2015年4月30日

 演題:知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
    
―「慢性眼科患者」の経験から私が学んだこと―
 講師:阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員/社会福祉士)
  日時:平成27年4月8日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【講演要約】
 両目のまぶたに先天的な症状を持って生まれた私は、生後まもなくの頃から眼科とのおつきあいが始まりました。以来、40数年経った今も年数回の眼科受診を続けながら日常生活を送っています。
 紆余曲折の末に辿り着いた大学院教育学研究科で学んだことが活かせる職種の職員募集が仙台市の市政だよりに載っていることを私に教えてくれた教官のおかげで、大学院修了後はさまざまな障害を持つ方の生活相談支援を担う部署に相談員として就職しました。人よりけっこう遅い「社会人1年生」のスタートを切ったことになります。

 そして、たまたま同じ時期に始まった仙台市の地域リハビリテーションモデル事業で視覚障害者支援に関するプロジェクトのいわば「現場スタッフ」の仕事も担当させていただくことになりました。このモデル事業が基盤となって仙台市中途視覚障害者支援センターが仙台市単独事業として2005年に始まりました。今年(2015年)の春でちょうど10周年です。

 支援センターでのもっとも中心となる業務は相談です。視覚障害を持つ方やその家族などから寄せられる相談に応じ、情報提供したり、福祉サービスの利用を円滑に受けられるようにするために福祉事務所等での手続きを支援したり、あるいは経済的な基盤を確保するために障害年金の請求手続きに必要な書類集めのサポートをしたり、病気や症状への適応の過程で生じる心理的葛藤につきあったり、見えない・見えにくい状況で生活する上でのちょっとした工夫(感覚の活用、道具の活用など)を助言したり……と、その内容はさまざまです。

 市民(視覚障害を持つ人ご本人や家族)から直接連絡をいただく以外にも、例えば病院の眼科や糖尿病内科などに勤務する医師や看護師から入院中の患者さんのことで支援協力の依頼が入り、病棟を訪問して本人・家族とお会いし、退院して後の自宅での生活再開に向けて必要な情報を提供したり手続きを支援したりすることもおこなっています。

 また、お互いになかなか出会う機会がなく、それゆえ、ともすると孤立しがちな中途視覚障害者やその家族を主な対象とした「目の不自由な方と家族の交流会」を毎月1回開催しています。さらに、支援者どうしが分野や組織の枠を超えて交流し、お互いの専門分野を話題提供して学びあったり人脈づくりをしたりすることを目的として2000年の夏に始まった「仙台ロービジョン勉強会」の事務局役割を2006年から引き受け、こちらも毎月1回開催しています。

 このようにさまざまな視覚障害者の生活設計・生活再建、あるいは眼科の患者さんやその家族が直面する心の動揺や葛藤を整理していく過程にソーシャルワーカーとして直接・間接にかかわる現在の業務を個人的なライフヒストリーを交えながら振り返ってみた時、「自分の体験だけでモノゴトのすべてを考えてはいけない」と思いつつも、ものごころつく頃からの眼科での患児・患者としての経験から得たこと、社会全体からみればマイノリティ(少数者)であるロービジョンの状態で育ち生活してきた体験から学んだことが今の私に少なからぬ影響を与えていると気づかされます。

 私の場合、「低い視機能(ロービジョン)のために生じる『見える・見えないを行ったり来たり』とどうつきあうか?」という要素と、「義眼の管理や人工涙液の頻回点眼、痛みや疲れの軽減対策など、いわば『目の内部障害』とどうつきあうか?」という要素に整理されるのではないか、と自分の状況をとらえています。そして、「症状の変化(進行)に対して、心理的に、あるいは具体的な行動技術や道具の活用の工夫などによってどのように適応していくか?」を考えなければいけない場面に直面した時、しんどかったりつらかったりすることがないわけではない、というのが正直な状況です。

 しかし、小児眼科(こども病院)時代に患児として眺めた医師をはじめとする多様なかかわり手どうしの連携と役割分担の姿や、国際障害者年(1981年)の1年間にテレビや映画で接した、国内・海外に暮らすさまざまな障害者が自身の障害とつきあいながらも社会の中でいきいきとその人・その人の役割を果たしている/果たそうとしている姿から学んだことは現在、私にとって「思考の基本・お手本」としてとくに強い影響を与えているように思います。

 そんな慢性眼科患者としての生活過程を振り返ってみて、疾患(やそのために生じる機能低下・喪失)とよりよくつきあいながら暮らしていくうえで重要なことを考えてみました。
(1)「私もあんなふうになりたい」「なれるかも…」と思えるような良き手本となる人の行動・生きざまに触れることによって気持ちの上で強くなれるように思います。
(2)世界の多様な多民族・多文化事情やマイノリティ事情、弱さに起因する社会問題を知ることによって、疾患や障害のために直面する課題を客観的・相対的にとらえる視点を育むことができるように思います。
(3)失敗や挫折、困難や苦労を「何事も経験」ととらえ直すことによって、心の余裕が生まれるように思います。
(4)教育の力・笑いの力は困難な状況をのりきっていくうえで重要ではないでしょうか。 

【略 歴】
 兵庫県出身。関西と関東を行き来しながら子ども時代を過ごす。
 1995年 同志社大学文学部文化史学専攻卒業
 2001年 東北大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程修了
 2001年 (財)仙台市身体障害者福祉協会に仙台市太白障害者生活支援センター相談員として入職
  この間、仙台市地域リハビリテーションモデル事業運営協議会ワーキンググループ委員(2002年~2004年)、中途視覚障害者への地域リハビリテーションシステム研究事業ワーキンググループ委員(2004年~2005年)を経験。
 2005年 視覚障害者を支援する会(現在のNPO法人アイサポート仙台)に仙台市中途視覚障害者支援センター相談員として入職 

@NPO法人アイサポート仙台
http://www15.plala.or.jp/isupport/


【後 記】
 阿部直子さんは、魅力いっぱいな素敵な女性でした。アイサポート仙台は、相談も患者さんのみでなく、医師や医療関係者が訪れるというのはビックリでした。
 行政と対決するのでなく、味方につけての活動は、時として制約もあろうかと思いますが、ことをなす王道です。今年創立10周年を迎えたということですが、色々な職種の方々が集ってここまで続けてこられたのは素晴らしいものです。「中途視覚障害者交流会」(毎月)、「仙台ロービジョン勉強会」(毎月)も充実しているようです。 

 「慢性眼科患者」としてのライフヒストリーでは、ご自身の障害のことをカミングアウトして頂きました。医師は病気の診断と治療を行いますが、生活上のご苦労はあまり知りません。貴重なお話を伺いました。
 最後に強調された、知る・学ぶ、ユーモアを忘れずに挑戦していくというくだりは、納得して聞くことが出来ました。阿部先生のお話をお聞きして、改めて魅力をいくつも発見しました。参加者から「軽い語りかけで救われる」という感想もありましたが、明るい語り口は魅力です。ご両親の愛情をたっぷりと受けて育ったのだろうと感じました。 

 蛇足になりますが、我が国におけるロービジョンケアの先駆者として、弱視学級設立に尽力した小柳美三東北大眼科教授(初代)が、日本眼科学会創立100周年記念誌に紹介されています。「1929年に小柳美三東北大眼科教授がLV児の特殊教育の必要性を訴え、1933年に南山尋常小学校(東京麻布)に全国初の弱視学級が開設された。」 加えて、東大眼科の原田政美先生が、1965年に東北大学教育学部教育心理学科の視覚欠陥学講座に教授として赴任し、視覚障害リハビリテーションに尽力されています。
 こうしたことから「仙台が日本のロービジョンケア発祥の地なのでは?」という思い
を強くしています。このような背景を知ると、阿部先生が作り上げてきたアイサポート仙台は、偶然ではないという思いがします。創立10年を迎え、これからますます飛躍の時だと思います。今後の活躍を祈念しています。
 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年5月13日(水)16:30~18:00
 第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
  遁所 直樹 (社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
 http://andonoburo.net/on/3555


