事前登録
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シンポジウム「病とともに生きる」
3.「オンリーワンの眼科医を目指して」
   清水 朋美 (旧姓、西田)
   (国立障害者リハビリテーションセンター病院第二診療部眼科医長) 

【抄 録】
 眼科医になろうと思って四十云年、実際に眼科医になって四半世紀が過ぎた。振り返れば、中途視覚障害で全盲の父を持つ私にはごく自然の流れだったような気もしている。父から視力を奪ったベーチェット病は歴史的な病気であるにも関わらず、いまだに決定的な原因は不明のままである。 

 眼科医になった当初は、「打倒ベーチェット病!」が私の個人目標だったが、経験を積むにつれ、私には眼科医としてもっと他にやるべきことがあるのではないか?と思うことが増えてきた。眼科を受診する患者はベーチェット病以外の病気が大半で、手帳相当の視覚障害となった患者の多くは医療から福祉への橋渡しがうまくいっていないように思えた。何より、眼科医の視覚障害についての知識が乏しく、学ぶ機会もほとんどない。かなり見えにくい状態になっても漫然と眼科通院を継続している患者が多いという事実に直面し、正直私にはショックだった。 

 今は、眼科医として、見え方で困っている人だけでなく一般にも「見えなくてもなんとかなる!」ということを啓発し続けることが私の宿命的な個人目標だと思っている。父を通して有形無形で学んだ貴重なことをわずかでも世の中に還元していくことで眼科医としての私の最大のミッションを果たせれば本望である。早いもので、私も眼科医生活の後半戦に突入する。これからも賛同してくれる仲間を増やしながら、稀有な背景を持つオンリーワンの眼科医であり続けたい。 

【略 歴】
 1991年 愛媛大学医学部 卒業
 1995年 横浜市立大学大学院医学研究科 修了
 1996年 ハーバード大学医学部スケペンス眼研究所 留学
 2001年 横浜市立大学医学部眼科学講座 助手
 2005年 聖隷横浜病院眼科 主任医長
 2009年 国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科医長
      現在に至る


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シンポジウム「病とともに生きる」
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757 
 入場無料 事前登録
 http://andonoburo.net/on/4424  

 コーディネーター
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 

 基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
  大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
    東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    http://andonoburo.net/on/4450 

 シンポジスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
    http://andonoburo.net/on/4462 

  小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
    「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
    http://andonoburo.net/on/4478

  清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」 

  立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」 

 ディスカッション (50分)
    演者間、会場を含め討論 

 13時 終了
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@参考
 2011年の日本糖尿病眼学会(東京フォーラム 学会長;安藤伸朗)で、シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」を行いました。オーガナイザーは、大森安恵先生と私安藤で、4名のシンポジスト(南 昌江先生、小川弓子先生、西田朋美先生、立神粧子先生)は、それぞれ、ご自身が、ご子息が、父親が、ご主人が疾患や障害を持った方々です。 

 第17回 日本糖尿病眼学会 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00  東京国際フォーラム)
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 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
   南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   http://andonoburo.net/on/4165
 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長)
   http://andonoburo.net/on/4171
 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター)
   http://andonoburo.net/on/4203
 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科 教授)
    http://andonoburo.net/on/4206
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2016年2月25日

 演題:「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
 講師:関 恒子(長野県松本市)
  日時:平成28年03月09日(水)16:30 ~ 18:00 
  
場所:済生会新潟第二病院 眼科外来   

【抄 録】
 私が近視性黄斑変性症を発症してちょうど20年、左眼、右眼に黄斑移動術を受けてからそれぞれ19年、18年になる。ある日見つけた視界の中心の小さな歪みは次第に眼鏡の真ん中に拭っても消えない水滴が付いているかのようにかすみ、やがてそれははっきりした中心暗点となっていった。強度近視を持っていたもののそれまで何の不便もなかったのに、左眼に続き半年後に右眼にも発症したため、日常生活さえ脅かされるような不便さを感じ、この頃の不安はとても大きかった。中心暗点に邪魔されて見たい物がよく見えない。自然に直視すると、周りの不要な物は見えても見たい物は見えないので、先ず暗点を追い払い、周辺視野を使って見るようにしなければならない。つまり見たいという願望を持ち努力しない限り物は見えてこないのである。 

 この状況をなんとしても改善したかった私は、当時治験中の黄斑移動術を受けることを決めた。新しい治療法との出会いは、私に希望を与え、結果のいかんに関わらず、大きな精神的救いとなった。術後合併症や再発のために入退院を繰り返し、術後生じた不具合な見え方に不満を感じることはあったが、術前より視力は改善し、右眼は再び中心で物を見ることができるようになったことで、私のQOLは非常に向上した。私はこの視力を精一杯有効に使うことを決意し、拡大鏡を使って読書量を増やし、景色も以前より心して印象深く見てきたつもりである。 

 しかし最初の手術から19年経過した今、暗点は周辺から中心に及び、私は「見たい物がどうしても見えない」状況に近づきつつある。発病を知り、不便さをさんざん嘆いていた頃より症状はかなり深刻である。だが私の日常を見ると、確かに不便さは大きくなっているに違いないが、初期のような嘆きはなく、行動もそれほど制限されていない。これは自分の障害に対する意識変化と補助具の進化、ロービジョンに対するリハビリテーションの賜物であると思っている。しかしこの先自分がどこまで障害を受容できるかわからない。 