平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)


平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定)


平成27年8月1日(土) 午後
 新潟ロービジョン研究会2015 
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
 要:事前登録
  主催:済生会新潟第二病院眼科 
 テーマ:「ロービジョンケアに携わる人達」
特別講演 
1.世界各国と比べた日本のロービジョンケア(仮題)
   仲泊聡(国立障害者リハビリセンター病院 眼科部長)
2.眼科医が行うロービジョンケア(仮題)
   加藤聡(日本ロービジョン学会理事長 東大眼科准教授)
3.NPOオアシスで行ってきたこと、行っていること(仮題)
   山田幸男(新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)
パネルディスカッション ~ 「ロービジョンケアに携わる人達」(予定)
 司会:安藤伸朗 (済生会新潟第二病院)
 1)視能訓練士
    西脇 友紀(国立障害者リハビリセンター病院)
 2)盲学校
    小西 明 (済生会新潟第二病院;前新潟県立盲学校)
 3)盲導犬
    多和田 悟(盲導犬訓練士)
 4)看護師
    橋本伸子(看護師/石川県)
 5)患者さんから
    大島光芳(上越市)
 コメンテーター
   仲泊聡(国立障害者リハビリセンター病院)
   加藤聡(日本ロービジョン学会理事長)
   山田幸男(新潟県保健衛生センター;信楽園病院 内科)


平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ 高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
 -------------------------
  参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495


平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
  講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士)


平成27年10月10日(土)午後
 済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015
 会場:済生会新潟第二病院10階会議室
 テーマ:「治療とリハビリ」

 要:事前登録
 講演予定者
  五味文(住友病院)
  高橋政代(理化学研究所)
  立神粧子(フェリス女学院大学教授)


平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】 
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科)

2015年4月28日

 演題:「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」       
 
講師:遁所 直樹(社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
  日時:平成27年05月13日(水)16:30 ~ 18:00
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来 

 

【抄 録】
 障害者権利条約(しょうがいしゃけんりじょうやく、Convention on the Rights of Persons with Disabilities)とは、あらゆる障害者(身体障害、知的障害及び精神障害等)の、尊厳と権利を保障するための人権条約です。

 この条約は、21世紀では初の国際人権法に基づく人権条約であり、平成 18年12月13日に第61回国連総会において採択されました。日本国政府の署名は、平成 19年9月28日です。平成 25年12月4日、日本の参議院本会議は、障害者基本法や障害者差別解消法の成立に伴い、国内の法律が条約の求める水準に達したとして、条約の批准を承認しました。日本国の批准は平成 26年1月20日付けで国際連合事務局に承認されています。

 現在、新潟市では、「障がいの有無に関わらず、誰もが暮らしやすく、市民一人ひとりが尊重される共生社会の実現」を目指し、本市独自の障がい者差別解消を図る「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例」の制定に向け、検討を重ねているところです。

 来年度新潟市議会に承認を受けたのちに条例として成立することになりますが、その内容について現在の状況をお話ししたいと思います。

【プロフィール】
 新潟大学大学院博士課程1年時頚椎 4番5番骨折頚髄損傷
 平成10年から介護老人保健施設ケアポートすなやま勤務
 平成12年から NPO法人自立生活センター新潟勤務
 平成23年から社会福祉法人自立生活福祉会事務局長
 新潟市障がい者施策審議会委員
(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされいかされる新潟市づくり条例検討会委員 


【参考】
遁所さんが勉強会でお話するのは、今回が4回目です。これまでの講演要旨を以下に記します。 
 第91回 2003年12月10日
 「期待せずあきらめず」 遁所 直樹
  新潟市障害者生活支援センター分室
 http://andonoburo.net/on/3537 

 第121回 2006年4月12日
 「なぜ生まれる無年金障害者」遁所 直樹 
   NPO法人自立生活センター新潟 副理事長
   兼 新潟学生無年金障害者の会 代表
 http://andonoburo.net/on/3546 

 第188回 2011年10月12日 
 「NPO法人から社会福祉法人へ ~ 自立生活福祉会、今からここから」
  遁所 直樹 
  社会福祉法人自立生活福祉会 事務局長
 http://andonoburo.net/on/3551 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。
   http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai
 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じて
おりませんが、個人的な使用のみにお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
 日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
    http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
    http://andonoburo.net/

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会) 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定) 

平成27年8月1日(土) 午後
 新潟ロービジョン研究会2015 「ロービジョンケアに携わる人たち」
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  主催:済生会新潟第二病院眼科
 講演予定者
  加藤聡(日本ロービジョン学会理事長)
  仲泊聡(国立障害者リハビリセンター病院)
  多和田 悟(盲導犬訓練士)
  西脇 友紀(国立障害者リハビリセンター病院)
  橋本伸子(看護師/石川県)
  他 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
 -------------------------
  参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題:街歩きを通して考える社会の視覚障害者観と当事者の心理
  講師:清水美知子(フリーランスの歩行訓練士) 

平成27年10月10日(土) 13時30分開場 14:00~18:00
 済生会新潟第二病院 眼科公開講座2015「治療とリハビリ」
 会場:済生会新潟第二病院10階会議室
 講演予定者
  五味文(住友病院)
  高橋政代(理研)
  立神粧子(フェリス女学院大学教授) 

平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科)

2015年3月25日

 演題:知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
    ―「慢性眼科患者」の経験から私が学んだこと―
 講師:阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員/社会福祉士)
  日時:平成27年4月8日(水)16:30~18:00
  場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

【抄 録】
 両目のまぶたに先天的な症状を持って生まれた私は、生後まもなくの頃から眼科とのおつきあいが始まりました。以来、40数年経った今も年数回の眼科受診を続けながら日常生活を送っています。
 紆余曲折の末に辿り着いた大学院教育学研究科で学んだことが活かせる職種の職員募集が仙台市の市政だよりに載っていることを私に教えてくれた教官のおかげで、大学院修了後はさまざまな障害を持つ方の生活相談支援を担う部署に相談員として就職しました。人よりけっこう遅い「社会人1年生」のスタートを切ったわけですが、たまたま同じ時期に始まった仙台市の地域リハビリテーションモデル事業で視覚障害者支援に関するプロジェクトのいわば「現場スタッフ」の仕事も担当させていただくことになりました。これがきっかけで、さまざまな視覚障害者の生活設計・生活再建、あるいは眼科の患者さんやその家族が直面する心の動揺や葛藤を整理していく過程にソーシャルワーカーとしてかかわる現在の仕事につながりました。
 「自分の体験だけでモノゴトのすべてを考えてはいけない」とは思いつつも、ものごころつく頃からの眼科での患児・患者としての経験から得たこと、社会全体からみればマイノリティ(少数者)であるロービジョンの状態で育ち生活してきた体験から学んだことが現在の仕事に少なからぬ影響を与えていると気づき、自分でも「人生ってオモシロイものだな」と苦笑してしまうことがしばしばあります。
 今回は、そんな1人の患者、ロービジョン者として経験してきたことをもとにして、眼科での慢性的な疾患を持つ患者への対応の在り方や視覚障害という特徴とうまくつきあうために求められることなどについてお話しできたらと考えています。 

【略 歴】
 兵庫県出身。関西と関東を行き来しながら子ども時代を過ごす。
 1995年 同志社大学文学部文化史学専攻卒業
 2001年 東北大学大学院教育学研究科教育心理学専攻修士課程修了
 2001年 (財)仙台市身体障害者福祉協会に仙台市太白障害者生活支援センター相談員として入職
  この間、仙台市地域リハビリテーションモデル事業運営協議会ワーキンググループ委員(2002年~2004年)、中途視覚障害者への地域リハビリテーションシステム研究事業ワーキンググループ委員(2004年~2005年)を経験。
 2005年 視覚障害者を支援する会(現在のNPO法人アイサポート仙台)に仙台市中途視覚障害者支援センター相談員として入職 