 勉強会では見え方の変化の中で感じてきたことや、目が悪くなったからこそ見えてきたもの、これまでの私の挑戦等を語ってみたい。 

【略 歴】
 富山大学薬学部卒業。薬剤師。
 信州大学研修生を経て結婚。一男一女の母となる。薬品会社勤務。退社。
 1996年左眼に続き、右眼にも近視性黄斑症を発症。1997年と1998年に黄斑移動術を受ける。
 松本市在住。趣味:ドイツ文学研究、フルート演奏、英国文化にも憧憬を持つ。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年04月13日(水)16:30 ~ 18:00
 第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「盲学校理療教育の現状と課題~歴史から学び展望する~」
  小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室) 

平成28年05月11日(水)16:30 ~ 18:00
 第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「嬉しかったこと、役立ったこと」
  大島光芳(上越市) 

平成28年06月08日(水)16:30 ~ 18:00
 第244回(16-06)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  加藤功(新潟水辺の会) 

平成28年07月未定
 第245回(16-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 

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平成28年07月17日(日) シンポジウム「病とともに生きる」
 開場:09時30分  講演会:10時 ~13時
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
 http://andonoburo.net/on/4424 

 コーディネーター
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科部長)
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)

 基調講演 (30分)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター;内科医、
       東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    「糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー」
    http://andonoburo.net/on/4450 

 パネリスト (各25分)
  南 昌江 (南昌江内科クリニック;内科医)
    「糖尿病を通して開けた人生」
    http://andonoburo.net/on/4462

  小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長;小児科医)
    「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
    http://andonoburo.net/on/4478 

  清水 朋美(国立障害者リハセンター病院第二診療部 眼科医長)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」 

  立神 粧子(フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科教授)
    「続・高次脳機能障害というエベレストに登る~作戦を立ててがんばる~」 

 ディスカッション (50分)
  演者間、会場を含めた討論

 13時 終了

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平成28年08月10日(水)16:30 ~ 18:00
 第246回(16-08)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「京都ライトハウス創立者・鳥居篤治郎が抱いた絶望と希望とは」
   岸 博実(京都府宇治市) 

平成28年09月14日(水)16:30 ~ 18:00
 第247回(16-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
   演題未定
   林 豊彦(新潟大学工学部教授/新潟市障がい者ITサポートセンター長) 

平成28年10月
 第248回(16-10)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  (目の愛護デー講演会)
   演者未定 

平成28年11月09日(水)16:30 ~ 18:00
 第249回(16-11)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   青木 学(新潟市会議員)

2016年2月23日

 シンポジウム「病とともに生きる」を企画しました。コーディネーターを曽根博仁先生(内科医;新潟大学医学部教授)と安藤が務めます。基調講演は、大森安恵先生(内科医;東京女子医大名誉教授)にお願いしました。シンポジストは南 昌江先生(内科医;ご自身が1型糖尿病)・小川 弓子先生(小児科医;ご子息が未熟児網膜症で視力障害)・清水 朋美先生(眼科医;父上がベ-チェット病で失明、旧姓西田)・立神 粧子先生(音楽家・フェリス女学院大学院教授;ご主人が高次脳機能障害)の4名です。
 どなたでも参加できます。 一緒に「医療」を感じ、そして考えてみませんか?    

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 シンポジウム「病とともに生きる」
  日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
  会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757
  入場無料 事前登録
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シンポジウム「病とともに生きる」
2.「母として・医師として~視覚障害の息子とともに~」
   小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長) 

【抄 録】
 「弱視であるがゆえに、これから進んでいく道のりを見失ったり、道幅がよく見えずにはみ出てしまったりすることも多々あるでしょう。それでも、みんなのおかげで、きっと私は頑張れます。」という一文を記載して、視力および色覚に障害をもつ私の長男が「視力3cm~それでも僕は東大に~」という本を出版してまもなく10年になろうとしています。

 大学卒業に際して「視力が悪いからこそ、一緒にやろうと言ってくれる誠実な仲間を大切にしたい」といい、ベンチャー企業をおこし、それこそ大都会東京で泥だらけになりながらも、「障害と向き合って生きてきたからこその強さ」をばねに、その言葉通りにへこたれずに前を向いて生きています。

 そして障害のある子どもと悪戦苦闘していた未熟な母親は熟年となりました。「これからも頑張って生きていきます。そのための力をくれたこと、ほんとうにありがとう。」という本の中のメッセージは、私の中にもある理念をつくりました。

 私たち家族は障害に遭遇したけれど、様々な励ましや人生を生きるメッセージに出会い、力をもらいました。「たとえ障害があっても愛される、そして自分を愛する事ができれば人生を豊かにいきていけるのではないか」との思いを胸に、療育機関にて障害児や家族の支援に日々悪戦苦闘しております。今回は、私達家族の障害とともに生きてきたその後の歩みと成長を述べたいと思います。 

【略 歴】 
 1983年(昭和58年)島根医科大学卒業
  同年       九州大学病院 小児科入局
           福岡市立子ども病院などで研修
 1986年(昭和61年)長男を早産にて出産
            以後、療育及び三人の子どもの子育てのため休職
 1994年(平成 6年) 福岡市立心身障がい福祉センターに小児科として勤務
 2002年(平成14年)福岡市立あゆみ学園に園長(小児科)として勤務
 2014年(平成26年)福岡市立西部療育センターにセンター長(小児科)として勤務 

 

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シンポジウム「病とともに生きる」
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757 
 入場無料 事前登録
 http://andonoburo.net/on/4424 

 コーディネーター
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 

 基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
  大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
    東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    http://andonoburo.net/on/4450 

 シンポジスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
    http://andonoburo.net/on/4462 

  小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
    「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
    http://andonoburo.net/on/4478

  清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」 

  立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」 

 ディスカッション (50分)
    演者間、会場を含め討論 

 13時 終了
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@参考
 2011年の日本糖尿病眼学会(東京フォーラム 学会長;安藤伸朗)で、シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」を企画しました。オーガナイザーは、大森安恵先生と私安藤で、4名のシンポジスト(南 昌江先生、小川弓子先生、西田朋美先生、立神粧子先生)は、それぞれ、ご自身が、ご子息が、父親が、ご主人が疾患や障害を持った方々です。大きな反響がありました。 

 第17回 日本糖尿病眼学会 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00  東京国際フォーラム)
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 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
   南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   http://andonoburo.net/on/4165
 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長)
   http://andonoburo.net/on/4171
 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター)
   http://andonoburo.net/on/4203
 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科 教授)
    http://andonoburo.net/on/4206
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2016年2月20日

 自分自身や家族が病や障害を経験することでしか得られないことがあります。この度、シンポジウム「病とともに生きる」を企画しました。コーディネーターを曽根博仁先生(内科医;新潟大学医学部教授)と安藤が担当し、大森安恵先生(内科医;東京女子医大名誉教授)に基調講演、シンポジストは南 昌江先生(内科医;ご自身が1型糖尿病)・小川 弓子先生(小児科医;ご子息が未熟児網膜症)・清水 朋美先生(眼科医;お父上がベ-チェット病、旧姓西田)・立神 粧子先生(音楽家・フェリス女学院大学教授;ご主人が高次脳機能障害)の4名です。

 どなたでも参加できます。 一緒に「医療」を感じ、そして考えてみませんか?   

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 シンポジウム「病とともに生きる」
  日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
  会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757
  入場無料 事前登録
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シンポジウム「病とともに生きる」
1.「糖尿病を通して開けた人生」 
   南 昌江(内科医;南昌江内科クリニック)

【抄 録】
 14歳の夏、私は1型糖尿病を発症しました。突然降りかかった難病に親子とも落胆し将来を悲観しましたが、その後尊敬する医師との出会いによって人生が変わってきました。

 16歳で小児糖尿病サマーキャンプに参加したことがきっかけで、病気とともに生きていく覚悟が出来、その頃から将来は「医師になって糖尿病をもつ人の役に立ちたい」と思うようになりました。

 医師になって念願の東京女子医大糖尿病センター、平田幸正教授の下で医師の第1歩を踏み出しましたが、研修医時代は不規則な生活が続き、内科医をあきらめかけた時もありました。その後も肝炎を患い辛い時期もありましたが、私の経験が糖尿病の子供たちに勇気と希望を与えることができればと思い、「わたし糖尿病なの」を出版しました。

 1998年に糖尿病専門クリニックを開業し、多くの糖尿病患者さんと接しています。診療の傍ら、講演や糖尿病の啓発活動を行っています。2002年に挑戦したホノルルマラソンも14回連続完走しています。“糖尿病があっても何でもできる”ことを一人でも多くの患者さんに伝えたく、“TEAM DIABETES JAPAN”を結成し毎年患者さんや医療関係者と一緒に参加しています。

 糖尿病とともに歩んだ39年、振り返ると糖尿病になったおかげで自分の人生を切り開くことが出来たように思います。

 これまで私が出会った方々や医学から受けた恩恵に感謝し、一日一日を大切に「糖尿病を持つ人生」を明るく楽しく自然に、いつまでも夢を持って走り続けていきたいと思っています。 

【略 歴】 
 1988年 福岡大学医学部卒業
         東京女子医科大学付属病院 内科入局
       同  糖尿病センターにて研修
 1991年 九州大学第2内科  糖尿病研究室所属
 1992年 九州厚生年金病院 内科勤務
 1993年  福岡赤十字病院 内科勤務
 1998年 南昌江内科クリニック開業 

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シンポジウム「病とともに生きる」
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
 会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757 
 入場無料 事前登録
 http://andonoburo.net/on/4424 

 コーディネーター
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 

 基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
  大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
    東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    http://andonoburo.net/on/4450 

 シンポジスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
    http://andonoburo.net/on/4462

  小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
    「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」

  清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」

  立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」 

 ディスカッション (50分)
    演者間、会場を含め討論 

 13時 終了
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@参考
 2011年の日本糖尿病眼学会(東京フォーラム 学会長;安藤伸朗)で、シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」を企画しました。オーガナイザーは、大森安恵先生と私安藤で、4名のシンポジスト(南 昌江先生、小川弓子先生、西田朋美先生、立神粧子先生)は、それぞれ、ご自身が、ご子息が、父親が、ご主人が疾患や障害を持った方々です。大きな反響がありました。 