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 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。下記のいずれでも視聴できます。
   http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai 
   http://nitsc.eng.niigata-u.ac.jp/saiseikai/
 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じておりませんが、個人的な使用のみにお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
 日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来 

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html

 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
    http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html

 3)安藤 伸朗 ホームページ
    http://andonoburo.net/

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年5月13日(水)16:30~18:00
 第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされ
            いかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
  遁所 直樹 (社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
 

平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定)
 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
   ?高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えること?」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
 -------------------------
  参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495
 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  清水美知子(歩行訓練士;埼玉県) 

平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】 
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科)

2015年3月22日

 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;近江八幡市)
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと ~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室 

【講演要約】
 ホスピスという場で患者さんと共に時間を過ごしていると、患者さんの死から、私は生きていく力をもらっているのではないかと思うようになった。ホスピスケアは、人に生きていく力を与えることができる。ホスピスケアを通して、人類に通底する「いのち」に気づく。人はひとりぽっちではなくて、他者とのつながりの中で生きていることを知る。「いのち」は死を貫いて遺る者に受け継がれていく。 

 ホスピスケアは、その人がその人らしく尊厳をもって人生を全うすることを援助することである。痛みなどの症状を除くことがゴールではなく、死の孤独に寄りそうことが真のホスピスケアと考えているが、そのためにヴォーリズ記念病院ホスピスで心がけていることを述べてみたい。

(1)患者さんと話す時間を多くとる
 現代医療は、高度に専門化、細分化が進んでいる。狭い領域で専門的治療を受け、医療システムの流れに乗って効率良く連携されていく。がんのように高度の先進的医療が求められる分野では、なおさらこの傾向が強い。病人は多くの医療機関を転々として、数多くの医療者の関わりの中で、診断から治療、あるいは終末期ケアまで流れていく。いくつもの診療科で診てもらうので、かかわる医師の数も増えてくる。がんの進行度に応じて何人もの医師に治療が引き継がれていくことになる。

 ここで問題になるのは、各々の医師は、それぞれの専門領域を診るにとどまり、病気の治療全体の責任の所在が明確でなくなっている。つまり、主治医が誰なのかわからないということである。患者さんは、病気が治るか否かという大きな不安を抱えている。また、治療のためにどれだけ仕事を休まなければならないのか、治療終了後に仕事に復帰できるのかなど、これから先の生活のことがとても気がかりになっている。ホスピスではまず、患者さんの言葉に耳を傾けることが基本である。 

(2)かなしみへの気遣い
 ホスピスで過ごす患者さんが感じることは、人生の悲哀ではなかろうか。死の影が忍び寄る胸の内を分かちあいたいということだろう。患者さんの持つ陰性感情は隠れやすいとされる。「かなしい」「つらい」「苦しい」「むなしい」「切ない」などの思いに気づくことが大切である。そして、医師と患者の立場を超えて、同じ死にゆく運命を共有する弱い人間同士という気持ちで、その場と時間を共に過ごすことである。医療者として「何とかしてあげねばならない」と気負うことなく、いずれ死にゆく仲間同士という意識で、「とことんつきあおう」ということではないかと考えている。 

(3)患者さんの心の旅路につきあう
 ホスピスで過ごしている患者さんたちは、誰もがこれからどのような苦しみが待っているのか、死ぬときは苦しまないだろうか、などと日々起こってくる身体の変化のひとつひとつに不安を覚える。全人的ケアという意味合いを考えると、身体症状の原因には、精神的な要素、社会的な要素、スピリチュアルな要素が含まれているということである。たとえば、「食事ができなくなった」という患者さんの訴えの場合、その言葉の背後に思いを巡らせることが大切である。決して胃腸の問題だけではない。薬が効かないというイライラが募っているかもしれないし、家族の見舞いが減っていることが気になっているのかもしれない。また、これから自分にどんなことがおこるのか不安でいっぱいになれば、食事もできないであろう。患者さんが何を思って「食事ができなくなった」と口に出したのか、この言葉をきっかけに、患者さんの心の旅路につきあうことがホスピスケアである。 

(4)人生の流れの中で現在を見つめ直す
 人生は物語にたとえられる。ひとりひとりの人生は、生まれてから死を迎えるまでの一巻のオリジナルな物語である。ホスピスでの時間は、その物語の大団円を迎えるときである。患者さんには、自分の人生を振り返ってもらうことがとても大切だ。今日この時まで生きてきたこと、人生で輝いていたときのこと、苦しかったときのことなどを思い返してもらい、人生が一連のつながりの中にあることを感じられたら死にゆく状況も納得しやすい。

 現代日本は、団塊の世代が平均寿命を迎える10年後に多死時代を迎えるといわれている。その時を憂える声があり、死の準備を怠らないことが現代人に突きつけられた喫緊の課題である。死から学ぶことは大きい。 

【プロフィール】
 1951年、岩手県盛岡市の生まれ。小学二年生のとき、医師だった父の異動で京都に引っ越し、以来、大学卒業まで京都で育つ。クリスチャンホームで、物心つく前から教会に通い、中学一年生で受洗した。父親は法医学の大家、四人の叔父は外科医。
  1978年大阪医科大学卒業。自治医科大学消化器一般外科講師を経て、淀川キリスト教病院外科医長となった。その時父親を胃がんのために同病院ホスピスで看取っ た。このことをきっかけに96年ホスピス医に転向。2年間研修後、愛知国際病院ホスピス長を経て、2002年よりヴォーリズ記念病院にてホスピスケアを行っている。
 2004年、自身も腎がんで右腎摘出術を受けた。その後、自らの体験を顧みつつ、「死の前では誰もが平等、お互いさま」をモットーにしてケアを実践している。その様子がドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日~」として2013年春から全国公開され、ホスピスからのメッセージを多くの人たちに届けている。

@淀川キリスト教病院 http://www.ych.or.jp/
 1973年に日本で最初にホスピスケアを行い、1984年には日本のホスピスの生みの親、柏木哲夫氏(現・同病院理事長、名誉ホスピス長、金城学院長)により国内二番目のホスピスが開設された。細井氏はホスピス医としての指導を受けた。
@ヴォーリズ記念病院ホスピス http://www.vories.or.jp/medical_dep/kanwacare.php
@ドキュメンタリー映画『いのちがいちばん輝く日~あるホスピス病棟の40日』 http://www.inochi-hospice.com
「著 書」
 『こんなに身近なホスピス』(風媒社、2003年)
 『死をおそれないで生きる~がんになったホスピス医の人生論ノート』(いのちのことば社、2007年)
 『希望という名のホスピスで見つけたこと~がんになったホスピス医の生き方論』(いのちのことば社、2014年)

【後 記】
 ホスピス医の細井順氏をお招きしての講演会。当院で3回目となりますが毎回多くの参加者があります。今回も新潟市、新潟県は勿論、神奈川県・宮城県・長野県・山形県からも参加頂き、80名を超える参加者で盛況でした。
 細井節は快調でした~「いろいろな方々との最後の時を一緒に過ごし学んだことは多い。死にゆく人は遺される人に生きていく力を与える。この力が『いのち』と呼ばれるものではないのだろうか。ホスピスでは生死を超えた『いのち』にであうことができる。。。。。」

 講演の後で会場から沢山の質問も頂きました。最後までみてくれるホスピスを探すにはどうしたらいいのか?認知症の方とのコミュニケーションをとることは可能か?ターミナルケアと緩和ケアというのはどう違うのか?音楽療法は行うのか?最期を看取るのは長い間診てくれている開業医の先生ではダメなのか?ホスピス医と家庭医の違いは何?医者の勧める治療法を受け入れたいが、自分の生き方とぶつかることもある。如何にしたらよいか?多くの悩みを抱え、余命いくばくと宣告された方と如何に向き合えばいいのか?ホスピスには宗教的なバックボーンは欠かせないのか?医師は患者と向き合いエビデンスに基づいた治療を行うが、同時に患者に寄り添うホスピス的なケアを同時に並行して行うことは可能なのか?、、細井先生はこれら多くの質問に丁寧に答えてくれました。
 今回初めて講演会終了後、細井氏著書の販売/サイン会も行いました。多くの方が事前に購入し読了してから参加しており参加者の意識の高さを知ることができました。書籍販売の本屋さんはがっかりでしたが、、、