 第17回 日本糖尿病眼学会 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00  東京国際フォーラム)
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 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
   南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   http://andonoburo.net/on/4165
 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長)
   http://andonoburo.net/on/4171
 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター)
   http://andonoburo.net/on/4203
 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科 教授)
    http://andonoburo.net/on/4206
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2016年2月10日

 自分自身や家族が病や障害を経験することでしか得られないことがあります。第17回日本糖尿病眼学会(2011年12月2~4日 東京フォーラム)の学会長を私安藤が担当した折、シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」を行いました。オーガナイザーを大森 安恵先生(内科医;東京女子医大名誉教授)と私安藤が務め、以下の4名がシンポジストでした。南 昌江先生(内科医;ご自身が1型糖尿病)、小川 弓子先生(小児科医;ご子息が未熟児網膜症)、西田 朋美先生(眼科医;お父上がベ-チェット病)、立神 粧子先生(音楽家;ご主人が高次脳機能障害)。大きな反響がありました。

 あれから5年の歳月が過ぎ、曽根 博仁先生(内科医;新潟大学医学部教授)を新たにメンバーに迎え、新潟でシンポジウム「病とともに生きる」を企画しました。コーディネーターを曽根先生と私安藤が担当し、大森先生に基調講演、南・小川・清水(旧姓西田)・立神の4名の先生方にシンポジストをお願いしました。どなたでも参加できます。
 一緒に「医療」を感じ、そして考えてみませんか?
 
 

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 シンポジウム「病とともに生きる」
  日時:平成28年7月17日(日)
    開場:午前9時30分 講演会:10時〜13時
  会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    新潟市中央区旭町通1-757 
  入場無料 事前登録 
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基調講演:「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
   大森 安恵
  
海老名総合病院・糖尿病センター長 
 
 (東京女子医科大学名誉教授) 

【抄 録】
 新生児専門医の仁志田 博司名誉教授は、生命倫理に関する御著の中で、倫理の倫は仲間という意味であると書いている。本日はご本人そのものや,ご家族の病気とともに感動的に生きておられるお話上手の私の特別の仲間である皆様とご一緒させて頂き、その基調講演を担当する。 

 私は1956年東京女子医大を卒業したので,丁度60年間糖尿病の患者さんとともに生きて来た事になる。1960年代前半までは「糖尿病があると危険だから妊娠させるべきでない」という不文律があり、またそう教え込まれていた。 たまたま、私は「安産ですよ」と言われながら微弱陣痛で死産を経験した。慟哭を禁じ得ない程の幼子喪失の悲しみを秘めて診療している時、糖尿病の診断がつかず死産に終わって,泣き暮れている二人の患者さんの受持ちになった。

 この事が動機になって、欧米では1921年インスリンの発見を機に「糖尿病と妊娠」の歴史が始まっている事を知り、中山 光重教授のご支援の下に、わが国にもコントロールが良ければ糖尿病があっても妊娠は可能であるというキャンペーンを始めた。日本でも出産例は僅か乍らあったが、東京女子医大病院では、1964年2月に初めて糖尿病妊婦分娩例を経験した。以後症例は階段的に増加した。この第一分娩例はリリーインスリン50年賞の初回受賞者となり、最近では50年賞受賞した糖尿病妊婦分娩者は5名に達している。そして現在では、糖尿病合併症がなく、妊娠前から血糖コントロールが良ければ、非糖尿病者と同じ妊娠、分娩が出来るようになっている。

 一方、妊娠と関係なく、糖尿病があっても精力的に社会的活動をしている人々をご紹介し、聴衆の皆様を鼓舞しようと思っている。

【略 歴】
 1956 東京女子医科大学卒業。
 1957 東京女子医科大学第2内科入局(中山光重教授)、糖尿病の臨床と研究を開始。小坂樹徳、平田幸正教授にも師事。医局長、講師、助教授を経てスイス、カナダに留学。
 19814月同大学第三内科糖尿病センター教授。
 1985 「糖尿病と妊娠に関する研究会」設立。
 1991 同第三内科主任教授兼糖尿病センター長。
 19973月東京女子医科大学定年退職 名誉教授。 
 19975月第40回日本糖尿病学会会長。
 2001 「日本糖尿病・妊娠学会」設立(「糖尿病と妊娠に関する研究会」を発展)。2005名誉理事長となる。
 2002 海老名総合病院・糖尿病センター長。現在にいたる。
 2007  Unite for Diabetes糖尿病と妊娠の代表者として国連でSpeech. 

【受賞】
 
吉岡弥生賞、米国Sansum科学賞、Distinguished Ambassador Award, ヘルシーソサエティ賞、糖尿病療養指導鈴木万平賞他 

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シンポジウム「病とともに生きる」
 日時:平成28年7月17日(日)
    開場:
午前9時30分 講演会:10時〜13時
 
会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
    
新潟市中央区旭町通1-757 
 
入場無料 事前登録 

 コーディネーター
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院;眼科部長) 

 基調講演(30分):「糖尿病と向き合う~私の歩いた一筋の道~」
  大森 安恵
   (内科医;海老名総合病院・糖尿病センター
    
東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)

 シンポジスト (各25分)
  南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   「糖尿病を通して開けた人生」
  小川 弓子(小児科医;福岡市立西部療育センター センター長)
 
   「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」
  清水 朋美(眼科医;国立障害者リハセンター病院第二診療部)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」
  立神 粧子(音楽家;フェリス女学院大学・大学院 教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト~作戦を立ててがんばる~」 

 ディスカッション (50分)
    演者間、会場を含め討論 

 13時 終了
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@参考
 第17回
 日本糖尿病眼学会 シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00  東京国際フォーラム)
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 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)

 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
   南 昌江 (内科医;南昌江内科クリニック)
   http://andonoburo.net/on/4165
 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(小児科医;福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長)
   http://andonoburo.net/on/4171
 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (眼科医;国立障害者リハビリテーションセンター)
   http://andonoburo.net/on/4203
 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科 教授)
    http://andonoburo.net/on/4206
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2016年2月6日

案内 シンポジウム「病とともに生きる」

 技術革新による「医療」の変化は目覚ましいものがあります。ゲノム医療や再生医療、人工知能による診療補助、ICT技術の活用など、さまざまな医療イノベーションの発展と普及が今後期待されます。その一方で、急激な人口構造の変化とそれに伴う疾病構造の変化、社会の変容の流れの中で、「治す」医療から、「治し支える」医療への変化が進み、医師に求められる役割が今後、大きく変わることが予測されています。「患者に寄り添う」ということが大事であることは分かっていても、理解が及ばず医療者の気持ちが患者さんやご家族に届かないことがあります。 

 2011年の日本糖尿病眼学会(東京フォーラム 学会長;安藤伸朗)で、シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」を企画しました。オーガナイザーは、大森安恵先生と私安藤で、4名のシンポジスト(南 昌江先生、小川弓子先生、西田朋美先生、立神粧子先生)は、それぞれ、ご自身が、ご子息が、父親が、ご主人が疾患や障害を持った方々です。大きな反響がありました。 

 あれから5年の月日が経過しました。新潟で、前回のシンポジウムに曽根博仁教授(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科)をメンバーに迎え、シンポジウム「病とともに生きる」を企画しました。大森先生の基調講演に引き続き、南先生、小川先生、清水先生(旧姓西田)、立神先生の4名にシンポジストとして大いに語って頂きます。コーディネーターを、曽根先生と私安藤が務めます。

 どなたでも参加できます。一緒に「医療」を感じ、そして考えてみませんか? 

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平成28年7月17日(日) シンポジウム「病とともに生きる」
   午前9時30分:開場 10時〜 講演会
   会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
      新潟市中央区旭町通1-757 
   入場無料 事前登録 

 コーディネーター
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科部長) 

 基調講演 (30分)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター;内科医、
       東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
    「糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー」 

 シンポジスト (各25分)
  南 昌江 (南昌江内科クリニック;内科医)
    「糖尿病を通して開けた人生」

  小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長;小児科医)
     「母として医師として~視覚障害の息子と共に~」

  清水 朋美(国立障害者リハセンター病院第二診療部 眼科医長)
    「オンリーワンの眼科医を目指して」

  立神 粧子(フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科教授)
    「続・夫と登る高次脳機能障害というエベレスト
                  〜作戦を立ててがんばる〜」
 

 ディスカッション (50分)
    演者間、会場を含め討論 

 13時 終了 

 

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@参考
 日本糖尿病眼学会シンポジウム 「患者さん・家族が語る、病の重さ」
 (2011年12月3日16:30~18:00:東京国際フォーラム ホールB7-1)
 オーガナイザー:
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター
      東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)

 S-1 1型糖尿病とともに歩んだ34年
   南 昌江 (南昌江内科クリニック)
   http://andonoburo.net/on/4165

 S-2 母を生きる 未熟児網膜症の我が子とともに
   小川 弓子(福岡市立肢体不自由児施設あゆみ学園園長;小児科医)
   http://andonoburo.net/on/4171

 S-3 ベーチェット病による中途視覚障害の親を通して学んだこと
   西田 朋美 (国立障害者リハビリテーションセンター;眼科医)
   http://andonoburo.net/on/4203

 S-4 夫と登る、高次脳機能障害というエベレスト
   立神 粧子 (フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科)
    http://andonoburo.net/on/4206

2016年2月2日

案内 第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会 若槻/岩崎
 演題:「ブラインドメイク 実践と体験」
 日時:平成28年02月17日(水)16:30~18:00 
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