 死は誰にでも訪れるものですが、準備ができているかと問われて大丈夫と答えることの出来る人は少ないのではないでしょうか?細井氏は死について、そして死を迎えた人との向き合い方について淡々と語りました。その普通の語り方に凄さを感じました。ホスピス医は、時に「死神が来た」と揶揄されることもあるそうです。でも、「あなたのことを私は最後までみます」と言われたら、その人はどんなに安心するでしょう。現在の医療は、多くの部分を専門家が担っています。自分の専門のところが終了すると次のところを紹介という医療が最前線と考えられがちです。こうした医療の在り方、そして己を見つめ直す機会となりました。病を治すことが医療者の仕事です。しかし、メスや薬では治らない場合、「やすらぎ」を感じてもらうような医療を提供することも大事なことだと思い至りました。

 講師の細井氏、最後まで熱心に講演会に参加された方々、会場の準備・整理をして頂いた方々、講演会の模様を中継して頂いた方々、会場を提供してくれた病院関係者等々、すべての方々に感謝致します。

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【さらに細井順を知りたい方へ】 「いのち」について
(1)木村敏に学ぶ
 私のホスピス観を表すと、「生死を超えたいのちの在りかを共に探し求め永遠を想い、現在を生きる」となる。ここで平仮名の「いのち」について考えてみたい。「いのち」についての考察を深めるために、臨床哲学者木村敏の生命論的差異という考え方を援用したい。木村は、生命を個別的生命である「生」と、普遍的生命である「生それ自身」との二つに分けて考えた。個別的生命「生」は、死で終わる有限なものであり、普遍的生命「生それ自身」は、すべての生きものに通底し、死で区切られない無限性を持つ。「生」と「生それ自身」とのあいだを「生命論的差異(=主観性)」と言う。この誰にでも通底している普遍的生命が「いのち」の素になっている。 

(2)「いのち」の誕生
 今、ある二人の人物が出会っているとしよう。A氏とB氏である。A氏とB氏はそれぞれに「生」と「生それ自身」を持ち、そのあいだを「主観的」に生きている。そのふたりが出会ったときには、A氏の主観とB氏の主観とのあいだに「間主観的」といわれるあいだができる。そのあいだを「いのちが生まれる空間」といい、人と人はこの「いのちが生まれる空間」で出会う。人と人との出会いは様々である。A氏、B氏ともに健康で、死を特別に意識せずに日常性のなかで出会うなら、この間主観的というのはそれぞれの個と個とが出会い、各々の「生」が中心となり、「生それ自身」は背後に隠れる。「生それ自身」は通常の関係性の中では特に意識されることなく、両者が健康で、競い合っているような場合には問題にならない。しかし、A氏、B氏の両者、あるいは片方に死が迫っているような、非日常的な場面では、ふたりに通底する「生それ自身」が表に出てくる。そして、日常的・個別的な「生」は後退し、ふだんは深奥で隠れている「生それ自身」が呼び覚まされてくる。このようなときには、ふたりの個別性が強調される方向ではなく、ふたりの共通性が優位になってくる。ふたりに通底する「生それ自身」が前面に現れたときに、A氏とB氏のあいだに生ずるのが「いのち」と呼ばれるものだと考える。生命の危機に臨んで、普遍的生命がふたりを結んだときに「いのち」が生まれる。

 そう考えると、死を通路にして「いのち」が生まれるということになる。「いのち」は生まれるものなのだ。最初から備わっているものでなくて、出会いの中で生まれるものを指す。死という有限性を持つ人間が、無限に開けた存在となるために、「いのち」があると考えている。人間とは、ひとりの人間存在としてあるのではなく、誰かとの関係、木村の言葉では「あいだ」の中にある。そうだとしたら、私がいのちの臨床で感じる、「ひとはひとりでは生きられない、死ねない」ということも説明できるように思われる。 

(3)「いのち」は受け継がれていく
 ホスピスで死にゆく人たちとのあいだに生まれた「いのち」は、「普遍的生命」に根ざしたものである限り、私ひとりが生きていく力となるばかりではなくて、遺された家族、かかわってきたホスピスのスタッフにも、あるいはその患者さんと深いかかわりのあった全ての人たちの生きていく力になっていくものだと考えたい。愛する人を亡くするかなしみは個人的なものである。だが、誰もが持っている普遍的生命(「生それ自身」)が「いのち」の素となって、そこで「いのち」が生み出されるならば、それは、死の通底性から多くの人とのあいだにも「いのち」が生まれていくのである。そして、その広がりはついにひとつの「いのち」に還元されていくように思える。「いのち」とは、このように普遍的なものである。「いのち」は死を超えて次の世代に受け継がれていき、無限に続くものである。

 人間はつながりの中でしか生きられず、そのつながりこそ、平仮名の「いのち」であると考える。「いのち」は、各々の生活の中にあって、他者との出会いを生き生きとしたものに換え、喜怒哀楽を演出して、人から人へと代々受け継がれていくのである。人生は物語にたとえられると前述した。ここでもうひとつの物語を考えたい。前述したものを横の物語とするなら、ここでは縦の物語と名づけよう。親から受け継ぎ、幾世代にもわたって綴られ、同時代の人々と和してひとつの章節を書き込み、次の世代に引き継がれる「いのち」の物語である。この物語は一人ひとりに生きる意味を与えてくれる。こうして、ホスピスでの死にゆく人たちとの出会いは私に生きる力を与えてくれるのである。

2015年3月20日

 演題:「視覚障害者の求めた“豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」
 講師:岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長:注1)
  日時:平成27年03月11日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

【講演要約】
Ⅰ 琵琶法師・按摩師~「見えない歴史や見えない体内」を記憶と手の力で
 古来日本の盲人は、「見えない歴史や見えない体内」を記憶と手の力で操作し、琵琶法師や按摩師などの業を獲得して来ました。江戸時代、当道座(注2)が自治権を認められ、幕府に重用される盲人も現れました。1682年(天和2)、盲人に鍼を教える学校「杉山流鍼治導引稽古所」(注3)も開設しました。バランタン・アユイが、世界最初の盲学校であるパリ青年訓盲院を設立した1784年よりも100年以上早かったのです。 

Ⅱ 明治政府の施策
 明治政府は長年続いた当道座を廃止します。状況を打開する第一着手は教育でした。1878年(明治11)京都盲唖院発足、2年後、東京楽善会訓盲院も授業開始。京都の古河太四郎は「自己食力」を構想し、楽善会はその基調に自助論を据えていました。いずれも古い徒弟教育を否定し、普通教育の上に職業教育を築きました。中村正直(注4)の「天は自ら助くる者を助く」論は自我形成と生存競争、二つの課題を盲人に課しました。 

Ⅲ 初期の日本盲教育
 京都も東京も、点字がない現実から始まりました。木に刻んだ文字、紙を用いた凸字、紙にカナカナをプレスしたイソップ物語、鍼理論を漢字・仮名交じりに成形した凸文字教科書などが作られました。墨字の書き方の練習もしました。しかし、明治10年代の盲生にとって学習は著しく困難でした。退学が相次ぎました。 

Ⅳ 点字の登場
 事態を根本から変えていくのが点字です。人類の文字は凹字から始まりましたが、紙の発明によって平らな字に変わり盲人が読み書きし難くなりました。盲字用凸字から12点点字に飛躍し、ルイ・ブライユが6点方式に改革したことを通じて、世界の盲人にとって自由に読み書きできる文字が獲得されました(注5)。私は、アーミテージの「盲人に対する最善なるものの唯一の審判者は盲人」という提言も重要であったと考えています。
 わが国では、英国の盲人アーミテージによる『盲人の教育と職業』という書籍がそれを持ち帰った手島精一から小西信八東京盲唖学校長の手に渡り、石川倉次の点字研究が始まります。その出発点で、高田出身の小林新吉少年がアルファベット点字の読み書きを円滑に行ったことが決定的な駆動力となりました。 

Ⅴ 小西信八の功績
 明治期後半からの盲教育においては、東京盲唖学校長・小西信八の認識がもたらした影響が重要です。彼は1896年(明治29)から1898年(明治31)にかけて、欧米の障害児教育を視察しました。国家による教育を受ける権利が、盲児、聾唖児にもある(「天賦人権論」に立った認識であったかどうかは吟味を要しますが)と、はっきり主張しました。
 1906年(明治39)聾唖教育全国大会 3校長(小西信八・古河太四郎・鳥居嘉三郎)の「文部大臣建言」『上申書』・・・盲ト聾トハ全ク性情ヲ異ニシ盲者ノ為ニ考慮ヲ尽シタル成案モ之ヲ聾者ニ適用スベカラズ聾者ノ為ニ工夫ヲ凝ラシタル良案モ之ヲ盲者ニ利用ス可カラズ・・・・ 

Ⅵ 盲・聾 教育の義務化と分離
 明治から戦時中にかけて続けられた帝国盲教育会などによる運動の結果、盲・聾教育の義務化と分離は、1947年(昭和22)教育基本法、学校教育法によって果たされました。最後に盲・唖分離が行われたのは石川県で、それは1965年(昭和40)でした。特別支援教育制度の下、今後の視覚障害教育はどのような方向に向かうのか、気にかかっています。 

Ⅶ 日本盲人会
 1906年(明治39)には日本盲人会も結成されました。東京と京都の教員とその教え子たちが呼びかけ人に名を連ねました。メンバーの一人、左近允孝之進は点字新聞「あけぼの」を創刊し、『盲人点字独習書』という書物も発行しています。文部省が『日本訓盲点字説明』を出すより6年も早く当事者である左近允がこの仕事をしたのです。 

Ⅷ 同窓会
 それらに先立って、同窓会作りが1902・3年(明治35、6)に東京でも京都でも始まり、全国の盲唖学校へと広がって行きます。自らの団体を結成して歴史を一歩前に進めようという動きの基盤になったことは間違いないと考えられます。京都府立盲学校の同窓会は、昭和の初めに国産第1号として点字タイプライターを製造・販売しました。点字盤も「京盲同製」と彫り込んで販売しました。状況に対応して生きるだけでなく、状況を変える主体者として、当事者集団が立ち現れてきたことの意義は大きかったと思われます。木下和三郎の盲人歩行論にももっと注目すべきでしょう。
 自己実現を求め続ける「主体」が形成・確立されてきた過程を掘り起し、公助の範囲を縮小していくかのような今日の流れを超える力はどこから生まれてくるのかを考察したいと思っております。 

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注1)「日本盲教育史研究会」
 2012年10月13日発足。全国各地方・学校などに埋もれている史料の発掘、保存、活用を追求し、調査・研究の成果を交流・共有。日本の明治期以降の歴史を研究することにより、今後の盲教育の方向を示唆することを企図して有志により作られた。
@「日本盲教育史研究会公式サイト」
http://moshiken.org/index.html 

注2)「当道座」
 江戸時代に幕府から承認された視覚障害者の組織(西洋諸国のギルドにあたる)。自治権が与えられ、検校・別当、勾当、座頭の位があり、さらに細かく全部で73階級に分かれていた。当時3000人くらいがこの組織に属していた。 

注3)「杉山流鍼治導引稽古所」
 小川町邸の後、本所一つ目弁財天社内に開設(江戸時代後期より本社二の鳥居の手前、南側に四間余り五間の教育施設)。 この場所は、杉山和一が徳川綱吉から拝領した。現在江島杉山神社(東京都墨田区)。1682年(天和2)9月18日、家塾を改め杉山流鍼治導引稽古所を設立。アユイによる視覚障害者教育(パリ・1784年)より100年以上前のこと、世界の教育史上特筆すべき初の盲人教育である。
@「杉山流鍼治講習所」
http://www13.plala.or.jp/sugiyamakengyou/kousyuujyo.html 

注4)「中村正直」  1832年〈天保3年〉- 1891年〈明治24 年〉
 西国立志編(自助論)~1870年(明治3年)11月9日に、サミュエル・スマイルズの『Self Help』を『西国立志篇』の邦題(別訳名『自助論』)で出版、100万部以上を売り上げ、福澤諭吉の『学問のすすめ』と並ぶ大ベストセラーとなる。自助論の序文にある‘Heaven helps those who help themselves’を「天は自ら助くる者を助く」と訳した。
@「中村正直 | 近代日本人の肖像 – 国立国会図書館」
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/305.html
@
「中村正直 – Wikipedia – ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%AD%A3%E7%9B%B4 

注5)「ルイ・ブライユ Louis Braille」 1809年~1852年
@アルファベット6点式点字の開発者
「ルイ・ブライユ – Wikipedia – ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A6


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追補 「新潟の先達たち」
1.小西信八 (こにし のぶはち)1854年(嘉永7)―1938年(昭和13)
 長岡藩医小西善硯の次男として越後国古志郡高山村(現・長岡市高島町)に生まれ、1876年(明治9)東京師範学校中学師範科に入学し、1877年(明治10)、東京高等師範学校教諭(付属幼稚園主任を兼務)、1878年(明治11)には文部省四等属に任ぜられて訓盲啞院掛事務となります。そして1879年(明治12)に東京盲啞学校教諭兼幹事となり、さらに1882年(明治15)の同校校長心得を経て、1885年(明治18)に39歳で同校校長となっています。そして、1902年(明治35)に東京盲啞学校が東京盲学校と東京聾啞学校に分離した際、後者の校長として1925年(大正14)まで務めました。
 盲唖学校・聾唖学校校長、初期聾唖教育・盲教育の充実に努め、欧米歴訪で国家の教育を受ける「権利」・義務制の主張を明確化する。石川倉次と共に6点点字の開発。盲・唖分離論を唱えました。明治・大正という、障害者教育の黎明期に大きな足跡を残しました。
@「点字教育と新潟 – 博物館学を読む – Yahoo!ブログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/rekitomo2000/64943722.html

2.大森隆碩(おおもり りゅうせき)1846 年(弘化3)―1903 年(明治36)
「医学と英語の英才」
 1846 年(弘化3)高田藩医の長男として誕生。15 歳からは江戸で眼科の勉強をし、1864 年(元治1)に高田で眼科医を開業します。そしてさらなる医学の上達を志し、英語を学ぶため大学南校(現・東京大学の前身の一つ)に入学します。ヘボン式ローマ字で知られる医師ヘボンにも師事し、ヘボンの和英辞典編さんを手伝うまでに英語が上達しました。

「訓盲談話会」の設立
 再び高田へ戻った隆碩は自らも失明の危機を経験したことから、目の不自由な人たちの教育について考えるようになります。1886年(明治19)には医師や視覚障害者たちとともに「訓盲談話会」を設立し、幹事長に就任。翌年には早くも高田寺町の光樹寺(寺町2)で、目の不自由な子どもたちを集め、鍼灸・あんま、楽器などの授業を始めることになりました。この光樹寺の学校が、のちに高田盲学校へと発展していくのです。この間、隆碩は「医事会」「高田衛生会」などの医療団体の設立にも尽力しています。