演題1:「女性にとって、お化粧とは何でしょう?」
講師:
若槻 裕子(新潟市;日本ケアメイク協会 講師

 街を歩いていて視覚障がいの女性でお化粧をしている女性を見かける事がほとんどない。
 その理由は視覚に障がいがある事から、「口紅がはみ出していないか?」「色が濃すぎていないか?」「眉は変な形になっていないか?」などの不安要素が頭をよぎり、「いっそうのことお化粧をいないほうが楽よね」と考えてお化粧をしなくなったのではないでしょうか?
 2015年2月、済生会眼科勉強会でブラインドメイクの一人者の大石華法先生と運命的な出会いがありました。そこには、視覚障がいの女性が鏡を使わずに、一人で、誰の手も借りず、お化粧をする姿が目に入りました。化粧道具は両手指と刷毛が1本で、美しく、そして綺麗にフルメイクが仕上がっていく様子を初めて見ました。あまりの感動に鳥肌が立ちました。
 私は介護職員として又同行援護に携わる者として、ブラインドメイクは視覚障がいの方に役立てることができると思い、翌月から大阪の大石先生のもとへ通うようになり、早1年が経ちました。そこで感じたことは「お化粧をしたい!」との声を多く聞くことで、視覚障がいの女性も私と同じ「女性」であり「綺麗になりたい」「綺麗でありたい」という思いは同じであるということです。“視覚障がいの女性”ではなく、“ひとりの女性”であることを忘れてはならないということです。
 「女性ですもの」どの女性にも綺麗になる権利はあると思います。女性にとっての“お化粧”とは単に顔を美しく綺麗に演出するだけのものではなく、内面からも美しく綺麗になり、自信という強い武器を持つこと。そして、それは障がいが有る無しに関わらず“ひとりの女性”である以上、同じということです。 

演題2:「私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現」
         -ブラインドメイクの出会いから1年ー
講師:岩崎 深雪(新潟市;盲導犬ユーザー)
 化粧に全く関心がなかった私が、平成27年2月に大石先生の視覚障害者が鏡を見ないでひとりで化粧ができるブラインドメイクの講演を聞いたときは、正直「こんなこと私に出来ない。場違いなところに来てしまった。さっさと帰ろう。」とその場から逃げだしたくなりました。
 しかし、同行してもらった若槻さんから「私も興味があるから一緒にやろうよ。」と誘われたことから、徐々にその気になり、5月からブラインドメイクのレッスンを大阪まで通い、受けることになりました。
 第1回目のレッスン(フェイシャル&スキンケア)後、乾燥していた唇が潤い、肌がツルツルになっていくことを手指で感じることができました。このレッスンで、自分の顔が愛おしく感じるようになり、次第に気持ちが楽しくなりました。レッスンの度に綺麗に化粧ができるようになっていく自分を感じることで自信がつき、内面から変>化していくことに気が付きました。今では、出かけるときは必ず化粧をするようになりました。化粧をせずにスッピンで出かけた時は、いつの間にか下向きになっている自分に気がつきました。化粧をして出かけると、自分では無意識のうちに背筋を伸ばして、顔を上げて歩いています。
 化粧には全く縁がない、化粧することは無理だと諦めていた私ですが、ブラインド・メイクができるようになったお蔭で、自信がつき、姿勢もよくなり、気持ちも若返り、健康維持にも欠かせないものとなりました。

 

参考:
 
第228回(15‐02月)済生会新潟第二病院 眼科勉強会  大石華法
  演題:「視覚障害者の化粧技法について~ブラインドメイク・プログラム~」
  講師:大石華法(日本ケアメイク協会)
   日時:平成27年02月4(水)16:30 ~ 18:00
   場所:済生会新潟第二病院 眼科外来
   
http://andonoburo.net/on/3418

2016年1月30日

報告:第239回(16-01)済生会新潟第二病院眼科勉強会    上林明
 演題:「パラドックス的人生」
 講師:上林明(新潟市)
  日時:平成28年1月13日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
 私は昭和19年(1943年)に、今の山形県鶴岡市の個数僅か48軒の小さな漁村に視覚障害をもって生まれた。親は、生後1か月を待たずに新潟大学病院眼科まで出かけ、熊谷教授に治療を嘆願したそうだが、当時は病名すら理解していなかった(注;先天性上眼瞼欠損症)。 

 昭和24年(1949年)9月、集落の9割を嘗め尽くした大火災が起こった。真夜中なのに真昼のような明るさの炎、逃げ惑う人々の狂気の叫びと、持ち出した家財の投下。漁村なるが故の船舶用燃料用ドラム缶の破裂による大音響と空高く燃え上がる火柱と炎熱地獄。5歳にして命の危機を体験した。 

 火事は、それはそれは恐ろしかったが、本当の苦しみはその日以降から始まった。復興をめぐって、陰湿で封建制と差別に満ちた障碍者を理由とした不当不公平な差別と嫌がらせを受けた。宅地の配分でも、村を不幸に陥れる片端もの(しょうがいしゃ)には人と人並みの土地はやれないとの仕打ちを受けた。 

 母は連日のように「私がお前のような障害時を生まなかったなら、こんな不幸には遭わなかった」と5歳の私に向かってなげき、時には号泣していた。そんなことを何回も聞いているうちに、「死のう」と思って、夜中にこっそり家を出て海に入り沖に向かって歩いた。そこに、祖父が海にいる私を見つけて海に飛び込み、「馬鹿野郎」と言ってぶん殴り、そして抱きかかえてくれた。5歳ではあったが、私の家族と私に襲い掛かってくる数々の難問と差別に押し潰されそうな人生の始まりであった。 

 祖父は懸命に私を諭してくれた。「負けるな、一つ頭抜けた人間となって見返してやれ」と。この被災が、それからの私の生き方に大きな示唆と生きる力を与えてくれたと思っている。 

 教育が大事だという祖父の勧めもあり、当時にしては珍しく、学齢6歳にして鶴岡の盲学校・その寄宿舎に入った。小学・中学を終え、昭和35年(1960年)新潟盲学校高等部に入学。山形の本校を選ばず新潟を選んだ理由は新大医学部から講師が派遣され理療科を学ぶことができたから。とはいえ、私は勉強する・努力すると言ったことが身に沿わない人間だったようだ。閉鎖的な東北から比較的開放的な新潟へ来て、勉学に励んだのではなく、当時吹き荒れていた60年安保闘争に、障碍者に対する差別偏見と闘うと叫びつつ、どんどん身を委ねて行ったのだった。校内でも、討論集会や学習会を組織し、将来の障碍者としての生き方、古い体質のマッサージ・はり・灸業界と労働条件の改善を話し合う。 

 卒業後もそれらの命題を掲げて新しい障碍者運動団体を作り、運動を進めた。生来の音楽好きと、こうした運動とのかかわりから外の合唱団や歌声運動に加わり、校内にも広め、さらにたくさんの晴眼者や団体との連帯が進んだ。障碍者の団結も大事だが、周りの一般社会人との交流連帯によって得たものは大きかったと思う。その結実は、現在「新潟県視覚障碍者友好協議会」として、また「男声合唱団どんぐり」として残り、大きく発展している。 

 昭和50年(1975年)私なりに一つのけじめをつけ、次のステップに進むこととなった。職業としての新潟県はり・灸・マッサージ業界の理事・理事長として会館建設と健保取扱いの向上、かつての運動当時に培った新潟水俣病現地診療で得た知識と人のつながりを生かして、この施術の開発と公助制度の確立にまい進。テレビ番組によるこれら施術の普及を進めるために準レギュラーとして出演。また、乞われて福祉医療専門学校非常勤講師として教壇にも立った。むしろ学生から学ぶところは大きかった。 

 それらとともに有線やインターネットを通じて開始されたJBS日本福祉放送の番組制作を13年間務めた。そうした中で、「司会者協会」に参加してイベントや舞台の司会業も側として行ない、多数の歌手のコンサート司会も担当した。 

 詩吟神風流に入門し42年目となり、現在は会長として教室を県内数か所に開設し、地域の生きがいづくりに貢献を図っている。市・県の連盟理事・コンクール審査員。視覚障碍者「あいゆー山の会」に参加し、県内の里山や富士山・立山などに山行。晴眼のパートナーを信じ連帯を尊重しつつ上り行く山は、肉体のみならず精神を鍛えてくれると思う。中越地震被害者救援施術を主催したが、この折にも山の仲間は人と物資輸送・受付などを手助けしてくれ、人間としての連帯感を強く感じることができた。 

 多分、私が晴眼者で生まれたら、当時の世相から親の跡を継ぎ漁民か船員に終わったかと思われる。目が見えず、差別偏見を受けなかったらこの愉快な人生は得られなかったと思う。今日の境遇や多数の人との愛に満ちた連帯に感謝し、残る人生も多数の社会と人と手を携え楽しく愉快な余生を過ごしたいものである。 

【略 歴】
1944年 山形県西田川郡加茂町(現鶴岡市)の小さな漁業集落に視力障害をもって生まれる。
1951年 山形県立鶴岡盲学校小学部入学。
1960年 新潟県立盲学校高等部入学
1963年 按摩・マッサージ・指圧師免許取得
1965年 新潟県立盲学校卒業。鍼師・灸師免許取得。
   同年 柏崎市の植木治療院勤務。
1967年 新潟市山ノ下地区(現在地)に「上林鍼灸マッサージ治療院」開業
    (2014年閉院)。
1969年 結婚。2児を育て現在それぞれ独立。
1975年 詩吟神風流に入門。現在詩吟神風流越水会会長。雅号「神天」。
      県・市吟詠連盟理事。全吟連新潟県コンクール審査員。
1994年より2年間(社)新潟県鍼灸マッサージ師会理事長。
     視覚障碍者山の会「新潟あいゆー山の会」会員。 

【後 記】
 上林さんの壮大な人生を語って頂きました。5歳の時の大火、その後の差別という試練。祖父の励ましと、見返してやるという覚悟。障碍者に対する差別と闘った青年時代。仕事に邁進しながらも新潟県はり・灸・マッサージ業界のリーダーとしての活躍、そしてJBS日本福祉放送の番組制作と司会者としての活躍した壮年時代。詩吟と山の会で活躍中の現在、、、。 目が不自由だったからこそのいい人生を送ってこれたという最後の言葉に心打たれました。
 上林さんは、非常に明るく人望があります。幾度の苦難も明るく乗り越えてきた上林さんの、益々の活躍を祈念しております。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成28年02月17日(水)16:30~18:00 *第3水曜日です
 第240回(16-02)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 演題1:「女性にとってお化粧とは何でしょう?」
  講師:若槻 裕子(新潟市)
 演題2:「私の化粧(フルメーキャップ)の自己実現」
   -ブラインドメイクの出会いから1年ー
  講師:岩崎 深雪(新潟市)
 @都合により、 ネット配信は行いません。御容赦下さい。 

平成28年03月09日(水)16:30~18:00
 第241回(16-03)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「『見たい物しか見えない』と『見たい物が見えない』のあいだ」
  関 恒子(長野県松本市)
 @ネット配信について、検討中です 