「高田盲学校」
 1891 年(明治24)、隆碩は再三の申請の末ようやく県から認可を受けて、私立高田訓矇(くんもう)学校を設立し、校長に就任します。日本で三番目の盲学校の誕生です。隆碩はその私財の多くを訓矇学校の運営費に充てていました。またこの頃、隆碩は中頸城郡立産婆養成所の設立にも貢献し、その所長も務めています。1903 年(明治36)、療養中だった東京で亡くなりました。享年57 歳
@「日本3番目の盲学校を開校 大森隆碩」 
https://www.city.joetsu.niigata.jp/uploaded/attachment/92476.pdf#search=’%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E9%9A%86%E7%A2%A9′
@「開学の精神」後世に
http://www6.ocn.ne.jp/~oasisu/igyouden.htm
@「高田盲学校の設立に尽力した眼科医・大森隆碩』
http://andonoburo.net/on/3488

3.大森ミツ(大森隆碩の次女 東京盲唖学校訓導。高岡清次と結婚し、高岡光子)
 1904年(明治37)国定教科書「地理書」に挿入する『内国地図』を亜鉛版に打ち出し発行(初の触地図)。翌 1905年(明治38)8月には『外国地図』を発行。1914年(大正3)には辞書『言海』の点字訳を成し遂げました。夫・高岡清次は東京帝大を卒業後に中途失明した法学徒であり、光子はその学問をも支えました。なお、1909(明治42)年2月国に対して「点字公認ニ関スル請願」が提出され、あと一歩で採択されるところまで進展しましたが、内閣法制局の「点字は文字にあらず」という判断によって葬り去られました。この請願に高岡清次も加わっています。 

4.市川信夫  1933年(昭和8)-2014年(平成26) 
 新潟県上越市出身。高田瞽女の文化を保存・発信する会代表。児童文学者。新潟大学教育学部に学び、各地の小学校に勤めた後、盲学校・養護学校などで障害児教育に当たりました。高田瞽女研究の第一人者と言われた父、市川信次の指導で瞽女研究をはじめました。退職後は知的障害者通所作業所所長、上越市文化財審議委員などを歴任。坪田譲治氏に師事して学んだ児童文学の分野では、代表作に「雪と雲の歌」や映画化された『ふみ子の海』(理論社)があります。その映画のキャッチコピーは「ほんとうに大切なものは目に見えない」でした。
「児童文学者・高田瞽女研究家、市川信夫さん死去 功績たたえ、急逝を悼む」
http://www.j-times.jp/news.php?seq=9555
「瞽女文化」
http://goze.holy.jp/goze/hennaka2/itikawa.html
「ふみ子の海」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%BF%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%B5%B7

5.高田訓矇学校は「日本最初の盲学校」
(点字毎日連載『歴史の手ざわり・もっと!第10回』より)
 明治10年代、東西二校の他に、大阪や石川などで盲啞教育が試みられました。しかし、条件が熟していなかったため、いずれも挫折してしまいました。従って、1891年(明治24)創立の高田盲学校が「3番目の盲学校」と言い習わされてきました。現在(執筆・掲載時点)は、県立上越養護学校内に同新潟盲学校高田分校となっています。
 高田盲学校の歴史は幾つかの際立った特色を持ちます。まず、2006年(平成18)まで、一度も「盲唖学校」に変容することなく、徹頭徹尾「盲学校」として存在し続けた点です。京都も東京も、「盲唖」校であった時期に、高田は視覚障害に特化した学校づくりを初心としました。地元には、聾唖生の受け入れを望む動きもありましたが、それをあえて退けました。この経緯をふまえると、高田は「3番目」でなく、「日本で最初の盲学校」と称えるのが相応しいとさえ言えます。
「点字毎日 2011年10月27日 歴史の手ざわり・もっと」 京都府立盲学校 岸博実
http://blogs.yahoo.co.jp/kishi_1_99/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fblogs.c.yimg.jp%2Fres%2Fblog-b1-f4%2Fkishi_1_99%2Ffolder%2F557467%2F59%2F38786859%2Fimg_0%3F1321074146&i=1

 これらの方々の足跡・業績をいっそう体系的に掘り起し、顕彰していきたいと念じます。高田盲学校の史料、市川信夫氏の仕事をどう継いでいくか、関係者のご尽力に期待しています。

PS:ささやかなお土産として、「高田盲学校30周年記念」(点字)を墨字に起こして持参いたしました。 

 

【略 歴】
 1972年(昭和47年)   広島大学教育学部卒業
 1974年(昭和49年)~  京都府立盲学校教諭
 2011年(平成23年)~  点字毎日・点字ジャーナルに盲教育史連載 
 2012年(平成24年)~  日本盲教育史研究会事務局長
 2013年(平成25年)~  滋賀大学教育学部非常勤講師
           6月 盲人史国際セミナーinパリで招待講演を担当
 2014年(平成26年)7月 第23回視覚リハビリテーション研究発表大会で
              教育講座を担当 

【後 記】
 とにかく視覚障害者への教育の歴史に対する岸先生の真摯さ優しさを感じる講演でした。
 一つ一つは知っている積りでしたが、歴史の流れの中で語られた視覚障害者(児)の教育の話は新鮮でした。衝撃でした。最初に述べられた、琵琶法師・按摩師は、「見えない歴史や見えない体内」を記憶と手の力で操作した人たちという認識も新鮮でした。わが国には古くから視覚障害者に対する施策や教育があったこと、明治を機に大きく制度改革が行われたこと、視覚障害者のために点字の開発が大きかったこと、盲・聾 教育の義務化と分離に長い年月を要したこと(最近は逆に統合が進められている)。自己実現を求め続ける『主体』が形成・確立されてきた過程を知るにつれ、公助の範囲を縮小するかのような今日の流れに危惧を覚えます。
 新潟の先達の働きも再認識しました。同時に、貴重な資料の保存も気になりました。
 岸先生には、あいにくの天候の中、京都から新潟(そして上越・高田)までお出で頂いきました。感謝です。岸博美先生の今後益々のご活躍を祈念致します。

 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】

平成27年4月8日(水)16:30~18:00
 第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
  ―『慢性眼科患者』の経験から私が学んだこと」
 阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員(社会福祉士)) 

平成27年5月13日(水)16:30~18:00
 第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされ
     
     いかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
  遁所 直樹 (社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長)
 

平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
   吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会)
 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定)
 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「人生いろいろ、コーチングもいろいろ
   ー高次脳機能障害と向き合うこと、ピアノを教えることー」
  立神粧子 (フェリス女学院大学教授)
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 参考:新潟ロービジョン研究会2011~2011年2月5日(土)
  『前頭葉機能不全 その先の戦略』立神粧子
   http://andonoburo.net/on/3495
 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
  清水美知子(歩行訓練士;埼玉県)
 

平成27年10月14日(水)16:30~18:00
 【目の愛護デー記念講演会 2015】
 (第236回(15-10)済生会新潟第二病院 眼科勉強会)
  演題未定
  藤井 青 (ふじい眼科)

2015年3月11日

 新潟県の眼科勤務医が中心となり有志が、「越後眼科研究会」を平成19年5月に立ち上げ、年に2回開催しています。日頃抱えている問題や症例を話し合い、また全国で活躍している先生をお呼びして最新・最前線のお話を伺っています。今回は、小児眼科・斜視でご活躍の佐藤美保先生(浜松医科大学眼科・病院教授)を、特別講演の講師としてお迎えし『チャレンジ!小児眼科とおとなの斜視』という演題で講演して頂く予定です。
 
病院勤務医のみならず、開業医、大学勤務医、研修医、視能訓練士、看護師など多くの方々に参加して頂きたいと存じます。今のうちにカレンダーへのチェックをお願い致します。 

『第17回 越後眼科研究会』
 
日時:平成27年5月16日(土)17:00~19:30
 
場所:チサンホテル&コンファレンスセンター新潟
   (新名称:ホテルラングウッド新潟)
   新潟市中央区笹口1-1 電話:025-240-2111(代表)
 17:00~ 薬事案内
 17:15~ 一般演題
 18:15~ 特別講演
 『チャレンジ!小児眼科とおとなの斜視』
  佐藤美保  先生
 
 (浜松医科大学眼科:病院教授)

 尚、講演会終了後、19:30より情報交換会を予定しております。 

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※ 一般演題を募集致します
「演題名」「演者名(発表者に○)」「所属名」を記入の上、
 メールまたはFAX、郵送にて、ご応募ください。

 応募先:越後眼科研究会事務局
     済生会新潟第二病院眼科 安藤 伸朗
   住所 〒950-1104 新潟市西区寺地280-7
   FAX 025-233-6220
   メールアドレス gankando@sweet.ocn.ne.jp

 演題締切:平成27年4月20日(月)
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 越後眼科研究会世話人
  安藤 伸朗(済生会新潟第二病院:当番幹事)
  村上 健治(新潟市民病院)
  橋本 薫(長岡赤十字病院) 
  山本 達郎(立川綜合病院)
 共催:越後眼科研究会  千寿製薬株式会社

2015年2月27日

 済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。参加希望者は80名を超えましたが、まだ席には余裕があります。多くの皆様の参加を期待しております。
 参加できない方のため、講演会の模様をUstreamで全国に実況中継致します。 

『済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」』 
 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;近江八幡市)
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと
                        ~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 事前登録が原則ですが、当日参加もOKです
 http://andonoburo.net/on/3412 

【講演会を円滑に進行するため、以下の点にご協力下さい】
1)当日参加も可能ですが、できるだけ事前登録をお願いします。
  事前登録は、前日2月27日まで受け付けております。 

2)入場
  時刻通り開始したいと思います。早めに会場にお越し下さい。
  開場は15時です。 

3)駐車場
  病院正面の患者用駐車場をご利用ください。
  駐車券は、会場までお持ち下さい。減額処理を致します。 

4)本講座では、参加者はお客様ではありません。
  会終了後、会場の後片付けは全員で行います。 

5)本講演会のための職員はおりません。
  電話での申し込み、お問い合わせはお断り致します
  お問い合わせは、メールにてお願いします。 
 

【講演会をUstreamで配信致します】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部福祉人間工学科渡辺研究室」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。
 http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai 
 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じておりませんが、個人的な使用のみにお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  

【細井順氏の書籍の展示即売、および細井氏自身によるサイン会】
 当日講演会終了後に会場にて、考古堂書店が細井順氏の書籍の展示即売を行います。また細井氏自身によるサイン会を開催致します。ご期待下さい。
 1)「希望という名のホスピスで見つけたこと」 細井順 (著)
   1,296円 出版社: いのちのことば社 (2014/10/1)
 2)「こんなに身近なホスピス」 細井 順   (著)
   1,620円 出版社: 風媒社(2003/05)

2015年2月24日

 済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。参加希望者は70名を超えました。参加者は新潟市・新潟県は勿論のこと、神奈川県・宮城県・長野県・山形県からもいらっしゃいます。まだ席には余裕があります。多くの皆様の参加を期待しております。
 尚、事前登録は講演会前日まで受付致しております。 

済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」 
 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;近江八幡市)
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと
                        ~
死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 要:事前登録
 http://andonoburo.net/on/3412


【講演会を円滑に進行するため、以下の点にご協力下さい】
1)当日参加も可能ですが、できるだけ事前登録をお願いします。
  事前登録は、前日2月27日まで受け付けております。

2)入場
  時刻通り開始したいと思います。早めに会場にお越し下さい。
  開場は15時です。

3)駐車場
  病院正面の患者用駐車場をご利用ください。
  駐車券は、会場までお持ち下さい。減額処理を致します。

4)本講座では、参加者はお客様ではありません。
  会終了後、会場の後片付けは全員で行います。

5)本講演会のための職員はおりません。
  電話での申し込み、お問い合わせはお断り致します
  お問い合わせは、メールにてお願いします。


【事前登録】 申込期限~平成27年2月27日(金)まで
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp
   Fax 025-233-6220 
********************************************************
 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~  

   所属~

   職業~ 

 住所~都道府県名と市町村名のみお願いします

 連絡方法 
    e-mail アドレス~
 
   Fax番号~ 

  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します) 

 付添いの方が一緒ですか? (はい、いいえ)
*********************************************************

 
 

 尚、当日講演会終了後に会場にて、考古堂書店が細井順氏の書籍の展示即売、および細井氏自身によるサイン会を開催致します。ご期待下さい。
 1)「希望という名のホスピスで見つけたこと」 細井順 (著)
   1,296円 出版社: いのちのことば社 (2014/10/1)
 2)「こんなに身近なホスピス」 細井 順   (著)
   1,620円 出版社: 風媒社(2003/05)

2015年2月22日

 演題:「視覚障害者の求めた“豊かな自己実現”―その基盤となった教育―」
 講師:岸 博実(京都府立盲学校教諭・日本盲教育史研究会事務局長)
  日時:平成27年03月11日(水)16:30 ~ 18:00 
  場所:済生会新潟第二病院 眼科外来  

 済生会新潟第二病院眼科で、1996年(平成8年)6月から毎月行なっている勉強会の案内です。参加出来ない方は、近況報告の代わりにお読み頂けましたら幸いです。興味があって参加可能な方は、遠慮なくご参加下さい。どなたでも大歓迎です(参加無料、事前登録なし、保険証不要)。ただし、お茶等のサービスもありません。悪しからず。 

【抄 録】
 日本の盲人は“記憶”と“手技”を駆使して職業を獲得してきた。徳川時代には「自治」を経験し、教育機関も設けた。明治以降の盲教育は、西欧の知見に触発されつつ、日本的な特性を持って構築された。教育目的に掲げられた「自助」論を問い直す必要があろう。
 まず、明治以降の<教育権>思潮を小西信八の言説と教員組織の営みを通してなぞり、「盲・ろう教育の義務化と分離」が希求された経緯と、特別支援教育の課題を考える。
 次に、視覚障害当事者の営為を振り返る。好本督や鳥居嘉三郎による「同窓会」・「日本盲人会」の結成が点字新聞等の発行へとつながった。高等教育を志した青年の先駆性、木下和三郎『盲人歩行論』の先見性にも光を当て、「自己実現」追求の意義を確かめる。
 さらに、「人類の文字が東西ともに凹字から始まったのはなぜか」の考察を入り口に、「紙と平らな文字(墨字)」時代の明と暗をみつめ、凸字から点字へと飛躍した画期的な展開をおさえる。「文字の世界の新人」である点字の魅力と将来像を吟味する。
 最後に、新潟ゆかりの先人たち-小西信八が示した点字を最初に読みこなした小林新吉、高田訓矇学校を興した大森隆碩たち、『玄海』(辞書)や『内国地図』(教科書)を点訳した東京盲唖学校訓導・大森ミツ-に思いを馳せたい。
 <高田盲学校史料>の中から埋もれた希少資料を紹介し、新潟の視覚障害教育史資料の保存及び活用への期待を述べたい。 

【略 歴】
 1972年(昭和47年)   広島大学教育学部卒業
 1974年(昭和49年)~  京都府立盲学校教諭
 2011年(平成23年)~  点字毎日・点字ジャーナルに盲教育史連載 
 2012年(平成24年)~  日本盲教育史研究会事務局長
 2013年(平成25年)~  滋賀大学教育学部非常勤講師
           6月 盲人史国際セミナーinパリで招待講演を担当
 2014年(平成26年)7月 第23回視覚リハビリテーション研究発表大会で講座を担当

 