平成28年04月13日(水)16:30~18:00
 第242回(16-04)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「盲学校理療教育の現状と課題
     ~歴史から学び展望する~」
  小西 明(済生会新潟第二病院 医療福祉相談室) 

平成28年05月11日(水)16:30~18:00
 第243回(16-05)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「嬉しかったこと、役立ったこと」
  大島光芳(上越市) 

平成28年06月8日(水)16:30~18:00
 第244回(16-06)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  未定 

平成28年07月未定
 第245回(16-07)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 

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平成28年7月17日(日)
 シンポジウム「病とともに生きる」
 9時30分:開場
   会場:「有壬記念館」(新潟大学医学部同窓会館)
 10時 講演会開始
 コーディネーター
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院 眼科部長)
  曽根 博仁(新潟大学医学部 血液・内分泌・代謝内科;教授)
 基調講演 (30分)
  大森 安恵(海老名総合病院・糖尿病センター;内科医、
       東京女子医大名誉教授、元東京女子医大糖尿病センター長)
 
 「糖尿病と向き合うー私の歩いた一筋の道ー」
 パネリスト (各25分)
  南 昌江 (南昌江内科クリニック;内科医)
   「糖尿病を通して開けた人生」
  小川 弓子(福岡市立西部療育センター センター長;小児科医)
  清水 朋美(国立障害者リハセンター病院第二診療部 眼科医長)
   「オンリーワンの眼科医を目指して」
  立神 粧子(フェリス女学院大学音楽学部・大学院 音楽研究科教授)
 ディスカッション (50分)
  演者間、会場を含めた討論
 13時 終了
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2016年1月25日

これまでの「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
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第9回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院 眼科
 日時:2014年7月6日(日)  10時~13時 各講演1時間・質疑応答30分
 会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 参加無料
 1)「学問はしたくはないけれど・・」
    加藤 聡 (東京大学眼科准教授)
 2)「摩訶まか緑内障」
    木内 良明 (広島大学眼科教授)
 http://andonoburo.net/on/2951


第8回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年9月15日(土)15時~18時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「疫学を基礎とした眼科学の展開」
     山下 英俊 (山形大学眼科教授、医学部長)
 2)「2型糖尿病の成因と治療戦略」
     門脇 孝 (東京大学内科教授、附属病院長、
                日本糖尿病学会理事長)
 http://andonoburo.net/on/2423


第7回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年6月10日(日) 9時~12時
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「iPS細胞-基礎研究から臨床、産業へ」
     高橋 政代 (理化学研究所)
 2)「遺伝性網膜変性疾患の分子遺伝学」
     中澤 満 (弘前大学大学院医学研究科眼科学講座教授)
 http://andonoburo.net/on/2420


第6回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

   日時:2012年3月17日(土)15:00~18:00
   会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「私の歩いた一筋の道 糖尿病と妊娠の分野を開拓しながら学んだ事」
     大森安恵 (海老名総合病院 糖尿病センター長)
          (東京女子医科大学名誉教授;内科)
 2)「糖尿病網膜症と全身状態 どの位のHbA1cが続けば網膜症発症?」
     廣瀬 晶 (東京女子医大糖尿病センター眼科)
 http://andonoburo.net/on/2411


第5回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科

    日時:2011年10月29日(土)16時30分~19時30分
    会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「私と緑内障」
     岩瀬 愛子 (たじみ岩瀬眼科)
 2)「神経再生の最前線ー神経成長円錐の機能解明に向けてー」
     栂野 哲哉 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2407

第4回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年7月30日(土) 15:00~18:00
    会場:済生会新潟第二病院  B棟2階研修会室
1)「臨床研究における『運・鈍・根』」
     三宅養三 (愛知医大理事長 名古屋大学名誉教授)
2)「経角膜電気刺激治療について」
     畑瀬哲尚 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2404


第3回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2011年4月2日(土) 15時~18時
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「眼の恒常性の不思議 “Immune privilege” の謎を解く」
    ―亡き恩師からのミッション
     堀 純子 (日本医大眼科;准教授)
 2)「わがGlaucomatologyの歩みから」
     岩田 和雄 (新潟大学眼科;名誉教授)
 http://andonoburo.net/on/2397



第2回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年10月9日(土)15時30分~18時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「強度近視の臨床研究を通してのメッセージ?clinical scientistを目指して」
      大野 京子 (東京医科歯科大学眼科 准教授)
 2)「拡散強調MRIによる視神経軸索障害の定量的評価」
      植木 智志 (新潟大学眼科)
 http://andonoburo.net/on/2393

第1回「学問のすすめ」講演会 済生会新潟第二病院眼科
    日時:2010年2月6日(土)14時30分~17時30分
    場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 1)「網膜・視神経疾患における神経保護治療のあり方は?」
    -神経栄養因子とグルタミン酸毒性に注目して-
     関 正明 (新潟大学)
 2)「留学のススメ -留学を決めたワケと向こうでしてきたこと-」
     (人工網膜、上脈絡膜腔刺激電極による網膜再構築、
     次世代の硝子体手術器機開発、マイクロバブル使用の超音波治療)
     松岡 尚気 (新潟大学)
 http://andonoburo.net/on/2391