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 今回の勉強会の一部は、「新潟大学工学部渡辺研究室」と「新潟市障がい者ITサポートセンター」のご協力によりネット配信致します。以下のURLにアクセスして下さい。下記のいずれでも視聴できます。
   http://www.ustream.tv/channel/niigata-saiseikai
   http://nitsc.eng.niigata-u.ac.jp/saiseikai/
 当日の視聴のみ可能です。当方では録画はしておりません。録画することは禁じておりませんが、個人的な使用のみにお願いします。
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『済生会新潟第二病院 眼科勉強会』
 1996年(平成8年)6月から、毎月欠かさずに続けています。誰でも参加出来ます。話題は眼科のことに限らず、何でもありです。参加者は毎回約20から30名くらいです。患者さん、市民の方、医者、看護師、病院スタッフ、学生、その他興味のある方が参加しています。眼科の外来で行いますから、せいぜい5m四方の狭い部屋で、寺子屋的な雰囲気を持った勉強会です。ゲストの方に約一時間お話して頂き、その後30分の意見交換があります。
 日時:毎月第2水曜日16:30~18:00(原則として)
 場所:済生会新潟第二病院眼科外来      

*勉強会のこれまでの報告は、下記でご覧頂けます。
 1)ホームページ「すずらん」
  新潟市西蒲区の視覚に障がいのある人とボランティアで構成している音声パソコン教室ホームページ
  http://www11.ocn.ne.jp/~suzuran/saisei.html
 2)済生会新潟第二病院 ホームページ
    http://www.ngt.saiseikai.or.jp/section/ophthalmology/study.html
 3)安藤 伸朗 ホームページ
    http://andonoburo.net/ 

【今後の済生会新潟第二病院眼科 勉強会 & 研究会】
平成27年4月8日(水)16:30~18:00
 第230回(15‐04月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 「知る・学ぶ、そしてユーモアを忘れずに挑戦していくことの大切さ
      ―『慢性眼科患者』の経験から私が学んだこと」
   阿部直子(アイサポート仙台 主任相談員/社会福祉士) 

平成27年5月13日(水)16:30~18:00
 第231回(15‐05月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「(仮称)障がいのある人もない人も一人ひとりが大切にされ
            いかされる新潟市づくり条例検討会に参加して」
   遁所 直樹 (社会福祉法人 自立生活福祉会事務局長) 

平成27年6月3日(水)16:30~18:00
 第232回(15‐06月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  「我が国の視覚障害者のリハビリテーションの歴史」
    吉野由美子 (視覚障害リハビリテーション協会) 

平成27年7月
 第233回(15‐07月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
 新潟盲学校弁論大会 イン 済生会 (予定) 

平成27年8月5日(水)16:30~18:00
 第234回(15‐08月)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   立神粧子 (フェリス女学院大学) 

平成27年9月9日(水)16:30~18:00
 第235回(15-09)済生会新潟第二病院眼科勉強会
  演題未定
   清水美知子(歩行訓練士;埼玉県)

2015年2月18日

 済生会新潟第二病院眼科では、どなたでも参加できる講演会を開催しています。今回はホスピス医の細井順氏をお招きして講演会を開催致します。
 細井氏は、ホスピス医として死にゆく患者の傍らに立ち続けた日々が、一人の医師の心に豊かな「いのち」観を育んだといいます。自らのがん体験によってさらに深まった独自の死生観を語ります。良く生き、良く死ぬとは何か、また超高齢社会でどう看取り、死を迎えたらいいのか、、、、、、、
 まだ席には余裕があります。多くの皆様の参加を期待しております。 事前登録は講演会前日まで受付致します。 

案内:済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」 
 講師:細井順(ヴォーリズ記念病院ホスピス希望館長;滋賀県近江八幡市)
 演題:生きるとは…「いのち」にであうこと
            
~死にゆく人から教わる「いのち」を語る~
  日時:平成27年2月28日(土)15時開場 15:30~17:00
  会場:済生会新潟第二病院 10階会議室
  どなたでも参加できます。参加費無料
 要:事前登録(講演会前日まで受付
 http://andonoburo.net/on/3334

 

【事前登録】 申込期限~平成27年2月27日(金)まで
 申し込み先:済生会新潟第二病院眼科 安藤伸朗
   e-mail gankando@sweet.ocn.ne.jp
   Fax 025-233-6220 
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 参加申し込み 済生会新潟第二病院眼科 公開講座2015「細井順講演会」
  氏名~  

   所属~

   職業~ 

 住所~都道府県名と市町村名のみお願いします
 連絡方法 
    e-mail アドレス~ 
   Fax番号~ 

  (可能な限り、メールでの連絡先をお願い致します) 

 付添いの方が一緒ですか? (はい、いいえ)
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【著者紹介】 『竹馬の友』  
 細井順氏は私の一歳年上、2歳上の兄と私の間の学年である。昭和30年前半の頃、当時盛岡に住んでいた私達兄弟と彼は、毎日お互いの家を行き来して遊んだ。私が幼稚園から小学1年生時代の3年間である。3人兄弟のような関係であった。

 学生時代に3人で一緒に旅行した。彼の結婚披露宴に兄弟で招かれた。私の結婚式に参列してもらった。時を経て彼は外科医になり、新潟で学会があった時、一緒に飲んだ。大学の講師になりそれなりに活躍しているようであった。名古屋で眼科の学会があった時、一緒に飲んだ。その時には彼はホスピスで仕事をしていた。もとから彼はクリスチャンで、彼らしい選択と思った。その後彼は滋賀に移り、京都の学会の折に時々会った。

 彼に会うといつも不思議な感覚を味わう。タイムスリップして一気に盛岡時代に戻ってしまう。互いに50歳を過ぎ、バーのカウンターで互いに「順ちゃん」「伸ちゃん」と呼ぶ。それ以外の呼び方をお互いに知らない。中年男性がそんな呼び合いをしながら、仲良さそうに会話をしているのだから、さぞや周囲の人からは変に思われたかも知れない。

 そんな彼を新潟に呼んで講演会を開いた(平成17年11月26日)。「ホスピスに生きるひとたち」という演題で、約一時間の講演だった。最初は彼に講演など大丈夫かなと心配であったが、5分も経たないうちにそれは杞憂であることが判った。「ホスピスは、患者にあと一日の命は与えないが、その一日に命を与える」「病気で死ぬのではない、人間だから死ぬ」「死ぬことは、生きている時の最後の大仕事」『患者の死』は外科医にとっては『苦い経験』だが、ホスピス医にとっては、『生きる力』」、、、、、。

 彼の講演は、間違いなく満員の聴衆を魅了した。嬉しかったが、正直チョッと不思議だった。なぜなら私にとって「順ちゃん」は、立派なホスピス医ではなく、今でも「やんちゃな遊び友達」であるからだ。

(「日本の眼科」2005年12月号 編集便りから)

 

【細井順氏著書の書籍販売・サイン会】
2月28日当日は会場で、著書の書籍販売・サイン会を予定しております。
1)「希望という名のホスピスで見つけたこと」 細井順 (著)
 出版社: いのちのことば社 (2014/10/1)
2)「こんなに身近なホスピス」 細井 順   (著)
 出版社: 風媒社( 2003/05)
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3)「死をおそれないで生きる―がんになったホスピス医の人生論ノート」 
 細井 順   (著)
 出版社: いのちのことば社(2007/07) 絶版
 

●済生会新潟第二病院眼科では、細井氏をこれまでに何度かお呼びし講演会を開催しています。参考までに、これまでの講演会の講演要旨を以下に記します。
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@済生会新潟第二病院眼科 公開講座2005『細井順 講演会』
 演題:「ホスピスで生きる人たち」
 講師:細井順 (財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院緩和ケア部長)
  期日:平成17年11月26日(土) 15時~17時
  場所:済生会新潟第二病院10階会議室
 http://andonoburo.net/on/2548 

@済生会新潟第二病院眼科 公開講座2008『細井順 講演会』
(第144回(08‐2月)済生会新潟第二病院眼科勉強会)
 演題:「豊かな生き方、納得した終わり方」
 講師:細井順(財団法人近江兄弟社ヴォーリズ記念病院ホスピス長)
   期日:平成20年2月23日(土) 午後4時~5時半
   場所:済生会新潟第二病院 10階会議室
 http://andonoburo.net/on/2573